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2019年5月18日土曜日

天安門事件30年で中国は毛沢東時代に逆戻りする予感アリ―【私の論評】毛沢東時代に逆戻りした中国はどうすべきなのかを考えてみた(゚д゚)!

天安門事件30年で中国は毛沢東時代に逆戻りする予感アリ

北朝鮮よりも悲惨だった時代に…









改革開放の行き着いた果て

2018年末で、改革開放40周年を迎えたことを共産主義中国は喧伝しているが、6月4日に30周年を迎える天安門事件については、沈黙を通すどころか、積極的な言論統制を行うであろう。インターネット上の関連記事も、削除されたり、嫌がらせを受けたりするはずだ。

何しろ「クマのプーさん」の関連記事を徹底的に検閲する国である。習近平氏がプーさんに似ていることから、「隠語」として使われていたらしい。

改革開放40年、天安門事件30年、どちらもこれからの中国に大いに影響を与える重要な歴史的事実だが、まず改革・開放がようやく軌道に乗り始めたばかりの時期に、天安門事件という先進諸国を敵に回すような「大問題」を引き起こしてしまった原因について考える。

なぜ天安門事件が起こったのか?

意外に意識されていないことだが、ロシア革命は、1917年に2回起きており、最初の2月革命は、自由主義者が中心の「民主国家」を目指すもので、ブルジョア革命とみなされていた。この革命が成功していれば、ロシア(ソ連邦)は、もしかしたら先進資本主義・自由国家の一員となっていたかもしれない。

ロシア2月革命 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

ところが、この臨時(革命)政府に内紛が勃発し、同じ年の「10月革命」によってソヴィエトの権力が支配的となり、世界初の社会主義(共産主義)政権が樹立されたのである。当時のロシア人民は、先進資本主義や民主主義よりも、皇帝支配下の農奴制への回帰とも言える共産主義(社会主義)を選択した。

そのソヴィエトの強い影響下で1949年10月1日に成立した共産主義中国(中華人民共和国)において、資本主義が激しい攻撃を受けて、党幹部などの「走資派」と指さされた人々が紅衛兵などにリンチを受けるシーンを見たことがある読者も多いだろう。

いうまでもなく、中華人民共和国は、日本が1945年に受け入れたポツダム宣言の相手国、中華民国(現・台湾、民主主義中国)とは別の国である。

実はこの毛沢東が行った「文化大革命」と呼ばれる集団リンチ・暴行・処刑運動が、鄧小平をはじめとする「八大元老」と称される人々の脳裏に「恐怖体験」のトラウマとなって焼き付いたことが、後の天安門事件の大きな原因になった。

文革開始時に政府や党の要職にあった彼らは失脚し、毛沢東が動員した若者たちによって激しく糾弾された。例えば鄧小平は共産党総書記を解任されて労働者として地方に送られ、学生だったその息子は取り調べ中の「事故」で身体障碍者となる。

また、紅衛兵に髪を掴まれて引き回される彭真の画像は世界に衝撃を与え、習近平現国家主席の父親である習仲勲は、長期の監禁生活を送った。

紅衛兵に髪を掴まれて引き回される彭真の画像

改革派と学生運動が連携して保守派に牙を剥いたときの恐怖を考えると、長老たちが天安門で起こったデモに過剰反応して大事件となったことも、ある程度、納得できる。

鄧小平が、ようやく軌道に乗り始めた改革開放政策を危機に陥れ、諸外国から絶縁されるリスクを冒してまで、天安門広場で数千人(西側推定)もの中国人民を戦車などでひき殺して虐殺した過剰反応は、このようなトラウマに原因がある。

そうして、もう1つ言えることは、一党独裁の共産主義中国では「党の存続・繁栄」が中国人民の幸福よりもはるかに重要であるということである。

絶対王政における王家が、国民の幸福よりも王家の存続・繁栄を気にかけるのと同じだ。改革・解放の立役者である鄧小平もその点は意見を同じくする。彼は決して民主主義者でも、自由主義者でもない。

改革・解放によって「共産党一党独裁」が脅かされるのならば、「改革・解放などやめてしまえ!」というのが中国共産党の基本方針であり、毛沢東暗黒時代への回帰を目指す習近平氏の政策がまさにその典型である。

