2012年9月12日水曜日

トウモロコシ「史上最高値」でも食糧危機が来ない理由―【私の論評】おおむね正しいが、一つ大きな間違いがある!!

トウモロコシ「史上最高値」でも食糧危機が来ない理由

青々と茂るとトウモロコシ畑

トウモロコシ価格が2012年7月に1トンあたり333ドルと史上最高値を更新した。

2008年(月平均)に価格が高騰したときには、「世界食糧危機が来た」などと言って大騒ぎしたものだが、今回はそれほど騒いでいない。もう、マスコミも国民も食糧危機には興味がなくなったのであろうか。ちなみに、トウモロコシの価格は2008年よりも16%も高くなっている。

なぜ大きな騒ぎになっていないのだろう。

それは円高だからだ。2008年は1ドルが110円前後であったが、現在は80円を切っており40%ほど円高になっている。だから価格が16%ほど高くなっても、円ベースだとまだまだ安い。
新興国の成長と資源価格の推移は関係があるのか?

図に1980年のドルベースの価格を1.0としたときのトウモロコシ、石油、鉛の価格の変化を示す(IMFデータ)。図を見ると、トウモロコシ、石油、鉛の価格の変動パターンが驚くほどよく似ていることに気がつく。2006年頃から2008年の夏にかけてそろって急騰し、2008年の秋にそろって急落し、その後に再び上昇している。


穀物価格の急騰は、干ばつによる不作などによってもたらされる。2012年も米国の穀倉地帯が干ばつに襲われたことがトウモロコシ価格急騰の直接の原因になっている。ただ、干ばつが来るかどうかまだ分からなかった4月から6月頃でも、価格は2008年の最高値付近で推移していた。

ただ、トウモロコシだけでなく石油や鉛の価格も一緒に見ると、そのような説を信じる気にはなれない。干ばつによって石油や鉛を含む鉱石が採れなくなることはないからだ。

それでは、新興国の需要が資源価格を押し上げているという説はどうだろう。中国をはじめとした新興国は資源を大量に消費し始めている。

ただ、この説もよく考えてみるとおかしい。まず、2000年の価格が1980年よりも安くなっている。2000年のトウモロコシの価格は1980年の価格の0.88倍、石油は0.74倍、鉛の価格はなんと0.42倍である。中国をはじめとした新興国は1980年頃より経済発展の速度を速めた。そんな状況で2000年の価格が1980年よりも安くなることがあるのであろうか。


また、新興国の需要によって価格が上昇したのであれば、なぜ2006年に急に高騰し、2008年に急落したのであろうか。需要増加が原因であるのなら、このような変化をすることはないだろう。
需給を反映していないトウモロコシの「史上最高値」

2006年以降の資源価格の乱高下は金融現象と捉えた方がよいと考える。

アラン・グリーンスパン氏は2006年まで米国連邦準備制度理事会の議長を務めていた。彼はマエストロ(巨匠)と呼ばれるほど米国の金融政策を巧みに操って、長期間にわたって米国を好景気に導くことに成功した。しかし、それは今になって考えれば、サブプライムローン問題など多くのバブルを作っていただけのことであった。

2008年の夏にピークを付けた資源価格の高騰は、住宅バブル崩壊に気付いた資金が資源に逃げ込んだためと考えられる。ただ、当時、多くの人はそのことに気付かなかった。だからトウモロコシの価格上昇を受けて、食糧危機の到来などと言って騒ぎたてたのだ。

サブプライムローン問題は2009年のリーマン・ショックへとつながったが、それによって世界景気は急速に冷え込んでしまった。その結果、資源価格も大きく下落した。

その金融危機は米国だけに留まらなかった。ギリシャの財政問題に飛び火して、ユーロ危機に発展している。それらの危機を回避するために世界は低金利時代に突入した。米国や西欧諸国はバブルの処理に失敗して低金利政策を続けている日本を嘲笑ったものだが、いまや彼らも日本と同じ状況にいる。

日本、米国、西ヨーロッパ諸国は全て超金融緩和状態を続けている。そんなときに、米国で干ばつが発生したという情報が入り、トウモロコシの価格はいとも簡単に史上最高値を更新した。

ただ、これは需給を反映したものではない。そのために、秋になって干ばつの被害はそれほどではなかったなどといった情報が入ると、今度は値を大きく下げることになろう。

この記事の詳細は、こちらから!!

【私の論評】おおむね正しいが、一つ大きな間違いがある!!
上の記事概ね正しいのですが、一箇所酷い間違いがあるので、訂正しておきます。それは、まずは、上の記事では、前のほうで、以下のように掲載しています。

トウモロコシは、値上がりしても、枯渇するということはなさそうだ
「2008年は1ドルが110円前後であったが、現在は80円を切っており40%ほど円高になっている。だから価格が16%ほど高くなっても、円ベースだとまだまだ安い」。

にもかかわらず、後ろのほうでは、以下のように掲載しています。

「日本、米国、西ヨーロッパ諸国は全て超金融緩和状態を続けている」。

これって、全くおかしいと思います。まず、他国はそうですが、日本だけは、「超金融緩和状態」を続けてなどいません。超金融引き締め状態を、かれこれ20年近くも続けているというのが事実です。

米国、EUは、現在景気対策として、確かに金融緩和策を実施しています。それに、リーマン・ショックのときだって、米国、EUも超金融緩和措置を行いました。何をしたかといえば、大幅な貨幣の増加などありとあらゆる緩和策をして、マネタリーベースを増やしました。



そんなときに、日本だけが増刷もせず、金融引締め状態を続けていました。その結果、どうなったかといえば、円高、デフレのさらなる進行です。下のグラフ、縦罫は金融緩和度合いを示すものです。

このグラフをみても、以下に日銀が金融緩和をせずに、金融引締めばかりしてきたかわかるというものです。リーマンショツクのとき、他国は、金融緩和を積極的に実施したため、リーマンショツクの震源地であったアメリカですら、日本よりも、はるかに立ち直りが早く、日本だけが、一人負けの状態になりました。

クリックすると拡大します
このグラフの一番右は、2011年であり、大震災があった年です。さて、この年ですら、日銀は、金融緩和策を行いませんでした。そうして、どうなったかといえば、強烈な円高です。なぜ、こんなことになったかといえば、地震の復興のため、円需要が増すのは当然のことですが、そんなときでさえ、日銀は、増刷することもなく、金融引き締めをしたため、円の需要の高まり放置し、強烈な円高になってしまったのです。

トウモロコシが高騰しても、円安、インフレのほうが良い?!

