衝突した「シー・シェパード」の船=日本鯨類研究所提供
大破した「シー・シェパード」の船=日本鯨類研究所提供
水産庁は6日、南極海で、調査捕鯨船団の監視船「第2昭南丸」(712トン)と、反捕鯨団体シー・シェパードの小型高速船「アディ・ギル(AG)号」(26トン)が衝突したと発表した。
AG号は大破したが、乗組員はシー・シェパードの他の船に救助されて無事だという。昭南丸の乗組員にもけがはなかった。
同庁によると、AG号は日本時間の同日午後0時30分頃、航行中の昭南丸に対し、昭南丸の右側から急接近し、進路前方に割り込んで急に速度を落とした。その後、AG号は再び速度を上げて、昭南丸にぶつかってきたという。
昭南丸は再三にわたって、AG号に近づかないよう警告したが、接近をやめなかったという。AG号は船首部分が大破したが、救難信号を出さず、乗組員はシー・シェパードの他の船に救助された。昭南丸の船体に大きな損傷はなかった。
AG号は同日未明から捕鯨船団の母船「日新丸」(8044トン)にも接近し、スクリューにからませようとロープを進路前方の海中に投入するなどの妨害行為を繰り返していた。捕鯨船団がシー・シェパードの船と衝突するのは昨年2月以来で、今季の調査捕鯨では初めて。
反捕鯨団体シー・シェパードは6日、「アディ・ギル(AG)号」が日本時間の同日午後、「第2昭南丸」と衝突したことを明らかにした。衛星電話で取材に応じたシー・シェパードの乗組員は、「AG号は(衝突を回避するため)後退しようとしたが、昭南丸がスピードを上げて我々の船首部分に突っ込んできた」と主張した。
この衝突で、AG号の乗組員1人が肋骨(ろっこつ)を折る重傷を負ったほか、「日本側は救難活動を行わなかった」と非難している。
人命を軽視するシー・シェパードの行動
これらの報道を見ていると、これは最初から計画的なものであることが良く分かります。この船、最初に報道されたときから、軽量でスピードを出すとか、ステルスのような形をしていることから、通常の船と比較すれば、モーターボートのようなもので、脆弱であることははっきりしていました。
現代では、レーダーがありますから、日本の捕鯨船などの行動は、それをみれば、逐一わかるわけですし、捕鯨船の通信用の電波などを捉えればさらに細かいところまでわかるはずです。だから、このアディ・ギル号導入の意図ははっきりしていると思います。 つまり、日本の捕鯨船の行方を確認するとか、追尾するなどの意味はほとんどないわけです。
では、かなり高価(1億以上)であると言われる、アディ・ギル号を投入した理由はなんでしょうか?それは、簡単なことです。このような脆弱な船を丈夫ではるかに船体も重い、捕鯨船にぶつけるか、ぶつかるかして、沈没させることです。
沈没させることによって、同情をかい、国際世論に訴えることが目的です。そうして、その目的はある程度は成功したと思います。活動をしているという実態を、世界に見せつけることにより、少なくともスポンサーには訴求できたし、うまくいけば、個人寄付金額も増えるかもしれません。
しかし、一歩間違えれば、大変なことになったかもしれません。まず、日本の捕鯨船は沈んだりする心配はないですが、アディ・ギル号の乗組員はどうなっていたかわかりません。南氷洋での沈没ですから、一歩間違えれば、死傷者がでていた可能性が大です。南氷洋の冷たい海です、無論、海に落ちても、多少の時間は大丈夫なように、特殊なスーツを着ているのでしょう。しかし、この特殊なスーツを着ていても、北海道の冬の海に落ちてしまえば、10分から20分で死亡するそうです。南氷洋の過酷な条件であれば、落ちてしまえば、もっと短時間で死に至るのだろうと思います。結局は、スポンサーからの寄付金欲しさのために、人命を平気というか、意図的、計画的に危険に晒しているということです。やはり、シー・シェパードは、人命軽視ということから、単なるテロリスト・グループに過ぎないということです。
平野官房長官は7日午前の記者会見で、この件に関して、「極めて遺憾だ」と語り、日本政府として小型高速船の船籍のあるニュージーランド政府に抗議したことについて明らかにしました。 当然の事だと思います。
