- 世界はすでに「戦後」ではない。国家の生存と能力が支配する新時代に入ったにもかかわらず、日本のオールドメディアだけが過去の秩序を現実として語り続けている。その認識の遅れが我が国の最大の危機である。
- オールドメディアが語る「ドンロー主義」は現実の国家戦略ではなく、価値観に基づく物語である。報道は政策の実態よりも印象を優先し、世界秩序の変化を根本から見誤っている。
- 戦後秩序は歴史としては存在するが、現実としてはすでに終わった。この事実を認識できるか否かが、これからの国家と社会の行方を決定する。
終わっていないのは日本のオールドメディアである。
世界は次の時代に移行した。国家の生存と能力を基準とする時代である。だが我が国の言論空間では、過去の秩序を現在進行形の現実として語り続けている。この認識の遅れこそ、我が国の最大の危機である。
本稿はこの問題を三つの段階で論じる。第一に言論構造の問題、第二に国家行動の現実、第三に歴史段階としての戦後秩序の終焉である。
1️⃣オールドメディアが作り出した「ドンロー主義」という虚像
本稿では、戦後リベラル秩序を前提とした世界観に依拠し、その価値観の維持を暗黙の前提として報道を行ってきた既存の大手報道機関を「オールドメディア」と呼ぶ。単なる業界区分ではない。戦後体制の認識枠組みに依拠した言論構造そのものを指す概念である。
私はすでに拙ブログで「ドンロー主義」を、戦後秩序の終焉と国家生存中心の国際秩序への転換を象徴する思想として提示した。しかし我が国のオールドメディアが語るそれはまったく別物である。政策分析ではなく、危機を演出するための政治的レッテルに近い。
対トランプ報道に見られるのは、政策の結果や戦略的意図の検証よりも発言の切り取りや印象操作を優先する姿勢である。現実を説明するのではなく、あらかじめ設定した物語に沿って意味づけを行う。この構図が繰り返されている。
日韓首脳会談報道はその典型として議論を呼んだ。日本経済新聞は2026年1月14日付朝刊で、日韓首脳会談を「『ドンロー主義』警戒」と結びつけた見出しを掲げた。この報道姿勢については評論家・古森義久が2026年2月18日公開の記事で、会談の実際の発言内容と見出しの関係性に疑問を呈している。見出しが議論の枠組みを先に提示し、実際の外交議論以上の意味づけを与えた可能性があるという指摘である。
問題は個別記事の是非ではない。現実より物語を優先する報道構造そのものだ。
この傾向は欧州系報道にも見られる。特定の価値観を普遍的規範として提示し、それに合わない現実を秩序破壊とみなす。しかし国際政治は価値観だけでは動かない。にもかかわらず特定の視点が絶対化されている。
この思考は日本社会に古くからある「出羽守」の論理と無縁ではない。「海外ではこうだ」という外部権威への依拠である。だが現在のドンロー主義批判はその悪性変種である。特定の規範を唯一の正義として掲げ、それに適合しない現実を危険と断定する。
この非現実性は例えれば明らかだ。警察が撤退した地域で住民が自警団を組織したとする。その行為を違法だと非難するだけで現実の脅威を無視するならば、それは安全を守る努力を否定し無防備を強いることに等しい。
オールドメディアの語るドンロー主義は、国際政治の分析というより、この思考の延長線上にある。
2️⃣国家行動の現実──安全保障は理念ではなく現実である
言論構造の問題は、国家行動の理解においてより明確になる。報道と現実の乖離は安全保障政策において顕著である。
トランプ政権は中国を主要な戦略的競争相手と位置づけ、台湾への軍事支援強化や国防費増額を進めた。これは突発的な行動ではない。安全保障環境の構造変化を前提とした国家戦略である。国家は自らの安全を自ら確保する。この単純な現実が出発点である。
だがオールドメディアの報道の多くは、この戦略的文脈を十分に説明しない。軍拡や緊張といった印象が強調され、政策の目的や背景は後景に退く。ここでも現実の分析より物語が優先される。
本来問われるべきは、国家がどのような脅威認識のもとで抑止戦略を構築しているかである。安全保障とは理念の表明ではなく現実への対応である。国家能力の強化や抑止力の整備は秩序破壊ではない。むしろ秩序維持の基本的手段である。
国家が自らを守る行為を危険視するならば、国家は無防備であることを前提とするしかない。それは現実を逆転させた見方である。
供給網、技術覇権、エネルギー、安全保障。いずれも国家主導の競争が激化している。世界は国家能力を基準とする競争の時代に入った。旧秩序の枠組みで政策を評価すれば現実を見誤るのは当然である。
問題は政策評価の違いではない。国際秩序の変化そのものを理解できていないことである。
3️⃣戦後秩序はもはや歴史であり現実ではない
| ベルリンの壁の崩壊 |
ドンロー主義の本質は米国政治ではない。国家能力を基準とする国際秩序への転換であり、理念より生存を優先する安全保障観への回帰である。
ここで明確にしておく。戦後秩序は歴史として語ることはできる。しかし現実として語ることはできない。冷戦終結後の国際環境の変化はその前提を根底から変えた。
戦後秩序は過去である。現在ではない。
それにもかかわらずオールドメディアはそれを現在の規範として語り続ける。この認識の断絶こそ問題の核心である。現実を説明できない言論はやがて現実によって淘汰される。
結論
オールドメディアが語るドンロー主義は危険思想としての物語である。しかし現実のドンロー主義は国家戦略としての現実である。
戦後秩序の終焉とともに、戦後秩序の物語を守るための言論の時代も終わりつつある。
戦後は終わった。
問題は、それを認識できるかどうかである。
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