2012年2月21日火曜日

早大入試で偏向的出題 国旗国歌「教育にふさわしくない」 - MSN産経ニュース−【私の論評】法学部の入試問題としては、前代未聞の酷さ?!〈拡散希望〉

早大入試で偏向的出題 国旗国歌「教育にふさわしくない」 - MSN産経ニュース:


早稲田大学法学部が15日に実施した入学試験で、学校行事での国旗国歌をめぐる教員の不起立訴訟を取り上げ、国歌斉唱時の起立強制はふさわしくないとする問題文を出題していたことが20日、分かった。最高裁判例では起立しない教員への職務命令は合憲とされており、識者は「偏向的で不適切だ」と指摘している。

出題されたのは選択科目の「政治・経済」で、問題文は「日の丸・君が代が戦前の日本の軍国主義下でのシンボルと考える人々にとっては、君が代に敬意を払えという命令は自己の思想に反すると感じられる」と指摘。「教育には強制はふさわしくないのではなかろうか」と結論づけた。

また「学校の式典で日の丸を掲揚し君が代を斉唱することは、それを通じて国家への敬愛の念を抱かせようとするものであり、教育には似つかわしくない」と記述し、入学・卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱の指導を義務付けた文部科学省の学習指導要領に明確に反する主張を展開した。

不起立訴訟をめぐっては、東京都教育委員会の懲戒処分取り消しを求めた訴訟で、1月16日に最高裁が「戒告までは処分権者の裁量の範囲内」と、初の処分基準を示したばかりだ。

早大法学部の出題を受け、都教委は今月17日、都立進学校36校に、受験した人数の報告を依頼した。都教委は過去問題の分析集作成などに必要と判断したほか、「受験生や保護者が不安になったり、問い合わせがあったりする可能性があり、把握すべきだと考えた」と説明している。

早大広報室は「入試問題の内容についてはコメントしない」としている。

教育評論家の石井昌浩氏は「最高裁判例をはみ出した偏向的な問題文だ。入試問題を通した洗脳教育とも解釈でき、極めて不適切だ」と指摘している。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120221/edc12022102080000-n1.htm

【私の論評】法学部の入試問題としては、前代未聞の酷さ?!〈拡散希望〉


大学というところには、なぜか世間とは全く関係なく、暗い部屋の中の水槽に住んでいるおかしな連中が住んでいることは、前から知っていましたが、これはたまたま、それが表面にでてきたということだと思います。それにしても、ひどすぎです。


これは、文系の問題なので、事の重大さが見過ごされたのかもしれません。理系の問題で、たとえば、天動説が正しいなどという問題を出せば、かなりの大騒動になったかもしれません。実際これに近いようことは、アメリカでは最近でも時々おこっています。

今回の入試問題はこうした、水槽の中の住人が出したものだと思います。それにしても、こうした問題をチェックできなかった、大学当局にもかなり問題があると思います。

この種の問題としては、過去において大学入試センター試験にもおかしげな問題が出題されたことがあります。

在日外国人への地方参政権付与を違憲とした最高裁判決を捏造し、合憲判決だったと宣伝するのが参政権付与を推進する反日政治勢力ですが、2010年一月十六日の大学入試センター試験(現代社会)では、その主張に基づく出題が行われました。

設問は「日本における参政権に関する記述として適当でないもの」を四つの選択肢から一つ選ばせると言うものだったが、「最高裁判所は、外国人のうちの永住者等に対して、地方選挙の選挙権を法律で付与することは、憲法上禁止されていないとしている」との明らかに「適当ではない」選択肢を、「適当」として扱いました。

そのため判決内容を正しく認識する受験者は、正答をしながら誤答扱いとされたのです。また今後、この出題に合わせて高校や予備校も、参政権付与は合憲だと教えることとなるだろう。

実に恐るべきことです。センター試験が政治勢力に利用されたとしか解釈できません。にもかかわらず大学入試センターは、「教科書の記述に従った」として、出題は誤っていなかったと主張しています。教科書に記事があったとして、それが間違いであったとすれば、そのような問題など出題すべきではありません。

このことに関してセンターに電話で聞いてみた人がいますが、その人によれば、「記述のない教科書、違憲とする教科書もあるはずだ」と問い合わせをすると「そうだ」と認めたそうです。「教科書の記述に従った」との主張の矛盾点もあっさりと認めたそうです。


