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2020年2月11日火曜日

政治色濃いアカデミー賞の視聴率が過去最低、視聴者は前年から約600万減少―【私の論評】『パラサイト』で韓国社会の実体を鋭く抉っても、韓国政府が正しい政策を実行しなければ社会は変わらない(゚д゚)!

政治色濃いアカデミー賞の視聴率が過去最低、視聴者は前年から約600万減少

<引用元:FOXニュース 2020.2.10

ハリウッド・リポーター紙(THR)によると、ABCの政治色の濃いアカデミー賞テレビ中継は、日曜日の夜の平均視聴者数が2,360万人と過去最低となった。

THRは、全体で「昨年の授賞式の2,956万人・7.7パーセントをはるかに下回」り、前年比で視聴者数が20パーセント減少したと指摘した。アカデミー賞はメインターゲット層の18から49歳の成人でなんとか5.3パーセントを達成したが、昨年の7.7パーセントから31パーセント減少した。

司会のいない長時間の放送は、2018年に平均2,654万人の視聴者数で史上最低となった時からすると約200万人視聴者が減少した。

第91回アカデミー賞

「なんとか希望の兆しを見出す必要があるというなら、第92回アカデミー賞は第91回アカデミー賞以降ではテレビで最も視聴されたエンターテイメント番組だった。いうまでもなく、それも全く予想通りだった」とザ・ラップの視聴率の権威、トニー・マグリオは書いた。

アカデミー賞の主役となった受賞者の中には、授賞式に政治を差しはさむ者がいた。皮切りとなったのはテレビ放送された最初の受賞者、ブラッド・ピットで、トランプ大統領の弾劾裁判で証人喚問に反対した共和党上院議員を狙い撃ちにした。

「私には45秒しかここで話す時間がないと言われているが、それはジョン・ボルトンに今週上院が与えた時間よりも長い時間だ。クエンティン(タランティーノ)がそれに関する映画をやるかもしれないと思っている。最後に大人が正しいことをするんだ」とピットは語った。

ピットだけがコメントに政治色を着けた役者ではなく、ホアキン・フェニックスは主演男優賞の長く、感情的な受賞スピーチで、中でも人間性の状況と牛の置かれた窮状について話した。

「我々は牛を人工受精させる権利があると感じている。そして生まれたら母牛が紛れもなく苦悩の叫びを上げているのにその子供を盗み、それから我々は子牛のためのミルクを取り上げてコーヒーやシリアルに入れている」とフェニックスは語った。

バラク・オバマ、ミシェル・オバマ夫妻がプロデュースし長編ドキュメンタリー賞を受賞した「アメリカン・ファクトリー」の共同監督、ジュリア・ライカートの演説では、社会主義革命論者のカール・マルクスまで引用された。

【私の論評】『パラサイト』で韓国社会の実体を鋭く抉っても、韓国政府が正しい政策を実行しなければ社会は変わらない(゚д゚)!

今回、作品賞を争っていたのは『パラサイト』と、(作品賞、監督賞など10部門でノミネートされた)『1917』(サム・メンデンス監督)ですが、格差社会や分断という政治的メッセージの強い前者に比べ、後者は政治色の全く感じさせない作品です。

作品賞を受賞した『パラサイト』のポン・ジュノ監督

古い体質のアカデミーはこれまで、大統領選が行われる年の作品賞にはミュージカルや歴史作品を選出してきたのですが、それが今回は政治色の強い映画を選んだわけです。

しかも、かつて韓国右派政権から反政府的な作風などと難癖をつけられ、国家情報院のブラックリストに入れられた経験のあるポン・ジュノ監督にも監督賞です。

これらが意味することといえば、米国内で“分断の象徴”と位置付けられているトランプ大統領に対する痛烈な批判ではないでしょうか。格差拡大、人種差別、分断という、トランプ的なものされる空気を、アカデミーが相当、嫌っているのは間違いないです。

イランなどイスラム教国7カ国の市民の入国を90日間禁止したトランプ大統領に対し、抗議声明を出したこともある映画芸術科学アカデミーです。今回も痛烈なメッセージをトランプ大統領に出したつもりなのでしょうか、おそらくトランプ大統領はまったく気にもとめないでしょう。

そうして、ここがすでに勘違いです。米国社会は昔から分断されていたのです。ざっくり言ってしまうと、元々米国はいわゆるリベラル・左派と、保守派に分断されていたのです。

そうして、テレビ・新聞等のマスコミ、学校、職場、役所等、そうして映画界などエンターティンメント業界もリベラル・左派が牛耳っていて、米国の保守派は、何かを主張してもリベラル・左派の大きな声にかき消されてしまっていたというのが実情でした。

リベラル・左派の声があまりに大きくて、保守派はますます口をつぐまず負えなくなっていたというのが実情だったと思います。とにかく自分の身の回りは、どこに行っても、保守派が主張しても、否定されるか、非難されるしかなかったのです。

リベラル・左派一色の状態は米国映画界も同じです。この業界では保守の居場所はあまりありません。生粋のリベラル・左派でないと、うまく世渡りができません。

だからでしょうか、米国のテレビ番組などでは、ハリウッド俳優が「自分は昔は生粋の共和党員」だったことを告白するものも結構みられました。しかも、若い頃ヤンチャをしていたような語り口のものがほとんどです。しかし、それは「自分は現在は生粋のリベラル・左派」であることを強調することでもあります。

このような状況の米国ですが、米国ではリベラル・左派がメインストリームのようにみられてきたのですが、トランプ氏が大統領になってからは、風向きが変わってきました。保守派が巻き返してきているのです。そうして、保守派の声が必ずしもかき消されるばかりではなくなってきたのです。

考えてみれば、当たり前です、リベラル・左派は自分たちが世の中の大部分を占めてきたのが、トランプ登場でそうではなくなったと言いたいのてしょうが、現実は違ったのです。実はもともと、米国には半数近くの保守派が存在していたのですが、その声がかき消されていただけだったのです。

それが、トランプ大統領が登場してから、明らかになっただけの話なのです。無論、米国の社会の分裂はもっと複雑で深刻ですが、大括りで煎じつめればそういうことになります。

