金正男暗殺事件が、世界を震撼させているが、「もう一つの重大情報」に、安倍首相官邸は大揺れとなった。それは、トランプ大統領からもたらされた「金正恩影武者説」。仰天のミステリーを追う。
「あれは影武者だ」
金正男暗殺事件は、発生から約2週間を経て、国際問題の様相を呈してきた。
2月22日に会見したマレーシア警察庁のカリド・アブバカル長官は、北朝鮮による国家ぐるみの犯罪であることを示唆した。北朝鮮国籍の容疑者4人がすでに北朝鮮に帰国したばかりか、在マレーシア北朝鮮大使館の二等書記官と高麗航空のスタッフも関与していた疑いがあるとして、北朝鮮政府に身柄の引き渡しを求めたのだ。
これに対して翌23日には、これまで沈黙していた朝鮮中央通信が反撃に出た。
〈外交旅券を持つわが国民が心臓マヒで死亡したとマレーシア外務省や病院側がわが国に伝えてきたのに、マレーシア警察は客観さと公正さを欠き、われわれに嫌疑をかけている〉
在マレーシアの北朝鮮大使館の外交官たちも連日、取り囲んだ各国メディアに怒りをぶちまけたり、声明を発表したりしている。果ては「南朝鮮(韓国)当局が事件を以前から予見し、脚本まで作っていた」として、韓国による陰謀説まで展開した。
こうした罵倒合戦により、マレーシアと北朝鮮は、いまや断交寸前の状態だ。そればかりか、この事件を巡ってアメリカや中国など大国も巻き込んだ国際諜報戦に発展している。
話は、2月10日から12日までワシントン及びフロリダで行われた、安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領の公式・非公式の日米首脳会談に遡る。
両首脳はアメリカ時間11日夜10時40分、北朝鮮が中距離弾道ミサイルを発射したことを受けて、緊急の共同記者会見を行ったが、北朝鮮に関しては多くの話をした。
そうした会話の中で、トランプ大統領の口から、安倍首相が思いもよらない発言が飛び出したのだった。
「北朝鮮の若い独裁者(金正恩委員長)は、ひょっとしたらもう死んでいるのではないか? そうでなかったら、病魔に冒されて伏しているのではないか?
つまり、いま表に出てきている男は、本物ではなくて、ダミー(影武者)だということだ」
後ろに控える通訳が、トランプ大統領の発言を訳して聞かせると、安倍首相は、驚愕してしまった。
「金正恩がすでに死んでいるだと? 本当にそんな情報がもたらされているのか。とにかくその件については、帰国後に、わが国としても全力を挙げて調べる」
安倍首相としては、そうフォローするのが精一杯だった。
耳たぶの形が違う
安倍首相は、2月13日夜に帰国すると早速、関係各部署に、「金正恩ダミー説」に関する極秘調査を命じたのだった。
翌14日夜には、「マレーシアの空港で金正男が暗殺された」というビッグニュースが飛び込んできた。以後、首相官邸は、そちらのフォローに忙殺された。
「金正男の暗殺は、2月16日の故・金正日総書記生誕75周年に向けた金正恩委員長への〝プレゼント〟として、朝鮮人民軍偵察総局が企画・実行した犯行であると推定されます。韓国に亡命していた金正男の従兄弟・李韓永が'97年に殺害されたのも2月15日でした」
安倍首相のもとには、そのような報告が上がった。
実際、北朝鮮は2月15日に平壌体育館で、「金正日総書記生誕75周年慶祝中央報告大会」を開催。2月に89歳を迎えた金永南最高人民会議常任委員長(序列2位)が、「継承問題を完璧に解決したのは、千年、万年の未来と共に末永く輝く最も尊い業績である」と宣言した。
いくら北朝鮮国内で情報統制が敷かれているとはいえ、前日夜のニュースは、口コミで平壌の幹部たちにも伝わっているはずである。そのため、平壌体育館に勢揃いした幹部たちには、「継承問題を完璧に解決した」という発言が、異母兄の暗殺と重なって捉えられたことだろう。
当の金正恩委員長は、壇上中央に鎮座し、硬い表情を崩さないまま、金永南常任委員長の演説を、じっと聞いていた。
その表情に見覚えがあると思ったら、'13年12月17日に開催した金正日総書記三回忌の記念式典の時に見せた様子とソックリだった。
その5日前の12日に、叔父(父金正日総書記の妹の夫)にあたる張成沢党行政部長を処刑したばかりの金正恩委員長は、終始硬い表情を崩さず、スピーチもなかった。
金委員長は、75周年の報告大会を終えた夜、2月16日午前0時に、党や軍の最高幹部たちを引き連れて、金日成・正日父子が眠る錦繍山太陽宮殿を参拝したのだった。