豪オーストラリアン紙では、シー・シェパードが「アディ・ギル号は静止しているときに第二昭南丸に故意に激突され、破壊的な損害を被った」との声明を発表したと伝えた。沈没したアディ・ギル号は200万ドル(約1億9000万円)の価値があったとされ、シー・シェパード代表のポール・ワトソン氏は「われわれは捕鯨に対する戦いから退く意思はない」と表明しています。
これを受けてオーストラリアの別の反捕鯨団体「ザ・スティーブ・アーウィン」に所属する活動家たちが、政府に対しシー・シェパード保護のため海軍を同地域に派遣するよう要請。「事件が起きたのはオーストラリアの領海内であり、日本の捕鯨船が好き勝手にするのを何もせずに見ているわけにはいかない」と主張しています。
オーストラリアのピーター・ギャレット環境大臣は保護要請には応えず、政府は事件の調査を行っており、海軍船を派遣する予定もないとしています。同大臣は「政府は平和的な抗議についてはその権利を尊重するが、危険を伴う攻撃的な行動は非難する」と述べ、抗議者と捕鯨船の双方に対し、安全性に配慮して自制した行動を取るよう呼び掛けています。
シー・シェパードの意図は完全に成功したと思います。日本側としては、いろいろな国際法、航海法など綿密にチェックして、法律上問題がないようにして、というより、そういう形にシー・シェパード側を追い込んで、シー・シェパードの船を撃沈するくらいのことはしても良いと思います。日本国民の大多数は、平和ボケになっていますから、そんなことをすれば大変なことになる思っていますが、相手は、別に正式な軍隊でも何でもないわけですし。思ってるほど大変なことにはならないと思います。何せ、相手は、一般市民ではなく単なる海賊ですから。だから、シー・シェパード側もこれらの、人命を軽視するのです。
これと、同様なことが、過去にもありました。それは、日清戦争のときに、大量の清国兵を載せたイギリス艦船(イギリスの国旗掲揚)が、日本海軍の艦船に撃沈されたというものです。この艦船の指揮をしていたのが、後の日本海大海戦で日本に大勝利をもたらした東郷平八郎でした。無論、このとき、ほとんどの中国兵もイギリス人も死亡して、一時日本は世界中から非難を受けたように見えましたが、やはり、予め相手の船に乗り込んでまで、予告などしているため、国際法、航海法には違えず撃沈しているので、あまり大きな非難とはなりませんでした。
これは、豊島沖海戦・高陞号事件として非常に有名なので、以下の簡単に触れておきます。
1894年7月25日、豊島沖で日本海軍第1遊撃隊(司令官坪井航三少将、「吉野」「浪速」「秋津洲」)は、清国軍艦「済遠」「広乙」と遭遇し、戦闘が始まりました。優勢な日本海軍の応戦の前に「済遠」は逃亡を図りました。
日本海軍の「吉野」「浪速」も、直ちに「済遠」を追撃しました。その途上、清国軍艦「操江」及び汽船「高陞号」(英国商船旗を掲揚)と遭遇しました。「高陞号」は、戦争準備行動として仁川に清国兵約1100名を輸送中でした。第1遊撃隊司令官の命により「浪速」艦長の東郷平八郎大佐は「高陞号」に停船を命じて臨検を行い、拿捕しようとしました。しかし、数時間の交渉を経ても、清国兵が拿捕に同意せず抵抗し続けたため、「高陞号」の拿捕を断念し撃沈しました(高陞号事件)。この時、英国人船員ら3人を救助し、約50人の清国兵を捕虜としました。
豊島沖海戦による、日本側の死傷者及び艦船の損害は皆無でした。他方、清国側には、「済遠」が大破し、「操江」は「秋津洲」に鹵獲され、「広乙」も破壊されました。
なお、「高陞号」を撃沈したことによって、一時英国の世論が沸騰しましたが、当時の英国世論が日本寄りの姿勢だった事もあり、イギリスの国際法の権威、ジョン・ウェストレーキおよびトーマス・アースキン・ホランド博士によって国際法に則った処置であることがタイムズ紙を通して伝わると、英国の世論も沈静化しました。