そのことを理解せず、日本のマスコミなども、米国のリベラル・左派マスコミの情報を垂れ流すだけで、日本の多くの人々は、米国の半分リベラル・左派の主張だけを耳にし、保守派の主張は耳に入らず、米国の半分しか知らないというのが実情でした。

最近のハリウッド映画を観ていて、よく感じるのは、フィクションであるはずの映画の世界にまでいわゆるリベラル・左派による、ポリティカル・コレクトネス(以下「ポリ・コレ」)の影響が及んでいるということです。

3年前には、アカデミー賞で黒人俳優が全くノミネートされず、「白人ばかりのアカデミー賞」と揶揄した批判が問題になり騒がれたことがありました。

「ポリ・コレ」のことを知らない人がこんな話を聞くと、条件反射的に「黒人差別だ!」と憤るのかもしれないですが、公平な判断の上で本当に黒人俳優にノミネート者がいない場合はどうするのか、ということも併せて考える必要があります。

ハリウッド映画に出演している俳優の比率は黒人よりも白人の方が圧倒的に多いわけですから、たまには黒人が受賞できない年度があっても、それはそれで仕方がないことだとも言えます。実際、出演比率の低い黄色人種もアカデミー賞にノミネートされるようなことは全くと言っていいほど無いですが、誰も文句は言っていません。

この騒ぎがあったこととも関係しているのかもしれないですが、現在のハリウッド映画(海外ドラマも同様)には、どんな映画にも一定数の白人以外のキャストが出演する場合が多くなっています。

同時に、同性愛者を演じる俳優が多く登場するようになりました。マイノリティの認知度を上げるという目的でそのようなことが行われているのかもしれないですが、実社会における同性愛者の割合を考慮すれば、明らかに過剰な扱いになっているという違和感は拭えないです。

こういった特別扱いをすること自体が、実は差別そのものであると思われるのですが、「ポリ・コレ」を厚く信奉する人々には、そのことが見えなくなっているのかもしれないです。

どれだけ建前を飾ったところで、特別扱いしなければならない存在を自ら作り出し、腫れ物に触るかの如くタブーを作り出すことが、差別をより根深いものにするということが解らないというのは悲劇そのものです。

ハリウッド映画の内容ではなく、ハリウッド映画界そのものが壮大な悲劇を演じているということが多くの人々に理解される日は訪れるのでしょうか。もし、その日が来れば、それはアカデミー賞ものの栄誉ある瞬間でしょう。

さて、話を韓国に戻します。この映画「パラサイト」に描かれるような、本格的に韓国が格差社会へと突入したのは、1997年の年末に韓国を襲った「IMF危機」がきっかけでした。「IMF危機」とは、アジア金融危機に伴い財政破綻の危機に直面した韓国政府が、IMFから多額の資金援助を受けるため、国家財政の「主権」をIMFに譲り渡したものです。

金大中大統領

翌1998年2月に就任した金大中大統領は、「民主主義と市場経済の並行発展」をモットーとする「DJノミクス」を提唱し、IMF体制からの早期脱却を目指しました。

「DJノミクス」とは、経済危機を招いた原因を、これまで30年余りにわたって続けられてきた政経癒着と不正腐敗、モラルハザードによるものと見なし、その改善のため、自由放任ではなく政府が積極的な役割を果たすとする経済政策でした。

つまり、公正な競争が行われるように市場のルールを定めて、市場を監視し、個人の努力や能力によって正当な報酬がもらえるシステムを作るというのが政策の核心でした。

しかし、実際に金大中政権が実施した戦略は、資本市場の開放、国家規制の緩和、公企業の民営化、そして労働市場の柔軟化およびリストラ強行など、新自由主義的な政策ばかりでした。こうした金大中政権の「劇薬療法」によって、3年8ヵ月後の2001年8月23日、韓国はIMFから借り入れた資金を早期に返済し、経済主権を取り戻しました。

しかし皮肉なことに、その過程で中産階級が崩壊し、二極化と所得の不平等がさらに深刻化してしまったのです。

韓国を代表する「進歩派」(韓国では左派をこう呼ぶ)の経済学者である柳鍾一(ユ・ジョンイル)韓国開発研究院(KDI)国際政策大学院院長は、進歩系(左派系)メディアである「プレシアン」に次のような文章を寄稿しています。
約20年前に韓国を襲ったIMF危機以降、韓国社会における最大のイシューは、二極化による「格差社会」である。 
現在の韓国社会は、単に不平等なことが問題なのではなく、富と貧困が世代を超えて継承される点が際立った特徴となっている。 
すなわち、世代間の階層の移動性が低下し、機会の不平等が深まり、いくら努力しても階層の上昇が難しい社会、すなわち「障壁社会」へと移行したのだ
たしかに、2018年に韓国の有力シンクタンクの一つである現代経済研究院が発表したアンケート調査の結果を見ると、「いくら熱心に努力しても、自分の階層が上昇していく可能性は低い」と考えている韓国人は、2013年が75.2%、2015年が81.0%、2017年が83.4%と、毎年上昇しています。

柳鍾一院長が主張した「障壁社会」について、韓国人の8割以上が同意していると見ることができるでしょう。

また、2018年6月に韓国保健社会研究院が発表した「社会統合の実態診断及び対応策研究」報告書によると 韓国人の85.4%が「所得の格差が大きすぎる」と思っており、80.8%が「人生で成功するには、裕福な家で生まれることが重要だ」と考えています。

深刻な不平等や格差は映画の中だけの話ではなく、韓国社会の現実そのものなのです。

しかしながら、韓国においてはこのような不平等や格差がなぜ起こるのかという議論については、活発な議論が行われおらず、その結果不平等・格差を是正する政策がおこなれてきませんでした。

韓国の経済政策は結局「DJノミクス」の延長線上にあり、経済危機を招いた原因を、長期にわたって続けられてきた政経癒着と不正腐敗、モラルハザードによるものと見なし、その改善のため、自由放任ではなく政府が積極的な役割を果たすとする経済政策をとってたように思われます。