何か、上の記事では、円高で、トウモロコシや、資源が安く購入できるので良いような印象を受けますが、そんなことは絶対にありません。やはり2008年あたりの、110円くらいが当たり前の水準です。それに、金融引き締めにより、デフレから脱却もままなりません。

トウモロコシが安く買えなくても、枯渇するというのでなければ、円高ではなく、デフレも収束したほうが国民にとって、はるかに良いことはいうまでもありません。

このようなミスリードはやめていただきたいです!!このようなことをして、日銀を擁護して何になるというのでしょうか?


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2012年9月11日火曜日

お弁当1つにかける値段ランキング―【私の論評】コンビニ弁当の価格をみればわかる、デフレ・スパイラルの酷さ!!

お弁当1つにかける値段ランキング:


お弁当専門店やスーパー、コンビニエンスストアで取り扱うお弁当の低価格化が進んで、昔なら400円~500円クラスのお弁当が今や300円台は当たり前、200円台の超激安弁当も登場しています。そこで今回、みなさんに「お弁当にかけられる値段は?」と聞いてみました。

ランキングをもっと見る

圧倒的な得票差で1位を獲得したのは《500円程度かな》でした。昼食にかけるお弁当代はワンコイン(500円玉)で抑えたいという人も少なくないはず。新生銀行が2012年6月28日発表した「サラリーマンの小遣い調査」によると、会社勤めのサラリーマンのお小遣いの平均は昨年に比べると僅かながらアップし39,600円らしく、これを原資として捻出される昼食代は510円が平均だそうです。

昼食代とお弁当代が必ずしも“イコール”ではありませんが、お弁当にかけられる金額が《500円程度かな》という意見が多いのもわかります。続く2位は《その時々で違う》。夕食を少しリッチにしたいときには昼食のお弁当代を抑えて…と思っている人もいそう。3位には《300円ぐらいで安く済ます》がランク・イン。

「吉野家」「すき家」「松屋」の牛丼御三家の中でトップの店舗数を誇る「すき家」の主力メニュー、牛丼の並盛の価格が280円(松屋も同じく280円、吉野家は380円)と超激安なことを考えれば、お弁当を300円程度に安く抑えたい人がいても不思議ではありません。4位は《700円程度で少し高価に》でしたが、5位には最も安上がりになる《お弁当は手作り派》が入っています。

あなたがお弁当代にかけられる金額は何位にランク・インしていましたか?

調査方法:NTTドコモ「みんなの声」にて投票を実施

投票数:18126票

投票期間:2012/7/19~8/2

※この結果は科学的な統計にもとづくものではありません

【私の論評】コンビニ弁当の価格をみればわかる、デフレ・スパイラルの酷さ!!

上の記事、やはり、デフレが進行していることを如実に物語っていると思います。

最近、都合で社食がおやすみなので、コンビニ弁当や、スーパーのお弁当を食べる機会が増えました。会社の人でまとめて買いに行ってくれる人がいるので、いつも、お願いしています。それにしても、注文するときは、たいてい「幕の内」ということでお願いしていますから、いくつかのコンビニやスーパーの「幕の内」の食べ比べができてしまいました。

下の写真は、ローソンの「幕の内弁当」、価格は、398円です。


下も、同じローソンの「幕の内弁当」です。少し種類が違います。上には、お醤油がついいませんでしが、下のものには、お醤油がついていました。価格は、400円台。


下は、セブンイレブンの「幕の内弁当」価格は、398円。ローソンの同価格帯のお弁当には、エビがついていないのに、これは、海老天がついています。


スーパーのものは、近くのダイエーグルメシティーのお弁当でしたが、残念ながら、写真は撮影しませんでしたが、価格としては400円台だして。

それにしても、今、コンビニでは、300円台の「幕の内弁当」が当たり前の価格になっているのですね。久しぶりに食べたので、驚いてしまいました。少し前の記憶では、コンビニ弁当といえば、500円ちよっとしたと思います。本の数年前に、500円を切るが当たり前になったことが話題になっていました。

それは、以下の2009年の記事をご覧いただければ、お分かりになると思います。

加速するコンビニ弁当離れと低価格化~月1以下の利用は約7割、500円未満が約8割

最近では、500円を切るどころか、400円も切っているということです。なんということでしょう。やはり、デフレということなのです。

それも、デフレも随分進行しているということです。下の写真は、2008年のものですが、価格は、500円です。「熟成秋鮭幕の内弁当」というネーミングでした。





いっとき、コンビニでも、期間限定で、「空弁」など売っていた時代もありましたが、最近では、全く見かけなくなりました。きっと売れないんでしょうね。普段食べるお弁当に余分なお金をかける人は、いなくなったということかもしれません。

下は、2008年セブンイレブンで販売されていた、空弁の、「浜焼き鯖寿司」。価格は、失念しましたが、なにせ、量があまりないので、そんなに高くはなかったと思います。味は、良かったです。


2008年といえば、4年ほど前ですが、この4年間でも随分とデフレが進行したという事だと思います。何といっても、コンビニは一般の人に最も近いですから、とにかく、コンビニは、このデフレの世相に合わせて、4年間随分努力を重ねてきたということです。

最近アニメの影響でアメリカ人もつくるようになった、BENTO
300円台の弁当の次は、200円台の弁当に突入するということでしょうか?こんなことは、やめるべきですね。やめるべきというと、日本の多くの人は、コンビニがこのような弁当を売ることをやめるべきと言っているように思われるかも知れませんが、私はそんなことを言うつもりはありません。コンビニが安売りをやめたからといって、デフレが収束するわけではありません。というより、しません。

