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2015年1月4日日曜日

山本太郎「僕が総理大臣になったら」―【私の論評】マクロ的政策・天下国家論が欠如している山本氏。しかし、多くの政治家が、左右上下の立ち位置の違いこそあれ、山本氏と変わらず、ミクロ的な見方しかできない(゚д゚)!


山本太郎氏
ざっくりと内容は以下の通り。
  • 山本太郎氏が総理大臣になったら実行したいマニフェストをつづっている
  • 永田町にある施設を週末クラブ化させ、総理官邸ではイベントをするという
  • 全国の城を宿泊施設にし、消費税を廃止すると宣言している

<本文>

2014年12月末に、「生活の党と山本太郎となかまたち」の一員になりました、山本太郎です。今回の寄稿に際し、新党までの経緯などを克明に記す、かと思えば、大間違い。その件は、国会開会前の記者会見まで、引っ張ります。

そうなれば、書く事もないので、

「さようなら、私にも新年を祝う権利がありますので」

と逃げたいところですが、「2000文字で書け」と言うシバリをDMMの担当者から指示されましたので、山本太郎の新春妄想原稿といたします。すべり気味の記事を生暖かく見守って

最初にお詫び申し上げます。

パンチの効いていない原稿です。

今回、自分で思いついたテーマは、ふざければフザける程、面白い記事になる事は間違いないのですが、よく考えてみれば、新しい立場での責任も生まれましたし、時期を考えれば、フザケたい気持ちをグッと抑えて、控えめに書かねばなりません。

だったら、テーマを変えろ! と言う皆様からのツッコミが聞こえてきそうですが、締め切り数時間前の状態で、この僕に何ができると言うのでしょうか。

ですから、今回だけは、

「この道しかない」

という事で、すべり気味の記事を生暖かく見守って戴ければ幸いです。

但し、僕が総理大臣になったら、これらのマニュフェストは実行したいと、本気で考えています。

「今を知りたい!」と期待されてこの記事を読もうとされている方は、DMM内の他の記事でお楽しみ下さい。

なお、妄想マニフェストでは出てこない、原発・被曝、その他の政策や活動などをお知りになりたい方は、参議院議員 山本太郎のHPをご覧下さい。委員会での動画などもご覧戴けます。

僕は、総理大臣になってこの国を変えたい

今回の記事は新党の中で話合われた事ではない事を、重ねてお知らせいたします。

2014年最後の国会で、総理大臣を誰にするか、衆参両議員が記名投票をする首班指名が行われた。

参議院の、投票総数234票の内訳は、安倍晋三さん135票。岡田克也さん61票。江田憲司さん11票。志位和夫さん11票。平沼赳夫さん6票。吉田忠智さん4票。荒井広幸さん2票。松田公太さん2票。山田太郎さん1票。山本太郎、1票。

え、山本太郎、自分で自分に投票したの!? もちろんです。僕は、総理大臣になって、この国を変えたいのです。

それを上回る思いと行動力をお持ちの方がいらっしゃれば、全力で応援します。

総理大臣、という最高権力者にならなければ出来ない事が山ほどあります。

じゃ、山本太郎が総理になったら何する訳? 小学校6年生の時、校長先生との面談で、

「将来、総理大臣になる」

と言って鼻で嗤われた記憶を遡りながら、前半は小6テイストで、マニュフェストをざっーくり書いてみます。

僕が総理大臣になったら 「総理官邸でほぼ毎週末、クラブイベントをやります」

官邸だけでなく、永田町にある施設も週末クラブ化させ、パスを発行し、ハシゴできる様にします。営業は、深夜12時まで。そのあとは、他へ流れて、朝まで遊んで戴ける様にします。

風営法によって、深夜に踊る事も許されない国を、官邸主導で変えて行きます。イベントをオーガナイズする人を毎週公募、週末の永田町があなたのアイデアで彩られます。収益は財政が厳しい自治体、または生活困窮者支援に分配します。

僕が総理大臣になったら 「全国の城を宿泊施設にします」

イメージは、ポルトガルのポサーダ。

現在、博物館的な役割をしているお城の天守閣をスイートルームにして、世界の富裕層、超富裕層に、1日城主を味わって戴き、お金を落として戴きます。

例えば、姫路城天守閣一泊、200万円でも泊まるお金持ちはいます。

収益は、それぞれの施設の維持費、余れば、その自治体の財源とします。

僕が総理大臣になったら「海外視察に学生を連れていきます」

海外視察に行く度に、全国の中学校から抽選で一校選び、同行して戴きます。

安倍総理の様に50カ国を訪問するなら、50校の生徒を連れて行く。

相手国の学生も交えた首脳会談や、ホームステイ、などなど体験できる修学旅行をして戴きます。

僕が総理大臣になったら「教育を変える」

18歳になれば、自分がどんな仕事をして生きていくのか、が大体決まるというドイツのマイスター制度を手本に、音楽・演劇・映像・漫画・美術などアート方面にも選択の幅を拡げ、望む人全てが手に職をつけられる様な、ひとりひとりが持つ才能を発見し、誰もが必要とされる教育環境を築きます。

僕が総理大臣になったら「消費税を廃止します」

25年続いた欠陥税制でこの国に生きる人々は疲弊し、経済は後退しました。

じゃあ、財源は?

