2015年3月13日金曜日

アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア戦略―【私の論評】他の陰謀論など吹き飛ぶ! これこそ陰謀中の陰謀だ! 世界は、日本は、あなたはとうに滅亡したソビエトにまだ欺かれ続けるのか?

アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア戦略

『別冊正論』 15号

江崎道朗(日本会議専任研究員)

収まらない「ヴェノナ」の衝撃



第二次世界大戦前後の時期に、アメリカ政府内に多数のソ連のスパイが潜入したことを暴いた「ヴェノナ文書」の公開以降、同国内では「ルーズヴェルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか」という古くからの疑念が、確信へと変わりつつある。当然、当時をめぐる歴史観の見直しも進んでいる。しかも、そのピッチは近年、急加速していると言っていい。

ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期にアメリカ内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し解読した記録である。1995年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が公開した。

これら機密文書が次々と公開され、その研究が進んできた結果、ルーズヴェルト大統領の側近であったアルジャー・ヒス(1)[以下、主要人物に通し番号を附し、共産党員または協力者と思われる人物は傍線を引く]を始めとする200人以上のスパイ(あるいは協力者)が政府官僚として働いていたことが立証されつつあるのだ(中西輝政監修『ヴェノナ』PHP研究所)。

ルーズヴェルト政権内部にソ連のスパイたちがいるという疑念は、60年以上前からあった。1948年、下院非米活動委員会において『タイム・マガジン』記者のH・チェンバースが、アルジャー・ヒス(1)を「ソ連のスパイだ」と告発した。1950年には、ジョセフ・マッカーシー上院議員が「国務省に潜む共産党員の名簿を入手した」と発言し、容共政策を進めた国務省や陸軍の幹部たち、特にジョージ・マーシャル国務長官(2)や、蒋介石政権の顧問を務めたオーエン・ラティモア(3)らの責任を激しく追及した。「マーシャル国務長官(2)ラティモア(3)らはソ連に通じており、ひそかに中国共産党政権の樹立を支援した」というのだ。

確かに彼らはソ連や中国共産党に好意的な発言をしていたが、ソ連のスパイだと断定する証拠も当時は見つからなかった。しかも、ソ連のスパイだと名指しされた人物が次々と自殺をしたため、リベラル派のマスコミは、「マッカーシー上院議員らが根拠なく言論弾圧を行った結果、自殺に追い込まれた。これは現代版の魔女狩りで許されることではない」などと、保守派批判を繰り広げたのである。

マッカーシー上院議員 彼の考えは結局正しかったことになる。 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

以後、ソ連や中国共産党に好意的な言動を理由に批判することはタブーとなってしまった。アメリカでも戦後、ソ連や中国に親近感をもつリベラル派にマスコミは支配され、保守派は肩身が狭かったのだ(リー・エドワーズ著『アメリカ保守主義運動小史』明成社)。

それだけに、ヴェノナ文書がアメリカの知識人たちに与えた衝撃は大変なものだった。「国連創設にまで関与したアルジャー・ヒス(1)らがソ連のスパイであるはずがない」と断言していたリベラル派の学者やマスコミは沈黙を余儀なくされた。

ソ連が崩壊し、1991年に登場したロシアのエリツィン政権が、旧ソ連時代のコミンテルン・KGB文書の一部を西側研究者に公開するようになったことも追い風となった。これらの文書の公開によって、「やはりルーズヴェルト民主党政権内部にソ連や中国共産党に利するような政策を推進したスパイがいた」という声が、保守派から実に60年ぶりに上がってくるようになった。その代表者が評論家のアン・コールター女史で、彼女はヴェノナ文書を引用しながら2003年、『トリーズン(反逆)』(邦訳『リベラルたちの背信――アメリカを誤らせた民主党の六十年』草思社)を書いた。

その影響か、共和党のジョージ・ブッシュ大統領は2004年5月13日、アメリカ保守主義同盟40周年大会の記念講演で、アルジャー・ヒス(1)らを告発した『タイム・マガジン』記者のチェンバースを「アメリカの保守主義のリーダー」として高く評価した。

そしてその翌年の2005年5月7日、ブッシュ大統領はラトビアで演説し、アルジャー・ヒス(1)が関与したヤルタ協定について「史上最大の過ちの一つ」だと強く非難したのである。

ヤルタ協定とは1945年2月、ルーズヴェルト大統領、チャーチル首相、スターリン元帥という米英ソ三カ国首脳がソ連領ヤルタで行った会談において、国際連合構想にソ連が同意する見返りとしてポーランドやバルト三国などをソ連の勢力圏と認めることや、ソ連の対日参戦と引き換えに満州の権益や南樺太・北方領土を与えることを認めた秘密協定のことだ。

第二次世界大戦後、東欧諸国がソ連の支配下で苦しんだのも、日本の降伏後、ソ連による満州・北方領土占領、中国共産党政府の樹立、朝鮮半島の分割など極東で連鎖的に起きた危機も、すべてヤルタ協定にその原因をたどることができる。

後に「ヤルタ体制」と呼ばれるようになった戦後の国際秩序の出発点を、こともあろうに当事国であったアメリカのブッシュ大統領が正面から批判したのだ。これに対してロシアのプーチン大統領は5月7日付仏紙フィガロで、「米英ソの三首脳がナチズム復活を阻止し、世界を破局から防ぐ国際体制を目指して合意した。その目的に沿って国連も結成された」と、ヤルタ協定について擁護するなど、国際政治に少なからぬ反響を巻き起こした。

急増する歴史見直しサイト

 一方、アメリカの保守主義者たちは、ブッシュ大統領の発言を歓迎した。フェミニズム反対運動のリーダーとして著名なフィリス・シェラフリー女史は「ブッシュ大統領、ヤルタの屈辱を晴らす」と題した論文でこう書いた。
ジョージ・W・ブッシュ大統領、ありがとう。去る5月7日、ラトビアにおいて演説したブッシュ大統領は、大国同士の談合によって、多くの小国の自由を売り飛ばしたヤルタ協定は誤りだったと指摘しました。時期がだいぶ遅れたとはいえ、誤った歴史を見直し、F・D・ルーズヴェルト大統領の悲劇的な間違いの一つについてよくぞ(ヤルタ協定によってソ連に併合された東欧諸国に対して)謝罪の意を表明してくれました
 さらに、この数年で、ヴェノナ文書などを引用してソ連や中国共産党を支持していたルーズヴェルト政権の政府高官や知識人たちを告発するサイトが急増しているのである。

 その代表的なものが、2006年11月に開設された「コンサバペディア」である。ヴェノナでスパイとされた人物の一覧やそのプロフィール、他で明らかになっているソ連のスパイたちのリストとともに、相次ぐヴェノナ研究の新たな成果を紹介し続けている。

 この中では、従来の東京裁判史観とは違って、「日米戦争を引き起こしたのは、ルーズヴェルト政権内部にいたソ連のスパイたちではなかったのか」という視点まで浮上してきている。東京裁判史観からの脱却をめざす我々にとって、絶好のチャンスを迎えているのだ。

 意外なことに、アメリカの反日運動の背景にソ連のスパイたちの暗躍があることに当時から気づいていた人物がいた。日本外務省の若杉要ニューヨーク総領事である。若杉総領事は昭和13年から15年にかけてアメリカの反日運動の実態について詳細な報告書をたびたび作成し、外務省に報告していたのだ。

 若杉総領事が作成した報告書の多くは当時機密文書扱いであったが、平成14年からアジア歴史資料センターにおいて公開され、現在はアジア歴史資料センターのホームページにて誰でも見ることができるようになっている。

 これら若杉総領事の報告書とヴェノナ文書、コミンテルン文書等を併せ読むことで、ソ連・コミンテルンの対米工作の一端が見えてくる。その実態を最新の研究成果を踏まえ、順を追って再現したい。(ブログ管理人注:以下は柱のみ掲載します。詳細は元記事をご覧下さい)

