2013年12月16日月曜日

【ドラッカー】人間関係というものは全体への貢献と仕事への貢献を中心に置くことで一変する―【私の論評】現代の政治家・官僚も自分がしうる最大の貢献は、何かを問いつづけることが最重要!しかし、根本的には政治制度改革が必要不可欠(゚д゚)!


仕事の哲学 (ドラッカー名言集)

 「人間関係の能力をもつことによって、良い人間関係がもてるわけではない。自らの仕事や他との関係において、貢献を重視することによって、良い人間関係はもてる。そのようにして、人間関係は生産的となる。生産的であることが、良い人間関係の唯一の定義である」(ドラッカー名言集『仕事の哲学』) 
人間関係に悩む若者が増えたせいか、人間関係についてのハウツーが、多く書かれ、多く読まれています。しかし、人間関係の根本は人間関係のスキルによって左右されるのではありません。 
もちろん、潤滑油としての礼儀作法は重要です。しかし、真の人間関係は、スキルを超えたところにあります。とはいえ、高邁な思索の世界にあるわけでもありません。 
ありがたいことに、人間関係は、仕事の場において、全体への貢献と人の仕事への貢献を中心に置くだけのことで、がらりと一変します。あらゆる関係が、前向きの生産的なものに変わります。 
ドラッカーは、「仕事上の成果がなければ、温かな会話や感情も無意味である。貧しい関係の取り繕いにすぎない。逆に、関係者全員に成果をもたらす関係であれば、失礼な言葉があっても人間関係を壊すことはない」と言います。 
しかも、「成果をあげる秘訣とは、ともに働く人たち、自らの仕事に不可欠な人たちを理解し、その強み、仕事のやり方、価値観を活用することである。仕事は、仕事の論理だけではなく、ともに働く人たちの仕事ぶりに依存するからである」。 
さらには、逆に、自らの強み、仕事のやり方、価値観、果たすべき貢献を知ったうえで、それを誰に知らせるかを考えなければならないということです。 
組織内の摩擦のほとんどは、互いに、相手の仕事、仕事のやり方、重視していること、目指していることを知らないことに起因する。つまり、問題は、互いに聞きもせず、知らされもしないことにあるといいます。 
「果たすべき貢献を考えることによって、横へのコミュニケーションが可能となり、チームワークが可能となる。自らの生み出すものが成果に結び付くには、誰にそれを利用してもらうべきかとの問いが、命令系統の上でも下でもない人たちの大切さを浮き彫りにする」(『仕事の哲学』)
【私の論評】現代の政治家・官僚も自分がしうる最大の貢献は、何かを問いつづけることが最重要!しかし、根本的には政治制度改革が必要不可欠(゚д゚)!

本日は久々にドラッカーの話題です。過去においては、このブログではドラッカーの書籍に関する話題を頻繁に紹介してきましたが、最近はめっきり減ったので、本日はこの話題にしました。

在りし日のドラッカー氏とドリス夫人の、食卓の風景

上の記事で、ドラッカーは人間関係は、全体への貢献と仕事への貢献を中心に置くことで一変すると語っています。まさしく、これは本当です。これになし、いくら人間関係をつくろおうとしても、結局ほころびるだけです。

ドラッカーは、この「貢献」というキーワードで様々な経営上の課題や原理・原則を明らかにしています。

貢献を考えることによって個人も組織も成長するとして、ドラッカーは自らの著作の中で以下のように語っています。
  成果をあげるには、自らの果たすべき貢献を考えなければならない。手元の仕事から顔を上げ目標に目を向ける。組織の成果に影響を与える貢献は何かを問う。そして責任を中心に据える。(ドラッカー名著集『経営者の条件』) 
ドラッカー名著集1 経営者の条件

自らの果たすべき貢献を考える者は、部下が果たすべき貢献についても考えるようになります。あなたに期待できることは何かと聞きます。こうして本当のコミュニケーションが行なわれるようになります。

しかも、貢献に焦点を合わせることによって、横へのコミュニケーション、すなわちチームワークが可能になります。

加えて、最も重要な貢献は何かを自問することは、いかなる自己啓発が必要か、いかなる能力が必要かを考えることにつながります。

そして、貢献に焦点を合わせるならば、部下、同僚、上司を問わず、人の自己啓発を触発することになります。仕事のニーズに根ざした基準を設定することになります。すなわち卓越性を要求するようになります。

こうしてドラッカーは、貢献に焦点を合わせることによって、コミュニケーション、チームワーク、自己啓発、人材育成という、成果を上げるうえで必要な四つの基本条件を満たすことができるといいます。

私たちは、人についても組織についても多くを知りません。しかし、人にせよ組織にせよ、果たすべき貢献を考えることによって成長することは知っています。
自らに少ししか求めなければ成長しない。多くを求めるならば何も達成しない者と同じ努力で巨人に成長する。(『経営者の条件』)
ドラッカーは、さらに他の著書では、「貢献すべきは貢献したいことではない 貢献すべきことであると述べています。
 自らの果たすべき貢献を考えることが、知識から行動への起点となる。問題は、何に貢献したいかではない。何に貢献せよと言われたかでもない。何に貢献すべきかである。(『明日を支配するもの』)
ドラッカーは、このようなことが問題になるようになったこと自体が歴史上初めてのことだといいます。過去においては、長いあいだ、貢献すべきことは、自分以外のなにかによって決められていました。自ら考えることや悩むことではありませんでた。農民は土地と季節で決められていました。職人は仕事で決められていました。家事使用人はご主人の意向で決められていました。