それどころか、この後日本と英国は、日英同盟を締結しています。もし、この撃沈事件がなければ、日英同盟もなかったかもしれません。英国側としては、このとき撃沈されたはのは、明らかに自らの方に非があるのは、明白で、日本の冷静な判断や思い切りの良さ、決断力などを高く評価し、味方にしておいたほうが良いという判断が働いたのだと思います。それに、薩英戦争などの記憶もあったものと思います。ちなみに、日本国内では薩英戦争に関しては、薩摩が一方的に大敗したように思われていますが、英国側からみれば英国側の意図を挫かれ大敗北であったというのが真相です。まさに、当時にあっては、日本恐るべしという感覚であったと思います。
一刻の非難を恐れていて、撃沈していなければ、歴史の歯車が狂い、日英同盟もなく、日露戦争などなかったかもしれないし、あっても、大敗北していたかもしれません。あるいは、なめられて結局は、列強の植民地や属国になっていたかもしれません。日本は、戦後から狂いはじめた歯車を元に戻す必要があると思います。
これらの報道を見ていると、これは最初から計画的なものであることが良く分かります。この船、最初に報道されたときから、軽量でスピードを出すとか、ステルスのような形をしていることから、通常の船と比較すれば、モーターボートのようなもので、脆弱であることははっきりしていました。
現代では、レーダーがありますから、日本の捕鯨船などの行動は、それをみれば、逐一わかるわけですし、捕鯨船の通信用の電波などを捉えればさらに細かいところまでわかるはずです。だから、このアディ・ギル号導入の意図ははっきりしていると思います。 つまり、日本の捕鯨船の行方を確認するとか、追尾するなどの意味はほとんどないわけです。
では、かなり高価(1億以上)であると言われる、アディ・ギル号を投入した理由はなんでしょうか?それは、簡単なことです。このような脆弱な船を丈夫ではるかに船体も重い、捕鯨船にぶつけるか、ぶつかるかして、沈没させることです。
沈没させることによって、同情をかい、国際世論に訴えることが目的です。そうして、その目的はある程度は成功したと思います。活動をしているという実態を、世界に見せつけることにより、少なくともスポンサーには訴求できたし、うまくいけば、個人寄付金額も増えるかもしれません。
しかし、一歩間違えれば、大変なことになったかもしれません。まず、日本の捕鯨船は沈んだりする心配はないですが、アディ・ギル号の乗組員はどうなっていたかわかりません。南氷洋での沈没ですから、一歩間違えれば、死傷者がでていた可能性が大です。南氷洋の冷たい海です、無論、海に落ちても、多少の時間は大丈夫なように、特殊なスーツを着ているのでしょう。しかし、この特殊なスーツを着ていても、北海道の冬の海に落ちてしまえば、10分から20分で死亡するそうです。南氷洋の過酷な条件であれば、落ちてしまえば、もっと短時間で死に至るのだろうと思います。結局は、スポンサーからの寄付金欲しさのために、人命を平気というか、意図的、計画的に危険に晒しているということです。やはり、シー・シェパードは、人命軽視ということから、単なるテロリスト・グループに過ぎないということです。
平野官房長官は7日午前の記者会見で、この件に関して、「極めて遺憾だ」と語り、日本政府として小型高速船の船籍のあるニュージーランド政府に抗議したことについて明らかにしました。 当然の事だと思います。
豪オーストラリアン紙では、シー・シェパードが「アディ・ギル号は静止しているときに第二昭南丸に故意に激突され、破壊的な損害を被った」との声明を発表したと伝えた。沈没したアディ・ギル号は200万ドル(約1億9000万円)の価値があったとされ、シー・シェパード代表のポール・ワトソン氏は「われわれは捕鯨に対する戦いから退く意思はない」と表明しています。
これを受けてオーストラリアの別の反捕鯨団体「ザ・スティーブ・アーウィン」に所属する活動家たちが、政府に対しシー・シェパード保護のため海軍を同地域に派遣するよう要請。「事件が起きたのはオーストラリアの領海内であり、日本の捕鯨船が好き勝手にするのを何もせずに見ているわけにはいかない」と主張しています。