◇第1段階
 アメリカ共産党の創設
ソ連の指導者レーニンは1919年、世界共産化を目指してコミンテルンを創設した。
◇第2段階
人民統一戦線を構築せよ
1931年、アジアで満州事変が勃発し、ソ連は日本と国境線を挟んで直接対峙することになった。
◇第3段階
シンクタンクIPRの乗っ取り
◇第4段階
中国共産党を支持する雑誌『アメラジア』を創刊
◇第5段階
「ルーズヴェルト大統領一族を取り込め」
「南京」宣伝の背後にゾルゲ
◇第6段階
スティムソン元国務長官を利用したロビー活動

「トロイの木馬作戦」

◇第7段階
政権内部のスパイたちが対日圧迫政策を強行
 かくして1941年12月、日米戦争が勃発した。真珠湾攻撃の翌々日の12月9日、中国共産党は日米戦争の勃発によって「太平洋反日統一戦線が完成した」との声明を出している。アメリカを使って日本を叩き潰すというソ連・コミンテルンの戦略は、21年後に現実のものとなったわけだ。

 以上のように、ヴェノナ文書やコミンテルン文書、日本外務省の機密文書などが公開されるようになって、コミンテルンと中国共産党、そして「ソ連のスパイたち」を重用したルーズヴェルト政権が戦前・戦中、そして戦後、何をしたのかが徐々に明らかになりつつある。

 我々もこれら機密文書を徹底的に研究し、アメリカの保守派とも連携して、堂々とコミンテルンとルーズヴェルト政権の責任を追及していこうではないか。

 江崎道朗氏 昭和37(1962)年、東京都生まれ。九州大学文学部卒業。月刊誌「祖国と青年」編集長を経て平成9年から日本会議事務総局に勤務、現在政策研究を担当する専任研究員。共著に『日韓共鳴二千年史』『再審「南京大虐殺」』『世界がさばく東京裁判』(いずれも明成社)など。

この記事の詳細はこちらから(゚д゚)!

【私の論評】他の陰謀論など吹き飛ぶ! これこそ陰謀中の陰謀だ! 世界は、日本は、あなたはとうに滅亡したソビエトにまだ欺かれ続けるのか?

かつて世界は、世界中のいたるところでいずれ共産革命がおこると信じていた

ベノナないしベノナ計画(英: Venona project、ただし一部機関では、VENONA と大文字表記する)は、1943年から1980年までの長期にわたって、アメリカ合衆国とイギリスの情報機関が協力して極秘裏に行ったプロジェクトです。主要任務は当時のソ連が第二次世界大戦後半に発信した暗号文を解読することでした。

アメリカ合衆国とイギリスがこの作業に用いたコードネームは少なくとも13あったことが知られています。「ベノナ」はその最後のものです。「ベノナ」の意味は現在も不明。先立っては「JADE」、「BRIDE」、「DRUG」という名が使用されていました。この計画に関連した日本における出版物では、ベノナをヴェノナと表記したり、解読されたファイルを指してベノナファイルと表記されることがあります。

極めて高度の機密とされていましたが、1995年7月に原爆研究やマンハッタン計画へのソビエトのスパイに関する文書が公開され、さらなる公開で約3000に上る解読文書が公開されました。

ヴェノナ文書により、ソ連の陰謀は白日の下にされされた        
昔から、コミンテルンの陰謀ということが、世界各地で言われ続けてきました。これは、「ソビエト連邦成立から冷戦の始まりにかけて、いわゆるコミンテルンにより行われた大規模政治工作活動があった」という陰謀説です。

ソビエト連邦成立とほぼ同時期にソ連主導で成立した国際共産主義連合、それがコミンテルンです。コミンテルンは共産主義の世界的流布と共産主義国家の大国化を目指した組織です。別名第三インターナショナルともいいます。

この陰謀説の著名な賛同者として田母神俊雄、渡辺昇一、西尾幹二、櫻井よしこ、小堀圭一郎、金文雄など様々な保守系知識人が挙げられます。しかし、軍事評論家の田岡俊次、歴史学者の秦郁彦や保阪正康などを中心とした歴史学者や研究家は陰謀の存在を否定していました。

しかし、上記でもおわかりになるように、ヴェノナ文書や、ソ連崩壊後の文書公開や、その後のそれらの分析によって、コミンテルンの陰謀は白日のもとにさらされ、陰謀否定派は沈黙するに至っています。もう、動かぬ証拠が出てきてしまったため、否定のしようがないのです。

コミンテルンの陰謀は確たる証拠はなかったが、以前から指摘されていた
このヴェノナ文書や、ソ連崩壊後のエリツィン政権が、旧ソ連時代のコミンテルン・KGB文書の一部公開などの以前からソビエトのコミンテルンの暗躍を指摘していた人もいました。それは、以下の動画をご覧いただければお分かりいただけるものと思います。

この動画は、このブログでは以前も2回掲載しているのですが、本日動画の説明とともに再掲します。ご覧になっていない方々は、これを機会に是非ご覧になってください。



1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の­社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革­命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)­、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、­大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主­義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化­が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国­主義の植民地支配からの解放も生じたのである。


1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の­社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革­命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)­、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、­大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主­義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化­が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国­主義の植民地支配からの解放も生じたのである。



1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の­社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革­命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)­、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、­大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主­義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化­が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国­主義の植民地支配からの解放も生じたのである。
以下に、従来から日本の学者などが指摘していたことで、ソ連崩壊後に公開された文書で明らかになった事実もあります。その顕著な例としては、ノモンハン事件があります。それに関しても以下に動画を掲載します。



この動画ても、指摘されているように、ノモンハン事件は、確かに日本も大きな被害がありましたが、ソ連のほうがはるかに被害が大きく、事実上日本の大勝利だったことがわかっています。

さて、ブログ冒頭の記事には掲載されていなかったものの、日米開戦そのものにも、コミンテルンは多いに関わっています。そもそも、日米はまるで昔からの仇敵のように、いわれていますが、日米開戦のわずか10年ほど前までには、誰もが日米が戦うなどとは、予想だにしませんでした。

真珠湾攻撃はルーズベルトの陰謀だという説がありますが、これは事実の一面を表しているにすぎません。実はルーズベルトはコミンテルンに操られた道化にすぎず、コミンテルンこそが黒幕だったのです。

当時ルーズベルト政権には300人にも及ぶコミンテルンのスパイが潜入していました。スパイは米政府の上層部まで昇りつめた者もいました。その1人であるハリー・ホワイトは財務次官、財務省のナンバー2である。ホワイトはルーズベルトの友人であるモーゲンソーを通じてルーズベルトを操作して反日感情を高めたり、共産国に対する警戒心を薄めました。

コミンテルンの工作を受けたルーズベルト政権は日本に対し挑発的な外交をするようになり、ついには極秘でフライングタイガースという航空部隊を中国に派遣し、影で日米開戦前から日本に対して攻撃をしていました。

ハリー・ホワイトの草案は、コーデル・ハルによる外交試案、いわゆる「ハル・ノート」に取り入れられ、これはほとんど最後通牒に近いものであり、後世のアメリカの歴史家でさえも、このようなものを突きつけられれば、どこの国でも、戦争をすると評しています。これに反発した日本は真珠湾攻撃を行い、ついに世界大戦は大東亜戦争(太平洋戦争)へと突入したのです。

コミンテルンはアメリカの世界大戦参戦によって、西部戦線再構築による東部戦線でのソ連の負担の軽減、米による物資援助、日本の戦争敗北(中共による中国統一計画の一部)とそれによる日本という軍事的・経済的脅威の消滅を狙っていたのでした。

