今、首都圏を中心に問題となっているのが、食料・日用品の買い占め問題。ガソリンや乾電池なども、入荷した瞬間に売り切れてしまうため、慢性的な品切れ状態が続いています。
そんな状態を改善しようと、インターネット上では「買い占めやめよう運動」が始まっており、一枚のポスター画像が話題となっています。
「みんなで分け合えば、できること。」から始まるポスターには、トイレットペーパー12ロールで1000人分の被災者が助かったり、パン1斤で1家族分の食事がまかなえたり、お米5キロで120人分のおにぎりが作れたり……と、さまざまな「比較」が分かりやすく描かれています。
日常を維持するために買い占めてしまうと、すでに非日常な状態にある被災者の方々に、いつまで経っても物資は届きません。買う前に、このポスターを見て、もう一度考えてみると良いでしょう。日本人ならできる。ガンバレ、ニッポン!
【私の論評】買占めは、被災地だけでなく被災地以外の弱者にも大きな影響を及ぼします、絶対にやめましょう!!
上の動画は、デザイナーの松本隆応さんのデザインされたポスターを映像化したものです。
被災地でない場所で様々な商品の買占めが続出しています。買占めをしなくても普通に買うことが出来るのに買占めが起きてる為に必要としている人が困っています。
買占めをやめる事も被災地のみなさんへの協力だと思います。買占めはやめましょう!!
この動画は許可無く再配布・再利用可能です。どんどん広めて買占めをやめさせましょう!!
すでに被災地で、せっかく地震や津波で助かったにもかかわらず、命を落とされるかたもでています。計画停電であっても、電気が使えるとか、水道も断水していないような地域の方には、想像もできないような条件下で生活している被災者の方々が、たくさんいらっしゃいます。
買占めをするということは、この人々の生命を脅かすことにもなりかねません。これは、いくら間接的であって目には見えないとはいいながら、許されることではありません。
また、こうした買占めは、被災地の方々ばかりではなく、それ以外に住まれている方にも迷惑や、場合によっては脅かすことにもなりかねません。先日も、都内の一人暮らしのご老人の様子が写されていました。
このご老人、一人暮らしで、体力も落ちているので、遠くまで歩いて行くこともなかなかかなわず、食料品の調達はもっぱら近くのコンビニに頼っています。先日この方が、コンビニに買い物に行く姿が放映されていましたが、おにぎり、お弁当などすっかり棚から姿を消し、何かパンのようなものなど買っておられました。
ご当人も、「仕方ないですね」と当惑した面持ちでした。ガソリンの給油も制限されているようですが、車で遠くまで買い物に行くこともできる人が近くのコンビニで買占めをするとこういう事態を招いてしまうのです。
こうしたことが積み重なれば、大変な事態を招いてしまうことにもなりかねません。
こうしたときには、皆で助け合うのが本来の日本人の姿だと思います。買占めなどせずに、近くにご老人がいるなら買い物の手助けをするとか、遠いところまで、車で自分だけで買いもの行くなどせず、こうしたご老人も含めて他の人も乗せてあげるなどの手助けをすることを考えましょう。
本当にこのポスターや動画を見て欲しい方の中には、ひよっとしてネットに疎い方も多いのではないかと思いますが、ネットを通してこのポスターや動画の存在を知った人から積極的に働きかけをしてみるというのもいいかもしれません。
今、行政やマスコミだけでなく、被災地にいる方々からも「買占めをしないで」という声が挙がっています。自分ひとりくらい…その気持ちが大きな障害となり、結果として被災地への物資流通を妨げたり、被災地以外に住んでいる弱者の方々にさえ、悪い影響を及ぼしているのです。
【関連記事】
9 件のコメント:
買い占めを止めようと言われる時に
不謹慎かも知れませんが、私は買い占めと言うより、家庭における備蓄をするべきだと思います。
最低、米を半年分位玄米で備蓄して、
暮らして行くべきではないでしょうか。
地震だけではなく、飢饉もあるかもしれません。
大東亜戦争の前、金持ちは古米を食べ
(1年分備蓄をしていた)