アメリカのBento Party、お弁当に用意された食材
を詰め込んでから食べるという不思議なパーテイー
やめるべきは、政府による増税と、日銀による、金融引き締めです。これらは、景気が悪い時にやるようなことではありません。今でもこのようにデフレなのに、金融引締めをしたまま増税すれば、ますます、税収が経るだけです。まずは、一刻もはやく、日銀による金融引締めはやめさせるべぎです。それだけで、かなり景気は良くなります。そうして、雇用も改善します。

Bento Party
そうして、コンビニで、500円前後の「幕の内弁当」が普通に見られるようになったら、デフレも収束して、景気もかなり良くなっていることでしょう。そういう意味では、「幕の内弁当」は、経済を見るのに良い指標になると思います。

それから、以下は、会社の社食です。






いろいろ、あるでしょう。これで、なぜ私が普段は、コンビニ弁当を食べないのかお分かりになるでしよう。この社食何と価格は300円です。これでは、コンビニや、スーパーでお弁当を買って食べる気にはなれません。それから、価格は、2008年当時からずっと300円です。特にデフレがどうのということは関係はありません。ちなみに、作っているのは、もと、レストランのシェフです。シェフは、ただいま出張中なので、社食を食べることはできません。はやく戻ってきて欲しいです。

こんな社食を毎日食べられるのは、本当に幸せなことだと思います。いつも有難うございます。皆さん、会社では、社食はあるのでしょうか?
【私の論評】

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できたて弁当コンビニで ローソン―コンビニの「できたて弁当」 お客に好評でも普及しなかった理由





2012年9月10日月曜日

日本にはなぜお寺や神社が多いの?−【私の論評】当たり前になっている日本を再発見しよう!!

日本にはなぜお寺や神社が多いの?



日常に溶け込んでいると、気づかないことがたくさんあります。皆さん、日本のことどれくらい知っていますか?教えて!gooより、神社・寺社の話題をお送りします

質問者のgoorabiさんは、海外から旅行で訪れた友人に「日本はなぜ神社やお寺がこんなにも多いのか?」と質問され、改めて疑問を抱いたそうです。

神社は約8万8千、寺社は約7万7千、合わせて16万5千社。その数はコンビニの約3倍です。何か理由があるのでしょうか?皆さんの回答は…。




・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・・・

「goo地図」では江戸古地図が閲覧できますので、どのくらい多かったのか、一度その目で確かめてみてください。特に増上寺の周りはお寺だらけです。都内に在住の方は、お住まいの土地がかつてはお寺だった場所かもしれません。(実は、私の自宅もお寺の跡でした)

海外からの観光客に「江戸時代には今の5倍近くあったんだよ」と答えたなら、さらに驚きの表情が見られるはずです。不思議の国・日本を更に好きになってもらえると良いのですが。

入江ねこ(Irie Neco)

【私の論評】当たり前になっている日本を再発見しよう!!

上の記録では、神社が多い理由がいろいろと述べられていますが、神社は別にして特に寺については最も合理的に説明されているのは、以下のものだと思います。


「江戸時代、寺院は百姓の戸籍的役割や思想統制の道具に使われました。幕府の下請け機関としての一面があるので、基本的にどこの村でもあります」

もともと、寺院には、檀家の家で、誰がいつ生まれたとか、いつ亡くなったかの記録を、残していました。それが、江戸時代になってから、義務付けられました。この制度を寺請制度と呼びます。この制度により、お寺は、公式に日本の今でいえば、住民基本台帳ならびに戸籍を扱う役所という役割を担うことになったのです。


ただし、上記の文書では、思想統制の道具としていましたが、これは、導入のきっかけがそうであったということであって、これは、どちらかといえば、近代国家の要件とされる、住民基本台帳ならびに戸籍の制度のはじまりとみるべきと思います。西欧などのように、近代的な役所をつくというのではなく、既存の組織を活用したということで素晴らしい試みだと思います。

日本の近代化というと、すべて明治維新後と考えることが多いでずか、この寺受制度による戸籍の保存は、紛れもなく近代化の動きです。おそらく、全国的規模で戸籍などの保管をはじめたのは、当時の先進国であるヨーロッパなどがやりはじめたのと、時期的あまり変わらないと思います。このようなことがあったからこそ、日本では、近代的な役所組織をつくるにしても、その概念がもとからあったため、非常にやりやすかったと重います。


世界には、現在でも、戸籍などがはっきりしていないところがいくらでもあります。たとえば、中国も奥地に行くと、戸籍がはっきりしないとこもあります。ロシアでも、そんなところもあります。しかし、日本ては、近代から、はっきりした戸籍制度があったということは、日本の先進性を物語っていると思います。

このような制度があり、全国をおさめる政府(幕府)とのつながりもあったからこそ、江戸時代末期から、明治時代の初期ころまで、各地の寺が温存され続けてきたのです。ある程度大きな村や町になれば、宗派の違いもありますから、いくつもの寺が温存されたということです。だからこそ、これだけ多くの寺が今でも残っているのです。昔から伝統的に受け継がれてきた、寺を潰すことなど、檀家としてはなかなかできなことですし、それ以外にもこうした役所的な業務も担っていたからこそ、今日まで、これだけの寺院が温存されてきたのです。


これらの寺院これからも残していきたいです。全国的各地にある寺院を訪れると、木々が残されておりまさに、安らぎの場という感じです。そうして、それぞれの寺院のいわれなどを調べるのも楽しいです。このような素晴らしい文化遺産が私たちの身の回りにたくさん残されいるということは、本当に素晴らしいことだと思います。