鄧小平だけが可能だった改革開放

まず、共産主義一党独裁のままでの「市場経済の導入」は、鄧小平という超人だからできたことである。この点については当サイト1月9日の記事「客家・鄧小平の遺産を失った中国共産党の『哀しき運命』を読む」を参照いただきたい。

我々は、すでに40年にわたる改革・解放の成果を目の当たりにしているから、当然のように思われているが、改革開放が始まった40年前は東西冷戦の真っ最中で、共産主義国家が資本種後の象徴とも言える「自由市場」政策を取り入れるなどということはまったく考えられなかった。

今では、そのあまりの非効率さのゆえに「絶滅危惧種」となっている5ヵ年計画などの「計画経済」が当時の共産主義国家の基本理念であり、党が「指導する」という共産主義思想にも合致していた。

その中で鄧小平が、毛沢東に蹂躙され、現在の北朝鮮よりもひどい状態であった中国を復活させる起死回生の手段として採用したのが「改革開放」である。

1978年12月に開催された中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で提出されたのが始まりだが、その後しばらくの間、中国の国民は冷ややかな目で見ていた。

なぜなら毛沢東時代の1956年から57年に共産主義中国で行われた政治運動「百花斉放、百家争鳴」の結末を知っていたからである。

当初、「共産党に関する自由な意見を募集中」ということで始まったこの運動に賛同し、大学教授をはじめとする多くの国民が意見を述べた。ところが、後に方針が転換され、この時の共産党に対する批判を理由に多くの国民が粛正された。

最初、中国人民が「共産党の指導など気にせずに、自由に商売をやってください」と言われたときに「例の反体制派あぶり出し作戦だな」と思ったのも無理は無い。

その後、鄧小平の懸命な努力で徐々に改革開放政策が浸透したのだが、その過程で不平等や腐敗の蔓延などの問題も生じてきた。その時に起こったのが、1989年の天安門事件である。

鄧小平

これは、鄧小平が主導する改革開放に対する痛手であったが、共産主義中国の人権問題に対する非難は「反日政策の強化」で欧米の目をそらした。さらには、1992年に行われた「南巡講話」で中国国民に再度呼びかけたことが効を奏し、その後の爆発的な経済成長を生み出した。

そもそも、北朝鮮よりも貧しい(改革開放初期と同時期の北朝鮮は、地下資源などで意外に潤っていた)状態からスタートしたのだから、その成長ぶりは天文学的である。

ただ、同じことを北朝鮮に期待している欧米の投資家は良い結果を得ないだろう。金正恩氏とトランプ氏の交渉がうまく決着し、北朝鮮版・改革開放が始まったとしても、「共産主義一党独裁と自由市場」という相反するものを鄧小平のようにうまく操れるはずが無く、結局とん挫するはずである。

また、習近平氏以前は一応、鄧小平路線を保っていたので、1997年の鄧小平没後も経済は順調に拡大し、2008年の北京オリンピックで頂点に達した。

共産党のための中国が鮮明になった

しかし、習近平氏の時代に入り、輝かしい鄧小平の遺産は次々と破壊され、毛沢東暗黒時代への回帰色が鮮明になった。

ここで長い歴史を振り返れば、中華世界(中国大陸)では反乱・革命や異民族の征服によって200~300年ごとに王朝の交代を繰り返しているが、各地の統治機構はずっと継承されて中央と人民の橋渡し役となってきた。

中国がモンゴルの植民地であった「元」の時代にも、統治機構はあくまで中華世界の伝統的なものであった。

士大夫が支える地方の社会機構こそ共産主義革命を経ても続く伝統であり、過去の戦乱を乗り越えて社会を維持してきた根幹といえる。

革命を完遂するには、社会の隅々に残るこれら伝統を根こそぎ破壊する必要があり、そのためには、良識や教養と呼ばれているものすら邪魔になる。

そこで文化大革命の革命の初期に標的とされたのはまさに旧思想、旧文化、旧伝統、旧習慣と名指しされた中国社会の支柱そのものであった。

実利主義によって経済の建て直しを行う組織や人々(走資派と呼ばれた)、伝統的な価値観や文化を継承して社会の安定を図る人々は、全て社会主義革命を後退させる敵であり打倒すべき階級と認識しなければならないというわけだ。そうした人々は「牛鬼蛇神」という庶民にわかりやすい悪役のイメージで糾弾された。

