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2019年4月3日水曜日

次世代の米国の安全保障を担うのは海軍なのか―【私の論評】米軍はインド太平洋地域を重視しており、海軍を中心に中国に対峙しようとしている(゚д゚)!

次世代の米国の安全保障を担うのは海軍なのか

岡崎研究所

米国は、中東で顕著なように、陸上軍による対外介入を大きく縮小しようとしている。こうした中、どこが米国の安全保障を担う中心となるか、議論が出て来るのは自然である。これに関して、ユーラシア・グループ専務理事のロバート・カプランは、「次世代の米国の安全保障は海軍が支配的地位を占めるだろう」と題する論説を3月13日付でワシントン・ポスト紙に書いている。以下に、論説から注目点をいくつか抜き出してみる。

米海軍

・米国は、ブッシュ(父)大統領による1991年のクウェート解放から始まった、中東における陸上の介入の時代を終わらせようとしている。それは繰り返されるべきでない。

・地上軍による介入をしないということは孤立主義を意味しない。米国は、地球の広大な地域に力を投射すべきである。世界中に常時力を投影できる海軍は、米国の主要な戦略手段である。ここで海軍とは海、空、ミサイルのあらゆる側面を含む。海軍は空軍の支援を受け、泥沼に陥ることなく関与し、圧倒的な影響を与えることができる。

・もし例えばイランと中東でもう一度戦争をするとなれば、米国は海軍、空軍、サイバー司令部、それにミサイルと衛星の展開を重視するだろう。中国との戦争は主として海軍とサイバーだろう。ハイテク戦争の性質と技術で地球が小さくなることから、ミサイル、大気圏の力、海軍のプラットフォームの抽象的な領域が生まれ、その世界では紛争は一つの危機圏から他の危機圏に容易に移り得る。

・地上軍の展開は、ロシアのバルト3国併合や北朝鮮の崩壊など、最も重要な国益が関わっている場合に限られることになろう。政治のみならず軍事でもトランプ以前の時代に戻ることはできない。海軍の世紀がやってくる。それはグローバル化がコンテナ船の航行の安全にかかっている時代である。とはいえ、海軍の世紀が平和的であるとも言えない。

参考:Robert D. Kaplan,‘The coming era of U.S. security policy will be dominated by the Navy’(Washington Post, March 13, 2019)
https://www.washingtonpost.com/opinions/2019/03/13/coming-era-us-security-policy-will-be-dominated-by-navy/

論説は、米国が中東における地上軍の介入の時代を終わらせようとしている、と述べている。そして地上軍による介入に代わるものは、海軍による力の投射であるという。海軍の世紀がやってくるとまで言っている。

 地上軍による介入が原則行われなくなるのはその通りだろう。米国はイラクとアフガニスタンで大々的な介入を行い、多大な犠牲を払ったが、それに見合う成果は上げていない。地上軍による介入が割に合わないのは、レジーム・チェンジの後の国造り、治安の維持が極めて困難で、介入の対象となった国が自力で対処できないからである。アフガニスタンがそのいい例だろう。アフガニスタンでは、政府を辛うじて維持していくのに依然として米軍の駐留を必要としている。アラブの春でチュニジアを除いて民主化に成功しなかったのは、独裁者を排除した後の国を管理する能力が無かったためである。

 地上軍の介入の時代が終わるのは別に中東に限らない。しかし、これまでの米国の地上軍による介入の最たるものが、イラク、アフガンと中東であったこと、中東地域は不安定で米国の介入が望まれるような事態が発生しやすいことから中東が特記されている。

 地上軍による介入に代わるものは海軍による力の投射とされるが、論説も指摘しているように、厳密に海軍だけというのではない。空軍、ミサイル、サイバー、宇宙などが含まれる。要するに地上軍以外ということである。これらはいずれもハイテク関連で機動性に富んでいる。論説は中国との戦争は主として海軍とサイバーだろうと言っているが、今後とも大国間の全面戦争は考えられないのではないだろうか。