ちなみに、寺請制度について、wikipediaから、簡単に引用しておきます。詳細はwikipediaをご覧になってください。
寺請制度(てらうけせいど)は、江戸幕府が宗教統制の一環として設けた制度。寺請証文を受けることを民衆に義務付け、キリシタンではないことを寺院に証明させる制度である。必然的に民衆は寺請をしてもらう寺院の檀家となったため、檀家制度や寺檀制度とも呼ばれるが、厳密には檀家制度と寺請制度は異なる(詳しくは檀家制度を参照)。
その目的において、邪宗門とされたキリスト教や不受不施派の発見や締め出しを狙った制度であったが、宗門人別改帳など住民調査の一端も担った。
寺請制度では、毎年1回の調査・申告によって宗門人別改帳が作成された。これに基づいて寺請証文が発行され、人々が奉公や結婚その他の理由で他の土地に移る場合には、移動するものの年齢・性別・所属・宗旨などを記載して村役人の送一札とともに移転先にある新たな檀家寺に送付して移転の手続とした。移動元から移動先に送る証文を宗旨送・寺送状と呼び、本人確認後の証明として移転先から移転元に送る証文を引取一札(ひきとりいっさつ)と呼んだ。

それにしても、このような文化財がたくさん残っている日本は、素晴らしいです。上の記事は、外国人の質問に端を発しているようですが、日本人だとあまりにも当たり前なので、なかなか気づかないことかもしれません。そのようなことはまだまだ、たくさんあると思います。

たとえば、江戸時代の17世紀に日本では関考和(せきたかかず)が、和算で、微分・積分の概念を発展させ、実際に計算していたなどという話もあります。こういう先進性が江戸時代からあったかこそ、その後の日本の発展もあったのだと思います。明治維新は確かに一大変革でしたが、その前の江戸時代に近代化の芽は出ていて、それが、明治になっていっせいに花が開いたということです。

考えてみると、歴史というものは、分断されることなく、連綿として続いています。昨日このブログに掲載したように、企画など新しいものを作り出す一番の早道は、Remix(リミックス)です。明治維新もRemixの部分がおおいにあったと思います。そのため、西洋のものを多く導入したり、温存するものはしたり、あるいは、古くからあるものと、西洋のものをミックスしたりと、一大Remixをしたのが、明治であり、その前の江戸時代にも、その萌芽があったということです。

明治維新の前に、西欧のものとRemixすべき、技術、文化などがなければ、Remixのしようもなく、維新もあり得なかったということです。今の混迷の時代も、ひよっとすると、次の大きな時代への大躍進への準備段階であり、あちことに、次の時代への芽吹きがあるのかもしれません。私たちが気づいていないだけかもしれません。

今回は、こうした当たり前になっている日本を再発見するという意味合いでこの記事を掲載しました。今後も、またおりをみて掲載していこうと思います。



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2012年9月9日日曜日

なんかヘンだよ?「スマート家電」 いちいち「タッチ」面倒くさい−【私の論評】Everything is a Remix?!!

なんかヘンだよ?「スマート家電」 いちいち「タッチ」面倒くさい:


大手電器メーカーの「パナソニック」が発売するAndroidスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズについて、インターネットのユーザーから「どこがスマートなの?」と疑問の声が出ている。

【私の論評】Everything is a Remix?!!

日本の家電のスーパー化なかなか、うまくはいっていないようです。しかし、健康機器などではうまくいっているようです。健康機器では、クラウドをうまく活用することで成功しています。このクラウドを使うことで、記録が簡単にできるだけではなく、長期間にわたる変化をみることができます。さらに、単に血圧の記録をとるだけではなく、体重の記録もとるようにして、さらに、食事の写真をスマートフォンで撮り、クラウドに送るようにして、そのカロリーを計算して、その記録を保存し、これらすべての記録を医師が診るようにして、健康アドバイスをするようにして、さらに付加価値をつけたサービスなど生まれてきています。


いままでのところ、クラウドを活用した、健康機器と、そうではない家電とでは、大きな差があるようです。この違いはどこからでてきているのでしょうか。それは、健康危機は、クラウドとい新たな領域を十分ん活用できているにもかかわず、その他の家電は洗濯機とスマートフォンという関係では、従来あったリモコンとなんらかわりがなく、クラウドが十分に活用されていないからです。

健康危機以外の家電であっても、従来の家電の中だけでの延長線上で、イノベーションを考えるだけではないく、クラウドや、その他のものを組み合わせることでいままでにはない、ものが作り出せる余地がまだたくさんあるはずです。たとえば、SNSだって、ゲーミフィケーションだって、位置情報サービスだって使えそうです。

それに関して参考になりそうなことを以下にあのアッブルの事例も含めながら、掲載します。

Remixの概念は音楽業界からきている
家電の開発もそうですが、何か新しいものをつくることの近道、特に私を含めた凡人にとっての近道は、リミックス(REMIX)です。REMIXとは、copy(複写)、transform(変形)とcombine(結合)です。これらをそれぞれ、単独で行うこと、あるいはいくつかを組み合わせて行うことすべてを含みます。音楽の世界でも、テレビ番組でも、映画でも、政治の世界でも、文学でも、アートでも同じです。ただし、Remixということが良くいわれるようになったのは、音楽の世界からです。しかし、ここでは、本題ではないので、詳細はのべません。しかし、皆さんも、古いアーティストとの楽曲など、リミックス版として発売されいることもあることは、よくご存知だと思います。音楽界でいう、リミックスについては、wikipediaなどで調べていただけたら、幸いです。

あの、アップルコンピュータのOSも、マイクロソフトのOS(ウインドウズ)も同じことです。これらには、ゼロックスが開発したOSがもとになっています。マイクロソフトのwindowsは、アップルからパクったという話しがありますが、そうではありません。あのiPhoneや、iPadもリミックスから成り立っています。これらには、市場に投入する時期に失敗した、ノキアのスマートフォン、タブレット端末の手本がありました。おどろくなかれ、これらは、iPhoneか発売される5年前に原型が完成しており、iPhoneや、iPadの持っているすべてまでとはいいませんが、特徴的な機能はすべて網羅していました。

このremixの実態については、アメリカの高画質動画サイトvimeoに4回シリーズが投稿されている「Everyghing is a Remix」にあますところなく表現されています。これだけ、分かりやすく、豊富な事例で誰もが短時間で納得できるものを私はいまだかつて見たことがありません。まさに、秀逸な動画です。


Everything is a Remix Part 1 from Kirby Ferguson on Vimeo.
http://vimeo.com/14912890