しかし、そのように、かつて毛沢東暗黒時代に走資派と呼ばれた人々や、中華社会の伝統的価値観を持つ人々こそが「改革開放」において重要な役割を果たした。市場経済を立ち上げたり、世界中に広がる華僑ネットワークをフルに活用したのも彼らだ。

               1984年10月1日に中国建国35周年のイベントで「こんにち、
                小平さん」の横断幕を掲げ、鄧小平が主導する改革開放を
                 歓迎する意を表した群衆。
 

その鄧小平をはじめとする中国繁栄の恩人たちをないがしろにし、毛沢東暗黒時代に回帰しようとする習近平氏は、共産主義中国をかつての北朝鮮並みの「暗黒時代」に引き戻そうとしているといえる。

習近平氏が愚かなのも原因の1つかもしれないが、より根本的には、「中国の経済的繁栄よりも共産党一党独裁の方が重要である」ということだ。

筆者は、アリババの創業者、ジャック・マー氏の突然の引退がその路線転換の象徴だと考えている。

<主要参考文献>人間経済科学研究所HP・藤原相禅研究レポート「六四天安門事件30周年を前に文革の意義を考えてみる」

【私の論評】毛沢東時代に逆戻りした中国はどうすべきなのかを考えてみた(゚д゚)!

ブログ冒頭の大原の記事には、以下のようなくだりがありました。
ロシア革命は、1917年に2回起きており、最初の2月革命は、自由主義者が中心の「民主国家」を目指すもので、ブルジョア革命とみなされていた。この革命が成功していれば、ロシア(ソ連邦)は、もしかしたら先進資本主義・自由国家の一員となっていたかもしれない。
私もそう思います。現在の先進国は、フランスのような過激であったか、英国のようにもっと穏健であったにしても、ある程度犠牲をはらって民主化するという道をたどり、さらに様々な経緯を経て現在に至っています。

その過程において、先進国は民主化だけではなく、政治と経済の分離、法治国家化を実現し社会構造変革を行い今日に至っています。日本も、明治維新後に急速にこれを実施し、世界の列強に仲間入りました。

まさに、今日「民主国家」といわれている国々と、中国・ロシアや他の発展途上国とはここに大きな差があります。

今日「民主国家」と呼ばれる国々は、どうして民主化、政治と経済、法治国家化の道をすすめたかといえば、個々の事情は各国で違うところがありますが、当時のヨーロッパでは、強国がいくつかあり、それらの国々が富国強兵策をとっており、他国に国力で劣ってしまっては、他国に征服されるという危機感があったからだと思います。

軍事力も国の富が土台になっています。経済がある程度は良くないと強い軍隊は持てません。国を富ますためには、一部の富裕層だけや政府が努力したとしても限界があります。

国を富ますことは、多数の中間層が、自由に活発に社会経済活動を行える体制を整えてはじめてできるものです。

だからこそ、先進国は先進国になる前に、民主化、政治と経済の分離、法治国家化を行い、社会構造変革をなしとげ多数の中間層を輩出し、これらが自由活発に社会経済活動を行える体制を整えたのです。そうして、経済を富ませて、軍事力を強化したのです。無論、西欧では、民主化とはいっても、白人だけのものでしたが、それでも国力を増すことはできました。

日本も明治維新をなしとげ、当時の西欧なみに、民主化、政治と経済の分離、法治国家化を成し遂げたからこそ、今日先進国の一端を担うことができているのです。

ロシアや中国はこのプロセスを欠いて、経済だけ発展させることに成功しました。ロシアは、ソ連時代に敗戦国ドイツからの科学技術を導入したこと等により、発展することができました。

中国は、主に海外からの巨額な投資を得て、発展することができました。しかし、両国とも西欧や日本にみられるような、社会構造改革は行われませんでした。そのため、今でも両国は遅れた社会構造がそのまま温存されています。