僕が総理大臣になったら、税の累進制を強めます。

お金持ちになればなるほど税金が安くなる、日本の所得税。

多く払える人が多く払う、と言う、税の概念・大前提に反する現状は、ただの金持ち優遇、お仲間たちへの最大の配慮、既得権益の強化です。

山本太郎政権の税金の集め方は至ってシンプル。持ってる人から多く取る。

それだけでなく、大企業とネンゴロである政治家や官僚が作り上げた、大企業が税逃れを出来る為に用意された80ものシステムも見直し、相応の法人税を支払って戴きます。

これができれば、消費税など不公平な税金は必要ありません。

この国に生きる人々を犠牲にし、財務省と大企業に気遣いをするのは終わりです。

僕が総理大臣になったら「議員定数は削減しません」

既存の政党が念仏の様に唱える、議員定数の削減。

「議員を減らし、議員に掛かるコストも削ります」

「身を切る改革を!」

など勇ましい響きですが、根本的な解決にはなっておらず、話を誤魔化しているだけです。

定数削減されて得をするのは、大政党のみ。

新規参入がただでさえ難しい今の政治が、定数削減でより狭き門となり、既得権が一層強化されるだけ。

多様な意見を交わす為には多様な立場の代理人が議会に送り込まれなければならないのに、定数削減で、入る余地がなくなります。

今よりも偏った、企業側の代理人ばかりが送り込まれる事になってしまいます。

僕が総理大臣になったら「お金が掛からない政治をつくります」

選挙にエントリーするだけで数百万円。選挙運動費用も含めて数千万。

それを全国の全てに候補者を立てれば選挙にひとり5千万円かかるとして、300小選挙区で150億円。こんなふざけた話はありません。

ずる賢い大人たちは、選挙や日頃の政治活動にお金が掛かる様にして、新規参入が難しいシステムを考えた訳です。

そこに、

「もっと議員減らそうぜ、金掛かるだけだよ」

って話にすり替えてるのが、議員定数削減を主張する人たちの本音。

議員は減らしちゃ駄目。

政治にお金が掛からなくすればいいだけ。

数万円で選挙にエントリーできて、巨大政党の候補者も「泡沫」と失礼な言い方で表現される候補者も、同等の条件で選挙ができる、当たり前のルールが必要です。

平等な露出が全てのメデイアで担保され、お金が掛からない選挙戦が出来る様にすれば、平等に政治に参加出来る権利が保証されれば、お金を引っ張る為に、大企業にゴマを擦る必要もなく大企業からの献金も、それに対するご恩返しも必要なくなります。

政治にお金が掛からなくなれば、議員の給料や諸経費(文書通信交通滞在費・立法事務費)もなくせます。

議員の給料が下がれば、国会法35条にある通り、高級官僚の給料もさがるのです。

一般の公務員の給料が高い、と批判されますが、高いのは、幹部クラスの公務員だけで、他は決して高いとは言えません。労働者の多くの給料が、不当に安いだけの話。

公務員バッシングに話をすり替えて、本質をボカし、労働者に長時間労働・低賃金で大企業を肥やし、結果、自分たちにも利益を還流させているだけの事。

僕が総理大臣になったら「正当な労働の対価を手に入れることができる、当たり前の社会を作ります」僕が総理大臣になったら「全ての労働者が1ヶ月連続のバケーションを取れるような労働環境を作ります」

僕が総理大臣になったら……。

僕が総理大臣になったら……。(了)

【私の論評】どんな人からでも学ぶことができる! マクロ的政策・天下国家論が欠如している山本氏。しかし、多くの政治家が、左右上下の立ち位置の違いこそあれ、山本氏と変わらず、ミクロ的な見方しかできない(゚д゚)!

小沢氏と、山本氏の結びつきは今後どうなっていくのか・・・・・

上の記事、とても勉強になるので、全文掲載させていただきました(笑)。

でも、これは私の本当の気持ちです。私は、昔ある人から、「学ぼうという姿勢があれば、どんな人からも学ぶことができる」ということを言われたことがあります。これは、本当です。確かに、学ぼうとう姿勢があれば、小さな子どもからもいろいろなことが学べます。

こういう姿勢が全く亡くなったとき、人は年老いたという事になるのだと思います。

さて、上の山本氏のマニフェストを読んでいて、気づくことがあります。

山本氏の言っていることは、ほとんどがミクロ的な施策ばかりであるということです。マクロ的なものは、消費税の廃止くらいです。それも、具体的ではありません。

しかし、ここで考えてみると、山本氏に限らず、日本のほとんどの政治家が、ミクロ的なことばかり語っています。山本氏と立ち位置が異なっていても、発言内容が一見まともに見えたにしても、ほんどがミクロ的なことばかりです。本当は、こんなことで良いはずはありません。

無論ミクロ的な見方も重要なこともありますが、国政レベルになれば、本来はマクロ的な見方、マクロ的な政策が重要なはずです。

しかし、そうは言っても、「マクロ的」な見方というと、平たくいえば、「天下・国家」を論じるということですから、多くの人にとっては興味の対象外です。

年末の選挙で勝利をおさめた安倍総理

だから、今回の選挙でも、安倍総理は「天下・国家論」よりも、よりミクロ的な側面も大きい「経済」に争点として、勝ち抜きました。これと対照的だったのは、次世代の党です。彼らは、文字通り「天下・国家論」を争点として、「マクロ的」な事柄を争点として、結果として惨敗してしまいました。私は、このことが、彼らが敗北したことの大きな原因の一つだと思います。

しかし、先ほども掲載したように、本来であれば、国政レベルでは、経済であれば、国の金融政策をどうするか、財政政策をどうするのかその大きな方向性が重要なはずです。

次世代の党は、選挙で大敗したが・・・
それに、国政であれば、経済だけではなく、安全保障をどうするのかという問題もあります。さらに、日本国自体の統治「ガバナンス)をどうするのか、もっと根本的ことをいえば、私達の国の「国柄」がどういものであり、これからはどうしていくかという大きな問題もあります。

本来は、これが国政レベルの話です。それ以外は、もっと小さなレベル、都道府県、市町村、コミュニティーの問題です。しかし、この国政レベルの「マクロ的」なことがしっかりしていなければ、「ミクロ的」な考えや、対策でいくら頑張ってみても何も変えることはできません。

だから、「マクロ的」なことはおざなりにはできないのです。しかし現在においては、多くの政治家がこれをおざなりにしてきました。だからこそ、経済も、まともな金融・財政政策ができず、とんでもない長期にわたるデフレを放置することになってしまいました。

経済が、デフレスパイラルの底に沈んでいるとき、いくら国民生活を良くするとか、雇用を改善すると叫んでみて、実際に雇用のミスマッチなどの改善などの、ミクロ政策を熱心に実施してみても、デフレを放置しておいては、何の解決にもなりません。

デフレでも頑張っていますなどと、虚勢をはってみても、何かミクロ的な手を打ってみても根本は解決しません。水道管が破裂したときに、水を必至で汲み出しているようなものです。水道管の破裂を修理しなければ、これは解決しません。デフレも同じことで、まずは金融緩和政策、積極財政で、デフレを脱却しなければ、様々な問題に個別で対応しても、全く解決できません。

しかし、ながら多くの政治家がマクロ的なことは何もせず、個別のミクロ的なことばかりに注力して、結果として、古今東西に例を見ない、長期間のデフレを放置してきました。

しかも、昨年は8%増税などという馬鹿げたことをしてしまい、せっかくアベノミクスの効果が、目に見えて顕著になってきたにもかかわらず、最近では、その効果は帳消しになり、元の状態に近くなってしまいました。