あなたにも是非ご覧になっていただきたいです。上は、Part1ですが、是非全編をご覧になってください。

新しいものが、全くの無から生まれてくることはありません。バッハも、同時代の先輩格のビバルディやコレルリの曲を何曲も編曲して新しい楽曲を生み出しています。特に、バロック時代にはそのようなことは、日常茶飯事に行われていました。今のように著作権法などはありませんでした。このようなことを行っていくうちに、バッハも自分独自の素晴らしい楽曲を作成するに至りました。アインシュタインだってそうです。彼自身が、自分がやったことは、過去の人がやったことに1%を付け加えたに過ぎないと言っています。その1%が素晴らしいことだったのです。彼でさえ、99%は、リミックスだったのです。

楽聖バッハも、リミックスからはじめている

特に、社会変革に関する企画に関してはそういうことがいえます。今まで社会でどの時代のものであれ、うまくいったことは、すべて手本にすべきです。近江商人など昔の商人のやったことだって、多いに役立ちます。だから、過去に行われたこと、現在多くの人が行っていることは、徹底的に調べて、まずは、著作権法、商標法などに違反しないかたちで、複写・変形・結合することによって、新しいものを生み出すべきです。

複写・変形は、すぐに著作権侵害をしてしまう恐れがあります。ただし、誰が最初にやったのかわからない形で、世の中に広まってものは、そのようなことはありません。複数のものを結合して新しいものをつくってしまえば、それは最早、複写・変形の域を超えています。だからこそ、結合が重要なのです。そうして、努力を重ねて、さらに運がよければ、アインシュタインのように、1%の全く新しいものを付け加えられるかもしれないです。そのとき私たちは天才と呼ばれるのかもしれません。しかし、天才と呼ばれることがなくても、商売や事業は十分やっていけます。だから、凡人は、まずは、リミックスすべきなのです。

既存のものに1%の未知のものを付け加えればアインシュタインのように天才と呼ばれる?
リミックスとはいっても、ただ物まねしているだけでは、中国のパクリ文化と何も変わりません。創造性も何もありません。AppleのiPadや、iPhoneもそれに似たようなものはすでにあったことは先にも掲載しました。iPhoneであれば、ブラックベリーやノキアのスマートフォン、さらには、現在のスマートフォンから電話機能だけを除いたPDA(携帯情報端末)などの原型がありました。

iPadに関しても、たとえば、ノートパソコンで、ディスプレイが、360度回転できるものがありました。(下の写真はその事例)

これなど、スタイラス(鉛筆様のもの)によるタッチパネル式で、折りたたんでしまえば、キーボードも見えなくなり、形だけみれば、今のiPadと変わりません。ただし、キーボードもついているし、折りたたんだ状態では、重いしかさばるし、あまり使い勝手の良いものではなく、それに、価格もiPadと比較するとかなり高価でした。

リミックスは音楽の世界だけでなく様々な分野で活用できそうだ
こういう手本を参考にしつつも、アップルはただ軽量化・小型化するだけではなく、指によるタッチパネルにするとか、キーボードは取り除くが、Apple純正のタワー型端末のキーボードは使えるようにするとか、斬新でありながらシンプルな形にするとか、手本のものが使っていた技術以上のものを投入するとか、さらには、ハード面だけではなく、iPhoneや、iPad独自のアプリを配信する仕組みや、iBookなど書籍などを販売する仕組みも投入して、完璧な差別化をはかっています。

iPhoneもリミックスの産物だが、様々な結合で、パクリの次元をはるかに超えている
これでは、もう、ただのコピー、変形とはいえません。ちなみに、Appleは、今でも、ノートパソコンのディスプレイが、360度回転する方式のものは販売していません。というより、現在いでは、タブレット型ノートパソコンを開発する会社はなくなりました。だからこそ、コピー、変形だけではなく、結合が重要なのです。だから、企画においては、企画の本質は既存のものをつなげあわし新しいことを見出すことであるといえるのです。

さて、こんな考え方をすれば、家電に限らず、なんでもかんでも、新たなものを企画するには、Remixが役だちそうです。みなさんは、どう思われますか?




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2012年9月8日土曜日

【きょうの名言】お涙ちょうだい映画で世の中良くならない―【私の論評】虚構と現実は異なる!!ましてや、ゲームや映画・テレビと現実は異なる!!

【きょうの名言】お涙ちょうだい映画で世の中良くならない:


映像作品やゲームなどの中で、暴力シーンなど残虐なシーンが内容に含まれているものが、往々にして問題にされることがある。現実への悪影響がどの程度あるのか、実際のところわからない。しかし、まったく別の見方がある。
@kouno0521さんがツイートする。

「北野武が記者に『暴力映画の影響で実際に暴力行為に出る人間も居ると思いますが、その点についてどう思われますか?』と聞かれた時に『じゃあ、何でおなみだ頂戴の良い話だらけなのに、一向に世の中は良くならねえんだよ』と聞き返したそうです」

北野武監督らしいと言えばそうだが、まったくその通り。ハッピーエンドの映画はこの世にあふれているにも関わらず、なぜみんなが幸せになることができないのか? それは、説明するまでもなく、映画と現実の世界は、全然違う世界だからだ。

いい加減、同列視はやめてはどうか。

【私の論評】虚構と現実は異なる!!ましてや、ゲームや映画・テレビと現実は異なる!!
まさしく、北野武氏のいわれることも、このツイートの主も、正しいことを言っていると思います。そもそも、映画やゲームは、現実ではありません。虚構の世界です。暴力的なゲームなゲームは、犯罪数を減少させるという研究レポートもあるくらいで、このブログにも掲載したことがあります。つい、先日北野武が出演していた"Outrage"を見たばかりでしたので、本日はこの話題を掲載することにしました。



『アウトレイジ』(OUTRAGE)は、2010年6月12日に公開された日本映画。北野武の15本目の監督作品。丸の内ルーブル、渋谷東急ほか全国東急系にて公開されました。