これに関しては、当時マスコミは、ほとんど報道しなかったものの、デモ活動が挙行されたりしました。これは、当然のことと思います。国の機関である、大学入試センターが、反日問題を出して、まだ、年齢の若い人たちに、誤った情報を押し付けるなどということは、到底許されるものではありません。

大学入試など、受験者は合格することが第一ですから、自分がそう思っていないことでも、出題者の意向に沿った回答を心がけるのが、当たり前のことと思います。そうなれば、事実と異なることでも、そう答えなければなりません。

このようなことを通じて事実が歪曲されては、たまったものではありません。この大学入試センターの問題に関しても、今回の早稲田の入試問題にせよ、事実を徹底的に究明して欲しいものです。一体どこの誰がこのような歪曲を行ったのか!!

それにしても、最近では、反日教育の輪が、小中学のみならず大学にまで広まっているようです。有名大学でも、明らかに反日教育などがなされていることもあるようです。せっかく、授業料を支払い、時間をかけて、大学に行って、反日教育をされたのでは、当人も、事業料を支払う親もたまったものではありません。

私自身は、今から考えると、理系に進んだのは、このようなことが嫌だったということもあります。ただし、私が北海道大学の大学生だった頃は、すでに学生運動などなくなって、かなりたってからでした。それでも、ヘルメットとの集団が15名ほどで、大学内をデモらしいことをやっていたのは、数回みたことがあります。その姿を見た、女子学生が、「何、アレー、バッカミタイ!!」と言っていたのを想い出します。馬鹿な学生運動がなくなった時代で本当に良かったと思います。ただし、文科系には、いわゆる、世の中とは全く無縁の水槽に住んでいる人たちがいることは、わかっていました。

それにしても、今回の早稲田大学法学部の入試問題は、あまりにも酷すぎます。こんな、反日問題が出題されるということは、反日講義や、反日研究なども行われているとみて間違いありません。一体、大学入試センターや、早稲田大学とは、どこの国の機関なのでしょうか?創設者の大隈重信公も草葉の陰で悲しんでおられるに違いありません。

現代は、自分が自らの人生の主人公であるとの確信を持つことは本当に難しい世の中になりました。大学の入試問題くらいは、信用できると思ったら大間違いということです。私たちは、世の中で言われているいることで、何の疑問も持たずいては、自分では、そう思っていなくても誰かの恣意で操作されているということもありえるわけです。

とにかく、早稲田大学に関して、まずは自浄作用でなんとか、まともになっていただきたいものです。大学入試センターに関しては、すみやかに、関与者を処分していただきたいものです。こちらの、ほうは、国の機関ですから、民主党が次の選挙で大敗した後でもかまわないので、きちんと調査して、処分をしていくべきと思います。そうでないと、しめしがつきません。(下の写真は、早稲田大学創設者の大隈重信公)


それから、この事実、ネットで調べてみましたが、大手新聞で報道しているのは、産経新聞くらいなものです。これも、本当に恐るべきことです。こんな有様ですから、おそらく、テレビでもあまり報道しないと思います。そのため、知らない人もかなり多いのではないかと思います。だからこそ、この内容多くの人たちに拡散していただきたいと思います。

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「箱の外に出て考えなさい」という暗喩は事実という実験結果−【私の論評】すぐれた起業家は、実際に箱から出なくても、箱の外をイメージし、シミレーションすることができる!!

「箱の外に出て考えなさい」という暗喩は事実という実験結果:



「箱の外に出て考えなさい」というのは、英語の慣用句で「既成概念にとらわれずに考えなさい」という意味ですが、この決まり文句はどうやら言葉通りの意味でもあるようです。『Psychological Science(心理科学)』に載っていた最近の研究によると、暗喩の表現と同じく、実際に箱の外に出た方が創造性が高まることが分かりました。

Photo by Joits.


【私の論評】すぐれた起業家は、実際に箱から出なくても、箱の外をイメージし、シミレーションすることができる!!