オーストラリアのピーター・ギャレット環境大臣は保護要請には応えず、政府は事件の調査を行っており、海軍船を派遣する予定もないとしています。同大臣は「政府は平和的な抗議についてはその権利を尊重するが、危険を伴う攻撃的な行動は非難する」と述べ、抗議者と捕鯨船の双方に対し、安全性に配慮して自制した行動を取るよう呼び掛けています。
シー・シェパードの意図は完全に成功したと思います。日本側としては、いろいろな国際法、航海法など綿密にチェックして、法律上問題がないようにして、というより、そういう形にシー・シェパード側を追い込んで、シー・シェパードの船を撃沈するくらいのことはしても良いと思います。日本国民の大多数は、平和ボケになっていますから、そんなことをすれば大変なことになる思っていますが、相手は、別に正式な軍隊でも何でもないわけですし。思ってるほど大変なことにはならないと思います。何せ、相手は、一般市民ではなく単なる海賊ですから。だから、シー・シェパード側もこれらの、人命を軽視するのです。
これと、同様なことが、過去にもありました。それは、日清戦争のときに、大量の清国兵を載せたイギリス艦船(イギリスの国旗掲揚)が、日本海軍の艦船に撃沈されたというものです。この艦船の指揮をしていたのが、後の日本海大海戦で日本に大勝利をもたらした東郷平八郎でした。無論、このとき、ほとんどの中国兵もイギリス人も死亡して、一時日本は世界中から非難を受けたように見えましたが、やはり、予め相手の船に乗り込んでまで、予告などしているため、国際法、航海法には違えず撃沈しているので、あまり大きな非難とはなりませんでした。
これは、豊島沖海戦・高陞号事件として非常に有名なので、以下の簡単に触れておきます。
1894年7月25日、豊島沖で日本海軍第1遊撃隊(司令官坪井航三少将、「吉野」「浪速」「秋津洲」)は、清国軍艦「済遠」「広乙」と遭遇し、戦闘が始まりました。優勢な日本海軍の応戦の前に「済遠」は逃亡を図りました。
日本海軍の「吉野」「浪速」も、直ちに「済遠」を追撃しました。その途上、清国軍艦「操江」及び汽船「高陞号」(英国商船旗を掲揚)と遭遇しました。「高陞号」は、戦争準備行動として仁川に清国兵約1100名を輸送中でした。第1遊撃隊司令官の命により「浪速」艦長の東郷平八郎大佐は「高陞号」に停船を命じて臨検を行い、拿捕しようとしました。しかし、数時間の交渉を経ても、清国兵が拿捕に同意せず抵抗し続けたため、「高陞号」の拿捕を断念し撃沈しました(高陞号事件)。この時、英国人船員ら3人を救助し、約50人の清国兵を捕虜としました。
豊島沖海戦による、日本側の死傷者及び艦船の損害は皆無でした。他方、清国側には、「済遠」が大破し、「操江」は「秋津洲」に鹵獲され、「広乙」も破壊されました。
なお、「高陞号」を撃沈したことによって、一時英国の世論が沸騰しましたが、当時の英国世論が日本寄りの姿勢だった事もあり、イギリスの国際法の権威、ジョン・ウェストレーキおよびトーマス・アースキン・ホランド博士によって国際法に則った処置であることがタイムズ紙を通して伝わると、英国の世論も沈静化しました。
それどころか、この後日本と英国は、日英同盟を締結しています。もし、この撃沈事件がなければ、日英同盟もなかったかもしれません。英国側としては、このとき撃沈されたはのは、明らかに自らの方に非があるのは、明白で、日本の冷静な判断や思い切りの良さ、決断力などを高く評価し、味方にしておいたほうが良いという判断が働いたのだと思います。それに、薩英戦争などの記憶もあったものと思います。ちなみに、日本国内では薩英戦争に関しては、薩摩が一方的に大敗したように思われていますが、英国側からみれば英国側の意図を挫かれ大敗北であったというのが真相です。まさに、当時にあっては、日本恐るべしという感覚であったと思います。
一刻の非難を恐れていて、撃沈していなければ、歴史の歯車が狂い、日英同盟もなく、日露戦争などなかったかもしれないし、あっても、大敗北していたかもしれません。あるいは、なめられて結局は、列強の植民地や属国になっていたかもしれません。日本は、戦後から狂いはじめた歯車を元に戻す必要があると思います。
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