2011年1月24日月曜日

山形県が5,600台のPCをOpenOfficeに移行 - アシストが研修用コンテンツ提供―【私の論評】このような商売もあるということに、改めて驚き、そして、日本人より日本人らしいトッテン社長に敬意を評します!!

http://journal.mycom.co.jp/news/2011/01/24/081/index.html


【私の論評】このような商売もあるということに、改めて驚き、そして、日本人よりも、日本人らしいトッテン社長に敬意を評します!!


アシスト社長、ビル・トッテン氏
山形県が、OpenOfficeに移行ということで、このこの動きは、他県にも広まっていくと思います。以前は、確か、3年くらい前に、秋田県の大館市でOpenOfficeに移行したことが、雑誌に掲載されていたのを覚えてます。

その雑誌でも、いっていたのですが、MSOfficeと、OpenOfficeの違いは、表計算でてOpenOfficeのほうが、点線を書くことができないというくらいなものだったと思います。どちらも、高機能なものですから、細かなところまで確かめれは、他にも違いはあるのでしょうが、マクロも関数も、ほとんど互換性がありますし、通常役所で使うのなら、OpenOfficeで十分です。

MSOfficeは、通常、パソコンにバンドルされて販売されているので、あまり価格を意識したことがない人が多いようですが、いまでも、高価格パソコンには通常MSOfficeが搭載されているのが普通で、これは、パソコン本体の価格に上乗せされているのか普通です。それに、無論、今なら、Windows7などのOSもそういうことです。

しかし、OppenOfficeなら、無料でインストールができます。だからこそ、山形県のような事例これからも、どんどん出てくると思います。何も、わざわざ、MSofficeブリインストールの高いパソコンなど購入する必要はありません。

そもそ、マイクロソフトが、提供しているSKYDRIVEというストレージ・サービスでは、オンラインて、Office同等の機能が使えるようになっています。これに、先立つこと、数年まえから、グーグルでは、Docs & Spreadsheetなどのクラウドサービスを提供していて、特に、最近では、ワープロも、表計算も、オンラインで使えるようになっていますし、それに、かなり高機能になっているうえ、さらに、MSoffice、Openofficeとも互換性があり、これらのドキュメントをクラウドにアップロードしたり、クラウドにあるドキュメントを、これら両方のOfficeの形式でダウンロードすることもできます。

ようするに、別にMSofficeがなくても、それと同等のものが、ダウンロードできたり、オンラインで、クラウドで使えることができるということです。それに、これらはすべて無料です。であれば、普通は、山形県のようにするのが当たり前だと思います。

しかし、MSと、Openは、互換性はかなりありますが、微妙な操作の違いがあることも事実です。そのことが、普及を妨げてい可能性もありますが、さすが、アシスト、こんなところに目をつけたんですね。

ビル・トッテン氏最近、テレビなどであまり見かけないので、どうなさっているのかと思っていましたが、久々に見かけたので掲載させていただきました。アシストは、以前、まだ、Web2.0や、クラウドなどが日本でも使われるようになる前に、格安のソフトで大変お世話になった覚えがあります。名刺管理ソフトや、ちよっとした管理用データーベースなど、普通に買うのと比較すると、数分の1から1/10くらいで販売されていたのを良く覚えています。

このかた、確かアメリカ人なのに、日本にかなり前から進出してきていて、かなり親日的な方です。というより、日本人よりも日本人らしいです。

まずは、一旦雇用した社員は絶対にリストラしないとして、いまの厳しい時期に頑張っておられます。

それから、アメリカの完全自由主義経済に関しては、昔から否定的で日本的経営の良さを強調しておられました。

アメリカや日本でも、巨大な資金を動かすファンドマネジャーなどがもてはやされた時代がありましたが、トッテン社長はあるテレビ番組で、「ファンドマネジャーが尊敬に値するのですか、皆さん、賭博師を偉いとおもうのですか・・・・・」と否定的でした。そうして、金融危機がおこる何年も前から、このような危機を予測しておられ、いずれ破綻が訪れることを事あるごとに語っておられました。いまから、思えば素晴らしい見識の高さです。

ビル・トッテン氏は、いわゆる社長ブログも書かれています。その内容、また素晴らしいです。一般的な日本人よりも「はるかに日本のことを愛し、悩み。考え抜いている」と感じてしまうのは、おそらく私だけではないでしょう。


プロフィールにもありますように、氏は,1969年に初来日し,1972年に株式会社アシストを設立しました。そして、2006年には、日本への帰化が認められ、国籍までも日本人になったのです。

氏のブログを読んでいると、私たちが忘れつつある「古きよき美徳」を思い出させてくれるような気がします。そして、日本は遅れているとの思い込みのもとで、気がつけばグローバリズムに巻き込まれて、物質的にも精神的にも貧しくなっていることにも気づかされます。

海外から来た人の言葉にはとりわけ素直に耳を傾ける日本人にとって、氏の存在と説得力は格別てす。ビル・トッテン氏の情報発信のおかげで、同社のイメージは、「外資系」と聞いた時に多くの人が感じるイメージのとは異なる、日本的な美徳に溢れています。

先日は、このブログで、アップルのCEO、スティーブ・ジョブスに関して、彼の「死を意識する」生き方から、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という日本人の理想を体現しているという内容のものを書きました。ジョブスの場合は、死を意識する生き方が、昔の日本人の理想を体現していると思いますが、さりとて、当然のことですが、彼自身が日本で長く生活したこともなく、彼のライフスタイルそのものは、やはり、アメリカ人であり、思考形態も、物言いも、やはり、アメリカ人です。

しかし、トッテン氏は、国籍も日本ですし、今の日本人と比較すると、考え方や、物言いが本当に日本人そのもののようというより、それを超えて、日本らしさを体現していると思います。皆さんも、是非このブログ是非読んでみてください。

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2011年1月23日日曜日

強硬な中国と友好的な中国=2つの中国が存在する理由とは?―米誌―【私の論評】中国はもともと一枚岩の国家ではない!!

強硬な中国と友好的な中国=2つの中国が存在する理由とは?―米誌



中国共産党万歳と書かれた建物

2011年1月18日、米誌タイム(電子版)は「中国の全く異なる2つの顔=強硬さと友好」と題した記事を掲載した。21日付で環球時報が伝えた。以下はその内容。

胡錦濤(フー・ジンタオ)中国国家主席の訪米を、米国側は多くの具体的問題を解決するチャンスにしたいと考えていた。一方、中国側は首脳会談の意義をむしろシンボル的なものととらえており、長年の懸案の解決には否定的な姿勢。こうして訪米をとりまく友好的な雰囲気はまたたく間に失われていった。

「中国は世界を見ている。世界に中国を広めたい」とは、ある中国外交官の発言。自国の魅力を伝えたいという中国の姿勢は多くの人に深い印象を残した。こうした友好的な顔を持つ一方、南シナ海問題や尖閣諸島問題で中国は絶対に譲歩しない、あくまで強硬姿勢を貫く顔をも持っている。

この二つの顔をどう理解するべきか?カギは誰が発言したかにある。かつて中国の声は一つだったが、今や政治的決定者は単一ではない。特に外交分野においては。外交部のみならず、商務部や国家安全部、財政部、そして国家発展改革委員会など異なる利益主体が外交政策に口を出している。そればかりか国有企業や地方政府もまたその中に加わっている。

ストックホルム国際平和研究所は昨年発表したリポートで、「中国外交政策の権力はすでに分散化している。外国人はある決定がもたらす利益が、どのような機関と関連しているか、見極めなければならない」と指摘した。

一つの例として、中国の深海潜水艇が昨年、南シナ海海底に到達した時のことが挙げられる。中国英字紙は深海潜水艇開発という科学的成果として報道したが、一方で中国語メディアは潜水艇が海底に立てた中国国旗に注目した。中国外交を見る時、あらゆる事件について2つの顔があるべきだと理解しなければならない。

【私の論評】中国はもともと一枚岩の国家ではない!!
この米誌タイムの上記の記事、私には、全く理解できません。なぜなら、中国という国は、最初から二面的どころか、分裂国家であり、もともと一枚岩であった時期など建国以来一度もなかったからです。

中国は長期一党独裁の国家です。しかし、党内における権力争いは、熾烈を極めています。代表なのは、共産主義(毛沢東忠実派)と、改革開放派の争いです。そのほかにも、利権をあさる長老・二世らと、汚職の撤廃を考える者の対立です。

また、「軍事・経済ともに大国」になったように見えるあるいは、見せかけている、中国、2つの考えに分裂しています。
一つは、アメリカのように、国際的義務を果たし、一人前の先進国の誇りを得ようとする勢力。
もう一つは、アメリカのように、国際社会に我を通し、覇権主義に走ろうとする勢力があります。

「竹のカーテン」から漏れ聞く政局は掴みどころがないですが、あらゆる面において、中国政治が一枚岩でないことが窺えます。

加えて、増長する軍部もあり、権力・利権の争いはまるで、バトル・ロワイアルの様相です。それに、増長する軍部ではありますが、実は正式に中国には存在しません。そうなのです、中国の人民解放軍は、そもそも、中国以外の他の国との軍隊とは全く異なります。

そもそも、人民解放軍は、共産党の私兵であり、共産党が直轄している組織です。

中国人民解放軍の軍区
人民解放軍の組織としては、中華人民共和国軍事委員会の下に総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部の四総部があり、その下に海軍、空軍、第二砲兵(戦略ミサイル部隊)および七大軍区が置かれています。 また国防科学技術工業委員会、軍事科学院、国防大学なども軍区級組織です。国務院の国防部は外国との軍事交流などを担当しているだけで、人民解放軍に対する指揮権を持っていません。国務院の管轄下にない解放軍はあくまで党の軍隊であり、国家の軍隊ではありません。

党と軍の関係については、憲法で中央軍事委員会の指導下にあると規定されているが党主席とは記載されていない。そのため、毛沢東など歴代の最高指導者は中央軍事委員会主席を兼任している。