このような愚かなことばかりして、「マクロ的」なことに鈍感で、「ミクロ的」なことばかりに血道をあげ、失敗し続ける馬鹿な多くの政治家どもは、結局のところ、上下左右の立場が異なるだけで、山本太郎氏と大差がありません。

多くの国民は、過去のデフレで塗炭の苦しみを味わいましたし、その後金融緩和で、良くなりつつあったものが、8%増税でまたまた、経済が落ちこんでしまっている最中に、「マクロ的」な「天下・国家論」を語っても、これに耳を貸すほどの余裕がないというのが実体です。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉の通り、まずは、デフレを解消して、生活不安をなくしてから、「天下・国家」の話をすべきです。だからこそ、安倍総理は、今回の選挙の争点を「経済」に絞ったのです。

衣食足りて礼節を知る? この彼女、手を前に組んで
いますが、肘を張っていません。正しい挨拶です。

今回の安倍総理のやり方は正しい方のです。とにかく、「経済」直近のを良くして、天下・国家はその後にというのが、安倍総理の方針です。

今年は、とにかく経済がよくなり、国民にも余裕ができ、「ミクロ的」なことばかりではなく、「マクロ的」なこと、「天下・国家」にも関心が持てるようになると良いと心の底から思います。

そのようなことになれば、国民は「ミクロ的」なことばかり語る政治家や、官僚や、マスコミ、似非識者に胡散臭さを感じることになると思います。いや、賢い日本の国民は、昨年の時点で、そういう方向に転換しつつありました。

朝日新聞が、「慰安婦問題」に関する捏造記事を公に認めざるをえなくなったことが、それを見事に査証しています。

それにしても、山本氏の語ることを良く吟味してみれば、結局多くの政治家が、左右上下の立ち位置の違いこそあれ、山本氏と変わらず、ミクロ的な見方しかできないことが良く理解できます。本当に勉強になります。どんな人からも学ぶ事ができるというのは本当だと思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2013年11月4日月曜日

天皇陛下への直訴で考える「無知の罪」―【私の論評】責任を担うべき人は無知の罪を常に念頭に置いて、いつも自分を自戒しつつ、畏れをもって事にあたれ!でなければあなた自身が山本太郎になってしまう(゚д゚)!

天皇陛下への直訴で考える「無知の罪」


園遊会で園内をまわられる天皇陛下を呼び止め、
原発事故に係る政治的な手紙を手渡す山本太郎
■“知らずに犯す罪”と“知って犯す罪”
2013110301
山本太郎議員の天皇陛下への直訴(?)問題が、自身の議員資格をも脅かすほどに大きくクローズアップされている。既に多くの識者が述べているように、天皇という存在の無理解から生じた暴挙という認識が一般的なようだ。

もともと政治的な権限を持たないことになっている天皇陛下に直訴するという行為自体、無意味であり馬鹿げている。況してそれが政治家という立場にある公人であれば尚更だ。
世の中には、“知らずに犯す罪”と“知って犯す罪”という2つの罪があるが、今回の山本太郎議員の行動は明らかに前者であり、問題の本質は本人の無知にこそあると思われる。
では、無知であれば何をしても許されるのか? それが今回の本題である。

ここで1つ質問。
「あなたは“知らずに犯す罪”と“知って犯す罪”は、どちらの罪が重いと思いますか?」

おそらく、大抵の人は「知って犯す罪」と言うだろうと思う。しかし、本当のところは「知らずに犯す罪」の方である。
例えば、具体的に「殺人」という犯罪を例に考えてみると、殺人が罪であることを認識できる人間が殺人を犯す場合と、殺人が罪であることを認識していない人間が殺人を犯す場合がある。この場合、どちらの罪が重いと言えるだろうか?

この場合も前者の「罪であることを認識できる人間」と答える人が多いのではないかと思う。しかし、残念ながらそれは間違いである。

■山本太郎議員の“知らずに犯した不敬罪”
罪を意識できる人であれば、殺人を犯すまでに良心の呵責が生じ、自制心が働く場合があり、仮に殺人を犯したとしても、自らの行為を懺悔するという可能性がある。

しかし、罪の意識を感じることができない人が殺人を犯す場合、そこには全く自制心は介在せず、自省心というものも存在しない。そこに有るのは、己の欲望と主観的な目的のためには手段を選ばない無知な人(または狂人)の行動原理だけである。

他人に対して積年の怨みを抱いた怨恨を理由とした殺人行為と、街中で発狂した通り魔による無差別の殺人行為の罪はどちらが重いかを考えてみれば解りやすいかもしれない。怨みという感情が一時的に罪の意識を超えて凶行におよんだ人間と、元から罪の意識を持たない狂人の凶行を比べた場合も、罪が重いのは後者の「罪の意識を持たない」方である。(注:ここで述べている罪の重さとは、法律上での罪の重さのことではない)

法律を理解する能力を持った犯罪者と、法律を理解する能力を持たない犯罪者(または法律を知らない犯罪者)が存在する場合、善良な人々にとっては、法律で縛ることのできない犯罪者こそが脅威であり危険な存在だと言える。なぜなら、そういった人間には、社会を良くするために用意されているルールや常識が全く通用しないからである。

ここで「良心」という言葉が頭に浮かんだ人もいると思う。法律云々以前に、人間は生まれもって、やってはいけないことが解っているという意見も有るかもしれない。まさにその通りで、その良心を見失っている人には人工的に作られた法律で縛るしかない。だからこそ最後の防波堤である法律が通用しない人物は危険なのである。

山本太郎議員を狂人とまで言うつもりはないが、上記の話は今回の“知らずに犯した不敬罪”を考える上で少しは参考になるかもしれない。

たとえ本人に悪気は無く、善意ある行動だと思って為した行為であったとしても、その当事者にはそれが正しい行動であるかどうかを判断することはできない。その判断を可能足らしめるものは、自らが無知であることを知り、自らの行動を第三者の立場で観ることのできる冷静な判断力が要求される。それでも完全とは言えないが、それが最低限の必要条件である。

理性的な判断ができずに感情的な原発批判を行っているという時点で、その資格を自ら放棄しているようなものだが、その自らの姿を客観視できないようでは、到底、その資格を満たしているとは言えない。多くの人々が漠然と感じているであろう反原発論者達のうさん臭さは、実はそういったところ(己を客観視できないところ)にあるのではないかと思う。