       中国には選挙制度はないが現在のロシアにはそれがある。
       ところがロシアはとても民主国家と呼べる状況ではない


ソ連は、結局社会構造改革をしないまま、冷戦による疲弊も手伝い崩壊しました。ロシアがその後を引き継ぎましたが、軍事的には侮れないですが、今日その経済規模は、韓国を若干下回るほどの規模しかありません。

先進国は、中国が経済的に豊かになれば、先進国が過去に行ったような、社会構造改革を実行して、先進国のような体制になると信じて、中国の動向を見守りましたが、結局それはなされずに今日に至っています。

そうして、現在は中国もソ連のように、社会構造変革ができないまま、経済は衰退しつつあるところに、米国から貿易戦争を挑まれています。

このブログでも過去に何度か述べてきたように、この貿易戦争はやがて、本格的な冷戦にまで発展し、中国が体制を変えるか、経済的に他国に影響を及ぼせないくらい経済が衰退するまで、続けられることになります。

ブログ冒頭の記事で、大原氏が語っているように、「中国の経済的繁栄よりも共産党一党独裁の方が重要である」という理念を変えることはないでしょから、中国は他国に影響を及ぼせないくらい経済が弱体化するしかないようです。

私は、経済が弱体化した後の中国は「図体だけが大きい、アジアの凡庸な独裁国家になり果てる」と過去の記事で何度か主張してきましたが、これがまさしく、冒頭の記事で大原氏が語っている「毛沢東時代に逆戻り」ということだと思います。

もし中国がそのような状態となった場合、どうすれば良いのかという問題があります。先進国も中国には経済発展してもらいたいとは思っているのでしょうが、その結果過去の中国がどのようになったかを考えれば、単純に経済支援や技術協力などできないと思います。

私は、現在の中国の版図がいくつかの国に別れて、かつて西欧諸国が富国強兵のために、互いに競い合っていた時代のような環境ができれば良いと思っています。

互いに競い合い、分裂した国々が、富国強兵でしのぎを削るのです。相手をしのぐため、民主化と、政治と経済の分離、民主化を成し遂げ、社会構造改革を実現して、中間層を多数輩出させ、彼らが自由に社会経済活動ができるようにして、各々の国が自国を富ませるように仕向けるのです。

これにより、中国ははじめて民主的国家もしくは国家群になることができるかもしれません。そうして、この競争にロシアも加わるべきだと思います。

このような競争を経れば、ユーラシア大陸の中国とロシアと大きな領域が、民主主義国家に生まれ変わるかもしれません。それには最低でも数十年という年月が必要かもしれません。しかし、それを待つ価値は十分にあると思います。

経済が衰弱し、他国に影響力を及ぼせないまで疲弊した中国やロシアよりは、世界にとってもこのほうが良いのではないかと思います。

米国は、たとえ冷戦で中国に勝利したとしても、その後に何をどうするのかを今から考えておくべきです。そのまま放置しておけば、中国は疲弊したままで、世界経済にも良いことは一つもありません。

ただし、米国が直接干渉することは、良い結果を招くことはないと思います。しかし、互いに競争させるように仕向けることはできると思います。そうして、日本をはじめとする他の先進国もそのように仕向けることに協力すれば、意外とうまくいくかもしれません。

そうして、そう仕向けることが、ソ連に返り咲こうとするロシアを強く牽制することになると思います。

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2016年4月9日土曜日

毛沢東時代の大飢饉暴いた中国人記者が出国禁止に―【私の論評】権力闘争真っ最中の中国では、共産党統治の正当性が揺らいでいる(゚д゚)!


楊継縄氏 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
中国の国営新華社通信のエース記者として活躍し、毛沢東の失政によって1959年から1961年までの3年の間に発生した大飢饉の実態をまとめた書を発表した楊継縄氏が自宅軟禁状態になっていることが分かった。

ハーバード大学が楊氏の著書を高く評価し、同書を年間でもっと優れたジャーナリストの作品として選出。楊氏を授賞式に招待したところ、中国当局は同書を発行禁止処分にするとともに、楊氏の出国を禁止した。米ニューヨーク・タイムズが報じた。

楊氏は1940年11月、湖北省の生まれで、現在75歳。名門の清華大学を卒業後、1968年に新華社に入社、記者として活動し、1992年には中国でもっとも傑出したジャーナリストに選ばれている。