 なお、中東ではイランに注意を要する。今トランプ政権はイランを厳しく非難し、イラン包囲網を作ろうとしている。トランプ政権がイランを攻撃するのではないかとの憶測が飛び交っている。イスラエルがイランの脅威を盛んにトランプ政権に吹き込んでいる事情もあり、トランプ政権にイラン攻撃をけしかけているのではないかと推測される。もし万一戦争になった場合には、米国の地上軍の派遣は考えられない。海、空軍による空爆、ミサイル攻撃、サイバー攻撃などが行われることになるのだろう。仮にイランとの戦争が始まれば、どこまでエスカレートするか予測がつかない。

【私の論評】米軍はインド太平洋地域を重視しており、海軍を中心に中国に対峙しようとしている(゚д゚)!

実質的に、次世代の米国の安全保障を担うのは海軍というのは、確かなようです。なぜなら、米国最大の米インド太平洋軍(米太平洋軍から昨年改称)の司令官が引き続き海軍となったことによって裏付けられているからです。

米軍の統合軍は全部で九つあります。地域が割り当てられているのは、6つの統合軍であり、以下に地域別の統合軍の名称と、担当する地域を示した地図を掲載します。



それぞれに司令官がおり、作戦上は、大統領、そして国防長官に次ぐ地位になります。大統領は米軍の最高司令官であり、それを国防長官が支えます。

統合参謀本部は、米国においては作戦上の指揮権を持っていません。米国の統合参謀本部は大統領と国防長官に助言をする立場です。

統合軍の司令官を動かすことができるのは大統領と国防長官だけです。それだけ大きな権限が統合軍の司令官には与えられているのです。

米軍といえば、多くの日本人にとって、陸軍、海軍、空軍、海兵隊というのが普通のイメージであり、実際にそうなのですが、戦闘においてはそれぞれが独自に作戦を行うわけではありません。各軍が必要に応じて連携し、統合作戦を担わなくてはならないのです。それを担うのが統合軍です。

九つの統合軍のうち、六つが地域別になっており、三つが機能別になっています。機能別の統合軍は、戦略軍、特殊作戦軍、輸送軍です。戦略軍は核兵器やミサイル、そして宇宙を管轄し、隷下にはサイバー軍も有しています。特殊作戦軍は文字通り特殊作戦を担います。輸送軍は米軍の人員・物資を輸送することを専門にしています。

地域別の統合軍は、北米を管轄する北方軍、中南米を担当する南方軍、中東を担当する中央軍、アフリカを担当するアフリカ軍、欧州を担当する欧州軍、そしてインド太平洋軍です。

こうした地域分割は国連その他の機関によって米軍に委任されているものではなく、いわば勝手に米国政府が世界を分割し、それぞれの地域における米国の権益を守るために軍を置いていることになります。

インド太平洋軍は九つの統合軍のうちで最大規模であり、地球の表面積で見ても52%という広大な地域を担当します。米国西海岸の映画産業の拠点ハリウッドから、インドの映画産業の拠点ボリウッドまで、北極熊から南極ペンギンまでが担当地域なのです。

ところが、一昨年11月に、米海軍が過去70年にわたって手にしてきた米太平洋軍司令官のポストが、米海軍太平洋艦隊艦艇が立て続けに重大事故を引き起こしてしまったことの影響により、アメリカ空軍の手に移りそうな状況に直面していました。

太平洋軍時代のハリー・ハリス氏

その後、現在米太平洋空軍司令官を務めているテレンス・オショネシー空軍大将が、前米太平洋軍司令官ハリー・ハリス海軍大将の後任の最有力候補でした。しかし、「伝統ある重要ポスト」を失いたくない米海軍側、とりわけ米海軍の擁護者である故ジョン・マケイン上院議員らの強力な巻き返し工作が功を奏して、米海軍はなんとか米太平洋軍司令官のポストを失わずにすむことになりました。