■「左翼」というより「無知」だった山本太郎議員
それにしても、今回の山本太郎議員の行動は、彼の思想信条を考える上では非常に興味深い行動だったと言える。元々、反原発派の大部分は左翼(一部のリベラルも含む)というのが一般的な解釈だったと思われるが、彼の場合、今回の行動によって皮肉にも、生粋の左翼ではなかったということが明らかになってしまったと言えるかもしれない。

天皇制の打倒を1つの目的とする左翼が天皇陛下に直訴(?)というのは笑える事態(ブラックジョーク)であり、山本太郎議員を応援していた左翼陣営にとっては決して素直に喜べるニュースではなかっただろうと思う。

「平等概念の対極にある権力(この場合は天皇)というものを全否定する左翼が、権力に縋る」、この矛盾だけは左翼にとっては許せない(放置できない)はずで、だからこそ、右翼だけでなく左翼までもが、今回の山本太郎議員の行動を批判しているのだろう。ゆえに、山本太郎議員を擁護している左翼がいたとすれば、その人物はもはや左翼ではない。では何なのか? 答えは無論、「無知な人々」である。

【私の論評】責任を担うべき人は無知の罪を常に念頭に置いて、いつも自分を自戒しつつ、畏れをもって事にあたれ、でなければあなたが山本太郎になってしまう(゚д゚)!

上の記事、結構重要だと思いましたので、全文掲載させていただきました。山本太郎氏の今回の暴挙自体については、私にとっては、山本太郎氏ならびにそのブレーンの暗愚によるものであり、特に論評に値しないと思っているので、これ自体を特に取り上げるつもりはありません。結論は最初から出ています。


しかし、暗愚な者を政治家など責任ある立場にしてしまう、できてしまう政治システムのあり方については、批判すべきですし、多くの山本太郎氏の報道においてこの種の視点が欠けているようなので、本日掲載することとしました。

上の記事の確信的部分は、“知らずに犯す罪”と“知って犯す罪”は、前者のほうが重いということです。そうして、なぜそうなのかといえば、罪の意識を感じることができない人が殺人を犯す場合、そこには全く自制心は介在せず、自省心というものも存在しない。そこに有るのは、己の欲望と主観的な目的のためには手段を選ばない無知な人(または狂人)の行動原理だけだからというものです。

私は、無知による犯罪が知っていて犯す罪よりも重い場合もあれば、その反対もあり得ると思います。それは、状況に応じて変わります。しかし、山本太郎のケースは、無知による罪のほうが重いケースだと思います。国会議員の立場を考慮すれば、知らないで済ませられる問題では断じてないてず。これが、たとえば、AKB48の女の子(園遊会に出ているかどうかは知りませんが)あたりが、山本太郎のようなことをすれば、愚かであると非難されるでしょうが、山本太郎の件のようには大騒ぎにはならないことでしよう。

ただし確かに、無知=犯罪というケースは探してみればたくさんあります。1999年にバケツリレーをしていて死亡事故が発生しました。JCOの臨界事故です。あまりにお粗末極まりない事故でした。原因は単純なものでした。作業者がなにも知らなかったからです。なにをやっているのか理解してなかったからです。

JOC臨界事故

なぜきちんとした教育をしなかったのでしょうか? あまりに自明と思われたからこそ教育を怠ったのでしょうか。事故のお粗末ぶりに、当事者たちの杜撰さがみえてきます。

紀元前のギリシャではソクラテスが「無知の知」を唱えた。自分がなにを知らないのか知るのがその意味ですが、2000年以たった今もその知恵がいきているとは思えません。無知は罪であると言って過言ではないでしょう。JCOの問題だけでなく、いたるところでそうした無知ゆえの悪意ない犯罪が蔓延しています。今回の山本太郎氏の手紙事件もそうです。

それが自分にのみ被害が降りかかるだけならばよいかもしれないですが、実際はそうではありません。山本氏および、そのブレーンたちの暗愚は天皇直訴は、その象徴にすぎないだけで、実際に政治に悪影響を及ぼすと思います。

発展途上の国では単なる風邪さえもわからずにべつの薬を与えて死なせてしまうケースが後を絶たないといわれています。確かに日本ではそのようなことはないかもしれないですが、炎天下でのパチンコ駐車場で子どもを放置し、死なせる事故が後を絶たないのはどうしたことでしょうか。

責任ある大人というのは、単なる心構えだけでなく、幅広い知識が求められるということをもっと理解すべきでしょう。そうしたコンセンサスが共有されてはじめて、様々な問題解決のスタート地点に立つことができるのではないでしょうか?

それにしても、最近でも無知の罪多いです。日本国内では、たとえば、最近の自民党政権による「増税」は、完璧な無知の知です。どう考えても、不景気ましてや、デフレのときの増税は全くの間違いです。

この増税の背景には、財務官僚による日本政府の財政破綻という考え方があります。日本は今のままだと、財政赤字が積み上がり、財政破綻する。だから、増税する必要があるというものです。

ここでは、本日の本題ではないし、このブログでこれについては過去に何回も述べきたので、詳細は述べませんが、これは明らかな間違いです。


日本政府の本当の借金は、資産・負債差額の459兆円である。
これはGDP比でいって、現在の先国の普通の水準






そうして官僚は、これが間違いだということをはっきりとわかっていて、"知って犯す罪"を犯しました。そうして、この言い分を認めた、政治家は、゛知らずして犯す罪"を犯しています。そうして、上の論評では、官僚と政治家のどちらかが悪いかといえば、それは、政治家が悪いということです。

私は、そう思います。きちんとマクロ経済のことを理解していれば、官僚がいくらもっともらしいことを言って説得したとしても、「知らずに犯す罪」を犯すことはありません。かつて、亀井静香氏は、「財政破綻などフィクションに過ぎぬ、右のポケットも左のポケットも、同じ」という名言を語りました。これに関しては、その当時も、今でもほとんど注目されておらず、ほとんどの人から忘れさられています。私は、亀井氏の考えには賛同できない点もありますが、この点に関しては大賛成ですし、テレビや新聞などのメディアは本来この言葉そのものと、その意味も報道すべきであったと思います。

これは、経済に関してはマクロ的な見方ができる人であれば、誰もが賛同するところです。ある部分は正しく、ある部分は間違いというのではなく、あまりにはっきりしています。亀井氏は、マクロ経済に関する正しい認識をもっていますが、残念ながら、今では影響力の大きい政治家ではなくなってしまいました。今では、財政なども含むマクロ経済を理解していない、政治家が大勢を占めています。

