2017年1月5日木曜日

南シナ海で横暴の支那に米空母で鉄槌か 演習実施で牽制―【私の論評】トランプ新大統領による対支那強硬策で習近平失脚は確実(゚д゚)!

南シナ海で横暴の支那に米空母で鉄槌か 演習実施で牽制

カール・ビンソン
 南シナ海で横暴の限りを尽くす支那に対し、米が鉄槌(てっつい)を下すのか。米太平洋艦隊がニミッツ級の原子力空母カール・ビンソンを中心とする第1空母打撃群を西太平洋に派遣すると発表した。南シナ海で演習を実施する可能性もあり、昨年末から年明けにかけ、南シナ海で空母による挑発行動を繰り返している支那への牽制(けんせい)が狙いとみられる。

 支那海軍の空母「遼寧」は昨年12月、初めて「第1列島線」(九州-沖縄-台湾-フィリピン)の宮古海峡を越えて西太平洋で訓練を実施した。その後、台湾・フィリピン間のバシー海峡を通過し、南シナ海から海南島の三亜の海軍基地に到着した。

 空母による支那の挑発行動は、昨年12月27日に米ハワイで行われた日米首脳会談でも議題となった。安倍晋三首相とオバマ大統領は「中長期的観点からも注視すべき動向だ」との認識で一致し、支那を牽制した。

 ところが、支那は行動を改めるどころか、さらなる攻勢に出た。遼寧は年明けの1日、南シナ海で艦載機の発着艦訓練を実施した。支那国営中央テレビ(CCTV)の報道では、遼寧の乗組員は「1日の間に出動できる艦載機が当初の4倍まで増えた」と語り、副艦長は「2017年は訓練の内容と海空域を拡大し、空母部隊の戦闘力建設を引き続き推進する」と述べた。挑発行動を今後もやめるつもりはないということだろう。

 遼寧だけではない。支那は昨年、米国に対する実力行使にも踏み切っている。12月15日に、南シナ海で米海軍の無人潜水機を強奪したのだ。

 トランプ次期米大統領はツイッターで「支那は米海軍の無人潜水機を公海で盗んだ」と非難した。これに対し、支那の官製メディア、環球時報が運営するニュースサイトは、楊毅海軍少将の「トランプ氏の米大統領就任後は南シナ海での中米の衝突が、さらに激烈になるだろう」との談話を掲載した。

 支那はその後、無人潜水機を米側に返還したが、緊張関係は続いている。こうした中、西太平洋に派遣されるカール・ビンソンは5日か6日に米西部サンディエゴを出発する予定だ。米中関係は年明けから、さらに緊迫しそうだ。

*ブログ管理人注:この記事では、支那のことを「中国」と記していましたが、このブログでは「中国」とい表記は使用しないため、「支那」と書き改めています。

【私の論評】トランプ新大統領による対支那強硬策で習近平失脚は確実(゚д゚)!

「遼寧」の戦闘力は、かなり低く戦略的にも、戦術的にも何の意味もないことはこのブログでも以前述べたことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【支那空母、太平洋進出】遼寧は台湾南部を抜け南シナ海へ―【私の論評】ボロ船「遼寧」で支那の国内向けイッツ・ショータイムが始まる(゚д゚)!
先月24日、航行する支那の空母「遼寧」
「遼寧」の能力の低さについては、この記事をご覧下さい。

「遼寧」に関しては、日米にとっては、戦術的にも戦略的にも無価値な代物です。ただし、日米以外の南シナ海の近隣諸国にとってはそうではありません。ボロ船「遼寧」でも十分に脅威になります。

これを牽制するために、米軍は第1空母打撃群を南シナ海に派遣するのでしょう。しかし、オバマが大統領のうちは、牽制とはいっても大したことはしないでしょう。

何しろオバマは今まで、南シナ海では何ら有効な牽制策を打ってきませんでした。

2016年当初、支那は南シナ海の7つの人工島のうちスービ礁、ファイアリークロス礁、ミスチーフ礁に、それぞれ3000メートル級滑走路の建設を進めていました。今やそれらの滑走路は、戦闘機から爆撃機や大型旅客機まであらゆる航空機が使用できる状態になっています。

滑走路周辺にはまだ完全には完成していないものの、戦闘機や爆撃機などの格納施設や整備施設も姿を現しており、管制施設やレーダー施設をはじめとする空軍設備群の建設も完成目前であります。そのため、2017年中には、それら3カ所の航空基地に人民解放軍海軍あるいは空軍の航空部隊が配備されることは十二分に可能な状態になります。

それぞれの人工島には、航空施設に加えて、支那海軍艦艇や支那海警局巡視船艇が拠点とすることができるだけの港湾施設の建設も進められています。いまだ海軍艦艇などが母港化している状態ではないものの、2017年中にはいくつかの人工島港湾に海軍フリゲートやコルベットそれに海警局武装巡視船が配備されるかもしれません。

海洋戦力の強化にとって、軍艦や航空機といった装備の充実は当然ながら極めて重要であす。前方展開拠点の確保はこれまた非常に重要な要素です。そのためアメリカ海軍・海兵隊は日本(横須賀、佐世保、沖縄、岩国)やバーレーン、それにディエゴ・ガルシアという海外に設置してある前方展開基地を手放したくないのです。

ただし、アメリカ海軍にとってそれらの海外前方展開基地はすべて他国の領土内にあります。そのため、日本でのいわゆる沖縄基地問題のように未来永劫安定的に確保できる保証はありません。

それに対して支那は、ファイアリークロス礁、スービ礁、ジョンソンサウス礁、クアテロン礁、ガベン礁、ヒューズ礁そしてミスチーフ礁と、少なくとも支那の主張によっては自国の領土である7つもの環礁に前方展開基地を手にすることになったのです。

南シナ海を睥睨する支那軍事拠点 
さらに、それぞれの人工島には、地対艦ミサイル部隊や地対空ミサイル部隊が各種レーダー施設と共に配備され始めています。かねてより米海軍戦略家たちが危惧していた通り、南沙諸島に支那海軍が数セットの空母艦隊を展開させたような状況が現実のものとなりつつあります。

オバマ政権最後の年ということで、支那は南沙諸島の7つの人工島で軍事施設の建設を加速させただけではなく、西沙諸島の軍事的防衛態勢も強化し、フィリピンから奪取したスカボロー礁の軍事拠点化を進める態勢を明示し始めました。それに対してオバマ政権は(支那側の期待通り)効果的な対抗措置をとることはありませんでした。

米海軍戦略家の多くは支那による人工島建設の動きを事前に探知し、オバマ政権に「支那の南シナ海における拡張政策にストップをかける諸対策を実施すべき」との進言を繰り返していました。しかしながら、支那との深刻な軋轢を何よりも恐れていたオバマ政権は、そうした提言に耳を貸そうとはしませんでした。

2015年後半になって、かなり進展した人工島建設状況をCNNが実況して騒ぎになると、ようやくオバマ政権は支那に対する牽制作戦にしぶしぶゴーサインを出しました。しかし、海軍が許可された「FONOP」(公海航行自由原則維持のための作戦)はあくまで中国側を過度に刺激しない限度に制限されたため、さしたる効果が期待できる代物ではありませんでした。

支那に対して及び腰な対応しかできなかったオバマ
2016年にオバマ政権がアメリカ海軍に実施を許可したFONOPはわずか3回です。それらは、いずれも支那が実効支配中の島嶼・環礁に接近した海域を、国際法によって軍艦に与えられている無害通航権の範囲内で“平穏無事”に通過するだけの、中国にとっては痛くも痒くもないレベルのデモンストレーションに過ぎませんでした。

オバマは、軍衝突を避けると見た支那は、人工島建設を加速化させ、オバマ就任中にほぼ工事を終えてしまいました。後は、付属施設を構築し、航空部隊を配置してしまえば、不沈空母以上の前進基地が完成します。

オバマが最後の命令として、厳しい措置をするように第1打撃群に要請することはないでしょう。トランプ氏も就任したばかりでは、すぐに有効な手をうつことはできないかもしれません。

しかし、就任後1〜2ヶ月後にはトランプ氏は必ず、支那に対する牽制策をとります。それは、最初は軍事的なものではない可能性が高いです。

これについては、以前このブログでも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【スクープ最前線】トランプ氏「支那敵対」決断 台湾に急接近、習近平氏は大恥かかされ…―【私の論評】トランプ新大統領が支那を屈服させるのはこんなに簡単(゚д゚)!
台湾の蔡英文総統との電話会談で中国を牽制したトランプ次期米大統領
詳細は、この記事をご覧いただくものとしして、この記事より一部を以下に引用します。
超大国といわれるアメリカの一番の強さは、軍事力でもなく、イノベーション力でもありません。それは、米国による世界の金融支配にあります。現在の世界の金融体制は、ブレトン・ウッズ体制に端を発しています。これは、第二次世界大戦末期の1944年にアメリカのブレトン・ウッズで連合国通貨金融会議が開かれ、国際通貨基金(IMF)や国際復興開発銀行(IBRD)の設立が決定されたものです。 
当時、世界の金の80%近くがアメリカに集中しており、アメリカは膨大な金保有国でした。その金と交換できるドルを基軸通貨とし、他国の通貨価値をドルと連動させるという仕組みで、金・ドル本位制ともいわれます。 
世界各国、特に先進国の中で、食料や資源を100%自給できている国は少ないです。中国の食料自給率は85%以下といわれており、アメリカから穀物を買えない事態になれば、13億の人民は飢餓に苦しむことになります。
トランプ新大統領は、このようなことも視野に入れていると思います。まずは、軽い金融制裁により様子見をして、それでも中国の態度が改められなければ、さらに強化し、中国はとんでもない状況に追い込まれることになります。それでも、態度が改められなければらなる金融制裁の強化、最後の最後には軍事力に訴えることになります。

