習近平総書記の最側近で、中国共産党内では事実上のナンバー2といえる王岐山・中央紀律検査委員会書記。
その王書記は2015年4月23日、習近平総書記の母校・清華大学での講演のため訪中したフランシス・フクヤマSAIS(ジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院)教授、青木昌彦スタンフォード大学名誉教授らと面会し、習近平政治について、こう講釈した。
その王書記は2015年4月23日、習近平総書記の母校・清華大学での講演のため訪中したフランシス・フクヤマSAIS(ジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院)教授、青木昌彦スタンフォード大学名誉教授らと面会し、習近平政治について、こう講釈した。
フランシス・フクヤマ氏 写真はブログ管理人挿入 |
「中国において皇帝というのは、『天子』と呼ばれる神なのだ。中国はいまでも神が統治するから、司法は必ず、中国共産党の指導のもとに行動しなければならない。
各国の最高法である憲法は、人間の手によって書かれた紙きれにすぎない。だから憲法が定める最高権力者の大統領は、神ではない。また、日本には天皇がいて、英国には女王がいるが、天皇も女王も神ではない。神がいるのは中国だけだ」
王書記は、大胆不敵にも「習近平=神」論をブチ上げたのである。
各国の最高法である憲法は、人間の手によって書かれた紙きれにすぎない。だから憲法が定める最高権力者の大統領は、神ではない。また、日本には天皇がいて、英国には女王がいるが、天皇も女王も神ではない。神がいるのは中国だけだ」
王書記は、大胆不敵にも「習近平=神」論をブチ上げたのである。
王岐山(左)と周近平(右) |
実際、習近平総書記に対する神格化は、2016年になって本格化した。2月28日、習近平総書記は党中央弁公庁を通して、「両学一做」(党章・習近平講話を学習し、党員として合格する)運動を、8779万共産党員に向けて発布した。
これは、約1.5万字ある党章と、あまたの習近平講話を、全党員が年末までに手書きで書き写すという指令である。かつて毛沢東が「毛沢東語録」によって国民を洗脳したように、「習語」(習近平語録)で洗脳し始めたのである。
同年8月2日、中国共産党の非公式重要会議「北戴河会議」を一週間後に控えたこの日、習近平総書記率いる党中央は、唐突に「共青団中央改革法案」を発表した。
これは、約1.5万字ある党章と、あまたの習近平講話を、全党員が年末までに手書きで書き写すという指令である。かつて毛沢東が「毛沢東語録」によって国民を洗脳したように、「習語」(習近平語録)で洗脳し始めたのである。
同年8月2日、中国共産党の非公式重要会議「北戴河会議」を一週間後に控えたこの日、習近平総書記率いる党中央は、唐突に「共青団中央改革法案」を発表した。
そこで習近平総書記は、もう一つの巨大派閥である「団派」(胡錦濤派)に宣戦布告したのだった。「団派」とは、共産党のエリート養成機関である共産主義青年団(共青団)出身者を指し、中国全土に約8000万人もいる。
習近平総書記が「団派」に叩きつけた改革案は、共青団中央の機構、幹部の選抜方法、活動内容、共産党・政府との関係の4点を是正していくというものだ。要は、今後は共青団を「習近平傘下」に置くので、従う者は選抜するが、従わない者は排除するという「通告」だ。
この改革案に「団派」は沈黙した。そこで勢いを得た「新貴」たちは、北戴河会議で次々に発言した。
「優れた指導者(習近平総書記)ならば、プーチン大統領のように半永久的に執権すべきだ」
「優れた指導者がいるのに、いまから若手の後継者を育てる必要などない」
「優れた指導者さえいれば、常務委員(トップ7)は5人いれば十分だ」
2017年は、秋に第19回共産党大会が開かれ、習近平総書記にとって「独裁体制完遂の年」となる。そして習総書記が抱く「中国の夢」がかなった暁には、中国は「大きな北朝鮮」と化すことになる。
●文/右田早希(ジャーナリスト)
※SAPIO2017年1月号
【私の論評】司馬遷を妄用しないと統治の正当性を保てない断末魔の習近平(゚д゚)!