文政権による、金融緩和をしないで、最低賃金だけをあげるという結局大失敗して雇用が激減しました。

韓国では、DJのミクス後から、雇用を改善するために、金融緩和をするという政策はとられてきませんでした。そのため、かなり前より雇用は悪く、最近では最悪という事態になっています。数年前から、若者の間で雇用が最悪ということで、「朝鮮ヘル」という言葉が合言葉になっています。

これと似たようにことは、過去に日本でも行われてきました。それはいわゆる構造改革というものです。結局、構造改革をしないからいつまでたっても、日本は経済成長できないのだという論議ばかりで、政府だけが実行できるまともな財政政策や、金融緩和政策がなおざりにされました。

そのため、日本は平成年間には、デフレであるにも関わらず、財務省は増税を繰り返し、日銀は金融引き締めを繰り返し、日本経済は低迷しデフレがさらに進化し、超円高で産業界は苦しみました。

しかし、安倍内閣が誕生してから、構造改革一辺倒だった、経済議論も変わり、日銀は異次元の金融緩和に踏み切りました。そのため、雇用はかなり改善されました。ところが、財政政策は、二度も増税するという過ちをおかしたため、経済は伸びませんでした。

そのため、日本の経済成長率は韓国以下です。韓国の成長率は従来よりは、落ちているのですが、それでも、韓国は2.0%増、日本は1.0%増。2019年の経済成長率は、韓国が日本より1%ポイント以上高いという結果となっています。

しかし、それでも金融緩和は、日銀がイールドカーブコントロールを導入して以来、抑制気味ながら、継続しているので、増税で緩和の効果が削がれているとはいえ、雇用は韓国よりは随分まともです。

一般教書演説をするトランプ大統領

米国は、トランプ氏が最近一般教書演説を行ったばかりですが、雇用なども含め堅調な経済を訴求していました。さらに、新たな減税政策も打ち出していました。

結局韓国は、雇用を良くするといいながら、雇用と密接な関係があるといわれている、金融緩和を実行せずに、最低賃金だけをあげるという愚挙によって、雇用が最悪となり、とんでもない状況をつくりだしています。

このような状況は、大規模な金融緩和をしないと是正できないです。韓国が金融緩和をすると、キャピタル・フライトが起こるとか、ハイパーインフレがおこるという人もいますが、物価目標の範囲内で実行していれば、そのようなことは考えにくいです。

実際過去にキャピタル・フライトが起きたアイスランドと比較しても、韓国では家計の借金は多いとはいつつも、当時のアイスランドの家計の借金が莫大であり、しかも借金の先がほとんど海外であったことを考えると、韓国ですぐにキャピタル・フライトが起こるとは考えにくいです。

我が国においても、2012年あたりまでは、金融緩和すると、ハイパーインフレが起こるとか、キャピタル・フライトが起こるなどとする識者もいましたが、実際に金融緩和をしてもそのようなことは起こりませんてした。

であれば、韓国銀はすぐにでも、大規模な金融緩和をすべきでしょう。しかし、文大統領の頭にはそのような考えはまったくないようです。

結局、米国ではリベラル・左翼によるポリテカル・コレクトネスが提唱され、実行されていたり、韓国では政経癒着と不正腐敗、モラルハザードによるものと見なし、その改善ばかり叫ばれたりしているわけですが、そのようなことだけをしても全く無駄であり、無意味であり、そのことに多くの米国人が気づいたからこそ、政治色濃いアカデミー賞のテレビでの視聴率が過去最低になったのかもしれません。

結局極端なポリティカル・コレクトネスを実行するばかりで、政府が本来実行すべきまともなマクロ経済政策を実行しなければ、世の中、特に社会は何も変わらないということを多くの米国民は気づきつつあるのかもしれません。

無論、正しい経済対策をすることだけで、社会が改善されるわけではありませんが、正しい経済対策をしなければ、社会を良くする緒にもなりません。これなしに、小手先で何かを実行したとしても、砂上の楼閣になるだけです。

生産能力の低い発展途上国であれば、財政政策や金融政策の実行にも限りがありますが、韓国や日本は、まだまだできる余地があります。それを実行せずに、構造改革や社会の歪をえぐってばかりいても、何も変わりません。ましてや、韓国のように金融緩和しないとか、日本のように増税するなどのことをしても無意味です。やはり、米国のように政府としてできるマクロ経済政策は間違いのないように実行すべきなのです。

結局韓国も、「バラサイト」という映画等で、政経癒着と不正腐敗、モラルハザードの実体を鋭くえぐったとしても、それに対する具体的な解決策を韓国政府が実行しなければ、社会は何も変わらないということです。日本も同じことです。

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2016年6月14日火曜日

【舛添氏公私混同疑惑】「国民の常識から離れていることに気づいているのか…」 民進・山尾志桜里政調会長がテレビで舛添要一都知事を突き放すも視聴者は「あなたの疑惑どうなった?」―【私の論評】なぜ山尾は責められず、舛添は責められるのか?


山尾志桜里政調会長
民進党の山尾志桜里政調会長は13日夜のBSフジ番組「プライムニュース」に出演し、舛添要一東京都知事の政治資金「公私混同」疑惑について「(舛添氏の)説明を聞いて、自身で辞職をされるのが最も適切だろうということは、わが党としても申し上げている」と突き放した。

山尾氏は「次から次と、一つ一つ出てくるエピソードが国民の暮らしや常識から離れていることに自身が気づいているのかどうかも国民からすると、よく分からない」とも指摘。その上で「『説明すればするほど…』という状況になってしまっているのではないか」と解説した。

ただ、山尾氏自身も“常識外れ”の多額のガソリン代やコーヒー代の支出など「政治とカネ」をめぐる数々の疑惑が指摘されている。

番組の最後、視聴者から「舛添氏の疑惑追及もいいが、ガソリン疑惑の説明はどうなったのか」と質問を受ける流れで、山尾氏は初めて「改めて自分の襟をたださなければ、と思っている」と言及した。

ガソリン代について不適切な処理を行った可能性が高いと説明していた元公設秘書との交渉に関しては「それぞれが弁護士を立てて協議をしている。その顛末もしっかりと説明させていただきたい」と述べた。

【私の論評】なぜ山尾は責められず、舛添は責められるのか?

