2016年11月11日金曜日

中田宏氏「生活保護でパチンコ」おかしい 自分のカネで遊べ―【私の論評】自由とは選択の責任、権利ではなく義務!何かからの自由は特権に過ぎない(゚д゚)!

中田宏氏「生活保護でパチンコ」おかしい 自分のカネで遊べ

前・横浜市長の中田宏氏

 “人権派”曰く、生活保護費でギャンブルに興じるのは「人として当然の権利」らしい。だが、前・横浜市長の中田宏氏は「自由と権利」が一人歩きする日本社会の風潮を疑問視する。

 * * *

 「生活保護費でパチンコ」を禁じる地方自治体の試みが潰されたことをご存じだろうか。

 大分県別府市は昨秋、市の職員らがパチンコ店などを巡回。生活保護の受給者を見つけたらまず口頭注意、複数回繰り返した場合は書面での警告を経て保護費の一部の支給を1~2か月間停止していた。大分県中津市も同様の手順を経て、パチンコなどで遊ぶ受給者の保護費の一部を1か月分、減額していた。

 この対応に「当然だ」「よくやった」との声がある一方、「パチンコは個人の自由だ」「人権侵害につながる」と猛反発したのがいわゆる“人権派”の面々だ。結局、厚労省が「受給の停廃止は不適切」との方針を示し、今年度から両市はこの施策を中止した。

 日本国憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定める。生活保護制度は国民にとって最後の砦で、重要なセーフティネットであることは言うまでもない。

 だが、判例がないので私の価値観に基づいて言うが、パチンコが「文化的最低限度の生活」に必要とは思えない。私の基準では、金銭の増加によって精神的な満足を得る行為、つまりギャンブルは憲法第25条の範疇に入らない。ゆえに映画や演劇に保護費を使うのはOKだが、パチンコや競馬はダメであり、「馬の走る姿が美しい」などと訴えても、保護費で馬券を買った時点でアウトなのだ。

 生活保護法が定める制度の趣旨は、諸々の理由で生活が困窮した人を保護し、その自立を支援することだ。だが、困窮の度合いに応じて支給される生活費をパチンコに投入すれば、さらに生活が困窮する可能性が高い。これは元々の趣旨にもとる行為ゆえ、遊ぶなら公金ではなく自分のカネで遊ぶべきである。

 私は、「生活保護受給者にパチンコは必要ない」との考えは常識だと思っていたが、世の中には違う考えの人もいることを今回の件で痛感した。受給者のパチンコ禁止を「人権侵害」と難じる人々は、「権力=悪」という強い思想を持ち、権力による市民の行動抑制に徹底して反対する。個人の「自由」を最大限に尊重する立場の人々である。

 そもそも、「自由と責任」、「権利と義務」はワンセットであるはずだが、戦後の日本では、自由と権利がひとり歩きする。「国民の権利及び義務」を定めた日本国憲法第3章には「権利」が16回、「自由」が9回登場するが、「責任」と「義務」は各3回のみである。これ以上、人権派を跋扈させないためにも、この点が今後の憲法改正のポイントとなるだろう。

 この一件で腹立たしいのは、厚労省が「生活保護費でパチンコ」の是非について何の枠組みも提示せず、ただ「受給の停廃止は不適切」としたことだ。生活保護費の4分の1を負担する自治体がせっかく「けじめ」をつけさせようと頑張ったのに、国の事なかれ主義が自立支援の道を閉ざしたのである。

 本来、困った人を助けるはずの“人権派”と国が生活困窮者の自立を損ない、「生活保護依存症」を生み出しているとしたら、実に皮肉な話ではないか。

 【PROFILE】中田宏/なかだひろし。1964年生まれ。神奈川県横浜市出身。青山学院大学経済学部卒業後、松下政経塾に入塾。細川護煕氏、小池百合子氏の秘書を務めた後、衆議院議員に転身。2002年から2009年まで横浜市長を務めた。『改革者の真贋』(PHP研究所刊)、『失敗の整理術』(PHPビジネス新書)など著書多数。

【私の論評】自由とは選択の責任、権利ではなく義務!何かからの自由は特権に過ぎない(゚д゚)!