同書は『墓碑-中国六十年代大飢荒紀実』(上・下、香港・天地図書)だが、邦訳として「毛沢東 大躍進秘録」(文芸春秋)がある。

楊氏が大飢饉の実態を調べようとしたきっかけは、養父をこの飢饉で失ったためで、1990年代から精力的に調査を開始。

同書によると、この大飢饉における死者数は国家統計局データを基にすると4770万人で、地方志や地方の統計を集計すると5318万人。しかし、楊氏の現地調査などでは不正常な死に方は3600万人、出生減4000万人で、結局人口損失は7600万人にのぼるという。

楊氏は大飢饉がこのような大きな被害を出したことについて、毛沢東や劉少奇ら当時の最高指導部の責任感の欠如を挙げており、中国内で度重なる妨害を受けながらも、執念で同書をまとめたという。

このため、同書は中国内ではなく香港で出版されており、しかも大陸内では発行禁止処分を受けている。

しかし、ハーバード大学のジャーナリズム研究の高等教育機関、ニーマン協会は昨年末、同書に対して、「ルイス・M・リオンズ良心と正義賞」の授賞を決定し、今年3月に同大で行われる授賞式に楊氏を招待。しかし、中国当局は楊氏に対して出国禁止措置をとったことから、楊氏は式典には出席できなかった。

中国では2012年秋の習近平指導部が発足して以来、言論弾圧の動きが強まっており、多くの言論人や人権活動家らも逮捕投獄されており、楊氏の出国禁止措置も習近平指導部の意向が強く反映されているのは間違いない。

【私の論評】権力闘争真っ最中の中国では、共産党統治の正当性が揺らいでいる(゚д゚)!

楊継縄氏による『墓碑-中国六十年代大飢荒紀実』に関して、以下に若干説明します。

毛沢東大躍進秘録
『墓碑-中国六十年代大飢荒紀実』の日本語版表紙

当時若い学徒として、養父が餓死したにもかかわらず、「大躍進」の理想を信じた著者。89年の天安門事件を契機に、新華社記者の特権をいかし、中国17省の公文書館の内部文書や当時の幹部らへの取材を重ねて、浮かび上がってきたものは、毛沢東の独裁とそれに追随する官僚機構の、悲惨なる失敗でした。

各省ごとの被害の差はどこから生じたのか。失政に抵抗する勢力はなぜ、潰されたのか。飢餓の最中にも、海外への食糧輸出が続いていたのはなぜか。

毛沢東は悲劇をいつ知ったのか。周恩来、鄧小平、劉少奇、彭徳懐、林彪ら建国以来の幹部たちは、どう動き、何を発言したのか。

同書は、無謀な生産計画と偽りの報告によって未曽有の人的被害を生んだ大躍進(1958~60年)の惨状を克明に描きました。彼は各地の資料を調べ、大躍進による餓死者を3600万人と推定しました。

書名は、その犠牲者たちへの追悼を著したものです。中国共産党は大躍進を左傾路線によって「国家と国民に重大な損失を与えた」と誤りを認めてはいますが、詳細な実態への言及はタブー視されています。同書も中国国内では発禁で、香港で出版された後、各国語に翻訳されました。これまでに米国やスウェーデン、香港で受賞歴があります。

現実を重視する「実務派」と左派政策をテコに独裁体制を築こうとする毛沢東との間で振り子のようにゆれた共産中国の現代史。その「権力闘争」のなかで今日まで続く中国の国の形が形成されていったことを鮮やかに描き出す第一級の歴史書です。

自宅での楊継縄氏 
中国の元新華社記者、楊継縄氏が著した『墓碑』(邦訳名『毛沢東 大躍進秘録』) が米国ハーバード大学ニーマン財団のルイスライアンズ賞(Louis Lyons Award)を受け、先月10日、授賞式が行われました。本人は出国を禁じられ、式典に参加できなかったのですが、英訳されたメッセージが読み上げられました。

ルイスライアンズ賞の受賞理由は「壮大なビジョンと、困難を恐れないリポート」であるというものです。同財団は「楊継縄の仕事は、事実を伝えるため多くの障害に直面している世界のすべてのジャーナリストの努力に訴えるものであり、今日において、彼のような勇気ある、熱情あるジャーナリストがかつてないほど求められている」と称賛しました。