それに、この七大軍区というのが曲者で、法律はともかく、現実には、この軍区の上に、地方の共産党があり、これらの軍は、地方共産党の私兵というのが実体です。こうして、地方の共産党の直下にある、人民解放軍が、独自に私兵軍団をもっており、そのなかには、核兵器を持つ軍区が複数あったり、海軍を持つ軍区が複数あるという具合です。全く普通の国の軍隊とは、根本からして異なるのです。

このような、かなり多くの価値観が存在して、分裂していて、統一国家としてのまとまりのない中国、それは、当然中国の「外交のブレ」にもつながっています。

あの尖閣問題で、中国が傍若無人とも受け取れる対応をしたのは、私の類推では、おそらく、2012年の人民代表大会における、代表者の選挙、すなわち、次の主席選びに標準をあわせた、保守派の揺さぶりと見ています。これは、以前のブログにも書いたことですが、たとえ、この類推が外れていたとしても、似たような構図の中でおこったものと思われます。

ただ、どこのどの派閥であれ、いったん起こってしまったものに関して、あそこで日本政府にたいして軟弱な姿勢をみせれば、反対派につけいる隙を与えることになってしまうことを恐れて威圧的な態度をとったというのが真相だと思います。その背景には、何等の深謀遠慮もなく、ただただ、日本を含む他国のことなど考える余裕もなく、即物的に反応していたというところだと思います。

尖閣問題を冷静に振り返ってみてほしいと思います。この問題で中国が得たものは、国際的な批判だけです。オリンピックや、万博で、一定の国家の威信を高めることに成功したにもかかわらず、ふたたび異質な中国の実態が暴かれてしまいました。世界を相手にして、中国が勝ち取れたものは、何もありません。それに、最近では、中国が対外的に外交で成功した試しなどほとんどありません。長年の中ソ国境紛争の火種となっていた、領土問題に関しても、結局は中国はロシアに対して、ほとんど一方的といえるほど、譲歩して解決したばかりです。このことは、日本でもほとんど報道されませんが、中国国内では、皆無といって良いほど、報道されていないようです。これを知ったら、多くの中国人民は憤激することでしょう。

日本とのイザコザでも、結果として、尖閣列島を奪ったわけでもなく、何かしらの既成事実を得たわけでもありません。民主党のミスジャッジで行った「船長の解放」は、それ自体が日本の主権を譲ったことにはなりません。それが国内外にどう取られたかはともかく、少なくとも中国は、日本および他国に警戒されるようになり、逆に目立った強硬策を取れないようになっています。特に、アメリカの態度を硬化させ、終戦後日本の自衛隊も含んだ、演習では最大規模の演習であった「キーン・ソード」を実行させる結果となりました。この戦後最大級の演習にたいして、中国の軍区レベルや、一部のマスコミからは抗議の声明が一部からはあったようですが、上層部からは目立った抗議はありませんでした。

現実には、分裂した中国が、「右往左往」したあげくに、強硬措置を取らざるをえなくなってしまったことを、日本政府がそうとも知らずに、勝手に、翻弄されていたというのが真相です。

このような背景を知って対処していれば、日本政府としても、翻弄されず、冷静に受け止めるなり受け流すなりしていたと思います。そんなところで、慌てるから、多くの国民が、本来外交ベタの中国に対して、「中国のほうが日本よりも外交が数段上手」などと見られる結果を招いてしまったのだと思います。全く、民主党困ったものです。自力でできないというのなら、外務官僚の優秀な人間にでも任せておけば、これほどの醜態を晒さずにすんだことだと思います。この問題実際には、政府が懸念したような、戦争になるとか、日本国民が憤激するとか、中国との関係が悪化するなどの心配など杞憂といっても良かったと思います。

さて、上のタイムの記事に戻りますが、どうして、いまさふって湧いたように、二つの中国があるなどという記事を掲載したのか、その意図がよく見えません。アメリカでも、多くの人は、このような実態を知る人が少ないので、2012年に開催される党大会を視野にいれて、これから、また中国の論理的・理性的には、理解不能の異常行動が多発する危険があるので、翻弄されないように気をつけましょうくらいの趣旨で警鐘を鳴らしているというのなら、直裁にそう伝えれば良いと思うのは私だけでしょうか?

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2011年1月22日土曜日

海外進出進めば「日本で雇用、5分の1」 シャープ会長―【私の論評】本当の国際競争力をつけるには今や日本国内の内需を拡大すること、消費拡大をすることにつきるだが・・・・・?!

海外進出進めば「日本で雇用、5分の1」 シャープ会長


シャープの町田勝彦会長
シャープの町田勝彦会長は21日、副会頭を務める大阪商工会議所の記者会見で、国内の雇用について「電機業界は日本のウエートをどこも5分の1ぐらいにしか考えていない。海外進出を進める限りは雇用も5分の1になる」と語った。円高や負担の重い法人税、貿易自由化の遅れなど国内生産の障害が解消されなければ、雇用は維持できないとの見方を示した発言だ。

12月1日時点の大学生の就職内定率が過去最低の68.8%となったことなどへの感想として述べた。4月に定期採用を行う慣行についても「海外では新卒とかは関係ない。拠点が海外に移って現地採用が増えるなかで、国内での定期採用が何人かと聞かれても、そういうことは考えなくなった」と話した。

来年度の税制改正で、法人税減税が研究開発減税の縮小とセットになったことについては、手代木功副会頭(塩野義製薬社長)が「国内に雇用を残すなら国際競争力のある分野しかないが、研究開発減税を減らされると『研究も米国で』となる」と語った。

【私の論評】本当の国際競争力をつけるには今や日本国内の内需を拡大すること、消費拡大をすることにつきるだが・・・・・?!
法人税減税が、研究開発減税とセットになったことについては、あまり知らない人も多いのではないかと思います。もともと、法人税や、研究開発減税など中小企業などにはあまり縁がない事なので、無理もない事だと思います。

しかし、民主党のやること、何でも似通っているようです。子供手当てなども、マニフェストで公言しておきながら、結局財源不足で満額支給しないとか・・・・。昨年暮に出された、税制改正大綱に関しても非常に評判が悪かったです。将来に向けた改革の姿を描けていないため、場当たり感が強いです。

「とりやすいところを狙った」との批判も多いです。

政府税制調査会が「格差是正」を掲げ、こうして税による所得再分配の機能を生かそうとしていますが、法人税の5%幅引き下げの財源も、なお5千億円ほど不足したまま、見切り発車のような税制改正大綱の決定となりました。これは、今回の税制改正の大きな欠陥の表れであるといえます。


菅政権が消費税の引き上げを含む税制の抜本改革の全体像を描けていないため、財源確保のめどすら立たず、国民が負担を分かち合う構図も見えてこない、ということです。

税制は国民生活の重要な基盤です。どんな社会にするために、どのような税制をめざすかがあいまいなままでは、社会保障の将来像も描けません。

その場しのぎでツギハギを重ねる手法は、いよいよ限界に来ました。やはり抜本改革と 正面から向き合うしかないことは、もはや明らかです。

こんな様子をみていて、多くの経営者が上記のシャープの会長のような考えを持つことは、ある意味致し方のない事だと思います。

しかし、このままでは、雇用もますます悪化、さらには、本来日本の良さを活かして、中国などの新興国にはできない、先進国でありそのなかでも、特に基本的インフラが整っている日本国内での内需拡大、消費拡大などをするなどのことができなくなります。

私は、確かに、多くの企業が海外を志向することになるのは、無理からぬところがあると思いますが、本来的には、もし海外、しかも中国などの新興国での市場にばかり目を向けていては、結局その市場は先進国の50年前の市場のようなものであり、いくら市場を獲得できたとしたって、結局は先進国にとっての新たな展開やイノベーションの機会はなくなる事と思います。

先進国が、仮に、新興国の市場のすべてを席巻できたとして、それが良いことかといえば、決してそうとはいえません。仮に、それに成功したとしても、技術的にはすでに陳腐化したものを展開できるだけで、21世紀の先進国の社会を変える大きな展開を期待することはできません。それに、新興国の市場のみが、先進国が成長できる唯一の市場になったとすれば、新興国の都合などによって、いつも振り回されることになります。

さらには、新興国も技術力をつけてきているので、いずれ自分の国の市場に必要なものは、先進国に頼らなくても、自前で市場に投入できるようになるし、そうすることでしょう。そうなれば、新興国のほうが、はるかに人件費が安いですから、いずれその分野で、逆に、先進国に進出してくることになります。そうなれば、先進国は新興国の後塵を拝するしかなくなります。このことは、このブログでも、再三にわたって掲載してきました。

現在では、先進国は自国の内需拡大、消費拡大を行うべきです。そうすることによって、先進国の進んだ社会におけるイノベーションを期待することができます。

私は、こうしたイノベーションについては、具体的にこのブログで掲載したことはありませんが、少し思いつくだけでも、そのような分野はたくさんあると思います。高度に進んで、ユビキタス化したITを活用して、さらに、家電などスマート化するとか、家屋自体をスマート化、交通システムをスマート化するなど、夢のような分野は沢山あります。さらに、先進国で顕著な少子高齢化に対応することで、大きなイノベーションが期待できると思います。

たとえば、検針メーターなどすべて、スマート化した場合、電気もガスも検針業務がいらなくなるばかりではなく、リアルタイムで、電気の使用量、ガスの使用料がわかるため、地域や、日本全体での電力やガスの供給に対して様々な手を即座に打つことが可能になり、これによってもたらされる、利益は計り知れません。しかし、21世紀のイノベーションは、20世紀末から変化していて、21世紀に顕著になった先進国の大きな社会的大変化に対応する形でなければ、進めることはできないでしょう。このことに、ついては、再度このブログにも掲載していくつもりです。

しかし、新興国の市場では、まだまだ、これを導入するなどの域に達していません、たとえば、中国などでは、沿岸部のごく一部では、その域に達しつつあるところもありますが、少しでも奥地に入ってしまえば、まだまだ、遅れていてその域には達していません。このようなところで、スマート化するといっても、無理があります。部分的スマート化などをするしかないでしょう。

