2013年11月4日月曜日

天皇陛下への直訴で考える「無知の罪」―【私の論評】責任を担うべき人は無知の罪を常に念頭に置いて、いつも自分を自戒しつつ、畏れをもって事にあたれ!でなければあなた自身が山本太郎になってしまう(゚д゚)!

天皇陛下への直訴で考える「無知の罪」


園遊会で園内をまわられる天皇陛下を呼び止め、
原発事故に係る政治的な手紙を手渡す山本太郎
■“知らずに犯す罪”と“知って犯す罪”
2013110301
山本太郎議員の天皇陛下への直訴(?)問題が、自身の議員資格をも脅かすほどに大きくクローズアップされている。既に多くの識者が述べているように、天皇という存在の無理解から生じた暴挙という認識が一般的なようだ。

もともと政治的な権限を持たないことになっている天皇陛下に直訴するという行為自体、無意味であり馬鹿げている。況してそれが政治家という立場にある公人であれば尚更だ。
世の中には、“知らずに犯す罪”と“知って犯す罪”という2つの罪があるが、今回の山本太郎議員の行動は明らかに前者であり、問題の本質は本人の無知にこそあると思われる。
では、無知であれば何をしても許されるのか? それが今回の本題である。

ここで1つ質問。
「あなたは“知らずに犯す罪”と“知って犯す罪”は、どちらの罪が重いと思いますか?」

おそらく、大抵の人は「知って犯す罪」と言うだろうと思う。しかし、本当のところは「知らずに犯す罪」の方である。
例えば、具体的に「殺人」という犯罪を例に考えてみると、殺人が罪であることを認識できる人間が殺人を犯す場合と、殺人が罪であることを認識していない人間が殺人を犯す場合がある。この場合、どちらの罪が重いと言えるだろうか?

この場合も前者の「罪であることを認識できる人間」と答える人が多いのではないかと思う。しかし、残念ながらそれは間違いである。

■山本太郎議員の“知らずに犯した不敬罪”
罪を意識できる人であれば、殺人を犯すまでに良心の呵責が生じ、自制心が働く場合があり、仮に殺人を犯したとしても、自らの行為を懺悔するという可能性がある。

しかし、罪の意識を感じることができない人が殺人を犯す場合、そこには全く自制心は介在せず、自省心というものも存在しない。そこに有るのは、己の欲望と主観的な目的のためには手段を選ばない無知な人(または狂人)の行動原理だけである。

他人に対して積年の怨みを抱いた怨恨を理由とした殺人行為と、街中で発狂した通り魔による無差別の殺人行為の罪はどちらが重いかを考えてみれば解りやすいかもしれない。怨みという感情が一時的に罪の意識を超えて凶行におよんだ人間と、元から罪の意識を持たない狂人の凶行を比べた場合も、罪が重いのは後者の「罪の意識を持たない」方である。(注:ここで述べている罪の重さとは、法律上での罪の重さのことではない)

法律を理解する能力を持った犯罪者と、法律を理解する能力を持たない犯罪者(または法律を知らない犯罪者)が存在する場合、善良な人々にとっては、法律で縛ることのできない犯罪者こそが脅威であり危険な存在だと言える。なぜなら、そういった人間には、社会を良くするために用意されているルールや常識が全く通用しないからである。

ここで「良心」という言葉が頭に浮かんだ人もいると思う。法律云々以前に、人間は生まれもって、やってはいけないことが解っているという意見も有るかもしれない。まさにその通りで、その良心を見失っている人には人工的に作られた法律で縛るしかない。だからこそ最後の防波堤である法律が通用しない人物は危険なのである。

山本太郎議員を狂人とまで言うつもりはないが、上記の話は今回の“知らずに犯した不敬罪”を考える上で少しは参考になるかもしれない。

たとえ本人に悪気は無く、善意ある行動だと思って為した行為であったとしても、その当事者にはそれが正しい行動であるかどうかを判断することはできない。その判断を可能足らしめるものは、自らが無知であることを知り、自らの行動を第三者の立場で観ることのできる冷静な判断力が要求される。それでも完全とは言えないが、それが最低限の必要条件である。

