2017年9月11日月曜日

北朝鮮危機回避の最後の外交手段?「核シェアリング」とは何か―【私の論評】日本が事実上の核保有国になる方法(゚д゚)!

北朝鮮危機回避の最後の外交手段?「核シェアリング」とは何か

米国のICBM

 
核シェアリングとはなにか


北朝鮮情勢を巡る緊張が続いている。

先週の本コラムでは、左派の人がJアラートを揶揄することについて、現行の国民保護法から的外れであることを指摘した(「あまりに幼稚な左派の「北朝鮮核容認論」これでは日本が滅びる」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52782)。また、左派の「北朝鮮核容認論」は、核拡散防止条約(NPT)から国際常識に反することも指摘した。

なにより国連決議を無視してきた北朝鮮の核を認めることはできない。そんなことをしたら、無法者の言うことがまかり通る世界になって、日本は永遠に北朝鮮の脅しに屈服せざるをえなくなる。そこで、日本としては「核保有する」とは言えないから、「非核三原則の見直し」に言及すべきだと書いた。それこそが、北朝鮮に対する最大のプレッシャーになるだろうからだ。

今回は、「非核三原則の見直し」の後に来るものを書こう。できれば前回のコラムでそこまで言及したかったのだが、字数の関係でできなかった。それは「核シェアリング」についてである。先週木曜日放送の「ザ・ボイス そこまで言うか!」に出演した際にも話したのだが、この核シェアリングについて説明したい。

非核三原則とは、言うまでもなく「もたず、つくらず、もちこませず」のことである。この「見直し」といっても、「もたず、つくらず」の二原則は堅持すべきで、最期の「もちこませず」という原則のみを見直すべき、ということだ。

まず、一部の右派からでている「日本も核武装すべきだ」という核保有論はあまりに粗野だ。現在の核拡散防止体制を考えれば、これは国際政治の常識から逸脱しているので、技術的には可能でも、政治的な実現可能性は乏しい。

一方、「もちこませず」に関しては、英語と日本語の意味の違いもあって、国際社会からみれば修正の余地が大きい。

そうであれば、国際的に容認しにくい核保有論より、より実現可能性の高い「核シェアリング」を考えたほうがいい。それも非核三原則の一つである「もちこませず」の修正の延長線で考えたほうが得策であると筆者は思っている。

こう提案するだけでアレルギーを起こす読者もいるかもしれないが、国際社会をみれば、「核シェアリング」は、実際に北大西洋条約機構(NATO)で行われている。核保有はしていないが、アメリカが核を提供し、それを管理す津核基地を受け入れ国で持つもので、いわば核の共同運用である。

具体的には、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコで行われている。それぞれの国で、クライネ・ブローゲル空軍基地(ベルギー)、ビューヒェル空軍基地(ドイツ)、アヴィアーノ空軍基地(イタリア)、ゲーディ空軍基地(イタリア)、フォルケル空軍基地(オランダ)、インジルリク空軍基地(トルコ)に、戦術核兵器が持ちこまれている。

ビューヒェル空軍基地(ドイツ)
「核拡散防止条約上の抜け穴」と批判されているうえ、オバマ前米大統領がプラハで核廃絶の演説を行った後には、核シェアリングの解消を求める運動も起こった。アメリカの核をもっていることで、アメリカの核戦略(戦争)に巻き込まれるという批判もある。

確かに一理あり、核シェアリングを「時代遅れ」と批判するのは簡単だ。しかし、今の北朝鮮はかつての「神州不滅、鬼畜米英」と唱えていた国と同じで、何をしでかすかわからない状態だ。今の極東の北朝鮮を巡る動きは、かつてヨーロッパに対してソ連の核脅威があった以上に、危険があるといわざるを得ない。

しかも、かつてのソ連の核の脅威に対して、核シェアリングは結果としてソ連の核攻撃を抑止した。その意味で核シェアリングは有効だったのだ。いまの危機下において、可能性のある選択肢としてこの議論を持ちだしてもいいだろう。

なにしろ、核保有論の最大の弱点である核拡散防止条約の問題について、核シェアリング論は、現実に実践されているという意味でも一応クリアしているからだ。

 韓国でも議論は起きている

こうした議論の必要性は、韓国の動きを見てもわかる。

9月3日、6回目の核実験など北朝鮮の挑発があった後、世論調査会社・韓国ギャラップが、「韓国も核兵器を保有しなければならないと思うか」とする主張に対し、回答者の60%が「賛成」、35%が「反対」の意思を示した事が明らかになった。

年齢別にみると、20代は57%が核兵器の保有に反対しており、30代と40代は賛否の差が10ポイント以内と拮抗した。50代以上は約80%が賛成だった。

今回の北朝鮮の核実験が朝鮮半島の平和に及ぼす脅威の程度については、「非常に脅威」が54%、「やや脅威」が22%など、全体の76%が脅威と認識し、「あまり脅威ではない」は15%、「全く脅威ではない」は5%。4%は意見を留保した。

もっとも、北朝鮮による戦争挑発の可能性には、「非常にある」が13%、「ややある」が24%など、37%が「可能性がある」と答え、「あまりない」が36%、「全くない」が22%。半数以上の韓国国民は、戦争の可能性がないと考えているようだが。

こうした世論調査の読み方は慎重に行わなければいけないが、最後の戦争の可能性については、願望というところが大きいと思う。つまり、戦争はしたくないが、核保有はやむを得ない、というリアリズム的な思考で考えている人が韓国には多いのだろう。

 北朝鮮にも「シェアリング」の提案を

翻って、日本はどうか。こうした世論調査を、マスコミは是非実施してみたらいいだろう。核について、日本は唯一の被爆国であり、慎重にならざるを得ない。といって、今の北朝鮮の行動は、日本の非核三原則すら修正をせざるを得なくなるような状況に追い込むほどのものだからだ。

韓国の核保有については、国際社会からみれば、核拡散防止条約(NPT)の点で国際常識に反するのは日本と同じである。となると、韓国はアメリカとの核シェアリングという方向に進むかもしれない。その場合、日本はどうするのかという問題になるだろう。

先週木曜日の「ザ・ボイス」では、核シェアリングは、日本だけの問題ではなく、北朝鮮の封じ込めにも使えるはずだとも指摘した。つまり、北朝鮮の核を、中国との共同管理=核シェアリングに持ち込むべきだというものだ。

これは別に中国でなくてもロシアでもいい。中ロにとっても、それぞれの安全保障上、この提案は「渡りに船」ではないだろうか。北朝鮮の核をシェアリングできれば、日本の安全もかなり高まるはずだ。

もちろん、国家の体制保障を求めて核開発を進めてきた北朝鮮が、おいそれと核シェアリングを飲むはずない。しかし、このまま米朝の挑発合戦が加速して、いずれアメリカの軍事オプションが行使されることを考えれば、核放棄と保持の中間的な性格がある核シェアリングは、北朝鮮にとっても現実的な選択肢になりうるはずだ。

外交においては、まず対話、次に経済的な圧力、そして最後の軍事行動という順序である。しかしながらこれまで北朝鮮の核・ミサイル凍結を目指して、対話が20年間くらい繰り返されてきたが、結局北朝鮮に核・ミサイルの開発をする時間を与えただけで、核・ミサイル開発の凍結に失敗してきた。もはや対話の時期ではないのだ。

 一刻も早く論じるべき

北朝鮮がアメリカ本土を攻撃できるようになるまでの時間は、あと1年程度しかないという専門家も多い。3日に行われた核実験は、これまでの核・ミサイルの累積的な成果を考えると、アメリカのレッドラインを超えたかもしれない、と筆者はみている。

実際、アメリカが国連安保理で現在提案している、北朝鮮への石油輸出禁止などの経済制裁は、かなり本気のものである。中ロもアメリカの本気度の強さを感じているので、アメリカ提示の制裁案の協議には応じ、なんとか制裁案を弱めようというスタンスのように見える。

筆者は、アメリカがこれまで世界各地で起こしてきた戦争の歴史を振り返ると、早くてあと1ヶ月、遅くとも年内には、最後の手段である何らかの軍事行動を採っても不思議でない状況だと思っている。その意味で、アメリカが安保理で提示した北朝鮮への石油禁輸などは、経済的な圧力の最後の段階で、つまりは軍事行動を採るまであと一歩だ、という最後通牒かもしれない。

国際社会から北朝鮮に圧力をかけるには、中ロの協力が必要であるが、そのために中ロに北朝鮮への対案を競わせるのはいい戦略である。北朝鮮の核をシェアリングすることを提案すれば、中ロが主導権争いを行うことになり、中ロの分断を図ることも可能である。だから、国連での経済制裁と相前後して、核シェアリング議論を進めていいだろう。

このように経済的な圧力と軍事行動の間に、外交圧力としての強力な手段として、核シェアリングがあると筆者は思っている。が、はたしてそうした猶予が今の時点でまだ残されているのかどうか。いずれにしても、北朝鮮情勢はかなり逼迫しているため、一刻も早く考え得る手を打つべきことが必要なのである。

【私の論評】日本が事実上の核保有国になる方法(゚д゚)!


専門家が開発の速度が速いと、警鐘をならす
北朝鮮の水爆
1990年代から今日に至るまで北朝鮮は核開発を続けてきました。なぜ北朝鮮はこれほど核開発に力を入れるのでしょうか。

核兵器を保有することによるメリットを挙げるといかのようになると思います。
  • 核を持っていない国に対して優位に立つことができる
  • 核を持っている国と同じ場所で交渉を行うことができる
  • 他国から攻撃されにくくなる
現在、核兵器が戦争において使用されたのは第二次世界大戦時の広島と長崎の2回のみです。使用したときの大きな爆発エネルギーや放射能の影響など、兵器としては大きな脅威を持っています。しかし、第二次世界大戦が終わり、他国への侵略などが世界的に批判されるようになると、核兵器の役目は兵器とは別の物になってきました。

第二次世界大戦後は他国との問題解決は戦争ではなく交渉で解決することがメインとなりましたが、ここで核兵器を持っている、つまり軍事的に優位がある国の発言力が高まることとなります。

現代における核兵器は相手に使用する代わりに、保有することによって自国の国際的な発言力を高めることが期待できます。逆に現代において核兵器を使用した場合、その国は相手国や相手国の同盟国からの報復を受けてしまうことが予想されるため、核兵器を使用するメリットはあまりありません。

北朝鮮にとっての一番の敵国はアメリカです。そのアメリカと交渉をするためには、アメリカと同じ立場に立たなければなりません。北朝鮮はアメリカに比べて軍事力、経済力は劣っているため、核兵器を保有することによって軍事的なバランスをアメリカと同等レベルにまで引き上げ、交渉をしようとしていると考えられます。

現在の北朝鮮は各国からの経済制裁を受けていますが、これに関しても核兵器を保有することによって解決しようとしています。

また、北朝鮮はアメリカに対する恐怖もあるため、核兵器を保有すればアメリカからの批判を緩めることもできる可能性があります。

いずれの理由にせよ、北朝鮮は自らの体制を維持していくためには核は必要不可欠と位置付けています。

北朝鮮に対する核開発はどの国も批判の声を挙げるものの、その批判の大きさはさまざまであり、特に中国やロシアが微妙にアメリカと対立している部分があり、北朝鮮の核開発の問題がすぐに解決することは期待できないでしょう。

このような現状において、核シェリングそれも、北朝鮮の核の中国もしくはロシアによる核シェリングなど成り立つのでしょうか。

先に述べたように、北朝鮮アメリカとの交渉を有利にするためには、アメリカと同じ立場に立たなければなりません。そのために北朝鮮は核開発をしてきたのであり、過去には中国やロシアから核開発を控えるように説得など無視して、開発を進めてきたのです。

その北朝鮮が、おいそれと中国やロシアの核シェアリングの話にのるとは考えられません。なぜなら、これを実施すれば、アメリカと直接交渉し交渉を有利に運ぶという北朝鮮の核開発の意図が成就できないからです。

これでは、結局核シェアリングの後には、中国もしくはロシアと間接的にしかアメリカと交渉できません。これでは、従来と同じであり、北朝鮮としてはこれは絶対に許容できないでしょう。


