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2020年2月20日木曜日

ロンドン市長選候補、五輪代替開催提起は火事場泥棒―【私の論評】武漢肺炎の対処法やTwitter等での発言内容が、人を客観的に分析する手がかりとなる(゚д゚)!


ショーン・ベイリー氏

ロンドン市長選挙に保守党公認候補として出馬する予定のショーン・ベイリー氏が自らのツイッターにツイッターに以下のような投稿をし、代替開催に意欲を見せている。

「ロンドンは2020年にオリンピックを開催できます。我々にはインフラと経験があります。コロナウイルスの大流行により、世界は我々が一歩踏み出すことを必要とするかもしれない。市長として、私はロンドンが呼びかけに答え、オリンピックを再び開催する準備ができていることを明確にします。」

このコメントはすでに大きな反発を呼んでいるが、非常に浅はかで失礼千万だ。そもそも、ダイヤモンド・プリンセス号はイギリスのP&O社が所有し、船籍はイギリスである。船内での新型コロナウイルス感染の第一義的責任は、所有者と運行会社(これはアメリカの会社)にある。イギリスの船で感染が起きたことにより日本中が大変なことになっているのに、イギリス人としてよくそんなことが言えるなというが正直な気持ちだ。

さらに、ロンドンは2012年に五輪を開催したばかりなのに、そこまでして注目を浴びたいのか、保守党には今では様々なバックグランドを持った政治家がいるのに、なぜこのような時代錯誤的・自国中心主義的な主張をするのかとその強欲さに呆れる。

最後に、五輪開催の時期にロンドンで新型コロナウイルスが蔓延していない保証はない。その可能性も考慮できないような人間は市長候補者として失格である。

五輪を東京で開催できるか否かはここ一ヶ月くらいが勝負だと思うが、仮に今年の夏に開催できなかったとしても、それは日本政府の責任とは言えないだろう。個人的には日本政府のダイヤモンド・プリンセス号に対する対応は間違っていたと思うが、同じような状況で他国の政府だったらもっと上手くやれるという保証はない。日本政府は来年以降も含めて開催時期をずらすことを堂々と主張すべきで、もともと日本が発信源でないコロナウイルスの問題で開催を放棄すべきはない。私は元々五輪には熱心な人間ではないが、そんなことをしたら不等な欧米中心主義に屈したとして後世に汚点を残すので、開催放棄には大反対だ。

【私の論評】武漢肺炎の対処法やTwitter等での発言内容が、人を客観的に分析する手がかりとなる(゚д゚)!

ショーン・ベイリー氏のこのtwitterでの発言で、私は数日前のYouTuberのKAZUYA氏の発言を思い出してしまいました。


ショーン・ベリー氏のこのtwitterへの書き込みは、確かに軽薄の誹りを免れないと思います。彼は、英国内の自分の支持者などに向けて、メッセージを発信したつもりなのでしょうが、このツイートは全世界に向けて発信されています。

当然、世界中の人が見ているわけで、世界中のまともな人が見れば、誰がみても火事場泥棒的なイメージを抱くと思います。それに当の英国内の支援者らも、現状のようにコロナウイルスの感染など、英国内ではまだ深刻では無い状況から、深刻化していけば、ショーン・ベイリー氏の発言のネガティブな面が認識されていくと思います。

実際、ダイヤモンド・プリンセス号船内にいるイギリス人の乗客乗員74人の一部からは、他の国はそれぞれの市民を空路で帰国させているのに、自分たちは存在が「忘れ去られている」ようだとの声が上がっています。

BBCによれば、英首相官邸の報道官は、「我々は、この非常に厳しい状況の中で捕らわれている、すべての人々を気の毒に思っている。(中略)外務省は、今後飛ばすかもしれない帰還便に乗る意向があるかをはっきりさせるため、ダイヤモンド・プリンセス船内にいるすべてのイギリス人と連絡を取っている」と述べたそうです。

