2011年3月29日火曜日

宮城県南三陸町遠藤未希さんの行方不明―【私の論評】今の政治家は、遠藤さんの爪のアカでも煎じて飲め!!

宮城県南三陸町遠藤未希さんの行方不明


東日本大震災の発生から3日目の13日、明らかになりつつある被害状況は拡大の一途をたどり、死者が1万人単位に及ぶとの見方も出てきた。難航する救出作業、あふれる避難所、行き届かない食料や物資。福島第1原発1号機の爆発事故で、新たに約8万人の住民が避難を余儀なくされ、想像を絶する巨大地震に襲われた被災地は、大きな不安や疲労に包まれた夜を迎えた。

「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。

難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。

遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。

地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。

芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。

芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」

高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。

■韓国中央日報の論評

  運命は選択できないが、運命に対する姿勢は選択できる。 自然による大災難の前に茫然自失しながらも、悲しみを胸の奥深くに抑える日本人を見ながら感じることだ。 悲嘆の中でもしっかりと耐える日本人こそ、「アモールファティ(amor fati)」、すなわち「運命を愛する」という、2500年前のストア哲学の神髄を内面化した人たちだという気がする。

  逆境は感動を生むという。 いま多くの感動ストーリーが出てきているが、最近メディアに報道されたある公職者の行方不明は特に心を引きつける。 宮城県南三陸町の町役場危機管理課職員、遠藤未希さんだ。 遠藤さんは津波が押し寄せてくる時、「早く逃げてください。 6メートルの波があります」と最後まで放送を続け、結局、津波にのまれた。 25歳の最も美しい年齢で、住民を救おうとマイクを放さず行方不明になった遠藤さんの哀切な話は、一つの静かな感動だ。

 日本が地震による大災難を乗り越えて立ち上がるのは時間の問題だ。 円高が維持されているからでもなく、日本政府が莫大な資金を供給しているからでもない。 混とんの中でも落ち着きと節制を失わない市民の精神が生きていて、住民のためにマイクを最期まで放さない公人精神が残っているということ、これ以上の災難克服意志を示す証拠はない。

遠藤さんの場合、町役場の末端職員などという考えはなく、住民の安全の責任を負った最高の公職者のように行動した。 彼女の行為を見ると、果たして公職者とはどういう存在かと考えさせられる。 国は違うとしても、自分の共同体のために最善を尽くさなければならないという義務感においては何も変わらないからだ。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138290

【私の論評】今の政治家は、遠藤さんの爪のアカでも煎じて飲め!!
私は、昨日のブログで、日本の真の強みを、日本に古から根づいている、天皇制を頂点とする伝統文化であると掲載しました。日本の伝統文化は、天皇制を抜きに語ることはできません。今回の震災によって、すっかり消えたか、風前のともし火のようになっていると思われていた、日本の伝統文化が、根底では人々の心の中に息づいていたということです。

遠藤さんにも、根底にこのような文化が根付いてたのだと思いす。遠藤さんは、最後の最後まで、自分の安全よりも、住民の避難を優先させたのだと思います。

上の中央日報の論評では、最後のほうで、以下のように記されています。

国は違うとしても、自分の共同体のために最善を尽くさなければならないという義務感においては何も変わらないからだ。

昨日のブログにも書いたように、コミュニティーを設立するためには、その大儀が一番重要です。それが、なければ、コミュニティーはすぐに分裂してしまいます。日本では、こうした共同体を人為的に作らなくても、最初から存在しているということです。そうです。それこそが、天皇制を要とする日本の伝統文化です。

遠藤さんの心にも、こうした大義が刻み混まれていたのだと思います。だからこそ、最後まで、自分の義務を全うしたのです。

しかるに、今の政治家どもはどうなっているのでしょうか?彼らは、日本という大きな共同体の大義を本当に共有しているのでしょうか?

上の、中央日報の記事では、遠藤さんのことを最高の公職者のように行動したと記述しています。日本の伝統文化である、道徳とか、徳というものは、普遍的なものであり、身分などには関係のないものです。まさに、日本的な心を持つた人だっのだと思います。

遠藤さんは、自分の町の住人を守るという自らの義務に殉じたのです。いざというときには、自らの命をもってさえ、義務を履行するという昔からの日本人の生き方を体現するような自己犠牲だったと思います。

しかしながら、今の政治家はどうでしょうか。日々、政局を追いかけ、国民などおきざりです。共同体には共同体の大義があります。国には、国の大義があります。

この大義を共有できなければ、共同体は成り立ちません。自分のことだけではなく、家族のこと、人のこと、町のこと、そうして、大きくは、国のこと、世界のことを考えなければ、なにもかもが成り立ちません。遠藤さんは、このような大義を間違いなく、共有していました。しかし、今の政治家は、本当に国の大義を共有しているのでしょうか?

多くの政治家が勘違いしていることがあります。今の政治家に足りないのは、知識ではありません。情報でもありません。経験でもありません。ましてや、アイディアでも、能力でもありません。それは、遠藤さんが、町民の方々と共有していた大義と同じような、国の大義です。政治家が、国の大義を国民と共有しているということです。これなし、国政を司ることはできません。

国民は、政治家が、知識や、情報が足りないとか、経験が足りないということに関しては、許容してくれるかもしれません。しかし、大義を国民と共有していないということだけは絶対に許さないでしょう。また、大儀があるかのように偽ることは、さらに絶対に許すことはないでしょう。

こうした趣旨から、今の政治家は、本当に、遠藤さんの爪の垢を煎じて飲むべきです。

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