政治資金規正法がザル法であるということが、山尾志桜里や舛添要一のような政治家を生み出す原因であるということを正論すぎる松井大阪府知事の主張の動画を以下に掲載します。


それにしても、舛添知事への追求はかなり厳しく行われています。本人も辞任の決意をしているようですが、9月のリオ五輪まで待ってくれなどと語っています。

しかし、それにしても不思議なのは、同じように政治資金の疑惑で追求された山尾志桜里民主党政調会長がまるで何事もなかったかのように追求されないことです。

産経新聞も今日はブログ冒頭の記事を報道しましたが、他の新聞はスルーです。テレビでもほとんど追求されません。

この違いは一体何なのでしょうか。まずは、識者の声を拾ってみたところ、高須クリニックの院長がなぜ舛添さんがこのように批判を受けるのか、面白いコメントをしていたので、以下にその記事のリンクを掲載します。
【Yes!高須のこれはNo!だぜ】孤立無援の舛添都知事 イメージしやすい疑惑だから批判の声も大きいんだよ
高須クリニック院長
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部分を引用します。
 東京の予算や経済規模が他県と比べてかなり大きいのはいうまでもないよね。都知事の権限は途上国の国家元首に匹敵するほどのものなんだけど、疑いが持たれているのが千葉県の温泉施設などでの宿泊費だったり、回転寿司屋での食費だったりと、金額も含めて一般人にとって身近でイメージしやすいものばかり。「これくらいの金額なら大丈夫」と油断していたのかもしれないね。 
 だとしたら大間違いだ。誰でもイメージしやすいからこそ批判の声が大きいんだよ。逆に「パナマ文書」みたいに金額の規模があまりにも巨大だと、人ごとみたいに感じられて関心を持つ人が少ないよね。
 確かに、こういう面は否めないとは思います。しかし、これが理由で舛添氏が徹底的に追求されるというのなら、山尾志桜里政調会長も同じく、追求されても良いのではないかと思います。

以下に、山尾志桜里政調会長の政治資金疑惑を振り返っておきます。


まずは、上のチャートにも掲載されているように、ガソリン代疑惑、寄付金疑惑がありました。

さらに、以下のような疑惑もありました。


舛添都知事のように、みみっちくてせこい、花代などというのもありました。これは、いくらだったか覚えていません。

さらに、衆院選直前に不可解な「500万円の移動」というのもありました。これは、このブログにも以前掲載したことがあるので、その記事のURLを以下に掲載します。
山尾氏、今度は衆院選直前に不可解な「500万円の移動」 週刊新潮報道 ―【私の論評】献金問題と同じく匿名ブログに基づく議論も指弾されるべきだ(゚д゚)!
 民進党の山尾志桜里政調会長(41)に、新たな疑惑が浮上した。2014年末の衆院選直前、500万円もの大金が同日中に「山尾氏→選挙区総支部→山尾氏」と移動しており、週刊新潮が「脱税」の疑いを指摘したのだ。山尾氏は、プリペイドカードを使った多額のガソリン代を政治資金収支報告書に記載しながら、根拠も示さず「秘書が不正をした疑いがある」と釈明したばかり。一体、どうなっているのか。
 
 14年11月21日に、民主党(当時)から山尾氏は「公認料500万円」を受け取り、10日後の12月1日、山尾氏から総支部に「寄附金」として500万円を計上した。ところが、同じ12月1日、今度は総支部から山尾氏に「選挙費用」として500万円が移動している-というのだ。 
 夕刊フジでも報告書を調べたところ、500万円の移動が確認できた。
花代はせこかったのですが、確かにこうして並べてみると、舛添氏よりは大掛かりのようではあります。 それにしても、パナマ文書がらみの、数千万円とか、億単位ではないので、一般人にも容易に想像できる範囲のような気がします。

にもかかわらず、舛添要一都知事が徹底追求され、山尾志桜里政調会長のには、何か背景があるはずです。

実は、両者の徹底的な差異がありました。それは、舛添要一氏が、保守陣営からも嫌われていたという事実があるということです。山尾志桜里政調会長は一応革新陣営からは少なくとも嫌われていません。

舛添要一氏は、保守、革新からも嫌われているという違いがあります。保守側(一応旧来の保守・革新という分け方のつもりです)からは、元々嫌われており、このところの追求で革新側も嫌っていました。

これについては、若干の説明が必要でしょう。

まずは、舛添要一氏は、もともと安倍首相および保守派自民党議員とは政治思想が合わず、犬猿の仲であることがあげられます。自民党時代から、安倍晋三氏らや保守派議員らの改憲勢力や政策をさんざん批判しまくっていたため、保守派議員や保守派論壇ネトウヨなどから好ましく思われていないというか、嫌われていました。

舛添氏は、もともと東大で助教授を務めていた政治学者でした。しかも、 パリ大学現代国際関係史研究所客員研究員だったこともあるほど、フランスかぶれの近現代的というか革命的な政治思想の持ち主で、安倍氏らのような保守派とは基本的に考えが合わない上に、彼らをちょっと軽蔑しているようなところさえありました。しかし、学者として優れていいということと、政治家としている優れているということは無論、全く別次元の問題です。

実際、舛添氏は政治家としては優れているとはいえませんでした。特に年金問題で「最後の一円まで帳尻をあわせる」というような趣旨の発言をしたときには、私自身はあまりに愚かだと思い、これもかなり驚愕しました。

さて、舛添氏のやんちゃぶりの事例をここにあげておきます。

安倍首相は前政権の時、07年の参院選で惨敗しながらも、当日の夜、すぐに続投宣言しました。

その時に、舛添氏があまりにも辛らつな安倍批判を行なっていたので、私自身驚愕でした。

以下に、『2007年の週刊文春 8月9日号 特集記事 安倍自民37議席の「天罰」』より舛添氏の言葉を含む記事を引用します。 
 まだ開票作業がはじまって間もない21時30分。ニュースで「安倍首相、続投の意向」との一報が流れた瞬間、舛添要一氏は次のように吐き捨てた。
「バカだよなー。まだたたかっている候補がいるのに、なぜこの段階で言う。(自民党は)安倍のために政治をやっているんじゃない。知恵をつける奴がいない。バカにつける薬はないよ!」』 
『安倍内閣を「バカ社長にバカ専務」と言った気持ちは全然変わっていません。ボンボンでもなんでも社長に祭り上げるのはいいわけですよ。どこでも二代目社長、三代目社長はいる。そういう会社は、(社長が)バカだとわかっているけど、周りの専務たちがしっかりしているからもっているわけです。だけど、ボンボンのうえに周りの番頭たちも駄目だから駄目なんです。いまやらなければならないのは、それを替えることに尽きます。』
2007年の通常参院選の結果を報じる新聞 自民は歴史的惨敗を喫した。そのごはねじれ国会に。
このように、自分の能力にかなり自信を持っている舛添氏は、安倍氏らのような世襲の二世、三世政治家を快く思っていないところがあり、彼らを批判することも多かったのです。