また、コミンテルンは日本にアジア諸国を西側諸国から解放させ、そこに共産主義を流布して、東南アジアの赤化も狙っていました。

ブログ冒頭の記事では、主に当時のアジア地域や、これに関わる国々でのコミンテルンの陰謀について記載されていますが、イギリスやフランスもコミンテルンに翻弄されています。

ソ連はドイツとイタリアが東欧占領・衛星国化を狙っていることに早くから気付いていた。また、もし独伊が英仏と開戦した場合、始めは独伊が優勢であるが、しだいに英仏が優勢となり、独伊が負けるということまで研究により予知していました。

ソ連は英仏に大量のスパイを送り込み、宥和政策で独伊との問題を解決しようとしていた英仏を独伊との開戦へ追い込んで世界大戦を起こし、英が西部戦線で優勢になると同時にドイツが占領・衛星国化した東欧諸国にコミンテルンの傘下である赤軍をなだれ込ませ、ソ連の衛星国にしようとしていました。

結果はフランスが降伏し、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻するという予想外の事態へ発展しました。それでもアメリカを操作して世界大戦に参戦させたため、時期が遅まっただけででした。
結局ソ連は、東欧の赤化に成功し、以後50年東欧はコミンテルンとソ連によって支配されたのでした。

ソ連は、軍事力だけではなく、徹底した謀略戦で、第二次世界大戦の覇者となった
さて、ここで第二次世界大戦をふりかえってみると、この戦いで一番得をしたのは、どこかといえば、ソ連です。日本からは、領土をせしめ、東欧を衛星国として、何よりもアジア最大の脅威であった、日本を弱体化することに成功しました。

これに対して一番損をした国は、日本でしょうが、戦勝国においてはイギリスです。イギリスは、世界各地の植民地を失い、軍事力でも経済力でも著しく後退しました。アメリカも、プラス・マイナス、ゼロというところで、軍事力や人員を多数犠牲にしたわりには第二次世界大戦では、得るものはありませんでした。

これらは、考えてみれば当然といえば、当然です。そもそも、第二次世界大戦そのものが、コミンテルンの策動によって、世界各国がソ連に有利になるように操られていったからです。

当然のこと、いわゆる第二次世界大戦後の「戦後体制」についても、コミンテルルン陰謀により、ソ連に最も有利になるように各国が操作されいたのです。

世界にはいわゆる陰謀なるものが、ありましたが、コミンテルンのそれは、他の陰謀論など吹き飛ぶほど、長期で、世界中で空前絶後の規模で展開されました。これこそ陰謀中の陰謀です。世界は、日本は、あなたはとうに滅亡したソビエトにまだ欺かれ続けるのでしょうか?

ソビエトの後継者である、ロシアはGDPは日本の1/5程度の小国に成り果てました。現在のロシアは、インドよりも経済が小さく、人口は日本よりわずかに、2000万人ほど多い1億4000万人程度で、そのうち、支配階層たるロシア人の人口はロシアが多民族国家ということもあり、単一民族の日本の日本人よりも実数は少ないです。

今のロシアにはソ連時代(う写真)の国力や軍事力はない。大きな戦争はできない。すれば、負ける。

今や、EUが本気になれば、ロシアを一捻りできるほどに衰退しました。プーチンは、衰退したロシアを少しでも強く見せるため奔走し、これ以上譲歩させられることを何としても防ごうとしています。

しかし、隣には人口13億、経済的にロシアを凌駕した中国が控えており、いつ出し抜かれるかわかりません。そうして、今やロシアの世界に対する影響力はソ連当時と比較すると見る陰もありません。

しかし、アジアでは、旧ロシアに変わって、中国がソ連コミンテルンの陰謀によって築かれた「戦後体制」保持し、ソ連に成りかわりアジアの覇者になること虎視眈々と狙っています

史実が明らかになった今、日本を含めた世界の多くの国々が、ソ連の仕掛けた陰謀に未だにはまっているのは不合理そのものです。一日もはやく、旧ソ連の陰謀によって、できあがった、ソ連に都合の良い、そうして今では、中国にとって都合の良い、「戦後体制」なるものは、捨て去り新たな世界秩序をうちたてるべきです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年3月12日木曜日

独首相の“助言”に違和感…日本とナチスを混同か―【私の論評】習近平に毒入りプレゼントをしたメルケルは商売上手だが、これが世界の現実であることを日本人も肝に命ぜよ!そうでなければお花畑の住人になるだけ(゚д゚)!


共同記者会見するドイツのメルケル首相(左)と安倍晋三首相=9日午後、首相官邸

ドイツのメルケル首相は10日の民主党の岡田克也代表との会談で、ナチスによる犯罪行為への反省に触れつつ、日本に慰安婦問題の解決を促した。これは、戦前・戦中の日本と独裁者、ヒトラー総統率いるナチス・ドイツとの混同とも受け取れ、問題といえる。

メルケル氏が9日の安倍首相との共同記者会見で、日本の行為を指してではないもののホロコーストに言及し、「過去の総括は和解のための前提だ」と指摘したことも、旧日本軍とナチスを一定程度混同している可能性をうかがわせる。

だが、戦前・戦中の日本では、兵士らの暴走による戦争犯罪はあっても、ナチス・ドイツのような組織的な特定人種の迫害・抹殺行為など全く行っていない。

ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判では、有罪となった19人のうち16人までが一般住民に対する殲(せん)滅(めつ)、奴隷化や人種的迫害による「人道に対する罪」で有罪とされたが、東京裁判では誰もこの罪に問われなかった。

同じ敗戦国とはいえ、日本とドイツでは戦いの様相が全く違う。まして日本の隣国は韓国や中国であって、ドイツが和解を果たしたというフランスやポーランドではない。安易な同一視や混同は避けるべきだろう。(阿比留瑠比)

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【私の論評】習近平に毒入りプレゼントをしたメルケルは商売上手だが、これが世界の現実であることを日本人も肝に命ぜよ!そうでなければお花畑の住人になるだけ(゚д゚)!

メルケル氏の発言は、戦後の自国とフランスなどとの関係改善の経験について語ったものです。日本も近隣諸国との過去に向き合うよう求めたとの見方も出ています。しかし日本とドイツは同じ敗戦国ですが、戦時の状況や戦後処理の進め方など、経緯が全く異なります。

そもそも、ドイツはユダヤ人絶滅計画なる計画に沿って、現実にユダヤ人の虐殺をしましたが、日本にはそのような計画などありませんでしたし、それに、日本統治時代の朝鮮は植民地支配を受けた、国が衰退したなどということもなく、むしろ朝鮮は文明化され豊になっています。ドイツのユダヤ人対するものとは180度反対の対応です。

それに、戦禍に対する賠償に関しても、日本とドイツは全く異なる道を歩んでいます。日本は、韓国に対して国家賠償をしていますが、ドイツはイスラエルなどに国家賠償はしていません。ユダヤ人への個人補償(ホロコーストに対する)のみ行っているという厳然たる事実があります。

朝鮮の日本統治に関しては、以下のURLをご覧いただければ良くご理解いただけるものと思います。
日本統治時代の朝鮮

朝鮮総督府の紋章
そもそも、日本は朝鮮人を人間として、日本人と対等に見ていたという事実があります。これについては、以前このブログで、倉山満氏の記事を掲載したことがあります。
倉山満「朝鮮人を人間扱いしたから大日本帝国は滅びた」―【私の論評】歴史を歪めても劣等感はさらにつのるばかり、今の韓国には正しい歴史観を持ち呪縛から解き放たれ、新たな社会構造を構築するしか道はない!
 