それも、段階を踏んてすこしずつ強化していくことでしょう。 
中国は、早めにこのようなことを自覚して、南シナ海や東シナ海での暴挙をやめるべきです。そうでないと、本当にとんでもないことになります。 
オバマと違って、トランプ大統領にとっては、中国を屈服させるのはこんなに簡単なのです。というより、米国の実力をもってすれば、元々かなり簡単なことなのですが、オバマ大統領がそれを実行してこなかったため、中国が増長したというのが現状です。ごく最近の中国を一言で表現すれば、「身の程知らず」だったということです。大統領就任中に、かなりのところまでこれを実施するというのがトランプ氏の腹です。
過去の支那の信用力は、大量のドルを持っていることによるものでした。今や、このドルがどんどん支那から海外に逃避しています。米国が何らかの金融制裁措置をとれば、これからさらに加速され、中国からドルが消え失せることになります。

それどころか、トランプ氏は「中国が人民元の対ドル市場を不正に低水準に保っている」として、中国を為替操作国として認定し、対抗措置として中国からの輸入品に45%もの関税をかけるという経済政策を主張していました。これを実行する可能性もあります。

そうなれば、支那は軍事どころか、人民にまともに食料品を供給することすらできなくなります。そうなると、人民の憤怒のマグマは習近平を頂点とする、共産党中央政府に向くことになります。そうなれば、習近平は失脚するでしょうが、それでも中国が南シナ海での暴挙を続ける限り、金融制裁は緩められことはないでしょう。そうなったとき、支那には全く勝ち目はありません。

たとえ軍事的手段に打って出たとしても、到底米国には及びません。米国が本気を出して軍事衝突すれば、「遼寧」を含めた艦艇はあっという間に海の藻屑と消え、環礁の前線基地は、即座に破壊されてしまうでしょう。イラクのような砂漠地帯ではない、海洋では、半日程度で決着がついてしまうでしょう。

習近平にとっては、オバマが大統領だったときの米国は、かなり御しやすかったと思います。支那という国は、ほとんどが自国内部の都合で動く国です。外交も自国内部の都合にかなり左右されます。というより、最初に自国の都合があって、その後に外交があるというとんでもない国です。

オバマが大統領だったときは、習近平はまず支那国内を優先して、国内対応を中心として動いていたものと思います。習近平にとっては、オバマは国内の習近平反対派の、胡錦涛派(共青団)の李克強氏、上海閥と太子党の江沢民派のほうが、余程大きな存在だったに違いありません。

胡錦濤(左)と江沢民(右)
オバマ大統領は、習近平にとっては、胡錦濤や江沢民のほうが余程大きな存在であったに違いありません。

しかし、トランプ氏が大統領になれば、胡錦濤や江沢民よりも、トランプ氏のほうがはるかに大きな存在になるに違いありません。

今までは、習近平は、中国国内の胡錦濤派と江沢民派と腐敗撲滅運動という名の下での権力闘争を繰り広げて、時折米国対応をしていれば、比較的楽に権力闘争を戦えたのですが、トランプ大統領になれば、そのようなわけにはいかなくなります。

そうして、反習近平派はここぞとばかり、権力闘争を強めてくるに違いありません。習近平としては、今までは2つの派閥にプラスアルファ程度で戦ってこられたのが、派閥が3つに増え、しかも増えた派閥が、それまでの派閥よりはるかに強力になったというような状況になります。

以前にも、このブログでは、権力闘争で手詰まりの習近平は失脚するであろうことを掲載しました。権力闘争が手詰まりなのに加えて、トランプ大統領が登場して、対支那強攻策を実行すれば、習近平の失脚はほぼ確実です。

何か大きく情勢が変わらないかぎり、習近平は失脚に追い込まれるのは確実とみるべきでしょう。

ポスト習近平が、米国に対してどのような対応をするのかはまだ見えてきません。それについては、いずれまた掲載させていただきます。

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2017年1月4日水曜日

支那共産党の扇動が判明 邦人虐殺の惨劇…「通州事件」―【私の論評】通州事件を歴史の彼方に埋もれさせるな(゚д゚)!

支那共産党の扇動が判明 邦人虐殺の惨劇…「通州事件」

日支戦争(1937~45年)の開始直後、北京郊外で邦人多数が虐殺された37年7月の「通州事件」で、蜂起した親日地方政権の支那人部隊が、支那共産党の扇動工作を受けていたことが、支那での研究で明らかになった。日支戦争は今年で開始80年となるが、「抗日民族統一戦線」の結成を急ぐ当時の共産党が、敵対する親日政権の軍・警察組織に離反を働きかけたことで、惨劇につながる蜂起の素地が事前に形成されていたことが裏付けられた。(編集委員 山本秀也)

                   ◇

 通州事件を起こした「冀東(きとう)防共自治政府」(所在地・通州)の「保安隊」をめぐっては、国民党政権の軍・地方長官と保安隊幹部の通謀が判明する一方、共産党の関与に関しては、日本では可能性が指摘されながら実態が明示されていなかった。

 共産党の関与を示す研究は、党史や地方史に関する報告として、河北省唐山市の機構が運営する研究サイト「政協唐山文史網」や、歴史専門誌「国家人文歴史」などで、近年相次ぎ公表された。

劉少奇(右)、左は妻の王光美
 それによると、河北省周辺での地下活動を統括した共産党北方局(劉少奇書記)の下で、「黎巨峰(れい・きょほう)」「王自悟(おう・じご)」という工作員が、35年の冀東防共自治政府の成立直後から、保安隊の張慶余(ちょう・けいよ)・第1総隊長、張硯田(ちょう・けんでん)・第2総隊長と関係を構築した。

 この接触で、共産党は「抗日救国に一致団結する大義」を張らに植え込んだほか、保安隊内への浸透も進めた。

 さらに、盧溝橋事件に始まる日中戦争以前に華北一帯で頻発した抗日活動も、共産党の工作が奏功したものだと指摘。

 実例として、36年11月、河北省昌黎県を列車で移動中の山海関守備隊長、古田竜三少佐ら日本軍将校5人が、同じ保安隊の兵士に拉致された事件について、共産党に影響された張硯田の指示だったことを明らかにした。

 35~36年当時、毛沢東率いる共産党は、陝西省北部の根拠地で国民党軍の包囲を受けつつ、党勢の立て直しを模索。国民党や親日勢力を取り込む「抗日民族統一戦線」の構築を方針に掲げ、国民党などの支配地域で地下工作を進めていた。

 保安隊工作にあたった黎巨峰は、小学校の教員を務めた地下党員。「通州兵変(クーデター)の推進役」として評価される。事件後は河北省東部(冀東)地区で共産党武装組織の幹部となり、38年8月に同省楽亭県での暴動を組織した。

 張慶余らは、盧溝橋事件(37年7月7日)で日本軍と衝突する二十九軍の軍長などを務めた国民党の宋哲元らと事前に通じ、資金を供与されていたとされる。

 通州事件で、保安隊は7月28日の深夜から行動に移り、第1総隊が日本軍守備隊の攻撃、第2総隊が外部との連絡切断、教導総隊が駅の制圧と日本軍増援部隊の阻止を担当した。共産党が蜂起計画に直接関与したのか、あるいは一般居留民の被害まで想定していたのかはなお不明だ。

張慶余
 蜂起を指揮した張慶余らは通州事件の後、国民党軍の中将となり、戦後まで生存。支那では「抗日将領」として評価されている。

                   ◇

【用語解説】通州事件

 日中戦争開始直後の1937年7月29日未明、北京の東にある通州(現・北京市通州区)で、親日地方政権「冀東防共自治政府」(殷汝耕=いんじょこう=政務長官)の保安隊が蜂起した事件。自治政府、日本軍の関係機関のほか、日本人居留民が襲撃され、朝鮮半島出身者を含む200人あまりが死亡した。多くの女性や子供が、きわめて残虐な方法で殺害されたことで、日本の国内世論を激高させた。

【ブログ管理人注】このブログで「中国」という表記はしません、すべて「支那」と表記しています。ブログ管理人が書いたもの以外の資料なども、すべて「支那」と表記しています。

【私の論評】通州事件を歴史の彼方に埋もれさせるな(゚д゚)!