報道官はまた、英政府は「船内にいる人々の健康と安全を保証するためのあらゆる選択肢について、緊急に検討」していると明かしたそうです。

英政府の発表に先立ち、イギリス人の乗客デイヴィッド・エイベル氏は、「私たちの存在が忘れ去られているようだ」と述べ、船内にいるイギリス国民を退避させるよう英政府に求めました。(写真下)


デイヴィッド・エイベル氏(右)は、英政府が自分と妻を救出してくれるという確信がほとんどないと語っています。

エイベル氏の息子スティーヴ氏は、ユーチューブにメッセージを投稿。自分の両親が「ストレス」や、28日間も船内にいるという「監禁」の影響を受け始めていると書きました。

「私は、お母さんとお父さんが朝目覚めた時に、何か情報が届けられることを望んでいる。両親には、連絡を入れてもらうことが必要だ」

ショーン・ベイリー氏は、自国民が、日本に停泊している、英国籍のクルーズ船で難儀をしていることを知った上でが、知らないのか、いずれにしても、難儀している自国民のことは、無視してオリンピックの開催を示唆するなど、軽率のそしりは免れません。

今回の、武漢肺炎に関しては、ほとんどがネガティブなことばかりですが、良いことが一つだけあります。

それは、KAZUYA氏がtwitterのコメントに関して主張しているように、馬鹿などが見極められるというのと同じで、このような未曾有のことが起こった場合の反応をうかがっていると、話をしている相手が馬鹿なのか、それとも早とちりの傾向があるのか、物事を良く考えるのか、慎重なのか、慎重すぎるのか、それとも単なるワイドーショー民なのかがわかるということです。

人を見る目を養うのは難しいともいわれていますが、Twitter等のSNSでの発言や、今回のクルーズ船やコロナウィルスに関する考え等を聴いて詳細に分析すると、客観的に相手のことがかなり分析しやすくなります。

岩田健太郎氏

ウイルスなどの感染に関する専門家であれば、たとえば最近の岩田 健太郎氏ダイヤモンド・プリンセス号の防疫体制が脆弱であるとの内容をYouTubeで拡散した行動などが、拙速であったと思われることなどで、岩田氏の評価ができます。

専門家でない人でも、ある程度物事を考えて発言しているのか、単にテレビの受け売りを話しているだけなのかが理解できます。

私自身は、この岩田氏の動画を視聴して、その内容を昨日のこのブログ記事に掲載しようかとも思いましたが、たとえば岩田氏がどのくらいの時間をかけて(後でわかったのですが、2時間程度)ダイヤモンド・プリンセス号の中を観察したのかもわからない状況だったので、真偽を判定できないと思い、やめました。正しい判断だったと思います。

政治家などの、TwitterなどSNSでの発言をチエックしたり、今回の武漢肺炎に関する発言をチエックすれば、その政治家の能力や性格がわかります。これは、国会での答弁などを聴いたり選挙演説を聴くよりもその政治家の真の姿を探ることができる可能性があります。馬鹿や無責任な政治家には、投票しなければ良いです。

会社や身の回りの人なども、普段の働きぶりや、会話だけではなく、Twitterなどでの発言や、武漢肺炎などへの反応を分析すると、その人たちをより深く分析をするとこができます。これは、普段はなかなか得られない機会です。

特に、ストレスがかなり溜まっているかなどもわかるので、それなりの対処や措置がやりやすくなります。

最も良いのは、テレビなどの報道を単純に信じ込んでいるワイドショー民などとの付き合いはなるべく控えて、無駄な時間を省くことができることです。

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2017年6月6日火曜日

“空回り”する野党の政権追及 原因は疑惑ありきの「思い込み」と「ベンチマーク」欠いた批判―【私の論評】人でも店でも政党でも相手の良いところを見るべき(゚д゚)!