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事から倉山氏の言葉をいくつか抜粋して以下に掲載します。
安重根が伊藤博文を愚かにも暗殺したことが日韓併合の引き金になったのですが、そもそも日本は植民地を持つ資格がなかったのです。なぜか? 
それは日本人が朝鮮人を人間扱いするほど『甘かった』からです。朝鮮を植民地にしたのなら、人間扱いをしてはならなかった。この言葉をもって、『こんなことを言うヤツは差別主義者だ』『右翼・民族主義の過激派だ』などと思った方は当時の世界の常識を知らないと、自白していることになります。 
そもそも植民地とは何かというと、搾取する土地です。朝鮮半島に搾り取る資源があったのかというと、何もありませんでした。そんな土地を生真面目な日本人は『貨幣経済を浸透させよう』『文明化しなければならない』『インフラを整えよう』と使命感に燃え、やりとげてしまった。
朝鮮併合を最後まで反対していた、
伊藤博文を暗殺したテロリスト安重根
イギリスでいえば、インドは植民地ですが、カナダは海外領になります。そして日本は朝鮮に急速に文明化をもたらします。 
当時、満洲では朝鮮人と漢民族の対立が激化し、日本への侮日行為や居住権の侵害が繰り返され、朝鮮人農民が被害を受けます。そこで日本人はハタと『半島と大陸は陸続きだ』と気づくのです。 
日本人の悪い癖に『問題を解決しなければならない病』があります。日本は帝国臣民である朝鮮人の権利を守るため、中華民国と対峙することになり、満洲事変、支那事変と戦線を拡大し、大陸経営へと深入りして破滅していったのです。 
日本というのはどこまでお人よしなのでしょうか。どこの国が植民地のために世界中を敵に回すでしょうか? イギリスがアイルランドのために、アメリカがフィリピンのために、いったい何をしたというのでしょうか?

昭和6年から昭和20年まで、朝鮮人が「反中親日」になった「唯一の時代」だったと倉山氏は指摘する。「宗主国の日本が朝鮮のために世界中を敵に回してまで自分をイジめた中国を叩きのめしてくれたのです。当たり前でしょう」とも。
金日成
今となっては、そんな恩を韓国人はすっかり忘れ去っています。前々回の記事(http://nikkan-spa.jp/534592)でも指摘したとおり、『やってもいない抗日闘争』を建国の理念にしたことによって、歴史が矛盾だらけになり、歴史観がファンタジーだと笑われるのです。 
もう一度言っておきましょう。韓国はやってもない抗日闘争を建国の理念とすれば、スターリンが指導していた抗日パルチザンである金日成を英雄視するしかありません。 
テロリズムを賛美し、北朝鮮という敵国の指導者が自分たちを正統に支配する権利を持っていることになる。一方の韓国初代大統領である李承晩はアメリカで独立運動と称してカンパを集めて遊んでいただけです。 
連合国に参加したわけでも自力で戦ってソウルを解放したわけでない。何ひとつ英雄らしい行動をとっていません。韓国人はいい加減、『反日お国自慢歴史観』を卒業すべきでしょう。
李承晩

倉山氏は新刊『嘘だらけの日韓近現代史』のなかで、「朝鮮半島の歴史を読み解くうえで重要な三法則ある」とも指摘している。その三法則とは以下のとおりです。
【韓国の三法則】
一、頭の中身がファンタジー
ニ、軍国主義でないと正気が保てない 
三、反日を言ってないと親日になってしまう

このような、日本の隣国韓国とドイツの隣国フランスとでは、同じ隣国とは言っても、全く比較の対象にはならないと思います。

ドイツのメルケル首相が訪日中の講演などで行った歴史問題に関する発言が韓国で波紋を広げています。10日付の朝鮮日報は社説で、「ドイツは過去と向き合った」との首相発言を引用して日本を牽制(けんせい)する一方、「隣国の寛容な態度がなかったら(和解は)不可能だった」との発言にも触れ、「『寛容』を韓国が示さなければならない日が来る」と指摘しています。

しかし、これは正しい指摘です。やはり、メルケルもフランスと韓国とは異なるとはっきり意識しているのです。

では、なぜこのような発言をしているかといえば、やはり中国を意識しているからだと思います。戦後70年間、平和を貫き通した日本とは異なる、ナチス・ドイツばりの弾圧を人民に対し繰り返してる中国への配慮ともとれます。

2015年2月18日、中国自動車工業協会が、2015年1月の中国自動車市場統計データを発表しました。それによると、1月の中国乗用車市場シェアは、中国車が42.6%、ドイツ車が21.9%、日本車が12%、アメリカ車が12%、韓国車が7.8%、フランス車が3.6%でした。

少し前までは、中国では日本車が中国車の次に売れていました。やはり、メルケルとしては商売大事として、中国に媚びるような態度はみせませんでしたが、韓国を出しにして、歴史問題に関して日本にやんわりと、牽制をしたようにみせかけて、中国のごきげんをとろうという腹だと思います。

しかし、メルケルは商売上手であることには間違いないとは思いますが、それだけではありません。それについては、このブログにも以前掲載したことがあります。その記事を以下に掲載します。
メルケル独首相、習近平主席に“毒入り”プレゼントを贈る―中国―【私の論評】メルケルは、当面の目先の商売の相手先としてか中国を見ていないことを、習近平と世界に伝えたかったのか(゚д゚)!

詳細は、この記事をごらんいただくものとして、この記事では、メルケルが習近平に毒入りプレゼントをしたことを掲載しています。以下に一部を抜粋します。
3月末(注:昨年)、習近平(シー・ジンピン)国家主席はドイツを訪問し、メルケル首相と会談。独中両国は緊密なパートナーシップをアピールした。一見すると、良好な関係を築いているかのように見える。しかしメルケル首相が習主席に贈ったプレゼントが“毒入り”だと話題になっている。 
贈られたのは中国の古地図。宣教師がもたらした情報をもとにフランス人が描いたもので、1735年時点での清朝の領域を示している。しかし地図では新疆、チベット、内モンゴル、尖閣諸島は清朝の領域外とされている。表向きは中国との関係強化をうたいながら、領土問題や人権問題できついお灸をすえたとの見方が広がっている。
メルケルが習近平に贈ったとされる古地図
             
これに対して、この記事で私は、最近中国に接近するドイツとイギリスに関して以下のように結論づけています。
やはり、両国とも表向きは中国との関係強化をうたいながら、領土問題や人権問題がどうのこうのという以上に、当面の目先の商売の相手先としてしか中国を見ていないということだと思います。

このブログにも以前から掲載してきたように、中国の金融システムはガタガタで、崩壊寸前です。暴動も年間10万件を超える勢いです。

こんなときに、商売としては旨味がなくなっている中国に対して、すり寄り姿勢のみを強調されては、たまったものではないので、毒入りプレゼントを送りつけ、メルケル首相の腹の内をみせ、「あまり好い気になるなよ、旨味のある商売ができなくなったら、すぐにも手を切るぞ」という姿勢を習近平と世界にみせつけてみせたというところだと思います。
そのまま放置しておけば、中国あたりつけあがって、中国が何をしても、世界に向かってドイツやイギリスの世論が味方だなどと言いかねず、それを牽制する意味もあったものと思います。
ドイツの国旗デザインのビキニを身につけている女の子

しかし、以上に掲載してきたようなことが、実像に近いと思います。 このような見方について、うがった見方とか、憶測にすぎないというような人は、現在の世界の常識を知らないと、自白していることになると思います。世界のリーダーはこのくらいのことは当然考えています。また、世界の多くの知識人や言論人もこのくらいのことは、いかにもあり得ることと思うと思います。

習近平に毒入りプレゼントをしたメルケルは商売上ですが、これが世界の現実であることを日本人も肝に命ずるべきと思います。

上の記事で、倉山満氏が「日本人が朝鮮人を人間扱いするほど『甘かった』」と指摘しているように、多くの日本人はまだまだ考えが甘いです。自分たちの考えが、世界でも普通に通用すると思っています。

お花畑に佇む鳩山元首相

しかし、そう思うのは、世界の中でも、日本のお花畑に住む住民だけかもしれません。いい加減私達は、「お人好し」はやめて、まともな国のまともな住人になろうではありませんか。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年3月11日水曜日

日本と過去:消化されていない歴史―【私の論評】多くの日本人が、虚心坦懐に過去を評価しないから金融政策でも、震災復興でも、歴史問題でも間違いがいつまでも続くのだと心得よ(゚д゚)!