というより、多くの人が、先進国では当たり前になっている、情報端末なども持っていないというのが、実情だと思います。こうしたことに対処して、いわゆるBOPビジネスを展開するのも企業のありかたとして、まともな生き方のひとつである事には違いないと思います。

しかし、本来であれば、日本にこそ、21世紀の特に都市社会のイノベーションの中心となるべき、挑戦の場が至るところにあるはずです。本来であれば、政府はこのようなことのために税制をも含む、インフラを整備すべきです。

私自身は、目先のことを考えて、多くの企業が新興国などにシフトするのは致し方ないことであると考えますが、それでも、日本の市場での開発なども着実に進めていくところが、次代の覇者になると思います。それを忘れた企業には、明日はないでしょう。

それから、かねてから、大企業の経営者の方々の発言にも疑問に思うことがしばしばあります。その典型は、中国幻想であったりしますが、それよりも何よりも、日本国政府に対して、直裁に、マクロ経済学的見地や社会的な観点から、大規模な財政出動をしろ、大規模な金融緩和措置をとれと言わないのでしょうか?なぜ、法人税減税程度のチマチマしたことしか言わないのでしょうか?仮に、法人税減税がたとえば、研究開発促進税制などが廃止されないで、実現したとしても、このデフレ基調ままでは、企業にとっても何らの抜本的解決にはならないはずです。

なぜ、消費税増税など、このデフレ基調が続いている最中に実施するとか、、財政再建をするのは間違いだとはっきり言わないのでしょうか?今の日本では、過去20年間も、失われた20年ということで、基本的にデフレがつづいていて、これは、財政再建などよりもよほど深刻な、人間でいえば癌のような病状にあります。少しでも、デフレ解消の方に傾けば、国内景気も今よりは良くなり、日本国内での、事業展開はやりやすくなるし、それに、雇用も改善できるはずです。本来、このような声が、産業界の大勢を占め、ことあるごとに政府に大して厳しい要求があっても良いはずなのにそうはならないというのはどうしてでしょうか?

残念ながら、大企業の経営者の方も、企業という枠の中では、ものが考えられても、マクロ経済や世界規模の経済などまでには目が向かないということなのでしょうか?不思議です。

最近『ハーバードの「世界を動かす授業」』がビジネス書としては日本国内で7万部以上と破格の売れ筋となった著者のリチャード・ヴィトー氏も最近WBSに取り上げられていて、日本に対して、以下のような提言をしていたことは、このブログでも以前に掲載しました。
日本国内の消費を拡大する。 
海外の事例をみること。
この言葉の持つ意味は深いです。ヴィトー氏は、やはり、日本国内の消費を拡大することを強調しています。そうして、これは、現状のままでは困難なことです。やはり、政府による手助けも必要でしょう。財政再建ばかり注目している場合ではないということです。それに、個々の企業や、経営者の努力も必須であると思います。

それから、海外の事例を見るということは、各国の経済、社会を具体的な数字を見て全体像を理解するということです。そこから、たとえば、その国でビジネスをどのうよにすれば良いのか全体像がみえてくるということです。無論、外国の事例をそのまま日本で実施するわけには、いきませんが、根本を見ることにより、日本での事業も理解できるようになるということだと思います。

逆説的ではありますが、私は、このようなことを通じて、大手企業が日本国内で何をすべきか、それこそ、政治や経済、社会なども含めて、さらに海外のそれをも具体的に理解し海外、特に新興国の市場に進出すれば、成功することもあると思いますが、それなしに海外に短期的利益を求めて進出しても、長期的には成功はおぼつかないと思います。ヴィトー氏の、MBAで教える教科書は、最初の頃から、そうして今日に到るまで、日本の奇跡の経済成長から始まっています。このことは、今日の私たち日本人に意義深いものであり、示唆に富んでいると思います。

こうしたことから、私は、日本国政府に対して厳しい注文をつけない、大企業の経営者の物の見方には疑問を持たざるをえません。現在の大企業の経営者の多くは、80年代までの考え方から変わっていないのではないかと懸念しています。無論、例外はありますし、さらには、あまり報道もされないこともあって、私も含めて、多くの人が気がつかないだけで、実は優秀な企業経営者が沢山いて、もう海外の事例や日本のそれなどの研究など十分にしていて、日本での消費拡大の機会を虎視眈々と狙っているのかもしれません。あるいは、海外の優れた經營者がそれを狙っているのかもしれません。一昔前の、明治維新や、終戦直後の日本のように、近い将来新興勢力が旧い勢力にとって変わるのかもしれません。政治も、産業も本格的な新旧交代(年齢、経験を意味するのではなく、新たな考えと旧い考えの交代という意味)の時代を迎えているのかもしれません。

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政治主導、反省・行き過ぎ… 菅首相「脱・脱官僚宣言」―【私の論評】おしゃべり空き菅に明日はない?!

2011年1月21日金曜日

政治主導、反省・行き過ぎ… 菅首相「脱・脱官僚宣言」―【私の論評】おしゃべり空き菅に明日はない?!

政治主導、反省・行き過ぎ… 菅首相「脱・脱官僚宣言」



菅直人首相は21日午前、内閣改造を受け各省事務次官らを首相官邸に集めて訓示し、民主党が掲げる政治主導について「現実の政治運営の中で反省なり、行き過ぎなり、不十分なり、いろいろな問題があった」「いい形の協力関係をお願いしたい」と述べた。

事務次官会議の廃止や政務三役中心の政策決定といった政権運営のスタイルは変更しないものの、政策決定などで官僚を排除するのでなく、協力や協調を求める「脱・脱官僚」宣言と言える。

首相は訓示で「(官僚と)政治家との関係は試行錯誤があった。政治家も、『自分たちだけで大丈夫』では物事が進まないことを理解してきている」と発言。首相の言葉に、うなずく次官もいた。

菅政権は鳩山前政権に比べて官僚と共存する姿勢を強めており、昨年末には仙谷由人前官房長官が、政務三役会議に次官や官房長が同席するよう求めている。

【私の論評】おしゃべり空き菅に明日はない?!
民主党の政治主導は、最初から頓挫していました、やはり、思った通りになりました。菅さんは、財務大臣になったときから、もう完璧に財務官僚に取り込まれていたと思います。あの頃から、自らの方針などがないため、何でも財務官僚にいわれたことを、さも自分が考えたかのように語っているだけです。

いろいろと、学者などもアドバイスしているようですが、何人もの学者などの意見で、良いと思ったことをつまみ食いして何やらやってみたり、発言してみたりして、結局失敗や、失言に終わっているようなので、結局は、財務官僚考えが最も強く反映されているに違いありません。

その最たるものは、参議院議員選挙で敗因の一つにもなった、唐突な「消費税増税発言」だと思いす。これに関しては、マクロ経済的な観点からすれば、デフレ・ギャップの最中に実施すべき筋合いのものではありません。これは、以前にもこのブログの記事で掲載しました。

このことに関して、昨日WSJについて掲載しましたが、このWSJが消費税に関して面白い記事を掲載していたので、その部分を下にコピペしておきます。
財政再建のタカ派だが、デフレではハト派-。簡単に言えば、菅直人首相が14日の内閣改造で経済財政担当相に任命した与謝野馨氏はそういう考え方の持ち主だ。
経済拡大もまた大切だ。経済拡大なき財政再建は、抜本的な支出削減と増税なしにはほとんど不可能だ。それが与謝野氏には欠けるところだ。同氏は財政という国の問題の一部に集中しているだけで、もう一つの決定的な課題を無視しているからだ。それは名目成長率を金利以上に押し上げる必要があるというものだ。 
これにはデフレを終息させることが決定的に重要だ。与謝野氏の任命の結果、政府と協調して物価下落を克服するためもっと行動すべき日銀に対する圧力が弱まる可能性がある。2006年の経済担当相時代、与謝野氏は政府の月例経済報告から「デフレ」という言葉を早々と削除し、日銀に対する行動の圧力を弱めた経緯がある。
このデフレの最中に、財政再建だけに注力するのは、明らかに間違いです。このことは、私もこのブログに掲載しましたが、さすが、一流紙WSJだけあって、明瞭に簡潔に、スタイリュにまとめています。与謝野氏は、結局は、マクロ経済的な見方ができず、経済のほんの一側面であるプライマリー・バランスに拘泥している、年寄りにすぎません。

菅さんは、与謝野さんはもともと自民党の人間であり、財政改革は自民党の谷垣総裁も自民党の政策として掲げているものであり、与謝野さんを入閣させれば、自民党が歩み寄ってくる可能性が高いと判断したのだと思います。しかし、これは大きな誤算です。なぜなら、自民党も民主党と同じ寄り合い所帯であり、現行のデフレの最中に、財政再建を優先すれば景気が大きく落ち込むという、マクロ経済的にいえば、当たり前のことを懸念する人も数多くいます。

政権末期になると、与謝野氏は過去においては、いつも当該政権に入閣するということを繰り返しています。政権末期になると、政権内での主導権争いもあり、またさらに泥舟なので、閣僚というエサをまいてもなかなか政治家は寄ってこなくなります。その一方で、政権側は、末期であることを糊塗するために、それなりの人物をそろえなくてはいけません。こういうときに、与謝野氏もあわよくば政権を乗っ取りたいという思惑があるのだろうか、過去においては何とかして政権にもぐりこみ閣僚の席を獲得しました。しかしいままでのところ、その直後に政権は崩壊しています。

これは、小泉政権の末期から繰り返された光景なので、自民党関係者から与謝野氏は「墓堀人」と呼ばれています。

財務官僚など、本気で日本の経済のことなど考えていないと思います。自分たちの既得権益を守るためだけに、行動しているのです。だからこそ、財政再建を強力に推進しようとしているのです。これが、菅総理の目前の目標である、子ども手当の完全給付などマニフェストを実行するための財源探しなどと利害が一致しただけだと思います。それに、与謝野さんが入閣して、ますますこの路線を強化することになりました。

