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2017年9月18日月曜日

豊田真由子議員が会見「生きているのが恥ずかしい、死んだ方がましではないかと思ったこともありました」―【私の論評】私達の中の1人から私達の中のもう1人に伝わるものとは?

豊田真由子議員が会見「生きているのが恥ずかしい、死んだ方がましではないかと思ったこともありました」



18日、男性秘書に対する暴言・暴行疑惑を週刊誌に報じられ、自民党を離党していた豊田真由子衆議院議員が記者会見を開き、秘書本人やその家族、そして国民・有権者に対し陳謝、何度も頭を下げた。

 「体調が万全ではなく、ろれつが回らなかったり、ふらついたりすることもある」と話した豊田議員。「生きているのが恥ずかしい、死んだ方がましではないかと思ったこともありました。体重も少し戻りましたが、薬を飲んでインタビューもやらせていただいてきました」と明かした。

 繰り返し報じられてきた、秘書への暴言・暴行については「私の言動は、たとえどんな事情があったにせよ、許されるものではない、音声を聞く度に呆然としてしまいますし、どうしてこんなことを言っちゃんたんだろう、本当にどうかしてたんだな、どうしちゃってたんだろうと思います」と話し、「食事をしながらお詫びしたつもりでございまして、その後も弁護士を通じて誠心誠意のご対応を続けさせて頂いているところです」と説明。「刑事事件の関係については現在捜査中の案件」として、詳細な言及は避けたものの、一部報道には事実と異なる点もあるとした。

 この日は会見に先立ち、地元選挙区(埼玉4区)の新座市で支援者向けの会合に出席した。支援者たちからは「もう一度頑張れ」との声援を受けたとし、「議員を辞めてしまった方がよほど楽なんじゃないかと思いましたし、そうおっしゃる方もいました。けれど、孤独の中で、入院している間考え抜いて、楽な道に逃げるのではなくて、この恥を晒しながら、お叱りを受けながら、猛省し、生まれ変わって地域と国のために身を粉にして働かせていただく、そのことで責任を果たして行くのも大事なことではないか」とし、今後も政治家として活動する意向を示した。

 また、報道各社に対しては「私が表に出てこなかったことが原因」とした上で、「昼夜、平日・休日問わず、地元の方々に取材が殺到し、辛い思いをさせてしまいました。今後、取材は私や事務所の方で対応させていただくので、地元の方へのご取材は控えていただきたく、伏してお願い申し上げます」と涙ながらに呼びかけた。(AbemaNewsより)

【私の論評】私達の中の1人から私達の中のもう1人に伝わるものとは?

さて、この豊田真由子氏の記者会見ですが、特に何ら新しい事実はなかったと思います。本人も、訴訟にかかわる部分に関しては、申し上げらない部分もあると、述べていたので、そのようなことになったものと思います。

それにしても、この事件に関しては、マネジメント的な観点からみて非常に参考になることもあるのに、メディアはマネジメントには疎いのか、この観点からはほとんど取り上げられないので、本日はこれについて取り上げます。


結論から言ってしまうと、コミュニケーションが成り立っていない間柄においては、豊田氏のように、厳しい叱責をしたとしても、ほとんどの場合、良い結果を招くことはなく、逆に豊田氏とその元秘書のように非常に険悪な状態になってしまうということです。

そもそも、豊田氏と元秘書との間に、かなり密なコミュニケーションが成り立っていれば、豊田氏が「このハゲー」というような、人格を否定するような叱責をしたとしても、秘書がそれを警察に訴えるなどということはなかったと思います。

その場合、おそらく事件そのものが、発生しなかったことが十分に考えられます。

ただし、ここでコミュニケーションといった場合日本で良くいわれるように、「ホウレンソウ」を密とるとか、そのような安っぽい、マネジメントの原理原則からいえば、とても正しい定義とはいえないものの意味で使っているわけではありません。

コミュニケーションに関しては、最近このブログにとりあげたことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
民進党・山尾志桜里議員に私生活をめぐる問題発覚! 週刊文春が“K弁護士”との不倫疑惑を掲載する模様―【私の論評】根本的なコミュニケーション不足が民進党を駄目にした(゚д゚)!
山尾氏断念の背景を伝えるテレビ東京
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にコミュニケーションに関わる部分を引用します。
私は、会社で現場にいたときには、日々朝礼などで従業員の変化に気を使っていたものです。数年現場でマネジャーをやってからは、朝礼で従業員の様子を見ていると、今日は誰が調子が悪いとか、注意散漫状態にあるとか、女子の場合は誰が生理であるかもわかった程です。これを把握していないと、後で酷い目にあうこともありました。
その後も、組織に関わる情報、それも正規の会社の組織図上の組織だけではなく、人間の集合体としての、生身の人間の組織に関する情報も極力集めるようにしました。これなしに、組織を効率的にそうして、効果的に動かすことは不可能です。
朝礼をコミュニケーションの場として成り立たせることが管理者の重要な役割でもある
そのため、普段から従業員と食事に行ったり、時々外回りからお菓子を買ってきて、従業員と一緒に話をしながら食べるというようなこともやっていました。それ以外にも、公的なものでも私的なものでも、色々と面倒をみたり、面倒を引き受けたりということも意図して意識して行いました。 
そのようにして、従業員と様々な関係を構築しておき、コミュニケーションを円滑にしておきました。そうして、このコミュニケーションというのが曲者で、いわゆる「ホウレンソウ」などと巷で言われてるものは、真のコミュニケーションではありません。いくら「報告・連絡・相談」をこまめに行ったとしても、成り立っていないことは、往々にしてみられることです。 
そもそも、コミュニケーションとは、「私からあなたへ」「あなたから私へ」と単一方向に伝わるものではありません。コミュニケーションとは、「私達の中の一人から、私達の中のもう一人に伝わる」ものです。饒舌で、しょっちゅう人と話をする人が、コミュニケーションの達人であるとは限らないのです。 
だからこそ、普段から組織の中の人々と「私達」といえる関係を意図して意識して構築しておかなければならないのです。これが、構築できなければ、まともな仕事などできません。
そうして、コミュニケーションにはまだ原則があります。それを上のものも含めて以下に簡単にまとめておきます。これは、経営学のドラッカー氏が語った原則を私なりにまとめたものです。もっと詳しく知りたい方は、是非ドラッカー氏の書籍にあたってみて下さい。

1. コミュニケーションは知覚である
これは単純に言ってしまうと、相手の立場に立つということです
知覚という言葉を広辞苑で引くと「感覚器官への刺激を通じてもたされた情報をもとに、外界の対象の性質・形態・関係および身体内部の状態を把握する働き」と出てきます。つまり、自分とその周囲のものとの差を感じるということです。 
相手との違いをきちんと把握し、相手に合わせた手段でもって人と接する必要があるということです。ソクラテスは、「大工と話すときは、大工の言葉を使え」と言っています。例えば、自分が日本語と英語を話せて相手が英語しか話せなかったら、当然のように英語を使います。相手の立場に立って意思疎通をとる必要があります。受け手がいなければコミュニケーションが成り立たないのです。 
言葉だけでなく、自分の持っている情報と相手の頭にある知識は異なります。どのような言葉を使えば相手にストレートに伝わるのかを考えながらコミュニケーションをとる必要があるのです。
2. コミュニケーションは期待である
人は自分が期待していないものを知覚できない生き物です。期待していないものには意識がいかず、誤解が生じたりすることにつながるのです。相手の期待に反するようなことを伝えると相手に上手に伝わらないのはそのためです。 
今のやり方を維持したい部下に対して違うやり方を一方的に伝えても、それは相手の期待に反することであり、本当の意味で伝わることは難しくなります。そのような場合には、最初のやり方を変えるところから一緒に話し合い、納得してもらう必要があります。
受けての受け入れ範囲