この隠喩に関しては、確かにいろいろと当てはまることが多いようです。このブログでも掲載したように、ノマド的な働き方も、箱の外にでることと同様の効果があると思います。


私自身が、もともとノマド的傾向があるのかもしれません。よく考えてみると、私自身、大学の受験勉強とか、大学の試験勉強など、たいていは、もちろん家の中でやるのですが、よく、つまったり、それ以上やる気きがなくなった場合、気分転換のため、教材などデイパックの中にいれ、自転車などにのって、気の向いた喫茶店や図書館などに行き、勉強していました。場合によっては、アメリカ領事館内にあった、アメリカン・センター(図書館のようなもの、現在は廃止されたと聞いています)というところにも行ったことがあります。そうすると、かなり気分転換になり、当該場所でも、家に戻っても勉強がかなりはかどりました。これは、完璧に箱の外に出る効果だと思います。


それにしても、上のライフハッカーの記事、これは、英語の隠喩だとおもうのですが、そのもともとの、英語とか、その使い方など掲載していません。おそらく、英語版の記事をそのまま日本語に訳しただけのものだと思います。そこが、少し残念だと思います。英語の辞書などあたっていましたが、このことばは、たとえば、"Let's think out of the box!"などのように使われるようです。

以下にその用法などを掲載しておきます。

★Let's think out of the box!


①What does it mean?→to think differently, unconventionally or from a new perspective, to look further and try not to think of the obvious things, but try and think beyond that.

②When do I use it?→When you get tired of hearing same old ideas and when you get stuck..etc..

③Examples? ↓
●unconventionally 慣例にとらわれず、型破りに
●perspective 見方、視点 
●look further さらに詳しく調べる
●obvious things 分かり切った事 
●get tired of ~ うんざりする
●be stuck 行き詰まる

【Dialogue】

Chris: Jiro, let's face it. We have no budget and time to do the project. That's the end of the story.

Jiro: Come on, Chris. Let's think out of the box! We will figure out the ways to do it.

●Let's face it 現実を直視しよう 
●budget 予算 
●That's the end of the story もう終わりだよ

【Source】

■Think out of the box→箱の外から出て考える→既成概念にとらわれず、違う、新しい切り口で、考える■

これはコンサルティング会社とか、マーケティング会社とか、アイデアを商品としているところで必ずと言っていいほど良く使われる言葉です。

前職の米国のInnovation Firmではちょっと表現を変えていますが、(go outside the box)会社のWebsiteに以下のような宣伝文句を使っていました。

"We design workshops, we explore markets, we brainstorm with potential customers, we go outside the box and come back with unique ideas and unexpected strategies."


さて、この『箱の外に出て考える』このように説明されると、誰もが当然のことと受け止めると思います。しかし、現実にはそうではありません。だからこそ、素晴らしい起業家などほんとうにほんの一部の人のことであり、稀有なことと受け止める人も多いように思います。しかし、そんなことはありません。


これに関しては、以前のブログにも掲載したことがあります。そこから、以下に核心部分のみコピペしておきます。

「起業家精神とは、個人であれ組織であれ、独特の特性をもつ何かである。気質ではない。実際のところ私は、いろいろな気質の人たちが、起業家的な挑戦を見事に成功させるのを見てきた」(ドラッカー名著集(5)『イノベーションと企業家精神』)

起業家精神というと、100人に1人が持つという感覚である。100人に1人の気質、100人に1人の才能としかねない。ドラッカーは、そこがそもそもの間違いだという。それは、気質でも才能でもない。
ただし、一つだけ起業家精神に向かない気質がある。確実性を旨とする気質である。それはそれで立派な気質だが、企業家には向かないという。

しかし、意思決定を行なうことができるならば、学習を通して、企業家として企業家的に行動することができるようになる。起業家精神とは、気質ではなく、行動であり、同時に姿勢だからである。

イノベーションは、才能とも関係がない。起業家精神の才能などはなく、方法論が必要なだけなのである。それが今、ようやく各所で開発中である。

ドラッカーは、起業家精神はインスピレーションとも、ほとんどあるいはまったく関係ないという。逆にそれは、厳しく、組織的な作業である。

企業家に天才的なひらめきがあるというのは、神話にすぎない。ドラッカー自身、60年以上にわたっていろいろな起業家と仕事をしてきた。ベンチャーを立ち上げた人もいれば、社内企業家もいた。どの人も働き者だったという。天才的なひらめきを当てにするような人は、ひらめきのように消えていったという。

イノベーションは、変化を利用することによって成功するのであって、変化をもたらそうとすることによって成功するのではない。

ということは、変化を当然のこととして受け止めることである。日本人にとって、諸行無常を旨とすることは、おなじみなのではないか。

「本人が自覚しているか否かにかかわらず、あらゆる仕事が原理にもとづく。起業家精神も原理にもとづく。起業家精神の原理とは、変化を当然のこととすることである」(『イノベーションと企業家精神』)