“空回り”する野党の政権追及 原因は疑惑ありきの「思い込み」と「ベンチマーク」欠いた批判

民進党の加計学園疑惑調査チーム
 民進党などの野党は、「森友学園」や「加計学園」の問題を政権追及の材料にしてきたが、思惑通りの成果は上がっていないようにみえる。何が間違っているのだろうか。

 結論からいえば、「思い込み」と「ベンチマークの欠如」だ。思い込みというのは、森友学園では「総理の関与」で、今回の加計学園では「総理の意向」。それがあるはずだという前提で目の前の現象を追い続けるというのが、野党や多くのマスコミである。

 こういうときには、別の事象の「ベンチマーク」を探すといい。これは、プロの数学者がしばしば使う方法だ。受験数学など普通の数学問題でこの方法を使うことはないが、これまで誰も解いたことのない難問の場合、似たような構造を持った別の事象で問題を置き換える。そうすると、全く別の事象であっても簡単に解けることがある。

 社会問題の真相の解明でも、同時並行的に起こっている別の問題がしばしば役に立つ。森友学園問題では、小学校予定地だった旧国有地の東側の土地がこれに当たる。

 森友学園に先行して豊中市に売却されたが、そこで土中のゴミが発見されている。にもかかわらず、この事実を知りうる近畿財務局は、森友学園に売却する際、当初その事実を相手方に伝えていなかった。ここが問題の本質だ。

「加計学園」について断定的な報道をした朝日新聞
 加計学園問題のベンチマークは、国家戦略特区で千葉県成田市に医学部新設が認められた国際医療福祉大のケースだ。

医学部新設も38年ぶりだが、もし加計学園に「総理の意向」が働いていたのだとすると、両者のプロセスに差があるはずだ。実際は国際医療福祉大が先行し、加計学園が後になっている。加計学園が追い越したのであれば問題かもしれないが、そうしたこともない。筆者のみるところ、両者のプロセスに顕著な差はなく、「総理の意向」は外部からは認められない。

 前川喜平・前文科事務次官の“告発”について、筆者には、規制緩和の「推進派」に「反対派」が負けて吠えているようにもみえる。閣議決定にある「需要見通し」を文科省が出せない時点で内閣府の勝ちで、「総理の意向」を持ち出すまでもなくゲームオーバーだったのではないか。あまりに惨めな負けだったので、「総理の意向」を言い出した可能性すらある。

 ベンチマークからおかしなことが見つかれば、何かがある。それが「総理の意向」かどうかは、カネの流れを見るのが手っ取り早い。総理の周辺へカネが流れていれば、ベンチマークがなくても政権への大打撃になるかもしれない。

 安倍政権が長期政権になって、ますます野党・マスコミは焦っている。安倍政権は、マクロ政策の金融政策をうまくやって失業率を低位に保っていることが支持率が落ちない最大の要因だ。若者から支持されているのは雇用環境が良いからだろう。安倍政権を叩く野党やマスコミほど、この点が分かっていないが、こうした政策の基本中の基本を理解すべきである。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】人でも店でも政党でも相手の良いところを見るべき(゚д゚)!

森友学園はもとより、加計学園に関しても、もう底が割れているので、新しい話題などがでてきても、それに関してあれこれ分析したりして、このブログに掲載するのはやめます。何かよほどのことでもない限り、ブログではなくツイッターでつぶやく程度にします。

なせがといえば、ブログ冒頭の高橋洋一氏の語るように、加計学園問題を追求することは全く時間の無駄だからです。これからも、新しい事実などもでてくるかもしれませんが、それにしても、元々何もない虚構について、あれこれそれに沿った新事実がでてきたとしても、全く無意味だからです。

結局時間と労力の無駄です。民進党等の野党やマスコミは、この問題を追求し続ければ続けるほど、まるで玉ねぎの皮を剥いでいくように、最後には何もなくなることにいずれ気がつくでしょう。この問題を追求し続けることは彼らを疲弊させるだけです。

さて、ブログ冒頭の記事では、「ベンチマーク」という言葉がでてきます。これは、本当に有効な手段です。300年以上、誰も解けなかった「フェルマー最終定理」も、別のところで問題を解いて、その結果、フェルマー最終定理(下に掲載)が解けています。

