2016年12月12日月曜日

【トランプ次期大統領】中国報道官、「一つの中国に縛られず」発言に「深刻な懸念」 中国紙は「武力統一」ちらつかせる―【私の論評】トランプ氏の対中国強硬策は正しい(゚д゚)!


北京の中国外務省で記者会見する耿爽副報道局長=12日
中国外務省の耿爽報道官は12日の定例会見で、トランプ次期米大統領の「一つの中国」原則をめぐる発言に対して「台湾問題は中国の主権と領土保全、核心的利益に関わることであり、『一つの中国』原則の堅持は中米関係を発展させる政治的基盤だ」と述べ、「深刻な懸念」を表明した。

 耿氏は、米国の新政権と指導者に対し「台湾問題の高度な敏感性を十分に認識し、『一つの中国』政策を引き続き堅持し、中米関係の大勢が著しく損なわれないよう促す」と強調した。

 中国の官製メディアもトランプ氏の対中姿勢に警戒感を強めている。中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は12日付の社説で、トランプ氏が「一つの中国」政策を放棄した場合は「どうして台湾の平和統一を武力による回復に優先させる必要があるだろうか」として武力統一を選択肢とすることもにおわせた。

 社説はトランプ氏が「一つの中国」をカードとして利用し、短期的な利益を不正に得ようとしていると分析。外交面において同氏は「子供のように無知だ」と非難し、「一つの中国」政策は売買することができないと主張した。

【私の論評】トランプ氏の対中国強硬策は正しい(゚д゚)!

トランプ次期米大統領は11日放送のFOXテレビの番組で、米国が台湾を中国の一部とみなす「一つの中国」という従来の政策を維持していくかは、中国の対応次第だとの考えを表明しました。

FOXテレビのインタビューを受けるトランプ氏(10日、ニューヨーク)
トランプ氏は同番組で「私は完全に『一つの中国』政策を理解している」と力説。一方で「貿易関係などで(中国と)合意を得られなければ、なぜ『一つの中国』政策に縛られないといけないのか」と言明しました。「一つの中国」政策を維持するかどうかを見極める具体的な政策として中国の通貨政策や、南シナ海での海洋進出、北朝鮮の問題での対処を挙げました。

さて、以下に過去の歴史を振り返っておきます。一つの中国ということが言われるようになったのは、1972年2月当時のニクソン大統領が中国を訪問し毛沢東らと会談し、米中共同宣言を発表しました。米中国交正常化は1979年に実現しました。

後にニクソンショックと呼ばれたニクソン、毛沢東会談
アメリカのニクソン大統領は、1971年8月、突然、来年の中国訪問を発表し、世界中を驚かせました。米中関係の改善の動きは、その前月、大統領特別補佐官キッシンジャーが密かに中国を訪問したことから始まっていました。

キッシンジャーは周恩来と会談して、米中関係の改善、ニクソンの訪中を打診し、同意を取り付けていました。ニクソンはベトナム戦争終結を模索し、当時はベトナムを支援していた中国に接近して和平の道を探ること、また中国と対立しているソ連を牽制することができる、と考えましたた。

キッシンジャー(左)と周恩来(右)
また、キッシンジャーの新しい勢力均衡論、つまり米ソの二極対立の時代は終わりソ連・欧州・日本・中国・アメリカの五大勢力が相互に均衡を保つことによって世界の安定を図るという考えを採用したものでした。

ニクソンは予定通り、1972年2月、訪中を実現し、アメリカ大統領として始めて中国首脳の毛沢東と握手をし、20年間にわたる敵視政策を転換させることを約し、両者は米中共同宣言(上海コミュニケ)を発表したのです。

この会談により、米中は体制間の相違を相互に認め、それを超えて「平和共存五原則」に基づき国際問題及び二国間問題を処理することを約束したのです。この会談により、「中国は一つであり、台湾は中国の一部である」との中国の主張を米側が認める形となりました。

この時米中とも戦略的に覇権主義的なソ連を強く意識したことは言うまでもありません。同時に中国が西側諸国との平和共存路線へ転換したことも意味していると考えられました。

約半年後の9月、中国は、日本と国交正常化を実現し、10月には西ドイツ、その後ベルギー、オーストリアなどと国交を樹立しました。イギリスとオランダはそれまでの代理大使級から大使級の外交関係に昇格しました。<天児慧『中華人民共和国史』1999 岩波新書 など>

鄧小平(中央)とカーター(右)
ニクソン訪中で相互の存在を承認しあったアメリカと中国は、その後交渉を重ね、1979年にカーター大統領と鄧小平のもとで、米中国交正常化を実現させました。この結果、中華民国政府(台湾)は、国際連合から追放され、アメリカ・日本など世界の各国は正式な国交を台湾と断絶しました。 → 中国の国連代表権

さらにニクソンは3ヶ月後にモスクワを訪れ、第1次戦略兵器制限条約(SALT・Ⅰ)に調印、華々しい外交成果を誇った。ニクソン大統領は前年の1971年8月には金とドルの交換停止というドル防衛策を発表して、ドル=ショックという衝撃を世界に与えましたが、この外交上の大転換も、もう一つのニクソン=ショックと言われました。いずれも1960年代後半からのアメリカの経済・外交の行き詰まりを打開するための起死回生をねらった政策転換でした。