理性的な判断ができずに感情的な原発批判を行っているという時点で、その資格を自ら放棄しているようなものだが、その自らの姿を客観視できないようでは、到底、その資格を満たしているとは言えない。多くの人々が漠然と感じているであろう反原発論者達のうさん臭さは、実はそういったところ(己を客観視できないところ)にあるのではないかと思う。

■「左翼」というより「無知」だった山本太郎議員
それにしても、今回の山本太郎議員の行動は、彼の思想信条を考える上では非常に興味深い行動だったと言える。元々、反原発派の大部分は左翼(一部のリベラルも含む)というのが一般的な解釈だったと思われるが、彼の場合、今回の行動によって皮肉にも、生粋の左翼ではなかったということが明らかになってしまったと言えるかもしれない。

朝廷の打倒を1つの目的とする左翼が天皇陛下に直訴(?)というのは笑える事態(ブラックジョーク)であり、山本太郎議員を応援していた左翼陣営にとっては決して素直に喜べるニュースではなかっただろうと思う。

「平等概念の対極にある権力(この場合は天皇)というものを全否定する左翼が、権力に縋る」、この矛盾だけは左翼にとっては許せない(放置できない)はずで、だからこそ、右翼だけでなく左翼までもが、今回の山本太郎議員の行動を批判しているのだろう。ゆえに、山本太郎議員を擁護している左翼がいたとすれば、その人物はもはや左翼ではない。では何なのか? 答えは無論、「無知な人々」である。

【私の論評】責任を担うべき人は無知の罪を常に念頭に置いて、いつも自分を自戒しつつ、畏れをもって事にあたれ、でなければあなたが山本太郎になってしまう(゚д゚)!

上の記事、結構重要だと思いましたので、全文掲載させていただきました。山本太郎氏の今回の暴挙自体については、私にとっては、山本太郎氏ならびにそのブレーンの暗愚によるものであり、特に論評に値しないと思っているので、これ自体を特に取り上げるつもりはありません。結論は最初から出ています。


しかし、暗愚な者を政治家など責任ある立場にしてしまう、できてしまう政治システムのあり方については、批判すべきですし、多くの山本太郎氏の報道においてこの種の視点が欠けているようなので、本日掲載することとしました。

上の記事の確信的部分は、“知らずに犯す罪”と“知って犯す罪”は、前者のほうが重いということです。そうして、なぜそうなのかといえば、罪の意識を感じることができない人が殺人を犯す場合、そこには全く自制心は介在せず、自省心というものも存在しない。そこに有るのは、己の欲望と主観的な目的のためには手段を選ばない無知な人(または狂人)の行動原理だけだからというものです。

私は、無知による犯罪が知っていて犯す罪よりも重い場合もあれば、その反対もあり得ると思います。それは、状況に応じて変わります。しかし、山本太郎のケースは、無知による罪のほうが重いケースだと思います。国会議員の立場を考慮すれば、知らないで済ませられる問題では断じてないてず。これが、たとえば、AKB48の女の子(園遊会に出ているかどうかは知りませんが)あたりが、山本太郎のようなことをすれば、愚かであると非難されるでしょうが、山本太郎の件のようには大騒ぎにはならないことでしよう。

ただし確かに、無知=犯罪というケースは探してみればたくさんあります。1999年にバケツリレーをしていて死亡事故が発生しました。JCOの臨界事故です。あまりにお粗末極まりない事故でした。原因は単純なものでした。作業者がなにも知らなかったからです。なにをやっているのか理解してなかったからです。

JOC臨界事故

なぜきちんとした教育をしなかったのでしょうか? あまりに自明と思われたからこそ教育を怠ったのでしょうか。事故のお粗末ぶりに、当事者たちの杜撰さがみえてきます。

紀元前のギリシャではソクラテスが「無知の知」を唱えた。自分がなにを知らないのか知るのがその意味ですが、2000年以たった今もその知恵がいきているとは思えません。無知は罪であると言って過言ではないでしょう。JCOの問題だけでなく、いたるところでそうした無知ゆえの悪意ない犯罪が蔓延しています。今回の山本太郎氏の手紙事件もそうです。

それが自分にのみ被害が降りかかるだけならばよいかもしれないですが、実際はそうではありません。山本氏および、そのブレーンたちの暗愚は天皇直訴は、その象徴にすぎないだけで、実際に政治に悪影響を及ぼすと思います。

発展途上の国では単なる風邪さえもわからずにべつの薬を与えて死なせてしまうケースが後を絶たないといわれています。確かに日本ではそのようなことはないかもしれないですが、炎天下でのパチンコ駐車場で子どもを放置し、死なせる事故が後を絶たないのはどうしたことでしょうか。

責任ある大人というのは、単なる心構えだけでなく、幅広い知識が求められるということをもっと理解すべきでしょう。そうしたコンセンサスが共有されてはじめて、様々な問題解決のスタート地点に立つことができるのではないでしょうか?