経営学用語には、「ベンチマーキング」という用語があります。ベンチマーキングとは、企業が他社の優良事例(ベストプラクティス)を分析し、学び、取り入れる手法を指します。80年代初頭、米国ゼロックスが、倉庫業務はL・L・ビーン、請求回収業務はアメリカン・エキスプレスをベンチマークとし、その優れた点を学んだのが最初とされます。

ベンチマークのコツは、ベンチマークすべき機能や要素の範囲を明確に認識することと、適切な対象を選ぶことです。同じ業界に属する競合企業や、類似業界の企業に限定する必要はなく、むしろ異業種や海外企業に対象を広げヒントを求めると有効な場合が多いです。ベンチマークに際しては、対象企業の優れた点が、どのようなコンテキスト(背景)のもとに成り立っているかを十分認識する必要があります。

なお、ベンチマークとはもともとは技術用語で、土地の測量をする際の基準点を指します。

さて、私自身も過去に「ベンチマーキング」をしたことがあります。そうして、その一環で小売業でよく用いられる「ストアコンパリゾン」をしたことは何度もあります。

新規にお店を出店するに当たって、気になるのが自店とお客様を取り合うことになる競合店の存在です。ストアコンパリゾン(店舗比較)とは、「新規にお店を出店するために同業態のお店を調査したい」「既存店の売上が落ち込んでしまったので、競合店を調査したい」といったケースでよく行われる競合店比較調査のことです。

ストアコンパリゾンマーケットリサーチの中でも比較的簡単に行うことができ、かつ重要な情報を得ることができます。新規開業予定者にとっては、このストアコンパリゾンを通じて、他店の良い点、真似してはいけない悪い点を知ることもできます。

さて、ストアコンパリゾンの方法などの詳細については、以下のチャートを御覧ください。



さらに、詳しく知りたいかたは、他のソースに譲るものとして、肝心要のこれを実行する際の注意点を以下に掲載します。

実際にストアコンパリゾンの作業を幾人かの人やってもらうと、大きく2つに別れます。1つは、競合店の悪いところを徹底的に調べるグループです。そうして、これがたいていは多数派です。そうして、もう一つは競合店の良いところを徹底的に調べます。これは、少数場である事が多いです。

競合店の悪いところを調べる人たちは、「あそこが汚かった、店員の態度が悪かった、何が遅い、何が悪い」などと報告してきます。一方、競合店の良いところを調べる人たちはたとえば、「靴売り場に行ってみると、このくらいのグレードのものが多数陳列してあって、このグレードはお店に来店するお客様のグレードと合致しており、品揃えがマッチしていると思えた」などと、とにかくその店の良いところを探してきます。

これのどちらが優れているかとしえば、無論後者のほうです。競合店の悪い点をいくら列挙しても、あまり役にはたちません。これは、はっきり言って小学生にだってできることです。

それよりも、競合店良い点、たとえば繁盛している理由、長い間店を維持しつづけているその要因を見つけ出すことのほうが、はるかに効果的なのです。



先にもの掲載したように、「ベンチマーク」では、"対象企業の優れた点が、どのようなコンテキスト(背景)のもとに成り立っているかを十分認識する"べきなのです。

これがわかれば、競合店対策もかなり実行しやすくなります。この良い点を真似ることができるなら、真似るからそれよりも良くして、さらにこちら側がさらに別の良い点を打ち出すことができれば、競合店対策は確実にうまくいきます。

しかし、競合店の悪い点ばかりを探してそれを参考にしたとしても、実際には、まともな競合店対策などできません。そのうち、競合店も悪い点を直すことにでもなれば、確実に負けてしまいます。

人でも店でも、政党でも相手の良いところに目がいかず、相手のあら捜しばかりしていては、相手の真の強みに思い至ることはできません。

さて、このようにストアコンパリゾンの注意点からみても、民進党のやっていることは、民進党にとっても良くないことであることは明白です。

民進党のやっていることは、ストアコンパリゾンであれば、競合店の悪いところばかり探しているようで、小学生にでもできるようなことばかりです。

まともな大人なら、安倍自民党政権の良いところを見出すべきです。そのうちの1つとしてあげられるのが、高橋洋一氏も指摘している「安倍政権は、マクロ政策の金融政策をうまくやって失業率を低位に保っている」ということです。