ニクソン(手前左)とブレジネフ(手前右)
ニクソンの訪中は前年の1971年7月16日でしたが、日本に通知されたのはわずか数十分前にすぎず、その決定は日本を頭越しに飛び越え、米中だけで決定されました。日本政府(佐藤内閣)は仰天しました。日本はアメリカと強固な同盟関係にあるし、つい数ヶ月前はニクソン=佐藤栄作会談で、両国の緊密な連携を約束していたからでした。

当時日本の状況は中国共産党政権を承認し、台湾を切り捨てることは考えられなかったことであり、特に与党自民党の中には親台湾派が多数存在していました。なによりもアメリカがこのような重大な外交方針の転換を同盟国日本に相談なしに実行するとは考えられないことだったのです。

しかしアメリカのニクソン=キッシンジャー外交はそのような甘いものではなかったのです。事前に日本の了解を得ることは困難と考え、極秘裏に事を進め、ニクソン訪中のマスコミ発表の数十分前に電話で日本の外務省に知らせただけでした。

その背景には、当時並行して進められていた日米繊維交渉で、日本側の態度が煮え切らず、アメリカ側がイライラしていたこと、そもそもキッシンジャーは日本嫌いであったことなどが考えられるのですが、アメリカは外交を冷徹なマキャベリズムで判断していたのに対し、日本は「信頼関係」とか「友人」といった甘い、感情的なレベルでしか捉えていなかったことに問題があったのかもしれません。

日本政府、外務省がニクソン訪中について事前に情報をキャッチしていなかったことは、情報収集能力、外交能力に欠けるとして、マスコミは佐藤内閣と外務省を厳しく批判した。それは佐藤内閣が7月に退陣に追い込まれる直接の引き金となりました。

このような「一つの中国」をトランプ氏が「一つの中国に縛られず」と発言したわけですから、これは中国政府にとっては、「一つの中国」決まった当時の日本政府の狼狽よりも、さらに深刻であり、まさに青天の霹靂だったに違いありません。

さて、最近習近平はキッシンジャー氏と会談しています。それに関しては、このブログにも掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
【スクープ最前線】トランプ氏「中国敵対」決断 台湾に急接近、習近平氏は大恥かかされ…―【私の論評】トランプ新大統領が中国を屈服させるのはこんなに簡単(゚д゚)!
台湾の蔡英文総統との電話会談で中国を牽制したトランプ次期米大統領
詳細は、この記事をご覧いただくももとして、この記事ではドナルド・トランプ次期米大統領が、中国への強烈な対抗姿勢を示したことを掲載しました。

トランプ氏は、台湾の蔡英文総統と電撃的な電話協議を行い、「経済、政治、安全保障面での緊密な結びつき」を確認したうえ、フィリピンのドゥテルテ大統領とも電話会談で意気投合したのです。トランプ氏は「アンチ・チャイナ」の急先鋒(せんぽう)だっただけに、戦略的に行動した可能性が高いです。習近平国家主席率いる中国は衝撃を受け、「対中激突」や「孤立化」を恐れていいます。

そうして、実は、中国がトランプ、蔡両氏の電話協議に激怒した3日、中国共産党の機関紙「人民日報」は1面で、習氏とキッシンジャー元米国務長官が笑顔で握手する写真を掲載しました。記事は前日の会談を報じたもので、習氏は『(トランプ政権と)安定した発展を継続したい』と表明を出していました。世界各国が注視するなか、習近平氏は物笑いの種にされ、大恥をかかされたのです。

握手した習近平(左)とキッシンジャー(右)
トランプ氏はこのように中国に対して、強硬姿勢をとるというメッセージを強烈に発信していたのですが、さらに今回の「一つの中国に縛られず」発言です。この発言で、トランプ氏は習近平の面子を粉々に砕きました。

トランプ氏としては、ソ連が崩壊した後の中国は明らかにソ連に変わって覇権主義の道を走っているとみなし、米国の対中政策を変えることを宣言したのです。

トランプ氏の中国に対する発言

トランプ氏は、「一つの中国に縛られず」と発言しています。一つの中国に縛られずとは、大陸中国と台湾の両方を認めるということでしょうか、もしそうなら「台湾を独立国として認める用意がある」などと発言すれば良いことだと思います。

この「一つの中国に縛られず」という言葉にはもっと大きな意味が含まれている可能性があります。

その可能性は、現中国が建国以来他国に対して侵略を繰り返してきたことを考えれば、おのずと理解できます。

以下に、現中国が、建国したばかりの頃の中国の版図を示す地図をあげます。


建国したばかりの中国の版図は「支那」と掲載した赤い部分のみです。その他満州、内モンゴル、ウィグル、チベットはすべて独立後に支那が侵略して、自らの版図に組み入れたものです。

ニクソンが「一つの中国」を認めたとき、すでにこれらの本来外国であったはずの、国々は、中国が侵略して我が物としてきたのです。キッシンジャーや、ニクソン、カーターはこうした中国の覇権主義的性格を見抜けなかったのです。

そうして、その後は南シナ海に進出しています。このような国家は、侵略国家であり、覇権主義国家であることは明らかです。そうして、これらの国々は徹底的に中国の弾圧を受け、民族浄化の危機にあります。

このようなことを考えると、トランプ氏の対中国強硬策は当然のことと認識できます。一つの中国に縛られずというのなら、これらの国々も独立の方向で、長期戦略を練ってほしいものです。何十年かかってでも良いので、これらの国々は独立すべきでしょう。

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