2026年2月12日木曜日

理念では国家は動かない ──テクノロジスト国家・日本再設計論



まとめ
  • 本稿は、日本が衰退したのではなく、「設計を止めた」ことが停滞の本質であると喝破する。伊勢神宮の式年遷宮や高度成長期の工程思想に見るように、我が国は本来、更新を制度化できる国家だった。その循環が弱まった転換点として日銀ショックを再検証する。
  • さらに、ソ連の五カ年計画との対比を通じて、「優秀な設計者がいれば国は救える」という幻想を退ける。必要なのは万能の指導者ではなく、設計→実装→検証→改善を回し続ける責任構造であることを示す。
  • 最後に、エネルギーと安全保障という最前線の具体例から、理念ではなく工程で国家を立て直す道筋を提示する。読後には、日本再設計の論点が一本の線として見えるはずだ。

国家は理念で動いているのではない。設計で動いているのだ。

安全保障も、エネルギーも、AIも同じである。正しいことを言っているかどうかではない。実装できるかどうかで決まる。政策が国力になるかどうかは、言葉の美しさではなく、工程に落ちているかどうかで決まる。いま世界で起きているのは思想の競争ではない。設計能力の競争である。

1️⃣知識社会が突きつけた責任

高度成長期のシンボルでもあった新幹線

経営学の大家ドラッカーは、日本の成功を西洋化の結果とは見なさなかった。制度を真似たから成功したのではない。それを自国の構造に合わせて作り替え、動かせる仕組みにしたから成功したのだと見たのである。彼が評価したのは思想ではない。知識を組織として動かす能力であった。

国家の強さを決めるのは、理念を語る力ではない。理念を仕組みに変え、動かし、その結果まで引き受ける責任である。設計とは図面を書くことではない。動かし、検証し、誤りがあれば直すところまで含めて設計である。

この「設計から修正までを引き受ける責任」を担う存在を、ここではテクノロジストと呼ぶ。単なる技術者ではない。理念を工程に落とし、制度を組み立て、実装し、結果に責任を持つ者である。うまくいかなかったときに直し切るところまで責任を持つ者である。

我が国はかつて、その責任を引き受ける政治を持っていた。 少なくとも、高度成長期まではそうだった。ところがその後急速にそうではなくなってしまった。

知識社会に入ったいま、この責任はさらに重い。情報は増え、理論も増え、専門家も増えた。しかし知識が増えることと、国家が強くなることは別である。社会実装の速度、修正の速さ、工程を回し続ける力が国力を決める。そこまで引き受ける者こそがテクノロジストである。

2️⃣伊勢神宮の式年遷宮と高度成長が示した設計思想

「第63回神宮式年遷宮」のため長野県で切り出され伊勢へ向かうご神木が 昨年6が7日、一宮市内に入った

我が国の奥底には、保存ではなく更新によって永続するという発想がある。その制度化された姿が、伊勢神宮の式年遷宮である。二十年ごとに社殿を建て替えるこの仕組みは、単なる伝統維持ではない。外形を守りながら、工程、資源管理、技術継承を計画的に更新し続ける制度である。

木材は長期にわたって育てられ、職人は世代を超えて育成され、工程は緻密に組み立てられる。理念だけでは社殿は建たない。工程設計があるから更新が続く。伊勢神宮の式年遷宮は、更新を制度に組み込んだ設計思想そのものである。

この構造は近代日本にも受け継がれた。戦後高度成長期までの政治は、理念より工程を重んじた。産業政策、エネルギー供給網整備、交通インフラ建設は、段階的実装を前提とした国家設計であった。設計し、動かし、検証し、改善する循環が回っていたのである。

製造業も同じだ。トヨタ自動車が確立した生産方式は、改善を精神論にしなかった。問題が起きればラインを止め、原因を突き止め、標準を更新する。設計は固定しない。実装の結果を前提に設計を変える。この循環が競争力を生んだ。

伊勢神宮の式年遷宮とカイゼンは別物ではない。どちらも更新を制度に組み込んでいる。我が国はこの循環を国家レベルでも企業レベルでも回していた。だから成長したのである。理念が優れていたからではない。設計が動いていたからである。

3️⃣日銀ショックと止まった修正

転換点は1990年代初頭である。一般に「バブル崩壊」と呼ばれる。しかしそれは、自然に弾けた泡ではない。政策によって引き起こされた急激な信用収縮の結果である。

当時、一部では「狂乱物価」という言葉まで使われた。しかし消費者物価は安定していた。生活必需品の価格が暴騰していたわけではない。インフレ経済ではなかった。単純に景気が良い状況だったのである。

土地や株価は確かに急騰していた。しかし資産価格の上昇と生活物価の暴騰は別問題である。この区別を曖昧にしたまま、その局面で急速な金融引き締めが行われた。公定歩合引き上げ、総量規制、信用収縮。これは 「バブル崩壊」というより「日銀ショック」と呼ぶべきである。

さらに問題は引き締めそのものではない。その後である。信用収縮は長期化し、不良債権は固定化し、設備投資は止まった。財政政策も緊縮に傾き、増税と歳出抑制が繰り返された。需要不足は慢性化し、名目成長率は長く低迷した。

本来であれば、誤った設計は修正されるべきである。それが設計者の責任である。しかし金融引き締め思想と財政緊縮思想は長期に維持された。修正の循環が十分に働かなかった。ここで我が国は、最も大事なものを失った。誤りを認めて直し切るという、設計の本体を失ったのである。

 ソ連時代の五カ年計画のポスター

ここで思い出すべきなのがソ連の五カ年計画である。そこでは国家経済を巨大な設計図として管理し、優秀な設計主任が合理的に設計すれば成功するという前提があった。優秀なテクノロジストが設計すれば、あとはすべてうまくいくという思い込みである。

しかしその前提こそが誤りであった。完璧な図面を書けばすべてうまくいくという発想である。設計は上から与えられ、現場は従うだけでよいという構造である。結果はどうなったか。計画は硬直化し、現場の情報は吸い上げられず、修正は制度として機能しなかった。設計が固定された瞬間、それは設計ではなく命令になる。

ここに重大な教訓がある。テクノロジストは万能の設計者ではない。完璧な図面を書く者ではない。現場からの情報を受け取り、設計を更新し続ける者である。誤りを認め、直し続ける責任を負う者である。テクノロジストの価値は、外さないことではない。外したときに修正できることである。

我が国の長期停滞は、設計思想の修正が遅れた結果である。設計は固定してはならない。回し続けなければならない。

エネルギー政策でも同じである。脱炭素という言葉だけでは電力は安定しない。原子力をどう位置づけるのか。小型モジュール炉を平時にどう配置し、有事にどう優先供給するのか。LNGをどう確保するのか。工程設計がなければ理念は空語になる。

安全保障も同じだ。御花畑理論では抑止は成立しない。弾薬備蓄、補給路、輸送能力という具体的工程がなければ抑止は機能しない。

問われているのは、優秀な人物がいるかどうかではない。設計→実装→検証→改善の循環を制度として回せるかどうかである。

結語

理念は必要である。しかし理念だけでは国家は守れない。設計し、動かし、検証し、直す。この循環を担う者こそがテクノロジストである。

伊勢神宮の式年遷宮が示す更新思想と、高度成長期の工程設計は、それが可能であったことを示している。しかし1990年代以降、その循環は弱まった。

いま必要なのは新しいスローガンではない。再設計である。実装まで責任を持つ政治である。

実装できる国家だけが、生き残るのである。

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