しかし、日本の米国による核シェリングは、これに比較すれば、実現の可能性は高いです。そうして、実行すれば、日本にとっても意義のあるものになります。

さて、現在ロシアは世界第二の軍事大国ではあるのですが、米国と比較すれば、かなりの差がついてしまいました。そうして、現在のところ中国の軍事力は米国とは比較の対象ともならない状況ですが、それにしても将来中国がアメリカ最大の脅威になるのは間違いないと思います。

そして、米国が中国に勝つための重要ポイントは、「中国とロシアを分断し、日米側にひきいれる」ことです。

日本の核シェアリングは、無論中国が猛反発するのはもちろん、現時点ではロシアも「大いなる脅威」と認識する可能性が高いです。そうなると、中国とロシアは、反米、反日でますます一体化してしまう可能性もあります。

日本が核シェアリングを目指すなら、その前にロシアがもはや日本を警戒しないレベルまで和解する必要があります。こと、対中国でロシアが最重要であるとみるべきでしょう。それは、日本が引き続き独立を保っていられるかどうかは、反中同盟全体の強さに大きく左右されることになるからです。

日本にとって、反中同盟が形成されない、あるいは脆弱な場合、日本は独立を保てなくなり中国に実質併合されるか、そこまでいかなくても、過去のように米国の覇権の及ぶ範囲ではなく、中国の覇権の傘の中に入る可能性も大いにあるのです。では、どうすれば、日本は勝てるのか。

もちろん日本自身の決意とアメリカからの支持が最も重要な要素になるでしょうが、ロシアがそこに参加してくれるのかどうかという点も極めて重要であり、むしろそれが決定的なものになる可能性があります。

ロシアが反中日米同盟に組み込まれ、日本が核シェアリングするということになれば、日本は米中を敵にまわさず、事実上の核保有国になることができます。そうして、それは北朝鮮に対してかなりの脅威になります。

現在の世界は1930年代のそれと同様、大国間の関係がコロコロ変わっています。日本も大局を見ながら、「孤立しないよう」慎重に行動する必要があります。

ただし、日本は北朝鮮の核基地を攻撃する能力を有して、場合によってはそれを実行する覚悟を決めるべきです。それととも、核シェアリングから一歩進んで、核保有国になる道も目指すべきです。

ブログ冒頭の記事で、"一部の右派からでている「日本も核武装すべきだ」という核保有論はあまりに粗野だ。現在の核拡散防止体制を考えれば、これは国際政治の常識から逸脱しているので、技術的には可能でも、政治的な実現可能性は乏しい"と高橋洋一氏は述べています。しかし、国際政治の常識から大きく逸脱しているの北朝鮮であり、そのほかにも逸脱して実際に核保有国になったインドやパキスタンの事例あります。

しかし、トランプ大統領が日本の核保有を認める発言をした今日、日本が核シェリングをして実績をつければ、日本が独自に核武装することも、あながち不可能ではないと考えます。ただし、いきなりは無理でしょう、ただし核シェアリングを実現した後であれば、あながち不可能ではないと考えます。

これを考えれば、日本の核シェアリングは大きな意義があると考えます。

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2017年9月10日日曜日

教育分野への経産省の「領空侵犯」は歓迎すべきだ―【私の論評】現在の日本の学校は、知識社会の現状に対応していない(゚д゚)!

教育分野への経産省の「領空侵犯」は歓迎すべきだ

この閉塞感は日本だけだから


 教育現場に生産性は必要ない?

経済産業省は、'18年から教育現場で新たな事業支援を始めることを発表した。

具体的には、教育現場の生産性を高める目的で、授業や部活の外部委託の援助をする。たとえば、外部講師がインターネットで、生徒一人ひとりのレベルに合わせた授業を行う場合や、「休日出勤」を強いられる部活動の顧問の代わりに、外部の人物に部活動の指導を依頼する際には資金援助を行う。教育現場の改善にむけ、ベンチャー企業を学校に紹介するともいう。

この事業支援は'18年度予算の概算要求に盛り込まれる予定だが、そもそも教育現場は文部科学省の管轄。経産省はうまく折り合いをつけてやっていけるのだろうか。

霞が関の各省庁は縦割りでしっかり区切られているが、実は経産省は伝統的に各省庁の事業に首を突っ込むことで有名だ。

たとえば外務省の管轄である外交の場では、かつては「通商交渉」として外務省と競いながら、ある意味「二元外交」をしてきた。また、電気通信の分野では、かつての郵政省の電波行政に対して、通信産業の振興を目的に主導権争いをしてきた。

今回も教育という文科省の分野に、経産省が口を挟んできたわけだが、こうした省庁間での政策の競争をよく思わない人間も霞が関の中にはいて、今回の経産省の政策にも否定的だろう。

そうした人からは「教育はビジネスではない」という批判が出てくる。「聖職者」である教師の仕事を外部に委託させるとか、ベンチャー企業に学校教育の一部を託すとか、結局企業を儲けさせたいだけなのでしょう、と言いたいのかもしれない。

あたかも教育現場に生産性は必要ないという理想主義を持っているかのようだ。

 教育現場はもっとよくなる

たしかに、今の教育基本法第9条では「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と、教員の崇高な使命を規定している。

学校教育に株式会社が参入することについて、強硬に反対しているのは文科省だ。学校教育法では、学校は国公立か学校法人設置かに限られ、株式会社の参入は認められていない。小泉政権の時、すったもんだの議論の末、特例として特区内では「株式会社立学校」も認められた。

しかし「株式会社立学校」では私学助成金がもらえず、また法人への寄付についても税制上の優遇措置がなく、財政的に不利だ。そのようななか、現存するインターネットを活用した通信制の株式会社立学校は頑張っているほうだ。

この「株式会社立学校」だけでなく、塾や予備校は文科省からみれば日陰の存在だ。時には、それらの存在を気に食わず、潰しにかかることもある。

実際のところ、学校を文科省が認めた学校法人に限るという規制は、諸外国では見られない。学校において多様性を認めない日本の文科省はガラパゴス的な存在だ。

そうした日本の教育行政を変えられるなら、経産省の教育支援はいいことだ。経産省が他省の縄張りに「領空侵犯」しても、文科省の行政に活を入れるためなら許されてもいいと筆者は考える。政策間競争が行われれば、結果として国民にはメリットになるはずだ。

【私の論評】現在の日本の学校は、知識社会の現状に対応していない(゚д゚)!

誰もが教育を大事にし充実すべきだと言います。でも、その費用に見合うものを得ていると思う人は滅多いないと思います。

教育は放っておくにはあまりに大きな問題になりました。知識社会においては、教育がキャリア、機会、昇進を左右するからです。


ただし、知識社会といった場合、知識の意味が20世紀の時代と比較すると変わったことを認識しなければなりません。

20世紀に知識といわれたものは、百科事典に掲載された内容のようなものでした。ですから、20世紀に知識人と言われた人々は、今日の感覚からすると単なる物知りに過ぎませんでした。

21世紀になってから、しばらくして、先進国のほとんどが知識社会に入ってから、この知識の意味が変わりました。知識社会における知識とは、具体的に仕事に適用できる知識を意味するようになったのです。そうして、百科事典に掲載されている内容のようなものは、情報と呼ばれ、知識とは明確に区別されるようになりました。

知識と情報は、異なります。たとえば、救急医療に用いられる医学知識を思い浮かべて下さい。最近の救急医療に用いられる知識は現場で具体的な治療方法として使えるものであり、それもかなり高度な治療に適用できるものです。

そうして、知識社会とそうでなかった時代との大きな違いは、知識社会以前は富の源泉が、お金でしたが、知識社会においては、知識が源泉になったのです。

お金は制約条件に過ぎなくなりました。お金がなければ、いかに優れた知識があったにしたとしても、会社であれば、人材を確保したり、設備投資もできません。しかし、お金がいくらあっても他社を出し抜くような高度な知識がなければ、現代企業は富を生み出すことはできません。

このような知識社会になったにも関わらず、それに対応すべき学校は、現状では教員の生産性が低過ぎます。

教員の生産性を上げ、成果を上げさせ、彼らの知識、技能、努力、献身を無駄にすべきではありません。

生徒や学生の成績不振は学校の責任であり、そう考えない教員はすべからく恥ずべきです。あらゆる組織の構成員が、成果に責任があります。教育者も自分の成果には責任があります。成績の悪い学生を責めることは許されないです。なぜなら、成績の悪い学生を生み出したのは、教育者の責任だからです。

これは、企業内での教育を考えると、よく理解できます。現場に何もできない社員しか配置できない、人事部は無能と謗られても致し方ありません。まともな会社の人事部は、採用から社内教育までかなり計画的に実践的に行います。個々人の能力、傾向、個性を把握して、配置を決め、それに見合った教育を行います。これには、あまりに労力がかかるので、一部あるいはかなの部分を外注に頼る企業もあります。

しかし、現在の学校は、現在の知識社会に対応していません。ただし、これは現場の教師だけの責任ではありません。やはり、大きな責任は文科省にあります。すでに生徒や学生が反旗をひるがえしています。教室で教えていることが退屈で無意味であるとしています。教育の重要度は増しているにもかかわらずです。

学校はもはや新しい世界への窓ではありません。唯一の教育の場でもありません。残念ながら、古びた代用品にすぎません。なぜなら幼児でさえ、テレビなどを通じて生々しく外の世界を見ているからです。今日の電波、インターネットなどの通信、メディアはその方法と形態において、コミュニケーションの達人であるからです。

子供たちはなぜ学校が退屈きわまりないのか、息が詰まるだけのところになっているのかを知りません。しかしテレビの水準に慣れ親しんだ彼らは、今日の教え方では受けつけません。許された唯一の反応が勉強をしないことです。

知識社会においては知識はすぐに陳腐化する
知識社会では、方法論にかかわる知識が必要となります。これまで学校では教えようとさえしなかったものが必要になるのです。知識社会においては、学習の方法を学んでおかなければならないのです。

知識社会においては、すぐに陳腐化する教科内容そのものよりも、学習継続の能力や意欲のほうが、重要です。知識社会に入ってすでに数十年になった現在では、生涯学習が欠かせません。したがって学習への規律が不可欠です。

実際には、何を行うべきかは明らかです。事実、何千年前からとは言わないまでも何百年も昔から、継続学習への動機づけとそのための規律は知られています。

優れた美術の教師が知っています。優れたスポーツのコーチが知っています。最近の管理者研修用の資料によれば、組織内の優れた「助言者たち」が知っています。

彼らは、生徒を指導し、生徒自身が驚くような優れた成果をあげさせます。その結果、生徒は興奮し、意欲を持ちます。とくに、継続学習に欠かせない厳格な規律を伴う絶えざる作業と訓練に対して意欲をもつことになります。

音階の練習ほど退屈なものはないです。それでもピアニストは、大家になればなるほど、音階の練習を忠実に繰り返します。毎時間、毎日、毎週繰り返します。

ピアニストは日々音階の練習を繰り返す
同様に、外科医も、優秀であればあるほど、傷口の縫い目を正確に合わせるための練習を毎時間、毎日、毎週繰り返します。

ピアニストは、何ヶ月も、あくことなく音階を練習します。しかし演奏の技術は、ごくわずか向上するだけです。でも、このわずかな向上が、すでに内なる耳によって聴いている音楽的成果を実現さるのです。

外科医も、何ヶ月もあくことなく傷口を縫い合わせる練習をします。しかし、指の技術はごくわずか向上するだけです。しかし、このわずかな向上が手術のスピードをあげ、患者の命を救うのです。

外科医は日々傷口をぬ言わせる練習をする
あらゆる組織のマネジャーも同じです。そうして、彼らには同じことを日々繰り返し練習し、より効率よく、より上手にできるようになることも必要ですが、さらに日々生まれる新たで高度な知識を身につけることが重要です。

物事を「達成」するには、それもより良く達成するためには、以上のような積み重ねが必要不可欠です。このように継続的に学習する、意欲を持って進んでいくためには、やはり生徒を指導し、生徒自身が驚くような優れた成果をあげさせる。その結果、生徒は興奮し、意欲を持つ。ここがポイントになっていくのでしょう。

これをできるようにすることこそ、真の意味での教育革命になります。ブログ冒頭の記事にある、「教育現場の生産性を高める目的で、授業や部活の外部委託の援助をする」という経産省の試みはこれを目指すというものではないですが、それにしても現場の教師の生産をあげるために役立つことは間違いないと思います。