通州事件に関しては、上の記事とも重なるところもありますが、以下に詳細を記載します。

戦後70年、支那は自らが犯した戦争犯罪をひた隠しにしてきました。その一つが、多数の在留邦人が虐殺された「通州事件」です。

犠牲者の虐殺体。被害者の氏名が判明しており、
プライバシー保護のために目にマスク処理をしている
その凄惨な事件は、日中が本格的な軍事衝突を始めた盧溝橋事件直後の1937年7月29日、北平(現在の北京)近郊の通州で発生しました。

当時、満州国と隣接する支那・河北省には、蒋介石の国民党政府から独立し日本人が実質統治していた「冀東(きとう)防共自治政府」が置かれていた。自治政府は九州と同程度の面積で、人口はおよそ700万人。「首都」である通州には400人近い日本人が暮らしていました。自治政府の首班は、日本への留学経験もあり、日本人の妻を持つ親日派の殷汝耕(いんじょこう)。通州には邦人保護を目的とする日本軍守備隊も駐留しており、比較的、治安は良好でした。

現在の北京市通州区。通州は北京市の東約12kmにあった。
ところが、突如として自治政府の支那人保安隊約3000名が武装蜂起し、首班の殷汝耕を拉致した上で日本軍守備隊と日本人居留民を奇襲したのです。事件当時、通州に滞在していた米国人ジャーナリスト、フレデリック.V.ウィリアムズ氏は、惨劇の様子を自著『Behind the news in China』(1938年)で克明に綴っている。

「それは一九三七年七月二十九日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男、女、子供は野獣のような支那兵によって追いつめられていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊ギャングどもに襲い掛かられた。

 それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別も付かなかった(中略)何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。支那兵が強姦し、拷問をかけていたのだ」(訳書『支那の戦争宣伝の内幕』芙蓉書房出版刊・田中秀雄訳)

日本人居留民の遺体
 事件の当日、日本軍守備隊の主力は南苑での作戦(日中戦争初期の戦闘「平津作戦」のひとつ)に投入されており、通州に残る守備隊はわずか100名に過ぎませんでした。守備隊は30名の兵を失いながらも必死の反撃を続けましたが、翌日、日本軍の応援部隊が現地入りするまでに、223名(防衛庁編纂『戦史叢書・支那事変陸軍作戦1』より。260名~300名とする説もある)の邦人が虐殺されました。

事件の首謀者は、自治政府保安隊幹部で反日派の張慶餘(ちょうけいよ)と張硯田(ちょうけんでん)だった。両者は直前に起きた「盧溝橋事件」で日本軍と武力衝突を起こした国民党軍第29軍と予てから密通し、武装蜂起の機会を窺っていました。背後で糸を引いていたのは支那共産党でした。

日本人居留民の遺体
当時、蒋介石率いる国民党は支那共産党との「抗日共闘路線」に舵を切っており、第29軍の主要ポストにも複数の共産党員が充てられていました。

日本と国民党政府の全面対決を画策する共産党は、冀東防共自治政府とその保安隊にも「抗日分子」を浸透させ、日本人襲撃計画を立てていました。ブログ冒頭の記事にもある通り、今回は通州の惨劇は、支那共産党の謀略による“計画的テロ”だったことがはっきりしたのです。

 当時の新聞各紙は「比類なき鬼畜行動」(1937年8月4日・東京日日新聞)、「鬼畜 暴虐の限り」(1937年8月4日・読売新聞)といった見出しで冀東保安隊による殺戮の一部始終を報じ、事件直後に現地入りした読売新聞社の松井特派員は、惨状をこう伝えていた。

「崩れおちた仁丹の広告塔の下に二、三歳の子供の右手が飴玉を握ったまま落ちている。ハッとして眼をそむければ、そこには母らしい婦人の全裸の惨殺死体が横たわっているではないか!(中略)池畔にあげられた死体のなかには鼻に針金を通されているものがある(中略)男の鼻には鈎の様に曲げられた十一番線の針金が通され無念の形相をして死んでいる(後略)」(1937年8月4日・読売新聞夕刊)

通州事件を伝える当時の読売新聞
事件後の現場には、青龍刀で身体を抉られた子供や、首に縄をつけて引き回された形跡のある男性の死体もあった。この事件後、日本国内の対中感情が急速に悪化し、日中戦争の泥沼に向かっていった。

本当に惨たらしい虐殺事件でした。猟奇的ともいえる、大虐殺です。このような事件、日本ではほとんど教えられることもありませんが、支那共産党が関与していたことが改めてはっきりした今日、学校などの教育機関でもこのような史実は教えるべきでしょう。

そうして、世界的にも周知させるべきでしょう。そうして、そのような動きも実際にあります。

以下に、産経ニュースの記事を掲載します。
「通州事件」「慰安婦の真実」を世界記憶遺産に 日米民間団体などが申請
昨年6月3日の記者会見
 日米の民間団体などが、正しい歴史を後世に残すために立ち上がった。支那で日本人多数が惨殺された「通州事件」の記録と、旧日本軍が慰安婦を適正に処遇していたことを示す資料を、来年の世界記憶遺産登録を目指して、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に申請したのだ。 
 申請したのは、通州事件は「新しい歴史教科書をつくる会」など、慰安婦は「なでしこアクション」や米国の「日本再生研究会」などのメンバー。3日、文科省で記者会見して発表した。 
 通州事件は1937年7月、支那人部隊が、日本人居留民380人のうち、223人を殺した大量虐殺事件。当時の新聞は「無残 累々たる死屍(しし=死体)」「虐殺、掠奪(=略奪)、破壊、鬼畜の乱舞」などと悲惨さを伝えている。 
 今回申請された通州事件の記録は、新聞記事や関係者証言など18点で、つくる会の藤岡信勝副会長(拓殖大客員教授)は「人類が記憶すべき負の遺産だ」と語った。 
 慰安婦の申請資料は、米軍や日本の公文書など4点。慰安婦とは、戦時中は日本軍向けに、戦後は日本に駐留した連合軍向けに働いた女性たちで、民間業者が雇用し、法的に認められていた。自由はあり、報酬は高く、性奴隷ではない-などと指摘している。

 なでしこアクションの山本優美子代表は「国際社会では、慰安婦制度の誤解が蔓延(まんえん)している。この誤解を解き、過去と現在、未来の日本の名誉を回復したい。海外で暮らす日本の子供たちへの人権侵害を止めたい」と語った。
南京虐殺事件に関しては、事件があった当時の新聞なども存在しません。様々な資料があるにはあるのですが、良く調べてみると、すべてあやふやなものばかりです。しかし、通州事件に関しては、当時の日本の新聞はすべて、この事件を報道しています。

以下に、当時の「通州虐殺の惨状を語る 生き残り邦人現地座談会」が掲載された雑誌の目次を掲載します。


この雑誌は、『月刊「話」昭和12年10月号』です。内容については、ここでは掲載しませんが、詳細を知りたい方以下のリンクをご覧下さい。
http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-191.html
この事件は、絶対に歴史の彼方に埋もれさせるべきではありません。学校などで教育しないというのなら、私たちが自主的に周りの人達に伝えていくべきです。そうでなければ、この事件で亡くなった人たちの御霊が浮かばれません。

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2017年1月3日火曜日

ヴェネツィアの海が、支那の海になる日―【私の論評】権力闘争に手詰まりの習近平は間もなく失脚か?

ヴェネツィアの海が、支那の海になる日

ヴェネツィアの港が、インドやケニアを通る新しい通商ルート「海のシルクロード」の発着点だ。ギリシャのピレウス港のケースに続いて、支那の地中海に対する関心をあらためて裏付けている。

2012年に竣工した世界最大のコンテナ船「CMA CGM Marco Polo」。
支那〜欧州ルートで活躍が期待されている。
かつて何世紀もの間にわたり、アドリア海はセレニッシマ(訳注:ヴェネツィア共和国の称号。「晴朗きわまるところ」の意)の「湾」であった。長さは800km、イタリアの沿岸とバルカン半島沿岸の間の広さは平均150km。そこにはサン・マルコのライオン(訳注:ヴェネツィア共和国旗)の旗がはためく要塞が点在していた。ヴェネツィアの商船が香辛料や金属、織物といった中近東・極東との交易の果実を故郷に持ち帰る通路だったのだ。

その後、新大陸が発見され、彼らの夢は終わった。オランダや英国の商船はアジアの植民地沿いに航路を移し、支那への航路を短縮した。アドリア海の栄華は歴史上のものとなった。

しかし、今日、歴史は繰り返す。ヴェネツィアと支那を結ぶ、新しい「海のシルクロード」だ。支那の港から東南アジア、インド、ケニアを経由し、拡張されたばかりのスエズ運河を通って地中海に入りサン・マルコのライオンの下でその旅程を終える通称ルートのことだ。

OBOR
北京はアドリア海を研究している。「シルクロード経済ベルト」という壮大な名前を冠する野心的なインフラ政策の行程を完結させるためだ。報道などでは「一帯一路」と要約されているが、英語でいう「One belt, one road」から「OBOR」の略称が生まれた。

駐中イタリア大使のエットレ・セクィは、2016年11月にミラノで開催されたイタリア支那基金の「チャイナ・アワーズ」において、次のように説明している。「ここ数日、最も興味深いことが議論されています。それは、港に関するものです。支那人たちは、アドリア海の港湾システムに注目しています」