今度の改造内閣では、「増税すれば景気回復する」という菅総理、根っからの財政再建タカ派の与謝野財政担当大臣、「利上げすれば景気回復する」という枝野官房長官、「円高指向、財政再建指向」の藤井副長官と、デフレ・増税論者のそろい踏みです。もしそれが実行されたら、与謝野氏が昨年1月に書いた本の題名通り、「民主党が日本経済を破壊する」ことになるでしょう。

それと、菅さんは、日本の官僚の本質も判っていないと思います。ちなみに、経営学の大家ドラッカー氏は、最後の著書「ネクスト・ソサエティー」において、「日本の官僚に関する異説」を述べています。それを下に引用します。( )内は、ブログ管理人の注釈です。これに関しては、このブログに過去にも何回か引用したことがあります。
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第一が、日本の官僚の優位性はほとんどあらゆる先進国で見られるとの仮説である。アメリカといくつかのあまり人口の多くない英語圏の国、すなわち、オーストラリア、ニュージーランド、カナダのほうが例外である。日本の官僚の優位性は、他の先進国、特にフランスに比べるならまだまだ劣っている。(日本の官僚の数が多いという認識は全くの間違いです。確かにニュージーランドの役人数は少ないですが、ニュージーランドは人口そのものが数百万です。人口比で比較すれば、日本のほうが少ないです。英語圏以外の国では、フランスなどのように役人の権力は日本よりも強大です) 
第二が、日本の官僚は、われわれが考えるよりもはるかに耐久力があるというものである。日本の官僚は、長年の不祥事と無能の暴露にもかかわらず権力を維持してきた。(諸外国に例を見ない、特別会計が100年前から温存されてきたこと自体が、日本の官僚の権力維持能力が強固であることの査証です。民主党はこれを甘くみすぎている) 
第三が、先進国では、アメリカを別として、社会の維持にはエリートの指導力が必要されているというものである。後を継ぐべき者が現れないかぎり、既存の指導層に頼らざるを得ない。今日の日本には、官僚の後を継ぐものは現れそうにない。(残念ながら、今の民主党では、官僚のやっていることを統治することは困難である。政治主導とは幻想に過ぎず、現在の民主党は自らをあまりにも買いかぶりすぎている) 
第四が、日本では先送り戦略が有効であるというものである。日本は、この40年間、解決不能とされていた社会的な問題を、問題の解決よりもむしろ先送りによって二度までも解決してきた(前近代的農業人口の都市部への流入、前近代的な流通システムの改革)。もちろん今日の金融システムにおける構造上の脆弱さと資金的な余力を考えれば、今度ばかりは先送り戦略はうまくいかない(日本の金融機関は豊富な資金力が故に改革が困難である)。しかし経験的には、日本の先送り戦略には一概に不合理とはいえないものがある。(現在の民主党は、とにかく何かをやろうとする、それは、拙速で乱暴でさえある。しかし、今後も何もしないということのほうが、より合理的で、効果のあがる戦略である事案もある。たとえば、普天間問題など)
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このドラッカーの異説より、私は、民主党の政治主導、脱官僚は実際にはかなり難しいと思っていました。実際には、民主党は、政権交代をしてから、ただの一回も政治主導も、脱官僚もできなかったと思います。

それから、政治家と官僚の関係は、企業でいえば、トップ・マネジメントとミドル・マネジメントのような関係にあると思います。トップとミドルの間には、大きな溝があります。トップ・マネジメントは、無論経営者です。ミドル・マネジメントは、たとえ、大所帯のトップであったとしても、従業員であることには変わりありません。

トップ・マネジメントの仕事と、政治家の仕事を対比しつつ以下に掲載します。(  )内が政治家の仕事。

・会社(日本国)のミッション・ビジョン・ゴールの設定と実行

・組織(行政組織)を作り上げ、それを維持する役割‥明日のための人材を育成すること、トップの価値観を示し組織の基準とすること、組織構造を設計すること

・渉外の役割、顧客、取引先、金融機関、政府機関などとの関係を取り結ぶこと。(国内、外国との渉外)

・儀礼的役割、規模の小さい企業ほど逃れることのできない時間のかかる仕事となる。(国や世界の儀礼的役割)

・重大な危険に際して自ら出動する役割(これは政治家もトップマネジメントも同じこと、最近では、口蹄疫での政治家の役割が注目された)

ドラッカーは、これらの仕事は、それぞれ全く性格が異なるので、会社の規模が大きくなれば、経営者が一人で行うのは、不可能としています。そのため、トップ・マネジメント・チームをつくることが重要であるとしています。政治の世界も同じことです。

官僚の仕事は、本来は政治家が行う仕事を補佐するようなものです。それは、企業においては、トップマネジメントが事務や、営業活動を直接行わず、従業員にやらせ、自らは、上記のようなことを行なうのと同じことです。

まともな会社であれば、経営者と、従業員が対立するのではなく、互いに一つ目的に沿って協調するのが当たり前であって、どちらかがいらないなどというものでありません。経営者が存在しなくても、大変なことになりますし、従業員が存在しなければ、経営者も何もできません。

政治家と、役人の関係も同じことです。要するに、民主党は、会社でいえば、人を使えない、経営者ということになると思います。というより、彼らの行動をみていれば、人を使えない管理者にも成りきれていないようです。

しかし、国のあり方として、政治主導は当たり前のことであり、それが、現実に実現されているのか、そこなわれているのかは別にして、本来であれば、わざわざ最初から政治主導とか、脱官僚などという愚かなことは言うべきではなかったはずです。今回の菅さんの発言は、先の愚かな発言に対して、さらに恥の上塗りをしたにすぎません。

菅さんまた、失言してしまいましたね。わざわざ、「脱・脱官僚宣言」などすべきではなかったです。黙って、上記の経営者と従業員のような関係を官僚との間につくるべきだったと思います。いつものように、軽く口でいってしまい、後悔することもなく、おそらく、財務官僚たちを大喜びさせたと思います。

このような幼稚な判断しかできない、菅さん、それに民主党自体ももう、先はありませんね。次の選挙では間違いなく、敗北です。それに、このまま財政再建にのみ地道をあげれば、与謝野氏の著書『民主党が日本経済を破壊する』を実現することになり、多くの国民が離反することになります。このまま、生き恥を晒すくらいであれば、さっさと、衆院を解散して選挙をして自らの去就を国民に問うべきです。

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2011年1月20日木曜日

「脱記者クラブ」を宣言し、巨大広告主を激怒させて「一流紙の名声」を得たWSJ―【私の論評】日本の新聞が一流になれないのは、記者クラブがあるから?