3. コミュニケーションは要求である
つまり、相手の期待の範囲を知ること。コミュニケーションをとるということはつまり、相手に何らかの要求があるということです。自分の話を聞いて何かを変えたいと思うから、人は誰かとコミュニケーションをとろうとするのです。それが受け手の価値観に合致したとき、その要求は相手に伝わります。しかし、合わない時にはそれは反発され受け入れられません。コミュニケーションが難しいとされるのは、相手に何かしらの変化を与えることの難しさからくるのでしょう。 
相手に何か変化を与えたいと思ったとき、それは相手の期待の範囲をこえる場合もあります。その場合には、これからおこることは相手の期待の範囲を超えていることを伝え泣けばなりません、そのためには覚醒のためのショックを与える必要があります。
覚醒のためのショックというと、仰々しいですが、平たくいうと、企業活動の日常でよくあるのは叱ることです。
この覚醒のショックを与えるには、相手の期待を良く知っていないければ無理です。 
4. コミュニケーションは情報ではない
コミュニケーションは情報ではありません。しかし、両者は相互依存関係にあります。情報は人間的要素を必要とせず、むしろ感情や感想、気持ちなどを排除したものの方が信頼される傾向にあります。そして、情報が存在するためにはコミュニケーションが不可欠です。 
しかし、コミュニケーションには必ずしも情報は必要ありません。必要なのは知覚です。相手と自分との間に共通するものがあれば、それでコミュニケーションは成り立つのです。
この原則からすると、豊田真由子氏と元秘書との間にはコミュニケーションが成り立っていなかったということで、豊田真由子氏は元秘書の期待の範囲を良く理解していなかったのだと思います。

豊田氏と元秘書の間には、「私達という関係」が成り立っていなかったのです。コミュニケーションが「私達の中の1人から、私達の中のもう1人」に伝わるものであるということを考えると、コミュニケーションの成り立っていない間柄の人間同士では、表面的な付き合いしかできないということです。

しかし、豊田氏はこのことを理解せず、相手のことを理解せず、「このハゲー」という覚醒のためのショックを与え、自分の要求を通そうとしたのです。

しかし、結果は惨憺たるものであり、元秘書は、豊田氏の覚醒のためのショックを暴言、暴力と受け取ってしまったのです。

どうしても、自分の意図を理解させたければ、豊田氏はこの秘書と「私達」といえる関係を普段から構築しておくべきだったのです。

このようなことは、会社などの組織でも良くおこりがちなものです。コミュニケーションがなりたっておらず、相手の期待の範囲も了解していない部下を激しく叱責したりすると、自分では当たり前だと思っていても、これが相手にはパワハラと受け取られることもありえるのです。

しかし、コミュニケーションが十分成り立っている同士であれば、たとえば、相手を殴ったにしても、それが覚醒のためのショックとなり、相手に意図が伝わり、パワハラとみられるどころか、感謝されることもあり得るのです。

無論、私は体罰を肯定するものではありません。しかし、最近は世の中が変わって、殴るなどの行為はどのような場合も許されないという風潮が一般的です。しかし、コミュニケーションが成り立っている同士であれば、それも良い結果を招く場合もあるということは、多くの方々に理解していただきたいものです。

体罰やモラハラ、セクハラ、パワハラ、アカハラがなくなった結果、緊密なコミュニケーションまでがこの世から消えたら、それこそ大きな損失です。ただし、コミュニケーションの前提は、コミュニケーションをかわさなければならない人々普段から意図して、努力して、「私達」という関係を構築しておかなければならないということは忘れるべきではありません。それを忘れるから豊田氏のようなことになるのです。


実際、豊田氏の「このハゲー」という言葉も、コミュニケーションが十分成り立っている同士であれば、何年かたって振り返って、笑い話になるということもあり得るのです。なぜなら、互いにコミュニケーションが成り立っていれば、豊田氏がなぜあのような言葉を使わければならなかったかが、相手に理解されるからです。

それにしても、現代社会ではコミュニケーションが希薄になっているので、以上のようなこともなかなか理解されなくありつつあるのも事実です。豊田真由子氏の今回の件について、他人事のようにみなすべきではありません。コミュニケーションの原則を知らない人には、明日起こり得ることもかもしれません。

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2024年1月12日金曜日

【奇跡の救出劇】JAL機炎上事故…乗客を救ったCAの半分が新人だった!―【私の論評】JAL機御巣鷹山墜落事故の教訓と企業内コミュニケーションの重要性

【奇跡の救出劇】JAL機炎上事故…乗客を救ったCAの半分が新人だった!

まとめ
  • JAL機の事故では、CAの迅速な避難誘導で乗員乗客全員が脱出できた。
  • 事故機のCAの約半数は、入社してまだ日が浅い新人だった。
  • JALのCA研修は厳しく、あらゆる事態を想定した訓練が徹底されている。
  • 今回の救出劇は、その厳しい訓練の賜物だったと言える。
  • 新人CAたちは緊張感の中で冷静に任務を遂行し、プロの実力を発揮した。
  • 彼女たちの努力に敬意を表したい。JALの訓練システムの重要性が示された。
日航のCA

 JAL機のバードストライク事故で、CAたちの迅速な避難誘導により、乗員乗客379人全員が脱出することができた。驚くべきことに、事故機のCAの約半数は入社して日が浅い新人だった。

 JALのCA研修は、バードストライクや火災など緊急事態の訓練が徹底的に行われる。新人CAはこの過酷な訓練に耐え抜き、言葉や動作のすべてにおいてプロフェッショナルとしての実力を磨かれる。今回の救出劇は、そうした訓練の成果が発揮された結果だったと言える。

 新人CAたちは、自らもパニックに陥いていただろうが、訓練で身につけた手順と冷静さを保ち任務を全うした。彼女たちの努力に心からの敬意を表したい。JALの訓練システムの重要性と、それを支える新人CAの規律正しさが示された事例だった。CAのプロフェッショナリズムが、乗員乗客の命を救った。

 この記事は、元記事の要約です。詳細を知りたい方は、元記事をご覧になって下さい。

【私の論評】JAL機御巣鷹山墜落事故の教訓と企業内コミュニケーションの重要性

まとめ
  • 日航123便の1985年の御巣鷹山墜落事故は520人もの死者を出した
  • 事故の教訓が今回のJAL機の事故で生かされたとみられる
  • 成功の要因は訓練やCAの規律正しさだけではなく、社内でコミュニケーションが確立されていたことに大きな要因があるとみられる
  • 日航では安全のための真のコミュニケーションが共有されていたようだ
  • 企業内のコミュニケーションが重要である
航空機事故として、日本で最大のものは、日航機の御巣鷹山への墜落事故です。1985年8月12日、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山に墜落しました。この事故は、単独機での事故としては、死者数において世界最悪の航空事故となりました。

事故の原因は、機体後部圧力隔壁の破壊とされています。この破壊により、大量の空気が流れ出し、垂直尾翼の構造が破壊されました。そのため、機体は制御不能に陥り、御巣鷹山に墜落したとされています。