これとは、また一見別の話ですが、根底のところでは中田氏の主張と似たようなことを示唆するようなが、本日は別にもありました。その記事を以下に掲載します。
橋下氏主導の大阪市の入れ墨調査「適法」確定、拒否した職員敗訴
大阪市長を退任した橋本氏
 大阪市が実施した市職員への「入れ墨調査」の是非が争われた訴訟は、調査を適法とした二審判決が確定した。最高裁第2小法廷(小貫芳信裁判長)が9日付で、調査拒否に対する懲戒処分の取り消しを求めた職員2人の上告を退ける決定をした。 
 確定判決などによると、市は平成24年5月、橋下徹市長(当時)の主導で、入れ墨が他人から見える部分にあるかを、職務命令として全職員を対象に調査。2人に入れ墨はなかったが、プライバシー侵害に当たるとして回答を拒み、同8月に戒告処分を受けた。 
 一審大阪地裁判決は「入れ墨の有無は、差別の原因となり市条例が収集を禁じた情報に当たる」と指摘、調査は違法として処分を取り消した。二審大阪高裁は「人種や犯罪歴と違って差別の原因にはならない」と判断し、職員側逆転敗訴を言い渡した。 
 2人のうち元市バス運転手の男性は、今回の訴訟の取り下げを上司に求められて拒否した後、運転業務を外された。この転任命令の取り消しを求めた別の訴訟では一、二審とも男性が勝訴し、市が上告している。
ブログ冒頭の記事で、「(生活保護)受給者のパチンコ禁止を「人権侵害」と難じる人々は、「権力=悪」という強い思想を持ち、権力による市民の行動抑制に徹底して反対する。個人の「自由」を最大限に尊重する立場の人々である」と述べています

一方、大阪市の職員の入れ墨に関する件では、他者に見ることのできる範囲(他者が見られない範囲ではない)での「入れ墨」の調査を差別にあたるとしたものです。そうして、そうして「入れ墨」のない男性二人がこの調査そのものを違法としていたのです。

これも、細かなことはわかりませんが、これらの二人の男性自身がこの調査を「人権侵害」と断じているのでしょう。あるいは、これらの男性のバックには「人権保護派」の市民団体がついているのかもしれません。このような考えは、やはり「権力=悪」という強い思想を持ち、権力による市民の行動抑制に徹底的に反対し、個人の「自由」を最大限に尊重するという立場を背景にしているのでしょう。

よって、この2つの出来事は、一見似て非なるもののようにも見えながら、根底では同じ思想を背景にするものと考えて良いと思います。

パチンコに関しては、生活保護を受けていてもどうしてもやりたいと考える人がいたとしたら、それは病気なのではないかと思います。法律がどうのこうのの前に、医療相談などをすべきものと思いますし、その観点からサポートをする仕組みを構築すべきかもしれません。そのようなことをせずに、パチンコを自由にさせるということになれば、ますます病気が悪化することを助長するかもしれません。

中田氏は、"そもそも、「自由と責任」、「権利と義務」はワンセットであるはず"とのべていますが、これは社会生活を営む上で基本中の基本です。

さて、自由についてはこのブログでもしばしば登場する経営学の大家であるドラッカー氏は以下のように述べています。
 自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは選択の責任である。権利ではなく義務である。真の自由は何かからの自由ではない。それでは特権にすぎない。 
 自由とは、行なうことと行なわないこと、ある方法で行なうことと他の方法で行なうこと、ある信条を持つことと逆の信条を持つことからの選択である。楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。
 ドラッカーの数多い言葉の中で、私が最も好きなのが、この「自由とは責任ある選択である。(Freedom is a responsible choice.)」という言葉です。