貧乏人は新米を食べていたそうです。
今の日本は貧乏な国になったのだろうなあと思う時があります。
トイレットペーパーに関して私は提案があります。
タイ人が、トイレで紙を使わず水で肛門を洗う事を知って以来、私はタイ式
でやっているのですが、紙の使用量が
激減しました。
私は消費行動は常に変化していくものだと思います。
こんにちは、ご無沙汰しております。
個人的に北関東から東北にかけて友人が幾人かいて、幸い皆と連絡は取れましたが、やはりご親戚に亡くなられた方がいて、何人かは以前に挨拶程度なものの交わしたことがあったものですから、なんともやりきれない気持ちで過ごしているところで……
ともかく、北海道はそう影響がなかったようで、幸いなことと思います。
さて、確かに買占めというのは余り勧められたことではないとは思うものの、それが派生して一種の「清貧」的なブーム、ひいては「欲しがりません勝つまでは」的な強制になり、社会的に消費を抑制してしまうことになるのは、経済に良くないことと思うのですが。それこそ民主党の増税政策の後押しをしてしまうのではないかと。
震災前までは、慈善事業に寄付をしている者(因みに個人的にブログで得たアフィリエイト収益はずっと寄付してきているのですが)を笑いものにしていた吉本興業の芸人なんかが、ツイッターを舞台に、自腹を切らずに物資を集めては「震災ごっこ」している様を見ますと、そう感じますね。個人的に、阪神淡路大震災で、援助物資が沢山、腐ったり、余ったりしてゴミになる様も見ましたから、余計に。
今回の品薄、品不足はつまり、物流が問題で、被災地に向けての物資についも、被災地情報の収集不足と不手際、また要のガソリンや軽油を用意しておくのを忘れていた、そんな根本的なところでの粗忽が最大の問題ですよ。東京で多少モノを買わずに我慢したって、さして被災者のためにならないのです。
被災しなかった方々、とくに西日本の方々には、いつものようにいつもごとく消費して、それこそ今だからこそ、これを機会に欲しかったものを買ったりして、経済を活性化することが、寧ろ必要なんじゃないかと考えますね。
ガンガン働いて、ドンドン稼いで、チョクチョク買い物をして、果たして被災した方々が生活や仕事に向き合えるようになった時に分かち合える豊かさを、今こそ作り、蓄えるときなんじゃないでしょうか。
甘いですかね。
当方は被災地からも東京からも遠く離れた中部地方ですが、スーパーやコンビニの品ぞろえは多少悪くなってます。とはいえ、すぐに食うに困る程ではないです。
近所のスーパーでは点灯している照明の数を減らし、暖房も落としていました。「みんなで分け合えば、えきること」の画像をプリントアウトして貼り出していましたね。
被災地は仕方ないにしても、東京についてはもう少し落ち着いたらどうかと思います。尤も政府もマスコミも不安を煽ることばかりしてますが…
哲様 コメント有難うございます。現状で、家庭にあまり備蓄されていることのない状況では、やはり、買占めはすべきではないと思います。ただし、これからは、ある程度備蓄も必要だと思います。アメリカあたりだと、瓶詰め、缶詰が今でも一般家庭に備蓄されています。庭にバーベキュー用のグリルがあれば、薪を拾ってきて、それですぐに暖かい料理ができるなどのことが考えられます。
大東亜戦争直後に闇米をいっさい食べなかった、裁判官が死亡したなどという話もあります。もし、この米が通常の流通経路にまわっていれば、この裁判官も死亡せずにすんだと思います。これと同様に、過度の買占めは、被災地の方に影響を及ぼす可能性が高いです。過度の買占めは、ここ一月くらいはやめておいたほうが無難だと思います。
かせっち様 コメント有難うございます。東京は、それこそ、石原知事が失言していたように、我欲の塊なのかもしれません。政治家は、政局のこと、マスコミは視聴率のことばかり考えているのかもしれません。こちら、函館でも、先日スーパーに行ったら、米が品薄になっていました。それ以外では、だいたい普段どおりでした。
私のブログへの訪問&コメントありがとうございます。全然ジャンルの違う方からなのでビックリしましたけど…