事故機の乗客乗員524名のうち、死亡者数は520名、生存者は4名でした。

この事故では、事故の発生場所が山奥だったことや、事故当日の天候が悪かったことも、生存者の数を減らした要因と考えられます。また、事故機の脱出の方法にも問題があった可能性があり、乗客は機体から脱出する際に、様々な危険にさらされました。

出典は、以下のとおりです。
  • 日本航空123便墜落事故に係る航空事故調査報告書(昭和62年6月公表)
  • 日本航空123便墜落事故の真実(柳田邦男著)
  • 8・12連絡会ホームページ
なお、事故の原因や事故の状況については、様々な意見や説があります。しかし、事故調査委員会が発表した最終報告書では、機体後部圧力隔壁の破壊が原因であると結論づけられています。

この事故は、単独機での事故としては、死者数において世界最悪の航空事故となりました。事故の教訓を踏まえ、この航空機事故の防止に取り組んできました。

その成果が、今回の事故では生かされたようです。

ただ、今回の成功に関して、厳しい訓練を義務付けたからとか、CAの資質によるもののみではなく、やはり、日航内でのコミュニケーションが行き届いていたこともあると思います。

ただ、このブログでも、以前述べたことがありますが、コミュニケーションという言葉ほど曖昧に使われている言葉ありません。

アベノミクス以前のかなり景気が悪かった時期に多くの企業で採用の「コミュニケーション重視」と謳う企業が多く存在したので、就職フェアに参加していた他のいくつかの大手企業の採用担当者に「御社でいうコミュニケーションとは何を意味するのですか」と聞いてみたことがありました。

その返答はみな曖昧で、結局私には、結局のところ「景気が悪いから、独創的な人や、チャレンジ精神あふれる人ではなく、あたりさわりのない"調整型"の人を採用したい」というふうにしか聞こえませんでした。"調整型"ではあまりに格好が悪いので「コミュニケーション」という言葉言い換えたとしか思えませんでした。

この言葉は、定義が明確にされないまま、使われています。この定義に関しては、経営学の大家のドラッカー氏の原理を、このブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
豊田真由子議員が会見「生きているのが恥ずかしい、死んだ方がましではないかと思ったこともありました」―【私の論評】私達の中の1人から私達の中のもう1人に伝わるものとは?

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事よりコミュニケーションの原理に関わる部分を以下に引用します。

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1. コミュニケーションは知覚である
これは単純に言ってしまうと、相手の立場に立つということです
知覚という言葉を広辞苑で引くと「感覚器官への刺激を通じてもたされた情報をもとに、外界の対象の性質・形態・関係および身体内部の状態を把握する働き」と出てきます。つまり、自分とその周囲のものとの差を感じるということです。 
相手との違いをきちんと把握し、相手に合わせた手段でもって人と接する必要があるということです。ソクラテスは、「大工と話すときは、大工の言葉を使え」と言っています。例えば、自分が日本語と英語を話せて相手が英語しか話せなかったら、当然のように英語を使います。相手の立場に立って意思疎通をとる必要があります。受け手がいなければコミュニケーションが成り立たないのです。 
言葉だけでなく、自分の持っている情報と相手の頭にある知識は異なります。どのような言葉を使えば相手にストレートに伝わるのかを考えながらコミュニケーションをとる必要があるのです。
2. コミュニケーションは期待である
人は自分が期待していないものを知覚できない生き物です。期待していないものには意識がいかず、誤解が生じたりすることにつながるのです。相手の期待に反するようなことを伝えると相手に上手に伝わらないのはそのためです。 
今のやり方を維持したい部下に対して違うやり方を一方的に伝えても、それは相手の期待に反することであり、本当の意味で伝わることは難しくなります。そのような場合には、最初のやり方を変えるところから一緒に話し合い、納得してもらう必要があります。
受けての受け入れ範囲

3. コミュニケーションは要求である
つまり、相手の期待の範囲を知ること。コミュニケーションをとるということはつまり、相手に何らかの要求があるということです。自分の話を聞いて何かを変えたいと思うから、人は誰かとコミュニケーションをとろうとするのです。それが受け手の価値観に合致したとき、その要求は相手に伝わります。しかし、合わない時にはそれは反発され受け入れられません。コミュニケーションが難しいとされるのは、相手に何かしらの変化を与えることの難しさからくるのでしょう。 
相手に何か変化を与えたいと思ったとき、それは相手の期待の範囲をこえる場合もあります。その場合には、これからおこることは相手の期待の範囲を超えていることを伝えなけばなりません、そのためには覚醒のためのショックを与える必要があります。
覚醒のためのショックというと、仰々しいですが、平たくいうと、企業活動の日常でよくあるのは叱ることです。
この覚醒のショックを与えるには、相手の期待を良く知っていないければ無理です。 
4. コミュニケーションは情報ではない
コミュニケーションは情報ではありません。しかし、両者は相互依存関係にあります。情報は人間的要素を必要とせず、むしろ感情や感想、気持ちなどを排除したものの方が信頼される傾向にあります。そして、情報が存在するためにはコミュニケーションが不可欠です。 
しかし、コミュニケーションには必ずしも情報は必要ありません。必要なのは知覚です。相手と自分との間に共通するものがあれば、それでコミュニケーションは成り立つのです。
この原則からすると、豊田真由子氏と元秘書との間にはコミュニケーションが成り立っていなかったということで、豊田真由子氏は元秘書の期待の範囲を良く理解していなかったのだと思います。

豊田氏と元秘書の間には、「私達という関係」が成り立っていなかったのです。コミュニケーションが「私達の中の1人から、私達に伝わるもの」であるということを考えると、コミュニケーションの成り立っていない間柄の人間同士では、表面的な付き合いしかできないということです。

しかし、豊田氏はこのことを理解せず、相手のことを理解せず、「このハゲー」という覚醒のためのショックを与え、自分の要求を通そうとしたのです。

しかし、結果は惨憺たるものであり、元秘書は、豊田氏の覚醒のためのショックを暴言、暴力と受け取ってしまったのです。

"
上の記事の中で太字の部分は「私達の中の1人から、私達に伝わるもの」は、ドラッカー氏がコミュニケーション論議の結論と位置づける重要なものです。

私が、先に「ただ、今回の成功に関して、厳しい訓練を義務付けたからとか、CAの資質によるもののみではなく、やはり、日航内でのコミュニケーションが行き届いていたこともあると思います」と述べたのは、無論このコミュニケーションの原理にもとづくそれです。

上の記事には、コミュニケーションについては述べられていないものの、その原理を想起させる内容もあります。

たとえば、上の記事元記事には、 "なかには教官から『これが本番だったら、お客様は死んでいました。あなたは命を預かる責任の重さをわかってるの? 』と怒られ、涙を流す子もいるほどです」"という記述がありますが、これはコミュニケーションの原理"3.コミュニケーションは要求である"に関するものです。

ここで述べた、「覚醒のためのショック」です。日航では、安全を巡って様々なコミュニケーションが展開される、素地ができていたものと思います。

日航に入社したひとたちが、受ける新人の訓練の中には、厳しい安全に関する教育・訓練が含まれており、これを実施することで「私達といえる関係」を構築しているのでしょう。

その他にも、日航内では、公式でも非公式でも、様々なコミュニケーションが実施され、安全に関わる心構えが、社員に徹底されているいるのだと思います。

訓練システムや、規律正しさ、日航の社員の安全に関する心構えが、様々なコミュニケーションによって共有されているのでしょう。

コミュニケーションは私達の一人から私達につたわるもの

素晴らしい訓練システムが存在し、CAに規律があったからといって、それだけでは今回のような事故の安全確保ができるとは限らないと思います。

今後企業経営者が訓練システムを強化し、規律正しい新人を雇うことにだけ注力をした場合、いざというときに、日航のCAのような対応をとれるとは限らないです。

俗にいう、「ほうれんそう」=「報告・連絡・相談」を密にすることは、そもそもコミュニケーションではありません。ましてや、ノミニケーションでコミュニケーションが良くなる可能性は否定しきれませんが、これはコミュニケーションそのものではありません。実際、私達という関係を構築できていない人と飲みにいってもあまり楽しくはありません。

上の記事はそういう意味では物足りないです。もっと、日航の会社内でどのようなコミュニケーションがとられているのか、特に安全に関して、どのようにされているのか、それを明らかにして欲しかったです。

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2017年6月23日金曜日

《zak女の雄叫び お題は「選」》身の毛もよだつ女性代議士の「絶叫暴言」「暴行障害」報道―【私の論評】コミュニケーションの原則を知らない組織人が増えた(゚д゚)!