これには、すでに先行事例があります。米国では、数十年前に病院で調査が行われましたが、その当時の看護師の最も大きな不満は、ペーバーワークがあまりに多すぎて、患者のケアそのものができないというものでした。

そうして、その対処策として、ある病院でペーパーワーク要員(事務員)を増やして、看護師にペーパーワークそのものをやらせないようにしました。そうしたところ、病院の生産性は飛躍的に高まったのです。

その後このようなやり方が、世界標準となっています。特に先進国では病院の事務は事務員が実施するというのが当たり前になりました。日本でも、大きな病院に行くと、事務員が大勢いる様子を見ることができます。

このような事例もあることですから、経産省の新たな試みは必ず何かの成果生み出すものと思います。実際、現在の学校の教師のスケジュールはあまりにも過密であり、今の状況では確かに本来の子どもたちの教育にさける時間は少ないです。

まずは、日本の教育現場はあまりに遅れているので、このようなところからの改善から勧めていかざるを得ないのです。ここまで遅れてしまっのは、やはり文科省の責任が大きいです。

それから、株式会社学校に関しては、日本では2004年から2009年春までに全国で高等学校21校、中学校1校及び小学校1校が設置されました。既存の学校と違い、カリキュラムを自由に組んで特色を打ち出すことができたり、校舎や運動場等の施設についての条件が緩いのが利点ですが、逆に私学助成金が受けられず、また学校法人への寄付には認められている税制上の優遇措置がないという財政的に不利な点があります。

私自身は、株式会社学校には、学校はそもそも営利組織ではないという観点から反対ではあるのですが、それにしても、日本では非営利組織も欧米と比較すれば、生産的ではないし、その中でも学校の生産性は極めて低いので、選択肢の一つとして株式会社学校も認めては良いのではないかと思います。

とにかく、現在の日本の学校は、知識社会の現状に対応していないのは事実です。この問題もいずれなんとかしていかなければならないです。

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2017年9月9日土曜日

北朝鮮が教えてくれた「9条改正」の必要性―【私の論評】日本も安全保障面での変化の担い手になることを目指せ(゚д゚)!

北朝鮮が教えてくれた「9条改正」の必要性

スイスより60年遅れで、あたふたする日本

水爆の容器される装置を視察する金正恩朝鮮労働党委員長。
国営朝鮮中央通信(KCNA)配信(撮影日不明、2017年9月3日配信)
8月下旬、市内の広場で日本共産党が街頭演説を行っていた。

 7月の都議選以来、久々の街頭演説で、当然のことながら北朝鮮の核実験や日本上空を通過したミサイル発射に対する抗議かと思いきや、何と加計学園問題の徹底究明の訴えであった。問題意識の錯誤で国民誤導もいいところだ。

 共産党は国民の賛同を得て、政府をつつき政局にできるとみてのことであろうが、国民の生命・財産を蔑にするのもいい加減にせよと言いたい。いま喫緊の課題は、北朝鮮の核・ミサイルおよび炭疽菌などの生物兵器やサリン・VXなどの化学兵器の防御と対処である。

 国民保護法はあるが国民のほとんどは無関心で、普及も訓練もほとんど行われていない。安保法案審議を戦争法案と喧伝し、実のある論戦をしなかったからである。

 スイスよりも60年遅れの日本

 スイスは中立国で民主主義を基調とするが、国民皆兵で軍の民主化を排斥し、命令指揮は軍にとっての必須の要件であるとし軍規の厳正を要求している。

 特に国会議員には将校出身者が多く、中でも軍事委員会は世界のどの国の国会議員よりも軍事のエキスパートであると自認し、政治優先を実行している(杉田一次・藤原岩市共著『スイスの国防と日本』)。

 そのスイスは1956年のハンガリー動乱でソ連の行動に深刻な衝撃を受け、翌57年の人工衛星スプートニク打ち上げで、核攻撃が現実的になったとして核武装も念頭に国防強化の必要性を痛感し再検討を始める。

 そして、1959年に国民そして兵士として、国家を守るため準拠すべきことを細説した384ページの『兵士読本』を公刊し、各家庭に配布した。

 『兵士読本』は、憲法の骨子となる10か条(①スイス人は法の前に平等 ②スイス人は防衛の義務がある ③信仰と良心と自由は侵されない ④新聞の自由は保証される ⑤憲法はいつでも全部または一部を改正できるなど)とともに、原子兵器による戦争、化学兵器による戦争、生物兵器による戦争を写真や図解で分かりやすく説明したものであった。

 10年後の1969年には、ソ連のチェコ侵攻に刺激され、『民間防衛解説書』を発刊して全家庭に配布する。

 「読本」は大量破壊兵器の危険性を解説するものであったが、「解説書」は大量破壊兵器が使用されることを前提に、シェルターの建設基準や教育・訓練について具体的に示したものである。

 非核3原則を堅持する日本は、領土内で核が使用されることはないと思い込んできたが、戦争やテロ行為などには想定外はつきものであるという視点が欠落している。日本がいくら非核3原則を呼号しても、相手がその意を汲んで核(や生物・化学)兵器を使用しないという保証はない。

 いま、北朝鮮の核・ミサイル兵器の脅威に直面して避難訓練などが始まった。核爆発の場合は閃光や火球を見ないことが大切だし、シェルターや窓なしビルなどに少なくも24時間いることが必要としている(グアムの訓練状況から)。

 しかし、日本にシェルターはないし、窓なしビルなども容易に見つかるわけではない。放射能残留などに対処するためには、24時間どころか、数日や数週間、さらには数か月単位での避難さえ必要であろうが、政治家をはじめ、国民の誰一人としてそうした考慮をもって行動した人はいないであろう。

 日本には憲法9条があり、戦争とは無関係な特殊な国といった思いから学校教育などで「戦争=悪」として、戦争や武力行使について考えることを排除してきた。国際社会の現実に目を向けない最大の欠陥が「日本国憲法」に由来していることは言うまでもない。

 福島議員や共産党の出番では?

 安保法案の審議で、政府は特定の国名こそ挙げていなかったが、シーレーンや尖閣諸島防衛、さらには近隣諸国の核を含む大量破壊兵器やミサイルの脅威などを前提にして、法制の不備を改定しようとしていた。

 しかし、野党委員がそうした問題意識をもった質問を一向にしないため、政府は答弁することができない。与党も国民も、「3対7」の比率で多く割り当てられた野党の時間的優勢による違憲論戦に気圧されて、現実的な脅威を見据えた議論が放擲され、憲法の神学論争という不毛に終わった。

 中でも記憶に残るのが社民党前党首、福島瑞穂議員の発言である。

 氏は折に触れ9条に関して、「9条がなければ戦争ができる国になっていた。韓国の若者がベトナムに従事したように日本も戦争に若者を送ったはずだ。韓国軍はベトナムで憎まれている。戦後の日本が戦争で人を殺さなかったことは誇っていい。日本が今後、米国の利害に引っ張られて戦争への加担を強いられた時に、〝No″と断れるのが9条の効用だ」と述べている。

 また、「他国からの攻撃にはどう対応するのか」という問いに対しては、「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」と語っている。

 北朝鮮が脅威であることに変わりないが、シーレーンや領土、ガス田開発など多面的な問題を抱えている中国が日本にとってより大きな脅威である。ただ、眼前の差し迫った脅威が北朝鮮であるので、取り敢えず焦点が北朝鮮に向くのは当然である。

 日本は北朝鮮を食料などで支援こそすれ、何ら敵対行動をとったことはなかった。

 しかし、無辜の若者数百人を拉致し、今また核やミサイルで日本に脅威を与えている。福島議員が政治家として信念と責任感を持っているならば、9条を有する日本を窮地に陥れる北朝鮮を諫めてほしい。

 共産党の志位和夫委員長は安保法制成立後の2015年11月、テレビ東京の番組で「北朝鮮、中国にリアルの危険があるのではなく、実際の危険は中東・アフリカにまで自衛隊が出て行き一緒に戦争をやることだ」と述べていた。

 その後、北朝鮮が核実験を行うと、「核実験の強行は地域と世界の平和と安定に対する極めて重大な逆行だ。暴挙であり、厳しく糾弾する」との談話を出すが、安保法案審議時の国際情勢に対する認識が間違っていた証左である。場当たり的な談話は、加計問題の街頭演説にまで通底している。

 イージス・アショアは数年前に検討

 共産党は日米安全保障条約を国民感情から破棄するという。しかし内閣府の世論調査では8割以上が日米安保は日本の安全保障のために有益な条約と考えている。共産党の主張は欺瞞である(「産経新聞」平成28年11月11日付、岩田温氏「iRONNA」)。

 国民の権利や人権を守るためには、行政府の暴走を食い止めなければならない。そのために人類が考案した1つの偉大な防御策が、憲法によって行政府の暴走を食い止めようとする立憲主義である。

 共産党は違憲とみる自衛隊を国民が必要と認めているという理由から、存在を認めるという矛盾を包容している。岩田氏はこれこそが立憲主義を否定するもので許すことはできないという。

 社民党の空想的平和主義や共産党の欺瞞と矛盾で、長年日本の安全保障が損なわれてきた。自民党などにも、社民党や共産党を隠れ蓑に、9条問題や軍事問題、中でも核兵器に対する議論(非核3原則から保有の是非論まで)を避けてきた節がある。2年前の安保法案審議では論議の入り口にも至らなかったと言わざるを得ない。

 核・ミサイル対処や敵地攻撃能力問題など議論にも上がらなかった。8月17日、ワシントンで行われた日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2+2)ではイージス・アショアの導入を検討することになったが、これは既に数年も前にも話題になっていたものである。

 当時決着し、国民保護法に基づく訓練なども徹底して実施していれば、今回見るような国民の不安も相当に軽減されたのではないだろうか。問題が先鋭化してからしか行動しないようでは抑止力にならない。

 「ローマは一日にして成らず」の諺通り、防衛体制の確立は一朝にできるものではない。安保法制に反対した政党や国民は、今こそ反省すべきではないだろうか。懸案が起きて防護用の装備を買いつけるという対処は経費的にも高価につくし、防衛計画に立脚する資源の有効活用の視点からも相応しくない。

 少数野党に譲歩するのは美徳の場合もあろうが、こと安全保障に関しては9条が機能しないことが明確になった。また、自衛隊が軍隊でない故に日本の安全のために持てる力を存分に発揮できない。

 国民の安全や日本の防衛のために行動したことが、場合によっては殺人行為や殺人犯などとして扱われかねない現実は早急な改善が必要であろう。

 「想定外」が当たり前

 北朝鮮は、7月4日のICBM発射後、次は島根・広島・高知県上空を通過してグアム島周辺を狙うと発表した。日本は急遽「PAC-3」を上記3県と愛媛県に配備した。しかし、同月28日の発射は4日同様にロフテッド軌道で日本海への落下であった。

 ところが、8月29日早朝には襟裳岬上空を通過して東方1180キロの太平洋上に落下するミサイルを発射した。また、9月3日には、強化原爆(水爆?)と思われる核実験を行った。

 そもそも、兵器が脅威であるためには、どこに落下するか分からない想定外の奇襲性が重要である。従来の予告発射はミサイルが計画通りに飛翔可能であるという示威であり、また日本の防衛体制や国民感情などを注意深く見守っていたということでもあろう。

 日本も、北朝鮮の事前予告をあてにするかのように、PAC-3を沖縄や中国・四国地方に移動配備することができた。軍事の常道にあるまじき状況に安穏としてきた日本であったのだ。

 従って、29日の予告なし(時間や経路)の不意急襲的発射は、日本中を混乱させた。そして9月3日の核実験は、「想定外」が軍事の常識であるということを改めて認識させた。

 PKO派遣などでは想定内での任務付与でしかなかった。手綱を緩めると、自衛隊は何をするか分からないという危惧を政府や防衛省内局が有していたからであろう。シビリアン・コントロールを自ら信じない撞着であったということであろうか。

 想定外を考えようとしないで、「これだけをやりなさい」(ポジティブ・リスト)という任務で外国に派遣された部隊は、時間や能力などあらゆる面から現地の要望に対応可能であるが、任務にない(行えば命令違反)ということで相手国などを失望させてきた。