しかし、舛添氏が何よりも超保守派やネトウヨに敵視されたのは、同氏が保守的な思想、憲法観を否定し、表立ってて強い批判を繰り返していたからでしょう。

自民党は結党50年を迎えた05年に、憲法改正草案を発表することを計画。改憲・命の中曽根康弘氏を筆頭に、保守派の議員が中心になって、何年もかけて原案を作成しました。ところが、舛添氏らが中心になって、多くの条項や表現を大部分カットしてしまったため、彼らの恨みを買うことになったのです。

このあたりのことを『Wikipedia』から引用します。
 自身は憲法改正に前向きな姿勢を示しているが、自民党改憲案の取り纏めでは民主党や国民に受け入れられることを重視し、保守色を薄めるべく調整にあたった。元首相中曽根康弘が中心となって作成した自民党憲法草案の原案から、「日本の国柄」を明記した箇所を当時の自民党総裁小泉純一郎の了承を得て削除させたのは舛添である。
『毎日新聞・憲法前文の行方  2006年3月13日』から引用します。
 「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として古より戴き、和を尊び…」で始まる。「国を愛する国民の努力」という言葉もある。この原案は、前文小委員長・中曾根康弘が筆をとったとされる。思い入れの溢れる文章だった。 
  だが、この前文原案が10月28日の起草委員会の全体会議に提出されたとき、まったく別のものに差し替えられていた。舛添は、憲法に個人の歴史的解釈を入れてはいけないとして、「和を尊び」は中曾根の個人的歴史観であると切って捨てた。「現職の自民党総裁が違憲になりかねないような表現を、自民党の草案に採用することは絶対にできない」とも。
舛添氏はその後も安倍氏や兄貴分である麻生元首相など自民党の幹部クラスを大批判して、2010年に自民党を離党しました。そうして、14年に無所属で都知事選に出馬しました。安倍首相やその周辺をはじめ、自民党の中には、内心では舛添氏を嫌悪していた人が少なからずいたものの、東京都や五輪への影響力を保持したいがために舛添氏を支援しました。その結果舛添氏が当選しました。

この時には、保守系の識者や一部の政治家、ネトウヨは「何で舛添を支持するのか。(同じ思想の田母神を支持すべきだ)」と強い反発を示していました。結局今となっては、政治資金規制法で逮捕された田母神氏支持は間違いであったことは明らかです。もっとまともな候補者はいなかったのかと、思ってしまいます。

ところが、舛添氏は当選直後に行なった就任会見でも、自民党の新しい改憲草案を否定。同年には、憲法改正に関する本を出版し、その後もずっと安倍政権や超保守派の思想を批判し続けていたのです。

以下に、毎日新聞14年2月14日号から引用します。
 東京都の舛添要一知事は14日、就任後初の定例記者会見で、選挙で支援を受けた自民党の憲法改正草案について「立憲主義の観点から問題がある。今のままの草案だったら、私は国民投票で反対する」と述べた。 
 舛添氏は2005年に自民党がまとめた第1次憲法改正草案の取りまとめに関わった。会見で野党時代の12年に出された第2次草案について問われると「学問的に見た場合、はるかに1次草案の方が優れている」と指摘。2次草案の問題点として(1)天皇を国の「象徴」から「元首」に改めた(2)家族の条文を設け「家族は互いに助け合わなければならない」と規定した(3)「国防軍」の創設を盛り込んだ--点などを挙げた。 
 また国民の権利に関し、1次草案の「個人として尊重される」を2次草案で「人として尊重」と変えたことに触れ「憲法は国家の対抗概念である個人を守るためにある。人の対抗概念は犬や猫だ」と厳しく批判した。


これでは、まるで天に唾するとか、後ろ足で砂をかけたというような仕業です。

なぜこのような仕業をしたかといえば、先に述べたようにまずは、自分の能力を過信していたということです。そうして、フランスかぶれの近現代的というか信の意味での(日本でいうところの保革の区別ではない)革命的な政治思想の持ち主だったことが災いしています。保守派と革命という過激な手段で、近代政治を導入したフランスにかぶれた思想とは、元々水と油です。

フランスかぶれの思想を通したければ、元々自民党になど入らなければよかったのです。このようなことでは、自民党からもいざというとき助けてもらえないのは、当然といえば当然です。身から出た錆です。

これに比較すると、山尾志桜里政調会長は、少なくとも民主党の幹部を批判するということはしていません。

しかし、だからといって、舛添氏ばかりが批判されて、山尾氏が批判されないというのでは、あまりにもバランスを欠いています。

やはり、政治資金規正法がザル法であるということが、舛添要一氏や山尾志桜里氏のような政治家を生む土壌になっていることは明らかです。

ザル法といわれる、政治資金規制法のその所以を以下については以前のブログにも掲載したことがあります。そこから、一部分を以下にコピペします。
政治資金規正法では、寄付をする企業などの側は、補助金を交付されることが決まったと通知を受けてから1年間は、原則として、国会議員に寄付をするだけで「違法」となります。議員の側も、この規定に違反する寄付と知りながら受け取ると罪を問われます。 
すなわち、これが、同法が「ザル法」と批判される典型的な場面ですが、議員は、寄付を受け取った企業などが補助金を受けていたと「知らなかった」場合には、「違法」にはならないのです。