上の記事を読むと、やはり現代支那も、司馬遷の歴史観に呪縛されている事がよくわかります。
王岐山の、
「中国において皇帝というのは、『天子』と呼ばれる神なのだ。中国はいまでも神が統治するから、司法は必ず、中国共産党の指導のもとに行動しなければならない。
各国の最高法である憲法は、人間の手によって書かれた紙きれにすぎない。だから憲法が定める最高権力者の大統領は、神ではない。また、日本には天皇がいて、英国には女王がいるが、天皇も女王も神ではない。神がいるのは中国だけだ」
各国の最高法である憲法は、人間の手によって書かれた紙きれにすぎない。だから憲法が定める最高権力者の大統領は、神ではない。また、日本には天皇がいて、英国には女王がいるが、天皇も女王も神ではない。神がいるのは中国だけだ」
司馬遷といえば、『史記』(しき)ですが、これは、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書です。正史の第一に数えられています。二十四史のひとつです。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)ですが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになりました。
司馬遷が『史記』で書きたかったのはただ一つ、「武帝は正統の天子である」という事でした。この国というか地域には古代から多くの皇帝が帝位についたのですが、それは天命を受けた皇帝が付いたのであり「正統」であるとしています。
ところが、この『史記』の歴史観がその後の支那人の歴史に対する考えを決めてしまったのです。「正統だから帝位につき、正統という点では中国の歴史に変化はない」ということがその後の中国の史書の大原則になってしまったのです。
だから、その後に書かれた中国の正史は常に「天下に変化はない」と書かなければいけなくなったのです。変化があったら正統ではなく、それは現皇帝を否定することになるからです。
そんな正史を書いたら、書いた本人はまず死罪になってしまいます。死にたくないから、皇帝に喜んでもらえる正史を書くしかなくなってしまったのです。中国の正史とは「そういうもの」であり、事実を書き記したものは正史ではないのです。
そうして、他の国から使者が来たら「下っ端の国が貢ぎ物を持って拝謁に来た」と書くのです。なぜなら、皇帝が喜ぶからです。ここで中国側は「下っ端の国(=属国)」と書くのですが書かれた側は家来とも下っ端とも思っていないし、そもそも自分の国が「中国の下っ端」と書かれていることすら知らないのです。
さらに、貢ぎ物を持ってきた国が遠くであれば遠いほど、自分の威光がそこまで及んでいるのかと皇帝を喜ばせるため書き手はつい大袈裟に書いてしまうのです。そのため、外国の位置をかなり遠くにあることにして書いてしまうのです。
そうして、他の国から使者が来たら「下っ端の国が貢ぎ物を持って拝謁に来た」と書くのです。なぜなら、皇帝が喜ぶからです。ここで中国側は「下っ端の国(=属国)」と書くのですが書かれた側は家来とも下っ端とも思っていないし、そもそも自分の国が「中国の下っ端」と書かれていることすら知らないのです。
さらに、貢ぎ物を持ってきた国が遠くであれば遠いほど、自分の威光がそこまで及んでいるのかと皇帝を喜ばせるため書き手はつい大袈裟に書いてしまうのです。そのため、外国の位置をかなり遠くにあることにして書いてしまうのです。
こういう書の一つが『魏志倭人伝』です。だから、これをいくら詳細に分析しても邪馬台国の位置は判りません。そもそ、これは皇帝を喜ばせるために書いたものだからです。書いた張本人も「これは正しいことを書いたものだ」などとは考えていないのです。
このような歴史観は、現代支那の覇権主義や、周近平の統治の正当性を主張するには、都合が良いかもしれません。
しかし、こんな古代の歴史観を現代に適用するなど、正気の沙汰とは思えません。こんな話を王岐山から聞かされた、フランシス・フクヤマ氏も、青木昌彦氏もさぞ驚かれたことでしょう。
青木昌彦氏 |
日本には、国民の統合の象徴としての天皇陛下がいらっしゃいます。イギリスにも、伝統のある王室があります。そうして、日本もイギリスも、民主的な手続きである選挙で、首相を選びます。日本などのように、歴史の古い国ではなくても、アメリカには民主的な手続きで選ばれた国家元首である大統領がいます。中国以外のまともな国では、すべて選挙という民主的な手続きをもって、為政者を定めています。
いずれをみても、中国共産党のその権力の背景がなんであるのか、得体の知れない、幹部たちとは違います。中国や北朝鮮などを除いたほとんどのまともな国が、民主的な手続きによって、統治の正当性を得た上で、為政者が決められています。