米太平洋艦隊所属の軍艦がたて続けに民間船との衝突事故を起こし、多数の死者まで出すという醜態を晒すこととなったアメリカ海軍ではありましたが、結局のところは、人望が高かった太平洋艦隊司令官スウィフト海軍大将をはじめ、米太平洋艦隊の幹部たちを更迭することで、事態の収束がはかられ、「米太平洋軍司令官のポストを海軍から取り上げられてしまう」というアメリカ海軍にとっては極めて重い「お灸を据えられる」措置までには立ち至らなかったのです。

トランプ政権により韓国大使となったハリス提督の後任として、2018年5月30日に米太平洋軍から名称変更された米インド太平洋軍の司令官に、前米艦隊総軍司令官のフィリップ・デイビッドソン海軍大将が指名されました(米艦隊総軍:かつては米大西洋艦隊司令官と兼務されるポストでたが、現在は米艦隊総軍に統合された。直属の部隊は第2艦隊です。ちなみに米太平洋艦隊直属の部隊は第7艦隊と第3艦隊です)。

もっとも、行政府であるトランプ政権や海軍をはじめとする軍部が賛同していても、日本と違ってシビリアンコントロールの原則が正常に機能している米国では、連邦議会の承認がなければ政権によって指名されても自動的に司令官のポストに就くことはないです。一昨年4月26日、連邦議会上院はデイビッドソン大将の指名を承認しました。

先に述べたように、担当領域が広大なだけでなく、米インド太平洋軍司令官は、米国にとっては依然として油断のならない北朝鮮や、北朝鮮の比ではない軍事的外交的脅威となっている中国に最前線で向き合わなければならないのです。

太平洋軍からインド太平洋軍へと名称変更をしなければならなくなった最大の要因は、太平洋郡時代に中国海洋戦力が飛躍的に強力となってしまったという現実があるからです。

中国海洋戦力は、中国本土の「前庭」に横たわっている東シナ海や南シナ海で軍事的優先を拡大しているだけでなく、中国本土からはるかに離れたインド洋へもその影響力を及ぼしつつあるからです。

とりわけ、中国は、トランプ政権が一昨年末から昨年の1月に公表した「国家安全保障戦略」「国家防衛戦力」などで明確に打ち出した「大国間角逐」という国際情勢認識の最大の仮想敵国と名指しされています。

また、ロシア領土(とその上空)は米太平洋軍の担当区域外である(米ヨーロッパ軍の担当)が、ロシア太平洋艦隊が日常的に活動するオホーツク海や北太平洋それに西太平洋は米インド太平洋軍の責任領域です。

要するに米インド太平洋軍司令官は、トランプ政権の軍事外交政策の根底をなす「大国間角逐」の相手方である中国とロシアのそれぞれと直面しているのです。そのため、世界を六つの担当エリアに分割してそれぞれに設置されている米統合軍司令官のなかでも、米インド太平洋軍司令官は極めて重要なポストと考えられています。

それだけではありません。米インド太平洋軍の担当地域には、日本、韓国、フィリピンそれにオーストラリアなどの同盟国や、米国にとっては軍事的に支援し続ける義務がある台湾、それに中国に対抗するためにも友好関係を維持すべきベトナムやインドといった軍事的、外交的あるいは経済的に重要な「味方」も数多く存在しています。

つまり、米国だけで危険極まりない強力な仮想敵である中国に立ち向かうのでなく、同盟国や友好国を活用して「大国間角逐」に打ち勝つことこそが米国にとっての良策なのです。

そのため、米インド太平洋軍司令官には、とりわけ現状では、軍事的指導者としての資質に加えて、外交官的役割をも果たせる資質が強く求められています。実際にデイビッドソン氏は米連邦議会上院公聴会で次のように述べています。

「中国には、(米国政府内の)あらゆる部署が協力し合い一丸となって立ち向かう必要を痛切に感じております。そのために(米インド太平洋軍)は国務省とも密接に協働するつもりです。……それに加えて、これは極めて重要なのですが、われわれ(米インド太平洋軍)は同盟諸国や友好諸国と連携して中国に対処していかなければならないのです」