キャッチコピーは「全員悪人」。

過激なバイオレンスシーンや拷問シーンが数多く含まれるため、映倫でR15+指定を受けました。

この映画見ていない人ため、あらすじだけ掲載しておきます。
関東一円を支配する巨大暴力団・山王会の関内会長は、傘下の池元組が麻薬を扱う村瀬組と兄弟杯を交わして親密になっていることを快く思っていませんでした。そこで関内の右腕・加藤はこの2つの組を仲違いさせようと企て、池元に対して「村瀬を締めろ(軽い制裁を与えろ)」と無理な命令をします。兄弟分の村瀬に手を出せない池元は、配下の大友組に村瀬組を締めることを命令すします。池元の二枚舌、山王会の思惑に翻弄されながらも、大友組は村瀬組を締めることに成功し、村瀬組は解散しました。 
池元の行動に不愉快を覚えつつ、大友は村瀬のシマを事実上継承し、大使館の闇カジノで成功を収めます。一方、村瀬が隠れて麻薬を売っていることが発覚し、池元に唆された大友は村瀬を殺害します。ところが、このことを口実に池元は大友に破門を言い渡し、大友は怒りを露わにします。大友は復帰のため、関内の元を訪れ許しを請いますが、逆に関内は池元の殺害を唆します。そこで大友は悪びれず闇カジノを訪れていた池元を殺害します。闇カジノを狙っていた関内は、今度は池元組若頭の小沢に、組を継ぎたければ親の仇を討てと煽り、大友組と池元組の抗争を仕掛けてます。本家の手助けも得た小沢は、次々と大友組の組員を殺害し、彼らを追い詰めていきます。
下にキャストをあげておきます。以下のキャストを見れば、普段は悪役などやっていない人でも、悪役をやっいることに驚かれることでしょう。
大友(大友組組長) - ビートたけし
水野(大友組若頭) - 椎名桔平
石原(大友組組員) - 加瀬亮
片岡(刑事) - 小日向文世
関内(山王会会長) - 北村総一朗
岡崎(大友組組員) - 坂田聡
安倍(大友組組員) - 森永健司
上田(大友組組員) - 三浦誠己
江本(大友組組員) - 柄本時生
大友組組員 - 新田純一
大友組組員 - 渡来敏之
大友組組員 - 岩寺真志
大友組組員 - 小村裕次郎
大友組組員 - 大原研二
大友組組員 - 田崎敏路
村瀬組組員 - 内野智
村瀬組組員 - 鈴木雄一郎
ぼったくりBARの店員(村瀬組組員) - 瀧川英次
ぼったくりBARの店員(村瀬組組員) - 井澤崇行
ぼったくりBARの店員(村瀬組組員) - 金原泰成
佐山(村瀬組組員) - 芹沢礼多
小沢の手下 - 外川貴博
小沢の手下 - 江藤純
刑事 - 辻つとむ 
刑事 - 貴山侑哉 
ラーメン屋の客 - 太田浩介
ラーメン屋店長 - マキタスポーツ
ラーメン屋店員 - ケンタエリザベス3世
ジュン - しいなえいひ
ぼったくりBARのママ - こばやしあきこ
水野の女 - 渡辺奈緒子
歯科女医 - 中村純子
グバナン共和国在日大使館大使 - ハーシェル・ペッパース
飯塚(村瀬組組員) - 塚本高史
大友の女 - 板谷由夏
木村(村瀬組若頭) - 中野英雄
小沢(池元組若頭) - 杉本哲太
村瀬(村瀬組組長) - 石橋蓮司
池元(池元組組長) - 國村隼
加藤(山王会若頭) - 三浦友和
この映画、第63回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式参加しました。プレス限定上映会ではブーイングや退席者が出ましたが]、公式上映ではブーイングや退席者はでず、恒例である上映後のスタンディングオベーションのほかに、入場してきた北野監督に観客から長時間拍手が送られるという異例の歓迎を受けました。これは従来暴力中心映画をあまりノミネートしないカンヌ映画祭において、暴力表現に敏感なプレスに対し、一般客も含まれる公式上映では歓迎されたということを意味します。



私が、北野映画をみたのは、Borotherがはじめてでした。それから、あの話題になったHnabiもみました。この2作とも、暴力シーンは過激であるものの、Bortherに関しては、仲間に対する、Hnabiでは、妻や同僚・仲間に対するするそこはかとない、愛情が感じられました。愛情というか、思いやり、大義といったものを感じました。そうして、暴力シーンがあるからこそ、この大義が強調され、あるいみ人の心を打ったのだと思います。海外で高い評価を受けたのは、そのせいだと思います。



それと、北野映画に一環して表現される暴力なのですが、あれを見ていると、やはり、痛みを感じます。無論実際に痛いわけではありませんが、痛みを感じます。普段現実世界ではあり得ない、それこそ、シュール(非現実的、超現実的)な痛みを感じてしまいます。なぜ、感じるかといえば、やはり、昔人に殴られたり、殴られたりしたからだと思います。あるいは、言葉の暴力などでの痛みを感じてしまいます。そうして、少し年代が上の人たちは、本当の意味での飢えの感覚にもつながるものかもしれません。この痛みの感覚は、現実にはあり得ないようでありながら、映画のストーリーに奇妙な現実感を与えてることも否定できません。しかし、この奇妙な現実感を味わいながら、世界の現実を振り返ると、飢えや暴力は、この世界に蔓延している事実に戸惑いを覚えます。私達は、平和ニッポンにいて平和ボケしているのではと思ってしまいます。


飢えも暴力も世界に存在する現実だ!!
これらの映画を観ていると、現在の子供たちは、大人になってから私達と同じ感覚で見られるのかと、ふと疑念を持ってしまいます。なぜなら、現在は、家庭でも、学校でも、いわゆる体罰はないですし、暴力もいけないものとされ、子供によっては、親にも、学校の先生にも、他の子供たちからも、殴られたことも、殴ったこともなく育っている子供がいるからです。それに、本当の意味では、生まれてから、一度も飢えの感覚を味わっていないからです。しかし、ある程度大人になってから、こうした映画を大人と一緒にみて、大人がその意味を教えてあげれば、随分違うものと思います。