一度決まった為政者であっても、統治の正当性を失えば、選挙によって排除され、新たな為政者にとって変わられます。
中国ではそのような手続きはなく、中国共産党の幹部は指名によって選ばれます。これでは、元々統治の正当性が低いのは当然のことです。だから、支那の共産党幹部らは、何とか自らの統治の正当性を高めるため、躍起になるのです。
習近平の腐敗撲滅運動という名の権力闘争も、他者の統治の正当性を低め、自らの統治の正当性を高めるために行っているのです。
膨大な「習語」を書き写さなければならない、支那の幹部も大変です。この「習語」は、習近平の自身の手によるものを写すのでしょうか。だとすれば、あまり良い結果は招かないような気がします。
それは、習近平の字があまりに不味いからです。それについては、以前のこのブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
日本のアニメに怯える習近平政権 歴史観が日本に“洗脳”されてしまう!「進撃の巨人」の“排除”を指示―【私の論評】古代中国の徳や知恵の継承者は日本、現代中国ではない(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事から一部分を引用します。
中国の過去の歴史は、大帝国を築いても、結局分裂し、また新たな帝国ができるのですが、過去の帝国とは全く分断され、文化や伝統など継承しませんでした。過去の中国は、何の反省もなく、それを繰り返しました。
そうして、今日の中国も同じことであり、過去とは断絶しています。古代中国と現代中国は全く別物です。だから「5000年の歴史文化を持つ大国のメンツ」などというのは、まさに噴飯物です。
現代中国は、文化大革命で、過去の中国の知恵からは完璧に断絶されました。文化大革命(プロレタリア文化大革命とも呼ばれる。簡体字:无产阶级文化大革命 繁体字:無產階級文化大革命)、通称文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1966年から1976年まで(終結宣言は1977年)続いた、社会的騒乱です。略称は文革(ぶんかく)。
名目は「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動でした。しかし実際は、大躍進政策の失敗によって政権中枢から退いた毛沢東共産党主席が自身の復権を画策し、民衆を扇動して政敵を攻撃させ失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争でした。
これにより1億人近くが何らかの損害を被り、国内の大混乱と経済の深刻な停滞をもたらしました。
この文革、ハチャメチャな権力闘争であり、その中でも、1973年8月から1976年まで続いた「批林批孔運動」は酷いものでした。その内容は、林彪と孔子及び儒教を否定し、罵倒する運動でした。
幼少の頃に文化大革命に遭遇し、後に日本に帰化した石平氏は、「この結果、中国では論語の心や儒教の精神は無残に破壊され、世界で屈指の拝金主義が跋扈するようになった」と批判しています。
古代中国の知恵を自分たちの血とし、肉として、それを現代に至るまで継承してきたということでは、日本のほうが現代中国よりも、古代中国の知恵の継承者として、数段上にあると言っても良いくらいです。誰でも、一度は漢文に接したことがあることでしょうし、習字をしたこともあると思います。さらに、私達の生活習慣の中にも、古代中国の知恵や文化が息づいています。
これに関しては、上の写真を見ても理解できます。上は、日本の安倍総理による習字と、習近平のものを対比したものです。結局今の支那、中国の古代の司馬遷の知恵を多くの日本人のように、その頃の時代背景も踏まえた上で自分たちの血肉として素養として身に着けているというのではなく、自分たちの都合の良いように、古代文明や先達の知恵を妄用しているだけです。
習近平は、自分の考えを共産党幹部に植え付け、植え付けられないものは排除するというとです。これでは、完璧に全体主義以外の何ものでもありません。
ブログ冒頭の記事には、「習総書記が抱く「中国の夢」がかなった暁には、中国は「大きな北朝鮮」と化すことになる」と結論が述べられていますが、まさにその通りです。
しかし、このような不自然なことは成り立たないと思います。私は、習近平は近いうちに失脚すると思います。その後を引き継ぐ主席も、長続きはしないでしょう。
【関連記事】
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