この公聴会に先だって、指名承認のための基礎資料としてデイビッドソン大将は連邦議会からの「インド太平洋軍司令官に任命された場合に実施すべきであると考えるインド太平洋軍の政策や戦略に関する質問」に対する回答書を提出しました(50ページにわたる、詳細な質疑回答書は公開されています)。

現米インド太平洋軍司令官の

当然のことながら、次期太平洋軍司令官として、トランプ政権が打ち出した安全保障戦略や国防戦略と整合したインド太平洋軍の戦略をどのようにして実施していくのか?という国防戦略レベルの質疑応答から、軍事的リーダーとしてだけでなく外交的役割をも担う米インド太平洋軍司令官として国務省はじめ様々な政府機関や連邦議会などとどのような関係を構築していくのかに関する詳細な方針、それに責任地域内でインド太平洋軍が直面している軍事的、外交的、経済的諸問題のそれぞれに対してどのような方針で対処していくつもりなのか?に対する具体的対応策まで、質疑応答は多岐にわたっています。

デイビッドソン大将が連邦議会に対して公式に陳述した以上、それらの回答内容は、米インド太平洋軍司令官として着実に実施していく義務が生ずるのは当然です。要するに、今後重大な地政学的変動が生じないかぎり、上記「質疑回答書」は、少なくともデイビッドソン大将が指揮を執る期間中は、米井戸太平洋軍の基本路線なのです。

そのデイビッドソン次期米インド太平洋軍司令官の対中国戦略、対北朝鮮戦略、そして日米同盟に関する所見などの詳細については稿を改めなければ紹介できないが、デイビッドソン海軍大将が陳述した米インド太平洋軍司令官にとっての最優先責務とは次のようなものです。
1:米国の領域を防衛する
2:米インド太平洋軍担当領域での米軍戦力を再調整する
3:同盟諸国や友好諸国との二国間関係や多国間協力を強化発展させる
4:多様な脅威に対処するために米政府内そして同盟国の軍事部門以外の諸部門との協力を推進する
われわれは、日本を含むアジア太平洋の安定を考える際、在日米軍だけではなく、日本ではあまり知名度が高くはない、インド太平洋軍全体に対する理解を深める必要があります。

在日米軍司令部のある横田の向こうにあるのは、国防総省のあるワシントンDCだけではない。その間にあるハワイ(インド太平洋軍の司令部がある)にも注目しなくてはならないです。

インド太平洋軍が統合軍で最大であること、その司令長官が海軍出身であるということから、私達は、米軍はインド太平洋地域を重視しており、海軍を中心に中国に対峙しようとしていることを前提にものを考えなければならないのです。

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2018年5月28日月曜日

中印関係「雪解け」は一時的―【私の論評】諸悪の根源、侵略国家中国はインド太平洋地域で、過去の歴史を繰り返す(゚д゚)!



武漢で非公式な首脳会談を行ったインドのモディ首相と、習近平

中国の習近平国家主席とインドのモディ首相は、4月27~28日に、中国の武漢で非公式な首脳会談を行った。インド政府の発表によれば、要点は次の通りである。

 両首脳は、中印両国が経済大国、戦略的主要国として同時に興隆することが、地域と世界にとり重要な意味を持つと考える。平和的、安定的で、バランスの取れた中印関係が、現在のグローバルな不確実性の安定化にとり有益なファクターである、との見方を共有する。中印2国間関係の適切な管理は、地域の発展と繁栄に資するものであり、「アジアの世紀」の前提条件となる。

 両首脳は、中印国境問題に関する特別代表の作業への支持を表明し、公平、合理的、相互に受け入れ可能な解決を追求する努力を強化するよう求めた。中印国境地帯全域の平和と静穏の維持が、両国関係全体の発展において重要であることを強調。国境問題の管理における、両国軍間の信頼醸成、相互理解、予測可能性を高めるための戦略的ガイダンスを発表。国境地帯における偶発事態を防ぐべく、両国軍にさらなる信頼醸成の実施を指示した。