あくまで私の考えですが、こういう機会に備蓄を考えるのはいいことですが、やはり周囲や状況に流されるように備蓄品を買い漁ったりする人というのは、数年後には備蓄や対策というものを忘れてしまうように感じます。
今、被災地以外の人に必要なのは、被災地に対する支援と、自分に対する戒めや認識の改めなのではないでしょうか
何が大切で何が必要なのか本当によく考えることが必要なのだと感じています
*動画やポスターを私のブログでも使用させていただきますね
ブログ【勇往邁進】
ren8553 様、コメント有難うございます。備蓄といえば、スイスの教会では、今でも、パンは年に一度まとめて焼いてしまい、あとは貯蔵庫にしまいこんで、年に一度焼いたばかりのときだけ新しいパンを食べているというところが今でもあります。
教会の神父など、いつも1年近く前に焼いたパンを食べているわけです。でも、これって、やはり、災害や戦争などへの備えということでやっているのだと思います。
いざ災害などおこったとき、教会は、いっとき信者の被災者などが、非難する先にもなります。そんなときに、パンがいつも1年間も備蓄してあれば、大勢の人が非難してきても、当面の食事に困ることはないですから。それから、チーズや、ワインもそのようにして備蓄しています。素晴らしい知恵だと思います。いざというときでも、ちよっとした火があれば、いつでもチーズフォンデュはいただけるわけです。
こうしたことを考えると、日本人は随分平和ぼけになってしまったのかもしれません。昔のお城など、一番下の倉庫には、米などの食料や水などが備蓄してあり、壁には、味噌が塗りこんであったりで、いざ兵糧攻めにあっても、しばらくは持ちこたえることができました。
私のところなんて、スーパーが歩いて3分くらいのところにありますから、備蓄なんてほとんど考えたことがありません。しかし、いざ何かがあれば、スーパーだって閉店するということもありうるわけですから、こいつは、少し、落ち着いたら考えなければならないと思います。
これからも、お気軽にお立ちよりください!!
今は、買い占めるべきでは無いと書くべきでした。すみません。
米の備蓄は、この震災が落ち着いた時に考えるべきだと考えます。
ただ、米の備蓄は結構大変で、農家向けの米貯蔵機を研究していて、常の気配りが必要になります。人生の意味さえ考えなければならないほどの価値観の変更を伴わなければ、各個人宅の米貯蔵は出来ないと思うのです。
スーパーに行くたびに、私は不思議な感覚に陥ります。なぜこんなに食べ物が溢れているのだろうか?と。
こんな状況が永遠に続くのだろうか?
続くわけがありません。
日本昔話と云うテレビ番組で、
ある長者が隣村に娘が嫁入りする時。
娘が地面を歩かないように、餅をついて鏡餅の様な大きな餅を娘が歩く地面の上に置いて、敷石のようにしたそうです。
娘がこの餅の上を歩き始めた時、餅が白鳥に変わって飛び去ったと言うのです。この日以来長者の家は衰退していったと云う昔話でした。
今の先進国は皆、この長者みたいな気がします。
哲さま、再度コメント有難うございます。投稿の趣旨は、十分理解していたのですが、このブログを訪れた他の人が読んだときの印象など考え、多少失礼かなとも思いましたが、先のコメント対応をさせていただきました。
おっしゃるとおり、今の先進国は、コメントの中の長者のようになってしまっていると思います。特に、日本はその程度が強いと思います。震災の影響がほとんどない地域の買占め行動など、まさにその典型だと思います。
しかし、哲様のように、戦後の混乱期、オイルショックのときの物資不足の時代を経てきた方々と現在の若い世代とは、経験の幅が全く異なります。直接の震災地は別として、東京などでは、こういう世代の方々にとっては、良い訓練になったのではないかと思います。災害などになれば、何が必要かとか、何が最初に小売店から消えるのかとか、いろいろと勉強になったのではないかと思います。これで、各家庭の備蓄もすくなくとも、アメリカやEUなみにはなるかもしれません。
いずれにせよ、今回の震災により、日本が速く復興するとともに、いざというときの備えなど、各家庭でも真摯に取り組むきっかけになればと思います。
コメントを投稿