日刊工業新聞創刊100周年記念で祝辞を述べる当時文部科学政務官・豊田真由子氏(2015/11/16)
「このハゲーーー!」「違うだろーーー!」

 自民党の豊田真由子前文部科学政務官(衆院埼玉4区)が自らを乗せた車を運転中だった元秘書を大声でののしり、顔などをげんこつで数回殴って打撲を負わせていたと、22日発売の週刊新潮が報じた。同日朝から複数のワイドショーがこれを取り上げた。同日午後、豊田氏は離党届を党本部に事務所を通じて提出。今後、大きな問題に発展しそうだ。

 新潮によると、元秘書は豊田氏から最初に暴力を振われた日に「鉄パイプで頭を砕いてやろうか」「お前の娘にも気概が及ぶ」と告げられた。身の危険を感じた元秘書は翌日、万が一に備えて車内のやりとりをICレコーダーで録音。新潮はこの音声の一部をインターネットの動画投稿サイトで公開している。

 ゾッとするのは、ミュージカル風の抑揚を付けた歌を交えて言い放ったというこの言葉だ。

 「お前の娘が通り魔に強姦されて死んだと。いや犯すつもりはなかったんです、合意の上です、殺すつもりはなかったんですと。腹立たない?」

 「(元秘書の)娘が顔がぐしゃぐしゃになって頭がぐしゃぐしゃ、脳みそ飛び出て車にひき殺されても、そんなつもりがなかったんですで済むと思ってんなら同じこと言い続けろ」

 国会議員が秘書に暴言を吐いたり暴力を振ったりしたという週刊誌報道は珍しくない。だが、これほど戦慄を覚えた記事は初めてだ。永田町ではもともと秘書への当たりが強いことで有名だったが、まさかここまでとは…。党内には「これはアウト。離党は免れないだろう」(ブログ管理人注:昨日離党済)との声もある。

 豊田氏は、自民党が政権を奪還した2012年の衆院選で政界入り。追い風が続いた14年の衆院選で2度目の当選を果たした「魔の2回生」の一人だ。自身も過去、天皇、皇后両陛下が都内で主催された春の園遊会に、本来は入場が認められない母親を連れて入場したと報じられたことがある。ピンクのスーツと巻き髪がトレードマークだ。

 同期の不祥事は枚挙にいとまがない。金銭トラブルで離党した武藤貴也氏(滋賀4区)▽妻の妊娠中の不倫が発覚し議員辞職した宮崎謙介氏(京都3区)▽「マスコミを懲らしめる」などの舌禍を繰り返している大西英男氏(東京16区)▽路上キスを撮られた中川郁子元農林水産政務官(北海道11区)と門博文氏(比例近畿ブロック)▽台風の被災地視察をめぐる言動で内閣府兼復興政務官を辞任した務台俊介氏(長野2区)▽不倫相手との“海外挙式”などを報じられ経済産業政務官を辞任した中川俊直氏(広島4区)…。

 なぜ「魔の2回生」にスキャンダルが続出するのか。その要因として度々指摘されるのは、1994年成立の改正政治改革関連法で衆院選に導入された小選挙区制の弊害だ。

 中選挙区時代を知る自民党重鎮は「小選挙区制は大嫌い。振り子のように振れるから育つ人も育たないし、追い風が続くと淘汰(とうた)されるべき人も淘汰されない」と苦い表情を浮かべる。

 新人議員の頃から悪評判が多かった豊田氏が2期目の当選を果たした際は、当時の党選対幹部も「『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』というが、なぜ彼女が勝てたのか分からない」と首をひねっていた。

 とはいえ、中選挙区制が見直されたのも「派閥間選挙となりがちで派閥政治の弊害を生む」などのデメリットが指摘されたからに他ならない。万能な選挙制度はない。一人一人の有権者が現行制度のもとで、最善の選択と信じる候補や政党に票を投じるしかないのだ。彼女を信じて票を投じた埼玉4区の有権者は今、何を思うのだろう。(蜂)


 永田町で政界を取材するアラサー記者。

【zak女の雄叫び】取材や日常…。女性記者21人が月ごとのキーワードで本音を綴るリレーコラムです。6月のお題は「選」 です。

【私の論評】コミュニケーションの原則を知らない組織人が増えた(゚д゚)!


ブログ冒頭の記事では、今回の事件の原因に関して「小選挙区の弊害」しか語られていません。無論これも重要な原因の1つになってはいるとは思います。しかし、私自身はそれだけではないと思います。

この背景には、昔から日本人が得意としてきた、コミュニケーションとか、それを体現してきた惻隠の情などという感情が日本人から消えつつあるという背景もあるのではないかと思います。

そもそも、惻隠の情という言葉も最近では死語に近くなってきています。これは、元々は孟子の言葉です。 孟子は、親の子を思う心を、「惻隠の情」とし、これを社会生活の全てに及ぼすように説きました。 相手の心情を深く理解する事を意味します。 これは、孟子の師である孔子の「仁」に通じ、日本人は弱者を守り、親孝行するなど全て「惻隠の情」から来ていました。

豊田真由子議員に少なくとも惻隠の情なるものがあれば、今回のこのような事件はなかったかもしれません。

それにしても、現在の日本ではこの「惻隠の情」が消え失せたのではないかと思われるような事が多々あります。たとえば、学校内でのイジメとか、そのイジメを無視する学校の先生をはじめとする大人。あるいは、ブラック企業におけるいわゆる悪質なパワハラなど、例をあげればきりがありません。

私自身は、元々は日本人は他国の人々に比較すれば、コミュニケーション能力に長けており、それが日本の様々な面で強みになってきたと思っていました。

しかし、最近の日本においては、「おもてなし」に代表されるように、コミュニケーションに長けている面もありながら、それが徹底的に欠けていると思わざるを得ないような、今回のような事件も散見されます。

私自身は、コミュニケーション能力の欠如を今のまま放置しておけば、日本の将来の産業競争力なども衰退するのではないかと危惧しています。日本では、コミュニケーション障害が目だようになってきましたが、一方米国では、随分前から職場で本当に必要なのは、情報ではなく、コミュニケーションであるということが主張され、コミュニケーションを重視する気風が高まっていました。

さて、コミュニケーションというと、日本では「ホウレンソウ」などということが言われていて、まめに「報告・連絡・相談」すれば、コミュニケーションが図られるなどと言われていますが、私はそうではないと思います。「ホウレンソウ」をかなり、まめに行っていてもコミュニケーションは成り立っていないことも十分あり得ると思っています。