こうして金正日総書記生誕75周年の一連のイベントは終了したが、それから数日のうちに、安倍首相官邸に、先の「トランプ発言」を裏付けるような情報が、続々と寄せられた。
例えば、アメリカやロシア、韓国などの諜報機関も、「金正恩ダミー説」の各種証拠を握っているといったものだ。
中でも、最も有力だったのは、安倍首相に上げられた次の報告だった。
「2月15日と16日に朝鮮中央テレビが報じた金正恩委員長の映像を、以前のものと詳細に比較してみたところ、耳たぶの形が違うのです。また歯形も異なっているように見受けられます。
特に耳たぶの形は、変えようがないものなので、やはりダミーが登場していると見るべきかと思います」
安倍首相は半信半疑のまま、そうした報告を聞いた。
たしかに、'10年10月26日に朝鮮中央通信が配信した写真と、今年2月21日に朝鮮中央通信が配信した最新のものを見ると、昔は耳たぶの先が頬にくっついていたが、最近の写真では、離れているのだという。さらに笑った時の歯形も、7年前と異なっているというのだ。
金正恩委員長は日常のストレスによる暴飲暴食がたたって、体重が7年前の約80㎏から130㎏に急増したと韓国の国家情報院は推定している。
そのせいで、糖尿病を患っているとも推定している。ダミーを置いて静養しているとかもう死んでいるとかいう説は、そういうところから来ている。
金正日の影武者は60人
実は、北朝鮮トップのダミーが取り沙汰されるのは、金正恩委員長が初めてではない。
いまから20年ほど前、かつて金日成主席の警護を担当していた脱北者をソウルでインタビューした時のこと。彼は私に、こう証言した。
「金日成主席に顔や体型、年齢がそっくりの人間を全国から集めて、一ヵ所に住まわせていた。平壌医科大学病院の隣にある白頭山研究所だ。そこでは、金日成主席の長寿の研究をしていて、ソックリさんの健康診断をしたり、様々な薬を投与したりしていた」
私はこの証言が気になって仕方なかった。そこで、'02年9月に「小泉首相訪朝」の同行記者として訪朝する機会を得た際に、宿泊先の高麗ホテルをこっそり抜け出して、その脱北者が証言した場所まで行ってみた。
すると、たしかに門の前に、「白頭山研究所」という看板が出ていた。門の奥には、白い壁が剥がれ落ち、蔦が絡みついた2階建てのコンクリートの建造物が建っていた。
建物の屋上には、「21世紀の太陽 金正日将軍様万歳!」と書かれた朱色のプラカードが掲げられていた。しばらく門の前に立っていたが、この研究所で何をしているのかを窺い知ることはできなかった。
金日成主席は、長寿の研究も虚しく、82歳を迎えた'94年7月8日、妙香山の別荘で「怪死」した。いまもって長男の金正日総書記による暗殺説が消えない、謎の多い死である。
2代目の金正日総書記は、もっと本格的に影武者を使っていた可能性がある。
私がそのことを認識したのは、'08年8月に、金正日総書記が脳卒中で倒れた後だった。
この時、パリのサント・アンヌ病院で神経外科医を務めるフランソワ・グザビエ・ルー医師が、計3度にわたって平壌へ赴き、金総書記はなんとか一命を取りとめた。
北朝鮮は、当時まだ友好関係にあった中国にも、救援要請を出していた。私は後に、中国の病院関係者から、次のような話を聞いた。
「人民解放軍の病院に勤務する脳外科医で、『神の手』と呼ばれる医師を責任者とする医師団が組まれ、平壌に向かった。だが北朝鮮側から約60人分ものダミーのカルテを見せられたため、医師たちは『北朝鮮にはこんなにダミーがいるのか』と呆れて、帰国してしまった」
金正日総書記のダミーに関しては、韓国の聯合通信('96年5月22日付)も、次のように報じている。
〈金正日にダミー二人 公式行事に代理出席
金正日は'80年代半ばから、二人のダミーを用意していた。二人は金正日の代役として、公式行事に出席している。
屋外での式典など、狙撃の危険がある場所では、ダミーが登場する。'95年10月10日に行われた朝鮮労働党創建50周年の記念式典は、金日成広場で行われたので、ダミーが登場した。本物の金正日は、同じ時間帯に室内で行われた記念レセプションに姿を見せた〉
金正日総書記に関しては、声紋が過去のものと異なっているという分析が出されたり、果てはダミーと実際に会ったという人まで現れたりした。金総書記がダミーを使う理由は、暗殺を恐れているからだとされた。