 両首脳は、2国間の貿易と投資を、均衡的で持続可能なやり方で前進させることで合意した。文化的、人的交流の促進についても議論し、新たなメカニズムの構築を模索することで合意した。

 両国は、戦略的対話を強化する必要につき合意。かかる戦略的対話は相互理解に役立ち、地域と世界の安定に貢献する。

 中印はそれぞれ、成長と経済発展を通じて世界の平和と繁栄に大きな貢献をしており、今後とも世界の成長のエンジンであり続けるだろう。開放的、多極的、多元的、参加型のグローバル経済秩序は、あらゆる国の発展追求を可能にし、世界中の貧困と不平等の除去に貢献する。

 気候変動、持続可能な発展、食料の安全、感染症との戦い、テロ対策など、グローバルな問題で、両国は協力する。

出典:‘India-China Informal Summit at Wuhan’インド外務省

 今回の非公式首脳会談は、毛沢東ゆかりの地である武漢で開催され、両首脳は、船上でお茶を飲み、インド音楽を聴くなどして、友好ムードを演出したという。中国外務省は、習近平が「今回の会談で両国関係の新たな1ページを開きたい」と語り、モディが「今回の会談は歴史的意義を持つ」と述べた、と発表している。両国とも、何らかの形で経済関係を好転させたい意図があることは、上記会談の要点からも見て取れる。しかし、中印関係が緊張する戦略的構図に何ら変化がないのであるから、武漢での首脳会談で演出された「雪解け」は、あくまでも一時的なものにとどまると考えられる。

 中印関係を緊張させる第一の要因は、1962年の中印国境紛争の原因ともなった、ヒマラヤにおける国境問題である。昨年だけをとってみても、次のような小競り合いが起こっている。6月に中国がブータンのドクラム高原に道路を建設し始めたことに対抗し、8月にはブータンの擁護者であるインドが部隊を派遣、中印両軍がにらみ合った。12月末には、インドが実効支配するアルナーチャル・プラデーシュ州で、中国による道路建設に対し、インド軍とインド・チベット国境警察が出動し、中国側の作業員を追い返すなどしている。

 中印間の緊張の大きな要因には、国境問題に加え、中国のインド洋への進出、中国とパキスタンの関係緊密化がある。両者はともに、最近中国が強力に推進している巨大経済圏「一帯一路」構想とも関連している。

 「一帯一路」のうち「一路」に当たる「海洋シルクロード」は、歴史的にインドの影響下にあったインド洋を舞台にしている。中国は、インド洋沿岸国へのインフラ投資を強化している。スリランカやモルディヴへの港湾建設は、その典型的な例である。また、中国はインド洋に海軍を積極的に展開し、インドに強い警戒感を与えている。

 そして、「一帯一路」には、インドの宿敵パキスタンが含まれる。この点は、インドにとって極めて重大である。インドとパキスタンは、カシミール地方をめぐって常に一触即発の状態にあるが、「一帯一路」の主要構成要素と位置づけられる「中国パキスタン経済回廊」は、そのカシミール地方を通過する。インドが強く反発するのは当然である。


 したがって、インドは「一帯一路」への警戒を隠さず、上記首脳会談の直前の4月24日に北京で開催された上海協力機構(SCO)外相理事会のコミュニケで、参加国中唯一「一帯一路」への支持を表明していない。「一帯一路」にはネパールも含まれるが、武漢での会談後の5月11日にはモディ首相が、親中派が政権の座についているネパールを訪問し、両国の関係強化で一致するなど、巻き返しを図っている。

 そして、インドは、中国のインド太平洋地域における影響力の増大に危機感を抱き、日米豪に接近している。日本が掲げる、自由、民主主義、市場経済、海洋の自由といった価値を基本に据えた「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、インドにとっても魅力的に映ると思われる。中印関係が劇的に好転する要因は見当たらず、インドと日米豪との接近は続くことになろう。

【私の論評】諸悪の根源、侵略国家中国はインド太平洋地域で、過去の歴史を繰り返す(゚д゚)!

