クリスマスは誰の陰謀なのか調べてみた:
街はイルミネーションが輝き、なんだか世の中浮き足立っているこのクリスマス直前。
「クリスマスは彼氏 / 彼女と過ごしたい!」などと言いつつも、女性でも約60パーセント、男性にいたっては70パーセント以上が一人で過ごすらしい。そんな若者のために「ひとりで楽しむクリスマス」なんて特集も組まれているが、クリスマスが「恋人たちの日」なんて誰が一体決めたのだろうか。そもそも何故クリスマスを過ごさねばならないのか。誰かの陰謀に違いない! 早速調べてみた。
クリスマスとはご存知の通り、イエス・キリストの誕生を祝うキリスト教の行事である。本来は「恋人たちの日」などという意味は1ミリもない。
記録によると最初にクリスマスが祝われたのは戦国時代。ザビエルがキリスト教を伝えた3年後、1552年に山口県で行われたクリスマス礼拝らしい。当時はキリスト教の隣人愛の精神にのっとって、クリスマスには貧しい農民への寄付や救済も行われていたそうだ。断じて「恋人たちの日」など余裕をかましたイベントではない。
フランシスコ・ザビエル |
1873年にキリスト教が解放、最初は国内在住の外国人がパーティをする程度のイベントだった。だが、翌年1874年には日本にサンタクロース登場、その後デパートにクリスマスツリーが飾られ(1904年)、クリスマス用のデコレーションケーキの発売(1910年)などが登場。1930年代にはデパートで本格的なクリスマス商戦が始まった。
このあたりで現在のクリスマスの原形がほぼ完成したのだが、ここでさらにクリスマスに変化を与えたのは1980年代のバブルだ。この前後から、若者向けの雑誌にクリスマス特集が増え、「クリスマス=ロマン」のイメージが形成されたそうだ。
さらにバブルの好景気の影響を受け、恋人たちの日という定着してしまった。そんなロマンへの憧れが強迫観念めいたものになったと考えられる。その社会に根付いた強迫観念から今でもクリスマスは恋人と過ごさなければならないような焦りを感じているのではないだろうか。諸悪の根源はここにあったのだ!
もう一度胸に手をあてて問い直してみてほしい。もしかしたら12月25日は、ただの2011年最後の日曜日なのかもしれない。それならそれで普段どおりに過ごせば良いではないか。
ちなみに今年の12月25日は六曜では「赤口(しゃっこう)」。仏滅よりましだが、正午以外は大凶の日である。
photo:rocketnews24
参考元: 日本クリスマス博物館
【私の論評】クリスマスが普通の日曜日になった日本は、世界のトップランナーとなるか?
上の商業主義に煽られた、クリスマスに関しての日本人の勘違いは、昔からあったと思います。そもそも、ほとんどの日本人には、クリスマスは関係ありません。こちちらは、函館ですが、全国的にも有名な教会があり、確かに、信者の方々もいらっしゃいますが、それは、一部に過ぎません。これは、日本いずこも大体似たりよっただと思います。
ちなみに、以下は全国的な有名な元町近辺ではない、函館市内のキリスト教会を示したものです。
大きな地図で見る
しかしながら、キリスト教徒の方々は、クリスマスには家族で教会に行ったり、そのほかは家族で過ごすなどして、特に恋人同士がどうのこうのということとは、全く関係ないことは言うまでもありません。
ただし、今年は、テレビでも報道されていましたが、さすがにバブルの頃と比較すれば、クリスマスをロマンの日と捉えるむきは、かなり少なくなっていようです。まずは、確かに、恋人同士で過ごすなんていうのも、少ないようですし、仮にそうであったとしても、昔のように、高級フレンチやイタリアン、高額プレゼントでなんていう人も減っています。
最近テレビで秋葉で若者を取材している風景を見かけましたが、あるオタクっぽい男子への「クリスマスは恋人と何かを食べに行くのですか」と聴かれて、「普通のところ」と答えていました。「フレンチとか、イタリアンには行かないのですか?」と突っ込まれて、「いや、自分には合わないから行きません、普通のところに行きます」と答えていました。これが、普通の感覚になっているのかもしれません。
カフェトリノのリストランテ |
しかし、今は、そんな風潮はかなり薄れてきたと思います。それは、私は、喜ばしいことだと思います。これは、景気が悪いとかデフレとかは関係なく、日本人が成熟化したということだと思います。そうして、成熟化した背景には、あの震災も多少は、関係しているかもしれません。しかし、今後、日本の景気がかなり回復したとしても、商業主義に踊らされて、無邪気にクリスマスを恋人たちの日と思い込む人の人数は従来のようには大きくならないと思います。
お隣韓国では、ウォン安で、景気もどん底だというのに、いまだに、クリスマスは派手ですし、それに恋人同士ということになると、日本では考えられないほど、年間の記念日なるものがあります。その都度何らかプレゼントがあるそうです。
それに、結婚式では、友人のふりをして参加するサクラのバイトがあるほどです。特に、記念撮影などのときに、新郎新婦でバランスが崩れた場合、サクラをつかうそうで。サクラの最大の役割は、この記念撮影だというから驚きです。披露宴に数百人出るのは当たり前のようです。それも自由参加型といことで、全く関係ない人が、ご馳走を食べているなどという信じられないようなこともあります。そのため、結婚式に数百万はおろか、1000万円以上出費するのも当たり前のようです。韓国は、以前のブログにも書いたこともあるように、70年代からようやっと経済的北朝鮮に追いついた国です。おそらく、70年から80年代にかけて、特に都市部で、このような商業主義に煽られた、恋人同士の記念日や、結婚披露宴などができあがったものと思います。
韓国の結婚披露宴での記念撮影 |
北海道には、特殊な事情があって終戦後、貧乏な世帯が多く、招待制の結婚式などできない世帯が多く、このままでは、若者が結婚できなくなるという危機感から道庁などの生活改善運動の一環からこのような風習が生まれ、それが今にいたるまで継承されているというのが、実態のようなです。ついでにいうと、あの北海道発のバーベキューである、ジンギスカンも、その当時の栄養不足を補うため、同調による生活改善運動が端緒となっています。
メジャーになった北海道発祥のジンギスカン |
ただし、北海道でも、じょじょに数十人規模の結婚式が普通になりつつあるようです。経済、社会成熟していない国や地域などは、結婚式や葬式の規模が大きく、クリスマスなども商業主義に煽られて華美になる傾向があるようです。
今年のクリスマスは、普通の日と同じように過ごす人も多いようです。これが、本当の姿なのではないかと思います。これが、日本が成熟化して、商業主義に煽られることのない、大人の国になるというのなら、それは、それで喜ばしいことだと思います。そうして、たとえ景気がよくなっても、商業主義に踊らされず、お金を節約するときは、節約し、ブランド物などに価値をみいだすのでなく、自分の価値観に本当に合致するものには、お金をかけるという具合になれば、本物になっていくと思います。
そうして、日本は着実にそのような道を歩んでいるものと思います。少し前までは、景気の良かったアメリカも、EUも、中国ですらも、今は景気にかげりが出ています。というより、今までが、異常だったのかもしれません。韓国などは、異常なウォン安と、歪な経済構造で、破綻間近とも言われています。いずれ、これらの国々も、かつての日本と同じような道をたどることでしょう。そのときになれば、日本は、従来のような経済発展は無理ですが、現状維持もしくは、それより若干回復した状況になっていると思います。そのとき、日本は世界のトップランナーもしくは、手本となっているかもしれません。
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