本来、いくら官僚がもっともらしい話で、国益を追求しているようにみせかけながら、省益や官僚の益を追及していることを政治家が見破れなければならないはずです。しかし、そうならないところに、今の日本の政治システムの問題点があります。

度重なるJR北海道の不祥事

他にも例は多々あります。最近の、JR北海道の度重なる不祥事も、無知の罪です。度重なる不祥事に関するJR北海道の社長の会見で、社長は結局「本部が知らなかった」というお粗末な答弁をしました。これは、典型的な無知の罪です。知っていて、犯す過ちよりもこちらのほうが、罪が重いです。無知の罪を自覚しなければ、いつまでも過ちを続けることになります。

最近の中国での、天安門広場車両突入事件に関して、中国政府が出す情報があまりに少なすぎて、世界各国から非難の声があがっています。中国が、新疆ウィグル自治区のウイグル族の迫害を行っていることは明らかです。今回の車両突入事件は、これ抜きに語ることはできないでしょう。

中国天安門広場の車衝突

この事件をひきおこしたウイグル族が、意図してこの犯罪を行ったのかどうかは、定かではありません。しかし、仮にそうであり、悪いことであることは重々承知の上実施したとします。中国政府はこれをテロだとして、一方的に非難しています。しかし、中国政府が、この事件が起こる背景などに関して無知であるとすれば、上の論理でいうと、中国政府のほうが罪が大きいということになります。そうして、私は、おそらくそうだと思います。

中国は、経済的にも社会的にも閉塞状態にあります。この閉塞状態がなぜ起こったかといえば、中国政府がいつまでたっても、社会構造の改革を行なわず、ひたすら経済のみ発展させてきたことに起因します。社会構造改革の中でも、特に、民主化、政治と経済の分離、法治国家化が異常に遅れています。

このような、旧態依然とした70年前くらいからほとんど変わらない中国の社会構造が根本原因です。これについては、日本は数十年で西欧諸国は数百年かけて、現在に至っています。日本や、西欧にも問題は山積しています。しかし、中国の社会構造は、日本や西欧に比較すれば、どうしようもないほど遅れています。

西欧や、日本は、社会構造の変化を実行し、その結果として経済的な中間層を増やし、これらが、社会経済活動を行うことによって、経済も発展し、社会も繁栄しました。しかし、中国は、社会構造の変革には、ほとんど感心がなく、無頓着です。鄧小平が改革を目指したときのスローガン「富めるものから富め」から一歩も前進しません。

中国の暴動

中国では、毎年8万件以上の暴動がありますが、暴動を起こす民衆は、暴動を起こすこと自体は、悪いことだと理解していると思います。彼らの暴動は、"知って犯す罪"です。

一方、社会の混乱という罪を犯す中国の官僚は、"無知の罪"を犯しているということで、民衆の罪よりも重い罪を犯していることになります。

まだ、例はあります。たとえば、アメリカの債務上限問題です。これに関しては、アメリカのような基軸通貨を持つ国においては、政府の借金が多くなりがちであることは、古くから知られていることです。これに関しては、昨日のブログに掲載してありますので、詳細は説明しません。



ですから、今回の債務上限をあげる措置に関しては、ほとんど何も問題はありません。しかも、この問題は何も今に始まったことではなく、大昔からあることです。そうして、その背景はまともな政治家であれば、知っていて当然です。

しかし、アメリカの政治家の中には、この理屈を知らない人がいます。そうして、こういう人たちのために、政府の活動がストップしてしまったといことです。こういう政治家も"無知の罪"を犯しているわけです。そうして、この無知の罪は、知って犯す罪よりも重いということです。

これに関しては、何も最近アメリカの政治家が無知になったというよりも、ずっと前からそうでした。たとえば、貿易収支、経常収支を考える上で、赤字、黒字という考え方は、家計における赤字、黒字とは全く意味が異なります。しかし、アメリカの無知な政治家は、これを知らず、家計なみにとらえて、黒字は善、赤字は悪という立場に立ち、特にアメリカの貿易赤字を増加させているのは日本であるとして、日本の貿易黒字が減れば、アメリカ経済は良くなるという奇妙奇天烈な論理で、日本を糾弾し、そのあおりで、日本は円高基調に追いやられました。

この傾向は今でも続いています。こんなことをしたからといって、アメリカの経済が良くなるわけではありません。それは、ここ数年のアメリカは日本が円高であるにもかかわらず、景気が落ち込んでいることを見てもあきらかです。これも典型的な無知の罪です。最近ではようやっと、多少ではありますが、この無知の罪が理解されたようです。だから、日本が異次元の包括的金融緩和をしても、これに対してアメリカの無知な政治家が批判するようなことはなくなりました。アメリカの政治家も多少は、勉強したようです。

こうやって、いろいろ見ていくと、「知らずに犯す罪」というのは、結構身近にも多くありそうです。

こうした事例、何も山本太郎やそれを擁護する左翼だけの問題ではありません。社会のあらゆる分野で、このような誤謬が繰り返されている可能性が大です。

「無知の罪」は重いことを多くの人が自覚すべきです。しかし、「無知の罪」は大方の場合、それを犯している人は自分では理解できないという恐ろしさがあります。

結局は、どの分野でも、責任の大小は別にして、責任を担うべき人々は、「無知の罪」を避けるべく、ある程度は勉強しなければつとまらないということです。そうして、責任を担うべき人は、このことを常に念頭に置いて、いつも自分を自戒しつつ、畏れをもって事にあたるべきです。また、こうしたことを防ぐためのシステムも開発すべきです。それしても、どの分野でも前例のない最先端の分野では、「無知の罪」を防ぐシステムなどは構築されていないのが普通です。そうなると、最高責任者は「無知の罪」を避ける努力と、努力だけではくそれ防ぐシステム作りをする責任があります。そうでなければ、誰もが簡単に知らずして山本太郎のような「無知の罪」を犯してしまうことになります。そうなれば、社会は安定しません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2013年7月22日月曜日

山本太郎の当選は「終わりの始まり」か?―【私の論評】山本太郎は、確かに「終わりの始まり」だが、脱原発を目指すにしてもしなくても金融緩和は必須、増税は大敵!!この事実を見誤った政党が凋落した!


