すごく変なコマーシャルですね・・・・・。
追手門学院大学(大阪府茨木市)に通っていた在日インド人の男子学生=当時(20)=が大学でいじめを受け続けたとする遺書を残して自殺した問題で、男子学生が複数の学生から人前でズボンを脱がされたり、イスラム過激派テロリスト「ビンラディン」とのあだ名で呼ばれるなどの嫌がらせを受けていたことが26日、分かった。男子学生の親友が証言した。大学側はこれまでいじめの事実を強く否定してきたが、男子学生が、こうした嫌がらせをいじめと受け止め、自殺を図った疑いが強まった。
いじめとみられる嫌がらせの具体的内容が判明するのは初めて。男子学生の友人らが結成した「自殺事件原因追及の会」に対し、男子学生と特に親しかった友人の1人が証言した。
それによると、男子学生がたびたび嫌がらせを受けていたのは、遊び仲間だった複数の学生。人前でズボンを脱がされたり、花火を直接向けられたりしたほか、本名ではなく、「ビンラディン」と呼ばれるなどしていたという。
また「お前をいじることが最近一番楽しい」「お前を見ているとなんかイライラする」などの暴言を吐かれることもあったという。
男子学生は親友に対し、「最近、パシらされる(使い走りをさせられる)ことが多い」などと打ち明けることもあったという。
親友は男子学生が自殺を図った後、「もっと彼を守ってあげることができればよかったと悩み苦しんだ」と話している。
当時3年だった男子学生は平成19年6月、神戸市の自宅マンションから飛び降り自殺。遺書やメールには大学でのいじめを強く示唆する文面が記されており、遺族は調査を要望したが、大学側は3年以上放置。このため、遺族は今年8月、大阪弁護士会に人権救済を申し立てていた。
大学側は産経新聞の報道を受けた8月の記者会見で、いじめの事実を強く否定したが、10月に弁護士らでつくる第三者委員会を設置し、自殺の原因などを調査しており、27日に記者会見を開き、調査結果を公表する予定。
この問題をめぐっては、男子学生のゼミ担当教授が産経新聞の取材に対し、「大学はいじめ自殺の可能性が高いことを把握しながら調査せず隠蔽(いんぺい)した」と証言している。
【私の論評】いじめに関与したものは、追跡調査し大学卒業資格を剥奪せよ!!
追手門大学の今回のいじめに関する報道には主に二つの大きな問題点があると思います。
一つ目としては、大学生にもなって、中学生なみの頭しかないものがいるということです。現在の大学生生の就職難に関しては、確かに現在不況という側面はありますが、それ以外にも、現役大学生の中に、中学生なみの頭しかないものも結構多いという現実もあるのではないかと思います。
企業側からすれば、社会性が全くなく、コミュニケーションも満足にとれなく、そうして、上記のように中学生波の頭の大学生など、採用しても、教育・訓練して、さらに、社会性を身につけさせる手間を考えた場合、二の足を踏むのは当たり前のことと思います。
二つ目としては、大学側の対応です。速やかに発見して、中学生並の頭の馬鹿な学生はさっさと除名処分にするべきだったでしょう。そのほうが、むしろまともな大学としての評価が高まったではないかと思います。大学生にもなって、いじめをするというのは、断じて大学の責任ではなく、本人たちの責任です。全く大学には関係ないことです。ただし、誤解のないように掲載しておきますが、事件発生後にすみやかに対応して、処分なり何なりをしなかったことに関しては、大学側に大きな責任があると思います。
しかし、それにしても、今の大学二流校以下にもなると、何と、出欠の報告をわざわざ親にするそうです。私からいわせれば、そんなのは、本人に任せるべきであって、それで、本人が大学に来なくなって、放校になったとしても、大学には全く責任はありません。それは、断じて本人の責任です。もし、こんなところに、モンスターペアレントが出てきたとしても、そんなものは、一向に構う必要はありません。もし干渉してきたとしても、無視すれば良いことです。
そんなことに対して、非難をするような人間がいたとしたら、それは、そいつがおかしいということです。大学側は非難されることは全くありません。
今回の事件でも、責任は、いじめをやった馬鹿者に帰属するものであり、大学にも、親にも責任はありません。その責任はすべて、通常の社会のルール通りに、自分たちが贖えば良いことです。当然、大学として、大学卒業資格の取消、もし、本人たちが、会社に就職していたとすれば、会社側としては、入社のときの面接で、虚偽の申告をしたということで、会社も解雇で良いと思います。
それにしても、インドは親日国だというのに、残念です。いじめをしていた連中も中学生並の頭なので、そんなことは知らなかったのだと思います。
最近の大学生の質は「ゆとりの教育」もあって、かなり学力が落ちています。さらに、社会性も低いときています。コミュニケーション能力も低いです。さらに、少子高齢化の傾向から、数そのものも少ないです。
このような現象について、かつてドラッカーは、かれこれ、30年以上前から予想していて、企業に対して、高齢者、その中でも、高学歴の知識労働者の活用を推奨していました。これは、このブログにも何回か掲載してきました。10年程前でも、そのような推奨内容など、それが実現するなどとは、とても思えませんでしたが、しかし、最近になってそれが、上のような記事をみていて、現実味を帯びてきたと思います。
現在その傾向はまだ、日本に限らず、世界的にも顕著ではありません。それは、リーマン・ショック以降の経済が良くないということもあるのだと思います。しかし、上の記事などを見ていると、もし、景気が回復したとしても、もう、雇用状況などもとに戻らないのではないかと思います。
30年ほど前までは、大学の進学率など、高卒の30%前後でした。それが、最近では、50%以上になっているそうです。その結果が、上の記事のような、中学生なみの頭しかない大学生の出現です。このような状況を考えれば、もう、2流、3流であっても、あるいは1流であっても、何の才能もなく、社会性もないような大学生など、大学を卒業しただけで、中堅どころ以上の企業にほぼ無条件で就職できるという幸福な時代は終わったのではないかと思います。
しかし、それも、しかたのない事と思います。現在の大学生の質低すぎです。無論全部とはいいませんが、卒業者の何割かは、知識労働には相応しくないです。みずからにあった職業選択をすべきと思います。しかし、それは、それで良い事と思います。一昔前に戻るというだけの話ですから。現在は、どこかが狂っているだけで、本来なら大学に入れてはいけないような馬鹿者も入っているというように、認識を改めていく必要があると思います。そうして、まともな企業はそのように改めつつあると思います。
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