最近では、北朝鮮のことが、注目されていますが、これ以外の地域でも世界は未だに緊張が続いています。中国は北朝鮮の後ろ盾となっていますが、その中国はブログ冒頭の記事のようにインドとの対立が続いていました。

ブログ冒頭の記事では、中印関係が劇的に好転する要因は見当たらず、インドと日米豪との接近は続くことになると予測しています。

なぜこのようなことがいえるのかとえば、過去の中印、インド・パキスタン関係の歴史をみれば明らかになります。

以下に中印国境紛争の歴史をまとめておきます。

1962年10月に起こった中国軍とインド軍の国境での衝突。中印戦争ともいいます。中国とインドは1954年に周恩来とネルーの間で「平和五原則」による友好関係を成立させていました。また、ネルーは非同盟主義を提唱し、二大陣営のいずれとも同盟関係を結ばないことをインド外交の方針としていました。

周恩来(左)とネルー(右)

チベットの反乱から国境紛争へ

ところが、1957年ごろからヒマラヤ山中の両国国境をめぐって対立が始まった。1959年に中国によるチベット侵略が始まりチベット内で反乱が起こり、ダライ=ラマ14世がインドに亡命したことから対立は決定的となりました。ネルーは中国との友好という原則があるとはいえ、チベットの保護とインドの安全のためには軍事行動もやむを得ないと表明しました。

24歳のダライ・ラマ、1959年4月14日

1962年10月、中国軍が中印国境の東部(1914年、イギリスの仲介で設けられたマクマホン=ライン)と西部(カシミール地方)で軍事行動を開始、インドも「祖国防衛」を呼びかけ応戦し、戦争状態に入りました。しかし、インド軍は全戦線で中国軍に圧倒され、苦境に立たされることになりました。

ネルー、非同盟外交政策を放棄

厳寒のヒマラヤで夏服で戦ったインド軍が壊滅的な敗北を被り国中がパニックに陥りました。ネルーはケネディに支援を要請し、ケネディはネルーの体面を保ちながら支援に踏み切りました。11月下旬中国は一方的に休戦を宣言し、兵を引き揚げました。

当時のケネディー米国大統領

この戦争は米印関係を好転させましたが、ネルーの非同盟主義が破綻したことを明らかにしました。中印戦争でソ連は中立を保ち、それ以上に非同盟主義で連帯する国家でインドを支援した国はほとんどなく、その政策を常に批判していたアメリカから支援を受けざるを得なかったのです。

この対米傾斜はアメリカの同盟国パキスタンを中国に接近させました。このときすでに病気であったネルーは、64年5月死亡しました。

未解決の中印国境問題

中印国境紛争は「宣戦布告なき戦争」でした。中国軍は優勢なまま、全面的な停戦と撤退を表明しました。東部ではインドの主張するマクマホン=ラインを中国は承認せず、西部のカシミール地方ではインドが自国領であるとするアクサンティ地区を中国は実効支配し、自動車道路を建設しています。

この戦争開始と共にインドと中国はそれぞれ大使を引き揚げ、外交関係は断絶しましたが、中国はソ連、インドはパキスタンというそれぞれ新たな敵対国があらわれたため、ようやく1976年に大使を交換し外交関係を再開させました。しかし、国境問題は依然として未解決のまま、棚上げされた状態で今日に至っています。

以下には、インド・パキスタン戦争についてまとめます。

インド・パキスタンの双方の独立した1947年以降、インドとパキスタンは3次にわたる戦争を展開しました。第1次と第2次はカシミール帰属問題、第3次は東パキスタン独立問題をめぐって起こりますした。

第1次インド=パキスタン戦争

1947年 独立に際し、カシミール藩王国の藩王はヒンドゥー教徒であったのでインド帰属をめざしたのですが、住民の大部分を占めるイスラーム教徒が反発し衝突。インド軍、パキスタン軍がそれぞれ軍を派遣し軍事衝突となりました。インド軍優勢のうちに国際連合の調停で休戦しました。