ところが、知識労働者が仕事の主役となるや、彼らに何を貢献させるかが重大な問題になりました。そこで、人事部が組織され、それを考えることになりました。

しかし、人事部全盛の時代は、驚くほど短かいものとなりました。いかなる手法を開発しようとも、人事部なる世話役がやり切れることではないことが明らかになのました。そこで早くも1960年代には、知識労働者の場合、何を貢献するかは自分で考えよということになりました。好きなことをさせることが、最も進んだ方法とされました。

もちろん、好きなことをさせてもらうことによって、成果を上げ、併せて自己実現したという者はそれほど多くはありませんでした。

何を貢献するかを本人に考えさせることは正しかったのです。しかし、考えるべきは、何をしたいかではありませんでした。自らの貢献は何でなければならないか、でした。

世界最強の大国・米国の大統領さえ、したいことではなく、しなければならないことをしなければならないのです。

トルーマン大統領は、ルーズベルト大統領のあと、国内問題に取り組むつもりでした。しかし、ポツダム会議で旧ソ連のスターリンとやり合った後、戦後の問題は国際関係であることを痛感させられました。そして、大急ぎで外交に力を入れて戦後世界に平和をもたらしました。

これに対し、ジョンソン大統領は、ベトナム戦争を抱えつつ、国内問題から離れられませんでした。
 自らの果たすべき貢献は何かという問いに答えを出すためには、三つのことを考える必要がある。第一に、状況が求めるものである。第二に、価値ありとするものである。第三に、あげるべき成果である。(『明日を支配するもの』)
明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命

以上のことから、現代組織においてはいかに「貢献」について考えるかが、本当に重要になったかがわかります。

上記の例では、トルーマンやジョンソンの大統領の例がでていました。これは、いかに最高権力や、それに近い人間が、「貢献」について考えなければならないかを明確に示しています。自らの最大の貢献は何かについて考えない政治家や官僚など存在価値はないのだと思います。

特に、官僚などが、自らの貢献を省益などと考えて仕事をすれば、とんでもないことになるのだと思います。やはり、彼らは国民のためにできる最大の貢献を第一義として動かなければならず、それを忘れたとき全く成果を挙げられない存在になるということです。

政治家についても、無論、国家というものを第一義として、その上で自分のできる最大の貢献は何なのかを考えて行動しなければならないということです。その姿勢を失えば、堕落の道に陥ることになります。

自分の最大の貢献ができることは何なのかを日々考え続けて、実行することが政治家や官僚の本当の使命です。

しかし、現在のように政治家や官僚がなかなかその使命をまっとうできない現在、それも似たような失敗が一度ならず、何度も繰り返されるような現在、何かが間違っています。

これについても、ドラッカーは民営化だけでは間に合わないほど政府の病は重いということを著書に書いています。
先進国の政府のうち、今日まともに機能しているものは1つもない。米、英、仏、独、日のいずれにおいても、国民は政府を尊敬していない。信頼もしていない」(『ネクスト・ソサエティ』)
ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

あらゆる国で問題が発生し、その解決に政治家のリーダーシップを求める声が聞かれています。しかし、それは間違った声なのです。問題が起こっているのは、人に問題があるからではありません。ドラッカーは「システムに問題が生じたのだ」としています。

今日の政府は400年前にかたちができました。16世紀末に登場した国民国家とその政府は、当時最高のイノベーションでした。事実、このかたちは200年で世界中に広まりました。

ところが19世紀の後半、社会の力によって社会を救うという何種類かのイズムが広がり、揚げ句の果てに、政府は万能だということにされてしまいました。その典型がソ連の国民の面倒は何から何まで政府が面倒をみるという社会主義でした。

しかし政府には、できることとできないことがあります。特に現場の仕事が恐ろしく苦手です。

1969年、「再民間化」のコンセプトの下に、政府現業部門の民営化を最初に唱えたのが、ドラッカでした。これを英国の保守党がドラッカー教授の提案と断ったうえで、政策綱領に織り込みました。

それから40数年。いまや現業の切り離しや民営化だけでは間に合わないほどに、政府の病は重いです。
今後25年間、イノベーションと起業家精神が最も必要とされるのが政府である」(『ネクスト・ソサエティ』)
日本の政府や政治システムも、明治維新のときに西欧のものを取り入れたものです。確かにこの方式は当時はすぐれていたのですが、今や機能していません。

人が変れば、政治は変るというという幻想は、他国ではもう数十年も前から間違いであることが認識されていましたが、日本で本格的に認識されたのは、民主党政権の誕生とその崩壊後でした。これにより、日本国民も他の先進国並みに、人さえ変れば、政治が変るなどという幻想は誰も信じなくなりました。

民主党の唯一の貢献は、人さえ変われば政治が変わるとい
うのは、幻想にすぎないことを多くの人々に認識させたこと?

まさしく、日本でも、今後イノベーションと起業家精神が最も必要とされるは、政府だということです。この分野こし、システム改革が最重要なのです。そうして、この分野は、1年~2年でなんともなるものではありません。それこそ、ドラッカーが語っているように、25年くらいは時間をかけて、じっくりと、根本的に変えていく必要があります。

ドラッカー氏は、一般に経営学の大家だと考えられていますが、企業だけにおよばず、あらゆる組織の経営に関して、非常に役に立つ論考をされています。企業経営者にだけ、読ませるというのは勿体無いです。政治家や官僚の皆さんにも読んで、理解していただきたいです。私は、そこから、本当の意味での政治改革の発想が生まれてくるのではないかと期待しています。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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