それにしても、最近でも無知の罪多いです。日本国内では、たとえば、最近の自民党政権による「増税」は、完璧な無知の知です。どう考えても、不景気ましてや、デフレのときの増税は全くの間違いです。

この増税の背景には、財務官僚による日本政府の財政破綻という考え方があります。日本は今のままだと、財政赤字が積み上がり、財政破綻する。だから、増税する必要があるというものです。

ここでは、本日の本題ではないし、このブログでこれについては過去に何回も述べきたので、詳細は述べませんが、これは明らかな間違いです。


日本政府の本当の借金は、資産・負債差額の459兆円である。
これはGDP比でいって、現在の先国の普通の水準






そうして官僚は、これが間違いだということをはっきりとわかっていて、"知って犯す罪"を犯しました。そうして、この言い分を認めた、政治家は、゛知らずして犯す罪"を犯しています。そうして、上の論評では、官僚と政治家のどちらかが悪いかといえば、それは、政治家が悪いということです。

私は、そう思います。きちんとマクロ経済のことを理解していれば、官僚がいくらもっともらしいことを言って説得したとしても、「知らずに犯す罪」を犯すことはありません。かつて、亀井静香氏は、「財政破綻などフィクションに過ぎぬ、右のポケットも左のポケットも、同じ」という名言を語りました。これに関しては、その当時も、今でもほとんど注目されておらず、ほとんどの人から忘れさられています。私は、亀井氏の考えには賛同できない点もありますが、この点に関しては大賛成ですし、テレビや新聞などのメディアは本来この言葉そのものと、その意味も報道すべきであったと思います。

これは、経済に関してはマクロ的な見方ができる人であれば、誰もが賛同するところです。ある部分は正しく、ある部分は間違いというのではなく、あまりにはっきりしています。亀井氏は、マクロ経済に関する正しい認識をもっていますが、残念ながら、今では影響力の大きい政治家ではなくなってしまいました。今では、財政なども含むマクロ経済を理解していない、政治家が大勢を占めています。

本来、いくら官僚がもっともらしい話で、国益を追求しているようにみせかけながら、省益や官僚の益を追及していることを政治家が見破れなければならないはずです。しかし、そうならないところに、今の日本の政治システムの問題点があります。

度重なるJR北海道の不祥事

他にも例は多々あります。最近の、JR北海道の度重なる不祥事も、無知の罪です。度重なる不祥事に関するJR北海道の社長の会見で、社長は結局「本部が知らなかった」というお粗末な答弁をしました。これは、典型的な無知の罪です。知っていて、犯す過ちよりもこちらのほうが、罪が重いです。無知の罪を自覚しなければ、いつまでも過ちを続けることになります。

最近の中国での、天安門広場車両突入事件に関して、中国政府が出す情報があまりに少なすぎて、世界各国から非難の声があがっています。中国が、新疆ウィグル自治区のウイグル族の迫害を行っていることは明らかです。今回の車両突入事件は、これ抜きに語ることはできないでしょう。

中国天安門広場の車衝突

この事件をひきおこしたウイグル族が、意図してこの犯罪を行ったのかどうかは、定かではありません。しかし、仮にそうであり、悪いことであることは重々承知の上実施したとします。中国政府はこれをテロだとして、一方的に非難しています。しかし、中国政府が、この事件が起こる背景などに関して無知であるとすれば、上の論理でいうと、中国政府のほうが罪が大きいということになります。そうして、私は、おそらくそうだと思います。

中国は、経済的にも社会的にも閉塞状態にあります。この閉塞状態がなぜ起こったかといえば、中国政府がいつまでたっても、社会構造の改革を行なわず、ひたすら経済のみ発展させてきたことに起因します。社会構造改革の中でも、特に、民主化、政治と経済の分離、法治国家化が異常に遅れています。