そこには資金が流れ込み始めている。ヴェネツィアのオフショア・オンショアの新しい港湾システムの計画は、イタリアと支那のコンソーシアム「4C3」に委ねられることになっている。

一方で、支那は地中海に関心をもっていることをすでに示している。2016年4月に国営の支那遠洋運輸集団(China Ocean Shipping Company。COSCOとしても知られる)はアテネの港、ピレウス港を3億6,800万ユーロで買収した(彼らはすでに3つの埠頭の1つを運営していた)。ツィプラス政権はほかの購入者を見つけられず、中国人のみがこの施設の譲渡に手を挙げたのだった。

アテネはOBORのルートを概観した地図上で大きく目立つ寄港地の一つであり、その近くにあるのがヴェネツィアだ。12月に辞意を表明したマッテオ・レンツィ政権のインフラ担当大臣、グラツィアーノ・デルリーオは、「(ヴェネツィア、トリエステ、ラヴェンナを含む)アドリア海奥部の港は、極東からやってくる輸送を引きつけるために、一つの統合されたシステムとして立候補しなければならない」と公に語っている。

6月、(トリエステが含まれる)フリウリ州当局は、国際物流フェアのために上海へと飛んだ。「トリエステはシルクロードのコース上にあります。そして、最近北京政府の推進している一帯一路のイニシアティヴは、支那の投資家たちがトリエステ港に対して新たな関心を抱くことにつながります」と、上海凱榮法律事務所の金玉来は語った。そして、ヴェネツィアも、天津港とマルゲーラ、浜海の工業地域(訳注:いずれもヴェネツィア、天津の地区)の間で姉妹都市提携を結んだ。

いま、北京はヨーロッパまで道を延長したがっている。例えば、重慶とデュースブルクを結ぶ鉄道による陸路、そして海路だ。後者のの場合、アドリア海を通過する。「検討は進んでいます」。前述のセクィは言う。「支那人によると、アドリア海は中欧ヨーロッパの国々へと向かう効果的な連絡路なのです」

*ブログ管理人注:上の記事で「支那」と表記されている部分は原文では「中国」となっています。(以下同じ)

【私の論評】権力闘争に手詰まりの習近平は間もなく失脚か?


「一帯一路」とは、(1)支那西部から中央アジアを経由してヨーロッパにつながる「シルクロード経済ベルト」(一帯)と、(2)支那沿岸部から東南アジア、インド、アラビア半島の沿岸部、アフリカ東岸を結ぶ「21世紀海上シルクロード」(一路)の二つの地域で、交通インフラ整備、貿易促進、資金の往来を促進していく構想です。夢のような構想ですが、支那は「本気」であり、具体的な目標を高速鉄道の建設に置いています。

実際に、支那浙江省義烏と英ロンドンを結ぶ国際定期貨物列車の運行が1日、始まりました。支那が掲げる現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の一環で、支那メディアによると、両国間の直通貨物列車は初めて。支那は欧州との経済関係強化のため、中央アジアを通じた鉄道物流の充実を図っています。

支那浙江省義烏の駅で、英ロンドンへの出発を待つ
国際定期貨物列車=2016年12月31日
運行距離は約1万2千キロ。新疆ウイグル自治区のアラシャンコウで通関し、カザフスタンやロシア、ポーランド、ドイツ、フランスなどを経由。英仏海峡トンネルを通って18日間でロンドンに到着する予定。貨物は衣類などが主でした。

運行会社の責任者によると、海上輸送に比べて輸送時間を1カ月近く短縮でき、コストは航空便の20%程度だといいます。浙江省は製造業が盛んで、義烏は日用雑貨の世界的な卸売市場としても知られいます。

支那は「一対一路」で「経済スーパーパワー外交」を展開するつもりのようです。支那の成長果実を周辺国にもシェアすることによって、周辺国との経済圏を構築し、善隣関係を強めることがねらいですが、同時に、過剰投資に悩む国内産業の新たな市場開拓、対外投資の拡大、約4兆ドルの外貨準備の運用多角化といった支那自身の経済的な思惑も込められています

「一帯一路」を言い出したのは習近平・国家主席であり、彼の権力確立に伴って、この構想にも勢いをつけようとしています。

「一対一路」を言い出した習近平だが、その思惑は・・・・・
支那の高速鉄道は日本の新幹線の派生技術ですが、支那はなぜか「国産」技術に自信を強めており、(1)高速鉄道の技術や設備は支那が提供して建設 (2)運営には沿線国も参画 (3)石油・ガス、鉱物資源の資源国との間では、高速鉄道技術と資源を交換する、といった形で、支那版高速鉄道を大々的に輸出していく構えでした。

具体的には、(1)支那東北部からロシアを経由して欧州と結ぶ欧州アジア鉄道 (2)新疆から中央アジア諸国を横断してトルコにつながる中央アジア線 (3)支那南西部からインドシナ半島を縦貫する汎(はん)アジア線の3つの高速鉄道建設計画が策定された。

李克強首相は、外遊する度に、これらの高速鉄道計画を売り込んでいました。国内で「高速鉄道のセールスマン」と呼ばれていました。しかし、この売り込みも、惨憺たる失敗であることは、依然このブログにも掲載しました。以下にその記事のリンクを掲載します。
【恐怖の原発大陸支那】南シナ海の洋上で支那製の原発計画が進行中 19年までに運転開始へ―【私の論評】支那の原発輸出は頓挫するが、南シナ海浮体原発は甚大な危機!核兵器持ち込みも(゚д゚)!
バンドン郊外で開かれた高速鉄道の着工式典に出席したジョコ大統領(左から2人目)
と支那鉄道公司の盛光祖社長(中央)ら=1月21日、インドネシア
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、支那の高速鉄道の導入で、シンガポール、ベネゼエラ、タイ、米国など世界各地で頓挫している実体を掲載しました。この地域は、直接「一対一路」とは関係はないものの、それにしても、支那鉄道技術が未熟なことを露呈してしまいました。これでは、「一帯一路」の陸のシルクロードもうまくいくとは到底思えません。

さて、支那の鉄道技術水準の低さは別にして、この構想は控えめに言っても前途多難です。通過地帯の需要密度が低すぎて、金のかかる高速鉄道を採算に乗せるのは至難だからです。せいぜい需要密度が見込める区間で部分開通できるくらいが関の山、全線開通を無理に目指せば、投融資の不良債権化は必至です。

一昨年は支那が主導的に設立する新しい国際金融機関「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」が大きな話題になりましたが、一昨年11月の北京でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)では「シルクロード・ファンド」という耳新しい言葉が登場しました。この400億ドル規模の投資ファンドは、まさに「一帯一路」構想を推進するために設立される直接投資のファンドです。

北京はこの二つの機関に「一帯一路」事業の投資と融資を分担させるつもりだったのかもしれませんが、シルクロード・ファンドとAIIBの間で、利益の衝突や運営理念の衝突が起きることも懸念されました。

AIIBは多数国が参加する「国際金融機関」である以上、融資はアンタイド、援助事業にも国際競争入札が求められるはずでしたが、シルクロード・ファンドは支那単独で設立され、支那高速鉄道の調達を条件とする「ひも付き(タイド)」援助機関でした。

シルクロード・ファンドが出資し、AIIBが融資する形で同一事業に共同投融資を行うなら、AIIBのアンタイドは有名無実になり、支那産品のメーカーファイナンス(例:クルマのローン)を出す機関に成り下がってしまいます。それに、採算の取れない全線開通事業にAIIBが融資すると聞いたら、どこの国もAIIB参加の意欲が失せるのが当然です。

そのせいもあったのでしょうか、AIIBは昨年1月の段階で、開店休業状態でした。それについては、このブログにも以前掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
AIIB開業式典であいさつする習主席。懸念材料は消えないままだ=昨年1月
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、支那が主導するアジアインフラ銀行(AIIB)は昨年スタート早々、「開店休業」となりました。6月の予定だった最初の融資案件承認が「年内」へ大幅に遅れたからです。信用格付けを取得できない事態が尾を引いているとみられ、日米の参加を“懇願”するしかない状況でした。その後、どうなったかも、ほとんど報道されていないので、実質今も開店休業状態とみられます。

鉄鋼産業をはじめ、投資バブルがもたらした過剰設備に悩む支那の業界は、「一帯一路」事業が救世主になってくれることを夢見ていたのでしょうが、この夢はかなわなかったようです。元々安値受注では業界の苦境を救えないし、投資家であるシルクロード・ファンドが被援助国に支那産品を高値で調達するように求めれば、深刻な利益の衝突が起きたことでしょう。元々かなり無理があったのです。

これを言い出した、習近平はかなり厳しい状況におかれたものと思います。習近平は、数年前から腐敗撲滅運動という名を借りて、その実権力闘争を行っています。支那は3大グループで権力闘争をしています。胡錦涛派(共青団)の李克強氏、福建華僑(客家 はっか)を地盤とする太子党の習近平主席、上海閥と太子党の江沢民派の3つです。

習近平主席は、もともと江沢民の後ろ盾で主席になったのですが、主席就任後は江沢民と距離を置き、胡錦涛派と結託して、江沢民派を追い落としました。

その後、江沢民派という共通の敵を追い落とした習近平主席と胡錦涛派の李克強氏は次第に対立するようになりました。今は、習近平は江沢民派残党と胡錦涛派の両方を敵に回しています。主席就任以来最も政治的基盤がぜい弱な状態です。