「脱記者クラブ」を宣言し、巨大広告主を激怒させて「一流紙の名声」を得たWSJ



現代ビジネスと言うサイトに、牧野洋氏が「ジャーナリズムは死んだか」という興味深いコラムを書かれています。詳細は、以下のURLをご覧いただくこととして、以下にその要約を掲載しました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1931
記者クラブは必要なのか。業界団体である日本新聞協会の見解はこうだ。 
「記者クラブは、言論・報道の自由を求め日本の報道界が1世紀以上かけて培ってきた組織・制度なのです。国民の『知る権利』と密接にかかわる記者クラブの目的は、現代においても変わりはありません」 
国民の「知る権利」を守るために有効ならば、なぜ日本以外の主要国に記者クラブはないのだろうか。 
実は、半世紀ほど前のアメリカにも記者クラブはあった。自動車産業の一大集結地デトロイトの自動車記者クラブ、通称「オフレコクラブ(Off-the-Record Club)」だ。業界団体の建物の中に物理的に存在していたわけではないものの、日本の記者クラブと比べても実態は同じだった。 
20世紀は「アメリカの世紀」であり、「自動車の世紀」でもあった。第2次大戦直後の半世紀前はアメリカ自動車産業の絶頂期であり、ゼネラル・モーターズ(GM)は世界最大・最強企業として君臨していた。大手新聞・通信社にとっても、デトロイトはワシントンやニューヨークと並ぶ花形支局だった。 
  オフレコクラブはとっくの昔に解体されている。国民の「知る権利」を守るどころか、逆に損ねていると見なされたからだ。 
デトロイト報道界の記者クラブ的談合体質に反旗を翻したのは、経済紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)だ。1950年代前半、地元報道界の決まり事を無視して独自の報道を展開したことで、同紙は実質的な「出入り禁止」処分にされ、大口自動車広告もキャンセルされた。しかし、同紙が一流の経済紙へ躍進するきっかけにもなったのである。 
オフレコクラブをめぐる騒動については、エドワード・シャーフ著『ウォールストリート・ジャーナル』(ここでは原書『ワールドリー・パワー』を利用)のほか、リチャード・トーフェル著『レストレス・ジーニャス(不屈の天才)---バーニー・キルゴア、ウォールストリート・ジャーナル、近代ジャーナリズムの発明』に書かれている。 
シャーフは「タイム」などの雑誌記者出身だが、トーフェルはWSJの編集局次長を経験しており、内部からWSJの歴史を知る立場にある。現在は有力ネットメディア「プロパブリカ」の幹部だ。2人とも、「WSJ中興の祖」バーニー・キルゴアに焦点を当てながらWSJが一流紙へ脱皮する経緯を描いている。 
以下、シャーフ本とトーフェル本を基にしてWSJ小史を紹介したい。日本の記者クラブ問題を語るうえで貴重な判断材料を提供してくれるからだ。 
オフレコクラブは、大手メディアのデトロイト支局記者と自動車メーカーの経営幹部が定期的に意見交換する懇談会のことだ。 
メーカー側の事情を考えれば当然だった。発表前に新モデルが公にされると、旧モデルが売れなくなってしまう。大幅なモデルチェンジが予定されている場合はなおさらだ。メーカー側としては、旧モデルの在庫を一掃するのを待って新モデルを発表したい。そのためにはモデルチェンジの内容はもちろん、発表タイミングも秘密にする必要がある。 
ここでの「ジャーナリズムとは言えない」とは、「国民の『知る権利』には応えられない」とほぼ同義と見なせるだろう。ちなみに、日本の記者クラブで行われる「オフレコ懇談会」の問題点については、以前の記事(ウォーターゲート事件のディープスロートさえ「オフレコ取材」ではなかった)の中で取り上げた。 
GMだけでなく同業他社からも除け者に
ウィリアムズがWSJ史に残る記事を書いたのは1954年5月28日だ。同日付のWSJ紙面上で、彼は同年秋に発売予定の55年型モデルの詳細をすっぱ抜き、「55年型モデルのデザインは一新される。半世紀に及ぶ自動車業界史上、これほど大幅なデザイン変更は初めて」と書いた。新モデルの完成予想図まで載せた。 
いわゆる「黒板協定」を破ったのと同じだった。日本の記者クラブでは、役所や業界など「取材される側」が今後の発表予定をクラブ内の黒板に書き出す。いったん黒板に書き出せば、発表前にニュースを書かれる心配はなくなる。抜け駆けしてニュースを書いた記者は、クラブの規定に従って除名や出入り禁止などの処分を受けかねないのだ。 
ウィリアムズはオフレコクラブに入会していなかったから、公式に処分されることはなかった。それでも嫌がらせを受け、実質的に出入り禁止にされた。例えば、自動車市場で50%のシェアを握るGMの広報室に電話をかけても、誰も折り返しの電話をくれなくなった。それどころか、毎週金曜日にGMが発表する週間生産台数などの情報も提供されなくなった。
ウィリアムズは同業他社からも除け者にされた。APのデトロイト支局に連絡を入れてGMの週間生産台数を教えてもらおうとすると、冷たく対応された。WSJはAPに加盟料を払って記事の配信を受ける立場にあるのに、である。週間生産台数などの数字を握る自動車業界誌「ウォーズ・オートモティブ・リポート」も読めなかった。一方的に購読契約を解除されていたのだ。 
週刊誌「ニューズウィーク」はウィリアムズに手厳しく、次のように論評した。 
「デトロイト報道界は今回の騒ぎを複雑な思いで見ている。ウィリアムズはちょっとやり過ぎたのはないかという意見もある。(中略)業界のカクテルパーティーに出席中に、取材ノートを取り出してメモを取り始めることもあった。 
それに、新モデルをすっぱ抜いたからといって記者として優秀というわけでもない。なぜなら、『協定』を守るつもりさえなければ、誰にでもすっぱ抜きはできるのだ」 
GMは情報面に加えてカネの面でもWSJに圧力をかけた。広告代理店5社経由でWSJへの広告出稿を全面ストップしたのだ。当時、アメリカ全国の新聞広告のうち自動車は5分の1以上を占めており、その中でも最大手GMの広告は突出していた。 
キルゴアはWSJの論説面を使って、圧力に屈しない姿勢を鮮明にした。 
「新聞は情報を読者に届けるためだけに存在する。ほかに理由はない。読者にとっての新聞の価値とは何か。今何が起きているのかについて真実を明らかにし、きちんと伝えること。これに尽きる。広告主などからの圧力で伝えるべきニュースを伝えなくなったら、新聞は広告主も含め誰にとっても何の役にも立たなくなる。読者を失ってしまうからだ」 
世界の一流紙といわれているウォール・ストリート・ジャーナルのサイト画面
記者クラブから脱退宣言をする新聞社よ、出てこい
GMによる広告ストップや情報提供拒否は1週間以上にわたって公にならなかった。GMは何も発表しなかったし、WSJは何も報道しなかったからだ。 
しかし、WSJが上記の論説を掲載したのとほぼ同じタイミングで、広告専門誌「アドバタイジング・エイジ」がGMによる広告ストップをスクープし、大騒ぎになった。ニューヨーク・タイムズは「WSJをブラックリストに載せるGM」と報じた。 
WSJは当事者であることからニュース面で追いかけるわけにはいかなかった。代わりに、6月21日付の論説面でニューヨーク・タイムズの「WSJをブラックリストに載せるGM」記事をそのまま転載した。その理由について、「WSJ自身が事件の当事者になってしまったので、読者の皆さんには独立した第三者の報道を読んでもらうべきだと判断しました」と説明した。 
GM対WSJの結末は? 結論から言えば、WSJの圧勝だった。 
デトロイトでは自動車業界からも同業他社からも目の敵にされたWSJだが、デトロイト以外では「アメリカ最強の広告主に敢然と立ち向かう新聞」として逆に名声を高めた。2カ月後にはGMも広告ボイコットを取り下げざるを得なくなった。トヨタ自動車が広告の全面ストップという脅しをかけたら、日本の新聞社はどう対応するだろうか。 
取材面でも「出入り禁止」効果は限定的だった。確かにWSJにはデトロイト支局からニュースがなかなか入ってこなくなった。だが、同紙は全国に取材ネットワークを築いており、同支局に頼らなくても自動車業界の情報を収集できた。自動車ニュースについては「よいしょ記事」が減ったことでむしろ紙面の質が高まった。 
目先の巨額広告料と長期的な名声を比べれば、新聞社にとっては明らかに後者が重要だ。WSJの歴史がそれを証明している。同紙は記者クラブ的な談合体質と決別したことで、「アメリカを代表する一流紙」としての地位を確立したのである(ただし、新聞王ルパート・マードック傘下に入ってからの過去数年間は、同紙の質低下が懸念されている)。 
日本新聞協会が言うように、記者クラブは国民の『知る権利』を守るのか。WSJの歴史を教訓とすれば、「記者クラブは国民の『知る権利』を損ねる」とも言えるのではないのか。日本でも記者クラブ脱退を宣言する新聞社が現れれば、日本新聞協会の見解が正しいかどうか検証できるのだが・・・。
【私の論評】日本の新聞が一流になれないのは、記者クラブがあるから?
以下に、この問題に詳しくない人のために、この問題の要点をwikipediaから引用してまとめておきます。詳細は、wikipediaなどご自分で参照してください。
記者クラブは、公的機関や業界団体などの各組織を継続取材しています。おもに大手メディアが構成している組織。英語では「kisha club」ないしは「kisha kurabu」と表記されます。日本外国特派員協会などの、大手メディア以外の記者、ジャーナリストも加盟できる「プレスクラブ」とは全く性格を異にするほぼ日本独特のシステムであり、フリーの記者などに対し排他的であるとして近年、批判を浴びています。 
記者クラブは前述の通り、大手メディアが組織しています。従って会員制と言えますが、大手以外のジャーナリストなどの入会は難しいのが現実です。日本新聞協会は入会資格を「公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務」「報道という公共的な目的を共有」「記者クラブの運営に、一定の責任」「最も重要なのは、報道倫理の厳守」と説明しています。 
実際に入会審査するのは各記者クラブですが、審査過程は不透明で、加盟社が1社でも反対すれば入会は認められず事実上、新規参入が阻害されています。外国メディアへの対応もこれと同じで、入会を巡って激しい交渉が行われました。クラブのその排他性から「情報カルテル」「談合」「護送船団方式」と表現されることもあります。取材源側が親睦団体の建前を利用し、「官報接待」などを行うことも多々あります。
入会を希望するジャーナリストの中には、クラブの一員になりたいのではなく、記者会見で取材がしたいだけという者もおり、記者クラブに代わる認定制度・会見制度を求める意見があります。 
また、これまでOECDやEU議会などから記者クラブの改善勧告を受けていますが、一貫して大手メディアは記者クラブに関する事柄を報道しないため、国民は、記者クラブの持つ閉鎖性を知る機会が限られてしまっています。
記者会見・記者室の完全開放を求める会というものが存在しています。この会の目標として、記者クラブに入れないジャーナリストを「記者会見に参加させろ」の趣旨のようです。世界の大勢からすると記者クラブは日本とジンバブエにのみ見られる、極めて珍しい閉鎖的体制ですから、根本的には「グローバル・スタンダード」に則って、進んで記者クラブ側が開放しなければならないものと思います。

しかし、記者クラブ側にそんな気はサラサラないようです。なんと言っても長年築き上げ、享受し続けてて来た「既得権益」ですから、「日本の特殊性」を大義名分として死守する構えを崩しません。この既得権益を譲り渡してしまうと、既存メディアが他のメディアに対して優位に立てる面が乏しくなりますから、まるで聖域のような様相になっています。

それでも記者クラブ問題は、既製メディアの必死の鎮静化にも関らずじわじわと火の手を広げています。背景にはここ数年続いている報道不況があります。既製メディアは新聞を筆頭として、すべてのメディアで退潮傾向が顕著です。業績が苦しくなると、商売でジャーナリストをやっている人たちのパイが少なくなることになります。パイの奪いあいの中で、記者クラブはいまのままでは存続することは不可能になっていくことでしょう。

この傾向は、しばらく続くことでしょう。ネットなどで情報を集める人にとっては、日本のマスコミが非常におかしいことは周知の事実です。政治、経済、社会どの側面をとっても、今の新聞報道は偏りがあります。いわゆる発生した事件のその出来事事態を報道することに関しては、それなりにまともに報道しているようにもみえますが、それでもその背景まで含めた報道はどこか歪でいるとしか思えないような報道がなされているというのが実態です。

記者クラブ問題については、このブログではあまり扱ってはきませんでしたが、新聞報道のおかしさについては再三にわたって掲載してきました。

私は、日本の新聞が、世界の一流紙になれないのは、他の国にはない記者クラブ制度があるからではないかと疑っています。日本の新聞が、他国の新聞などと比較して、根本的劣っているのは、何も今に始まったことではありません。おそらく、100年も前からそうだったのだと思います。

ただし、昔は、一般の人のニュースソースといえば、新聞などのメディアしかなかったので、本当のことを知っていた人は、ごく一握りの人だったからに違いありません。高いコミュニケーション・コストをさいてでも、情報を仕入れるお金持ちか、当事者と当事者のまわり人しか真相は知らなかったのだと思います。だから、マスコミの報道内容に関して、疑問を持つ人は現在から比較すれば、極少数だったのだと思います。私も、はずかしながら、マスコミのおかしさについて、はっきり認識したのは大学に入ってからのことで、そのことについては、環境問題関連のことで、このブログにも掲載したことがあります。