2015.03.11(水) The Economist

(英エコノミスト誌 2015年3月7日号)

昭和天皇が被災地視察 東京大空襲の深川 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 1945(昭和20)年3月18日、昭和天皇が東京大空襲で焼け野原となった深川地域の富岡八幡宮境内などを視察した。10日未明、米爆撃機B29約300機による2時間半にわたる焼夷弾の投下で、江東、墨田、台東の下町地区を中心に約27万戸が焼失し、10万人以上が死亡したとされる。(写真ならびにこの説明文はブログ管理人挿入)
被害者としても侵略者としても、日本はなかなか過去と向き合えずにいる。

東京で眠っていた多くの人は、米国のB29爆撃機の轟音を聞いていなかった。下町に住む早乙女勝元さんが父親に体を揺すって起こされた時には、自宅周辺が炎に包まれていた。

東京大空襲による犠牲者 以下同じ

運河は逃げ場にならなかった。ゼリー状になった爆弾のパラフィンが水を炎に変えていたからだ。一度パラフィンがくっつくと、体が「骨まで」燃え続けたと早乙女さんは言う。

東京大空襲の惨禍


現在83歳の早乙女さんは、1945年の東京大空襲の記念日を迎えようとしていた。3月9日から10日にかけて、一晩で約10万人が亡くなった。多くの男性が(破滅的な方向に向かっていた)戦争で東京を離れていたため、犠牲者の大部分は女性と子供、老人だった。

その夜の犠牲者の数は、1945年8月6日の広島の原爆投下による犠牲者よりはいくぶん少なかったが、その3日後に長崎に落とされた原爆による犠牲者より多かった。

焼夷弾を用いた空襲を受けたのは、東京だけではなかった。1944年11月から1945年8月にかけて、70近い都市が瓦礫と化し、民間人を中心に恐らく30万人が死亡した。一連の空襲は欧州で行われたどんな軍事行動よりもはるかに破壊的なものだった(下表参照)。



横網町公園の一角にある記念館が、数千人の死者の灰が入り混じった納骨堂の隣で犠牲者の証人になっているが、死者を文書に記録する公式な試みは2009年に始まったばかりで、まだ不完全だ(横網町公園は、1923年の関東大震災の犠牲者も追悼している)。

1945年の東京大空襲を題材にした小説を書いたブレット・フィスク氏は、戦争の後、東京には犠牲者を適切に悼む感情的、財政的な余力がなかったと言う。日本には、冷戦下の新たな同盟国になった米国と事を構える意欲もなかった。1990年代には、博物館新設計画が頓挫した。保守派は、戦争犯罪の描写を含むプロジェクトは愛国心に欠け、「自虐的」だと言った。


民間人の苦しみを認めるのが難しいとすれば、日本のナショナリストたちが日本帝国陸軍によってアジアの至るところで行われた残虐行為を受け入れるのはもっと難しい。

注目の戦後70年談話

今では、現職の首相が8月15日の終戦記念日の10年ごとの節目に、戦争に関する談話を発表するのが慣例になっている。1995年には、社会党の村山富市首相が最も踏み込んだ発言をし、日本の「植民地支配と侵略」に対する「痛切な反省」を表明した。戦後ほぼ一貫して日本を支配した自民党の出身で、ナショナリストの小泉純一郎氏は2005年に、村山談話の主要な言い回しをほぼ一字一句繰り返した。
安倍総理 戦後70年談話で何を語るのか注目されている

現首相の安倍晋三氏が70周年記念に際して何を言うかが、目下、多くの憶測を呼ぶ話題になっている。

安倍氏は、村山談話を「全体として」踏襲すると述べている。だが、最近の兆候は、日本と先の戦争に関する極めて重要な表現が変更される可能性があることを示唆している。

安倍氏は間違いなく、平和と繁栄を促進してきた戦後日本の模範的な実績と、それが今後どのように続くかを強調したいと思っている。だが、自民党のあるベテラン議員が先月要請したように、首相が日本の明るい未来を強調する最も確実な方法は、逃げずに、過去に関するこれまでの談話を引き継ぐことだ。

【私の論評】多くの日本人が、虚心坦懐に過去を評価しないから金融政策でも、震災復興でも、歴史問題でも間違いがいつまでも続くのだと心得よ(゚д゚)!

まさしく、日本は逃げずに過去の歴史をしっかりと見直すべきです。

さて、上のエコノミストの記事は、全くイギリスの歴史観からしかものを語っていません。日本の歴史観からすれば、大東亜戦争は、まったく別次元の出来事となります。

下の地図をご覧になって下さい。これは大東亜戦争始まる少し前のアジアの地図です。この地図でみると独立国は、何と日本と、タイ国だけです。この状況からすれば、日本もうかうかしていれば、欧米列挙に飲み込まれるおそれが十分にありました。

大東亜戦争以前(80年前)のアジアの実像ー
ブログの冒頭の記事を掲載したイギリスは、アジアで最大の植民地を運営していたではありませんか。それも、当時の日本の朝鮮や、台湾などの統治と異なり、徹底的に搾取の対象とした植民地経営をしていたではありませんか。ロシアも、フランスも、オランダそうしてアメリカもアジアに広大な植民地を持っていたではありませんか。

これらの国々の植民地支配は苛烈なものでした。日本のように、朝鮮や、台湾に優秀な人材を派遣して、総督府を設立して、学校・病院・郵便制度その他文明化をするなどとは程遠い、全く搾取の対象でした。

日本は、特に当時のロシアの南下に脅威を抱いていたので、まずは日露戦争でロシアを屈服させましたが、その後のロシアの脅威は続き、朝鮮王朝の希望もあったので、朝鮮を併合し、その後満州国を傀儡として独立させ、ロシア南下を阻止することにしました。

とにかくこの時代では、アジアに西欧の列強が次々の侵攻してくるものですから、日本としては、自己防衛のためにこのようなことをせざるを得ませんでした。

これについては、マッカーサーがアメリカに帰国した、マッカーサーが、日本の戦争は防衛戦争だったとして、公聴会で証言しています。

さて、大東亜戦争が終了したときには、日本が満州に傀儡国家である満州国を樹立していました。しかしながら、ここはもともと少数民族の地域であり、国家として成立していてもおかしくはない地域でした。

そうこうするうちに、日本は、ABCD包囲網(米英中蘭)を構築され、ハル・ノートをつきつけられため、日本としては、石油などの資源を求めて、南方に進出せざるを得ない状況に追い込まれました。そうして、日本は南方に侵攻し、アメリカとも戦うことになりました。

そうして、今日大東亜戦争は無謀な戦争だったといわれていますが、これこそ、米国のGHQに植え付けられた全く誤った考えであり、大東亜戦争は十分に勝つ見込みのある戦争でした。それに、欧米列強の植民地政策にあえいでいた植民地の人民の多くは、日本の侵攻をアジアの開放として歓迎しました。

これについては以前このブログにも掲載したことがあるので、その記事のURLを以下に掲載します。

これだけではなく、現在ですと、倉山満氏氏の以下の、書籍をご覧いただけると良くご理解いただけるものと思います。

現状の北朝鮮、韓国、中国などの日本侵略説など、全く後世のつくり話です。しかも、北朝鮮、韓国、中国と日本とは一度も戦争したこともありません。なぜなら、北朝鮮・韓国は、当時日本領であり、当時中国を支配していて、日本と交戦したのは、中華民国であり、現在の中華人未共和国ではないからです。