私は、この言葉のおかげで、真の自由は自分との葛藤の末、勝ち取るものなのだということが明確に理解できました。自由とは何かから逃れて得る権利ではなく、自ら進んで”選択する”義務なのです。

もちろん、「責任ある選択」はイバラの道です。しかし、イバラの道を抜けた後には、全く新しい自由な世界が広がっているはずです。

責任ある選択ができる人は、委ねられ、自由となります。そして、自由な人はより多くの”自由な人”を育て始めます。

このようなことを考えれば、「権力からの自由」という考えは、全くの間違いです。なぜなら、自由とは選択の責任だからです。権利ではなく義務でだからです。真の自由は何かからの自由ではないからです、何かからの自由とは特権にすぎないからです。 

生活保護を受けつつパチンコをする、人に見える部分の入れ墨の調査を逃れるという行為は特権に過ぎないからです。

さて、この自由という観念、実はトランプ現象とも大きく関わっています。そもそも、なぜトランプ氏が大統領千に勝つことが出来たかといえば、アメリカでも「自由」と「権利」ばかりが、主張され「責任」と「義務」があまりに軽く扱われる風潮があり、これに対して反発した人々が、トランプ氏に投票したという側面もあることは否めません。

これについては、昨日のこのブログ記事で述べました。

詳細は、昨日のブログを読んでいただくものとして、以下に一部引用します。

まずは、ハーバード大学法科大学院の学生の事例をあげます。
「表現の自由」について学ぶクラスで、リベラルな教授は言う。 
「共和党の指名争いは、歴史上稀に見る恥ずべき状態になっている」 
トランプを「差別する人」、マイノリティを「差別される人」と表現した教授に対し、授業後の立ち話でケヴィンは不快感を隠そうとしなかった。 
その決めつけこそが、ステレオタイプな差別だというのだ。 
「すべての人がすべての人を差別していると言った偉人がいるけど、僕も同感だ。マイノリティだってある意味でトランプを“差別”しているんだと思う」 
と説く彼の言葉は、ハーバード生だけあって説得力がある。そこで私が、
「なぜ、授業中に教授に反論しなかったの?」 
と聞くと、 
「一度、授業で同性婚に反対したことがある。授業が終わるとLGBT団体が僕の机まで来て、泣きながら抗議した。“あなたは私たちのことを嫌いなのね。だから、差別するのね”って。もううんざりだよ」
このようなことは、現在アメリカでは日常茶飯事のことのようです。そうして、一度「差別主義者」のレッテルをはられてしまうと、とんでもないことになりかねません。ポリティカル・コレクトネスが何より重んじられるアメリカ。インテリ層がこれを間違うと大変なことになる。信用を失い、名誉を失い、将来を失うことになりかねないのです。

もう一つの例を以下にあげます。これは、日本では「テキサス親父」としてYouTubeの動画で、日本でも有名になったトニー・マラーノ氏によるアメリカの現状を吐露した内容です。トニー・マラーノ氏はいわゆる保守派であり、「自由と責任」、「権利と義務」という考え方に関しては当然のことと思っていることでしょう。

