【日本の未来を考える】東京大・大学院教授 伊藤元重 国債負担、やはり不公平?(この内容、すでにご存知の方は、この項は読み飛ばしてください)
伊藤元重氏
自国民が保有するなら政府の債務は将来世代にとって負担となるだろうか。
この点について、アバ・ラーナーという経済学者が次のような有名な指摘をしている。「政府の債務は自国民に対してであるかぎり、将来世代の負担とはならない。将来、国債を償還する必要が生じたときには、国民に税金をかけてその財源を調達する必要がある。国民から税金を集めて、そのお金で国債を償還するだけだから、将来世代の中での資金のやりとりにすぎない。将来世代内の分配の問題はあるが、政府債務が将来世代に全体として負担となるわけではない」、というものだ。
この指摘は経済学的には非常に含蓄の深いものである。その根本にあるのは、そもそも政府の借金は最終的には国民の借金であるという事実だ。政府の発行した国債を自国民がもっているかぎり、国民の国民にたいする負債であり、社会全体でみれば帳消しになる。だから、いくら政府債務が多くてもそれは将来世代の負担にならないというのだ。
この点はマクロ的には正しい。しかし、ミクロ的には正しくない。そしてその点が政府債務の大きな問題である。巨額の公的債務が将来世代に継承されていき、どこかの段階で大規模な増税によって国公債の償還が行われようとしたら国民の間でどのような論議が起こるだろうか。その時点でも国公債の大半は国民の貯蓄資金によって賄われているかもしれない。すると、国民から広く税金を集めて、それを国公債の償還に使うことになる。問題は、税金を課される人と国公債の償還を受ける人が完全に一致しない点である。
よく知られているように、家計部門が所有している金融資産の70%前後は65歳以上の人が保有しているようだ。その中でも、国公債での運用比率が特に高い郵便貯金や銀行預金だけに限定すれば、高齢者の保有比率はさらに高くなる。国公債が償還されるということは、預貯金を預かる金融機関を通じて高齢者へ資金が戻るということを意味する。一方、国公債を償還するための増税は国民全体に広くかけられる。特に、現役世代が税の負担がもっとも重くなるだろう。つまり、税収による国公債の償還とは、現役世代から高齢者世代への資金の移転という色彩が非常に強くなるのだ。当然、「何で自分たちは高齢者たちが積み上げてきた借金のつけを払わされなくてはいけないのか」という反発が出てくるだろう。
政府の借金が増えていくほど、将来世代の負担が重くなるという議論がある。しかし、これは半分しか正しくない。もし将来世代が増税を拒否したらどうなるだろうか。いま、ギリシャで深刻な財政問題が起きている。大規模なストライキが起きているようだが、人々は「なぜ政府の放漫な財政運営のつけを自分たち国民が支払わなくてはいけないのか」、と叫んでいる。政府債務の負担をこうむる人たちと、国債の償還に資産の保全がかかっている人たちの間で国論が二分するようなことがあっては困る。しかし、過去の多くの財政破綻(はたん)はこうした国内の政治的対立と無関係ではない。公的債務問題とは、すなわち将来の日本の政治的不安を生み出す深刻な問題であることを認識しなくてはいけない。(いとう もとしげ)
いわゆる学者の新聞記事は鵜呑みにはできない?
伊藤元重氏が言うように、マクロ的にアバ・ラーナーは正しい。さらに、私はこれはミクロでも正しいと思います。
以前にもこのブログで掲載したように、歴史上始まって以来、一国の政府がデフォルトを起こした(破綻した)のは「政府の海外からの外貨建て負債」のみです。また、政府がデフォルトする際には、必ず通貨危機とセットになっていました。最近のギリシャの事例もまさにその通りでした。日本はどうなのでしょうか?ギリシャとは全く反対に、対外債権(日本が外国に貸し付けてるお金)は、過去18年間世界一です。こんな国がなんで、デフォルトをおこすと考えるのか全く理解できません。それに、日本は通貨危機どころか、最近は落ち着いているものの、どちらかというと円高基調です。全く不思議です。日本がデフォルトをおこすのは、こうした論拠から世界で一番最後になるはずです。だって、世界に一番お金を貸している国なんですから!!