このように、起業家精神の原理とは、変化を当然のこととすることです。そうであれば、"think out of the box!"は常態のようになっているのではないでしょうか?これも、当然、原理とまではいかなくても、少なくとも原理を形成する下位概念の一つくらいにはなっているとは当然のことと思います。

私は、すぐれた起業家は、実際に箱から出なくても、箱の中にいても、箱の外に出た自分や、会社や従業員の姿をイメージし、シミレーションすることができるのだと思います。皆さんは、どう思われますか?それから比較すると、起業家的精神をもてない人は、たとえ実際に、会社の建物などの外に出ても、会社の現在や過去に囚われ、現在の延長線上でしかものを考えられないのだと思います。しかし、そういう人でも、この原理を知り、日々実際に行動すれば、いずれは、確固とした起業家精神を持てるということです。

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2012年2月19日日曜日

消費税増税強行の建前に根拠ナシ−【私の論評】野田政権は、アメリカの意図を読み違えて頓挫する!!

消費税増税強行の建前に根拠ナシ


<3月に法案提出しなくても罰則はない>

何が何でも消費税増税の野田首相。与野党協議もできず成立のメドは全く立たないのに、17日に大綱を閣議決定、3月中に関連法案を提出するスケジュールにこだわっている。

そもそも野田が3月提出の建前にしてきたのは、09年度に成立した改正所得税法の「付則104条」の存在だ。自民党麻生政権時代のことである。この104条には、基礎年金の国庫負担割合2分の1や社会保障給付のため、〈遅滞なく、かつ、段階的に消費税を含む税制の抜本的な改革を行うため、11年度までに必要な法制上の措置を講ずる〉とある。そのため野田は昨秋以降、事あるごとに政府が付則104条に縛られていると繰り返してきた。口実に使っているわけだ。


さて、〈11年度までに〉のリミットが来月に近づいてきているわけだが、では3月中に法制上の措置を講ずることができなかったらどうなるのか?

「法律に定められた政府の義務ではありますが、だからといって何か罰則があるわけではありません。違法状態になるだけです」(霞が関関係者)

ナーンだ、ではないか。違法状態のことなんて、国会では日常茶飯事だ。例えば、違憲状態の一票の格差について、民主党は今月25日の勧告期限を平気で延期しようとしている。例の「0増5減、比例80議席削減」の話だ。選挙制度の“抜本改革”のために「違憲状態」を放置するのだから、社会保障制度の“抜本改革”のために、付則104条くらい放置したって、どうってことはない。じっくり議論すればいいのだ。

「税率の引き上げは次の衆院選後と言っているのだから、法案を急ぐ必要は全然ないのです。付則にある『経済状況の好転』だって実現できていない。前提が崩れているのですから、野田首相はまずはデフレ脱却ですよ」(民主党中堅)

それが正常な考え方なのだ。

(日刊ゲンダイ2012年2月16日掲載)

【私の論評】野田政権は、アメリカの意図を読み違えて頓挫する!!

増税などの国民が嫌がることを「ネバー、ネバー、ネバー、ネバーギブアップ」などとして、真剣に取り組み、国会では、国民一人当たりの借金700万円などとして、日本国は財政破綻の淵にあるなどと、途方もない虚偽の演説をし、国民を欺き政府の無能を隠蔽する野田総理大臣。これは、国民の借金などではなく、政府による国民への借金であることは、このブログでも掲載したことがあります。

上のことだけなら、まだしも、さらに自国のデフレ対策には目をつぶり、異常なウォン安により、破綻の危機が囁かれている韓国に対しては相手の気持ちをくみ取って何も言い出さないうちから巨額の円借款を確約するあの気前の良さ!! しかも、3.11大震災の復興はそっちのけで、反日国家韓国に5兆4000億円もくれてやるとは!!これに関しては、ネトウヨの方々がおっしゃるように、野田政権が半島よりということではなく、米国の強い圧力に、屈したものです。この借款を確約した直後においては、私自身は、未だどういうことなのか、正確には、判じかねたところがあるので、事実だけ掲載しましたが、結局裏はこういうことだと思います。

米国側シナリオからすれば、アメリカの経済植民地(以前のブログに掲載)である韓国とFTAを結び、米企業が韓国でビジネスをしやすくしようとしているわけです。異常に安いウォンを持つ、巨額ドル債務国家である韓国が、米製品を輸入して米ドルで支払いをさせるために、強い円を持ち、世界最大のドル債権国家である日本国から借りさせようという意図が成就し、オバマは野田の安請け合いに小躍りしたに違いありません。こんな政権が、TPPですとぉ!!とんでもない!!