現在では、従来から比較すれば、コミュニケーション・コストが低くなり、インターネットがあり、新聞報道に関する裏づけなど知ろうと思えば、いくらでも調べることができます。実際ネットを見ていると、中高生が「大人って馬鹿だ、インターネットで自分でいろいろ調べれば判ることなのに、新聞報道を鵜呑みにしている」などの書き込みをみたのは、一度や二度ではありません。特に、若い世代で、この裏づけをとるという人か増えつつあります。

今後、アップルTVや、GoogleTVなどが普及してくると、わざわざ、パソコンやiPadなどに向かわなくても、いろいろなニユースを、文字情報、映像にかかわらず、ますます簡単に低コストで入手可能な時代になってきます。きっと、有料であっても、月々数百円で既存のメディアをはるかに凌駕したメディアがいずれできあがります。そんなときに、今のままの新聞などの既存メディアは太刀打ちできなくなります。

現在は、音楽配信サイトがあり、CDの売上が極端に落ちています。私自身も、ここ2~3年はCDを購入した記憶がありません。CDは言うに及ばず、昔のカセットテープ、SP、LPはほとんど姿を消しています。メディアというものは、時代の変遷とともに変わっていくのが当たり前だと思います。音楽コンテンツ自体も、世の中が変わると変遷していきます。クラシックなどの一部を除いては、100年前のポピュラー音楽は今では、ほとんど売れないでしょう。

そのことに気づかないので、多くの新聞社は、音楽の世界でいえば、今やぜんまい仕掛けの蓄音機のような記者クラブにしがみ続けるのだと思います。私は、現状をみれば、かつてのWSJが記者クラブを抜けて、一流紙になったことを思い起こせば、日本の新聞社などの生き残る道は、旧態依然とした記者クラブに居続けるより、そこから抜けて、自ら世界の一流紙を目指す道を選ぶことしかないようにみえます。

意外とあと20年もしないうちに、「記者クラブ博物館」なるものができて、昔はこのような形で報道が行われていたという内容が陳列されるのではないか思います。そうして、年配者が昔の活版印刷の活字を見るように懐かしむようになるのではないかと思います。その展示物の中には、各社の新聞紙自体も陳列されるのではないかと思います。無論、きっと、iPadのようなタッチパネルの大きな画面でも、それらが参照できるようになっていて、歴史的史実と照らし合わせて、どこに問題があったのかも、豊富な文字情報、動画情報などによって同時に知ることができるようになっているに違いありません。


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2011年1月19日水曜日

もう"音楽プレーヤー"の枠は超えた - iPod touchの目指すところ―【私の論評】確かに超えている!!

http://journal.mycom.co.jp/articles/2011/01/18/ipodtouch/index.html


【私の論評】確かに超えている!!
私は、現在iPhoneを所有しています。そうして、いわゆる携帯電話はこれ一つのみです。所有してから思ったのですが、前の携帯電話はそのま持っていて、iPhoneではなくて、iPod tuchを購入すればよかったと・・・・・。

なぜなら、確かに、iPad touchは、電話機能のないiPhoneと揶揄されているように、iPhoneから形態電話機能を取り除いたものといっても過言ではないからです。であれは、従来の携帯電話はそのまま持っていて、iPod Touchを購入すれば、携帯電話は形態電話で、現在のiPhoneには足りない機能もありますから、それらを使うことができますし、一方iPhoneの機能に関しては、携帯電話だけのぞいてiPod Touchで同等のものが入手できるというわけです。

以前、テレビで、iPhoneと携帯電話の2台を所有している人が、結構いるという内容を見たことがあります。こういう人には、うってつけのやり方だと思います。

今の時代は、やはり、携帯電話でないと、いろいろと都合の悪いこともあるので、やはり、今の時点では、どんな形式であっても携帯電話は一台持っていたほうが良いです。

しかし、iPhoneを持ってから、これで、skypeやviberも使えので、使ってみたら、もう、これって完璧に電話ですね。しかも、通信費が無料というところが素晴らしいです。ただし、今のところ、skypeを使っている人や会社など限られるのと、skypeを待ち受けにしていているとやたら電気が喰うということでやはり、今のところやはり、携帯電話のほうが使い勝手は良いです。

しかし、viberなら待ち受けにしなくても、使えるので、電力消費も少なくて、すみます。これなら、もうほとんど電話と何も変わりません。ただし、これは、skypeよりもさらに、使っている人が少ないので、やはり、今のところは、携帯電話に軍配があがります。

しかし、skypeやViberを使う人が増えた場合、最早、携帯電話はいらなくななりますね。iPodのようなものを使えば、それで良いということになります。ただし、iPodであれば、wifiなどの無線ランが使えないと通信もできないということになってしまいます。

しかし、今なら、ポケットwifiもありますし、それどころか、wifiルーターで、アンドロイド携帯の機能を持っているものまで現れています。私自身も、以前の有線のランは、やめて、今では、wimaxのSpeedwifi(他社でいうところのボケッとwifiと同じ)を用いています。これを持っていれば、ほぼ、どこでも、iPodも使えるというわけです。

さて、私は、上記の記事では、いまやiPodシリーズの中核製品として、たんなる"音楽プレーヤー"を超えたデバイスとして、新たな市場にそのターゲットを定めている。ライバルは音楽プレーヤーではなく携帯ゲーム機としていますが、私は、ジョブスは、ひよっとして現在の携帯電話なるものがこの世から消えてしまうことを視野に入れているのではないかと思っています。

それから、非常に気になるのが、アンドロイドのiPod版のようなものがでてくるのかどうかということです。でも、これに関しては、SIMロックタイプのアンドロイド携帯があるので、SIMカードを入れなければ、携帯電話としては使えないわけですから、わざわざ、iPodのようなものをつくらなくても良いのかもしれません。

いずれにせよ、iPodが今後どのように変遷していくのか、これからも、追いかけて行き、なにか変化があれば、このブログに掲載します。


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2011年1月18日火曜日

Appleを復活させた「魔法使い」、ジョブス氏の休職―【私の論評】ジョブスの生き方は、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という日本人の理想を体現している!?

Appleを復活させた「魔法使い」、ジョブス氏の休職


大衆を魅了し続けるジョブス氏
スティーブ・ジョブズ氏が療養のため休職するが、iPodやiPhoneを生み出した同氏は、多くのAppleファンや投資家から代わりがきかない存在と考えられている。

スティーブ・ジョブズ氏(55)はAppleのCEOを2度にわたって務めた間に、パーソナルコンピューティングの方向を変えた。その間にその独特のスタイルとiPod、iPhone、iPad、Macという象徴的な製品は、同氏の名を世間に知らしめた。

同氏は1月17日、治療に専念するために療養休暇を取ると明らかにした。健康問題による前回の休職から2年ぶりとなる。同氏は、ほかの人では代わりがきかないと多くのAppleファンや投資家に考えられており、過去にはすい臓がんを患ったこともある。

同氏の健康問題についてはこれまで開示が不十分だと批判されているが、同氏は今回も自身の健康状態について何も説明していない。

これまで病気を抱えながら、ジョブズ氏はAppleのイベントで華々しく最新の製品を発表し続け、顧客や社員、アナリストは一様に同氏のやせ細った姿から憶測をめぐらせていた。

同氏は12年ぶりにCEOに復帰した後、Appleをよみがえらせた。それは主に、大人気となったiPodを生み出したデザインへの情熱によるものだ。

iPodは2001年の発売以来、2億5000万台以上売れている。

Appleは2007年、タッチスクリーンのiPhone――半宗教的なファンからは「ジーザスフォン」と呼ばれる――で携帯電話市場を変え、1年前にはiPadを立ち上げてタブレットコンピュータの新たな市場を作った。

「スティーブ・ジョブス氏はマーケットから、Appleの戦略的な方向に強い影響力を持つと見られている」と野村のグローバルテクノロジースペシャリスト、リチャード・ウィンザー氏は17日に語った。

しかし近年では、同氏の健康状態と、Appleを率いる能力への疑問も持ち上がり、同氏の過去の業績と今後の展望に影を投げかけかねない状況にあった。

同氏は2004年に珍しいが治療しやすいタイプのすい臓がんから回復した後、2009年前半に療養休暇を取った。「ホルモンバランスの異常」と説明していた自身の健康問題が、思ったより複雑だったためとしていた。

ブログでは、同氏が以前のがんの合併症にかかっているのではないかとのうわさが飛び交った。同氏は後に、休職中に肝臓移植を受けたことを明らかにした。

今回、一部のアナリストは、ジョブズ氏が引退して後継者――ジョブズ氏不在の間Appleを経営してきたティム・クックCOO(最高執行責任者)かもしれない――に会社を引き渡す準備までしているかもしれないと考えている。

成功、追放、そして復活

ジョブズ氏は仏教徒で、養父母の下で育てられ、大学を中退した経歴を持つ。同氏は1970年代後半に友人のスティーブ・ウォズニアック氏と、シリコンバレーにある自宅のガレージでApple Computerを立ち上げた。

Appleは程なく、「Apple 1」を投入した。だが、大成功を収めたのは「Apple II」で、同製品はAppleを当時緒に付いたばかりのPC業界で重要なプレイヤーの地位に押し上げた。その結果、1980年の株式公開でジョブズ氏は億万長者となった。

1983年に、ジョブズ氏がPepsiのCEOだったジョン・スカリー氏を「残りの人生を砂糖水を売って過ごしたいか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか」と口説いてAppleのCEOに引き抜いた話は有名だ。

その1年後、使いやすいグラフィカルユーザーインタフェースを備え、世界で初めて成功した商用コンピュータ「Macintosh」が登場した。

Macが成功したにもかかわらず――おそらくはその成功も一因だったのだろうが――ジョブズ氏とスカリー氏の関係は悪化した。1985年には、取締役会がジョブズ氏の権限のほとんどを取り上げ、同氏はAppleを去り、保有していた同社株を1株だけ残して売却した。

その後ジョブズ氏が設立したコンピュータ企業NeXTをAppleが買収することで、1997年に同氏はAppleに復帰した。同氏は暫定CEOとなり、2000年にAppleは肩書きから「暫定」を外した。