経営学の大家ドラッカー氏
コミュニケーションについて経営学の大家ドラッカー氏は以下のように語っています。
上司の言動、些細な言葉じり、癖や習慣までが、計算され意図されたものと受け取られる。(『エッセンシャル・マネジメント』)
階層ごとに、ものの見方があって当然です。さもなければ仕事は行なわれません。しかし、階層ごとにものの見方があまりに違うため、同じことを話していても気づかないことや、逆に反対のことを話していながら、同じことを話していると錯覚することがあまりに多いのです。

コミュニケーションを成立させるのは受け手です。コミュニケーションの内容を発する者ではありません。彼は発するだけである。聞く者がいなければコミュニケーションは成立しないのです。

ドラッカーは「大工と話すときは、大工の言葉を使え」とのソクラテスの言葉を引用しています。コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しないのです。受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならないのです。

コミュニケーションを成立させるには受け手が何を見ているかを知らなければなりません。その原因を知らなければならないのです。

人の心は期待していないものを知覚することに抵抗し、期待しているものを知覚できないことに抵抗します。
受け手が期待しているものを知ることなく、コミュニケーションを行うことはできない。期待を知って初めてその期待を利用できる。あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを認めさせるためのショックの必要を知る。(『エッセンシャル・マネジメント』)
まさに、今回の事件においては、豊田真由子議員は、彼女の政策秘書の期待しているものを知ることもなく、秘書に対して覚醒のためのショックを与えようと「罵詈雑言」を並べ立てたのでしょう。

相手の期待していることを理解しなければ、たいていは相談しようが、報告をしようが受けようが、相談しようが、何をしても結局何も伝わりません。豊田真由子議員は、こうしたことを何回も繰り返してきたにもかかわらず、結局秘書と話が通じないため、このようなことになってしまったのでしょう。

では、相手の期待を知るためにはどうすれば良いのでしょう。それには、ドラッカー氏も言っているようにまずは、「コミュニケーションとは、私からあなたへ、あなたから私へと一方的に伝わるのではない」ということを理解しなければならないです。このあたりを理解していない人が豊田議員をはじめ、最近ではあまりにも多すぎです。

コミュニケーションとはそうではなくて、「私達の中の一人から私達の中のもう一人」に伝わるものなのです。ですから、普段から「私達」という関係を築いておかなければ、コミュニケーションは成り立たないのです。

そうして、普段から「私達」といえる関係を構築して、コミュニケーションが成り立っていれば、たとえ何かの理由でかなり叱責したとしても、それが正当なものであれば、全く関係がこじれるなどということはありません。

このことを忘れている人が多いです。そうして、「私達」という関係を築くためには、ドラッカー氏は「目標管理」を第一にあげています。しかし、私はそれも重要だと思いますが、これはドラッカー氏も否定はしていませんが、「経験の共有」が一番だと思います。

親しい人などとは、コミニケーションが通じやすいことが多いものですが、これは知らず知らずのうちに、その親しい人と過去において「経験の共有」を積み重ねてきたからに他なりません。

一昔前の政治家、特に大物政治家といわれる人たちは、この「経験の共有」ということをここぞというときに徹底的に実行したようです。そのため、彼らはしばしば「人たらし」と呼ばれることがあります。

その典型例でもある田中角栄氏の例を以下にあげておきます。

田中角栄氏

《人たらし事例1》
田中派の一回生議員が美人局に遭い、解決のために多額の金銭が必要となってしまった。様々なツテに頼ったがどうしても100万円(現在の価値では3倍以上)足りない。 
選挙を終えたばかりで借金のあった議員は万策尽き、田中の事務所に電話をかけて借金の申し込みをした。 
事情を聞いた田中から「分かった。すぐに金を用意するから取りに来るように」と言われ、急いで事務所に向かうと、田中本人は急用で外出していた。
その議員は留守番の秘書から大きな書類袋を受け取り、その中身を確認すると300万円が入っており、同封されたメモには以下のように書かれていた。
「トラブルは必ず解決しろ。以下のように行動しなさい。 
 1. 100万円を使ってトラブルを解決すること。
 2. 100万円を使って世話になった人に飯を奢ること。
 3. 残りの100万円は万一のトラブルの為に取って置くように。
以上、これらの金は全て返却は無用である」
その議員は感涙し、後々まで田中への忠誠を守り通した。


《人たらし事例2》
大蔵大臣時代、1963年度の所得税法改正の審議の際、担当官僚の大蔵省主税局税制第一課長であった山下元利のミスで、誤った税率表を使っていた。

審議中であったために、訂正は不可能であったうえ、大事な箇所にも誤りがあり、その税率表を作成した役人たちは青くなっていた。

これをマスコミや他の党が黙っているはずがなかったが、山下がこのことを辞表を忍ばせ田中の元に訪れると、笑いながら「そんなことで辞表は出さなくていい」と改定表を持ち、堂々と「先日提出の表には間違いがございます」と何食わぬ顔で訂正した。野党もマスコミも沈黙したままであった。

もちろん田中が裏で手を回したのは言うまでもない。このように責任をかぶるということをためらわずし、想像もできないアイデアを出すため、田中を慕った官僚は非常に多い。
このような事例は昔の政治家や大物経営者には良くあったことです。田中角栄氏にも、他も様々な事例があります。それについては、以下のリンクからご覧下さい。
「田中角栄」人たらし伝説 
さて、 コミュニケーションを円滑にするためには、ドラッカーを語っているように「受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを認めさせるためのショックの必要を知る」事が重要です。

このショックといえば、私達にとって一番身近な例は「叱る」ということです。最近は、この「叱る」ということがうまくできない人が多くなったと思います。豊田真由子議員の今回の事例は、まさにこの「叱る」ということに大失敗したということです。

しかし、ショックを与えるのは、何も「叱る」ことばかりではありません。たとえば《人たらし事例2》の山下元利の事例もショックです。当時の山下氏からすれば、それこそ烈火のごとく叱責を受けるものと覚悟していたと思います。ところが、実際に田中角栄氏を訪れると、叱責どころか、笑顔で、その間違いの責任を田中角栄氏が負ったということは、大ショックだったと思います。このようなことを通じて、田中角栄氏と山下氏とのコミュニケーションはかなり深まったと思います。

ショックを与えるにしても、いつも「叱る」ってぱかりというのではなく、コミュニケーションの達人たちは、このように臨機応変に「ショック」を与えてきたのです。

そうして、あのプーチンにも人たらしの一面があることは、このブログでも最近掲載したばかりです。やはり、政治家には「人たらし」の一面がなければ、大成しないのでしょう。

政敵を次々と暗殺するプーチンにすら人たらしいの一面がある
それにしても、このようなコミュニケーションの達人になるにはどうしたら良いのでしょうか。それは、やはり相手に対してまずは愛情がなければできないことです。豊田真由子議員は、政策秘書といえば、自分の身内であるという意識に欠けていたと思います。

そうして、愛情だけでも、うまくはいかないこともあるものです。まずは、人の見方が幼稚であれば、たとえ相手に愛情を持っていたとしても、たいていはうまくはいきません。

さて、人の見方とはどういうことでしょうか。それは、結論からいえば、人の弱みではなく、強みに着目するということです。ドラッカー氏も人の強みを活かすという考え方が、組織には必要だと以下のように語っています。
人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。
しかし人は、これらのことゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。
企業の管理職の中にも、部下などの弱みばかりに着目するひともいます。しかし、そういう人は最初はうまくいっているように見えても、長期的には必ず失敗しています。

