なぜ日本で「支那」が憚られるも海外で「China」がOKか
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写真、チャートはブログ管理人挿入 以下同じ |
英語で中国のことを「China」と呼ぶにもかかわらず、「シナ」と呼ぶことがはばかられる世の中になっている。評論家の呉智英氏が、なぜ日本では「中国」と呼ぶことが強制されるようになったのかについて解説する。
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沖縄における機動隊員の「土人」「支那人」発言がジャーナリズムの一部で今も批判の的となっている。しかし、よく観察してみると「土人」批判が中心となり「支那人」批判は勢いを減じている。「支那人」批判が論理的に成り立たないと気づきだしたのだろう。「東シナ海」も「インドシナ半島」も、これらジャーナリズム自身が使っているのだから。
「支那」「支那人」が禁止され、「東シナ海」「インドシナ半島」(支那かシナかは、単なる用字の違い)が許されている矛盾に気づけば、真実は容易に分かる。これは国家権力による言論抑圧なのである。
敗戦期の1946年、連合国占領下の言論統制策の一環として、原爆の被害報道や米兵の犯罪報道などとともに「支那」使用が禁止されたのだ。同年六月の外務省局長通達が、この言論弾圧の法的根拠である。その文書の中に、「東支那海」などは可とあるから、これらは許されているのだ。
では、支那は、なぜ日本に「中国」を強制したのか。支那が世界の「中心の国」であり、日本(朝鮮やベトナムも)はその属国だと認めさせたいからだ。「中華思想」「華夷(かい)秩序」である。しかし、イギリスやフランスやドイツに、支那は世界の中心だからChinaではなくCentral Landと呼べとは言えない。それ故、欧米では「支那」が通用している。
夷(えびす)として差別されている日本人が、嬉々としてこれを受け容れ、この差別を批判する人たちを差別者であると誹謗する。歪んだ“正義”が言論界を支配している。
昨年、米大統領選で勝利したトランプのもとへ安倍首相が真先に駆けつけた。これを「朝貢外交」だと、愚かな言論人たちは批判した。安倍総理の行動は、適否は別として、外交技術の範囲内だ。朝貢外交を批判するなら、支那を「中国」と呼ばせることをまず批判すべきである。朝貢外交は華夷秩序の下で行なわれる。
こんな異常な言論空間が70年も続き、さまざまな場所で「支那」狩りが行なわれてきた。C・H・ビショップ文、K・ヴィーゼ絵の絵本『シナの五にんきょうだい』の絶版事件もその一例である。
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絵本『シナの五にんきょうだい』の表紙 |
原著は1938年刊。日本では1961年福音館から石井桃子訳で刊行された。内容は、ユーモラスなホラ話である。支那の五人兄弟は、それぞれ海の水を飲み干すなどの超人的な特技を持っているが、それ故に死刑になりそうになる。しかし、その特技によって助かる。子供が喜びそうな創作おとぎ話である。ところが、1970年代、「シナ」が侵略的で差別的だという理不尽な非難が起き、1978年に絶版に追い込まれた。
その後も復刊を望む声が多く、1995年、瑞雲舎から新訳が出て重版が続いている。書名は『シナの五にんきょうだい』のままだ。福音館は何におびえて絶版にしたのだろう。周囲の出版人、言論人は何を考えていたのだろう。新訳の訳者は
川本三郎である。川本も一つぐらいはいいことをしている。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
【私の論評】「中国」ではなく、「支那」呼称すべきこれだけの理由(゚д゚)!