2001年にAppleはiPodを立ち上げた。そのエレガントでシンプルなデザインは、テクノロジーとメディアを融合させる革新者としてのジョブズ氏の伝説を揺ぎないものにした。

ジョブズ氏はAppleでの仕事に加えて、1986年にアニメ映画制作会社Pixarをエドウィン・キャットムル氏、アルビー・レイ・スミス氏とともに設立し、Lucasfilmのコンピュータグラフィックス部門を1000万ドルで買収した。

1995年にCGアニメ映画「トイ・ストーリー」を公開。その後アカデミー賞を受賞した「Mr.インクレディブル」「レミーのおいしいレストラン」「モンスターズ・インク」などの作品を投入した。

Walt Disneyが2006年にPixarを買収した際、ジョブズ氏はDisneyの取締役と筆頭株主になった。

(ITMedia)

【私の論評】ジョブスの生き方は、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という日本人の理想を体現している!?
ジョブスの凄さは、何といってもプレゼンのうまさです。特に経営者では、彼の右にでるものはいないでしょう。下の動画を御覧になると、ジョブスのプレゼンの仕方の流儀がわかります。


さて、上の動画で、書籍の編集者が、ジョブスのプレゼンの凄さの秘訣の一つを「一回に覚えられることは三つまでであり、ジョブズはプレゼンのときに要点を三つにまとめる」と語ってしました。下の動画は、プレゼンではありませんが、ジョブスの伝説のスピーチといわれたものの動画です。ここでも、ジョブスは、要点を三つにまとめて語っています。下の動画では、特にジョブスの語る「死を意識することの意義」に着目していただきたいです。




さて、この魅力ある人物について、以前ASCIIが過去にこのように評していました。その一部を下に抜き書きします。
■二面性のある人物像
企業における部下の掌握術のひとつに、「飴と鞭を使い分ける」というものがある。言葉を換えれば、褒めるべきところはしっかり褒め、叱責すべきところはきちんと叱責するということだ。スティーブ・ジョブズは、この面でも非常に長けている。 
あるときには、些細なことから大勢の同僚の前で部下を怒鳴り散らし、自信喪失に至らせてしまう。しかし、それを乗り越えて水準を超える働きをした者には、最大級の賛辞を惜しまない。 
良く言えば感情が豊かであり、悪く言えば気まぐれとも感じられる彼には、その性格を巧みに操って、周囲の人間たちに自らのビジョンを説き、納得させてきた歴史がある。思えば、70年代後半のアップル創生期、同社は「2人のスティーブ」で成り立っていると言われていた。それは、スティーブ・ジョブズと、当時のベストセラー製品だったアップルIIの開発者、スティーブ・ウォズニアックのふたりのことだ。 
そして時は流れても、アップルは相変わらずふたりのスティーブで成り立っていると言える。ジョブズの中に存在する、温厚で人をやる気にさせるグッド・スティーブと、冷酷で人を震え上がらせるバッド・スティーブである。 
■良くも悪くも人をひきつける「カリスマ」
しかし、そのどちらが欠けても魅力的なアップル製品は生まれてこなかっただろう。カリスマ的という言葉で片づけるのは簡単だが、確かにジョブズは、良くも悪くも人を惹きつける魅力と、周囲の人間を巻き込んで何かを成し遂げる力を秘めている。可もなく不可もないような人間からは、そうした推進力は生まれない。 
そのためにスタッフが受けるプレッシャーも相当なものだが、アップルには、ほんの数ヵ月もしないうちに、いたたまれなくなって辞めてしまう人間が居る反面、もう15年以上もジョブズの下で活躍してきたメンバーも存在する。彼らが口々に指摘するのは、自らの限界を超える力を発揮して何かを創造することは、ジョブズなしには不可能だったということだ。
上の二面性のある人物ということでは、優れた経営者はみなそうだと思います。そうでなければ、優れた経営者にはなれません。なぜかといえば、企業のなかで、経営者はトレードオフの問題に適切に対処しなければならないからです。

トレードオフ(trade-off)とは、一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという二律背反の状態・関係のことを意味します。トレードオフのある状況では具体的な選択肢の長所と短所をすべて考慮したうえで決定を行うことが求められます。

たとえば、企業は、特に経営者レベルであれば、10年後のことを考えて経営する必要があります。そのために、今から準備していく必要があります。それこそ、10年後の理想の姿にたって、そこから現在をふりかえって現在を考えます。しかし、今のことをおろそかにしていれば、企業が成り立たなくなることさえあります。

今のことを無視して、将来のことばかり考えて、投資などどんどんやってしまえば、今が駄目になってしまいます。かといって、今のことだけ考えて、それに対処しているだけでは、今度は、10年後に企業がだめになって、時代に適応できなくなって潰れてしまいます。あるいは、10年後のことを考えて、現在のことを実施する場合には、今やっていることをやめて新しいやりかたを導入する必要があり、、その新しいやり方をすれば、現在のやり方よりも、効率が一時落ちる場合すらあります。このトレードオフをうまくバランスさせていくのが経営者の大きな役割の一つです。

これは、人に対しても同じことです、ある人に対して、叱責し、ある人には賛辞を惜しまないということはもとより、同じ人に対してさえも、ある時は叱責し、ある時には賛辞をおしまないということは、ジョブスに限らず、優れた経営者ならだれでもそうです。ジョブスも、優れた経営者の一人であるということです。

上記の文章で気になるのは、やはり、「良くも悪くも人をひきつけるカリスマ」というくだりです。

この文章を書いた人が「カリスマ」に対してどのような観念を持っているのかわかりませんが、本人自身が、「カリスマ的という言葉で片づけるのは簡単だが・・・・」と書いてるように、私は、ジョブスを簡単にカリスマと片付ける事はできないと思います。

経営学大家、ドラッカーは、カリスマのことについて、著書に以下のように述べてます。

 「新しい現実を踏まえた政治のモットーは、カリスマを警戒せよでなければならない」(『新しい現実』)

ドラッカーは、20世紀ほどカリスマ的なリーダーに恵まれた世紀はなかったといいます。その代表格が4人の巨大なカリスマ、ヒトラー、レーニン、スターリン、毛沢東でした。

そもそもカリスマは唯一無二とする万能薬まがいのプログラムを手にしない限り、なにもできません。それら万能薬を強制するうえで力を発揮できるにすぎないからです。

ところが、いまやそのようなプログラムが存在しません。したがってカリスマ的リーダーはまったく不要です。リーダーシップは必要です。しかしそれは、今日リーダーシップと名づけられ喧伝されているものとは違います。それはいわゆるリーダー的資質とは関係ありません。カリスマ性とはさらに関係がありません。

リーダーシップにはいささかの神秘性もない。それは平凡で退屈なものです。

リンカーンほどカリスマ性のない人物はいませんでした。チャーチルにもカリスマ性はありませんでした。

それどころかカリスマ性はリーダーたらんとする者を破滅させる。ほかならぬそのカリスマ性が、自らの不滅性を妄信させ、柔軟性を奪い、変化不能とするからである。「リーダーシップの本質は行動にある。リーダーシップそれ自体はよいものでも望ましいものでもない。それは手段である」(『未来企業』)

そうして、さらに、ドラッカーはリーダーシップについて、以下のように述べています。

「リーダーシップとは人を引きつけることではない。そのようなものは煽動的資質にすぎない。仲間をつくり、人に影響を与えることでもない。そのようなものはセールスマンシップにすぎない」(『現代の経営』)

リーダーシップとは仕事であるとドラッカーは断言しています。リーダーシップの素地として、責任の原則、成果の基準、人と仕事への敬意に優るものはありません。

リーダーシップとは、資質でもカリスマ性でもない。意味あるリーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見えるかたちで確立することです。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者です。

リーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく望ましいかを考え抜く。リーダーの仕事は明快な音を出すトランペットになることだとドラッカーは言います

さて、うえの文章では「もう15年以上もジョブズの下で活躍してきたメンバーも存在する。彼らが口々に指摘するのは、自らの限界を超える力を発揮して何かを創造することは、ジョブズなしには不可能だったということだ」としています。

私は、これがジョブスの本質であり、ジョブスのリーダーシップの発揮を端的に物語っている逸話だと思います。まさに、凡人をもって、非凡なことをなさせる技をジョブスは持っているのだと思います。


ドラッカー氏から直接薫陶を受けた、ジェームズ・コリンズ氏も、その著書「ビジョナリー・カンパニー」の中で、「カリスマ性を持った人物が在任中はそれで引っ張れたとしても、退任後、組織がダメになることが多い」と述べています。

むしろ良いリーダーは、「時を告げるのではなく、時計を作る」と述べています。

「時を告げる」というのは、時計が鳴るように、大きな音で目立つパフォーマンスをするという意味のようです。

「時計を作る」というのは、組織を時計のような精密機器に見立てて、それを作り込んでいくような行為のことだ。またあなたが退任しても時を刻み続ける組織を造りなさい、ということを意味しているようです。

さて、ジョブスはどうなのでしょうか?彼は、アップルという組織に、「時計」をつくりこんでいるのでしょうか?個人としての指導者はいかにカリスマ性があってもいつかはこの世を去ります。すばらしいアイデアもいつかは時代遅れになります。ビジョナリーカンパニーは時代を超えて発展する企業です。

ジョブスは、上の動画の中で、「死を意識すること」の意義、特にポジティブな面を強調していました。これは、日本の武士道の中の「葉隠れ」の思想とも根本では相通じるところがあります。まさに、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉を真の意味で実践しているようです。葉隠れは、一部の人々が曲解しているように、死を美化するものではありません。というより、まさに、上の動画でスティーブ・ジョブスが「死を意識すること」の意義と似ています。というより、生まれ育った環境や活躍してる舞台がIT業界であることなど葉隠れの思想がでてきた時代背景とは大きく異なるので、表現や、出てくる行動が少し異なるようにみえても、本質的には同じだと思います。