普通の人は、高校を卒業したあたり年齢で、大体その人強みや弱みは特定されてしまいます。その後、いくら弱みを是正しようとしてもほとんどできるものではありません。しかし、強みに関しては、さらに大きく伸びる可能性を秘めています。

だからこそ、企業などの組織では、人の弱みを是正することばかりに時間を割いていては、全く資源の無駄遣いになるのです。弱みに関しては、他の人にやらせるようにするか、それが重大な問題になることを避ける程度に是正し、後は強みを伸ばすことに集中したほうがよほど建設的なのです。

豊田真由子氏は、ここでも勘違いしていたものと思います。政策秘書をあれだけ、「叱る」わけですから、やはり政策秘書側にも何らかの弱みがあったものと思います。であれば、その弱みは、他の人にやらせるか、それが不可能であれば、何か手順を1つ加えるなどして、システムを構築して、間違いが発生しないようにするなど手立てをして、政策秘書に関しては、強みの部分を多いに発揮できる体制を整えるべきだったのです。

以上述べたことは、組織の中の大原則です。これを無視する人は、組織人としては成功しません。豊田真由子氏はこの原則をことごとく、違えたままで来て、ここに来て大失敗したということです。

豊田真由子氏は、自民党の議員として自民党という組織に属していますし、国会という組織の一員です。さらには、小さいながらも事務所という組織を構えた組織人です。組織人であれば、やはり上記のようなコミュニケーションの原則は、かつての大物政治家のようにうまくはできなくても、知ってはおくべきだったでしょう。これ身につけてさえいれば、最低今回のような事態は避けられたと思います。

与党議員も、豊田氏のようにコミュニケーション不足で辞任などに追い込まれる議員が増えているようですが、野党議員もそれこそ、有権者とのコミュニケーションに失敗し、支持率は低迷したままです。

それにしても、今の日本、政治家であれば当然のことながら、これらの原則をわきまえているべきなのに、そうではない豊田真由子という人物が出てきたということは恐るべき事実です。政治家も官僚もそれに企業人ですらこれらの原則への意識が希薄になっているのではないかと思います。

だとしたら、今後の日本が心配です。

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2020年3月31日火曜日

豊田真由子さん「コメンテーター転身」をネット民歓迎の理由―【私の論評】コミュニケーションの本質を知らなければ、豊田氏の失敗の本質や現在の姿を理解できない(゚д゚)!


『バイキング!』にコメンテーターとして復活した豊田真由子氏

新型コロナウイルスが日本中の関心事となって1か月以上が経つ。テレビの情報番組もコロナウルス情報を連日、取り上げている。そのときに欠かせないのが適切な解説やコメントをしてくれる「有識者」の存在だ。東京歯科大学教授で呼吸器内科部長の寺島毅さんや、元国立感染症研究所ウイルス第三部研究員で白鴎大学教授の岡田晴恵さんなど、様々な立場や経歴の専門家が登場しているが、最近、やさしく分かりやすい語り口で評判が高まっているのが元衆議院議員の豊田真由子さんだ。

【別写真】柔和な笑顔には“まゆゆ”のニックネームが

 豊田さんといえば、2017年に報じられた秘書への暴言「このハゲーーー!」で日本中の人に激しい怒りで叫んでいる印象がついていた。しかし『バイキング!』(フジテレビ系)に初めてゲストコメンテーターとして登場した姿はそれと大きく異なり、おろした前髪に肩までのふんわりヘア、淑やかなメイクで穏やかに語っていた。ネットでも「イメチェン!」「キレイだし、やさしそう」「雰囲気かわっていい感じ」と歓迎され、その後、出演するたびに「豊田真由子」や新たに呼ばれるようになった愛称「まゆゆ」がTwitterのトレンドワード入りするほどの注目ぶりだ。

 2017年の騒動当時、ネット、とくにSNSでは豊田さんの話題には罵詈雑言がつきまとっていた。だが、今回の大歓迎ぶりはどうしたことか。たった3年で、これほど評価が変わるものなのか。ネットニュース編集者で豊田さんを当時から追い続けていた中川淳一郎氏によれば「まゆちゃんはもともと、そんなに嫌われていなかったんですよ」と断言する。3年前からそのかわいらしさに注目していたネット民にとって彼女は「まゆちゃん」と呼ばれる存在だったという。

 「騒動時から『まゆちゃんをいじめるな』と主張しているネット民は少なくなかった。確かに暴言でしたが、そこまで追い詰めるような内容かということです。それに、あの騒動のあと、政党の応援もないなか必死に選挙活動する姿が報じられていましたよね。そして落選したから、地獄をみて苦労したんだろうなということを皆が知っている。女性の国会議員はこうあるべきという型にはめられていたのが、今回のテレビ出演で本来の頭の良さやおだやかで優しそうな感じが分かりやすく伝わったのだと思います。そして、司会の坂上忍さんがひな壇に座る髪が薄いことをネタにしているそのまんま東さんなどを差して『ハゲ用意しておきました』と言い、ハゲをネタにしてもらえたことで許された雰囲気になった影響も大きいです」

 さらに、意外なイメージチェンジととられている豊田さんの見た目や言葉づかいの変化は、変わったのではなく、あれこそ本来の姿だ、と元同級生が語る。

 「学生時代はいつも淡いピンクや白などの可愛らしい服装でした。逆に、国会議員になったときのシャープなスーツ姿や髪型、メイクのほうに違和感がありました。穏やかな口調も、同じ教室で勉強していた頃のまま。大声で怒鳴ったり、叫んだりするところなんて見たことがなかった。公衆衛生の専門家として落ち着いて語る様子も、勉強熱心だった豊田さんのままです」

 東京大学法学部を卒業後、厚生省(現・厚生労働省)へ入省した豊田さんはハーバード大学へ留学、公衆衛生学で修士号を得ている。さらに2009年の新型インフルエンザ流行時には、厚生労働省の調整実務担当者だったので、未知の感染症に社会はどのように向き合っていくのか、という難題への取り組みを紹介できるのも納得だ。

 とはいえ、専門領域に詳しくても人に説明するのが上手とは限らない。どのテレビ局も、人に伝える技術も持ち合わせた専門家探しに苦労している。そんななか豊田さんが"発見"されたのは、友人宛のアドバイスが偶然、番組関係者の目に触れたためだった。

 「新型コロナウイルスについて不安を抱える友人に送った、見解とアドバイスのメールが『バイキング!』(フジテレビ系)の番組プロデューサーの目に留まったことがきっかけでした。医療に詳しくない、つまり一般の人に向けて分かりやすく解説されていて、不安を与えないように配慮が行き届いたアドバイスだったんです。テレビで話してもらうのにぴったりだとお願いしました」(番組関係者)

 出演を依頼した番組は生放送だということもあり、それを理由に及び腰になる人も少なくない。だが豊田さんは「役に立てることがあるのならやらせていただきたい、と快諾いただきました」(前述の番組関係者)という。

 その後、豊田さんは複数回、番組に出演しているが、そのたびにネットでは評価が高まっている。内容をみると、冒頭で記した見た目や語り口だけでなく「持ち込み資料すごい」「ものすごい分量の資料」と、机の上に分厚いファイルを置く姿も強く印象づけられているようだ。この「分厚い資料」には、出演者として豊田さんを迎えた番組関係者も驚いている。