そもそも企業・団体による献金については、平成6年に政治改革関連法が成立し、国民一人当たり250円の税金で政党を支える「政党交付金」の仕組みが導入された際、代わりに将来的に廃止することが決定しました。しかし、今年も政党交付金は共産党を除く10政党に配分されるのに対し、企業・団体による政治献金は、いまだに廃止されていません。
さらに、以下のような論点があります。
現在考えられる論点(あいまいな部分)
  • 立て替え金の処理方法
  • 寄付をした者とは 
  • 借入金と寄付の区別基準 
  • 会費と寄付の区別基準 
  • 寄付金控除のための書類の交付後の取扱 
  • 政治団体の代表者の責任 
  • 現物寄付を受けた場合の記載方法 
  • ダミーの政治団体とは
  • 虚偽記載と記載ミスの区別基準 
総務大臣届出各種政治団体だけに限ってみても、過去に、非常に多くの団体が政治資金収支報 告書の訂正を行っています。 記載ミスとして訂正が認められるのはどのような場合で、虚偽記載と認定されるのはど のような場合かがあいまいです。 
つまり、上記の訂正団体がすべて虚偽記載の罪に問わ れる可能性があり、全ては捜査当局の裁量に任されているのです。
このような状況では、これからも舛添要一や山尾志桜里のような政治家がでてくるのは、当然と言えば当然です。

そもそも、政治資金規正法とは政治家が立法しているものです。政治家が政治家に有利にこの法律を定めるのは当然のことです。

山尾詩織政調会長があまり責められないのは、自分の所属する政党の幹部に対して痛烈な批判はしていないこと、さらに弁護士の資格をもち元検事ということはありましたが、舛添要一氏のように特定の分野で特に優れていたということはなく、弁護士資格を持つ議員など民主党にも大勢いるため、舛添氏のように政治家としても自分が周りの人間よりははるかに優れているというような幻想は持っていないことによるものと考えられます。

しかし、同じようなことをして、山尾氏が追求されないというのは、理不尽なことです。このような状況を許容しておけば、いつまでたっても、政治資金規制法はザル法として放置されることになります。

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2012年9月28日金曜日

【動画あり】天使のような歌声で『君が代』を歌う女子高生 / 視聴者「神々しい歌唱力。涙が出る。」−【私の論評】ニッポン人が忘れたアメリカのゲーミフィケーション活用サイトにみる「大義」


【動画あり】天使のような歌声で『君が代』を歌う女子高生 / 視聴者「神々しい歌唱力。涙が出る。」

『君が代』といえば、学校の入学式、卒業式などの行事やワールドカップやプロ野球の開幕戦などで歌われる、言わずと知れた日本の国歌だ。

有名なスポーツの試合でプロの歌手が君が代を歌い話題になることはよくあるが、2010年に開催された第82回選抜高校野球大会で野々村彩乃さん(当時広島音楽高校3年)が歌った君が代の独唱があまりに美しすぎると、現在でも話題になっている。

野々村さんの歌声を聴いた視聴者は「世界一の国歌である。是非もない。聞くだけで涙が出る。」や「神々しい歌唱力。涙が出る。」などのコメントを残し、大絶賛の嵐。

現在野々村さんは声楽家として活躍しており、東日本大震災チャリティーコンサートを開催するなど幅広い活躍をしているようだ。しかしこんなにも美しい歌声で国歌を聴くと、本当に心へ響くものだと実感した。

参照元:Youtube kyuu38
この記事の続きこちらから?

【私の論評】ニッポン人が忘れかけたアメリカのゲーミフィケーション活用サイトにみる「大義」


この動画素晴らしいです。ニッポン人(日本の伝統文化を継承していない日本人という意味)は、別として、日本人なら誰もが感動するものだと思います。今回は、ニッポン人が忘れた、「大義」に関して掲載します。そうして、最近脚光を浴びているアメリカのゲーミィフィケーションの要素を取り入れた、サイトであるStackOverflowというサイトにおける「大義」についても掲載します。

「君が代」は、国民国歌であり、国という一つの日本人のまとまりに対する 気持ちや忠誠心を表現している歌です。これに対してなぜ、上の記事のように感動している人が多数存在するのか、私たちは、今一度考えてみる必要があります。私は、このブログにいく度か、「大義」に関して掲載したことがあります。大義というと、今のニッポン人は、ほとんど忘れていて、何か軍国主義の断片か、それとも、単なる懐古趣味の産物であるかのように思っているようです。しかし、そんなことはありません。

「大義」は、どのような社会にも、コミュニティーにでもあるものです。会社や、学校、役所など、どこにでもあるものです。国家が一つにまとまっているのなら、その国家にも、「大義」は存在します。この「大義」がなければ、どのコミュニティーも、組織もいずれ瓦解します。どのような組織も社会にしても、そもそも「大義」があるから成り立っているのです。

三島由紀夫氏
では、大義とは何でしょうか?これを思い起こすには、やはり、三島由紀夫氏が生前に語っていた言葉を思い起こすべきと思います。その言葉とは以下のようなものです。

「人間は、自分のためにだけ、生きていけるほど強くはない。自分以外のために生きるということが大義であります」

大義の本当の意味は、「自分以外のために生きる」ということです。そうして、三島氏はわざわざ付け加えませんでしたが、「人間は、自分のためだけに死ねるほど強くはな。自分以外のために死ぬということが大義でもあります」ということもその裏返して定義の中に含めていると思います。

三島由紀夫氏
無論後者のほうは、普段は、なかなかあり得ないことですが、平和な日本でも、緊急災害時には、起こり得ることです。こんなときに、多くの人が、自分のためだけに生きている人であれば、大変なことになることは十分予想できます。この大義を多くのニッポン人が忘れています。試みにサイトで「大義」を検索してみたところ、どの内容も上の三島由紀夫氏が語っていたような内容を掲載していませんでした。