 いま、国内において想定外を目の当たりにしている以上に、外国に派遣された部隊には「想定外」が頻出することは容易に想像がつく。そこで、外国の軍隊では現地指揮官が柔軟に対応できるように、「絶対やってはいけないこと」(ネガティブ・リスト)を示すようにしている。

 自衛隊はこれまでの経験で証明されているように、外国軍隊以上に規律正しい。幹部はもちろん、一般隊員に至るまでシビリアン・コントロール下の自衛隊であることを理解している。

 そこで、効果的に任務を完遂し、かつ国際社会の理解と評価を高めるためにも、派遣部隊にはネガティブ・リストでの任務付与が望ましいのではないだろうか。

 おわりに

 日本のあちこちで見かける「非核平和都市宣言」の文言に筆者は疑問を抱いてきた。国家レベルのこの種宣言の意義についても大いに議論すべきであると思っているのに、一地方都市が非核平和宣言をしてどういう意味があるというのだろうか。

 地方都市が掲げるべきことは、核や生物・化学兵器などの大量破壊兵器に対して国民保護法などに基づく対策をしっかりやっているという意味での「防護都市宣言」くらいではないだろうか。

 その場合、当然のことながら、住民の半分くらいは収容できるシェルターなどを整え、数週間から数か月の生活物資を完備している必要があることは言うまでもない。こうした準備がほとんどされない非核平和都市では、住民を何ら守ることはできないであろう。

 憲法9条があるから日本を攻める国などないという空理空論から脱却して、今こそ、主権・領土・国民を守るため、現実に根を張った議論をすべき時である。

 9月1日は「防災の日」であるが、天災に備えるだけではなく、拡大して外国の脅威への備えも必要になってきた。そのために、例えば「国民保護の日」として、施設の整備や訓練内容の拡充などを図ってはいかがであろうか。

【私の論評】日本も安全保障面での変化の担い手になることを目指せ(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事にもあったように、確かに安全保障に関してスイスに見習うべき点は、多いです。第二次大戦当時、中立国宣言した国で侵略を免れたのはスイスだけです。中立宣言したベルギー・オランダ・ルクセンブルグ・デンマークすべてナチスに侵略されました。これは、中立国宣言など侵略者の前には役にも立たないという事例です。安全保障の基本は、国民の国防意識と軍事力です。

2013年 外務省のHPより

永世中立国として知られるスイス連邦は、ヨーロッパにある連邦共和制国家です。首都はベルンで、国内には様々な国際機関の本部が置かれています。地図を見ても分かるように周りを多くの国に囲まれ、歴史上、様々な戦いを繰り返してきました。

そんなスイスが永世中立国として、世界に認められたのは、1815年のウィーン会議においてでした。スイスは現在、どの国とも軍事同盟を結んでおらず、1815年以降1回の短期的な内戦を除いては、戦争に参加していません。日本では、非武装中立国と思われることも多いスイスですが、武装独立、徴兵制を国防戦略の基本にしています。

スイスは、職業軍人と予備役からなる国軍を有しており、有事の際には、焦土作戦も辞さないという意思を表明しています。国防の為に、徴兵制を導入しており、20-30歳の成人男子に徴兵の義務が課せられ、女子は任意になっています。

そのため、多くのスイス国民は予備役として各家庭に自動小銃が貸与されています。2007年からは、自動小銃の弾薬は軍で一括管理されているが、依然として銃が簡単に手に入りやすい社会になっています。

2013年には、「徴兵制の廃止」についての国民投票が行われましたが、反対多数で否決されました。一部では、徴兵制の廃止を求める声があるものの、国民の多数が徴兵制を支持しています。

スイスと日本で大きく違う点は、自国の防衛能力だけで国民を守れるかという点です。スイスはどの国とも軍事同盟を結んでない一方で、徴兵制を採用し、自衛の為の軍事力を保持しています。

国民は、その大多数が国防の為に自ら軍人や予備役になることを望んでおり、国民1人1人の国防に対する意識の高さが伺えます。また、スイスは、国内に多くの国際機関の本部が置かれていることが、戦争に巻き込まれるリスクを回避していると考えらています。

日本では軍事力を持つことを憲法で禁止されており、自衛隊を自衛の為の最小限度の力として保持しています。米国と安全保障条約を結び、国の安全を米国と協力して守ろうというスタンスです。

軍事力の放棄で、世界に平和が訪れることが一番の理想であることは言うまでもないのですが、現実を見ればそうはいきません。

スイス軍の女性兵士
このスイスは、ご存知のように核武装をしていません。しかし、過去においては熱心に核武装をすすめていたことがありました。

広島・長崎に投下された原爆の驚異的破壊力に驚いたスイス政府は1946年核エネルギー研究委員会を設置しました。

表向きは核の平和利用ですが、真の目的は核武装でした。スイスはチェコからウランを買おうとしますが、同国の共産化で不可能になります。(1946年)次に国民党政権下の中国とウランの採掘を始めますが同国の共産化でこれも不可能になりました。

1950年には西ドイツから100kgのウランを買います。(キロ当たり三万ドルとかなり高額な取引だった)。次に英国と交渉し1955年までに精製されたウラン10tを買います。

フランスからはミラージュ戦闘機を買うという名目でウランを買おうとしたために疑獄事件にまで発展しました。

1956年のハンガリー動乱でWP(ワルシャワ条約機構)の脅威に怯えたスイスは核兵器開発に本腰を入れ始め、1962年のキューバ危機で拍車が掛かりました。

1962年、スイス国民は「スイスへの核配備禁止」の国民投票を否決します。

このあたりの対応は、日本とは全く異なります。

この他にスイス政府は自主開発よりももっと手っ取り早い方法である、外国との共同開発や核兵器の購入も模索しました。

当時同様に核兵器開発を進めていたスウェーデンと接触し共同開発を持ちかけています。
スウェーデンは1940年代後半から核武装計画を始めていて、結局冷戦の終結によってその計画を放棄するまでに原子炉や核爆弾まで秘密裏に作ったり、核実験場所を決めていたりしてはいたようですが、それ以外は実験段階だったようです。

スイス政府はこれらの他に仮想敵国であるソ連から核爆弾を買えないかという検討までしていました。これは、荒唐無稽なようですがスイス政府はなりふり構っていられなかったのでしょう。

スイス政府と参謀本部は64~67年にかけて青写真を描き、科学者も実績を重ねていきました。

最初の計画では投下用の核爆弾(50~100Kt)を50発を製造し、核実験についてはスイス国内で半径2~3kmの地域を封鎖して地下核実験する予定だったようです。

68年には5ヵ年計画として纏められ、それは以下の要領でした。

最初の5年間 50Kt核爆弾100個 10Kt誘導ミサイル50基

次の5年間 20Kt核爆弾80個 20Kt誘導ミサイル25基
1~2Kt核砲弾25個

最後の5年間 200Kt爆弾20個 5Kt~20Kt誘導ミサイルを50基と25基
1~2Kt核砲弾25個

核爆弾と核砲弾は爆撃機と砲兵隊に配備する。誘導ミサイルはその部隊8隊を創設する
調達期間は15年 ウランを使った場合は年間1億~1億7千500万スイスフラン、プルトニウムを使った場合は1億8千万~3億8千万スイスフランの予算でした。

NATOがソ連に対抗して西ドイツ国内に配備した巡航ミサイルが464基でしたから、スイス独自で150基のミサイルを配備しようとした計画は大規模なものてであったといえます。

使用する状況としては、ソ連軍がもしもスイスを占領した場合、フランスはスイス国内のソ連軍に核攻撃を加えるだろう。それを阻止する為にはソ連軍がスイス国境を越える前にソ連軍を核攻撃して覆滅するしかないというシナリオでした。

つまりはオーストリア方面で使うことを想定していたようです。プルトニウムは重水炉から抽出する予定で、重水炉は既に稼動していました。

スイスは核攻撃にあっても全国民が避難するのに十分な数の核シェルターを保持しています。
なお、世界で最も大きな核シェルターはSonnenbergトンネル(写真)とのことです。
77年には中性子爆弾の研究を始めます。中性子爆弾とは小型の水爆で、爆発力を小さくしつつ放射線を強化した爆弾です。破壊を最小限に留め、生物だけを殺す事に最も適した爆弾といわれています。このようにスイスは着々と計画を進めました。

1968年に問題が持ち上がりました。NPT(核拡散防止条約)の問題です。スイス政府は国防省の反対を押し切り、77年に同条約を批准しました。

しかし政府は隠れて核兵器開発を進めました。名目にされたのが西ドイツです。スイスは「何時か西ドイツは核武装するだろう、そのときはスイスも核武装する」として何時でもそれが可能なように研究を続けました。

ドイツを出汁にして研究を続けますが仮想的はソ連です。85年にはその事実が西ドイツに漏洩して外交的に一悶着ありました。

スイスが核武装を正式に諦めたのは冷戦終結によって敵が居なくなってしまったからです。87年「スイスは核武装を行わない」宣言を出し、88年に正式に核計画の廃棄に至ります。スイス政府は核兵器計画の文書を95年に公表しました。

しかし、スイスは今でも准核保有国と見て間違いないでしょう。かつてのソ連のような軍事独裁国が欧州に出現した場合には、再び核開発が再開されて核実験・核武装を実現することでしよう。

日本のように、すぐ近くに核保有国ができた場合は、ためらわずすぐに核武装することでしょう。

昨日を捨てることなくして、明日をつくることはできません。しかも昨日を守ることは、難しく、手間がかかります。組織の中でも貴重な資源、特に優れた人材を縛りつけられます。

1980年代半ば以降、少なくとも企業の世界では、変化への抵抗という問題はなくなったようではあります。内部に変化への抵抗があったのでは、組織そのものが立ち枯れになるしかありません。こうして、変化できなければつぶれるしかないことは、ようやく理解されたようです。これは、今や日本でも当然のこととして受け入れられるようになったようです。

しかし、変化が不可避といっても、それだけでは死や税のように避けることができないというにすぎないです。できるだけ延ばすべきものであり、なければないに越したことはないというにとどまります。

変化が不可避であるのならば、自ら変化しなければならないのです。変化の先頭に立たなければならないのです。変化をコントロールできるのは、自らがその変化の先頭に立ったときだけです。特に、急激な変化の時代に生き残れるのは、変化の担い手となる者だけです。

当然、変化の担い手たるための条件が古いものの廃棄です。成果が上がらなくなったものや貢献できなくなったものに投下している資源を引き揚げなければなりません。

変化の担い手たるためには、あらゆる製品、サービス、プロセス、市場、流通チャネル、顧客、最終用途を点検する必要があるのです。しかも、常時点検し、次々に廃棄していかなければならないのです。

イノベーションはもちろん、新しいものはすべて、予期せぬ困難にぶつかります。そのとき、能力ある人材のリーダーシップを必要とします。すぐれた人材を昨日に縛りつけていたのでは、彼らに活躍させることはできません。

これは、企業の世界の話ですが、国レベルでも同じことです。

上記で述べたように、スイスは変化の担い手として、核兵器の開発に取り組みました。しかし、ソ連という現実的な敵がいなくなった途端、核兵器の中止に踏み切りました。しかし、先にあげたように、スイスはかつてのようにソ連のような敵が現れたら、いや、現れそうになったらすぐに核兵器の開発を始め、核武装をすることでしょう。

日本とスイスを比較して、いずれが安全保障において、変化の担い手であるかといえば、無論スイスです。日本は、今のままでは変化の担い手になることはできず、そのために現在重大な危機に直面しています。平和は憲法9条によってもたらされるのではありません。スイスのように変化の担い手になることによってのみもたらされるのです。

日本も、そろそろ安全保障面での変化の担い手になることを目指すべきです。

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2017年9月8日金曜日

週4密会?W不倫疑惑で離党の山尾氏、息子残して朝帰り 民進呆然、議員辞職求める声も―【私の論評】民進党は今一度「自らの使命」を明らかにせよ(゚д゚)!