第2次インド=パキスタン戦争

1965年 インドが実効支配していたジャンム=カシミールの完全統合を宣言したことにパキスタンが反発。背景にはインドが中印国境紛争(1962年)で中国軍と戦い、実質的に敗北したことがあげられます。

カシミール地方の国境上で両国が武力衝突し、米ソの国連での働きかけによって停戦が成立しました。この停戦ラインによってそれぞれ実効支配を分けていますが、双方ともカシミール全域の領有権の主張を取り下げておらず、国境問題は現在でも未解決となっています。

第3次インド=パキスタン戦争

1971年 パキスタンが東部パキスタン(ベンガル地方)の独立運動を弾圧。多数の難民が発生しました。インドのインディラ=ガンディー政権は東部パキスタンに対して軍事援助を行って、独立を支援しました。インドが有利な闘いを進めて勝利し、その結果、東部パキスタンは独立してバングラディシュとなりました。

東パキスタンがパキスタンから分離した結果、インドとパキスタンの係争地点はカシミール問題に集中することとなり、両国はそれぞれの実効支配地域への軍配備を増強し、にらみ合いは現在でも続いています。

印パの核実験

特に80年代には、インドにおけるヒンドゥー至上主義が台頭し、ナショナリズムを掲げたインド人民党(BJP)が1998年には政権を獲得するに至り、パキスタンでも軍事政権によるイスラーム化が進められました。1998年にインドが核実験に踏み切ると、同年、パキスタンが核実験で対抗、南アジアにおける核戦争の勃発が危惧されました。

印パ対立の背景の変化

カシミール地方では、再三、両国軍が衝突する事態となりましたが、一定の抑止力が働き全面戦争へのエスカレートは抑制されました。その背景には、1991年にソ連の解体し、東西冷戦の構造が解消されたことが挙げられます。

それまでの両国の対立は、インドはソ連と、パキスタンはアメリカ及び中国と結びついてそれぞれ支援を受けるという構造がありましたが、ソ連の崩壊によってインドはアメリカとの和解に向かわざるを得なくなりました。

また、中国との関係も、中国で改革開放路線が進んだ結果として改善されていきました。そのような中、両国とも核武装を維持することは経済を圧迫し、経済成長を阻害することが明らかになっていました。

そのような中で2001年、9.11同時多発テロが発生、アメリカはイスラーム原理主義との対決を強めるため、インドとパキスタンの対立を解消する必要に迫られました。そのような情勢の変化から、アメリカはインド=パキスタンの和平に積極的に関わり、両国関係は次第に安定しました。

ムンバイ同時多発テロ

しかし、2008年11月にはインドのムンバイで同時多発テロが起こり、ホテルなどが襲撃され、日本人を含む160人が殺害されました。インド当局は、パキスタンから越境したイスラーム過激派の犯行と断定し、パキスタン側に犯人の引き渡しを要求しました。

パキスタンはテロ実行犯を逮捕しましたが、インドへの引き渡しは拒否し、2015年4月の裁判では武装組織の司令官を証拠不十分として釈放しました。インドは強く反発し、両国関係の悪化が危惧されています。

ムンバイ同時多発テロで燃え上がるラグジュアリーホテル タージマハル

以上の歴史を見直してみると、中国とインド、インドとパキスタンの関係が悪化した、最初の原因は、1959年に中国によるチベット侵略が始まりチベット内で反乱が起こり、ダライ=ラマ14世がインドに亡命したことから始まっていることがわかります。

特に中印関係が悪化したのは、中国が原因であることがはっきりしています。今日、侵略国家中国は南シナ海を侵略し、そこを拠点にインド太平洋地域に進出しようとしています。

地図上の濃い青の部分が生物地理学上のインド太平洋

今のまま放置しておけば、中国はインド太平洋地域において過去の歴史を繰り返すのは必定です。日米豪印は、一致協力して、これを食い止め中国を封じ込めなければなりません。北朝鮮情勢がある程度収束すれば、次の世界の課題は中国封じ込めになります。

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