彼が用意した受賞スピーチは独自の記者論でした。

記者は、事実を捻じ曲げ、多くの人間をだます下劣な職業にもなるし、真実を明らかにし、社会の良心を担う高尚な職業にもなります。自己保身に走り、真相を見て見ぬふりする凡庸な職業にもなるし、将来を見据えて権力を批判し、社会と対話をする神聖な職業にもなります。権力に取り入り、要人と宴会を重ねる安全な職業にもなるし、権勢集団の利益と衝突する危険な職業にもなります。

下劣と高尚、凡庸と神聖の間を分けるものは、記者本人の良知と人格、価値観である、と彼は言います。彼は、メディアを学ぶ学生たちには次のように教えるそうです。

「一つ、何も求めない。二つ、何も恐れない。三つ、天地の間に自立する。何も求めないとは、地位や金儲けを求めないということ。何も恐れないとは、自分の行動を正し、外部の付け入るスキを与えないこと。自立するとは、権勢に頼らず、自分の人格と専門性によって社会で独立すること」

彼のスピーチは、「真相は真理を検証する試金石であり、真相がなければ真理も理もない。記者はすなわち、真相を記録し、発掘し、それを守る者である」と結ばれています。

楊継縄氏は昨年6月、12年間、編集に関わっていた歴史月刊誌『炎黄春秋』からの退陣を迫られました。宣伝当局が彼の福利厚生を主管する新華社通信に圧力をかけ、「年金をストップさせる」と脅す悪辣な手口を用いたそうです。

彼は退任に際し、メディア監督官庁の国家新聞出版ラジオテレビ総局向けの「最終陳述」を発表し、「以前に比べ世論への締め付けは厳しくなっている。あなた方は事前の届け出を審査に置き換えており、言論の自由を認めた憲法に違反しているばかりでなく、『中国に事前検閲制度はない』としている対外公約にももとるものだ」と抗議しました。

歴史月刊誌『炎黄春秋』の表紙
全国人民代表大会が開かれていた北京では、現職の新華社記者が自身のブログに、ネットでの恣意的な言論統制に対し「言論の自由を侵害するものだ」と抗議する意見を公表し、話題になっていました。中国だけの問題ではないことを、楊継縄氏の受賞は訴えかけています。彼は「事実を伝えるため多くの障害に直面している世界のすべてのジャーナリストの努力に訴える」と評価されたのです。

最近の楊継縄氏
さて、この「大躍進」による死亡者について、楊継縄氏の調査以前にも調査がありました。それは、『共産主義黒書』という書籍の中に掲載されています。

これについては、以前このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
陳腐すぎるアカ攻撃 菅や仙谷などタダの政権亡者―共産主義は良い思想ですか?

この記事は、民主党政権時代の菅総理のときに掲載したものです。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、『共産主義黒書』という書籍について掲載しました。この書籍には、共産主義によって亡くなった人々の数をあげており、その合計人数は一億人としています。

以下に中国の部分のみコピペします。
◆中国の場合
  毛沢東は、昭和32年(1957)2月27日、「49年から54年までの間に80万人を処刑した」と自ら述べています。(ザ・ワールド・アルマナック1975年版)。周恩来は、同年6月、全国人民代表大会報告で、1949年以来「反革命」の罪で逮捕された者のうち、16%にあたる83万人を処刑したと報告しています。また、42%が労働改造所(労改、強制収容所)に送られ、32%が監視下に置かれたと述べています。
毛沢東は、その後もさまざまな権力闘争や失政を続けましたが、丁抒らの研究によると、大躍進運動と文化大革命によって、2,000万人が死に追いやられたとされています。 
『共産主義黒書』では、ジャン・ルイ・マルゴランが、ほぼ信頼できる数値として、内戦期を除いた犠牲者の数を、次のように総括的に提示しています。 
・体制によって暴力的に死に至らしめられた人
    700万~1,000万人(うち数十万人はチベット人)
・「反革命派」としてラーゲリに収容され、そこで死亡した人
   約2,000万人
・昭和34~36年(1959~61)の「大躍進期」に餓死した人
   2,000ないし4,300万人
中国共産党は、これだけ人を殺しているのです。その中でも、毛沢東はかなり殺しています。そのため、現在の中国でも毛沢東を建国の父として大々的に国家の英雄として祀りあげられないのです。なぜなら、中国人なら誰でも、自分の親戚か、自分の家族の親しい人の誰かが毛沢東によって、死に追いやられているという事実があるからです。