週4密会?W不倫疑惑で離党の山尾氏、息子残して朝帰り 民進呆然、議員辞職求める声も

山尾氏の左手に光る指輪。降ってわいた不倫疑惑に夫と子供の心境は…
7日発売の週刊文春に、9歳年下のイケメン弁護士とのW不倫疑惑を報じられ、同日夜に大島敦幹事長に離党届を提出した民進党の山尾志桜里元政調会長(43)が、議員辞職も検討していたことが分かった。前原誠司代表と大島幹事長に説得され、離党にとどめるべきとの判断に落ち着いたようだが、「保育園落ちた日本死ね!」という匿名ブログを国会で取り上げて、政府の待機児童対策を厳しく追及しておきながら、6歳の息子を残して朝帰りとは…。民進党内には、前原代表の初陣となる10月の衆院3補選への影響を懸念して、離党だけでなく議員辞職を求める声が高まっており、窮地に立たされている。 

週刊文春によると、山尾氏は、前原氏から幹事長の内示を受けた今月2日夜、若手論客として知られる倉持麟太郎弁護士(34)とJR品川駅近くの高級ホテルのダブルルームに宿泊。8月28日夜も、倉持氏が管理する都内のマンションに泊まるなど、週に4度も密会した。

北朝鮮が「6回目の核実験」を強行し、政府・与党が対応に追われていた3日の夕方も、山尾氏は都内にある倉持氏の事務所に滞在していた。文春取材班はこの直後、山尾氏を自宅近くで直撃していた。

この模様は、文春オンラインで動画として公開されている。文春取材班に「倉持氏と、どのような関係ですか」「先ほど一緒にいた」「不倫されていませんか?」などと追及され、山尾氏は顔面蒼白(そうはく)になりながら、「そう言われても…」「事務所の方に取材対応は…」などと答えている。

待機児童問題で、「総理、論点がズレてます!」などと、安倍晋三首相を激しく追及した面影はそこにはなかった。

山尾氏は、実業家の夫との間に長男(6)がおり、倉持氏にも妻子がいる。倉持氏は憲法に詳しい弁護士として情報番組などに出演し、一昨年の衆院平和安全法制特別委員会では、安全保障関連法案の審議で参考人を務めた。

前原氏は当初、山尾氏の幹事長起用を新執行部の目玉人事として内定していたが、人事を決める5日の両院議員総会の直前に撤回した。党内から「当選2回で経験不足」という異論が出たことに加え、「文春が山尾氏の不倫報道をするらしい」という事前情報が大きく影響した。

船出したばかりの「前原民進党」のイメージを大きく傷つけた山尾氏に対し、党内では「離党は避けられない」「議員辞職すべきだ」という意見が広がっていた。山尾氏自身が議員辞職を検討しているとの報道もあった。

民進党の中堅議員は「彼女は『普通の女性』『母親』の代弁者として、国会で政府を厳しく追及してきた。国民を裏切った罪は重い。場合によっては議員辞職に追い込まれる可能性すらある」と、夕刊フジの取材に語った。

別の民進党議員は「若手弁護士との写真を撮られたタイミングが最悪だ。幹事長内示を受けて、舞い上がっていたのだろう。あまりにも脇が甘い。幹事長就任後だったら、民進党は壊滅していた」と話した。

自民党でも「ゲス不倫」が発覚した宮崎謙介氏は衆院議員を辞職し、中川俊直衆院議員は離党している。

民進党の対応について、前原氏は7日午前、「(山尾氏)本人から事情を聴きたい」と都内で記者団に語った。「山尾問題」で党のイメージがさらに悪化し、「離党ドミノ」に、拍車がかかることを恐れていたようだ。

これまで、政府与党に厳しく説明責任を求めてきた山尾氏は、今回の文春報道を受け、民進党に離党届を提出。「本当に申し訳ありません」と繰り返し謝罪の言葉を述べながらも、倉持氏については「政策ブレーン」とし、男女の関係については「ない」と否定。記者団の質疑には応じず、足早に立ち去った。

夕刊フジは、山尾氏の事務所に「週刊文春で報道された経緯は事実か」「山尾氏にとって倉持氏はどういう存在なのか」「山尾氏の家族は、倉持氏のマンションに行き来していることを知っているのか」などの質問状を送っていたが、7日正午までに回答はなかった。

【私の論評】民進党は今一度「自らの使命」を明らかにせよ(゚д゚)!

山尾志桜里氏の不倫問題そのものに関しては、もうすでに各方面から報道されているので、今更このブログで詳細を述べようとは思いません。それは、ブログ冒頭の記事で十分だと思います。

そんなことより、私は山尾志桜里氏は民進党のある側面を体現するような人物であることに焦点をあてたいです。

それは何かといえば、民進党はなぜあのように全く成果をあげられないかということです。現状の民進党が全く成果をあげられない状況にあることは、誰もが認識していると思います。これに関しては、与党であろが、野党であろうが、上下・左右で立場が違っていても同じだと思います。

そうして、私は山尾志桜里氏は成果を挙げられない民進党の、象徴のような存在であると考えるのです。

ご存知のように、山尾志桜里氏は「保育園落ちた日本死ね!」という匿名ブログを国会で取り上げて、政府の待機児童対策を厳しく追及したことが、功績とされ今回不倫問題がなければ幹事長という要職に抜擢されるはずでした。

以下に山尾志桜里氏の動画を掲載します。これをご覧になれば、山尾氏の発言には、そもそも矛盾があることが理解できます。そうして、山尾氏が本当に民進党にとって素晴らしい成果をあげていたのかどうか、疑問に感じる人がほとんどだと思います。


これが本当に政治家の成果といえるものでしょうか。私はどう考えても、舌鋒鋭く総理や与党を批判したこと自体は、政治家の成果とはいえないと思います。

これは、民間営利企業で考えてみれば、良くわかるはずです。会議や交渉中に舌鋒鋭く相手を批判したからといって、それだけでは何の成果にもならないはずです。民間営利企業であれば、経済的主体ですから、そのことによって、顧客が増えたとか、顧客の購買頻度が上がったとか、売上があがったとか、利益が増大したなどの具体的な成果に結びつかなければ、何の評価にもなりません。

しかし、民進党の成果とは、何やら国会で舌鋒鋭く与党や与党の幹部を舌鋒鋭く批判して、相手を貶めることに成功すれば、それが成果であるかのような風潮が明らかに見られます。

しかし、成果をあげるとは、そのようなものではないはずです。ただし、多くの人は民間企業においては、成果を挙げることは、比較的簡単で単純なことであると考えるかもしれません。要するに、売上、利益が上がればそれで良いというものです。

しかし、これだけを成果とすれば、どんなに優秀な企業であっても、長い期間には失敗します。そもそも、売上や利益というものは、企業の目的ではないからです。これを目的とすることすれば、いずれ企業は衰退し、限界的な存在になるからです。

売上や利益そのものは、企業の目的ではなく、制約条件にすぎないからです。確かに、売上や利益がなければ、企業は設備投資もできず、人材確保もできず、限界的な存在になってしまいます。しかし、だからといって、この制約条件を企業の目的とすれば、いずれ企業は必ず衰退します。


では、企業の目的とは何でしょうか。それは、単純に言ってしまえば、「顧客の創造」です。これなしに企業は存続できません。そうして、「顧客の創造」と一言で言えるにしても、この目的や目的に至るプロセスは、個々の企業によって各々随分違います。

これは、企業が生まれ育った環境や、創業者・経営者の考え方、発展段階などによって随分と違ってきます。どれ一つとして同じということはありません。

そうして、この目的を達成するために、どのような成果をあげなければならないのかをしつかり定義しなければ、企業は存続することができません。

何のためにどんな活動をするのかがわからないまま、ただ漫然と仕事をしていては、たまたまうまくいくことはあっても、ある一定の成果をあげ続けることができないのは当然のことです。

そうして、絶対に忘れてならないことは、あらゆる組織が社会、経済、人間に貢献するために存在するということです。成果は組織の中ではなく、組織の外にあるのです。それは社会、経済、顧客に対する成果として現れるのです。

企業のあげる売上や利益にしても、それをもたらすのは顧客だけです。企業の内部には顧客はいません。あくまで、外部にいるのです。

私たちはややもすれば、組織内部の事情や都合、あるいは自分たちの思いをそのまま目標に掲げてしまいがちです。そしてそれを達成すればよしとしてしまってはいないでしょうか。成果の定義を、売上高ばかりに持っていくことは、その典型的な例です。

どのような組織も社会のなかに存在しているのですから、社会のためになって初めて成果と言えるのです。社会、経済、人間に貢献するからこそ、企業は存続を許されるのです。

そうして、このようなことを考えるには、「われわれの使命(事業)は何か」という定義をしっかり行わなければなりません。これを当たり前としていれば、組織は存続すらおぼつかなくなってしまいます。


さて、「われわれの使命は何か」という問の答えが、それぞれの組織の働く意味です。それが実現したときにはどんなことが起こっていくのかをイメージしてください。それが成果の一つひとつです。そうして、それらを指標としてまとめることによって、はじめて何をしなければならないか、そのための具体的行動は何かが明確になるのです。

恐ろしいことに、何を成果にするかによって働く人間の意識や行動は変わってしまいます。成果指標が、働く人々に大きく影響を与えるのです。 

上司に「今日一日、何時間まじめに働きましたか?」と聞かれ続けるのと、「今日は、何をして顧客に評価していただきましたか?」と尋ね続けられるのとでは、人の頭の働き方は違ってしまいます。それが行動に結びつき、そしていずれは仕事の習慣を形成していくのです。  

成果指標は自分たちの行動を、成果のあがる方向に向けさせてくれるものであるべきです。成果を明確にし、その達成度合いを測定することがマネジメントの責任なのです。

無論、民間営利企業と、民主党のような公的な機関では、具体的な使命や、目的、目標、成果は表面上は随分違ったものになるかもしれません。しかし、組織としての基本的な考え方は、同じです。

このようなことを考えれば、舌鋒鋭く与党を批判すること自体が、民進党の成果とはいえないことはあまりにもはっきりしていると思います。

民間営利企業の目的が「顧客の創造」というのなら、民進党の目的は「民進党を支持していたたげる支持者の創造」ではないかと思います。そうして、ただ「有権者を増やす」という具合に単純に考えるのではなく、どのような有権者をどのように、どのくらいの期間で増やしていくのか真剣に考えるべきです。

しかし、今の民進党はまるで、与党を貶めること自体を成果としているようにしか見えません。そうして、民進党の人事はそれを基準に実行されているとしか思えません。山尾氏を幹事長にしようとしたことが、それを雄弁に物語っています。

こんなことを繰り返しているうちに、民進党も顧客を創造できない企業のように存続不能になると思います。

民進党は、「自分たちの使命」は何かという根源的な問題に向き合って、その答えをだし、日々成果をあげられるようにすべきです。

今の民進党は、まるでやることなすこと仕事になっていません。民主党議員のほとんどが、山尾志桜里氏のように全くまともな成果をあげられず、社会、経済、人間に貢献する事ができない状態にあります。そうして、有権者の支持を失えば、民進党自体が滅ぶということを良く理解できていないようです。

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2017年9月7日木曜日

財務省の補正予算編成が日本のためにならない理由―【私の論評】日本経済復活を阻むボトルネックに成り果てた財務省はこの世から消せ(゚д゚)!