暗殺と粛清の異常国家
そんな金正日総書記も、'11年12月17日早朝に突然死した。北朝鮮の公式発表によれば、地方視察へ行く途中に、専属の「1号列車」の中で心臓発作に見舞われたことになっている。
だが、アメリカの偵察衛星が捉えたこの日の「1号列車」は、列車が停め置かれた竜城駅から動いていないし、金総書記の地方視察に伴う軍や幹部たちの移動もない。つまり、金日成主席と同様、謎に包まれた死なのである。
金正日総書記の後継者となった三男の金正恩委員長も、短期間のうちに祖父や父親の時代以上に側近の幹部たちを粛清していることから、死んではいないと思うが、常に暗殺を恐れている。実際にこの5年余りで、何度か暗殺未遂が起こった。
例えば、'13年4月下旬、平壌市内を走っていた金正恩委員長を乗せた特殊装備のベンツに、自爆テロを狙った軍の車輌が突っ込み、ベンツが大破した。この時、李敬心という22歳の交通保安員(婦人警官)が金委員長を救出し、金委員長は九死に一生を得た。
李敬心 写真はブログ管理人挿入 以下同じ |
今回、金正恩委員長の異母兄である金正男氏が暗殺されたことで、その息子の金ハンソル氏(21歳)に危険が迫っていると、日本メディアは連日、報道している。
だが、最も危険が迫っているのは、金正男氏への暗殺指令を出した可能性が高い金正恩委員長の方ではないのか。
2月15日と16日の朝鮮中央テレビの映像からは、秘密警察のトップとして張成沢党行政部長以下、多くの幹部を死に追いやった金元弘国家保衛相と、かつてナンバー2だった崔竜海党中央政治局常務委員が、姿を消していた。
今年に入っても側近たちへの容赦ない粛清を行う金正恩委員長は、もはや自身がいつ暗殺されても不思議ではない。
金正恩はすでに生存しておらず、このところ表舞台に姿を現しているのは影武者だといわれています。米国やイスラエルの諜報機関はその情報を確認済みともいわれています。ブログ包頭の記事にもあるように、その根拠が“耳の異変”で、以前の金正恩とは形が違います。
警察や公安、諜報関係者がターゲット特定の手掛かりを耳の形状に求めるのは知られた話です。整形や体重の増減で簡単に変容する顔と違い、ゴマカシがきかないからです。
例えば、日米首脳会談直後の2月12日に試射された新型弾道ミサイルの視察シーンだ。労働新聞HPに複数枚アップされています。大半が引いた写真のため詳細は分かりづらいのですが、言われてみれば金正恩の特徴的な「立ち耳」が鳴りを潜めた雰囲気はあります。
アップじゃないのがさらに怪しい |
金正日をめぐっては、暗殺とクーデター未遂が2回ずつ起きています。死亡説が流れたこともあります。11年に後継者となった金正恩は、少なくとも12年と13年に暗殺未遂に遭っている。あの国は、いつ何が起きるか分からない国なのです。
この研究は、金正恩がどのような「認知構造」を持っているのかを、32冊の著作から分析したものです。
たとえば「AをすればBになる」「AはBを増大させる」などの言葉が多ければ、その政策の実現に対して強い意志があることがわかります。逆に「AはBを損ねる」「BはAに毒されている」などの言葉が多ければ、実現はあまり願っていないことになります。
分析の結果、金正恩の発言は
(1)まず戦略目標やスローガンを提示という形を取ることがきわめて多く、論理的な体系が一貫しているといます。
(2)次に個別目標を提示
(3)目標達成の手段として政策を提示
(4)政策実行のための具体的な指示
たとえば金正恩が金正日の後継者として初めて公開の場でおこなった演説(2012年4月15日)では、まず「革命の100年の大計」とスローガンを出し、そのための個別目標として「一にも二にも三にも軍隊を強化」と発言。軍隊を強化するため「人民軍を党に従属」「最高司令官への“戦友”視」などをあげています。
こうした分析から得られた結論は単純でした。金正恩の「認知構造」は極めて強固で、目標が明確でその実現には意欲的、有言実行するというものです。
つまり、現在の基本政策である「並進路線」(経済発展と核兵器開発の同時進行)の下で、対米対決の姿勢を維持しながら軍事力を強化する行動に、なんらのブレもないのです。
この性格を考えれば、5年前から金正男暗殺を言い続け、ようやく実現させたことにも姿勢の一貫性が感じられます。