そのためでしょうか、中国にはいわゆる国家の英雄がいません。無論、三国志などに出てくる英雄はいますが、いわゆる中国(現在の中国から自治区を除いた部分の本来の中国)の英雄は存在しません。

日本のように歴史の古い国で、天皇が存在する国では、天皇が日本統合の象徴となっています。日本より歴史の短い他の国々でも、現在存在する国に直接つながる、建国の父とか、建国の英雄などが必ず存在します。

たとえば、インドであれば、ガンジー、ネール、チャンドラ・ボースという三人の建国の父が存在します。

しかし、中国には中国人民の統合の象徴となる、英雄が存在しません。そのため、鄧小平は鄭和(ていわ)を英雄に仕立てようとしたこともあったのですが、鄭和は少数民族出身者ということもあり結局は英雄にすることはできませんでした。


このような中国人民統合の象徴である英雄も存在しない中国です。本来ならば、毛沢東を建国の父として祀りあげたいところですが、あまりに多くの人民を犠牲にしたということで、それもできません。

中国人民統合の象徴である英雄が存在しなければ、どういうことになるかといえば、無論のこと、中国人民に対して、現在の中国共産党の統治の正当性を強調できないということです。

中国には、常時このような脆弱性がついてまわります。この脆弱性を補うため、まともに一度も戦争をしたことのない日本と、戦争をしたという妄想をつくりあげ、そうして日本が一方的に中国を侵略したことにして、反日教育などで、日本をできるだけ悪者にしたたてて、それを打ち破ったのが中国共産党であるとの虚妄をつくりだし、人民に刷り込み、自分たちの統治の正当性を強調するのです。

こういうことをしなければ、中国は求心力が失われ、いつ崩壊するかわからないので、何が何でも歴史を修正して、悪者日本を懲らしめた中国共産党という虚妄で、何とか、統治の正当性を強調し、人民を納得させて、からくも統治をしているというのが実体なのです。

最近では、習近平の腐敗撲滅運動に名を借りてはいるものの、その実は権力闘争に過ぎない、取り締まりが行われ、習近平が優勢にみえましたが、それもつかの間、以前このブログでも示したように、全国政治協商会議での王岐山氏の習近平に対する慣れ慣れしいたいどから、現在の習近平は、真の実力者にはなれておらず、それどころか一歩後退して、王岐山氏もしくは、王岐山氏を操るものが真の実力者になったようです。

全国政治協商会議で習近平国家主席を後ろから手をかけて呼び止め、話しかけた王岐山氏
しかし、この状況もいつまで続くかわかりません。このような権力闘争のまっただ中で、派閥が統治の正当性を競っているときに、楊継縄氏が「ルイス・M・リオンズ良心と正義賞」の授賞するということが中国国内で広まれば、いずれの派閥が優勢であったにしろ、そもそも中国共産党の統治の正当性が人民に疑われることになるのを恐れたので、当局は楊継縄氏出国禁止処分どころか軟禁状態にしたのだと思います。

習近平でも、反習近平派のいずれであっても、強力に統治の正当性を人民に強調することができれば、楊継縄氏を軟禁状態にする必要性など全くないはずです。

楊継縄氏は、この著書で、現実を重視する「実務派」と左派政策をテコに独裁体制を築こうとする毛沢東との間で振り子のようにゆれた共産中国の現代史。その「権力闘争」のなかで今日まで続く中国の国の形が形成されていったことを鮮やかに描き出しました。そうして、この権力闘争は今も続いているということです。結局、大躍進の時代から中国は根本的に変わっていないということです。

いずれにせよ、現状のままでは、どう考えてみも中国共産党の統治の正当性は、弱まることはあれ、強まることはありません。どんどん、弱くなれば、いずれ現在の共産党の指導体制は崩れるでしょう。崩れた結果どうなるかわかりませんが、中国の過去の歴史をみれば、またいくつかの国に分裂するとみるのが順当です。

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