野田政権は、戦後最悪の小泉政権を凌駕する、悪徳米傀儡政権といっても過言ではありません。それにしても、日本には、諜報機関や、防諜機関がないので、政治家を守ることもできず、日本は、アメリカ、中国、ロシア、韓国、北朝鮮のスパイ天国になっています。だから、日本の総理は、脅かされれば、彼らのいうなりになるしかないのです。野田さんは、いくら圧力があったにしても、あまりにも抵抗しなさすぎると思います。(下は、バスケットをするオバマ大統領)


この状況は一刻もはやく改めなければなりません。こんなことを考えれば、上記の野田さんの、全く矛盾した行動が何も意味するかお分かりでしょう。いや、それどころか、歴代の総理大臣がコロコロと変わらざるを得ない理由も理解できるというものです。

日本は、こんなことから、独立国家ではなく、マスコミも東京地検も結局は、アメリカの飼い犬にすぎないわけです。日本として、もっと、賢い指導者が現れて、アメリカのいうことをきいているようなふりをしつつ、アメリカが衰退してアジアに影響力を発揮できなくなる時期を待ち、そのとになって慌てるのではなく、十分前準備をしておき、日本にとって有利にことを進めるようにすべきです。

いずれ、それは近いうちにやってくるかもしれません。また、世界的な金融恐慌が近いうちにやってくると思います。日本は、260兆円もの対外債権を持っている国です。しかし、アメリカは300兆円もの対外債務を背負っている国です。今後、世界恐慌がやってくれば、アメリカのドルや米国債は紙切れになります。そうして、アメリカは旧ソビエト連邦のように、崩壊するものと思います。日本は、それを待って、いずれ真の独立を勝ち取ることができます。そのときになれば、アメリカは、日本に向かって、かなりの額の債権放棄を願い出るに違いありません。そうなれば、それ以降、アメリカの日本に対する支配力は地に落ちることでしょう。後世の歴史家は、冷戦終了をもって、アメリカが複数の国のパワーオブバランスで成り立つ世界を考えずに、アメリカ一極覇権を目論んだことが、アメリカ没落の始まりであったと記すに違いありません。


これからさらに、先鋭化する米中の軍事・経済対立は、アメリカの滅亡を加速します。確かに、米債権が紙切れになれば、大量にそれを保有している日本も大変ことになるかもしれません。しかしながら、実際には、日本は、米国債を大量に売り払いうことはできません。それに、これは、借金ではありません。米国債が紙切れになったからといって、その分誰かに債務を追うということはありません。日本は、その中で、経済活動を営んできたわけですが、新たに米国債を購入し続けるという" くびきからは、開放されるわけです。これは、日本にとっては、良いことです。(上記は、ソ連崩壊後、ロシアがWTOに加盟したときの記念写真)

このブログには、以前ロシアの学者が「2010年にアメリカは6つの国に分裂する」という説を唱えて話題になっているということを掲載したことがあります。この記事を掲載したときには、われわれが生きている時代もしくは、当面は、このようなことはないと思っていました。しかし、最近では次に本格的な金融危機が世界を襲ったときには、十分あり得ると思うようになりました。分裂までいかなくても、米国の力がかなり弱まることは、十分予想されます。このロシアの学者は、現実にソ連崩壊を身近で経験したことから、その経験を活かした上で、こうした予想をしているのだと思います。ただし、崩壊の時期をあまりにはやく予測しすぎたということだと思います。

この流れは、誰も止めることはできないでしょう。ソ連も、冷戦当時が変わらないアメリカも、そのままでは、存立できないのです。膨大な対外債務をかかえつつ、さらに借金を拡大させるなどという錬金術はいつもでも続けることはできません。それは、かつて、ソ連が、共産主義なる、人の欲望を無視した、理想主義的ユートピアを追求しようとしても結局はできなかったことと同じです。アメリが崩壊すれば、あのFRB(アメリカの実質的中央銀行。民間によって運営されている)も崩壊するに違いありません。中国も、止まるコマが一瞬勢いを増すように見えるアメリカと対立することにより、かなり、弱体化し、今のままの中国では存続くできずに分裂することになるでしょう。