こうした権力闘争の最中に、南シナ海での支那暴挙は、国際仲裁裁判所により全面的に否定されてしまいました。「一対一路」構想も、AIIBも頓挫状態です。

そんな最中に、安倍総理はハワイを訪問して、真珠湾で慰霊をし、それに動向した稲田防衛大臣はその直後に靖国神社を参拝をしています。


習近平政権が弱体化している時に、日本では対支那強硬派の稲田朋美氏が防衛大臣に就任し、そうしてとうとう参拝をしたのです。歴代の支那主席は日本の首相、主要閣僚の靖国神社参拝に反対し、押さえ込んできました。

支那においては、習近平主席は日本の閣僚も押さえ込めない弱い主席ということになったはずです。これは、習近平主席と対立する胡錦涛派、江沢民派にすれば、習近平を引きずり下ろす絶好のチャンスのはずです。他の閣僚や、安倍首相が参拝すれば、ますます半習近平派は勢いづくことでしょう。

しかし、ここで習近平も反撃に出ました。それは何かというと、空母遼寧の南シナ海への覇権です。支那の事情を知らない人にとっては、なぜ空母「遼寧」の南シナ海への派遣が、反撃になるのかと考えられるかもしれませんが、支那という国は、元々自国内部の都合で動く国です。この派遣も、国内での権力闘争の相手に対する示威行為の一環であると考えられます。

昨年12月24日、航行する支那の空母「遼寧」
国際的にも、国内的にも追い詰められた習近平は、苦肉の策として、これを実行したものと思われます。これを実行することにより、何か南シナ海での情勢に何か、支那にとって有利な面がでてくれば、習近平の立場は強まり、権力闘争には有利になります。

しかし、このブログでも以前示したとおり、空母「遼寧」はボロ船に過ぎず、戦術的にも、戦略的にもあまり意味はありません。八方塞がりになった習近平が窮余の一策として行ったものとみられます。

今のところ、反習近平派は、この様子を見守っているところなのだと思います。この派遣が特に何も影響がないと見定めれば、徹底的に習近平を追い詰めるでしょう。

そうなれば、習近平は窮鼠猫を噛むの諺どおりに、尖閣諸島占拠を目指すかもしれません。しかし、そうなったにしても、今の支那の人民解放軍には、日本の自衛隊に勝ち目は全くありません。米軍相手ならなおさらです。

そうなると、今年は権力闘争に手詰まりの習近平は間もなく失脚するか、失脚しないまでも、失脚への道筋が顕になる年になるかもしれません。

習近平が失脚して、後に誰が新たな主席になろうと、支那は軍事的にも、経済的にも手詰まりで、相当混乱することになることでしょう。

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2017年1月2日月曜日

【新年一般参賀】平成で2番目の9万6千人超が祝う 陛下の譲位で関心高まる 4回目は入場制限―【私の論評】皇尊弥栄 すめらみこといやさか


新年の一般参賀で、訪れた人たちに手を振られる天皇陛下=2日午前、皇居
新年恒例の一般参賀が2日、皇居で行われ、天皇、皇后両陛下や皇族方が宮殿「長和殿」のベランダに立ち、手を振って応えられた。宮内庁によると、計5回で9万6700人の参賀者が訪れた。

平成の新年一般参賀では、皇太子妃雅子さまがご成婚後初めて参列された6年に、計8回で11万1700人が訪れたのが最多。今年はそれに次いで多かった。天皇陛下が昨年8月に譲位の意向を示されたことで、国民の関心が高まったのが要因とみられる。

宮内庁によると、4回目だけで会場内の人数が2万6730人に達したため、入場を制限したという。

陛下は毎回、マイクを通じて「新年おめでとう。皆さんとともにこの日を祝うことを誠に喜ばしく思います。本年が人々にとり、穏やかで心豊かに過ごせる年となるよう願っています」とあいさつをされた。

【私の論評】皇尊弥栄 すめらみこといやさか



宮内庁は1日、新年にあたり天皇陛下の歌5首と皇后さまの3首を発表しました。また天皇ご一家の写真と映像を公表されました。陛下は1990年から新年の「ご感想」(年頭所感)を元日に公表されていらっしゃいましたが、高齢に伴う負担軽減のため今年から取り辞められました。

天皇ご一家の写真
陛下の歌は、昨年5月に熊本地震の被災地を訪問した際や、11月に長野県の満蒙開拓平和記念館を訪れた際の感想を詠まれたもの。皇后さまは、1月にフィリピンを訪問した際の思いを詠まれました。

今年、両陛下は2月末~3月初旬にベトナムを初めて公式訪問するほか、5月には富山県で開催される全国植樹祭への出席が予定されるなど、今年も多くの公務に取り組まれます。

両陛下の外国訪問は、昨年1月のフィリピン以来。ベトナムでは首都ハノイと、フエを5泊6日で訪れることが検討されています。

両陛下と皇族方は1日、新年の祝賀行事に出席し、2日は一般参賀で計5回皇居・宮殿のベランダに立たれました。

以下に、1日に発表された、天皇陛下の歌5首と皇后さまの3首の歌を掲載します。
 <天皇陛下> 
 第六十七回全国植樹祭 
山々の囲む長野に集(つど)ひ来て人らと共に苗木植ゑけり
 第三十六回全国豊かな海づくり大会 
鼠ヶ関(ねずがせき)の港に集(つど)ふ漁船(いさりぶね)海人(あま)びと手を振り船は過ぎ行く 
 第七十一回国民体育大会開会式 
大いなる災害受けし岩手県に人ら集(つど)ひて国体開く
 平成二十八年熊本地震被災者を見舞ひて 
幼子の静かに持ち来(こ)し折り紙のゆりの花手に避難所を出づ
 満蒙開拓平和記念館にて 
戦の終りし後(のち)の難(かた)き日々を面(おも)おだやかに開拓者語る 
 <皇后さま>
  一月フィリピン訪問
許し得ぬを許せし人の名と共にモンテンルパを心に刻む
 被災地 熊本
ためらひつつさあれども行く傍(かたは)らに立たむと君のひたに思(おぼ)せば
 橿原神宮参拝 
遠つ世の風ひそかにも聴くごとく樫の葉そよぐ参道を行く


 皇尊弥栄
       天皇皇后両陛下 万歳! 万歳! 万歳!


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天皇陛下、「深い反省」再度表明=終戦記念日―【私の論評】沖縄戦で最大の犠牲者を出したのは、実は北海道の将兵(゚д゚)!


2017年1月1日日曜日

なぜ日本で「支那」が憚られるも海外で「China」がOKか―【私の論評】「中国」ではなく、「支那」と呼称すべきこれだけの理由(゚д゚)!

なぜ日本で「支那」が憚られるも海外で「China」がOKか
写真、チャートはブログ管理人挿入 以下同じ
英語で中国のことを「China」と呼ぶにもかかわらず、「シナ」と呼ぶことがはばかられる世の中になっている。評論家の呉智英氏が、なぜ日本では「中国」と呼ぶことが強制されるようになったのかについて解説する。

              * * *

 沖縄における機動隊員の「土人」「支那人」発言がジャーナリズムの一部で今も批判の的となっている。しかし、よく観察してみると「土人」批判が中心となり「支那人」批判は勢いを減じている。「支那人」批判が論理的に成り立たないと気づきだしたのだろう。「東シナ海」も「インドシナ半島」も、これらジャーナリズム自身が使っているのだから。

 「支那」「支那人」が禁止され、「東シナ海」「インドシナ半島」(支那かシナかは、単なる用字の違い)が許されている矛盾に気づけば、真実は容易に分かる。これは国家権力による言論抑圧なのである。

 敗戦期の1946年、連合国占領下の言論統制策の一環として、原爆の被害報道や米兵の犯罪報道などとともに「支那」使用が禁止されたのだ。同年六月の外務省局長通達が、この言論弾圧の法的根拠である。その文書の中に、「東支那海」などは可とあるから、これらは許されているのだ。

 では、支那は、なぜ日本に「中国」を強制したのか。支那が世界の「中心の国」であり、日本(朝鮮やベトナムも)はその属国だと認めさせたいからだ。「中華思想」「華夷(かい)秩序」である。しかし、イギリスやフランスやドイツに、支那は世界の中心だからChinaではなくCentral Landと呼べとは言えない。それ故、欧米では「支那」が通用している。

 夷(えびす)として差別されている日本人が、嬉々としてこれを受け容れ、この差別を批判する人たちを差別者であると誹謗する。歪んだ“正義”が言論界を支配している。

 昨年、米大統領選で勝利したトランプのもとへ安倍首相が真先に駆けつけた。これを「朝貢外交」だと、愚かな言論人たちは批判した。安倍総理の行動は、適否は別として、外交技術の範囲内だ。朝貢外交を批判するなら、支那を「中国」と呼ばせることをまず批判すべきである。朝貢外交は華夷秩序の下で行なわれる。

 こんな異常な言論空間が70年も続き、さまざまな場所で「支那」狩りが行なわれてきた。C・H・ビショップ文、K・ヴィーゼ絵の絵本『シナの五にんきょうだい』の絶版事件もその一例である。

絵本『シナの五にんきょうだい』の表紙
 原著は1938年刊。日本では1961年福音館から石井桃子訳で刊行された。内容は、ユーモラスなホラ話である。支那の五人兄弟は、それぞれ海の水を飲み干すなどの超人的な特技を持っているが、それ故に死刑になりそうになる。しかし、その特技によって助かる。子供が喜びそうな創作おとぎ話である。ところが、1970年代、「シナ」が侵略的で差別的だという理不尽な非難が起き、1978年に絶版に追い込まれた。

 その後も復刊を望む声が多く、1995年、瑞雲舎から新訳が出て重版が続いている。書名は『シナの五にんきょうだい』のままだ。福音館は何におびえて絶版にしたのだろう。周囲の出版人、言論人は何を考えていたのだろう。新訳の訳者は川本三郎である。川本も一つぐらいはいいことをしている。

 ●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。

【私の論評】「中国」ではなく、「支那」呼称すべきこれだけの理由(゚д゚)!