大東亜戦争終了直後の中国の版図は以下のようなものでした。中華人民共和国設立直後の中国の版図は以下の赤い部分のみでした。そこから、中国は侵略を開始し、満州国、東トルキスタン国、チベット国に対して侵略を開始し、現在の中国の版図にまで拡張しました。



そうして、中国の侵略を除くと、他の多くの国々は、元々あった自国の版図を取り戻しています。それが、以下地図に示したの今日のアジアです。

終戦から70年、現在のアジアの地図

さて、上記が日本側から見た、大東亜戦争のあらましです。このようなことは、世界中の人々が周知していることです。このように歴史を振り返ってみると、英国のエコノミスト紙の記事がいかに偏ったものであるか理解できます。

しかし、そうはいっても、確かに日本人も多くの人びとが、様々な理由からなかなか過去の歴史に向き合うことができていません。

特に、終戦後アメリカのGHQが日本を占領して以来、上で述べたような明らかな日本側からみた、アジアの歴史がないがしろにされ、修正されてきました。

歴史修正の一つとして、バターンの死の行進なるものがあります。大東亜戦争中、フィリピンで、日本軍の捕虜になった7万人のアメリカ兵が、「バターン死の行進」で、大勢死んだことになっています。

ところが、ジャーナリストの笹幸恵(ささゆきえ、もちろん、女性)が、実際に同じ道を同じ季節に歩いたところ、簡単に歩けてしまったそうですそうです。良く考えてみると、わずか80キロです。800kmではありません。

笹幸恵さん
多くの皆さんは、「フィリピンは、さぞ暑いだろう」と思うかもしれませんが、実は東南アジアは、日本の夏より、ずっと、涼しいのです。日本は、湿度がかなり高くて、東南アジアより、体感温度は、ずっと暑いのです。

”日本歩け歩け協会”(私も、一時期、会員でした)の会員は、毎月のように、日本や外国のどこかで、ウォーキングの大会をやっています。

1日~4日くらい(大会によって違う)の期間でやりますが、1日に歩く距離は、20キロ~50キロです。
80キロなら、わずか2日で歩けます。

ねつぞうされたバターン死の行軍

「健脚だからできるんだろう」と言われそうですが、歩いていたら、健脚になるんであって、はじめから、健脚の人はいません。

しかも、この”歩け歩け協会”の会員の方々は、「寝たきりになりたくない!」とがんばっている高齢者(年金生活者)の方が多いです。

平均年齢は、65歳を超えていて、80歳を超えている人もいます。

「日本の高齢者が歩けるのに、アメリカの若者が歩けない」なんてことは、ありえません。「バターン死の行進」は、日本軍を貶(おとし)めるための、でっちあげとしか思えません。

これ以外にも、とんでもない歴史の修正が多数なされています。これは、西欧諸国によるものだけではなく、何と、韓国、北朝鮮、中国などこの時代には歴史に刻まれてもいないような国々の捏造も多数あります。

慰安婦募集のチラシ

韓国は、日本軍は、従軍慰安婦20万を強制的に徴用して死に至らしめたなどというとんでもない歴史修正を行いました。上の写真は、当時の朝鮮での慰安婦募集のチラシです。従軍慰安婦は、強制連行・日本兵による強姦というのは全くの嘘であり、従軍慰安婦は捏造された歴史である何よりの証拠です。

この当時の巡査の初任給が45円だった時代、月収300円というのは現在の価値に換算すると月収133万円以上の高給であり、軍の高級将校の給与に匹敵します。慰安婦の募集内容からして、誰が読んでも 「売春の仕事だ」と分かります。

それに20万ものおびただしい女性が、強制連行されたというのであれば、東京大空襲の犠牲者よりも多いわけですから、各地に写真やその他の証拠がいくつもみつかるはずです。にもかかわらず、韓国が出す証拠は嘘偽りだらけのものばかりです。

中国は、中国で南京虐殺20万などと途方もないことを言い出し、こちらも、当然のことながら史実ではないので、まともなし証拠などあげられた試しはありません。彼らの証拠は、まるで玉ねぎの皮のようなものであり、まともに受けて、真剣に玉ねぎの皮をむくように、むいていくと最後には、何もなくなってしまうような代物ばかりです。

今の世界は、このような偽りの日本の歴史が世界中に満ち満ちています。

日本軍による南京虐殺の証拠写真だといわれた写真 後に捏造であることがはっきりした
このような様々な虚偽の歴史が喧伝され、蔓延していたので、多くの日本人は、過去の出来事、特に大東亜戦争前後の歴史に関して、まるで腫れ物に触るように、避けてきたという面は否めません。

まさに、こういう点では、日本人は過去の歴史に真剣に真正面から取り組んでこなかったという指摘は、正しいです。

そうして、この期間の歴史をあまり振り返らないということが、その後の日本に多くの災いをもたらしました。

それは、今日2つの大きな問題を日本にもたらしています。

まずは、20年にも及ぶ長い、デフレの放置です。いわゆる世界恐慌の原因は今日はっきりしており、それはデフレでした。日本も、大東亜戦争の直前には、深刻なデフレに見舞われて、とんでもない状況に陥っていました。ちなみに、日本のこのデフレを日本では、昭和恐慌と呼んでいました。

しかし、これは当時の大蔵大臣に高橋是清により、今でいうところの、金融緩和策と積極財政により、立ち直ることができました。そうして、これによって日本は世界で最もはやく、世界恐慌から脱却することができました。

こうした輝かしい歴史も、日本人が歴史を真摯に振り返らないという姿勢があったせいか、政治家や、官僚、マスコミでさえも、振り返ることもなく、最近の日本のデフレは、放置され、結果として20年もデフレというとんでもない結果を招いてしまいました。

これなど、高橋是清のデフレ政策を虚心坦懐に振り返っていれば、こんなに長期にわたって、デフレ・円高政策が執拗に繰り返されるというような愚の骨頂のようなことは防げたはずてす。

そうして、もう一つの馬鹿げた珍事もありました。それは、東日本大震災の復興に際して、復興税なるとんでもない代物が出来上がったことです。

これなど、過去の関東大震災の歴史や、戦後の復興などの歴史を振り返っていれば、こんな馬鹿真似はしなかったはずです。復興に増税とは、まったく開いた口がふさがりませんでした。

これについては、高橋洋一は、震災復興当時の記事を以下のようにツイートしています。
古今東西、大規模な自然災害などや戦災の復興に関して、増税するなどという馬鹿真似をした国はありません。あったとしたら、東日本大震災時の復興にあった当時の民主党政権の日本しかありません。これは、事実です。疑問に思われた方は、史実をお調べ下さい。

この馬鹿さ加減については、経済学者の田中秀臣氏も以下のようにツイートで痛罵しています。
とにかく、復興を増税で賄おうなどという発想は、ほとんどあり得ません。東日本大震災のような大災害の復興途上では、日本国全体の経済が悪化しているのが当然ですから、そこで増税などという発想には普通なりません。

しかも、当時の日本はデフレの真っ最中ですから、さらに始末におえません。増税してしまえば、デフレ・スパイラルのどん底に再度突入するのははっきりしていましたし、それに復興のためただでさえ円の需要が増えるにもかかわらず、金融緩和もしないという有り様では、超円高になるのは当たり前のど真ん中でした。

しかし、当時の政権はもとより、その当時は野党であった自民党までが、復興税に賛成して、とんでもない、歴史上の最大の汚点でもある、復興財源としてての増税をしてしまいました。本当にとんでもないです。

もし、この頃にまともな人間が政府内にいて、復興と金融緩和、復興債を大量刷るような政策をとっていたら、日本はかなりはなくデフレから脱却することができました。

以上みてきたように、確かにエコノミスト紙がいうのとは全く別の次元で、日本人はもっと過去の歴史、特に近現代史を真摯に見直すべきです。

なぜなら、欧米諸国に対して、正しい歴史認識をさせ今後の世界で無用な対立を避けるためにも、日本自身のためにも、過去を虚心坦懐に振り返る必要があるからです。

まさに、多くの日本人が、虚心坦懐に過去を評価しないから金融政策でも、震災復興でも、歴史問題でもま間違いがいつまでも続くのです。私達日本人は、過去に遡れば素晴らしい歴史があるわけですから、それを正しく評価して、新たなことに立ち向かえば、たいてのことは正しく判断できるはずです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思わますか?

