まとめ
- 高市首相の施政方針演説を単なる政策発表としてではなく、国家の生存戦略の転換点として読み解く。研究開発投資、半導体、GX、エネルギー安全保障を一本の線で結び、「能力国家」への移行を明らかにする。
- テクノクラート国家とテクノロジスト国家の決定的な違いを提示する。帳簿と制度を守る国家か、成果と責任を引き受ける国家か。脳外科医の比喩を通じて、国家が負うべき「結果責任」の本質を浮かび上がらせる。
- 常若の国という日本本来の思想と、現場を尊重する社会の伝統を国家設計にどう組み込むかを示す。能力投資を削った未来と、能力を更新し続ける未来の分岐点を描き、読者自身に「どちらを選ぶのか」と問いを突きつける。
国家は帳簿で生きるのではない。能力で生きる。
この単純な事実を、我が国は長く見失ってきた。
2月20日の高市早苗首相による施政方針演説は、その転換点を示すものであった。研究開発投資の複数年度化、長期基金の活用、ラピダス支援、熊本TSMC工場への補助、経済安全保障推進法の強化、GX推進戦略。これらは一見ばらばらに見えるが、軸は1つである。国内に生産能力と供給能力を保持し続ける国家へ戻すことである。
GXもまた理念先行の脱炭素政策ではない。電源の安定確保と産業基盤の維持という安全保障の問題へと重心を移しつつある。再生可能エネルギーの設備利用率は太陽光で約15%、風力で20〜30%にとどまる。出力変動問題は現実であり、九州では出力抑制が常態化している。これを直視せずに電源構成を語ることはできない。一方で原子力は高い設備利用率を持ち、次世代革新炉やSMRは半導体工場やデータセンターの基盤電源となり得る。
我が国のエネルギー政策は失敗ばかりではない。私が「ガス帝国」と呼んできたように、日本は長期契約、上流権益、LNG船団、受入基地整備によって供給網を築いてきた。2022年以降の危機において、日本の価格上昇はあったが、欧州のような産業崩壊級の混乱には至らなかった。理念ではなく、現場が積み上げた実践能力の成果である。
2️⃣常若の思想と現場社会の伝統
| 「第63回神宮式年遷宮」のため長野県で切り出され伊勢へ向かうご神木が 昨年6が7日、一宮市内に入った |
国家は制度で存続するのではない。能力で存続する。
しかし我が国はもともと能力を軽んじる社会ではなかった。戦後の躍進は制度理論の勝利ではない。トヨタのカイゼン、品質管理、町工場の技能集積。理論より実装、帳簿より製品という文化が社会の底流にあった。現場を尊重する社会的伝統があったのである。
この精神は伊勢神宮の式年遷宮に凝縮されている。式年遷宮は保存ではない。更新である。建物を残すのではなく、建て替える能力を守る制度である。技能、供給網、共同体の動員力を周期的に再生産する。
常若とは、能力更新を止めない思想である。
しかし1990年代以降、制度整合性と財政均衡が前面に出た。半導体ロジック分野の主導権は海外へ移り、エネルギー構造は依然として輸入依存を抱えている。制度は整っているが、能力は痩せる。この逆転が進んだのである。
国家生存条件は明快である。生産能力、エネルギー供給能力、防衛・抑止能力。この3つを更新し続けなければ国家は静かに縮小する。常若の国とは、現場社会の伝統を国家設計に組み込み、能力更新を止めない国家である。
3️⃣テクノクラートか、テクノロジストか
ここで統治思想の違いが浮き彫りになる。
テクノクラートとは、制度設計と数値管理に長けた専門家である。財政規律、均衡、ルールの整合性を優先する。その統治は安定をもたらす。しかし制度が整っても半導体を製造できなければ主導権は握れず、電源が不安定なら産業は立地しない。制度は能力の代替にはならない。
対照的に、テクノロジストとは何か。
テクノとは理論を成果に変換する実践能力である。しかしテクノロジストは単なる技術執行者ではない。成果の帰結に責任を負う決断者である。
脳外科医を考えればよい。腫瘍を可能な限り摘出することは技術的には正しいかもしれない。しかしそれによって言語機能や運動機能を失い、社会復帰できなくなるならどうか。テクノクラート的医師は手術の成功率に目を向ける。テクノロジスト的医師は患者の人生に目を向ける。術後の生活、尊厳、働く可能性まで含めて判断し、その結果に責任を負う。
国家も同じである。PB黒字化を達成することが目的化すれば、それは数値管理である。「財源がない」という言葉で防衛力強化や研究開発投資を先送りする政治は、帳簿の整合性は守るが、能力低下の責任は引き受けない。
能力投資を削れば半導体は海外依存が深まり、電源不安定で産業は流出し、防衛装備は輸入依存が進む。若者は高付加価値産業で働けない。税収は縮小し、財政はさらに悪化する。
これは静かな国家縮小である。
能力なき均衡は、均衡なき能力より危険である。
テクノクラート国家は制度を守る。テクノロジスト国家は未来を創る。
我が国には現場社会の伝統と常若の思想がある。問われているのは、それを国家設計の中心に戻せるかどうかである。テクノクラート国家にとどまるのか、それともテクノロジスト国家へ進むのか。
これは理念の選択ではない。生存の選択である。
国家は帳簿で生きるのではない。能力で生きるのである。
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