皆様、明けましておめでとう御座います。昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、今年の抱負として私は、さほど大きなものではないのですが、このブログでは今年こそは、大陸中国を中国と呼称するのはやめて、「支那」にすることとしました。そうするにおいては、昨年中に熟慮に熟慮を重ねてまいりました。その結果「支那」と呼称することに決めました。本日は、その熟慮の内容を掲載させていただきます。
ブログ冒頭の記事以外も、支那を中国と呼ぶべきではない理由があります。
まず第一に、日本には中国育ちの日本人が大勢いるからです。無論この中国は支那のことではありません。 中国には、中国銀行、中国放送、中国新聞、中国交通、中国ガス機器、中国電力等、 社名に「中国」を含む多くの企業がありますが、言うまでもなくすべて日本の企業です。 また中国には中国山地があり、中国自動車道が通っています。
ところが紛らわしい事に、なぜかマスコミは支那を「中国」と呼び、 中国のことをわざわざ「中国地方」などと脇に押しやったような言い方をしています。2011年に、「中国で『讃岐うどん』商標登録申請、香川県が異議へ」という見出しの 新聞記事がありましたが、記事の内容は「支那人が支那の国内で日本の商標を申請した」というものでした。 それなら「支那で『讃岐うどん』商標登録申請」と言うべきです。 先ほどの見出しでは、まるで瀬戸内海をはさんで中国と四国がもめているみたいです。
日本の山陽・山陰を合わせた地域を中国と呼ぶ歴史は非常に古く、 『類聚三代格』の元慶二年(878)二月三日の官符に既に見られますから、 少なくとも千百年以上の歴史があります。
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中国とは本来日本の山陰・山陽地方を合わせた地方のことだ |
一方、一般に日本人が支那を「中国」と呼び始めたのは戦後の事ですから、 まだ70年程の歴史しかありません。 また「中国」と呼び始めた時点で、中華民国(建国1912年)はまだ三十数年の歴史しかなく、 中華人民共和国(建国1949年)に至っては存在すらしていませんでした。
ということは、千百年以上も在り続け、使われ続けて来た日本国内の由緒正しい地名を脇に押しやって、 海外にある新興国の略称を優先させていることになります。 なぜこんな不自然な馬鹿げたことが起こってしまったのでしょうか。
事の始まりは、昭和21年(1946)に外務省が出した通達です。 当時GHQの管理下にあった外務省は、 東京都内の主要マスコミに対して「支那」の使用をやめるように通達しました。
中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが 其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり、 現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので、 今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第です。 要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては
中華民國、中國、民國。中華民國人、中國人、民國人、華人。
日華、米華、中蘇、英華などのいづれを用ひるも差支なく唯歴史的地理的又は學術的の敍述などの場合は 必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます。
(昭和21年6月7日付「中華民国の呼称に関する件」より引用)
「今後は理屈を拔きにして」とある通り、理屈の通らない無茶苦茶な押し付けであることは明らかです。 当時の日本は敗戦によって民主主義を封殺され、GHQによる野蛮な検閲と洗脳に支配された時代でしたが、 それでもこんな暴力団の脅しのような要求に屈した外務官僚には大いに責任があります。
しかしよく読むと、支那と呼ぶべきでないとされているのは「中華民国」、つまり台湾のことです。 また「中国」の他に「民国」という候補も挙げられていますから、 こちらを使えば無用な混乱は避けられたはずです。わざわざ問題のある「中国」の方を使い、さらには 中華人民共和国にまで「中国」という名称を適用したことは、 マスコミの過剰適応であり、外務官僚と同罪です。
驚くべきことにマスコミの力は絶大でした。 ありとあらゆるすべてのメディアにおいて「支那」から「中国」への書き換えが行われ、 過去の戦争の名前までもが、 例えば「支那事変」は「日中戦争」にという具合に書き換えられました。 その一方で「中国四千年」「中国文明」などと、あたかも何千年も前から「中国」という国があって、 日本人がそう呼んでいたかのように触れ回りました。 つまり単に国の呼称が変えられただけではなくて、歴史全体が書き換えられたのです。
このような洗脳により、最近まで日本人が支那を支那と呼んでいた事も歴史から消し去られて しまいました。 それでも個人の中にはいまだに支那と呼ぶ人はいるのですが、 マスコミがこぞってシナを強引に「中国」と呼び続けるものですから、 逆に支那と呼んでいる人達の方が、何か特別な意図を持った人のように思われてしまいます。