いくか調べてみたのです、調べた中には、本来の意味での大義は掲載されていませんでした。以下は、Goo国語辞書の内容です。
1 人として守るべき道義。国家・君主への忠義、親への孝行など。「―に殉じる」
2 重要な意義。大切な事柄。「自由平等の―を説く」
このうち、1のほうの定義は、三島氏の定義に近いですが、全く同じではありません。これは、ごく狭い範囲の定義にすぎません。それともっと、驚いたことには、私が調べたいくつかのいわゆる「和英」のサイト辞書を調べでは、「自分のために生きるのではなく他のために生きる」という三島氏の定義は、掲載されていません。ちなみに下は、weblioというサイトの「大義」の英語訳です。
〈正義〉 justice; 【形式ばった表現】 righteousness
〈目的〉 a (great) cause
平和の大義のために
【形式ばった表現】 in [for] the noble cause of peace.
明らかに、正義、目的とは、三島由紀夫氏の言う「大義」は異なります。正義、目的とは、大義よりももっと、下の概念です。このこと一つとっても、日本では、「大義」の元々の意味か忘れされていると思います。ちなみに、三島氏の本来の定義を英語で記せば以下のようになると思います。

"Taigi" means that person is not strong so as to live in for only oneself, but strong enough for othrs, and person is not storong so as to die in for only oneself, but strong enought for others.

このこと一つとっても、日本では、この大義という言葉の本来の本来の意味は、ほとんど忘れ去られているのだと思います。しかし、自分のためにだけ生きるニッポン人は、どんなに努力しても、頭が良くても、人気があっても、強くは生きられないのです。そうして、上の記事で、「君が代」を歌う少女に多くの人たちが、感動してしまうのは、こうした本来の意味での「大義」のために生きるということを無意識に思い起こさせるからではないかと思います。だから、きっと、日本では、まだまだこの「大義」という考えは、死滅したというわけではなく、多くの人の顕在意識ならびに、潜在意識中に残っているのだと思います。特に、潜在意識の中には強く残っているのだと思います。

乃木希典
この「大義」というと、日本では本来忘れてはいけない、人物がいるのですが、今のニッポン人は、ほとんど忘れています。それは、誰かといえば、乃木希典です。正論という思想誌に以下のようなタイトルの記事が掲載されていました。そうして、その要約が、izaといサイトに掲載されていました。そのURLを以下に掲載します。

【正論】いまの危機は「忠誠心」の喪失に 文芸批評家、都留文科大学教授 新保祐司

詳細は、『正論』をご覧いただくものとして、iZAから結論部分のみを以下にコピペしておきます。
 ≪人間として高貴な価値の実現≫
明治の批評家、北村透谷は、「想像と空想」というエッセーの中で、「吾人もし徒らに現実を軽んじて、只管(ひたすら)空理空論に耽(ふけ)ることあらば、人間として何の価値あるを知らざるべし」として、「空想に耳を傾くるは、今日を忘れ又た明日をも忘れんとするにて、人間として戦ふべき戦場を逃出でんとする卑怯(ひきょう)武士に過ぎず」といった。乃木も内村も「人間として戦ふべき戦場」で「理想」のために「痛烈」に戦った人であり、「空想」に逃げる「卑怯武士」ではなかった。  
しかし、今後の日本人が人間としての高貴な価値を実現していくためには、忠誠心を回復しなくてはならず、その対象を「空想」のうちにではなく、「純粋な痛烈な理想」のうちに見いださなくてはならない。この忠誠心の「一番純粋な痛烈な」典型が、乃木大将という人物に具現されている。没後百年の今日、現代の日本人は乃木大将の精神を小林秀雄的にいえば「上手に思い出」さなくてはならない。(しんぽ ゆうじ)
上の記事、『ニッポン人が人間として、高貴な価値を実現していくためには、忠誠心を回復しなくてはならず、その対象を「空想」のうちにではなく、「純粋な痛烈な理想」のうちに見出さなくてはならない』としています。まさにその通りです。そうして、この「忠誠心」昔でいえば「忠義」は、「大義」と同義と見て良いと思います。ただし、「大義」といった場合、「忠誠心」「忠義」よりももっと広くて、上位の位置付けになると思います。

乃木希典
やはり、戦後のニッポン人は、「大義」を見失っていたと言わざるを得ません。それに、大義は、個人が強く生きられるかどうかという次元だけではなく、もっと重要な側面があります。それは、先に述べたように大義なき、コミュニティー、組織、社会、国家はいずれ破綻するということです。

さて、この大義といったとき、私は、昔は日本のほうがはるかに、「大義」を重んじる国であったのに、今では、アメリカのほうが、大義を重んずるようになってきたのではないかと危惧してしまいます。それも、最新の分野での、ITの最新の分野でそのようなことがみられるのです。

どういうことかというと、私がこのブログにも以前述べたように、私は、Corseraというアメリカの一流大学の講義が受けられるサイトで、現在「ゲーミフィケーション」の講義を受けていますが、その中で、アメリカでももっとも成功していて、手本となるあるサイト事例を知りましたが、そのサイトがまさに、「大義」を重んじており、「大義」にもとづき、多くの人たちが協力しあうようにデザインされているのです。

その、サイトの名称は、"StackOverflow"というものです。このサイトの主な内容と、これに関する創設者の公動画など、非常にコンパクトにまとまっていたので、以下に百式というブログからコピペしておきます。