山本太郎

7月21日に投開票された第23回参議院選挙は、最も「参院選らしからぬ」選挙だったのではないか。

参議院を「良識の府」と呼んだのが誰なのかは定かではないらしい。しかし、言わんとしたかったことはよく分かる。参議院議員の任期は6年と長い。衆議院と違って解散もない。それゆえ政局に左右されず国政の場に留まれる。そんな参議院だからこそ党利党略から距離を取り、ポピュリズムに流されることなく、より長期的、巨視的な立場で国政に関われる。公共的な政策論争は参議院でこそ可能であると言えるかもしれない。

しかし今回の参院選はそうした参議院らしさからあまりにも掛け離れていた。主に争点になったのは経済政策であったが、アベノミクスと呼ばれる現与党政権の経済政策について、自民党がその成果を誇り、野党はそれに対する不信感を述べるだけに終始した印象がある。つまり長期的、巨視的な立場からの政策論争は不在であった。参議院選だからこそ今後の原発政策や憲法改正のように、この国の未来に関わる問題が争点になるべきだったのだが、それは叶わなかった。

そう書くと、確かに大勢はそうだったが、例外もあっただろうという意見も出るかもしれない。確かに東京選挙区では脱原発を訴えた山本太郎候補が議席を獲得し、話題となった。しかし山本は本当に「例外的」だったのだろうか。筆者は選挙戦が始まった初期の時点でこう書いた。「アベノミクスの景気対策の是非こそ争点になるが、原発なしに生き残ることができなかった地方の「貧しさ」の来歴を戦後日本の「豊かさ」と対照させて省みる動きは今のところ見られていない」(『原発が参院選の争点にならない理由』)。地方格差の問題が折り重なって事態を複雑化させているのが日本の原発問題のひとつの特徴だが、一貫して脱原発を主張して選挙を戦った山本太郎にこの種の複雑性に向き合い、解決しようとする姿勢は見られなかった。

山本にとって脱原発とは被曝リスクをゼロにするために必要なものと位置づけられている。その立場は同じように311の原発事故後にわかに被曝リスクゼロを強く願うようになった都市圏の脱原発指向と共振・共鳴し、投票行動を促した。低線量被曝による晩発性障害の発生が完全に否定できないと聞いて、できるだけ被曝を避けたいと願う心情を持つに至るプロセスは十分に理解できる。だが、そうした心情をそのまま現実の投票行動に結びつけられるのは、原発立地から遠く離れた都市圏の特権であることもまた事実だろう。過疎化に苛まれる原発立地地元では電源三法交付金や原発関係の雇用なしには立ち行かない構図が既に固定的になっており、被曝リスクどころか原発事故のリスクまでをも、それらが現実の被害に転じないことを祈りつつ、引き受けることなしに生き残る道が用意されない。

前回の衆院選に続いて今回も福島を含め、数多くの原発立地地元で自民が圧勝した。殆ど争点にならなかったが、自民党が再稼働を進め、311以前の原発状況に時計の針を戻そうとしていることを立地地元住民が知らずに投票したわけではない。自民を勝たせるしか選択肢がなかった立地地元の現実を踏まえ、彼らにそうではない選択が可能となる状況を提供することを目指さなければ、山本の脱原発論は被爆の不安に駆られて情緒的に盛り上がった都市部の脱原発運動の中でしか通用しない独りよがりのものに留まる。そして今回の彼の当選は全国的な脱原発への第一歩になるどころか、むしろその独善性が明らかになって都市部の脱原発運動自体が自壊してゆく「終わりの始まり」となろう。

繰り返しになるが、もし本当に脱原発を望むのであれば、原発なしに生き残ることができなかった地方の「貧しさ」の来歴を省み、その抜本的な解決を図る姿勢が必要だ。そのためには長期的、巨視的な視点に立った論議や丁寧な政治的調整の作業が求められ、それはまさに良識の府としての参議院で繰り広げられるのがふさわしいものだ。もしも今後の日本の未来に希望があるとすれば、山本太郎を含めて最も参議院らしからぬ選挙で国政入りした議員たちが、参議院本来の役割を取り戻すべく活動できるかにかかっているのかもしれない。

【私の論評】山本太郎は、確かに「終わりの始まり」だが、脱原発を目指すにしてもしなくても金融緩和は必須、増税は大敵!!この事実を見誤った政党が凋落した!

上の記事、山本太郎に対する見方としては、妥当だと思います。しかし、アベノミクスに対する見方は少し皮相であると感じました。

私は、脱原発を目指すにしても、原発をある程度使用し続けるにしても、アベノミクス、その中でも現在実施している金融緩和は必須だと思います。また、アベノミクス第二の矢である積極財政も必須だと思います。デフレから脱却できない状況下における緊縮財政の一環でもある、増税には大反対です。

そもそもデフレを退治しなければ、何もできない(゚д゚)!

上の記事を書いておられる方、まずは金融緩和、財政出動をして日本の経済を上向かせない限り、ほとんど何らの夢もみられないし、遠大な計画もたてられないし、長期的、巨視的視点にも全くたてないことを見過ごされていると思います。

私は、ここ最近、デフレを前提としてものごとを考えることの間違いを事あるごとにこのブログに掲載してきました。

それらの記事のいくつかを以下に掲載します。
日の丸家電、大復活! ソニー、パナ、シャープ軒並み増益―【私の論評】ちょっと待ってくれ!!20年もデフレが続いたことを忘れていないかい?デフレは家電メーカーの大敵であることを!!
大企業100社の内部留保99兆円に! “異次元の給与増額”は可能か―【私の論評】ちょっと待ってくれ!!20年もデフレが続いたことを忘れていないかい?デフレは、雇用・給与の最大の敵であることを!! 
かつての世代が持っていた向上心と自信を失った日本の若者=中国―【私の論評】ちょっと待ってくれ!!20年もデフレが続いたことを忘れていないかい?デフレは若者の向上心と自信の大敵であることらを!! 
従来の説はほとんどウソだった。日本でベンチャー企業が発達しない本当の理由。―【私の論評】ちょっと待ってくれ!!20年もデフレが続いたことを忘れていないかい?デフレは、ベンチャーの最大の敵であることを!! 
若者の雇用を奪うのは一体誰なのか?−【私の論評】根本原因は、デフレであってこれを解消しなければ何も解決されない!! 
若者雇用戦略のウソ―【私の論評】雇用と中央銀行の金融政策の間には密接な関係があることを知らない日本人?! 
大企業100社の内部留保99兆円に! “異次元の給与増額”は可能か―【私の論評】ちょっと待ってくれ!!20年もデフレが続いたことを忘れていないかい?デフレは、雇用・給与の最大の敵であることを!! 
厚労相「年金に大変な運用益」 アベノミクス効果―【私の論評】デフレを前提としてものごとを考えることはもうやめにしませんか?!!もうルールが変わっていますよ!!インフレルールで動かなければ、おいてきぼり喰いますよ!!
以上、このブログの過去の記事から、選んで7つほどデフレの影響について掲載されているものを再掲しました。企業業績から、雇用、賃金、ベンチャー企業の発展、年金問題、若者の向上心まで、デフレは私たちの生活にかなりの悪影響を及ぼしてきました。