このような理不尽な押し付けによって、日本人とりわけ中国の人達は様々な不利益を被っています。 中国は日本の地名です。戦争に負けたからと言って呼び名を強要されるいわれはありません。 これが支那を「中国」と呼んではいけない 一つ目の理由 です。
第二の理由をあげます。「支那(シナ)は日本人だけの呼び名であり、中国人を侮蔑してこう呼んだのだ」と 主張する人がいます。これはまったくの嘘です。 「シナ」も「支那」も日本だけで使われた言葉ではないし、ましてや差別語ではありません。
『広辞苑』には、「支那」とはシナに対する外国人一般の呼称であると書かれています。
支那(しな)(「秦(しん)」の転訛)外国人の中国に対する呼称。初めインドの仏典に現れ、 日本では江戸中期以来第二次大戦末まで用いられた。 戦後は「支那」の表記を避けて多く「シナ」と書く。インド人の「シナ」という呼称に「支那」の字を当てたのは当のシナ人です。 そしてシナ人自身も自国を「支那」と呼んでいました。 「国父」とされる孫文も自国を「支那」と言っています。 差別語であればシナ人は使わないはずです。
一方、日本人は元々シナを「から」「もろこし」と呼んでいました。 「支那(シナ)」と呼び始めたのは外国人の影響です。 江戸時代の学者・本居宣長(1730-1801)は、『玉がつま』の中で、 日本の一部の学者が外国の真似をして「支那」と呼ぶことを批判しています。
もろこしの國を、もろこしともからともいひ、漢文には、漢とも唐ともかくぞ、皇國のことなるを、 しかいふをばつたなしとして、中華中國などいふを、かしこきことゝ心得たるひがことは、 馭戎慨言にくはしく論ひたれば、今さらにいはず、又中華中國などは、いふまじきことゝ、 物のこゝろをわきまへたるひとはた、猶漢もしは唐などいふをば、つたなしとやおもふらむ、 震旦支那など書くたぐひもあんなるは、中華中國などいふにくらぶれば、よろしけれども、 震旦支那などは、西の方なる國より、つけたる名 なれば、そもなほおのが國のことをすてゝ、人の國のことにしたがふにぞ有ける、 もし漢といひ唐ともいはむを、おかしからずとおもはゞ、 漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書むに、何事かあらむ、
このことからも、支那(シナ)は「日本人だけが使った言葉」ではない事が明らかです。 むしろその呼称が世界標準だったために、日本人までが使うようになったというのが真実です。
これは今も同じです。 下記の一覧表は、世界の国々が支那を何と呼んでいるかをまとめたものです。 これを見ると、国毎のなまりはあるものの、多くの国が「シナ」に基づく呼び方をしている ことが分かります。英語の「チャイナ」もシナが変化したものです。 朝鮮語の「チュングク」とベトナム語の「トゥルンコック」のみが「中国」に基づいた呼称のようです。 ペルシャ語の「シニスタン」は「震旦(しんたん)」と同源で、やはり「秦(しん)」が元になっています。
他の国々では 支那をどう呼んでいるか
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「China を『中国』と呼ぶ重大な過ち」中嶋嶺雄(WiLL 2006年9月号)より引用 |
また「仮に差別語ではないとしても、人が嫌がる呼称をわざと使うのはよくない」などと もっともらしいことを言う人もいますが、シナ人が嫌がっているというのも非常に疑わしい話です。 先に述べた通り、シナは世界中の国々からシナもしくはその変形で呼ばれているのに、 なぜそれらに対して抗議をしないのでしょうか。
そもそも中華人民共和国の英語名は "People's Republic of China" で、 シナ政府自身がつけた呼び名です。 これを日本語に訳すなら、「支那人民共和国」になる事は言うまでもありません。
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sina.comのポータル |
2000年、支那の巨大ポータルサイト 新浪(sina.com) に対して、 日本に留学経験のあるシナの学者が抗議をしたことがありました。 「sina は日本による差別語だから改名するべきだ」と言うおなじみの主張です。 その時 sina.com の代表者は 「支那は英語のチャイナ(China)の過去の発音で、それ自体に侮辱の意味はない」と言って拒否しました。 さらに続けて、「sinaを世界のブランドにし、シナ人が誇れる呼び名にする」と言ったそうです。 至ってまともな意見です。
大体シナを「差別語」だと言い張る人達は、一定期間以上日本に住んでいていて日本のマスコミの報道に接した人たちだけです。 もし支那にいる支那人が sina.com の名称を嫌がっているとしたら、 わざわざ日本に留学した学者に指摘されるまでもなく、最初から大騒ぎになっていたはずですし、 間違っても人気サイトなどにはならなかったでしょう。
「意図的にシナと呼ぶ態度がシナを差別語にしたのだ」のでたらめ他に、「支那という呼び方を変えてくれと要請したにも関わらず、日本人は変えようとせず、 意図的に支那と呼び続けた。だから支那は差別語になったのだ」という主張もありますが、これも論外です。
