中国・習近平副主席と天皇陛下の会見が各所で波紋を呼ぶ(これらの内容すでにご存知の方は、この項は読みとばしてください)
谷垣総裁、首相の天皇陛下会見指示を批判
自民党・谷垣総裁は13日、14日に来日する中国・習近平副主席と天皇陛下の会見を鳩山首相が特例的に指示したことについて強く批判した。
谷垣総裁は「権力行使の抑制とか、そういう感覚をこの政権が持っているかどうか、最もデリケートな部分に対して権力をどう行使していくか、方向感がめちゃくちゃだと思います」と述べ、「鳩山政権がこういう行動を取ったことが日本の政治を悪くした始まりだったということにならないか、強く危惧(きぐ)している」と懸念を示した。
鳩山首相の指示については、天皇陛下と外国要人との会見は1か月前までに申請するという政府内の取り決めが守られなかったことに対し、政府・与党内からも「二度とあってはならない」などと批判の声が出ている。
習副主席が来日 抗議活動の懸念も
中国の習近平国家副主席(中国共産党内序列6位)(56)が14日午前、3日間の日程で日本を公式訪問するため北京を出発、同日午後、専用機で羽田に到着した。
胡錦濤国家主席の後継が期待される次世代リーダーの最有力候補として対日重視をアピールする狙いだが、中国政府が天皇陛下との特例会見を強引に要求したことが日本で反発を招いており、訪問先で抗議活動が起きる懸念も出ている。
日本滞在中は鳩山由紀夫首相と会談するほか、岡田克也外相や与野党の党首とも会談。東京のほか福岡も訪れる。
日本に続いて韓国、カンボジア、ミャンマーも訪問する。
安倍元首相「中国に取り下げ要請を」 天皇陛下との会見設定
自民党の安倍晋三元首相は14日朝、鳩山由紀夫首相が天皇陛下と中国の習近平国家副主席との特例的措置による会見を指示したことについて、「国益ではなく自分たちのために今まで守ってきたルールを破った。天皇陛下を政治利用したと断じざるを得ない。今からでも遅くないので、中国側に取り下げてもらうよう要請すべきだ」と述べた。
都内で記者団の質問に答えた。
「憲法を読み直しなさい」天皇会見で小沢氏反論
記者会見を終え会場を出る民主党の小沢幹事長(左)
民主党の小沢幹事長が14日夕の定例記者会見で、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見に関して述べた内容は以下の通り。
――皇室外交について、どのような考えを持っているか。
【小沢氏】どういう意味?
――習副主席が来日したが、天皇陛下との会見が30日(1か月)ルールにのっとらない形で行われることになった。
【小沢氏】30日ルールって誰が作ったの。知らないんだろ、君は。
――2005年に。
【小沢氏】法律で決まっているわけでもなんでもないでしょ、そんなもの。それはそれとして、君は日本国憲法を読んでいるか。天皇の行為は何て書いてある。それはどういう風に書いてある、憲法に。国事行為は、内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ。だから、何とかという宮内庁の役人がどうだこうだ言ったそうだけれども、全く日本国憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない。ちょっと私には信じられない。しかも内閣の一部局じゃないですか、政府の。一部局の一役人が内閣の方針、内閣の決定したことについて会見して、方針をどうだこうだと言うのは、日本国憲法の精神、理念を理解していない。民主主義を理解していないと同時に、もしどうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ。当たり前でしょう。役人だもん。そうでしょう。だからマスコミがそういうところを全然理解せずに、役人の言う通りの発言を報道ばっかりしていてはいけません。ちゃんとよく憲法を読んで。そして、天皇陛下のお体がすぐれないと、体調がすぐれないというのならば、それよりも優位性の低い行事を、お休みになればいいことじゃないですか。そうでしょ、わかった?
――天皇陛下の健康上の問題にかかわらなければ、1か月ルールはよろしいとの認識か。
【小沢氏】1か月ルールというのは、誰が作ったんですか、というんですよ。
――なくてもいいものだと。
【小沢氏】なくてもいいものじゃない。それ、誰が作ったか調べてからもう一度質問しなさい。私は、何でもかんでもいいと言っているんじゃないんだよ。ルールを無視していいと言っているんじゃないよ。宮内庁の役人が作ったから、金科玉条で絶対だなんて、そんなばかな話あるかっていうことなんですよ。天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないけれども、会いましょうと、必ずそうおっしゃると思うよ。わかった?