今の多くの日本人が忘れてしまったこのような生き方、少なくとも、少し前までは、多くの日本人の理想とした生き方、彼の生き方は、それを私たちに思い出させてくれます。だからこそ、日本でもジョブスに人気があるのだと思います。今日本では、産業に活気がありません。ジョブスがやってきたような、イノベーションは、少し前までなら日本が行っていたと思います。私は、そのようなイノベーションが行われなくなった今の日本、背景にはジョブスのような一昔前の日本人が理想とする生き方を多くの日本人が忘れてしまったからではないかと、危惧しています。

さて、そう思って現在のジョブスを見ると、あの有名なプレゼンでみせる、黒を基調とした服装、ジーンズという飾らないいでたち、なにやら、戦に挑む日本の古武士のようにも見えてきます。あの全身全霊を傾けて、ものごとに取り組む姿勢とエネルギーは、本質的には「葉隠れの思想」から沸き出でてくるものであることが、理解できます。今の若い世代には、「葉隠れ」と言っても、ほんどの人が何のことかも理解していないようです。いつから、日本の優れた世界に誇るべき伝統文化が、継承されなくなってしまったのか!!本当に残念なことです。

だから、私は、ジョブスを単純にカリスマとは呼びたくはありません。私は、彼を偉大なリーダーであると呼びたいです。日本にこのような生き方をする政治家や経営者が昨今、非常に少なくなってきたことを残念に思います。

さて、ジョブス氏、容態はどうなのでしょうか?重病説もささやかれていますが、彼は、まだ56歳、これから経営者として円熟味が増してくる年代だと思います。これからは、特に経営者として優れた手腕を発揮していただきたいものです。はやく、病を克服して、カムバックしていただきたいものです。


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2011年1月17日月曜日

情報管理大丈夫?78大学がメールに民間利用―【私の論評】情報や知識が盗まれたことによって、すぐに競争力を失う企業は最早まともな企業とは言いがたい?!

情報管理大丈夫?78大学がメールに民間利用


学内のメールシステムに、グーグルなどの民間企業が無償で提供するクラウド型サービスを採用する大学が増えている。

読売新聞の調べでは、少なくとも全国の78大学が導入。経費を節減したい大学側と、自社サイトの利用率アップを狙う企業側の思惑が一致した結果だが、データを管理するサーバーが海外に置かれるケースもあるとみられ、専門家からは情報管理の安全性について疑問視する声も出ている。



読売新聞が全国の主要大学に聞き取り調査をしたところ、国公立大14校、私大64校がシステムの保守管理を一部または全部、企業に委託していると回答した。これは全国で800近くある大学の約1割を占める。

2007年に日大がグーグルのシステムを採用したのが最初で、その後急増。導入すると、教職員や在学生、卒業生らにメールアドレスが付与され、スケジュール管理機能や、ネット上での文書共有機能も利用できる。アドレス表記は大学で独自運用していた時と同じで、部外者には企業が管理するものとは分からない。

(2011年1月17日03時08分  読売新聞)

【私の論評】情報や知識が盗まれたことによって、すぐに競争力を失う企業は最早まともな企業とは言いがたい?!
このことについては、これをクラウドを用いないで実現するとしたら、とてつもない規模のシステムと労力が必要になることは、以前このブログにも掲載しました。

その内容の一部を下に掲載します。
多くの会社では、Google Apps(一人5000円/年)程度の契約をしています。これで得られる容量は、メールで25Gバイトである。ダウンタイム基準で99.9%のサービスレベルを保証しています。れは、最近さらに改善されました。 
これを従来のように、インターネットやクラウドを使わずに、ベンダーからサーバーを仕入れて、メールサーバー、ファイルサーバー、認証サーバーなどを設定し、社員1名にこれだけの保管領域とサービスレベルを提供するとなれば、膨大な投資を必要とします。 
これが、他のシステムの場合どういうことになるでしょうか?経理のシステムであろうが、CRMであろうが、今では、大人数の人が入力したり、多方面から情報が入ってくるようになっています。そんなとき、上のように自らサーバーを持って実施するということになれば、それこそ、気が遠くなりそうです。
まさに、クラウドを用いなければ、どこの企業でも、とてつもないことになります。しかし、情報資産を一度インターネット上のクラウドに「出してしまえば」、どこからでもアクセスできます。わざわざ、LANとか、WANなどを組む必要性はありません。

それに、Mail、Calendar、ファイルサーバー(ファイル共有)といった、基本的なグループウェアが、今ではまさに、クラウドから超低コストで提供されているのです。

大学に限らず、企業でも、レガシー資産(主に、昨今のようにWeb化が進められる以前に、メインフレームを介してネットワークを構築していたシステムなどの資産)を抱えていたり、グローバルな環境に対応する必要があります。世界の多くの国ではインターネットの利用環境が整っているとは言い難いので、その対応には、多くの労力と時間がかかったりします。これに関しては、あのペンタゴンが9.11の時に使用していた情報機器が相当古かった(7、8年前のパソコンなど使っていた)ことでも、明るみに出たことがありました。

しかし、世の中はすでに、インターネットを前提として進んでいます。以前にも、このブログで掲載したように、Googleは、Chrome OSを搭載した超低価格パソコンにより、貧困層の人々にも自分たちのクラウドを活用できるような体制を整えることを目論んでいます。インターネットそのものは、そもそもデーターが他者のシステムを通過することを前提としているため、ご存じのように最初から情報漏洩に関しては、脆弱性があることははっきりしています。ただし、もともとは、軍事用に作られていて、世界中の拠点(ノード)のほとんどが消滅してしまっても、残っているノードを経由すれば、かなり広範な通信を行うことができるという利点もあります。従来の通信方式ではとてもできないことです。

やはり、こうした危険性がある事を前提とすべきですが、かといって危険に対して過度に神経質になれば、とても使える代物ではありません。

それから、はっきり言えば、大学の情報管理、それに日本の企業などの情報管理も、意外とゆるゆるなところがあります。それは、例の尖閣ビデオが流出した海上保安庁の組織などをみればおわかりになると思います。

あのように、ゆるゆるの組織であれば、かえって、たとえばGoogleのクラウドなどを利用した情報管理システムをもちいたほうがはるかに安全だと思います。

それから、現在は知識社会であるということがあります。あの経営学の大家ドラッカー氏は、知識社会においては、競争力の源泉は情報でも知識でもないとしています。高度の知識社会においては、知識は、いずれ簡単に伝わってしまうので、これを競争力の源泉とすることはできないとしています。では、源泉は何かといえば、それは知識労働者そのものであるとしています。

要するに、知識労働者が生み出した、情報や知識などインターネットを通じて、他社に漏洩したとしても、その事自体は、本質的なことではないというのです。この事例として解りやすいのは、トヨタです。トヨタは、見学に行く人に対しては、聴かれれば、何でも開示するそうです。要するに、トヨタの強みは、情報や知識ではなく、トヨタで働いている人そのもの、トヨタの企業文化そのものにあるということです。

トヨタで働いている人や、トヨタの企業文化のない他の企業がトヨタのやりかたを、文書や動画などや、中で働いている人から逐一、詳細に聴きだしたとしても、それらが存在しない企業では、トヨタのようにはできないということです。

また、最近ではアップルなどの企業で特に顕著なのですが、たとえば、あの超薄型ノートパソコンである、アップル・エアーを販売する1年以上も前から、アップル社は、エアーに関する情報を自社のサイトや、YouTubeに発表していました。それも結構な情報を公開していました。そのためですか、多くの人が販売されたときには、すでに形や、従来のものとの違いなど、ほとんど知っているような状態でした。そうして、販売の数ヶ月前には、すでにエアーの偽物が中国で発売されているというような状況でした。

このように、最近のIT企業はプロダクト情報に限らず、長期戦略までも、前もって発表してしまうということがしばしば行われています。そうして、こうした発表自体がプロモーションにもなっています。こういう発表をすることにより、黙っていても、ブロガーなどがサイトにこうした情報プラスアルファを掲載し、多くの人日度の関心を惹きこれに関係したプロダクトなどの販売初日は大盛況ということになります。そうして、前もって発表した戦略を着実に実行していく企業に人気が集まり、株価も上がるというわけです。

アップルのiPhone4や、iPadなどにも同じようなことがあてはまります。アップルは、iAdに関する長期的な戦略も発表しており、多くの企業の関心を呼び起こしています。旧来の企業のように、何でかんでも、隠蔽し、直前あるいは販売直後に明かすというようなところは、販売初日にお祭り騒ぎになるということはないです。最近の日本企業による新製品発表など、まさにそのような状況です。確かに、アップル製品の詳細を知ったから、あるいはアップルの戦略の詳細を知ったからといって、同じことを他の人や、他の企業ができるわけではありません。ジョブスのようにアップルで働いている人や、アップルの企業文化があるからこそ、アップルの事業ができるのであり、それ以外の企業が似たようなことをしても、それは単なる模倣でしかありません。

現在の高度な知識社会において、情報や、知識が盗まれた事により、すぐに競争力を失ってしまうような企業や、有能な知識労働者を多数惹きつけなおかつ動機付けのできないような企業は、最早最初から競争力のない企業であるとみなすべきでしょう。

こうしたことを考えれば、コミュニケーション・コストや、投資コストを大幅に下げるために、クラウドを使うのは当然のことだと思います。それに、最近では、重要なものに対しては暗号使うとか、セールス・ドットコムのように、日本国内にサーバーを設置するところもでてきます。クラウドを使うことは、確かに諸刃の剣であることは否めませんし、個人情報などは大切に保管しなければならないことには変わりはありませんが、現在の世の中の移り変わりの激しさを考慮した場合、何らかの形で使うことを検討し、長期戦略に組み入れない企業に明日はないでしょう。

大学も、企業もおそれることなく、反面情報管理などへの備えは怠らず、クラウドを前提として情報戦略を組んでいくべきでしょう。そうしないところは、時代の趨勢から取り残されていくことになります。あまりに、情報漏洩防止などに過度に固執して、クラウドを使うことを検討もしない企業や個人も、知識社会の中では淘汰されていくことになることでしょう。

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