これが本当にどのようなコンテキスト(背景)のもとに成り立っているのかわかれば、民進党はまともな対策を打つことができるはずです。

そうして、それはさほど難しいことではありません。そんなことは、雇用状況が良くなって最も大きな恩恵を受けている若者から真摯に意見を聴けばすぐにわかるはずです。

そうして、それを真に理解すれば、自民党の上をいくことだってできるはずです。金融政策以外にも学べることはあります。

さらに、民進党は、自民党だけではなく、他党からも学べるでしょうし、海外の政党からでも、場合によっては、優良企業からだって学べるはずです。それには、謙虚な姿勢が必要です。

新聞などのマスコミも、自民党がなぜ高い支持率を維持し続けているのか、その背景をももっと報道するようにすれば、野党にとっても良いことです。

そのようなこともせず、ひたすら、「森友学園問題」や「加計学園問題」のような虚構ばかり追求しているようでは、もう先はありません。一時的に、安倍政権の支持率が落ちることがあっても、すぐに元に戻ることでしょう。そうして、民進党はますます支持を失うだけです。

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2017年1月12日木曜日

三島由紀夫「平和憲法は偽善。憲法は、日本人に死ねと言っている」 TBSが未公開テープの一部を公開・放送―【私の論評】人は自分のためだけに生きられるほど強くはない(゚д゚)!

三島由紀夫「平和憲法は偽善。憲法は、日本人に死ねと言っている」 TBSが未公開テープの一部を公開・放送

総監室バルコニーで演説する三島由紀夫(1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて)
作家、三島由紀夫(1925~70年)が自決する9カ月前の昭和45年2月に死生観や憲法観などを語った未発表の録音テープの一部内容が12日夕、TBS系報道番組「Nスタ」で放送された。テープは東京・赤坂のTBS社内で見つかり、これまで「放送禁止」の扱いでアーカイブ部門の責任者が歴代、保管してきたという。

TBSによると、テープには、三島が英国の翻訳家、ジョン・ベスター氏と日本語で対談した音声が約1時間20分にわたって録音されていた。三島がテープの中で、遺作となった小説「豊饒の海」の第3部「暁の寺」について「ちょうど今朝、朝の9時に、『暁の寺』というのが完結したんですよ」と語っていることから、45年2月19日に録音されたものとみられる。三島は「豊饒の海」第4部「天人五衰」を書き終えた直後の同年11月25日、東京都新宿区の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。

番組で放送された録音テープの内容は次の通り。


■自身の小説について

三島「僕の文学の欠点は、小説の構成が劇的すぎることだと思うんです。ドラマチックでありすぎる。どうしても自分でやむをえない衝動があるんですね。大きな川の流れのような小説は僕には書けない」

■死について

三島「死がね、自分の中に完全にフィックスしたのはね、自分の肉体ができてからだと思うんです。死が肉体の外から中に入ってきた気がするんです」

■自らの行動について

三島「僕の小説よりも僕の行動の方が分かりにくいんだ、という自信がある。僕が死んでね、50年か100年たつとね、『ああわかった』という人がいるかもしれない。それでも構わん。生きているうちは人間はみな何らかの理由でピエロです」

ベスター氏「神様がわれわれに…?」

三島「人形芝居をやらせている。人生でね、ひとつの役割をね、パペット・プレーを強いられているんですね」


また、TBSによると、テープにはこのほか、次のようなコメントが残されていたという。

■自身の作品について

「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。僕にはそういう欠点があるんですね。日本的な余白がある絵ってあるでしょう。それが僕は嫌いなんです」

■憲法について

「平和憲法は、偽善です。憲法は、日本人に死ねと言っているんですよ」


■美について

「美とは、何か。自分の一回しかない時間を奪い、塗りつぶし陶酔する濃密なかたまり」

■このインタビューについて

「これは、ひとつのコンフェッション(告白)なんです」

■思想の主張について

「僕は今の日本じゃ、言葉を正すこと以外に道はないんだろうなって思い詰めている。文体でしか思想が主張できない」

■子供時代の気持ち

「僕は、ショーウインドーで見た空気銃が欲しいね、欲しいねって友達と話していた。それが何十年かたって、どうしても鉄砲が欲しくなったのと同じでしょうか。あっはははははは。かかかかか」

【私の論評】人は自分のためだけに生きられるほど強くはない(゚д゚)!