それに、国債に関しては、ほぼ自国内で消化しているうちでは、アバ・ラーナーが言っていることは、普遍的な事実です。ただし、これが、外国によって大部分が購入されている場合は話が違います。
伊藤元重氏は、「いま、ギリシャで深刻な財政問題が起きている。大規模なストライキが起きているようだが、人々は「なぜ政府の放漫な財政運営のつけを自分たち国民が支払わなくてはいけないのか」、と叫んでいる。政府債務の負担をこうむる人たちと、国債の償還に資産の保全がかかっている人たちの間で国論が二分するようなことがあっては困る。しかし、過去の多くの財政破綻(はたん)はこうした国内の政治的対立と無関係ではなかった」としています。
しかし、これは本当ではありません。まあ、「無関係」という表記が、クセモノですが・・・。でも、普通に読めば、政治対立が財政破綻の大きな要因になったと記載していると読めます。過去の多くの財政破綻は、その根本原因を探れば国内の政治的対立とはほとんど関係がないというか、政治対立と借金とはまた別次元の問題です。先にも述べたように歴史上始まって以来、一国の政府がデフォルトを起こした(破綻した)のは「政府の海外からの外貨建て負債」のみです。何か、鶏が先か、卵が先かの理論のようです。ギリシャも例外ではなく、政府の放漫な財政運営は、海外から借金によって、まかなわれたということです。しかし、これは、永遠に続くはずもなく、破綻してしまい、その結果として、政府は増税しようとしそれが国内の世論を二分する結果になったのです。
このブログでは、以前国債擦ることの意味について、
右のポケット、左のポケットという亀井金融担当大臣のたとえを詳説したことがあります。プライマリーバランスに関して、ボケット間のバランスに過ぎないし、国債するということは、日本国内でお金のありあまっている国民から、お金を一時借りる事に過ぎないのです。しかも、現状では国債を買う人はいくらでもいます。
そうして、こういうことを言う私も、何も永遠に、プライマリーバランス(財政均衡)を気するなとか、いつまでも、国債を刷り続けよなどということを言っているわけではありません。何といっても、現在はデフレであり、それも、10年以上もデフレ基調が続いた挙句の最近の顕著なデフレです。
まずは、デフレを克服するのが最初であり、そうではなくて、プライマリーバンス(財政均衡)や、貿易収支など気にしているということは、あたかも、癌患者が、癌の治療もしないで、会社の仕事を気にやんでいるようなものです。癌の治療が最初でしょう!!昨年来日した、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏も、与謝野氏との会見で、与謝野氏による「今の経済対策をどう思うか」という質問にこたえて、「方向性としては正しいと思う。ただし、政府支出が少なすぎる、このままでは、退院するまでに5年、10年かかる」と語っていました。バブル基調になれば、緊縮財政にするのが当たり前のことです。そのようなときになれば、私は、真っ先に余計な国債は絶対刷るな、プライマリーバランスが重要であり、長期計画で何とかせよ!!などと、ブログに書きまくると思います。
何か、伊藤氏の上の見解を見ていると、まるで、ずっと景気の良くない時代が永遠に続く事を前提としているのではないかとさえ思えてきます。確かに、今後日本が一切景気がよくなることもなく、萎むように、世界から消え去っていくとを前提とするなら、わからなくもありません。確かにこのまま、デフレが克服されずに、そのまま放置されれば、失われた10年の再来どころか、もっと酷いことになるかもしれません。それでも、日本が財政破綻するということは考えられません。
しかし、そのようなことは未来永劫にわたって永遠に続くことなど、ありえません。こんなことは、過去から何回も繰り返されたことです。しかしながら、多くの人が、好景気が続けば、みな楽観的になりその好景気があたかも永遠に続くように考え、逆に不況のときには、悲観的になり、不況が永遠につづくかのうよに考えるようです。日本も、これから成長の可能性は十分あります。成長したり、景気が良くなれば、政府の税収も増えます。また、ミクロ経済的にいえば、特に企業や企業出働く人も、いつも動的な存在であり、この動くという行為がチャンスをもたらすことはいくらでもあります。以前にもこのブログの
TGCに関する記事にも掲載したように、経営学大家ドにラッカー氏はマネジメンくとの中で以下のように語っています。
「企業の目的は、顧客の創造である。したがって企業は、二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす」(マネジメント エッセンシャル版 16ページ)
さらに、こうも言っています。
「マーティングだけでは、企業としての成功はない。静的な経済には、企業は存在し得ない。そこに存在しうるものは、手数料をもらうだけのブローカーか、何の価値も生まない投機家である。企業が存在しうるのは、成長する経済のみである。あるいは少なくとも、変化を当然とする経済においてのみである。そうして企業こそ、この成長と変化のための機関である。
したがって企業の第二の機能は、イノベーションすなわち新しい満足を生み出すことである。経済的な財とサービスを供給するだけでなく、よりよく、より経済的な財とサービスを供給しなければならない。企業そのものは、より大きくなる必要はないが、常によりよくならなければならない」(マネジメント エッセンシャル版 17~18頁)
現在は、イノベーションが足りないのではないかと思います。そうして、経済学者にもいろいろなタイプがいますが、伊藤氏は、企業や個人のこうした面を小さく評価しているのではないでしょうか?
なお、上記の新聞記事は、短いものなので、伊藤氏は、短いスパンのことを言っているだけなのかもしれません。もっと長いスパンでは、私や他の人と同じようなことを考えているかもしれません。いや、長年にわたる研究者なのですから、それ以上のことも考えているのかもしれません。
しかし今のタイミングて、上記の内容の記事であれば、何のための記事なのか良く理解できません。あるいは、これも、どうしても日本をデフォルトさせたい、マスコミのやらせで、伊藤氏のいったことを自分の都合の良いように切り取って掲載したものなのでしょうか?
こういった、記事は相当気をつけて読まないといけないと思います。たとえば、私の大学の先輩でもある、元宇宙飛行士の毛利さん、地球温暖化のキャンペーンなどに顔を出しますが、あの方自体は地球環境問題が専門であるわけではありません。私自身は、毛利さんのテレビでの温暖化に関す発言などみていると、時々「ああ、利用されているなぁ」と感じることがあります。皆さんも、気を付けましょう!どのような、新聞記事や、報道でも、鵜呑みしてはいけないと思ます。自分の頭で判断したり、分からない場合は、他の情報もあつめましょう!!
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