 今月下旬から臨時国会が開催される予定だ。しかし、肝心要の補正予算編成についての動きが鈍い。

 これは、8月上旬に発表された4-6月期のGDP速報の数字が思いのほか良かったからだ。もっとも、その数字の中身を見れば、16年度の第2次補正予算が効いたとしか読みようがない(表1)。

◆表1:四半期別の実質成長率(季節調整系列)


つまりは、緊縮財政をしなければGDP(国内総生産)は成長するという当たり前の話なので、秋の補正予算で手抜きをしたらまずいだろう。だが、現実には補正予算の作業は、霞が関などから聞こえてこない。

 「2%物価目標」達成には20兆円規模の補正予算が必要

 8月10日付けの本コラム『安倍改造内閣が問われる「20兆円財政出動」で物価目標2%達成』で明らかにしたように、物価目標2%、それと裏腹であるが、完全雇用になる2%半ばの失業率達成のためには、25兆円の有効需要が必要であり、財政出動に換算すれば20兆円になる。

 これをできるだけ、短期間で実施することが必要だ。財政赤字の問題を意識することはそれほど必要でなく、さらに市場における国債の品不足を考えれば、この秋の補正予算で20兆円のうちどれだけを用意できるのかがポイントだ。

 今回のコラムでは、2000年代以降の財政を考えながら、17年度補正予算の行方を考えてみよう。

 概算要求でカット、補正で積み上げ予算編成の“経験則”

 実は、財政支出にはある種の“経験則”がある。

 国の一般会計でいえば、夏に各省庁からの概算要求があり、それを12月末までに削って予算の政府原案を作る。その政府原案は、翌年1月からの国会審議で3月末までに成立し、当初予算となって、4月から予算執行される。

 一般会計は、その年度に行われる政策や公共サービスの財源を担保したものだから、各政権それぞれのカラーがある。

 各年度の財政支出水準について、概算要求の段階と当初予算、さらに補正で修正された予算で、それぞれの総額を見ると、以下の通りだ。(図1、図2、図3)


◆図1:予算歳出総額の推移(概算要求、兆円)

◆図2:予算歳出総額の推移(当初予算、兆円)

◆図3:予算歳出総額の推移(含む補正、兆円)


 これを見ると、政権交代によって、水準が大きく変わっていることがわかる。

 民主党政権時代は、途中でリーマンショックがあったこともあって、支出水準が大きくなっている。安倍政権への移行でも変化があった。

 それにもかかわらず、2001 年度から2017年度まで当初予算と概算要求の間には、リーマンショック(2008年9月15日)対応をせざるを得なかった2009年を除き、安定的な関係がある。当初予算は概算要求を4%程度カットした水準で決まっている。

 しかし、当初予算では足りないので、ほとんどの年度において年度途中に補正予算が編成され、それで当初予算に上乗せされる修正が行われている。その場合の歳出総額は、リーマンショックに対応せざるを得なかった09年度と東日本大震災(2011年3月11日)で予算規模を膨らまさざるを得なかった11年度を除いて、もともとの概算要求と同じ水準になっている。これが、筆者のいう経験則である(図4)。

◆図4:当初と補正の概算要求比率の推移



 補正で要求を復活し恩を売る“財務省流”霞が関操縦術

 どうしてこうなるかというと、何のことはない。事後的に見れば、概算要求を4%カットして当初予算を作るが、補正予算でカット分の予算をつけて、当初の概算要求と同じ水準になるわけだ。

 まず、基本的な考え方として、財務省はできるだけ予算を絞り込みたい。

 これは、財務省が国の「金庫番」である以上、仕方がないともいえるが、財政の健全化というのは建前であり、当初予算で絞り込めば、補正予算で復活させた時に、要求官庁がより恩を感じるようにしているだけだ。

 その恩のお返しに、要求官庁傘下の機関への天下りがあるわけで、これは日本のためになっていない。

 本コラムで何度も指摘しているように、本当に財政の健全化を図ろうとするのであれば、まずは名目成長が優先されるべきであり、歳出カットや増税を行うと、結果として財政の健全化から外れてしまう。

 財政の健全化は、筆者も重要だと思うが、現時点ではそれを過度に考慮する必要はない。これは、本コラムで繰り返して述べているように、日銀を含めた「統合政府」バランスシートで考えれば、財政危機という状況でないからだ。

 バランスシートはストックの話なので、フローはどうかなのかという質問も受けるが、ストックのバランスシートからわかることは、広い意味の政府で見て、フロー支出の国債の利払いは、フロー収入の税外収入でかなり賄われていることを意味している。

 この点は、4月29日付け本コラム『「「統合政府」で考えれば、政府の財政再建試算は3年早まる』で既に指摘している。政府の財政中期試算では、税外収入が低く見積もられており、不適切だ。

 財政再建一辺倒マクロ経済の視点欠ける

 いずれにしても、財政の健全化はマクロ経済の回復によって達成されるのに、財務省がマクロ経済からの視点がなく、必要以上に財政危機を煽るのは、日本の大きな構造問題といえよう。

 マクロ経済の観点からの最適解は、冒頭に掲げた8月10日付けの本コラムに書いたように、財政出動20兆円である。これが一気にできなければ、2年に分けてもいい。

 しかし、一向に政府内でその気配はない。財政出動20兆円のうち一部を防衛予算増とするのも、昨今の国際情勢では、世界に向けた有力な政治的メッセージになる。補正予算はそうした絶好の機会であることを、政治家は忘れてはいけない。

 それでは今年度の場合、こうした戦略的な話ではなく、財務省は事務的にどの程度の補正予算とするつもりなのだろうか。ひょっとしたら、補正なしというのもあり得るが、それでは政治的にもたないだろう。そこで、財務省的には、どの程度なら、財政健全化に支障がない許容範囲かという、つまらない次元で考えるのだろう。

 安倍政権で緊縮度増す2兆円規模の補正で終わる?

 それは、安倍政権になってから、年々、補正予算の緊縮度合いが増していることから予想できる。

 実は、最近15年度と16年度では、概算要求から当初予算で5%カットして、補正予算で3%増やすことになっており、概算要求の水準まで達していない。図4の補正で修正された予算と概算要求の比率を見ると、15年度と16年度は平均線を下回っている。

 17年度は、概算要求と当初予算を比べると、これまでの経験則通りに4%カットだった。

 補正予算後の予算総額が15年度と16年度並みの2%カット水準であればどうなるか。

 17年度の概算要求は101.5兆円だったので、概算要求の2%カットだと99.5兆円。当初予算は97.5兆円だったので、補正予算は2兆円程度、総計でも100兆円を切るショボいものになる可能性がある。

 その程度では、「物価目標2%」、それと裏腹の完全雇用になる2%半ばの失業率の達成は到底無理だ。金庫番の財務省が、達成すべきマクロ経済目標を無視しているのだから、、日本経済の本格的な回復が難しいのは当然だろう。

(嘉悦大学教授 高橋洋一)

【私の論評】日本経済復活を阻むボトルネックに成り果てた財務省はこの世から消せ(゚д゚)!

上の記事を読むと、日本経済復活のボトルネックとなっているのが、財務省であるということが良くわかります。

ところで、ボトルネックとは何かといえば、システム設計上の制約の概念です。英語の「瓶の首」の意です。一部(主に化学分野)においては律速(りっそく、「速さ」を「律する(制御する)」要素を示すために使われる)、また『隘路(あいろ)』と言う同意語も存在します。

80-20の法則などが示すように、物事がスムーズに進行しない場合、遅延の原因は全体から見れば小さな部分が要因となり、他所をいくら向上させても状況改善が認められない場合が多いです。このような部分を、ボトルネックといいます。

瓶のサイズがどれほど大きくても、中身の流出量・速度(スループット)は、狭まった首のみに制約を受けることからの連想です。


大きなボトル(瓶)でも通り道が狭いネック(首)になっていると、一定時間当たりの出る液体の量は少なくなってしまいます。「ボトルネック」は、この現象に由来してさまざまなビジネスシーンに利用されているのです。

「ボトルネック」の意味はご理解いただけたでしょうか。ここでは「ボトルネック」の使い方を説明しましょう。
例えば、製造業では生産プロセスの複数の工程のうち、スピードが遅く全体の生産効率の低下をもたらしている工程が「ボトルネック」と呼ばれています。また、ITの業界などではシステムの処理や通信のスピードの低下を招く原因や要因として、「ボトルネック」が使われています。
経営管理では事業戦略上必要な資源の調達が難しい場合に、その資源を戦略遂行上の「ボトルネック」として認識されます。このようにビジネスを進める上で、その目的を困難にさせる問題や障害として「ボトルネック」が使われているわけです。
日本経済の最大のボトルネック(制約条件)は、ご存じの通り「クニノシャッキンガー」という嘘です。私ははこの「クニノシャッキンガー」という嘘、プロパガンダ・レトリックこそが、日本経済の復活の最大のボトル・ネックであると確信しています。
酷い人になると、国の借金どころか、「日本の借金は1000兆円!」と、あたかも「日本国」が外国から多額の借金をしており、財政破綻が迫っているかのごときレトリックを使います。このような主張をする人々は、世界最大の対外純資産国、すなわち「世界一のお金持ち国家」であることを知っているのでしょうか。

テレビ等で「国の借金」「日本の借金」という用語を安易に使う人がいますが、これは明らかな間違いです。本当は「政府の負債」です。そもそも、先に述べたように、日本は外国からお金を借りているわけではなく、世界で一番お金を外国に貸している国だからです。

政府の負債、と聞くと、皆さんは「政府の借り入れ」と認識します。それで正しいわけですが、「日本の借金!」「国の借金!」などという用語を使われると、皆さんはあたかも「自分たちの借金」であるかのごとく感じてしまい、財務省の緊縮財政プロパガンダに洗脳されてしまうわけです。

国の借金1000兆円という報道は以前から行われています。これについては、このブログでも過去何度か掲載してきたことがあります。その典型的なもののリンクを以下に掲載します。
国の借金1000兆円超」に騙されてはいけない 純債務残高は米英より健全 ―【私の論評】嘘を流布する官僚や学者、信じこむ政治家やマスコミは排除すべき時だ(゚д゚)!

詳細は、この記事をごらんいただくものとして、以下に要点だけ述べます。

この記事の結論は、純金融債務だけではなく、純金融資産も多いので、14年度末では、国債を含めた負債総額が1172兆円、資産総額が680兆円でした。つまり、国債を含めた債務残高は、負債から資産を差し引いたネットでみれば、492兆円です。

さらに重要なのは、政府だけではなく、「関連会社」を含めた連結ベースのバランスシートだ。これも公表されているのだが、重要な組織である日銀が連結対象になっていない。そこで、日銀を含めて連結ベースのバランスシートをみると、ネットの債務残高は170兆円にまで減少してしまう。

これが、本当の債務残高の姿である。国内総生産(GDP)比でみると2割以下であり、米国や英国と比較しても小さいです。このような状況ですから、現時点では財政破綻の可能性は極めて小さいです。だかこそ、国債金利がマイナスになるのです。

もし、日本が財政破綻の淵にあるというのなら、国債金利がマイナスになるなどということはありえません。

このようなことは、すでに私も何年もこのブログに繰り返し掲載してきました。さらに、高橋洋一氏などのまともな識者ら(消費税増税による日本経済への影響は警備とした日本の東大を頂点とする経済学の主流派は除きます)も繰り返し、これを主張しています。

しかし、マスコミや財務省は一向に「レトリック」を改めようとしません。そうして、財務省は、上記で高橋洋一氏が指摘しているように、財務省がマクロ経済からの視点がなく、必要以上に財政危機を煽るのは、日本の大きな構造問題です。

そうして、高橋洋一氏が、指摘する「17年度の概算要求は101.5兆円だったので、概算要求の2%カットだと99.5兆円。当初予算は97.5兆円だったので、補正予算は2兆円程度、総計でも100兆円を切るショボいものになる可能性がある」ということが現実になった場合には、また日本経済は低迷するのは目にみえています。

本来は、20兆円必要なのに、2兆円では焼け石に水です。

これでは、本来は日本経済を良くするのが仕事であるはずの財務省自体が、日本経済復活のボトルネックになっているとしかいいようがありません。こういう官庁に対しては、まずは内閣人事局において、徹底的に厳しい人事を実施すべきです。人事を軽く見るべきではありません。

平成26年5月30日、安倍総理は内閣人事局看板掛け及び職員への訓示を行った
人事は、いかなる組織においても、最大のコントロール手段です。その他の手段はどのようなものであれ、人事には及びません。いくら精緻な組織分析をしたとしても、それ自体がコントロール手段となるわけではありません。

役人たちを本当に政府の仕事に貢献させたいのであれば、本当に政府に貢献する人たちに報いなければならないです。それとは、反対に政府に貢献しない人たちには報いないようにしなければならないのです。省庁の組織としての精神は、どのような人たちを昇進させるかによって決まります。

かつてのように、国民や政府などには目もくれず、省益を最大限に重んじる人が昇進するようでは、政治主導など永遠に勝ち取ることはできません。

組織において真に力のあるコントロール手段は、人事の意思決定、特に昇進の決定です。それは組織が信じているもの、望んでいるもの、大事にしているものを組織の全構成員に対して明らかにします。