――小沢幹事長が平野官房長官に、習副主席と天皇陛下の会見を要請したと報道されている。事実関係はどうか。また、天皇陛下の政治利用だという議論が起こっているが、どう考えるか。
【小沢氏】君も少し、憲法をもう一度読み直しなさい。今、説明したじゃないですか。天皇陛下の国事行為、行動は、国民の代表である内閣、政府の助言と承認で行うことなんですよ。それじゃ、国事行為は全部、政治利用になっちゃうじゃない。諸君の理解がまったくおかしいんだよ、マスコミの。そうでしょ。何をするにしたって、天皇陛下は内閣の助言と承認でと、それは憲法にちゃんと書いてあるでしょうが。それを政治利用だといわれたら、天皇陛下は何もできないじゃない。じゃあ、内閣に何も助言も承認も求めないで、天皇陛下個人で行うの? そうじゃないでしょう。
――平野官房長官に要請したかどうかの事実関係だけ教えてほしい。
【小沢氏】事実関係だけというなら、先の質問は勉強してから聞きなさい、もう少し。さっきも言ったけど、政府の決めることですから、私が、習副主席と天皇陛下を会見させるべきだとか、させるべきでないとかというようなことを言った事実はありません。
――明日予定されていた幹事長と習副主席の会談が中止になったそうだが、この経緯は。
【小沢氏】予定していたわけではございません。ただ、会いたいという連絡は、あったそうですけれども。非常にお忙しい日程で、3日間で、いろんな方とお会いするでしょう。私は中国に行ってきたばかりですし、お忙しいだろうと思って、ご無理なさらんでもよろしいと。
国難が迫ったときには必ず朝廷が表に出てくる!!
朝廷が語られることがあまりない現在、朝廷と天皇の政治利用について考えるには、まずは、古代から現在までの朝廷について振り返って見る必要があると思います。以下に本当に概観だけたどってみます。
■神話にみる朝廷
古代からとなると古事記(成立西暦712年)、日本書紀(成立西暦720年)(以下、記紀と称す)の応神天皇以前の記述を資料にしなければならないでしょう。ある学説によると記紀における応神天皇以前の記述は事実ではないとし、それらを神話と位置づけています。
この「神話」を基にした浅薄なスローガンや観念は一部で振りかざされ、先の戦争中国民をまとめる手段として利用されました。その結果、「神話」は戦後、歴史教育から抹殺されました。しかしながら、史実としての価値を無くしてしまった記紀における応神天皇以前の物語の舞台を訪れると、実際にそれらの出来事がその昔あったような気がすると多くの人が語っています。
伝説の地ではそれに纏わる遺跡、古墳、神社、その土地土地の伝説が数多くあります。また考古学、民俗学、民族学の見地から「神話」を研究すると記紀の神話と呼ばれている領域の中に民族の感性上の真実及び史実と呼べるものもあるそうです。
神話では人々と日本国土を創造する為にイザナギとイザナミの命が出現しました。二人は夫婦となり、大八洲(おおやしま)を始め神々を生み出しました。
その後、イザナミは死に、黄泉(よみ)の国へ渡りました。イザナギは後を追うものの、そこで争いが生じた為、一人帰ってきました。黄泉の国の穢れを祓った時、最後に誕生したのが天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)そして建速須佐之男命(すさのおのみこと)の三貴子です。
天照大御神は太陽神・女神で、天上高天原にあって最初の統治者となりました。天照大御神は孫にあたる邇邇芸命(ににぎのみこと)に神勅を下し、天降って天の下を統治するよう命じました。その際、三種の神器(玉・鏡・剣)を邇邇芸命に授け地上統治者の証とし、その地位を絶対のものとしたといわれています。そして、邇邇芸命の曾孫として初代神武天皇が登場します。
その第1代の神武天皇から第125代今上陛下まで万世一系の天皇が統治してきた国が日本です。今年は皇紀2669年を数えるまでになりました。この間連綿と皇統が絶えることなく続いてきたのです。
■天皇と政治との関わりあい
では、実際天皇は政治とどの程度関わってきていたのでしょうか?