「毎回、間違いないように、分かりやすく伝わるように、徹夜で準備してくださっているそうです。スタジオにまで持ち込む大量の資料には赤ペンでびっしり書き込みがある。過去の資料もたくさん用意してくださって、生放送だと間際にお願いすることも多いのですが、どうやったら一番簡潔に説明できるかを直前まで練っていただいています。想定外の質問にも備えるべく、電話帳くらいの資料をいつもそのときの状況に合わせて新しく揃えて、読み込んでいる。本当にありがたいことです」

 2017年10月の衆議院議員選挙落選後、豊田さんは公の場から一切、姿を消していた。それから今回の番組出演で再び登場するまで、どのような生活を送っていたのか。「少し前には家族で笑顔で出かける様子も見られたので、元気になってよかったと思っていたんです」と地元の支援者が語る。

「あの事件のあとは、人前から隠れるように暮らしていました。体調を崩して入院していましたが、退院後は福祉法人に勤めていました。家族にも悲しい思いをさせてしまった、と必死で向き合ってきたそうです」

 家族も落ち着き、テレビ出演によって好感度も上がる一方だ。となれば政治の世界へ復帰することやタレント転身への誘いもありそうだが、本人にはそんなつもりはまったくないそうだ。

「役に立てることがあるのならやらせていただきたいとだけ言っているそうです。この3年間、本当に笑ったことがなかったけれど、こうやって人前に出たことで笑っている自分に気づけた。出演のきっかけをつくってくれた人たちに感謝しているとも話しているそうです」

 ネット、とくにTwitterで大評判の豊田さんだが、2017年の騒動以来、Twitterは怖くてまったく見ていないという。まゆゆへのエールを直接、届けられないのは寂しいかもしれないが、少しはにかんだ笑顔が似合う今の彼女にとって、Twitterを見ないぐらいが応援してくれる人とのちょうどよい距離感なのかもしれない。

【私の論評】コミュニケーションの本質を知らなければ、豊田氏の失敗の本質や現在の姿を理解できない(゚д゚)!

本日豊田真由子氏について掲載したのは、上の記事をはじめ世の中には実に安っぽい論評が多いからです。いずれの報道をみても、コミュニケーションの原則にまで踏み込んだ話をしているものはありません。

私自身は、豊田真由子氏が失敗してしまったのは、コミュニケーションの原則を知らなかったからだと思っています。

これについては、あの事件が起きてから少したってから、(2017年9月18日)このブログに掲載したことがあります。
豊田真由子議員が会見「生きているのが恥ずかしい、死んだ方がましではないかと思ったこともありました」―【私の論評】私達の中の1人から私達の中のもう1人に伝わるものとは?
詳細は、この記事をごらんいただくものとして、この記事ではコミュニケーションの原則をとりあげました。これは、ドラッカリアン (ドラッカー・ファン)なら誰でもご存知と思われるドラッカー氏のあげている原則です。

ドラッカー氏

1. コミュニケーションは知覚である
2. コミュニケーションは期待である
3. コミュニケーションは要求である
4. コミュニケーションは情報ではない

この原則の詳細は、この記事をご覧いただくものとして、なぜ豊田真由子氏が、あの時に失敗し、現在では成功しつつあるのか、各項目ごとに従って分析したものを以下に掲載します。

1. コミュニケーションは知覚である
大工には大工の言葉で話せと、ソクラテスは言っています。コミュニケーションとは、相手に知覚されなければ伝わらず、全く無意味になってしまいます。「2.のコミュニケーションは期待である」の項でも述べますが、彼女自身が相当な努力家で優秀な人であり、こうした優秀な人間にありがちな欠点は、他者が自分と同様に優秀であり、自分にとっては疑問の余地がな言葉なので、相手にも通じるのが当然という錯覚を抱いてしまう点にあります。
言葉も、相手に合わせた言葉でいうのでなく、自身の理解できる範囲で語ることが多く、相手の範囲を超えていることもしばしばあります。 あるいは、同じ事を言っても、コミュニケーションが互いに成り立っている相手なら、理解ができても、そうでない人に対しては、理解ができないということもよくあることです。豊田氏は、このあたりの配慮が欠けていたものと思います。
2. コミュニケーションは期待である
彼女自身は、非常に優秀な人物で、ミスを仕出かす人々の気持ちが本当に理解できないのできなかったのではないでしょうか。彼女の経歴をみると、東大法学部卒業、厚生労働省入省、ハーバード大大学院修了、そして衆議院議員に当選しています。 
およそ非の打ち所のないほど華麗な経歴で、彼女自身が相当な努力家で優秀な人だったのです。こうした優秀な人間にありがちな欠点は、他者が自分と同様に優秀であるという錯覚を抱いてしまう点にあります。
本来であればできるはずなのに、意図的に努力を怠っているから、仕事ができないという風に思い込んでしまうのです。自身が優秀であればあるほど陥りがちな欠点といってよいでしょう。この罵声を浴びせられた秘書のミスを許すことができなかったのでしょう。 
ところが、人間は皆、豊田代議士ほど努力家でも優秀でもありません。多くの人が豊田代議士ほど優秀ではないというのが、世の中の常です。確かに豊田氏は優秀な官僚ではあったかもしれないですが、個々の人々の心をおもんばかることができなかったという意味においては、政治家には絶対に不適格な人物であったといえるでしょう。 
これをドラッカー流にいえば、「コミュニケーションは期待」であるということです。豊田氏は、叱責した秘書に対して過度の期待をしすぎたのです、「このハゲー」という罵声は、豊田氏の秘書に対する期待を表していたのです。
それを秘書が受け止められなかったので、あのような事件になってしまったのです。 
3. コミュニケーションは要求である
相手に何かを要求するときに、それは相手の期待の範囲をこえる場合もあります。その場合には、これからおこることは相手の期待の範囲を超えていることを伝えなければなりません、そのためには覚醒のためのショックを与える必要があります。
覚醒のためのショックというと、仰々しいですが、平たくいうと、企業活動の日常でよくあるのは叱ることです。
この覚醒のショックを与えるには、相手の期待を良く知っていないければ無理です。豊田氏の「このハゲー」発言、はまさに秘書に対する要求で、何とかしろという叫びだったのでしょう。
しかし、秘書からすれば、自分は普通に仕事をこなしていると思い、豊田氏にとってそこそこ役に立っていると思っていて、豊田氏の期待には、ほぼほぼ応えていると思っていたのでしょう。
ところが、豊田氏の期待の水準は、それよりもはるかに高く、完璧に秘書の想定の範囲を超えていたのでしょう。 豊田氏は秘書の期待がどの程度のものだったかなど、全く考慮していなかったのでしょう。
4. コミュニケーションは情報ではない
コミュニケーションは情報ではありません。しかし、両者は相互依存関係にあります。情報は人間的要素を必要とせず、むしろ感情や感想、気持ちなどを排除したものの方が信頼される傾向にあります。そして、情報が存在するためにはコミュニケーションが不可欠です。 
しかし、コミュニケーションには必ずしも情報は必要ありません。必要なのは知覚です。相手と自分との間に共通するものがあれば、それでコミュニケーションは成り立つのです。このことも豊田氏は理解していなかっのでしょう。
5年ぶりくらいに、親友に会っても、話は十分に通じます。それはコミュニケーションが成り立っているからです。しかし、初めて会った人とは、相手にあわせるとか、平易で誰にでもわかる言葉を使いをするなどの配慮しないと、なかなかコミュニケーションは成り立ちません。
ドラッカーの「コミュニケーション」の原則には、最後にもう一つ重要なものがあります。それは、コミュニケーションとは「私達の中の一人から、私達の中のもう一人に伝わるもの」であるということです。