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2015年3月10日火曜日

東京大空襲、火葬場足りず仮埋葬 身元不明の死者2万人―【私の論評】9.11などはるかに超越したこの大虐殺行為を、朝日新聞はなぜ米国が実行したと報じぬのか、なぜ米国は公式に認め謝罪せぬか(゚д゚)!

東京大空襲、火葬場足りず仮埋葬 身元不明の死者2万人
渡辺洋介

2015年3月10日05時01分

東京大空襲の被災者 写真はブログ管理人挿入 以下同じ



無数の焼夷(しょうい)弾による猛火の夜が明けると、焦土と化した下町が姿を現した。路上には焼死体が折り重なり、川面には女性や子の遺体が浮かぶ。約10万もの犠牲者は、身元確認も不十分なまま、公園や寺院に「仮埋葬」された。東京大空襲から、10日で70年――。

東京スカイツリー東京都墨田区押上1丁目)の展望台。東京空襲犠牲者遺族会の星野弘会長(84)は9日、350メートル下の北十間(きたじゅっけん)川に視線をおとした。70年前、遺体を収容した場所だ。

「あの川です。20歳ぐらいの母親の髪を、1歳ほどの女の子が両手でつかんで離さない。目を開け、まるで生きているようだった」



東京大空襲では一晩で約10万人が亡くなったとされる。都は空襲による死者数を約2万人と予想。一方、都の火葬場の能力は1日500体に過ぎず、棺(ひつぎ)は1万人分しかなかった。身元を確かめた上での火葬は不可能で、埋葬場所も足りず、公園や寺院が仮の埋葬地となった。軍や警察に加え、受刑者や星野さんのような少年もかり出された。

星野さんは本所工業学校2年生で14歳。向島区(現・墨田区)の自宅は全焼し、親族2人を失った。担任から「焼け跡整理」を命じられたが、実情は仮埋葬への動員だった。

焼けたトタンに直径数ミリの太めの針金を通し、担架にした。柄の先に鉄の穂先を取り付けた鳶口(とびぐち)を遺体の背骨に引っかけ、乗せる。



「肉にはひっかからず、ズルッと切れるだけ。背骨や首の骨を狙わないと運べませんでした」

2人1組で、針金を肩にかけ、ズルズルとトタンにのせた遺体を引きずった。行き先は数百メートルから数キロ先の錦糸(きんし)公園と隅田公園。遺体が地面にこすれ、足首の先や手首から先がもげた。

公園には縦、横、深さがいずれも2メートルほどの穴が掘られていた。トタンの両端を持って傾け、遺体を落とす。作業は春まで続いた。

ともに仮埋葬を経験した友人たちは「思い出したくない」「俺はそんなことはやっていない」と口をつぐむ。星野さんにも仮埋葬の悪夢で目が覚めたり、酒に頼ったりする日があった。それでも、話さねば。

「忘れてしまったら、死者が浮かばれない」


東京大空襲・戦災資料センター館長で作家の早乙女勝元(さおとめかつもと)さん(82)は「すべての仮埋葬地で改葬がされたのかは不明確で、いまも物言えぬ死者が土の中に埋まっている可能性がある」と指摘。「当時、民間人や戦闘員の命は鴻毛(こうもう・おおとりの羽毛)よりも軽いとされ、国は国民の埋葬さえ、不十分なかたちで行った。すべての弔いを終えるまで、死者への償いは終わらない」と話す。(渡辺洋介)

この記事の詳細は、こちらから(゚д゚)!

【私の論評】9.11などはるかに超越したこの大虐殺行為を、朝日新聞はなぜ米国が実行したと報じぬのか、なぜ米国は公式に認め謝罪せぬか(゚д゚)!

上の朝日新聞の報道は、間が抜けています。この残虐行為は、どこの国が行ったものなのか、一切報道されていません。これでは、まるで、東日本大震災のような自然災害のような扱いではありませんか。

この記事を読んだ歴史的な背景を知らない人は、アメリカ軍による爆撃による被災ということがわからないではありませんか。慰安婦問題では、ありもしない歴史を捏造するのに、東京大空襲に関しては、自然災害のような扱いをする朝日新聞。とんでもないです、はやく廃刊していただきたいものです。

2001年9月11日に起きた同時多発テロの映像は世界中に大きな衝撃を与えたと思います。犠牲者の中には邦人も多く含まれ亡くなった方のご冥福を心から願っております。

しかしながら、この惨劇も昭和20年3月10日未明に都民が経験した悲惨さに比べると霞んでしまいます。今から七十年前の東京で、この同時多発テロの犠牲者をはるかに超える10万人以上の都民が1夜にして命を失いました。 

同時多発テロの映像
犠牲者は生きたまま火あぶりに会い、あえぎ苦しみ亡くなっていきました。当時のメディアが今のように発達していれば、いわゆる「東京大空襲」の想像を絶する地獄絵が世界の人々に伝えられたでしょう。これは広島、長崎の惨事と並び、人類史上最大の虐殺だったと表現してもおおげさではありません。

この作品はその悲惨な出来事を毛筆で表現したものです。

表題 「噫横川国民学校」   


この作品を書いたのは書道家の井上有一氏です。井上氏は東京都本所区・横川国民学校の教員でした。東京大空襲が愚行された昭和20年3月10日の未明。井上氏は宿直で学校に残っていました。この作品はその横川国民学校での悲惨な状況を表現したものです。改めて作品を見てください猛火の中で逃げ場を失いあえぎ苦しみ死んだ人々の悔しさしと怒りが伝わってくると思います。

書の内容を以下に掲載します
 アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東部忽化火海江東一帯焦熱地獄 茲本所区横川国民学校 避難人民一千有余 猛火包囲 老若男女声なく再度脱出の気力もなし 舎内火のため昼の如く 鉄窓硝子一挙破壊 一瞬裂音忽ち舎内火と化す
 一千難民逃げるに所なく 金庫の中の如し 親は愛児を庇い子は親に縋る 「お父ちゃーん」「お母ちゃ―ん」 子は親にすがって親をよべ共 親の応えは呻き声のみ 全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる
 夜明け火焼け尽き 静寂虚脱 余燼瓦礫のみ一千難民悉焼殺 一塊炭素如猿黒焼 白骨死体如火葬場生焼女人全裸腹裂胎児露出 悲惨極此 生残者虚脱 声涙不湧 噫呼何の故あってか無辜を殺戮するのか
 翌十一日トラック来たり一千死体トラックへ投げ上げる 血族の者叫声今も耳にあり右昭和二十年三月十日未明 米機東京夜間大空襲を記す 当夜下町一帯無差別焼夷弾爆撃 死者実に十万 我前夜横川国民学校宿直にて奇蹟生残 倉庫内にて聞きし親子断末魔の声
 終生忘るなし
ゆういち(井上有一=1945年3月10日横川小学校で教員として宿直業務付いていたが奇跡的に助かった。書「噫横川国民学校」は群馬県立近代美術館蔵)。

東京を空襲したB29の編隊

作家百田尚樹氏は、東京大空襲について以下のようにツイートしています。
日本の長い歴史からすると、70年前などほんの少し前のことです。ほんのすこし前にこのような残虐行為が行われたのです。