私は、かつて、ソビエトが崩壊するであろうことを、後に国際機関JAICAに就職した大学時代の知人に語ったことがあります。そのときその知人は「ソ連崩壊はあり得ないこと」と断言していました。しかし、事実は皆さんご存知のようにソ連は崩壊しました。私は、これに似たようなことが再度起こると思います。

さて、話を元に戻しますが、先日もこのブログに書いたように、日銀が、いやいやながらも、1%のインフレ目処(日銀は一言も目標とは言っていない)を宣言して、デフレ対策をやったというアリバイづくりをした現在、いまだ、政府が増税を叫んでも何にもなりません。アメリカ側もうすうす気づいていると思います。直近で、デフレのさなかに、増税をすれば、マクロ経済学や日本の高校で教える政治・ 経済のテキストにも当然でているとおり、さらに、デフレが深刻化します。

デフレで、日本の景気が本格的に落ち込めば、先にあげた、アメリカのシナリオはなりたたなくなるかもしれません。また、TPPを強力に推し進めれば、同じことで、それどころか、アメリカの国債を買い続ける余力すらなくなるかもしれません。そうなれば、アメリカのシナリオにも誤算が生じるわけです。であれば、日本を最後の最後まで追い詰めれば、アメリカにとっても、良いことはなくなるわけです。あくまでも、軍事的にも、経済的にもなるべく長い間生かさず殺さずの状態にしておかなければなりません。完全に殺しててしまえば、年貢を収めさせることはできません。


そういう目でみれば、今の時期の増税は、必ずしもアメリカにとっても良いことではありません。野田総理大臣は、そうした背景も飲み込めずに悪徳米傀儡政権をやって長期政権化を目論んでいたものが、あえなく、アメリカの意図を読み損ねて、頓挫すると思います。もうしかけています。それにしても、国家レベルでは、こういうふうにものを考えるのが、正常だと思うのですが、平和ボケニッポン人には無理なのかもしれません。

考えてみれば、日本の総理大臣が、コロコロ変わるのは、国内事情だけではなく、アメリカの意図の読み違えということもあるかもしれません。小泉さんは、完璧にアメリカの意図通り動いたので、長期政権を維持できたのかもしれません。無論あまりにも、聴きすぎで、日本はこんなに疲弊してしまいましたが・・・・・。しかし、もうそろそろ、日本でも、アメリカの意図通り動いているようにみせかけながら、実はそうではない人が、総理大臣になっていただきたいものです。その時々のバランスで、一見アメリカのいうことを聴いているようにみえながらも、日本が最も有利になるように行動できる人が総理大臣になっていただきたいものです。このバランス感覚がないからこそ、国民のためにもならず、アメリカの意図も読み違え、総理大臣がコロコロ変わるのです。この状況を一切かえずに、大統領制などにしても事態は何も変わらないかもしれません。


故吉田茂氏は、バランス感覚がある人だったのかもしれません。いや、それどころか、終戦後あまり時間がたっていない時期の総理大臣は、無論例外はありますが、ほとんど皆がそうだったのかもしれません。だからこそ、今と比較すれば、長期政権を維持できた人が多かったのだと思います。いずれにせよ、年だけとっても、理想論などでは動かない現実を的確に捉えられない社会性が極度に低い幼稚なガキでは、政治家はまともには勤まらないということです。厳しい国際社会で、誠意をつくし"trust me"などといえば、相手は腹を割ってこちらのことも聴いてくれるだろうなどとの考えは成り立ちません。そんなことが、理解できないガキでも、政治家が、勤まると思っているのは、ニッポン人だけかもしれません。ガキでは、国はおろか、企業でも運営することなどかないません。

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2012年2月18日土曜日

【きょうの名言】何でもテスト好きな文部科学省−【私の論評】高学歴社会ではない日本で、大学間格差を放置して、学力テストを導入してもほとんど意味はない!!

【きょうの名言】何でもテスト好きな文部科学省:

文部科学省

大学生に「成長度テスト」というものが課されることになるようだ。国民もそこまで、何も知らないわけではない。もう、ウンザリだが、やはり次のとおりだろう。(上の写真は文科省)

@gorohさんがツイートする。

「兎に角、何でもテスト好きな文部科学省だ。このためにまた協会や法人ができて予算が使われる。要するに天下り機関の新設以外の目的はない。成長度とはいったい何を指すのか」

文部科学省が、学生に入学後と卒業前に受験させれば、学習成果が客観的に把握わかるようになる。それで、カリキュラム作成に役立てたいようだ。

ちなみに悪評高い、独立行政法人の大学入試センターは、理事長の年収約1100万円、理事の年収約940万円。1回あたりのセンター試験で約100億円の「売上」がある。それなのに、サービスは悪すぎる。

【私の論評】高学歴社会ではない日本で、大学間格差を放置して、学力テストを導入してもほとんど意味はない!!