ここに第16代仁徳天皇のエピソードがあります。(日本書紀より)
ある日、仁徳天皇が高台に登って見渡されたところ、炊事の煙が少しもたちのぼっていませくでした。これは民が飢えているのに違いないと、三年間課役を廃されました。その為宮殿がいたみ、雨漏りもするようになってしまいました。お后がそれを天皇に進言すると仁徳天皇は「それ天の君を立つるは、これ百姓(おおみたから)の為になり。然れば君は百姓を以(も)って本(もと)とす。」と仰せになったとあります。
この時期、天皇は政治に関わっていたと推察されるますが、このエピソードから非常に大らかな統治が想像できます。勿論、古代史の中にはこのような大らかな統治ばかりではなく、皇位をめぐっての戦乱や民衆が圧制に苦しむ時代もあったと考えられます。しかし、長谷川三千子氏が「このエピソードこそが日本の伝統的な政治思想をあらわす言葉である」と述べているようにこれこそ天皇が日本国を統治する根源的な政治思想・理念であったのではないでしょうか。
その後、大和朝廷では、畿内有力な氏の代表者による合議によって国政が行われました。飛鳥期に入ると摂政政治という形態も取りいれられました。例えてあげると推古天皇の時代、聖徳太子が政治を取り仕切っていたようなものです。天皇ではない聖徳太子が隋の国との交渉をしたのは有名な話です。
天皇を独裁者の面を強調する論説も多数ありますが、天皇は独裁的な権力は通常持ち合わせてはいなかったという説があります。西尾幹二氏著書の「国民の歴史」では、そのことを太政官制度(上図参照)にて説明しています。太政大臣は最高の官で、養老令には「太政大臣一人、右一人に師範たり」とあり、この一人とは天皇を指しているとされています。天皇の師範でさえあるという意味であるとのことです。
さらに時代が下って、平安時代には藤原氏が台頭し臣下で始めて藤原良房が太政大臣に任ぜられたりしている。その後、武家が実権を握る社会へとつながっていきます。鎌倉時代から江戸時代までの間、南北朝時代を除いて天皇が政治の表舞台にはたってはいないようみえます。
さらに明治期に入って大日本帝国憲法が制定されました。憲法条文では「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」で、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」とし天皇を宗教色の強い存在として示している。条文は「臣民は~」という文言に始まり、天皇が臣民へ問い掛けるような形式をとっています。しかしながら五箇条の御誓文に「広ク会議を興シ万機公論ニ決スヘシ」とあるように天皇は独裁的な権限を有しているわけではありませんでした。
戦後の日本国憲法は第一条に「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」と記述されている。天皇は政治と一線を画す存在となっているのは周知のとおりです。
以上、ある時代から、天皇は権威の象徴であり、政治を司る権力は他にあったと思います。そして武家が政権を握って以来、この権威と権力の二重構造は顕著になったのだと思います。このことは将軍を始めとする官位は常に朝廷が授ける形式となっていたことからも窺えます。
西尾幹二氏は「日本史には朝廷と幕府の二元体制という、空白をつくらない権力交代の“安全装置”があった」と書しています。私は、この二重システムこそ日本人の英知なのだと考えます。
■現在の朝廷
さて、いろいろ書いてきましたが、朝廷は現代の我々には、象徴的な意味しかないと思われていますが、私はそれだけではないと思います。やはり、日本国では、天皇の権威は今でも最高だと思います。これに並ぶものはありません。たとえ、小沢氏がいかに、権力を手中に入れようと、天皇陛下と同等の権威をつけることは、不可能です。過去においても、それぞれの時代において、平和なときは、天皇はあまり表にでてきませんでした。しかし、本当の国難が迫ってきたときで朝廷がほとんど象徴に近いものなったときですら、必ず天皇が表にでてきました。
今回の騒動の発端は、やはり、中国側の意向も大きかったものと思います。中国は、残念ながら、国民統合の英雄などがいません。中国中央政府は、建国の父、毛沢東をそうしたいところでしょぅが、残念ながら、毛沢東は甚だしい人命軽視でおびただしい数の自国民を殺戮しています。これでは、英雄とはなりえません。そのため、ヨーロッパの大航海時代に先んじて、大艦隊を率いて大航海にのりだした宦官の鄭和(ていわ)を英雄にしようという動きもありましたが、鄭和は漢民族ではなく、しかもイスラム教徒であり、無理があります。
共通の英雄を持たない中国では、残念ながら、日本の天皇のような権威を持つ存在もありません。特定の宗教が国教もしくは、それに近いものになっていれば、仏や神もしくは、その代理人がその役割を果たせたかもしれませんが、残念ながら中国には、公式には宗教はありません。いかなる宗教も否定されています。共産党の教えもすっかり地に落ちています。そうした、中国では、いわゆる権威付けできるモノやコトが全くといって良いほどないのです。あるのは、権力抗争だけで、それを収めたり、協調する仕組みに欠けています。だから、いつも中国では、複数の派閥が危うい均衡で成り立っています。少しでも均衡が崩れると、大きな内紛になる可能性も大です。だから、中国共産党幹部は、権威付けなどに非常に拘るのです。
だから、こそ、天皇陛下の権威を利用しようという腹なのだと思います。そうして、小沢氏も、天皇を利用して、中国に対する権威付けをしたいという考えだと思います。しかし、これは、まさに日本の過去にあった為政者が天皇を利用するのと同じだと思います。
今回は宮内庁の羽毛田氏が記者会見などをして、表にでてきました。上記のように、各地で波紋を呼びました。さて、国難が迫っているのでしようか?民主党政権の運営のまずさによって、国難に至るかもしれません。全く関係ないかもしれません。今のところは、何とも言えないと思います。
しかし、最近天皇関連の事柄が、矢継ぎ早に報道されています。今回の騒動、オバマ大統領の陛下へのお辞儀に関するアメリカでの論争、岡田外務大臣の「陛下のお言葉」に関する発言などです。今の所、表に出たといっても、まだ大きな局面にまできているということはないかもしれません。今後もこの動静は見守っていく必要があると思います。変化が見られたと判断した場合は、このブログに掲載していきます。
【関連記事】