都内戦災並びに関東大震災遭難者春季慰霊大法要で焼香 する人たち=10日午前、墨田区横網の東京都慰霊堂 |
約10万人が亡くなった東京大空襲から69年となった10日、犠牲者らの遺骨が安置されている東京都慰霊堂(東京都墨田区)で法要が営まれた。法要には遺族ら約400人が出席。平和への誓いを新たにした。秋篠宮ご夫妻も参列し、焼香された。
舛添要一都知事は「東日本大震災の傷跡はいまだ消えていない」とした上で、「都民が安心して暮らせる首都東京の創造を改めて誓う」と追悼の辞を述べた。
大空襲で祖父母や弟、叔母らを亡くした豊島区の若松紀子さん(73)は「4歳で両親と逃げた。乳母車の中から鉛色の(米爆撃機)B29が飛んでいるのが目の前に見えた。都電の乗客がこちらに手を振っていたが、火に包まれ助けを求めていたようだ」と振り返った。
父の慰霊に来たという練馬区の鈴木浩一さん(88)は大空襲の際、工場で当直をしていたために難を逃れた。母や妹とともに父を探しまわったが、遺体はおろか自宅すら見つけられなかった。「遺品は岐阜県の実家に送られた英語や漢文の本。取り寄せて今も大切に持っている」と父をしのんだ。
両親と2人の姉、弟を失い、疎開先で生き残ったという中野区の深山君子さん(78)は「墓に入れる遺骨もない。小学6年のころから毎年、ここに家族がいると信じて会いに来ている」と手を合わせていた。
東京大空襲は昭和20年3月10日未明に発生。米爆撃機B29が現在の東京都江東区、墨田区などに焼夷(しょうい)弾を投下した。死者は10万人以上、焼失家屋は27万戸とされる。都では犠牲者名簿をまとめており、昨年に新たに犠牲者209人の氏名が判明。計8万150人分が慰霊堂脇の祈念碑に納められている。
【私の論評】この戦争犯罪の歴史的事実は、いつまでも記憶にとどめておくべき!!許すまじこの残虐非道(゚д゚)!
およそ10万人が死亡したとされる太平洋戦争末期の東京大空襲からきょうで69年です。犠牲者らの遺骨が安置されている墨田区の東京都慰霊堂では法要が営まれました。
東京大空襲の被害者の写真1 何度みても絶句・・・・・・・ |
墨田区の東京都慰霊堂で営まれた法要には秋篠宮ご夫妻や舛添知事、それに遺族らが参列し、犠牲者の冥福と平和を祈りました。東京大空襲は1945年3月10日の未明にあり、300機を超えるアメリカの爆撃機B29が大量の焼夷弾を無差別に投下しました。いまの墨田区や江東区、それに台東区などを中心に住宅およそ26万7000戸が全焼し、街は一面焼け野原となりました。舛添知事は「恒久平和と永続的な安全を実現するため、私たちはより一層の努力をするとともに戦争の悲惨さと天災の脅威を語り継ぎ、平和の世界を次世代への財産として引き継いでいかねばなりません」と述べました。
東京大空襲の写真 2 |
都によりますと去年1年間で新たに209人の犠牲者の名前が分かり、慰霊堂近くの祈念碑の内部に保管されている犠牲者名簿の数は合わせて8万150人となりました。
悪名高きこの爆撃の責任者、カーチス・ルメイの前任者ヘイウッド・ハンセルは精密爆撃の提唱者であり、すくなくとも絨毯爆撃を嫌っていました。しかし、1945年当時は高高度からの精密爆撃の成功率は低く、彼は更迭されてしまいました。
米軍による東京大空襲前後の比較写真 |
ハンセルに代わって登場したのがルメイでした。しかし、彼が「東京を火の海にすべきである」と主張したのではありませんでした。彼は、実行者です。
東京大空襲実行者のカーチス・ルメイ |
この東京空襲は、(1)飛行機工場などの軍需工場を目標に、(2)日中、(3)高度1万メートルの上空から爆弾を投下するもので、命中率は平均5%程度にすぎませんでした。
ルーズベルト大統領 |
爆撃前の前の年の、12月29日、ホワイトハウスでルーズベルト大統領、マーシャル参謀総長らを含む秘密の作戦会議が開かれ、日本本土爆撃作戦を再検討しました。そこで決まったのは、(1)民間人を直接の対象とし、(2)夜間、(3)低空飛行で焼夷弾を投下する、戦時国際法違反の「無差別爆撃」でした。
マーシャル参謀総長 |
●最大の戦争犯罪のひとつ
この作戦変更に伴い、マリアナ3島の司令官のクビがすげ替えられた。民間人の家屋を焼く焼夷弾攻撃に反対していたハンセル少将にかわって、ドイツ・ハンブルクの絨毯(じゅうたん)爆撃をやり遂げたカーチス・ルメイ少将が任命されました。
ルメイは江戸時代の大火の50%が3月上旬に集中していることを調べ上げました。春先の強風が吹くこの時期が作戦には最も効果的だと分かりました。3月10日は日露戦争の奉天会戦で日本が勝利した陸軍記念日でもありました。
前日、マリアナ諸島を飛び立った325機のB29は、少量に抑えた燃料と満載の焼夷弾を抱えて東京を目指した。作戦計画に従ってまず、正方形と2本の対角線のライン上に焼夷弾を落として火の壁をつくり、住民の退路を断った上で、1平方メートル当たり3発、総重量2700トンの焼夷弾を、雨あられと無辜(むこ)の市民の頭上に降り注いだのです。
ルメイは戦後、「もし、アメリカが戦争に負けていたら、私は間違いなく戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」と述べています。一夜にして10万の市民を焼き殺した「東京大空襲」は、第二次世界大戦の最大の戦争犯罪の一つです。
なぜ、軍人でもない無辜の東京都民をこれだけ、殺害する必要があったのでしょうか。しかも、敗戦濃厚になっていたあの時期に・・・・・・。これを実行したからといって、当時のアメリカ軍にとって、さらに戦争を有利に進められるなどということは考えられません。軍事私設だったらまだしも・・・・・・・。
これは、人類に対する冒涜であり、どの観点からみても、戦争犯罪です。上の記事では、"去年1年間で新たに209人の犠牲者の名前が分かり"という記述がありますが、戦後69年たっても、まだ新たに犠牲者の名前が明らかになったということです。10万人もの人々がほぼ同時亡くなったわけですから、情報など散逸してわからなくなってしまうのは、当然であり、だからこそ、69年たってもこのようなことがあるのだと思います。
このようなことを見ても、たとえば南京虐殺数十万などということは単なる虚構にすぎないことがわかります。事実であれば、現在でも犠牲者の名前が新たに発見されるということが頻繁にあるはずです。
従軍慰安婦問題だってそうです。20万も強制的に連行すれば、その痕跡は絶対にはっきりと残ります。そうして、今でも、新たに名前がでてくるなどということもあるはずです。
それにしても、その後東京・大阪のような大都市だけではなく、日本のある程度以上の大きな都市全部にわたって、この後も爆撃を続け、さらに原子爆弾を2個まで落とすなど、この悪行とても人間技と思えません。
広島に投下された原子爆弾 |
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