コミュニケーションを交わすには、そもそも「私達」といえる関係になっていなければ、伝わらないのてす。

豊田氏と「このハゲー」といわれた秘書の間には、「私達」といえるまでの関係はなかったのでしょう。

コミュニケーションの成り立っていない間柄の人間同士では、表面的な付き合いしかできないということです。そうして、コミュニケーションが成り立っていない場合は、最悪の結果を招くことになります。

この元秘書は、年齢ははっきりしませんが、豊田氏よりは一回り上だったようです。であれば、経歴や学歴などでは、豊田氏には及ばないかもしれないですが、コミュニケーションにかけては一日の長があるはずで、未熟気味の豊田氏に対して何らかの対処ができたはずとも思います。

恐らく、何度も信じられないほどの暴言を浴びせられ、嫌気が差したことは理解できます。しかし、本来、彼がなすべきだったのは、ミスをした点に関しては、豊田代議士に対する心からの謝罪であり、その後になすべきは、豊田氏の異常な言動に対する「諫言」ではなかっでしょうか。

失敗した点は謝罪すべきですが、本来、非難されるべき点ではない身体的特徴を揶揄(やゆ)され、人格を否定されるような発言がなされた点に対しては、いさめるべき立場にあったと考えられます。いさめて聞き入れないというのならば、断固として、その点は認めがたいと面を冒してでも堂々と主張すべきだった思います。

これは、豊田氏に対する覚醒へのショックとなり、豊田氏も変容して、それこそ秘書と「私達」といえる関係となり、コミュニケーションが成り立つきっかけになったかもしれません。どちらか一方の期待や、要求が他方の想定よりもはるかに大きい場合、このようなことになりがちです。

昔は、本当の親友とは喧嘩をしないとなかなかなれないといわれたものですが、これは本当にコミュニケーションを成り立たせるためには、覚醒のショックが必要だということを指していたのだと思います。しかし、最近では、単なる知人を友だちなどと読んでいる人も大勢いて、こういうことが理解されていないのではないか思うことがしばしばあります。

現在の豊田氏が、現在ネット民に歓迎されているのは、やはり、このコミュニケーション能力を体得しつつあることが、ネット民にも伝わったからではないでしょうか。

見た目や語り口だけでなく、毎回、間違いないように、分かりやすく伝わるように、徹夜で準備するなど、とにかく相手を中心にものを考えるようになっていることが、評価されているのでしょう。とにかく、スタジオの共演者や視聴者の人々と、「私達」といえる関係を構築すべく努力している姿が評価されたのだと思います。

それにしても、この豊田氏の過ちを単に批判するだけの人もいましたが、現在の日本には、残念ながら、豊田氏同じよう間違いをし続ける人も多いのではないでしょうか。実際、河村建夫元官房長官は豊田氏に対して「ちょっとかわいそうだ。あんな男の代議士はいっぱいいる」と述べていました。

さらに、最近特に中間管理層には、部下を怒ったり、褒めることはできても、叱ることができない人も大勢いるようです。これでは、コミュニケーションが成り立っていないと思います。

私自身も、以前ドラッカーの「マネジメント【エッセンシャル版】」を題材として、40歳前後の有志と集い、読書会を開いたことがあります。その時、「コミュニケーションの原則」に関わる読書会の時に感じたのは、多くの人が字面を追っているだけで、ドラッカーのいうところの「コミュニケーション原則」を良く理解していないと感じたことでした。

多くの人感想は「当たり前」というものでした。では、その当たり前の事実の例証をあげてみよと指摘すると、満足な事例があがってこないのです。普段からあまりコミュニケーションに関心がないことの現れだと思いました。

他にも、事例があります。私は以前人事の仕事をしていたこともあるので、当時は企業説明会にも何度も足を運んだことがあります。そこで、他の企業の採用担当と親しく話をしたことがあります。

当時は、不況の真っ只中で、どこの企業も積極採用はしておらず、そうして多くの企業が「コミュニケーション能力重視」を採用のポイントだとしていました。


そこで、「コミュニケーション」を重視しているという企業の採用担当者の何人かに、担当直入に「御社でいうところのコミュニケーションとは何か」と質問してみました。

そうすると、多くの担当者が答えに窮していました。「コミュニケーション」とは当然のことであり、それまでまともに考えたこともないようでした。すぐに反応する人もいましたが、それにしても、技法などに限られていて、深みのあるものはほとんどありませんでした。

無論、私としてはドラッカーのいうところの「コミュニケーションの原則」のような答えを期待していたわけではないのですが、それにしてもわざわざ「コミュニケーション重視」というのですから、当然何かあるだろうという私の思いは見事裏切られました。

結局当時は、かなりの不況であり、多くの企業は、人の採用は控えていたのですが、それにしても採用を全くしなければ、将来管理者や幹部を選ぶときに候補者がいなくなり、大変なことになるので、当たり障りのない調整型の人を採用するというのが、本音だったようです。

特定の方向に能力かありあまるような人を採用すれば、不況のさなかで何か新しいことにチャレンジしようとするでしょうし、そのようなことはできないわけですから、かえって企業が混乱してしまうことになります。であれは、調整型人間を採用しておけば、当たり障りないということです。要するに「調整型」では格好が悪いので「コミュニケーション型」という曖昧な言葉を用いただけのようです。

「コミュニケーション能力=調整型能力」というわけです。これは、コミュニケーションの一側面を表しているだけで、コミュニケーションの本質ではありません。私は、以前にもカタカナ用語の弊害を主張してきましたが、この日本ではおそらく「コミュニケーション」ほど曖昧につかわれている言葉はないと思います。それが、様々な混乱を生んでいると思います。

私は、随分前から日本人はいつの間にか、コミュニケーション能力が衰えてきているような気がしていました。何しろ、豊田氏の例の事件が起こってしまったのですから、代議士もひどければ、秘書も著しくコミュニケーション能力が欠如していたと言わざるを得ません。日本の政治は一体どうなってしまうのかと思わざるを得ない低俗な事件でした。

もともとの日本人はわざわざ「コミュニケーション」という言葉を持ち出すまでもなく、そのようなことは、ある程度の年齢になれば、自然と体得していたと思うのですが、現在そうではないようです。

「報告・連絡・相談」いわゆる「ホウレンソウ」がコミュニケーションと信じて疑わない人もいます。いくら「ホウレンソウ」をしていても、コミュニケーションが希薄な場合もあります。あるいは、コミュニケーション=ノミュニケーションであり、「一緒に飲めばわかると」、中東のテロリストにツイートして、「私達はあなたを殺します」と答えられた学生がいたりします。この学生は、中東は原則禁酒であることを知らないのでしょう。
 

コミュニケーションの本質を知らない人たちが、「コミュ障」などの言葉を使っています。これでは、日本には「コミュ障」がはびこるわけです。現在では、「惻隠の情」という言葉ですら、死語になってしまったようで、わからない人が多いです。

田中角栄は「人たらし」といわれていましたが、田中氏は本当にコミュニケーション能力が優れていたのだと思います。そのような逸話は、いまでもサイトを検索するとたくさんでできます。

豊田真由子氏は、相当のストレスを抱えていたようですが、コミュニケーションに問題があれば、そうなります。

現在はストレス社会ともいわれていますが、ストレスを抱えている人の中にもコミュニケーションに問題がある人が大勢いるのではないでしょうか。

現在では、コミュニケーションという言葉を使い、ドラッカーの「コミュニケーション原則」をあげて、厳密に話をしないとわからない人が増えてきました。残念なことです。
 
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