皆様、明けましておめでとう御座います。昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、今年の抱負として私は、さほど大きなものではないのですが、このブログでは今年こそは、大陸中国を中国と呼称するのはやめて、「支那」にすることとしました。そうするにおいては、昨年中に熟慮に熟慮を重ねてまいりました。その結果「支那」と呼称することに決めました。本日は、その熟慮の内容を掲載させていただきます。

ブログ冒頭の記事以外も、支那を中国と呼ぶべきではない理由があります。

まず第一に、日本には中国育ちの日本人が大勢いるからです。無論この中国は支那のことではありません。 中国には、中国銀行、中国放送、中国新聞、中国交通、中国ガス機器、中国電力等、 社名に「中国」を含む多くの企業がありますが、言うまでもなくすべて日本の企業です。 また中国には中国山地があり、中国自動車道が通っています。

ところが紛らわしい事に、なぜかマスコミは支那を「中国」と呼び、 中国のことをわざわざ「中国地方」などと脇に押しやったような言い方をしています。2011年に、「中国で『讃岐うどん』商標登録申請、香川県が異議へ」という見出しの 新聞記事がありましたが、記事の内容は「支那人が支那の国内で日本の商標を申請した」というものでした。 それなら「支那で『讃岐うどん』商標登録申請」と言うべきです。 先ほどの見出しでは、まるで瀬戸内海をはさんで中国と四国がもめているみたいです。


日本の山陽・山陰を合わせた地域を中国と呼ぶ歴史は非常に古く、 『類聚三代格』の元慶二年(878)二月三日の官符に既に見られますから、 少なくとも千百年以上の歴史があります。


中国とは本来日本の山陰・山陽地方を合わせた地方のことだ
一方、一般に日本人が支那を「中国」と呼び始めたのは戦後の事ですから、 まだ70年程の歴史しかありません。 また「中国」と呼び始めた時点で、中華民国(建国1912年)はまだ三十数年の歴史しかなく、 中華人民共和国(建国1949年)に至っては存在すらしていませんでした。

ということは、千百年以上も在り続け、使われ続けて来た日本国内の由緒正しい地名を脇に押しやって、 海外にある新興国の略称を優先させていることになります。 なぜこんな不自然な馬鹿げたことが起こってしまったのでしょうか。

事の始まりは、昭和21年(1946)に外務省が出した通達です。 当時GHQの管理下にあった外務省は、 東京都内の主要マスコミに対して「支那」の使用をやめるように通達しました。
中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが 其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり、 現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので、 今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第です。 要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては 
中華民國、中國、民國。中華民國人、中國人、民國人、華人。 
日華、米華、中蘇、英華などのいづれを用ひるも差支なく唯歴史的地理的又は學術的の敍述などの場合は 必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます。 
(昭和21年6月7日付「中華民国の呼称に関する件」より引用)
「今後は理屈を拔きにして」とある通り、理屈の通らない無茶苦茶な押し付けであることは明らかです。 当時の日本は敗戦によって民主主義を封殺され、GHQによる野蛮な検閲と洗脳に支配された時代でしたが、 それでもこんな暴力団の脅しのような要求に屈した外務官僚には大いに責任があります。

しかしよく読むと、支那と呼ぶべきでないとされているのは「中華民国」、つまり台湾のことです。 また「中国」の他に「民国」という候補も挙げられていますから、 こちらを使えば無用な混乱は避けられたはずです。わざわざ問題のある「中国」の方を使い、さらには 中華人民共和国にまで「中国」という名称を適用したことは、 マスコミの過剰適応であり、外務官僚と同罪です。


驚くべきことにマスコミの力は絶大でした。 ありとあらゆるすべてのメディアにおいて「支那」から「中国」への書き換えが行われ、 過去の戦争の名前までもが、 例えば「支那事変」は「日中戦争」にという具合に書き換えられました。 その一方で「中国四千年」「中国文明」などと、あたかも何千年も前から「中国」という国があって、 日本人がそう呼んでいたかのように触れ回りました。 つまり単に国の呼称が変えられただけではなくて、歴史全体が書き換えられたのです。

このような洗脳により、最近まで日本人が支那を支那と呼んでいた事も歴史から消し去られて しまいました。 それでも個人の中にはいまだに支那と呼ぶ人はいるのですが、 マスコミがこぞってシナを強引に「中国」と呼び続けるものですから、 逆に支那と呼んでいる人達の方が、何か特別な意図を持った人のように思われてしまいます。

このような理不尽な押し付けによって、日本人とりわけ中国の人達は様々な不利益を被っています。 中国は日本の地名です。戦争に負けたからと言って呼び名を強要されるいわれはありません。 これが支那を「中国」と呼んではいけない 一つ目の理由 です。

第二の理由をあげます。「支那(シナ)は日本人だけの呼び名であり、中国人を侮蔑してこう呼んだのだ」と 主張する人がいます。これはまったくの嘘です。 「シナ」も「支那」も日本だけで使われた言葉ではないし、ましてや差別語ではありません。

『広辞苑』には、「支那」とはシナに対する外国人一般の呼称であると書かれています。
支那(しな)(「秦(しん)」の転訛)外国人の中国に対する呼称。初めインドの仏典に現れ、 日本では江戸中期以来第二次大戦末まで用いられた。 戦後は「支那」の表記を避けて多く「シナ」と書く。インド人の「シナ」という呼称に「支那」の字を当てたのは当のシナ人です。 そしてシナ人自身も自国を「支那」と呼んでいました。 「国父」とされる孫文も自国を「支那」と言っています。 差別語であればシナ人は使わないはずです。

一方、日本人は元々シナを「から」「もろこし」と呼んでいました。 「支那(シナ)」と呼び始めたのは外国人の影響です。 江戸時代の学者・本居宣長(1730-1801)は、『玉がつま』の中で、 日本の一部の学者が外国の真似をして「支那」と呼ぶことを批判しています。
もろこしの國を、もろこしともからともいひ、漢文には、漢とも唐ともかくぞ、皇國のことなるを、 しかいふをばつたなしとして、中華中國などいふを、かしこきことゝ心得たるひがことは、 馭戎慨言にくはしく論ひたれば、今さらにいはず、又中華中國などは、いふまじきことゝ、 物のこゝろをわきまへたるひとはた、猶漢もしは唐などいふをば、つたなしとやおもふらむ、 震旦支那など書くたぐひもあんなるは、中華中國などいふにくらぶれば、よろしけれども、 震旦支那などは、西の方なる國より、つけたる名 なれば、そもなほおのが國のことをすてゝ、人の國のことにしたがふにぞ有ける、 もし漢といひ唐ともいはむを、おかしからずとおもはゞ、 漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書むに、何事かあらむ、
このことからも、支那(シナ)は「日本人だけが使った言葉」ではない事が明らかです。 むしろその呼称が世界標準だったために、日本人までが使うようになったというのが真実です。

これは今も同じです。 下記の一覧表は、世界の国々が支那を何と呼んでいるかをまとめたものです。 これを見ると、国毎のなまりはあるものの、多くの国が「シナ」に基づく呼び方をしている ことが分かります。英語の「チャイナ」もシナが変化したものです。 朝鮮語の「チュングク」とベトナム語の「トゥルンコック」のみが「中国」に基づいた呼称のようです。 ペルシャ語の「シニスタン」は「震旦(しんたん)」と同源で、やはり「秦(しん)」が元になっています。


他の国々では 支那をどう呼んでいるか

「China を『中国』と呼ぶ重大な過ち」中嶋嶺雄(WiLL 2006年9月号)より引用
また「仮に差別語ではないとしても、人が嫌がる呼称をわざと使うのはよくない」などと もっともらしいことを言う人もいますが、シナ人が嫌がっているというのも非常に疑わしい話です。 先に述べた通り、シナは世界中の国々からシナもしくはその変形で呼ばれているのに、 なぜそれらに対して抗議をしないのでしょうか。