現在、日本は北朝鮮に対し「抑止と対話」という基本方針を打ち出しているますが、少なくとも金正恩に対して「対話」はほとんど意味がない可能性も報告書には書かれています。日本も「対話」以外の手段を考える時期なのかもしれません。
対話以外の手段としては、日本としては、金正恩の統治の正当性が低いということを徹底的に活用することがベストです。
統治の正統性とは、本来統治するものが現実に社会に貢献するとき、初めて手にすることのできるものです。貢献しないものは、選挙で選ばれようと、そうでなかろうと、統治の正当性を獲得することはできず、いずれ滅ぶのみです。
正男氏が殺害されたのは、正恩体制の統治の正統性が脅かされたため、との分析が広がっています。
金正日総書記は映画女優だった成恵琳(ソン・ヘリム)氏との間に正男氏をもうけました。さらに、在日朝鮮人出身の舞踊家、高英姫(コ・ヨンヒ)氏との間で生まれたのが、正哲(ジョンチョル)氏と正恩氏、妹の与正(ヨジョン)氏です。
12年に平壌に造成されたという母、高英姫氏の墓地に、正恩氏が参拝したとの情報は伝わっていません。韓国に昨年亡命した北朝鮮のテ・ヨンホ元駐英公使は、この墓地の墓石や墓碑には、死者や所有者の名前が書かれていなかったと証言しました。
23日付の韓国紙・東亜日報は、正恩氏の母親は金総書記の秘書を長年務め、4番目の妻ともいわれる金玉(キム・オク)氏とみる脱北者の記者による記事を掲載した。正男氏の息子、ハンソル氏は「白頭血統」で、次の標的となる危険性が指摘される。韓国国家情報院によると、ハンソル氏は現在、マカオで母親、妹とともに中国当局から警護を受けているという。
第一章 世紀のすりかえ劇
元々金日成は、30年代末ソ連軍が来るべき対日戦に備えて諜報とゲリラ戦を目的に組織した88旅団の大尉で大隊長。88旅団は極東ソ連のハバロフスクにおかれていた。
金日成の本名はキム・ソンジュ。漢字はわからない。彼はキムイルソンという仮名ももっていた。漢字では金一星、金日星、金一成、金日成のいずれか不明。それをいいことにソ連軍は彼を伝説の英雄金日成にすり替えて北朝鮮支配の傀儡に仕立て上げることにした。
伝説の金日成は1920年代にその名を轟かしたのだから日本敗戦の年1945年にはどんなに若くても50歳を超えているはずだ。ところがこの自称金日成は1912年生まれの33歳。おまけに彼は7歳にして漢方医であった父親に従い祖国を離れ満洲に移住した。満洲では中国語圏で生活したため朝鮮語より中国語が堪能であった。
そのため1945年10月14日初めて金日成として民衆の前に登場し演説した時聴衆の反応は極めて冷ややかであった。以下引用 P52
いよいよ金日成将軍の登場となった。次の瞬間みな唖然とした。白髪の老闘士を想像していた人々の目の前に表れたのはそれとは似ても似つかぬ若造だった。この集会に参加して一部始終を目撃していたシナリオライターの呉泳鎮はその時の印象を次のように書いている。
「身の丈は1メートル66、67くらい、中肉の身体に紺色の洋服がやや窮屈で顔は日焼けして浅黒く、髪は中華料理店のウェイターのようにばっさりと刈り上げ、前髪は一寸ほど。恰もライト級の拳闘選手を彷彿させた。にせものだ!広場に集まった群衆の間にまたたくまに不信、失望、不満、怒りの感情が電流のように伝わった(ソ連軍政下の北朝鮮ー一つの証言、1952年ソウル中央文化社)」
先の兪成哲氏もこの時会場にいた。彼は平壌入りして憲兵司令部に配属された。当日は会場の警備を兼ねながら世論収集とよぶ人心把握を命じられている。
「私は会場を回りながら民衆の反応を探ったのですが金日成の演説が始まると人々は『偽物だ』、『露助の手先だ』、『ありゃ子供じゃないか。何が金日成将軍なもんか』と口々に言い出したのです。そのまま会場から出て行く人もいました。というのも彼があまりにも若すぎるのと彼の朝鮮語がたどたどしかったからです」
著者の萩原遼は実際に朝鮮語資料を原文で読みしかも北朝鮮から亡命した人達に通訳なしで取材しているので信憑性は極めて高いです。著者がインタビューした兪成哲氏も金日成に迫害されソ連に亡命した人。ソ連崩壊前であれば彼に会うことは難しかったでしょう。それに、金日成がそもそも偽物であるということは、私自身も前々からしっていました。
北朝鮮建国以来の政治劇は二十世紀の現実とは思えません。日本でもあるいは戦国時代ならあったかもしれません。