このような、旧態依然とした70年前くらいからほとんど変わらない中国の社会構造が根本原因です。これについては、日本は数十年で西欧諸国は数百年かけて、現在に至っています。日本や、西欧にも問題は山積しています。しかし、中国の社会構造は、日本や西欧に比較すれば、どうしようもないほど遅れています。

西欧や、日本は、社会構造の変化を実行し、その結果として経済的な中間層を増やし、これらが、社会経済活動を行うことによって、経済も発展し、社会も繁栄しました。しかし、中国は、社会構造の変革には、ほとんど感心がなく、無頓着です。鄧小平が改革を目指したときのスローガン「富めるものから富め」から一歩も前進しません。

中国の暴動

中国では、毎年8万件以上の暴動がありますが、暴動を起こす民衆は、暴動を起こすこと自体は、悪いことだと理解していると思います。彼らの暴動は、"知って犯す罪"です。

一方、社会の混乱という罪を犯す中国の官僚は、"無知の罪"を犯しているということで、民衆の罪よりも重い罪を犯していることになります。

まだ、例はあります。たとえば、アメリカの債務上限問題です。これに関しては、アメリカのような基軸通貨を持つ国においては、政府の借金が多くなりがちであることは、古くから知られていることです。これに関しては、昨日のブログに掲載してありますので、詳細は説明しません。



ですから、今回の債務上限をあげる措置に関しては、ほとんど何も問題はありません。しかも、この問題は何も今に始まったことではなく、大昔からあることです。そうして、その背景はまともな政治家であれば、知っていて当然です。

しかし、アメリカの政治家の中には、この理屈を知らない人がいます。そうして、こういう人たちのために、政府の活動がストップしてしまったといことです。こういう政治家も"無知の罪"を犯しているわけです。そうして、この無知の罪は、知って犯す罪よりも重いということです。

これに関しては、何も最近アメリカの政治家が無知になったというよりも、ずっと前からそうでした。たとえば、貿易収支、経常収支を考える上で、赤字、黒字という考え方は、家計における赤字、黒字とは全く意味が異なります。しかし、アメリカの無知な政治家は、これを知らず、家計なみにとらえて、黒字は善、赤字は悪という立場に立ち、特にアメリカの貿易赤字を増加させているのは日本であるとして、日本の貿易黒字が減れば、アメリカ経済は良くなるという奇妙奇天烈な論理で、日本を糾弾し、そのあおりで、日本は円高基調に追いやられました。

この傾向は今でも続いています。こんなことをしたからといって、アメリカの経済が良くなるわけではありません。それは、ここ数年のアメリカは日本が円高であるにもかかわらず、景気が落ち込んでいることを見てもあきらかです。これも典型的な無知の罪です。最近ではようやっと、多少ではありますが、この無知の罪が理解されたようです。だから、日本が異次元の包括的金融緩和をしても、これに対してアメリカの無知な政治家が批判するようなことはなくなりました。アメリカの政治家も多少は、勉強したようです。

こうやって、いろいろ見ていくと、「知らずに犯す罪」というのは、結構身近にも多くありそうです。

こうした事例、何も山本太郎やそれを擁護する左翼だけの問題ではありません。社会のあらゆる分野で、このような誤謬が繰り返されている可能性が大です。

「無知の罪」は重いことを多くの人が自覚すべきです。しかし、「無知の罪」は大方の場合、それを犯している人は自分では理解できないという恐ろしさがあります。

結局は、どの分野でも、責任の大小は別にして、責任を担うべき人々は、「無知の罪」を避けるべく、ある程度は勉強しなければつとまらないということです。そうして、責任を担うべき人は、このことを常に念頭に置いて、いつも自分を自戒しつつ、畏れをもって事にあたるべきです。また、こうしたことを防ぐためのシステムも開発すべきです。それしても、どの分野でも前例のない最先端の分野では、「無知の罪」を防ぐシステムなどは構築されていないのが普通です。そうなると、最高責任者は「無知の罪」を避ける努力と、努力だけではくそれ防ぐシステム作りをする責任があります。そうでなければ、誰もが簡単に知らずして山本太郎のような「無知の罪」を犯してしまうことになります。そうなれば、社会は安定しません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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