『Stack Overflow』から学ぶ最近のコミュニティ構築術

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最近個人的に注目しているのがStack Overflow。エンジニアのためのQ&Aサイトですが、短期間(半年)ですでに80万投稿、月間1600万PVを達成しています。なぜこのコミュニティがうまくいっているのか、ReadWriteWebで紹介されていました。
なんとも興味深いのでかいつまんでご紹介。最近のコミュニティサイトに必要な要素がうまいことちりばめられているのではないか、と思います。かいつまんでいうとコミュニティをうまくまわしていくには次の9つの要素が必要とのことです。
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↑ この9つね。
    1. 投票機能
    ユーザーに投票させる機能ですね。Stack Overflowでは質問者がベストアンサーを選べるようになっていて、2位以降は投票数でランキングされます。これはYahoo!知恵袋とかもそうかな。
    1. タグ
    この質問に関連する他の質問も読んでみたい!というときありますよね。そうしたときにタグは必須ですな。
    1. 編集機能
    個人的にはこれが一番すごいと思うのですが、Stack Overflowではユーザーが質問も回答も編集することができます。そうすることで質の高いQ&Aが出来上がる、という仕組みです。「人の回答勝手に編集するな!」となりそうですが、編集履歴が全部見れるようにしているのでうまくいっているようですね。
    1. バッジ
    これも秀逸。ユーザーにさまざまな種類のバッジを与えています。これがあることでユーザーのモチベーションもアップ、同時にユーザー同士の評価もできますね。 so_badge
    ↑ たとえばこんな感じ。うまいっすね。
    1. カルマ
    ユーザーがこのコミュニティで活動すればするほどカルマポイントがたまる、という仕組みですね。投票したり投稿したりするとたまります。なお、Spolskyさんいわく「小額の報酬は絶対うまくいかない」とのこと。 so_users ↑ ユーザーランキングも重要ですよね。
    1. プレサーチ
    これは質問を投稿するときに関連する質問を検索してくれる機能ですね。はてなの人力検索なんかでも実装されています。これによって重複する質問をおさえられますね。
    1. SEO
    Stack Overflowの質問にはすべてパーマリンクがついており、質問の内容がそのままURLになっています。検索エンジンにとってわかりやすいのだとか。まぁ、そうかもですな。日本語だとここらへん難しいですよね(Amazonみたいになっちゃいますな)。
    1. パフォーマンス
    Stack Overflowは8 Core Xenon、マイクロソフトのSQLサーバーを使い、2台で全部さばいているそうです。昨今はオープンソースで無料で、という風潮ですが、お金をかけて最小台数で構成、という戦略らしいです。
    1. 最初が大事
    こうしたコミュニティは最初が大事。閑古鳥がないているようでは誰も寄り付きません。そこですでに有名なCoding HorrorのJeffさんを誘ったとのこと。Spolksyさんのブログとあわせて初日から一定数のユーザーを確保したようです。なーるほど。
    個人的には「編集機能」「バッジ機能」が秀逸だと思っているのですがいかがでしょうかね・・・。またここでは語られていないですが、「匿名でもある程度できる」というのも重要かと。ちなみにログインにはOpenIDを使っていますね。最初の敷居が下げてあるのもなかなかですな。

スタックオーバーフローのゲーミフィケーションの手法を、コミュニティー全体がどうのように受けとめるかが非常に重要であることを示しています。コミュニティーの誰かが投稿すると、他のメンバーがその投稿を評価します。すべてのメンバーは、他のメンバーの評価を受けることができます。

このサイトでは、バッジなどのゲーミフィケーションの要素をとりいれて、コミュニティーに貢献する人には、高い評価が与えられ、それが、コミュニティー全体に周知されるようになっています。コミュニティーは、大きくなってくると、新たなメンバーとの目的のずれによって、分離する傾向があります。これに対処するために、様々なゲームの力学を用いているのです。それによって、高い評価を得た人は、他の人の投稿を編集、タグ付、改変したり消去できるようになっています。

私の表現力が足りないため、なかなか伝わらない部分があると思いますが、このサイトではとにかく、自分だけが、何かを学べるとか、ためになるというだけではなく、ゲーミフィケーションを含む様々な機能が駆使されており、とにかく、他のメンバーのために活動する人が高く評価される仕組み導入し、実際、コミュニティー全体に奉仕するように、様々な手法を用いているということです。

コミュニティー全体に奉仕するということ、これまさしく、「大義」です。こうした、自分のためだけというのではなく、他のメンバーのために活動するように仕向ける様々な工夫が、このサイトを支えているのです。そうして、このサイトは大成功しています。この根底には、やはり、人は、大義のために活動することにより、さらに動機付けされることを示しています。

このサイトでは、いわゆる「大義」を重んじるように様々な仕掛けがなされていて、このコミュニティーの価値観ともなっています。こういった、最新のサイトにも、「大義」を実現するために、最新の手法であるゲーミフィケーションの要素を取り入れているのです。そうして、まさに、このコミュニティーに大義の考え方を根付かせるのに成功しています。

さて、ゲーミフィケーションは、日本では、昨年あたりからその重要性について、いわれるようになりました。アメリカのでは、この手法がずいぶん進んでいて、しかも、サイトのコミュニティーの、大義を根付かせるというところまで、進んでいるわけです。


さて、大義を忘れたニッポン人このようなことができるのでしょうか?アメリカもともとは、個人主義的な考え方かが幅を効かせてきた国です。しかし、過去には、こうした大義を忘れた、たとえば、極端な市場原理主義や、夫婦別姓など極端なミーイズムともいわれる、大義を忘れた行動により、すっかり社会が荒廃してしまいました。

しかし、その反省の上にたって、様々な試みがされるようになってきました。それが、たとえば、大義を重んじるようようにデザインされた、ストックオーバーフローのようなサイトの興隆などにみられるわけです。そうして、消費の面では、いわゆるスペンド・シフトという動きが顕著になってきています。これに関しては、本題ではないので、このサイトの過去の記事を参照してください。

サイトも、それにアクセスする人々とのコミュニティーです。このサイトを活用する人が、それぞれ、個人の利益のためだけ、「自分のためにだけ生きる」ようにサイト使っているようでは、そのサイトは、大義を失いいずれ破綻するのです。そうして、アメリカでも、日本でも、活動を停止したり、他のサイトに飲み込まれたサイトはあまたあります。

サイトひとつとっても、「大義」が重要であり、かけがいのないものなのです。サイトで大義を実現した、アメリカ、もっと大きなことでも、「大義」に目覚めていくかもしれません。その動きは確かにあります。


かつて、大義を当たり前のように思っていた日本人、しかし、この当たり前は、戦後の誤った個人主義的教育によって、失われつつあります。しかし、今でも大義を心にとめているからこそ、このブログの冒頭の神々しい少女の「君が代」に感動する人も多いということです。アメリカでは、ITの最新の分野で、「大義」が重んじられており、それが、人々を惹きつけてやまないのです。

「大義」を忘れかけているニッポン人は、これから新しい強い産業、強い日本を再興するためにも三島氏がいう、本来の意味ででの「大儀」の考え方や、必乃木希典大将が具現していた「忠誠心」が要不可欠であることを再認識すべきです。この「大儀」「忠誠心」を現代風に再構築して、ありとあらゆる分野に活用していくべきです。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?



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