本当の差別語や明らかに侮蔑している場合はともかく、相手をどう呼ぶかは呼ぶ側が決めることです。 「このように呼んで欲しい」と要請をするの良いですが、それが受け入れられるかどうかは相手次第です。 それを相手が要請に従わないからと言って「差別」と決めつけるのは、 やくざの言いがかりと同じです。 ましてや相手が国際標準の呼び方をしているところに、ごく少数の国しか使わない特殊な呼び方を 押し付けるなどというのは もってのほかです。
さて支那人が「支那と呼ぶな」という時、必ずその後に「中国と呼べ」が続きます。なぜ、そのようなことになるかといえば、ブログ冒頭の記事にもある通り、支那が世界の「中心の国」であり、日本(朝鮮やベトナムも)はその属国だと認めさせたいからです。これは、「中華思想」「華夷(かい)秩序」によるものです。
そもそも「中国」と言う言葉には、「世界の中心の国」という意味の普通名詞の用法があります。 この用法は固有名詞としての「中国」とは違って、非常に長い歴史があります。 その言葉は中華思想という世界観を前提としています。
その世界観は、「中国」を中心として、四方に野蛮な異民族がいるというものです。 四方の異民族は東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき) と呼ばれました。 使われている文字を見れば分かる通り、周辺の異民族を侮蔑してこう呼んでいました。
そして「中国」には、天からの命令(天命)を授かって世界を治める「天子(てんし)」がいるとされました。 天子が政治を行う場が朝廷です。 皇帝は天子の別称で、「皇」の字は天子にのみ許されるとされました。 皇帝は「中国」を治めるのみならず、四方の野蛮な異民族をも臣下の国として従え、 その国の長に「王」の称号を授けました。 王は皇帝に忠誠を誓い、「中国」に貢ぎ物を納めました。 これがいわゆる「中華秩序」です。だから「中国」は尊称でもあります。
支那の皇帝は自国を「中国」と尊称で呼び、臣下の国にも「中国」と呼ばせました。 だからシナの忠実な臣下である朝鮮などは、支那を「中国」と呼びました。 つまり 他国を「中国」と呼ぶ国は、その国の臣下の国に他ならない という事です。 これに似た働きをする言葉には「ご主人様」や「親分」などがあります。 ある人を「ご主人様」と呼ぶ人は、その人の召使いであることは明らかです。 ある人を「親分」と呼ぶ人は、その人の子分に違いないでしょう。
ところが7世紀の始め、支那の前にもう一つの大国が現れました。 その国もまた自国を中国と呼びました。 次に示すのは、その国から支那に送られてきた国書の一節です。
日出づる処の 天子が、日没する処の 天子に手紙を送る(日出處天子致書日沒處天子)
天子が二人になっています。 続いて送られて来た二通目の国書は次のようなものでした。
東の 天皇が謹んで西の 皇帝に申し上げます(東天皇敬白西皇帝)
天子にしか許されないはずの「皇」を名に持つ元首が二人います。言うまでもなく、これは日本が支那に送った国書です。 共に聖徳太子の手によるものとされていて、 前者は支那の歴史書『隋書』に、後者は日本の歴史書『日本書紀』に記録されています。
先に述べた中華思想の世界観を理解していれば、この二つの国書が提示しているものが、共に 「二つの中国」という新しい世界観 であることがお分かりでしょう。これは一つの中国を前提とするシナ人の中華秩序を否定するものでした。 隋の煬帝は不本意ながらもこの国書を受け入れています。 それ以来アジアには二つの中国があり、互いに張り合って来たわけです。
この新しい秩序を受け入れなかったのは、支那よりもむしろ支那の属国の朝鮮でした。 明治時代に日本が朝鮮に修好を申し入れた時も、国書に「皇」の字が使われていると言って拒否しました。 今でも朝鮮人などが、天皇という呼称を嫌って「日王」などと言うのは、 この「二つの中国」という世界観を認めたくないからです。 日本国内にも、執拗に聖徳太子の存在を否定し、 大和朝廷を「ヤマト王権」と言い換えたがる勢力がありますが、 まったく同じ発想です。 「朝廷」は天子が政治を行う場、「王」は皇帝の臣下であることを思い出して下さい。 「大和」を「ヤマト」に置き換えるのは、「大」が敬称だからです。
さて今日の私達は当たり前のようにシナを「中国」と呼んでいますが、 それは「中国」が「中華人民共和国」の略称だと思っているからです。 しかしそう呼ぶことは、聖徳太子が確立されたた「二つの中国」という日本の基本的立場を危うくするものです。 日本こそが中国なのに、なぜ他国を「中国」などと呼ぶのでしょうか。 これが支那を「中国」と呼んではいけない 二つ目の理由 です。
朝鮮人やベトナム人がシナを「中国」と呼ぶのは、臣下の国としての長い歴史を反映したものなので 問題ありません。日本人がそう呼んではいけないのは、日本の歴史を反映していないからです。 私達は敗戦と共に、そういう間違った呼称を巧妙に押し付けられたということです。 本を正せば、「中国」の意味や聖徳太子の国書の意味を教えない学校教育に根本的な問題があります。
このブログでも、昨年までは支那のことを中国と呼称していましたが、今年から支那と呼称することにします。
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