トニー・マラーノ氏
米国は「移民の国」だ。俺の先祖もイタリアから移住してきた。米国の「建国の理念」に賛同する移民たちが、わが国に活力を与え、発展させてきた。ただ、それは合法でなければならない。トランプ氏が「不法移民を強制送還させる」と主張していることは、ある意味当然といえる。 
 社会主義者の増長は、米国型リベラリズムが、民主党や教育機関、映画などの大衆娯楽を乗っ取った結果だ。彼らは幼稚園のころから「資本主義の邪悪さ」と「社会主義への同情」を刷り込まれた。洗脳だ。自由主義や資本主義の象徴であるトランプ氏は「叩きのめすべき敵」なのだろう。 
 彼らが、トランプ氏を政治的に貶めようとすればするほど、それが逆効果になっている。米国民の多くは「抗議団=米国を3等国に転落させたい連中」とみている。最近、テロリストを支持する集会が開催されたことが、トランプ氏への得票につながったことも、米国民は知っている。
 かつて、カリフォルニア州は米国全体の流れを決めていたが、今や、他の49州の「軽蔑の対象」でしかない。現在のトランプ旋風は「伝統的な米国を守れ」という国民的運動ともいえる。
この内容は、多少誇張はあるものの、アメリカの保守派の平均的な考え方だと思います。これは、不法移民に対して、オバマ大統領が、「移民法」の改悪によってある程度条件を満たせば、滞在を認めようとしたことへの反発でしょう。結局、この改悪は共和党が多数派の連邦議会で否決されて通りはしませんでしたが、それにしてもこのような法案を成立させようというオバマ大統領のリベラル・左派的にな思考には我慢ならないのでしょう。

不法移民を滞在させるるということは、明らかに「自由」ではなく、「特権」です。とにかく、米国においては、リベラル・左派による「責任」と「義務」を軽視するような発言が目立ちます。

しかも、 アメリカのメディアの9割はリベラル・左派に占められていて、保守派メディアは1割程度にすぎず、「責任」「義務」を主張する保守派の声はかき消されてしまいます。

しかも、保守派や保守派の考えに親和的な人々はアメリカでも半分くらいはいるはずなのに、それらの声はかき消されていしまうのです。そうして、保守派の人々は自分の真意を隠しながら、まわりにあわせてきたというのが実情でした。それでも、一部の保守派は声を大きくして主張してきたようですが、そうなると、社会から弾かれるという状況になります。

このような状況が長い間続いたアメリカでは、保守派の憤懣はマグマの頂点に達していたに違いありません。その憤懣を受け止めたのが、トランプ氏だったのです。

このブログでは過去に何度もこのことを指摘してきました。このことを理解しなければ、トランプ氏が大統領選に勝利した本当の背景は、無論のこと、アメリカの半分を占める保守派ならびにそれらに親和的な考えを持つ人々の考えを理解できません。

アメリカでは、無論民主党にも、リベラル・左派にもまともな人はいるのですが、いわゆる米国型のリベラル・左派の主張が幅を効かせすぎてとんでもないことになっていました。

米国のリベラルのアメリカ社会へのあらゆる面への、
浸透をリベラル・ファシズムと揶揄する人も存在する
しかし、トランプ大統領が現実のものとなった今、保守派の価値観が見直されることになるでしょう。そうして、リベラル・左派一辺倒だった米国メデイアも、これからは保守派を全く無視することはできないでしょう。

今までの、日本では、リベラル・左派一辺倒の米国メデイアの論調や、考え方が、アメリカそのものと考えてきた人がほとんどでした。

しかし、これからは、日本でもアメリカの保守に関して、ある程度は情報が伝わってくるようになることでしょう。そうなると、日本のリベラル・左派は自分たちの主張の正当性を主張しにくくなるか、場合によっては主張できなくなるでしょう。

私は、今回の大統領選挙によって、アメリカ国民はギリギリのところで、立ち直ったとみています。クリントンが大統領になっていたとすれば、リベラル・左派はなお一層勢力を拡大して、とんでもないことになっていたと思います。

日本では、アメリカほど酷くはないですが、「責任」と「義務」があまり顧みられることなく、個人の「自由」と「権利」に重きを置き、「特権」を追い求めるという風潮が酷くなりつつあります。

この風潮は、改めなければなりません。まずは、国の事なかれ主義を廃してまともな国にしていくべきです。そのためには、アメリカの大統領選のときのような、真の保守の積極的な行動が必要不可欠と思います。

自由とは選択の責任であり、権利ではなく義務、真の自由は何かからの自由ではありません。それでは特権にすぎないという当たり前の観念を日本社会も取り戻すべきです。

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