三島由紀夫氏というと、私は彼の以下の言葉がかなり強烈に印象に残っています。

「人は自分のためだけに生きられるほど強くない」

これは真実だと思うのですが、私がこの言葉を知ったのは三島由紀夫氏と東大の学生たちが話をしているところを編集して報道したテレビ番組でした。私が、大学生だった頃でした。

これは、後に1969年5月の三島由紀夫と全共闘との東大構内における議論であったことを知りました。これは、三島が自決する前年の映像でした。そして学生と話す三島の言葉の一つ一つに重たい「実体」を感じました。 発する言葉からそのような重い実体と実在を感じさせた作家・思想家を私はは、他に知りません。

その画像の一部が現在YouTubeに掲載されています。その動画を以下に掲載します。



これを聞いた時は自分のもやもやした生きることの悩みが氷解したような気さえしました。これに関しては、このブログにも何度か掲載しています。

おそらく小さい頃から誰しも言われて育ってきたのは「自分のことばかり考えるな」というとだと思います。これはもっともなことだと思います。そうでなければ、家族もコミュニティも国家も世界も成立しません。しかし程度の差はあれ自分も含めて、多くの人は自分のことしか考えていないと思うようなことが嫌というあると思います。

しかしそれはそれで本能なんだろうと納得して、自分のことばかり考えるのも仕方がない面もあると思ってしまいます。そして、自分の行動を正当化してしまいます。しかし、これは、恐ろしい考え方で、この考えが頭にもたげてきて、それが頭の全部を占めてしまうと、家庭さえも崩壊してしまうことがあるのかもしれないのです。

しかし、実は人は自分のためだけに生きるなどいうことは出来ないように出来ているようです。


ふたたび画像の話に戻ります、「人間、何のために生きるのか?」煙草をくわえながら 学生達と、笑いを生みながら、議論している三島氏の姿に驚きました。笑いがある。死を巡って議論をしています。しかも、真摯に「生」を議論しています。

両者ともにアメリカ由来の「自由」と「民主」とい言葉を排除していました。そこだけが対話の連結点でした。貴重な一致でした。左右の思想は異なるのですが、そこは理解できる、という意気込みで三島は全共闘の現場に立ち会っていました。思想が肉体化され、行動となっていました。 

人は何のために生きているのか?人は自分のためにだけ生きることはできません。そんな甘いものではないのです。人間は「自分」なるもの中心に生きていけるほど強くはありません。「大義名分」が必要なのです。つまり、生きている「理由」と「根拠」が分からないと、生きて行けないのです。生きることも、死ぬことも同じであると、三島氏は学生たちに語りかけ問題提起していました。

私は、三島氏のこの言葉に同感します。人は自分のためだけに生きられるほど、強くはないのです。何のために、誰のために、生きるのかその根拠を求めながら生きる意味を探しているのです。その意味がなくなった時、それは当然の結果に行きつくしかないことでしょう。死ぬか、狂うしかなくなります。

私は「自分は一体何のために生きているのだろう?」日々、そんな問いを何度も繰り返しながら、現在を生きています。

そうして、「人は自分のために生きられるほど強くはない」という三島のこの言葉が私の人生観を随分変えたと思います。

以下に三島由紀夫氏の別の動画を掲載します。48秒ぐらいからの話に注目して下さい。


三島由紀夫のこの言葉に出会う前の私は、多くの人には欲望があって、それが満たされるから幸福感を感じるのだという、前提のようなものがあったと思います。そうしてそれで幸福感が得られれば、たまには他の人ことも考えるし、そのときはじめてその余裕が生まれると考えていました。そのため、人は自分や家族のために一生懸命働くし、余裕ができればボランティア、チャリティなどにも興味が出てきます。これが、多くの人の大勢を占める考え方だと思っていました。