"Outrage"は、まさに、キャッチフレーズ通りに、「悪人」ばかりで、同僚などに対するそこはかとない、思いやりなどもない世界でした。まさに、暴力だけが支配する異様な世界でした。これを通して、北野監督はどのような世界を見せたかったのか、なかなか理解できないところがあります。


しかし、この映画に登場する人物達、確かに全員悪人なのですが、どんなに悪いことをしている人間でも、妙に憎めないところがありました。やはり、痛みを通して、超現実的な世界であるにもかかわらず、現実に存在する人間よりも、生き生きしていて、圧倒的存在感があり、奇妙な現実感があり、その人間たちが次々と死んでいくことから、人間というもののはかなさを描くことに成功しているからかもしれません。それこそ、いつ死ぬかわからいなのに、生きている間は、かなりの現実感があります。


とにかく、出演者三浦友和など含めて、普段は、悪役などしない人まで徹底して悪訳です。三浦友和がやっていた加藤(山王会若頭)は、北村総一朗がやっていた関内(山王会会長)を殺し、みずから会長になります。この映画では、最後にわざと逮捕され、刑務所に入って、殺されることを免れたかにも見えた、大友(ビートたけし)まで、刑務所で殺されてしまいます。

私は、これらの映画を見て、痛みを感じ、奇妙な現実感とでも呼べるような痛みの感覚を持てる人はある意味正常なのだと思います。『暴力映画の影響で実際に暴力行為に出る人間も居ると思いますが、その点についてどう思われますか?』と北野に聴くような記者などは、このような感覚を持てないのだと思います。

あまり痛みや、飢えなど、体に物理的な強い感覚を持ったことのない人は、ある意味では、かわいそうな存在かもしれません。こういう人達こそ、現実と映画の区別がつきにくいのかもしれません。

それらか、私自身は、人間の根源には、誰しもが暴力的な性向を持っていると思います。だから、"Outrage"の中に出てくる悪人達が、圧倒的な存在感があるように見えるだと思います。そうして、私は、人間は、誰でもそのようなものであることを認めるべきだと思います。無論、それを"Outrage"に出てくる悪人達のように、日常的に表に出すべきではありません。

しかし、出すべきときには出すべきと思います。たとえば、スポーツの時に、ここぞというとき踏ん貼らなければならないときとか、仕事上でも、ここ一番、アグレッシップにならなければならないときとか、無論、誰彼かまわず殴れといっているわけではありません。やるべきことに、力を注ぐときに、その力を使うという意味です。



これに似たようなことは、そういわれでみれば、以前このブログでも書いたことがあります。それは、あの、スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』について書いたときです。この記事を書いたときに、このブログのアバター(自分の写真)をこの映画の主人公アレックス(主演男優マルコム・マクドウェル)の写真を掲載していました。このブログ記事には、なぜその写真にしたかを以下のように綴っています。
この映画結局は人間にとって性への関心や暴力的な性格は根源的なものであり、これを全くなくしてしまえば人間ではなくなるというものだと思います。事実大昔、ロボトミーという暴力的あるいは性犯罪を頻繁に起こす精神疾患者に対して前頭葉を一部切り取るという手術の手法があり、実際に行われた事例がありました。しかし、手術を受けた患者は確かに大人しくはなるが全く無気力になってしまうので、今では行われていません。 
なぜ私がこの写真をアバターにしたかというと、仕事を行うにしても社会人として振舞うにしても、良い意味での攻撃性は重要であると思っているからです。こうした感情がなければ、パワフルに物事を進められないからです。人間は気を抜けばつい安逸な方向に流れがちです。そんな自分を戒め何事にも積極的にあたっていけるようにと願いを込めてこの写真をアバターにしました。この映画、ご覧になっていない方是非ご覧になって下さい。
人間は、根源的なもの失えば、人間ではなくなるということです。だからこそ、現実世界ではあり得ないような、"Outrage"などのような悪人たちを見ると、妙な存在感を感じるのかもしれません。

私は、このような映画あっても良いと思います。そもそも、現実と映画やゲームの世界は異なるからです。それにしても、たとえ、本当の痛みを感じなくても、このような映画を見さいに、痛みを感じるように子供たちを育てていくべきと思います。



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2012年9月7日金曜日

あの会社も、社員教育にゲーミフィケーションを取り入れている―【私の論評】ゲーミフィケーションは、組織戦略の一環として実施されるべきものである!!



「ゲーミフィケーション」とは何か、いま一度確認を。 『ゲームの力が会社を変える』(岡村健右著 日本実業出版社)はこの言葉について、「ゲーム以外の分野にゲーム的要素を組み込むことで、ユーザーのモチベーションやロイヤリティなどを高める手法を指す言葉」であると解説しています。 

つまりは日常生活の様々なシーンにゲーム的な要素を組み込んでしまおうという発想です。わかりやすい例を挙げるなら、たとえば買い物をすることでポイントが貯まるカード、あるいはブログのアクセスランキングなどもこの範疇に収まります。ゲーム性を高めることによって、「やる気」を刺激しようというわけです。 本書では「ゲームを続けるのが楽しいと思う仕組み」を図式化しています。

この記事の詳細は、こちらから!!