そうして極めつけは、下の記事のように、日本経済が誰も否定しようもない、デフレに98年に入ってから、それまで自殺者が二万人台だったのに、三万人台に増えました。そうして、昨年15年ぶりに自殺者が二万人台に戻っています。これは、昨年度はあまり顕著ではなかったものの経済が上向いたことに関連性があります。

これに関しては、現岩田日銀副総裁も指摘されていたことです。これについては、以前もこのブログに何回か掲載したことがあります。その一つを以下に掲載します。
<年金>12年度の運用益11兆円超 株高・円安効果で―【私の論評】自殺者が減って、膨大な年金運用益が出ても、アベノミクスを否定する愚かな人々(゚д゚)!

多くの日本人は、デフレにあまりに長い間さらされてきたため、これが異常であるという認識に欠けていたと思います。多くの人々は、自殺までには追い込まれなかったものの、本当はデフレによる不都合が身の回りにもたくさんあるのに、その原因がデフレであることに気が付かなかったという側面は否めないと思います。

典型的なのは、若者雇用です。多くの人は、金融政策と雇用との間に有意な相関関係があることに気づかず、若者雇用に関して、日銀の金融引き締めが大きく関与しているという、日本以外の国では当たり前の事実に気づかず、見当違いの論議を繰り返してきました。

私は、地方の疲弊など、小泉構造改革などのせいにされることもありましたが、その側面を全く否定はしないもののその主原因は、デフレだったと思います。

上の記事で、「原発なしに生き残ることができなかった地方の「貧しさ」の来歴を省み、その抜本的な解決を図る姿勢が必要だ。そのためには長期的、巨視的な視点に立った論議や丁寧な政治的調整の作業が求められ、それはまさに良識の府としての参議院で繰り広げられるのがふさわしいものだ」と言われていますが、地方の「貧しさ」の主原因のうち、地方によって、いろいろ事情があるものの、まずは、デフレにあったということは、否定しようもない事実だと思います。

そうして、現在行なわれている金融緩和は、このデフレを終息させるための、対策でありこの対策がなければ、いくら、長期的・巨視的な視点にたって論議や丁寧な政治的調整の作業をしたとしても、結局何も変えられない、変わらないということに終始すると思います。実際、過去はそうだったわけです。

まずは、何をするにしても、金融緩和をして、経済を上向かせなけれは、何もできず、何もかえられず、結局八方塞がりのもくだ叩きに終わるだけと思います。

無論、デフレを解消したからといって、なにもかも薔薇色になるというわけではありません。しかし、デフレを解消した上で、様々な問題にとりくめば、解決の糸口はつかむことができますが、そうでなければ、糸口も何もないまま八方塞になるだけです。

デフレを解消しないうちに、山本太郎を含めて最も参議院らしからぬ選挙で国政入りした議員たちが、参議院本来の役割を取り戻すべく活動したとしても何も変わらないと思います。

山本太郎は、確かに「終わりの始まり」すぎないのですが、脱原発を目指すにしてもしなくてもあるいは、将来的に目指すにしても、それ以前に金融緩和は必須、増税は大敵だと思います。今回の選挙確かに、争点があまり明確ではなく、盛り上がりに欠けましたが、アベノミクスに75%の有権者が賛成ということで、意外と多くの有権者の方々が、この事実を見抜いてるのだと思います。そうして、この事実を見誤った政党が凋落したのだと思います。

しかし、自民党も安閑とはしておられないです。もし、来年の春に増税したとすれば、金融緩和による景気回復効果は、雲散霧消します。そうして、デフレスパイラルの深みに再度はまることになります。そうなると、上に掲載したように、デフレで様々な不都合が一気に再度噴出します。その結果、次の選挙では、安倍政権というより自民党政権そのものが成立しなくなると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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山本太郎の震災瓦礫焼却批判 東大・中川准教授が論拠を一蹴―【私の論評】いまだに山本太郎のようなツイートをする恥知らずで、惻隠の情もないニッポン人が存在することに対して忸怩たる思いがする!!



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2013年3月11日月曜日

山本太郎の震災瓦礫焼却批判 東大・中川准教授が論拠を一蹴―【私の論評】いまだに山本太郎のようなツイートをする恥知らずで、惻隠の情もないニッポン人が存在することに対して忸怩たる思いがする!!

山本太郎の震災瓦礫焼却批判 東大・中川准教授が論拠を一蹴

SAPIO4月号表紙
福島第一原子力発電所事故は大きな爪跡を残した。政府や電力会社による隠蔽は追及されるべきだが、その一方で、科学的根拠なしに放射能の危険性を煽り、いわれなき「福島差別」を生んだことは到底看過できない。

放射能に関する間違った情報やデマは、震災直後よりは減っているが、根強く残る。

2月17日、俳優で反原発活動家の山本太郎はツイッターに、〈大阪の瓦礫焼却が始まり母の体調がおかしい。気分が落ち込む、頭痛、目ヤニが大量に出る、リンパが腫れる、心臓がひっくり返りそうになる〉と瓦礫焼却を理由に母親の体調が崩れたと投稿した。

大阪府と大阪市は昨年8月、2014年3月までに最大3万6000トンの瓦礫を受け入れることを決定し、今年2月1日からゴミ処理場での焼却が始まった。焼却される瓦礫は放射性物質が基準値以下のものに限られるし、大阪で焼却されているのは岩手県の瓦礫だ。そもそも放射線の影響によって〈気分が落ち込む、頭痛、目ヤニが大量に出る、リンパが腫れる、心臓がひっくり返りそうになる〉などの症状が起こるはずはない。

※SAPIO2013年4月号
この記事の続きはこちらから!!!