 そもそも中華人民共和国の英語名は "People's Republic of China" で、 シナ政府自身がつけた呼び名です。 これを日本語に訳すなら、「支那人民共和国」になる事は言うまでもありません。

sina.comのポータル
2000年、支那の巨大ポータルサイト 新浪(sina.com) に対して、 日本に留学経験のあるシナの学者が抗議をしたことがありました。 「sina は日本による差別語だから改名するべきだ」と言うおなじみの主張です。 その時 sina.com の代表者は 「支那は英語のチャイナ(China)の過去の発音で、それ自体に侮辱の意味はない」と言って拒否しました。 さらに続けて、「sinaを世界のブランドにし、シナ人が誇れる呼び名にする」と言ったそうです。 至ってまともな意見です。

大体シナを「差別語」だと言い張る人達は、一定期間以上日本に住んでいていて日本のマスコミの報道に接した人たちだけです。 もし支那にいる支那人が sina.com の名称を嫌がっているとしたら、 わざわざ日本に留学した学者に指摘されるまでもなく、最初から大騒ぎになっていたはずですし、 間違っても人気サイトなどにはならなかったでしょう。

「意図的にシナと呼ぶ態度がシナを差別語にしたのだ」のでたらめ他に、「支那という呼び方を変えてくれと要請したにも関わらず、日本人は変えようとせず、 意図的に支那と呼び続けた。だから支那は差別語になったのだ」という主張もありますが、これも論外です。

本当の差別語や明らかに侮蔑している場合はともかく、相手をどう呼ぶかは呼ぶ側が決めることです。 「このように呼んで欲しい」と要請をするの良いですが、それが受け入れられるかどうかは相手次第です。 それを相手が要請に従わないからと言って「差別」と決めつけるのは、 やくざの言いがかりと同じです。 ましてや相手が国際標準の呼び方をしているところに、ごく少数の国しか使わない特殊な呼び方を 押し付けるなどというのは もってのほかです。

さて支那人が「支那と呼ぶな」という時、必ずその後に「中国と呼べ」が続きます。なぜ、そのようなことになるかといえば、ブログ冒頭の記事にもある通り、支那が世界の「中心の国」であり、日本(朝鮮やベトナムも)はその属国だと認めさせたいからです。これは、「中華思想」「華夷(かい)秩序」によるものです。

そもそも「中国」と言う言葉には、「世界の中心の国」という意味の普通名詞の用法があります。 この用法は固有名詞としての「中国」とは違って、非常に長い歴史があります。 その言葉は中華思想という世界観を前提としています。

その世界観は、「中国」を中心として、四方に野蛮な異民族がいるというものです。 四方の異民族は東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき) と呼ばれました。 使われている文字を見れば分かる通り、周辺の異民族を侮蔑してこう呼んでいました。


そして「中国」には、天からの命令(天命)を授かって世界を治める「天子(てんし)」がいるとされました。 天子が政治を行う場が朝廷です。 皇帝は天子の別称で、「皇」の字は天子にのみ許されるとされました。 皇帝は「中国」を治めるのみならず、四方の野蛮な異民族をも臣下の国として従え、 その国の長に「王」の称号を授けました。 王は皇帝に忠誠を誓い、「中国」に貢ぎ物を納めました。 これがいわゆる「中華秩序」です。だから「中国」は尊称でもあります。

支那の皇帝は自国を「中国」と尊称で呼び、臣下の国にも「中国」と呼ばせました。 だからシナの忠実な臣下である朝鮮などは、支那を「中国」と呼びました。 つまり 他国を「中国」と呼ぶ国は、その国の臣下の国に他ならない という事です。 これに似た働きをする言葉には「ご主人様」や「親分」などがあります。 ある人を「ご主人様」と呼ぶ人は、その人の召使いであることは明らかです。 ある人を「親分」と呼ぶ人は、その人の子分に違いないでしょう。

唐本御影」聖徳太子が描かれた肖像画
ところが7世紀の始め、支那の前にもう一つの大国が現れました。 その国もまた自国を中国と呼びました。 次に示すのは、その国から支那に送られてきた国書の一節です。
日出づる処の 天子が、日没する処の 天子に手紙を送る(日出處天子致書日沒處天子)
 天子が二人になっています。 続いて送られて来た二通目の国書は次のようなものでした。
東の 天皇が謹んで西の 皇帝に申し上げます(東天皇敬白西皇帝)
天子にしか許されないはずの「皇」を名に持つ元首が二人います。言うまでもなく、これは日本が支那に送った国書です。 共に聖徳太子の手によるものとされていて、 前者は支那の歴史書『隋書』に、後者は日本の歴史書『日本書紀』に記録されています。

先に述べた中華思想の世界観を理解していれば、この二つの国書が提示しているものが、共に 「二つの中国」という新しい世界観 であることがお分かりでしょう。これは一つの中国を前提とするシナ人の中華秩序を否定するものでした。 隋の煬帝は不本意ながらもこの国書を受け入れています。 それ以来アジアには二つの中国があり、互いに張り合って来たわけです。


この新しい秩序を受け入れなかったのは、支那よりもむしろ支那の属国の朝鮮でした。 明治時代に日本が朝鮮に修好を申し入れた時も、国書に「皇」の字が使われていると言って拒否しました。 今でも朝鮮人などが、天皇という呼称を嫌って「日王」などと言うのは、 この「二つの中国」という世界観を認めたくないからです。 日本国内にも、執拗に聖徳太子の存在を否定し、 大和朝廷を「ヤマト王権」と言い換えたがる勢力がありますが、 まったく同じ発想です。 「朝廷」は天子が政治を行う場、「王」は皇帝の臣下であることを思い出して下さい。 「大和」を「ヤマト」に置き換えるのは、「大」が敬称だからです。

さて今日の私達は当たり前のようにシナを「中国」と呼んでいますが、 それは「中国」が「中華人民共和国」の略称だと思っているからです。 しかしそう呼ぶことは、聖徳太子が確立されたた「二つの中国」という日本の基本的立場を危うくするものです。 日本こそが中国なのに、なぜ他国を「中国」などと呼ぶのでしょうか。 これが支那を「中国」と呼んではいけない 二つ目の理由 です。

朝鮮人やベトナム人がシナを「中国」と呼ぶのは、臣下の国としての長い歴史を反映したものなので 問題ありません。日本人がそう呼んではいけないのは、日本の歴史を反映していないからです。 私達は敗戦と共に、そういう間違った呼称を巧妙に押し付けられたということです。 本を正せば、「中国」の意味や聖徳太子の国書の意味を教えない学校教育に根本的な問題があります。

このブログでも、昨年までは支那のことを中国と呼称していましたが、今年から支那と呼称することにします。

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2016年12月31日土曜日

【政治デスクノート】自民党に異変 “シルバー政党”化が進む民進党を尻目に若者の支持を獲得―【私の論評】何をさておいても雇用情勢さえ良ければ、良しとせよ(゚д゚)!



自民党が最近おかしい。産経新聞社は毎月、フジニュースネットワーク(FNN)と合同で世論調査を実施しているが、このところ自民党支持層が若返っているのでは!?と感じる。自民党といえば「高齢」「地方」のはず。支持者を集めた会合などを取材すると“加齢臭”が渦巻いていたのに…。自民党の「1強多弱」と呼ばれる状況は、どうやら若者の支持拡大が背景にありそうだ。

   内閣支持率を若者が牽引

 安倍晋三内閣の支持率を世代別にみると、このところ20代(18、19歳含む)の支持率が高い。特に今年9月は68・6%に達し、その後も60%以上の高支持率をキープ。直近の12月17、18両日実施の調査では、全体の支持率55・6%だったが、20代の支持率は63・6%もあった。

 過去3年間の年ごとの平均をみても、平成26年は53・5%(全体51・7%)で27年が52・1%(47・4%)。今年は58・4%(52・5%)に跳ね上がっている。最近の安倍内閣の支持率は若い世代が牽引しているといっても良さそうだ。

 ただ、20代の支持率は独特な動きをみせる。60代以上の高齢者は比較的安定しているが、20代は1カ月で一気に10ポイント前後の急上昇、急下落をすることが珍しくない。他の世代が軒並み上がっているのに、20代だけが下落しているときもある。

  「期待」と「醜聞」

 20代の支持率が急上昇するのは内閣改造の後が目立つ。新しい顔ぶれとなった内閣への「期待」が支持率につながっているからにほかならない。

 ただ、平成26年10月の調査だけは、9月に内閣改造をしたにもかかわらず、10ポイント近く急落した。このときは、経済産業相だった小渕優子氏の「政治とカネ」の問題と、法相だった松島みどり氏の「うちわ配布」問題などが浮上し、2人とも1カ月半ほどで閣僚辞任を余儀なくされた時期と重なる。

 若者は「期待」が大きい分、スキャンダルに敏感で失望に変わるのも早いようだ。特に「政治とカネ」の問題は「古い政治」体質と映るのか、敬遠する傾向が強い。

 実際、平成27年2月の内閣支持率は、26年12月の衆院選とその後の内閣改造などで政権運営に勢いがつき3調査連続のアップとなったが、20代の支持率だけが失速。農林水産相として初入閣した西川公也氏の政治献金問題が連日報じられていた時期だった。