しかし、三島はそうではないと言っています。

私としては、三島の言葉を知る前は、人は自分のために生きるのは容易なことであり、誰にでもできることだが、それだけを追い求めては駄目だ、たまには他人のことを考えろ程度に思っていました。しかし、三島が言うのは逆なのです。自分のためだけに生きることは難しいと逆のことを言っています。人はそれで幸せを感じるようには出来ていない。そう生きられるほど人は強くないと。

また「人間は自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう」という言葉も印象的でした。

よく考えてみるとその通りだと思いました。人が本当に自分だけのためにだけ生きているとしたら、本当にすぐに行き詰まると思います。

家族のために、長年にわたって努力して何かを成就できたとしたら、自分一人だけではなく家族とともに喜ぶことができるはずで、その喜びは自分一人だけの何倍ものものになることでしょう。

会社のブロジェクト・チームなどで何か新しいことに取り組み、何かを成就できたら、自分一人の努力が報われたよりも、何倍も強くチーム全体で幸福感を感じるはずです。

自分たのためではなく、他の人のために生きて、その人が幸せになれば、自分が幸福になったよりも、さらに大きな幸福に私たちは酔いしれることができます。


昔、これに関連する歴史のエピソードを聞いたことがあります。時代はいつくらいのこととかは詳しくは忘れてしまいましたが、場所はヨーロッパです。時代的にはおそらく中世から近代に移り変わる頃だと思います。いわゆる、この時代の君主の師弟に多くの問題が発生したそうです。

君主の師弟というと、本当に子どものころか恵まれすぎるくらい恵まれているため、何でも自分の自由にできます。そうして、中世なら、いつも紛争や、戦争があったので、それに対して備えてるためいつも気が気ではないという状況なので、特に問題はなかったのでしようが、その後に比較的平和な時代がやってきて、君主の師弟はあまりそういうことを気にかけず、自由きままに過ごすことできるようになると事情が変わってきたのです。

その頃には、君主の師弟で酒・女・博打・喧嘩など酒池肉林の放蕩三昧にふけるものが多く、そうなると、精神的にも肉体的にも健康面に悪影響が出て、若いうちに病気や、狂死するものが大勢でたそうです。

酒池肉林を描いた中国の現代絵画
この状況まさに、自分のためだけに生きるという状態であり、そのような状態におかれれば、誰でもそのようなことになるのかもしれません。考えてみてください、まずは働かなくても死ぬまで困らないことが保障されていて、そうして自分のためだけに生きたとしたら、誰もがはやいうちに健康を損なうか狂死してしまうに違いありません。

そうして、このようなことを防ぐために、君主たちは何をしたかといえば、師弟に学問をさせたそうです。確かに学問の世界は、終わりがないし、さらに君主とはどうすべきかと言う帝王学も学ばせたでしょうし「人は何のために生きるのか」ということも学ばせたことでしょうから、それ以来極端に早死したり、狂死するものが多いという状況はなくなったそうです。それ以来、君主の師弟は学問をするのが習慣になったそうです。

今の日本は、戦後の誤った、そうして行き過ぎた個人主義的教育によって、三島氏の「人は自分のためだけに生きられるほど強くはない」という言葉の意味をかつての私のように取り違える人も多いのではないかと思います。

しかし、言葉の意味を取り違えるだけなら良いのですが、本当の意味で「人は自分のためだけに生きられるほど強くない」ということを全く理解できない人には、悲惨な末路が待っているに違いありません。

私も、実際にそのような人を何人か知っています。そのような人の老後は富に恵まれていても悲惨です。私は、あのようにはなりたくはないと思います。だから、これからも「人は何のために生きるのか」ということを日々考えて生きていきます。

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