本日は、朝のテレビでも、サイトなどでも、ほんど東京大空襲については報道されていませんでした。史実が示しているように、東京大空襲など全く必要のない空襲でした。アメリカは、その事実を認めて、日本に公式に謝罪すべきです。この事実、風化させてはなりません。

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2015年3月9日月曜日

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王毅外相がまたも日本に「反省が足りない」などと強硬発言

王毅は降格か左遷のおそれあり、反日強硬派のポーズは党内の生き残りを賭けて


王毅外相 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

2015年3月8日、全人代最終日に記者会見に臨んだ王毅外相は、日本に対して「日本は70年前に戦争に負けた。胸に手を当てて誠実に反省しているのか」などと、強硬な姿勢を崩さなかった。
これはNHK北京総局の記者(中国人)の質問「軍事パレードに日本の首相も招待をするのか」に答えたおり、「誠意ある国はどこでも招待する」としたもの。

しかし多くの問題がつきまとう。

第一に王毅外相の発言が中国国内の政治において、どれほどの重みを持つのか。王は党内序列が低く、先輩格の楊潔チ前外相(現在国務委員)にはるかに及ばず、しかも次の党大会で国務委員になれないだろうと言われる。つまり彼が何を言おうと報道する価値は低いのである。

王発言は党内上位に向けての胡麻すり発言でしかないからだ。

第二に最近、王毅の周囲に起きている血みどろの政争である。

失脚直前の令計画が党内理論誌『求是』に論文を書いて、16カ所も「習近平への忠誠が重要だ」などと胡麻をすっていたように、日本通の王毅は、それゆえにこそ党内の空気を読んで強い反日を示す政治的理由がある。

馬継生の逮捕を伝える中国のサイト

先週も或る北京の事情通と話し込んだ折、王毅の微妙な立ち位置に関してのインサイダー情報を得た。王が日本駐在大使のおり、右腕として仕え、日本のマスコミの中国報道をウォッチしていた馬継生が夫人とともに『重大な規律違反』として拘束された。馬は日本勤務のあと外交部報道副部長からアイスランド大使に転任していたが、スパイ容疑を問われたという。

湯本淵

また王毅が日本大使赴任中に公使参事官だった湯本淵も、14年秋に失脚したほか、中国外交部では数人がスパイ容疑として姿を消している。習近平は王毅を嫌っているという情報も飛び交っている。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成27年(2015)3月9日(月曜日)弐
   通巻第4483号 

【私の論評】王毅外相失脚間近? これが中国幹部の日常だ! 自己保身のためには、自国人民や他国のことなどはなから眼中になし(゚д゚)!

本日は、王毅をめぐるツイートが多いです。代表的なものをあげてみましょう。

王毅は、さらに日本メデイアに向けて以下のような矛盾した発言をしています。
中国外相「仲むつまじくあるべき」 日中関係改善に言及 
朝日新聞デジタル 2014年3月9日01時35分 
 中国の王毅外相が8日、北京で内外メディア向けに記者会見した。中国の原則的な立場を繰り返す一方で「中日は隣国であり、本来は仲むつまじくあるべきだ」と述べ、関係改善が必要との認識を示した。 
 王氏が昨年3月に外相に就任して以後、公式な記者会見の場で日中関係について考えを述べたのは初めて。中国の強い立場を示しつつも、抑制的な言葉の中に局面打開に向けた思いをにじませた。 
 安倍晋三首相らの靖国神社参拝や歴史認識について、「最近の日本の指導者の一連の言動が中日友好の基礎を壊した」と改めて批判。その一方で、関係悪化は「両国民の利益にならない」とも指摘した。 
 安倍首相が1月、日中関係を第1次大戦前の英独関係になぞらえた問題を念頭に、2014年は(第1次大戦が始まった)1914年ではないし、(日清戦争が始まった)1894年でもない」と強調。当時とは時代背景も国際環境も異なるとの見解示した。

王氏は2004~07年に駐日大使を務めた中国政府切っての知日派。昨年3月の相就任時には、日本で日中関係改善への役割に期待を寄せる声が上がった。

日中関係筋によると、12年末、北京に着任した木寺昌人・駐中国大使が最初に面会を申し込んだ中国要人も王氏だった。しかし、王氏は応じず、面会が実現したのは昨年末。安倍首相の靖国参拝への抗議の際だった。関係筋によると、木寺氏を呼びつけた王氏は「こんなことで、初めて面会するなんて残念です」と漏らしたという。

中国で対日感情が悪化する中、「知日派」の看板が王氏にとっては足かせになり、言動も慎重にならざるを得ない。日中外交筋も「王氏に頼ることを控えている」と話す。
中国外相「歴史と領土、妥協の余地なし」 日中関係で 
朝日新聞 デジタル 2014年3月8日13時13分

中国の王毅外相が8日、悪化している日中関係について、「歴史と領土の問題では妥協の余地はない」と主張した。「過去をまじめに清算し、約束を翻すようなことをやめれば、行き詰まりを脱することができる」とも述べ、日本側に関係改善へ向けた対応を求めた。

全国人民代表大会(全人代)にあたって記者会見した。王氏は「中日は隣国で、本来は仲むつまじくあるべきだ。現在の局面は我々も見たくない。両国人民の利益にもならない」とする一方、「このところの日本の指導者の一連の言動が、中日関係の基礎を壊した」と批判した。(北京)
以上のツイートや、新聞報道などみていると、ブログ冒頭の宮崎氏のメルマガ記事の王毅の降格か左遷のおそれがあるのは確かなようです。

しかし、別な角度からみれば、これは中国共産党中央政府の幹部の日常なのです。日々いつ降格、左遷されたり、場合によっては失脚させられたり、それどころか、命を奪われる危険があります。

だからいつも、上や派閥の動きに敏感で、人民や他国のことなど眼中になく、自分の都合で動いたり、発言するのが当たり前になっているのです。そうして、自己保身のために、対日強硬論をはいてみたりと、日々大忙しです。

今回の王毅の行動や発言がクローズアップされたのは、王毅の失脚が近いからだけかもしれません。根底には、幹部の自己保身にあけくる日常という現実があるのです。

そうして、これは何も中国共産党中央政府だけではなく、地方政府内部でも同じことですし、さらに地方政府の中国共産党中央政府に対する保身という事実もあります。

中国の経済統計が信用できないということが言われていますが、それは、地方政府から中央政府に対する統計数値の報告がそもそも、出鱈目であるからです。地方政府の幹部は、自己保身のため中央政府に対して、GDPの数字など、水増しして報告するからです。

そうして、その結果として、石平氏が語るように、中国中央政府の幹部は、あたかも現役の泥棒が、普通の人に対し「盗みはするな」と諭したかのような発言をするのです。そうして、中華人民共和国は、まさに「厚顔無恥」の代名詞ともなっているわけです。

そうして、厚顔無恥な中国は、沖縄にも様々な情報戦をしかけています。その結果として以下動画のようなことが起こってしまうわけです。


この動画について、石平氏は以下のようなツイートをしています。
沖縄でこのような情報戦を仕掛けることにより、中国の狡猾な官僚どもは、自己保身をはかっているわけです。

自己保身をはかるため、中国国内だけで様々な行動を繰り返したり、発言することは一向に構わないです。

しかし、日本で、上記の動画のような行動を誘発させたり、尖閣諸島周辺で示威行動をしてみたり、南シナ海の人工島を弁護してみたりなど、他国まで巻き込んで実行するなど、これは到底ゆるされるものではありません。

このような「厚顔無恥」に対処するためにも、日本でも「スパイ防止法」を制定して、中華官僚の保身のための、日本国内における中国による工作活動を停止させるべきです。このようなことは、はやめに芽を摘んでおかないと、中華官僚の自己保身の延長線上で尖閣、沖縄などへの侵略ということにもなりかねません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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