【私の論評】いまだに山本太郎のようなツイートをする恥知らずで、惻隠の情もないニッポン人が存在することに対して忸怩たる思いがする!!

下の動画は、山本太郎が衆議院選挙で落選したときのものです。ひろゆき氏と対談していますが、ひろゆき氏に完璧に論破されてしまっています。この程度の頭だから、上記のようなツイートも平気でするのだと思います。何も考えずに、左翼系プロ市民にただ操られてうまく利用されているだけだと思います。ひろゆき氏は、山本の論旨が破綻しているので、これ以上論議しても仕方ないと考えて、論議を続けるのをやめたのだと思います。



本日は、被災から2年です。被災地では、いろいろありますが、本日もテレビタックルを見ていたら、被災地によって、復興のスピードはは相当違うようです。特に、瓦礫の処理に関しては、各地でかなり開きがあるようです。

私自身は、地元自治体による被災地の瓦礫受け入れには大賛成です。確か、こちらでは受け入れをしていたそうです。いち早く受け入れた、地元自治体には、素晴らしいことであると誇りを感じました。それは、以前のこのブログにも掲載しました。その記事のURLを以下に掲載します。


受け入れ反対には「『黙れ』って言えばいい」 石原都知事のがれき問題発言に賛否両論―【私の論評】なぜ、否定論がでてくるのか理解出来ない?!


詳細は、上の記事をご覧いただくものとして、この議事の結びを以下に掲載します。
このブログでも、そのことについては、何回か書いています。でも、それは、たまたま、東北地方や地方などに限ったことであり、都内では、そのような助けあい精神のない人も多数でてきたということなのでしょうか?  賛成派、是認派の方々の多くは、わざわざ、電話をかけたり、メールを発信したりはしていないのかもしれませんが、9月末から11月4日までに都に3000件以上の意見が都民らから寄せられ、そのうち9割が反対や苦情だっとは、驚きです。  この現象あの日航の企業年金問題でも、同じような傾向が見られました。日航がつぶれかけているというのに、ある女性の日航OBが、「企業年金を減額されることは、絶対に嫌だと」テレビの取材に堂々と答えていました。日本にもいわゆる恥じを感じるとか、惻隠の情というものが薄れているニッポン人が多くなっているのだと感じました。 
これが、私の素直な感想なのですが、皆さんは、どうお考えになりますか?
山本太郎は、それこそこの記事に掲載した、恥を知るだとか、惻隠の情というものが全く欠けたニッポン人なのだと思います。

もう一度、山本太郎のツイートをそのまま以下に掲載します。



詳細は、上の記事をご覧いただくものとして、この記事に掲載したあるツイートの内容を掲載しておきます。

@koichi1741さんがツイートする。
  「もし中高生が、山本太郎や瓦礫受け入れ反対脅迫のようにとりあえずわーわー叫んでおけば社会を変えられる、と思うようになったら、こんなに社会的損失はない。社会を変えるには、まずは勉強しかない」
  山本さんは「誰かが声をあげなければいけない」と語っている。もちろん、そうした活動をきっかけに何十年後かに、世の中が良くなっているかもしれない。
  しかし、法律制度、慣例など様々な物を変えるのは、山本さんのような運動家ではない。それに携わる人々だ。
まずは、そうした中枢に入ることが大切。だからこそ、中高生が今できることは、勉強するしかないのである。
全く、このツイートの通りだと思います。社会を本当に変えるのは、山本のような運動家、それも似非運動家ではありません。この事実は、山本氏が叫ぼうが、いくらツイートしようが本質は変わりません。デモや集会だけで、社会は変わりません。社会を変えるのは、社会に直接携わる多くの人々の日々の行動によって変わります。


これについても、以前このブログニ掲載したことがあります。その記事のURLを以下に掲載します。

デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか? 開沼 博「“燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」―【私の論評】車社会の是正を考えてみると理解できる脱原発運動の無謀さ!!


詳細は、上の記事をご覧いただくものとして、この記事では、車が事故を起こすからといって、事故撲滅運動などはあっても、社会の隅々まで浸透してしまった車をすぐに廃止せよとはならないことを論拠として、原子力発電をすぐ廃止することは無謀であることを掲載しました。以下にこの記事の締めくくりの部分だけコピペさせていただきます。
いずれにしても、車の事故、排ガスの人体への影響、化石燃料の消費が、社会にとって危険だからといって、車の運用をすぐ廃止しろということにはなりません。それは、車が、あまりにも、社会に根をおろしているため、これをすぐに廃止すれば、社会に及ぼす悪影響は、誰にでも理解できるからです。原発即停止などと声高に主張する人など、ちょうど、電気自動車に乗って、自分はエコしているなどと自惚れているようなものです。社会のことなど何も考えていません。 
上の記事では、「燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」としていますが、その通りだと思います。原発推進派であろとなかろうと、すぐに原発廃炉などと唱える輩は、何も考えていたいない、ただの愚か者だと思います。それに、原発反対派が見過ごしていること、このブログでも掲載したことがありますが、たとえば、原油価格の高等による、コストプッシュインフレによる弊害が十分考えられます。原油が値上がりしているので、それが、物価を押しあげるにもかかわらず、不況の状態であるスタグフレーションが考えられます。こうしたことが起これば、企業の海外移転はますます、進みます。そうなれば、日本の国力は弱まり、中国を利することになります。 
私たちは社会全体を考えて、50年後のことまでは、技術革新などなかなか予測できない面がありますから、少なくとも今後30年以内のことを時系列て考え、社会全体に及ぼす影響を考慮して、日本国家のエネルギー政策を考えていくべきです。それは、何も、政治家官僚だけではなく、私たち国民も同じことです。私は、そう思います。皆さんはどう思われますか?

それにしても、震災から2年という月日が経つのに、最初のうちは混乱して、何が何でもすぐに原発廃止と考える人が大勢いたとしても、理解のできることです。しかし、冷静に考えれば、すぐに原発を廃止することはいかに無謀か理解できると思います。


それにしても、上のツイートで山本は、自らが被災地の「風評被害」をまき散らしているということに気がつかないのでしょうか?おそらく、全く気づいていないのだと思います。

震災地の瓦礫に関して、いまだに山本太郎のようなツイートをする恥知らずで、惻隠の情もないニッポン人(日本の伝統文化を継承していない日本人の意)が存在することに対して忸怩たる思いがします。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?

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