【私の論評】ゲーミフィケーションは、組織戦略の一環として実施されるべきものである!!
詳細は、上の記事をごらんいただくものとして、図式と、結論部分のみ掲載しておきます。まず、図式は下です。

上の図式し、何かを習得したいという欲望を感じ、インセンティブを目的としてチャレンジし、達成したり、達成することで報酬を受け、やる気になるようなフィードバックを受けるうちに、最終的に習得に至るというわけです。
そうして、結局言いたいことは、以下のようなことです。
1.企業は社員のモチベーションを高める効果を期待することができる。 
2.社員は、仕事やコミョニケーションにゲーム感覚を自然なかたちで取り込んでいくことができるようになる。 
3.さらにそれらが結果的には、仕事全体に合理性と有効な結果を与える。


上の、記事では、買い物でポイントが貯まるとか、ブログのアクセスランキングも、ゲーミフィケーションであるとしていますが、これは、確かにわかりやすい事例です。ポイントが貯まる、ランキングなどで、人々は確かに動機づけられます。職場でも同じことです。日々ただ、淡々と仕事をしてもらうより、ゲームのように、目標など明白にして、段階別にスキルが習得できるようにするなどの工夫をすれば、それをしないよりもはるかに効果があがると思います。
昨年中国のサイトを賑わした裸でゲームをする女子
さて、このゲーミフィケーション、ただ闇雲に実施しただけではうまくはいかないと思います。やはり、組織戦略というものがあり、それに基づき実施されるべきものと思います。それなしに、実施している企業のうわべだけを真似て、ただ実施しても、混乱するだけできっとうまくいかないことでしょう。

これは、以前、いわゆる、ザッポスなどのオフィスが、遊び心満載で、見ているだけ楽しくなるようにつくられていますが、それには、それなりの組織戦略があり、それにもとづいてオフィスづくりが行われていることを述べましたが、それと同じことです。オフィスのあり方は、氷山の一角に過ぎず、目に見える、10%であり、その根底には、90%の組織戦略があるということです。そういった意味で、オフィスのあり方は、戦略を実現するためのビルトイン(組み込み)にすぎないということです。


ゲーミフィケーションもまさに同じことです。オフィスに関する記事の詳細は、以下のURLをごらんいただくものとして、以下にその要点だけ述べさせて頂きます。

「Shopify」の社内は遊び心がいっぱい!(仕事場探訪)―【私の論評】オフィスづくりは、組織づくりそのものだ!!オフィス作りだけでは意味がない!!


上の記事の結論は、結局簡単に一言でまとめてしまうと、貢献と集中と目線を高くさせることです。
知識があって、理解力があり、懸命に働くだけでは十分ではありません。成果をあげるにはこれらとは違う何かが必要です。仕事において成果を上げるには、特別の才能や適性は必要ありません。いくつかの簡単なことを行なうだけで良いのです。そうして簡単な習慣を身につければ良いのです。そうして、そういった習慣が身についたら、また新しい簡単な習慣を身につけること、この積み重ねを重ねることによってのみ卓越性が生まれてきます。このために重要なのは、以下の三点です。 この三点の文末に、ゲームに関連する注釈をいれておきます。
第一が、常に貢献を考えること、考えさせることです。これは簡単なことのように思えて、実はそうではありません。「業績」という言葉が出てきそうになったら、そのつど「貢献」と言い換えるべきです。業績とは、主に売上、利益の数値です。特に営利企業の場合は、これがなければ、どのような行動も成果とはいえません。この業績をあげるためには、会社に働く者すべてが、何がしかの「貢献」をしなければなりません。貢献のないところに、業績はありえません。たとえば、eコマースであれば、誰かが、ユーザービュー数を上げるために、具体的に行動して貢献することにより、ユーザービュー数が上昇し、それが、業績に結びつきます。 (注:ゲームは、何をすれば貢献できるのかが明白になっていないとやりようがない)
第二が、常に集中することです。これも簡単なことに思えますが、そうではありません。集中するには優先順位を決めなければなりません。どのような仕事にも順番があり優先順位があります。その順番や優先順位は、会社によっても、構成員によっても、幾通りもあり、どれが絶対に正しいなどということはなく、これは、実際に働くものでなければ、その内容を決めることはできません。管理職、経営者ができるのは、これをとりまとめることぐらいです。特に新しい事柄においてはそうです。机の上で、新しいことを思いついても、それを実施するのは、自分一人だけではなく、大勢の人にやってもらわなければなりません。大勢の人とはいってもすべてタイプが異なります。得意の分野も、一人一人異なります。同じ成果をあげるにしても、個々人でやり方も順番も異なるのです。そうして、集中するのは、個々人の責任であり、義務でもあります。いくら、管理職が監督しようとも、本当に集中しているのか否かは本人しか確認のしようがありません。 (注:ゲームは集中しないとできない)
第三が、目線を高くさせることです。何をどうしようとも、「世のため人のため」という目線の高さがなければ飛躍は無理です。必ず、欲という落とし穴に落ち込みます。売上をあげる、利益を上げるだけの考えでは成功はおぼつきません。誰もが納得でき、誰をも奮い立たさせられるような、理念を掲げなければなりません。これは、主に経営者の仕事です。そうして考えるだけではなく、全従業員に徹底しなければならないものです。ありとあらゆる機会を利用して、徹底するべきものです。 (注:ゲームには目線を高くさせる、様々なインセンティブが盛り込まれている)
そしてもう一つ。成果を上げるための必須の資質は「真摯たること」です。これなくしては、長期的な成果を望むことは不可能です。 
成果を上げる者は、成果を上げる能力を努力して身につけています。彼らは、成果を上げることを習慣にしています。成果を上げるよう努める者は、皆が皆、そうして、成果を上げられるようになっています。 
まずは、多くの社員に、「成果をあげることは修得できる。そして修得しなければならない」という信念を植え付ける必要があります。 
「何に対して貢献するか、どのような貢献ができるのか」仕事ができる者は自分で考えますし、また、そうさせなければなりません。
ゲーミフィケーションも、上記のような文脈の中で、実施されなければ、結局遊びのようになるか、やっているか、やっていないのかわからないようになってしまい、有名無実になってしまうということになります。
昨年中国のサイト賑わした、夏に裸で自宅でゲームに興ずる女子。同じパソコンに向かうにし
ても、仕事なら嫌がる人もいるが、なぜかゲームだと、やり続けて死んでしまう人もいるくらいだ!!
これに成功している、マクドナルドなどの企業は、堅牢堅固な、組織戦略を持っているからこそ、成功しているのであって、ゲーミフィケーションはそのためのツールであるということです。

それにしても、いわゆる、ゲーミフィケーションは、上記の三点をかなりやりやすくしていることは事実であり、ツールの一つとして、取り入れる価値は十分あると思います。皆さんは、どうお考えになりますか?



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