人事は、いかなる言葉よりも雄弁に語り、いかなる数字よりも明確に真意を明らかにします。

組織内の全員が、息を潜めて人事を見ています。小さな人事の意味まで理解しています。意味のないものにまで意味を付けます。

“国民への貢献”を組織の精神とするためには、誤ると致命的になりかねない“重要な昇進”の決定において、真摯さとともに、経済的な業績を上げる能力を重視しなければならないです。

致命的になりかねない“重要な昇進”とは、明日の高級官僚が選び出される母集団への昇進のことです。それは、組織のピラミッドが急激に狭くなる段階への昇進の決定です。

そこから先の人事は状況が決定していきます。しかし、そこへの人事は、もっぱら政府の下部組織としての価値観に基づいて行なわれるべきです。

高級官僚など、重要な地位を補充するにあたっては、政府の目標と成果に対する貢献の実績、証明済みの能力、政府全体のために働く意欲を重視し、報いなければならないのです。

それでも、ボトルネック状態が払拭できない場合は、財務省を分割するしかないでしょう。ただし、単純に分割すると、財務省は長い時間をかけても、他省庁を植民地にするという習性があるので、財務省を分割した上で、他省庁の下部組織にするという方式で分割すべきです。

もし、これを実施しなければ、旧財務省出身者がいずれかの官庁で、事務次官になり、この事務次官が分割された他省庁の旧財務省出身者と結託して、他省庁を時間をかけて植民化して、実質他省庁を支配し、結局旧財務省と同じようなグループを復活させることになります。

このような分割の仕方をすれば、旧財務省出身者は、どうあがいても、いずれの官庁においても事務次官にまで上り詰めることは不可能になり、政治に対して権力を振るうことは不可能になります。そうして、大蔵省のDNAは、財務省から新体制は受継がれなくなります。

そうして、官僚は本来の業務である、政府の目標設定に従い、専門家的立場から、それを実行するための手段を選び実行するという役割を果たすようになります。前川のような馬鹿で独善的な次官が生まれる余地はなくなります

これで、財務省はすっかりこの世から消えることなります。そうして、全省庁の高級官僚は、左遷されたり、それどころか、自分の属する省庁がこの世から消えることを恐れ、政府の方針に従った仕事をするようになります。そうなれば、日本経済は大復活することになります。

せっかく、内閣人事局を設置したわけですから、安倍政権には少し時間をかけても、これを実行して頂きたいです。これが成功すれば、日本経済が大復活するだけではなく、日本の政治主導の夜明けとなり、良いことずくめです。

稲田問題のリーク源から、安倍内閣「倒閣運動」の深刻度が見えてくる―【私の論評】森・加計・日報問題の背後に財務省(゚д゚)!



2017年9月6日水曜日

みのもんた「北朝鮮のミサイル発射基地を先に破壊するのはどう?」青山繁晴「うおおおおお!」―【私の論評】中途半端は戦争を誘発するだけ(゚д゚)!

みのもんた「北朝鮮のミサイル発射基地を先に破壊するのはどう?」青山繁晴「うおおおおお!」

北朝鮮のミサイル発射問題について、みのもんたが「よるバズ」にてやけに過激な提案を行った。

みのもんた「先に攻撃してしまおう」

みのもんた「待ってるだけじゃなくてさ、撃ちそうなところを先に見つけてその基地をドッカンということはできないの?」

青山繁晴「みのさんの口からそれが出るようになったってことは日本は前進してますよ。そういうの敵基地攻撃能力っていうんですよ」

みのもんた「だって必要じゃない?」

辺真一「みのさんが言っているのは先制攻撃」

青山繁晴「いや先制攻撃ではない」

辺真一「みのさんが言っているのは先制攻撃ですか?」

みのもんた「北朝鮮がミサイルを撃つってアメリカから連絡が来たときに、攻撃する」


辺真一「それって先制攻撃じゃないですか」

みのもんた「まぁ…(笑)でも発射した途端に(基地を攻撃して防衛するというのは)は無理でしょう。」

辺真一「先制攻撃って言葉はやめましょう。予防攻撃ですね」

みのもんた「そうそうそうそう」

青山繁晴「国際法の解釈では先制攻撃ではないと認められるっていう考え方もあります」

吉木誉絵「だからオフェンスとディフェンスの間に位置するもの」

青山繁晴「集団的自衛権の正しい行使だという考え方もあり得ます」

みのもんた「今度安倍さんに会ったら教えてあげよう(笑)」

青山繁晴「今ので北朝鮮は神経びんびんですよ(笑)」


どうやら青山繁晴氏は賛成派で辺真一氏は反対派らしい。話し合いが通じない傍若無人な相手に対してどう対処するのが正しいのか。今回のみのもんたの提案は波紋を呼ぶだろうが、一つの有効な防御策となり得るだろう。

【私の論評】中途半端は戦争を誘発するだけ(゚д゚)!

みのもんた氏の発言は意外でした。しかし、単純に国民の命と生命を守るという立場に立てば、みのもんた氏のように考えるのが、ごく自然なことなのかもしれません。

みのもんた氏の発言はある意味、このブログでもしばしばとりあげている戦略家のルトワック氏による日本の北朝鮮への対応にも匹敵するほどインパクトがあるかもしれません。

これについては、以前このブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
ルトワック博士の緊急警告! 先制攻撃か降伏か 日本が北朝鮮にとるべき選択肢―【私の論評】日本が戦争できる国に変貌することが、アジアに平和をもたらす(゚д゚)!
ルトワック氏
詳細はこの記事を読むか、ルトワック氏の『戦争にチャンスを与えよ』という著書を読んでいただくものとして、ルトワック氏北朝鮮に対する日本の対応としては、降伏と先制攻撃しかないと主張しています。この敵基地攻撃に関しては、国際法の解釈では先制攻撃ではないと認められるっていう考え方もあると青山繁晴氏は語っています。

しかし、国際法の解釈は別にして、敵基地攻撃は先制攻撃になります。なぜなら、相手に悟られたあとで、攻撃をしても何にもならないからです。

以下にこの二点を簡単にまとめます。

北朝鮮への降伏
 第一の方策は、「北朝鮮に降伏(サレンダー)する」というものだ。 
 これは、北朝鮮に対する制裁をすべて解除し、彼らに名誉を与え、国家としての彼らの存在を認めることで、五〇〇キロ以上の射程のミサイルの脅威を取り除く、という道だ。
北朝鮮への先制攻撃
 次の方策は、「北朝鮮を攻撃する」というものだ。しかもこれは、先制攻撃(プリエンプティブ・ストライク)でなければならない。核関連施設を特定しつつ、それらすべてを破壊するのである。 
 ここで覚えておかなければならないのは、北朝鮮のミサイルは、侵入の警告があれば即座に発射されるシステム(LOW)になっているかもしれない、という点だ。このシステムでは、アメリカの航空機やミサイルが侵入してくれば、北朝鮮側の兵士が自動的に発射ボタンを押すことになる。 
 LOWとは、レーダーからの警告に即座に反応することを意味する。彼らは、その警告を聞いた途端にボタンを押すのだ。そうなると、北朝鮮を攻撃すること自体に大きなリスクが伴う。 
 もし北朝鮮を本気で攻撃するのであれば、空からだけでなく地上からの支援も必要だ。地上に要員を配置して、ミサイルをレーザーなどで誘導しなければならないからだ。つまり「現場の兵士」が必要となるのであり、ミサイルの着弾後も、攻撃目標が間違いなく破壊されたかを確認する必要がある。ミサイルが着弾しても、爆発による煙やホコリが落ち着くまで写真撮影は不可能であり、破壊評価が遅れるので、現場の人員が必要になるのだ。そのためには、北朝鮮内に何らかの方法で人員を予め侵入させておき、目標を把握しておかなければならない。
みのもんた氏のブログ冒頭の記事の主張はまさに、北朝鮮への先制攻撃を意味しており、彼の頭の中には、北朝鮮に対して降伏するという選択肢はないようです。そうして、青山繁晴氏は、

そうしてルトワック氏は、「まあ大丈夫だろう」という考えが戦争を招くとしています。これも以下にまとめておきます。

「まあ大丈夫だろう」が戦争を招く
 人間というのは、平時にあると、その状態がいつまでも続くと勘違いをする。これは無理もないことだが、だからこそ、戦争が発生する。なぜなら、彼らは、降伏もせず、敵を買収もせず、友好国への援助もせず、先制攻撃で敵の攻撃力を奪うこともしなかったからである。つまり、何もしなかったから戦争が起きたのだ。 
 いま北朝鮮に関して生じているのは、まさにこのような状況だ。 
 アメリカは、北朝鮮の核開発の阻止に関して何もしていない。アメリカだけではない。他の西側諸国も、中国も、ロシアも、何もしていない。

 要するに、多くの国が、北朝鮮の脅威が現に存在するのに、何も行っていない。「降伏」も、「先制攻撃」も、「抑止」も、「防衛」もせず、「まあ大丈夫だろう」という態度なのだ。 
 これは、雨が降ることが分かっているのに、「今は晴れているから」という理由だけで、傘を持たずに外出するようなものだ。ところが、このような態度が、結果的に戦争を引き起こしてきたのである。
日本も、北朝鮮に対しては、「降伏」も、「先制攻撃」も、「抑止」も、「防衛」もせず、「まあ大丈夫だろう」という態度でした。

この態度が今日の北朝鮮の暴走を招いてしまったのです。今となっては、「降伏」するか「先制攻撃」の2つしかないといえると思います。

日本のマスコミや識者の中には、結局北朝鮮の核ミサイルを認めるべきという人々も大勢いますが、彼らの主張を聴いていると、彼らの頭のなかでは「降伏」をするとまでは考えていないようです。だから、彼らの考えも非常に中途半端なのです。

彼らは、「北朝鮮政府が真に何を望んでいるのかを聞き出し、経済制裁をすべて解除する。祖国への朝鮮総連の送金に対する制限も解除し、金一族を讃える博物館を表参道に建て、北朝鮮に最も美しい大使館を建てさせる」べきであるなどとは言いません。

ただ、「北朝鮮の核ミサイル」を認めるべきだとするだけです。そんなことで本当にすむのでしょうか。仮に日本が認めたとしても、経済制裁も中途半端、朝鮮総連の送金に関しても中途半端、安全保障も中途半端、さらに多くの日本人が金一族を認めないようでは、何にもなりません。

このようなことでは、彼らは一切脅しをやめないでしょう。本当に日本が「降伏」するまで、脅しをやめないでしょう。そういう意味では「北朝鮮の核ミサイル」を認めるという意見は、かなり無責任であり、かえって戦争を誘発するものといえます。

「降伏」するのが嫌なら、選択肢は「先制攻撃」しかないのです。そのためには、日本は敵基地攻撃能力を持たなければならないのです。


 核研究所を視察した金正恩。背後の壁の説明図には火星14号の核弾頭(水素爆弾)と書かれている。
日本としては、攻撃のための航空機や精密誘導爆弾・ミサイル、長距離を飛ぶ巡航ミサイル「トマホーク」に加え、敵の発射拠点の把握や空中給油などの装備を順次整えていけば良いでしょう。最終的には核武装も視野に入れるべきです。

こうして、日本が順次準備を整えていくということになれば、これ自体が北朝鮮に対する牽制となります。北朝鮮の暴挙がエスカレートすれば、日本もこの準備をエスカレートさせれば良いのです。たとえば、核開発する時間を節約し、米国から核を買い取るなどのようなことを宣言してみたり、実際そうしてみせたりするのです。最初は、一発から、それでもエスカレートするなら、日本側もエスカレートさせるとう具合です。

朝鮮半島有事の際は、米軍も対日攻撃用のミサイルばかりたたいていることはできないでしょう。自衛隊が一定の攻撃能力を持つことは、国民の命を守る上で死活的に重要です。

政府は敵基地攻撃能力の保有は合憲との見解を長くとってきました。憲法の平和主義の精神に反するといった反対論は、国民を危険にさらすことになるだけです。

敵基地攻撃能力は、あくまでも自衛のための能力であり、侵略とは結びつくものではありません。与野党ともに現実的な判断をすべきです。

とにかく、「降伏」するか「先制攻撃」をするか2つしか選択肢はないこと、中途半端をすば戦争を誘発するだけになることはしっかりと認識しておくべきです。

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2017年9月5日火曜日

民進党・山尾志桜里議員に私生活をめぐる問題発覚! 週刊文春が“K弁護士”との不倫疑惑を掲載する模様―【私の論評】根本的なコミュニケーション不足が民進党を駄目にした(゚д゚)!