 また、28年5月の調査でも、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)開催とオバマ米大統領の広島訪問などで内閣支持率が上昇したにもかかわらず、20代だけは下落している。この時期は、自民党が支援した舛添要一東京都知事の公私混同疑惑がメディアを賑わせていた。

  自民党支持層の若返り

 では、自民党支持層も若返っているのか-。

 今年12月の調査では、自民党の支持率は40・7%。支持層の世代構成をみると、60歳以上が41・0%を占め、50代14・0%▽40代14・3%▽30代13・5%▽20代17・2%-だった。平均年齢は53・13歳で、やはり自民党支持層の主軸は60歳以上の高齢者といえる。

 若返りは気のせいだったのか…。ただ、過去3年の傾向を分析すると、どうやらそうでもなさそうだ。

 自民党支持層に占める60代以上の割合は、平成26年が平均42・7%で、27年は42・4%。28年が41・9%となり、わずかだが右肩下がりが続いている。逆に20代の割合は、26年が平均11・8%、27年は11・9%で、28年は14・4%だった。今年1年で2ポイント以上も増えているのだ。

 「期待」「醜聞」で揺れながらも、安倍内閣の若者人気と連動するように、じわじわと高齢者のシェア率が減る一方で、若者の支持が増えている。

   民進党は“シルバー政党”化

 逆に、支持層の高齢化が進んでいるのが民進党だ。今年12月の調査で、民進党支持層の60歳以上の占める割合は、62・0%に達した。共産党の60・5%も上回っている。旧民主党政権時代は50%前後で自民党と大差なかったが、徐々に増加。右肩上がりを続け、最近は60%前後で推移している。

 特に今年は、山尾志桜里前政調会長が事務所経費として多額のタクシー代を支出していた問題や、蓮舫代表の日本国籍と台湾籍のいわゆる「二重国籍」疑惑などが相次ぎ、自民党のお株を奪うほどだ。

 これでは、蓮舫代表が「酉年には大きな政治的な動きがある。29年は衆院解散・総選挙とも言われている」と選挙戦への決意を表明したところで、まだまだ党勢拡大は厳しい。

【私の論評】何をさておいても雇用情勢さえ良ければ、良しとせよ(゚д゚)!

上の記事の、分析で決定的に欠如しているのが、なぜ若者が自民党を支持するようになったのかというところです。

上の記事でも、「期待」によって支持率が伸び、「醜聞」によっては、下がるとしていますが、その「期待」の中身は何なのかについては、触れられていません。

上の記事では、「期待」は新しい内閣の顔ぶれだとしていますが、顔ぶれが新しくなっても、根本的に何かがなければ、「期待」のしようもありません。

その根本的何かとは何なのでしょうか。それは、他党と自民党と決定的に違うものでしょう。それは、経済対策ではないかと思います。

その中でも、財政政策は増税という緊縮財政策をとったために大失敗し現状でもGDPの伸びは低迷し、デフレに戻る一歩手前の状況ですが、金融政策においては、緩和策をとったため雇用状況がかなり改善しています。

このブログでも何度か強調していますが、雇用と金融政策は、密接に結びついています。日本や米国のくらいの規模の国であれば、物価を数%上昇させただけで、他は一切何をせずとも、一夜にして数百万人の雇用が生まれます。これは、マクロ経済学条の常識です。

それは、フィリップス曲線を見れば、誰にでも理解できます。フィリップス曲線(フィリップスきょくせん、英: Phillips curve)は、経済学においてインフレーションと失業の関係を示したものです。アルバン・ウィリアム・フィリップスが1958年の論文の中で発表したました。

縦軸にインフレ率(物価上昇率)、横軸に失業率をとったときに、両者の関係は右下がりの曲線となります。フィリップスは、初めて発表した時は縦軸に賃金上昇率を取っていましたが、物価上昇率と密接な関係があるため、縦軸に物価上昇率を用いることが多いです。

これは、インフレ率が高い状況では失業率が低下し、逆に失業率が高いときはインフレ率が低下することを意味します(インフレーションと失業のトレードオフ関係)。

このことをしっかり理解して、金融緩和を実施したのが、安倍政権です。これを全く理解できず、金融緩和を評価しないのが民進党です。

以下にフィリップス曲線の模式図を掲載します。


さて、実際の日本のフィリップス曲線を以下に掲載します。


さて、このグラフは、1980年〜2014年までの日本のフィリップス曲線です。デフレ期である1996年〜2013年までの失業率の高さがはっきりと分かります。フィリップス曲線は、

1997年にフィリップス曲線は、別次元にシフトしましたた。この時に何が起きていたのでしょうか。96年から97年にかけての公共投資の抑制と97年4月の消費税率引き上げという財政面からの引き締めが景気を抑制しています。まさに橋本内閣による構造改革がデフレ日本を切り開いたということです。

さて、2014年には、この曲線がまた別次元にシフトしました。この時何が起こっていたかとえいば、安倍内閣になって2013年に実施された日銀による包括的金融緩和策が実施されてから1年が経過しています。金融緩和策が功を奏して、インフレ率が上昇し、失業率が低下しています。

このグラフは、2014年までしか掲載されていませんが、最近のグラフをみると、さらに1980年の時点に近づいていることがわかります。



そうして、今年の春の就職率はどうだったかといえば、以下のような状況です。

これをご覧いただければ、なぜ若者が安倍政権を支持するのか良くご理解いただけるものと思います。民主党政権時代は大卒就職内定率57.6%でした。雲泥の差です。

この数字の違いは、ここ数年実際に就活をした人なら身にしみて理解できるはずです。私は、企業で人事を担当していたこともありますから、この違いは良く理解できます。

特にデフレのときには、まさに人事としては選び放題という有様でした。そうして、気になったのは、実際に入社してきた新人の様変わりでした。

国立大学の大学を卒業して、別のこれも国立大学の大学院を卒業した、女性社員は卒業と同時に奨学金で数百万円の借金を背負っていました。その後知ったのですが、このような人は珍しくはありませんでした。

ある男性社員は、比較的家が裕福なのか、奨学金はもらわず、親の仕送りで学費を賄ったようでしたが、アルバイトはしていました。

ところが、驚いたのが、大学4年間を札幌で過ごしたにもかかわらず、一度もあの大歓楽街のすすき野に飲みに行ったことがないという話を聞いたときです。飲むのはほとんど、家飲みだったと語っていました。車などとても買うような余裕などなかったようです。

彼が、学生時代を過ごした時は、民主党政権で、デフレ・スパイラルのまっただ中で、就活も非常に大変な時期でした。デフレは、これほど若者を苦しめているのかと、当時驚嘆したものです。

このようなことは、自分が経験しなくても、実体験は次々と後輩に受け継がれていくでしょうし、大学や高校の就職担当の先生方にも次々と受け継がれていくことでしょう。それよりも、何よりも内定率とか、就職率という形で情報が学校に残ります。

だから、若い人たちが、安倍政権を支持するというのは、良く理解できます。これに対して、シルバー層は、これから就職して、長い間努めるということはないので、雇用環境が良くなっても自分たちにはあまり関係ないので、アベノミックスなど眼中にないのでしょう。

しかし、これは日本の政治に深刻な影を落としています。何しろシルバー層は、若者層より人口が多く、さらに投票率も高いという実体があります。このあたりが、来年早々の衆院解散はないであろうことの、根拠にもなっていると思います。


今年の参院選から18歳から投票できるようになりましたが、若者の投票率は依然として低いです。若者は、自分たちの意思を政治に反映させるためにも、投票に行くべきです。

※単位は万人※18歳19歳の投票率は 今年の参議院選挙の速報値から※その他の年代の投票率は未だ出ていないため、前回の参議院選挙の投票率を適用
それにしても、私自身は当然若者ではないのですが、会社で人事を担当したり、その後役員になったときも、その時々の雇用状況は、企業経営において重要な要素なので、民主党政権時代よりは、現状のほうがはるかに若者にとって良いであろうことは想像できます。

シルバー層も、自分たちの子どもや孫、あるいは親戚の子どもや孫が、まともに就職できないような世の中は、決して望まないだろうとは思うのですが、やはり自分に直接関係ないとそうは思えないのかもしれません。

シルバー層も、長い間続いたデフレによって、多くの人が経済的に余裕がなく、若者にまで気を配る余裕もないのかもしれません。

経済政策を見る尺度は、いろいろなものがあります。そうして、様々な尺度があり複雑です。しかし、一つだけ言えることがあります。それは、何をさておいても、雇用状況がよけば、良しとしなければならないということです。

逆に、雇用状況が悪ければ、他の経済指標が良かったにしても、社会は不安定になります。雇用が確保されてこそ、活気ある社会が期待できるのです。

来年は、安倍政権も、機動的財政政策に着手し、さらに量的金融緩和も実施し、短期間で経済を本格的に建て直し、シルバー層にも支持されるようになっていただきたいものです。

残念ながら、マクロ経済音痴の民進党には、ほとんど期待していませんが、少なくとも、マクロ経済的知見を身につけて、安倍政権と経済面でまともに渡り合えるように成長していただきたいです。そうして、まともに野党としての役割を担っていただきたいものです。

今年も、後残りわずかとなりました。本年中は、大変お世話になりました。良いお年をお迎え下さいませ。

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