民進党・山尾志桜里議員に私生活をめぐる問題発覚! 週刊文春が“K弁護士”との不倫疑惑を掲載する模様

山尾氏断念の背景を伝えるテレビ東京
民進党の新しい幹事長をめぐり前原新代表が山尾志桜里氏の起用を断念した背景に、山尾氏の私生活をめぐる問題が影響していたことがテレビ東京の取材で分かりました。

関係者によりますと、山尾氏はすでに一部週刊誌に私生活をめぐるスキャンダルについて取材を受けているということです。

前原代表は、山尾氏について幹事長に代えて、代表代行で処遇する方向で調整していますが、党内から更なる異論が出かねない情勢です。
ネット上には、未だ詳細は出ていませんが、以下にこれに関す山本一郎氏のツイートを掲載しておきます。
【私の論評】根本的なコミュニケーション不足が民進党を駄目にした(゚д゚)!

確かに、山尾志桜里氏の不倫等に関しては、ネット上では一部話題になっていましたが、確証がなかったため、このブログにも掲載はして来ませんでした。これで、週刊文春の新しい号が出てからは、この話題は解禁になるということです。

それにしても、これを察知できなかった、前原氏にも問題があるかもしれません。とにかく、企業でもなんでも組織というものは、常に組織の人員に関して熟知していなければ、なかなかつとまりません。

私は、会社で現場にいたときには、日々朝礼などで従業員の変化に気を使っていたものです。数年現場でマネジャーをやってからは、朝礼で従業員の様子を見ていると、今日は誰が調子が悪いとか、注意散漫状態にあるとか、女子の場合は誰が生理であるかもわかった程です。これを把握していないと、後で酷い目にあうこともありました。

その後も、組織に関わる情報、それも正規の会社の組織図上の組織だけではなく、人間の集合体としての、生身の人間の組織に関する情報も極力集めるようにしました。これなしに、組織を効率的にそうして、効果的に動かすことは不可能です。

朝礼をコミュニケーションの場として成り立たせることが管理者の重要な役割でもある
そのため、普段から従業員と食事に行ったり、時々外回りからお菓子を買ってきて、従業員と一緒に話をしながら食べるというようなこともやっていました。それ以外にも、公的なものでも私的なものでも、色々と面倒をみたり、引き受けたりということも意図して意識して行いました。

そのようにして、従業員と様々な関係を構築しておき、コミュニケーションを円滑にしておきました。そうして、このコミュニケーションというのが曲者で、いわゆる「ホウレンソウ」などと巷で言われてるものは、真のコミュニケーションではありません。いくら「報告・連絡・相談」をこまめに行ったとしても、成り立っていないことは、往々にしてみられることです。

そもそも、コミュニケーションとは、「私からあなたへ」「あなたから私へ」と単一方向に伝わるものではありません。コミュニケーションとは、「私達の中の一人から、私達の中のもう一人に伝わる」ものです。饒舌で、しょっちゅう人と話をする人が、コミュニケーションの達人であるとは限らないのです。

だからこそ、普段から組織の中の人々と「私達」といえる関係を意図して意識して構築しておかなければならないのです。これが、構築できなければ、まともな仕事などできません。

民進党ではこのようなコミュニケーションがかなりないがしろにされているのではないでしょうか。
そもそも「私達」という関係を構築していない
間柄ではコミュニケーションは成り立たない
最初に私は山尾志桜里氏が、幹事長と聴いたときには、民進党は彼女を幹事長にしなければならないほど、人材が逼迫しているのかと思いました。と思いながらも、他にもまだふさわしい人物はいるのではと訝しみました。

そうして、今回の山尾氏のスキャンダル発覚で、やはり民進党は党内でのコミュニケーションが十分ではないのだと確信しました。

民進党の旗揚げ
昨年の3月27日、民進党が衆参両院議員合わせて156人の参加によって旗揚げしました。

民進党は、1996年に誕生し、結党20周年目となる民主党が党名を変更することによって誕生した形でした。ただし、英語名はDemocratic Partyと以前のDemocratic Party of Japanとほぼ同じであり、なんとも中途半端です。かつて、財務省は大蔵省から名称変更しましたが、そのときの英語表記はMinistry of Financeとそのままにして、対外的には同じ、国内的には一応名称変更したというのを彷彿させました。

代表は岡田克也氏、幹事長に枝野幸男氏は、政調会長は細野豪志氏に代わり山尾志桜理氏を起用しました。

政治的にいえば、もったいないチャンスを逃したものです。せっかく伝統ある名前を変更したのですから、一気にイメージ・チェンジして政権時の失敗を払拭すべきでした。

そうして、政策に関しては、少なくともマクロ経済政策の基本を押さえるべきでした。そうして、このマクロ経済政策に関しては、保守派、革新派(今やこの分類方法もほとんど意味をなしませんが・・・・)に関係なく、正しい方向性を定めることができるはずです。そうして、これが党を一つまとめる縁になったかもしれません。

その上で、憲法、格差など価値観の違いによって差が出るものについては、おおいに政策論争して、その結果党の方針が定まれば、全党員がそれに従うという形にすれば良かったと思います。

しかし、ご存知のように民進党はこのせっかくの大チャンスを無為にしました。そうして、この大失敗の根底にはコミュニケーション不足があると思います。

前原氏
ここで、前原氏の主張する経済政策を振り返っておきます。前原誠司氏は代表戦では、All for Allを掲げて戦っていました。経済政策もそのAll for Allの精神に基づく、税負担を上げて再分配を重視するという政策です。

彼の政策は慶應義塾大学教授の井出栄策氏の影響を非常に強く受けたものです。そして、枝野幸男氏もこの井出教授と非常に深い関係にあり、前原氏と経済政策に関しては大きく違わないという意見を表明していました。

そのため、前原氏の目指す経済政策、すなわち民進党の目指す経済政策であるといえます。前原氏の経済政策で一番大きく、根幹にあるのが再分配の強化でしょう。

前原氏は、再分配政策をする前の貧困率と分配後の貧困率が、ドイツは8.1から3.3に、フランスでは18.0から6.7に大幅に改善しているのもかかわらず、日本では13.5から12.9とほとんど改善されていないことを指摘しています。

そしてこの原因は、若い世代に対する再分配の冷たさにあることも指摘しています。これを改善するために、老人の分配先を減らすとなると、高齢者が反発されるので、みんなが負担をして、みんなが受益する社会を目指そうといいます。

そして、社会に不安がなくなることで、過剰貯蓄に回るお金が消費に周り、経済が好循環するボトムアップの経済を目指せると語っています。

そうして、例えば現役世代に向けては、教育の無償化、安心して子供を生み育てられる社会の実現、介護士・保育士の処遇改善などを挙げています。

そして、年金に関しては、基礎年金をマクロ経済スライドから外すことで、減らない基礎年金を実現するとしています。

マクロ経済スライドは、簡単にいえば、経済情勢によって年金の額を左右させるという自民党が現在導入しているもので、これは、年金支給年齢を引き上げ、年金の額を減らすためのものだとして、前原氏は批判しているわけです。

そして、これを成し遂げるために当然指摘されるのが財源の問題です。前原氏は全世代の負担という意味で消費税を主眼で考えられている趣旨の発言をしています。

消費税増税を回避して他の財源に頼れば、サラリーマン、中小企業への負担増となり、前原氏の掲げるAll for Allの理念に反するとしています。

そして、低所得者層対策を考えながら、法人税、相続税などのベストミックスを目指すとのことです。

以上のように、前原氏の経済政策には、現在日本がデフレから抜けきっていないにもかかわらず、マクロ経済政策の根幹をなす、景気変動的に対応する金融政策も財政政策も含まれていません。

致命的なのは、経済成長が停滞しているというのに、増税して再分配政策の財源に使うという点です。これに関しては、マクロ経済学でも禁じ手とされているものであり、さらには平成14年度からの消費税の8%増税によって、最早誰もが失敗だったと認めざるをえない悪手であったことが明らかになっています。

今更ながら、なぜ前原氏がもう失敗だったということがはっきりわかっているし、これからも必ず失敗するであろう政策を採用しようとするのか、全く理解に苦しみます。

そんなことよりも、まともな財政政策、金融政策を採用することにより、経済成長をしたうえで、再分配政策を強化するという政策を打ち出したほうがはるかに効果的であり、多くの国民の支持を得られたと思います。

民進党の中には、マクロ経済対策に関してはまともな認識を持っている人も数少ないながら存在します。それは、馬淵澄夫衆議院議員と金子洋一前参議院議員(昨年落選)です。金子洋一氏のようなキーマンを落選させてしまう、民進党の選挙戦略もいかがなものかと思います。

特に、金子氏はカネコノミクスとでも呼びたくなるような経済対策の切れ者です。しかも、彼は元官僚で、霞が関や学者とも戦い合えるぐらいの知識量と実行力があります。

しかし、民進党の幹部はもとより、他の議員たちもカネコノミクスに関心を抱くものはありません。

慶應義塾大学教授の井出栄策氏
前原氏は、慶應義塾大学教授の井出栄策氏を経済ブレーンとしているようですが、私自身は井出氏の主張する経済対策が一体何を意味しているのかほとんど理解不能です。正しいとか間違いなどと言う前に、私には理解不能です。

井手氏の経済対策の理解不能ぶりは以下の記事をご覧下さい。
井手教授のいう「新しいリベラル」がちっとも新しくない件
それよりも、金子氏の主張する経済対策のほうがはるかに理解しやすいです。これについて、ご存知のない方は是非以下の記事をご覧になって下さい。
消費再増税をすればアベノミクスの息の根はとまる
 前原氏は、経済に関して、井出教授の話は聞くようですが、金子洋一氏の話は聞かないようです。金子洋一に関しては、ネットなどで調べればすぐにわかります。

党内にこれほどの、経済に関する切れ者が存在するわけですから、前原氏のような民進党の幹部は少なくとも一度は金子洋一氏と腹を割って話をすべきものと思います。

金子洋一氏
これは、業績の悪い企業にありがちなことですが、経営者が社内の意見を聴かず、社外のコンサルタントなどの意見ばかり重用することがあります。

経営者と社員とは立場が違うので、場合によっては立場の違いにより、社員のいうことなどあてにならないと思えることもあるかもしれません。しかし、社員が社員の立場から述べているということを前提に話を聴けば、それも同じ項目に関して複数の社員から話を聴けば役立つことは極めて多いです。

それは、当然といえば、当然です。何しろ、社員の話は一次情報であることも多いからです。

そうして、普段から社員と真の意味でのコミュニケーションを深めておくことにより、社員から正しい情報が迅速に入ってきやすくなるものです。コミュニケーションが成り立っていなければ、いくら「ホウレンソウ」を綿密にしたところで、まともな情報が迅速に入入ってくることはありません。

民進党の諸悪の根源は、コミュニケーション不足なのかもしれません。民主党は組織としてのコミュニケーションが成立していないのでしょう。だからこそ、まとまりに乏しく、組織としてまとまった行動ができないのだと思います。

もし、組織としてのコミュニケーションが十分に成り立っていれば、山尾氏を幹事長に指名したそのすぐ後で取り消さざるをえないような状況に追い込まれることはなかったと思います。

民進党の組織そのものは、民間企業と比較してさほど大きいものではありません。何しろ、衆参議員あわせて、200人もいないのですから、この中でコミュニケーションを成り立たせることは、本来さほど難しいことではないと思います。このあたりは、業績を上げている中小企業の社長などのほうがはるかに円滑に社内のコミュニケーションを円滑に成り立たせていると思います。

民進党がまともになりたかったら、まずは党内のコミュニケーションを密にするこだと思います。ただし、だからといって「ホウレンソウ」を多くするなどしても、何の役にもたちません。重要なことは民進党の議員らが相互に「私達」といえる関係を築くことです。

今回の山尾志桜里氏の問題は、スキャンダル自体がどうのこうのということ自体はさほど重要ではなく、民進党のコミュニケーション不足を露呈したことのほうがはるかに深刻であると思います。

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