日本で、教育というと、意外と知られていない事実があります。それは、欧米と比較すると、日本は高学歴社会ではないということです。多くの人は、そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、これは、日本と欧米との比較の上で厳然とした事実として、受け止めなければまともに教育論など論議などできません。

ハーバード大大学
ハーバード大キャンバス

まずは、高学歴社会の欧米では、大学卒とい経歴では、けっして高学歴社会などとはいいません。大学院卒ではじめて、高学歴とみなさされます。日本のように、東大、京大、早稲田、慶応なの有名大学を卒業したからといって、高学歴者などとはみなされません。たとえば、アメリカでは、大学は、大学であり、ハーバード大、スタンフォード大であろうが、コロンビア大であろうが、大卒は大卒であり、それ以上でも、以下でもないという扱いです。

スタンフォード大学
スタンフォード大キャンパス

有名大学の工学部を卒業していようが、どこかの州立大を卒業していようが、工学学士は、工学学士であり、特にどの大学を卒業したからといって、優秀であり、どこの大学を卒業しても、優秀ではないということはありません。(下の写真は東京大学安田講堂)



このような条件が整っていれば、上記のような「成長度テスト」しても、意味があると思います。しかし、日本の場合は大学間格差がありすぎます。日本は決して、高学歴社会社会というわけではなく、大学間格差あるというのが、本当の位置づけです。東京大学と、たとえば、こちらは、函館なので、地元の私立大学である、函館大学とでは、同じ大学を卒業しているからといって、同列には扱われません。また、実際に同列に扱うわけにはいかないと思います。学力にあまりにも差がありすぎます。

韓国では、さらにこの大学間格差が激しいです。韓国では、有名大学を卒業していなければ、有名企業には、なかなか入社できませんし、入社できても、出世の見込みはほとんどありません。そのため、韓国では、「あなたはどこの大学出身か」という質問をしてはいけないそうです。この質問は、韓国では、「お前は、どの程度の人間なのか?」と聴いているのと同程度に失礼にあたるからだそうです。


だからこそ、韓国では、大学受験のときに、あのような大騒ぎになるのです。なにしろ、大学受験で、その後の人生のほとんどが決まってしまうのですから、加熱するのは無理もないことです。韓国も、日本のように、高学歴社会ではありません。大学格差のある国ということです。しかも、その格差が日本の比ではないということです。

函館大学

たとえば、教養課程における、英語教育などみてもわかります。私は、実際に函館大学(上記写真)の学生に英語の教材を見せていただいたことがありますが、その内容は、はっきり言って、中学英語の復習というようなものでした。これは、何も函館大学に限らず、また科目くも英語に限らず、全国の無名大学などでは珍しいことではありません。もともと、大学教育などには、ふさわしくないほど基礎学力がありません。さらに悪いことには、アメリカでは、日本の有名大学入学者のように、受験勉強をあまりしないので、大学に入りたてのころは、それこそ、日本の受験勉強のように日々何時間も勉強しないと追いつけないので、かなり勉強しますが、日本の無名大学の学生には、そのような習慣もないようです。ただし、一部の大学ではこれを厳しく実施するようになってきたようです。

日本の大学は、「成長度」がどうのこうのという前に、この大学間格差がありすぎであることを是正しなければならないと思います。今単純に、「成長度テスト」を実施したとしても、この大学格差を放置しておいては、全く意味がありません。すべての大学に対して一律で試験を行うとすれば、理系や文系の何学部という区分程度しかできないと思います。各大学の特色など、考慮するようなテストはできません。そうして、テストをすれば、最高点、最低点、平均値、中央値、偏差値などがもっともらしくでてくると思います。しかし、この結果がでても、結局大学間格差がさらにはっきりみえてくるだけです。

だとすれば、最初からわかりきっていることをわざわざ大掛かりにテストをするということは、上の名言でも語られているように、テスト機関の設立そのものが目的だとしか思えません。役人に、儲け口や、天下り先を提供するだけのものと受け取られても仕方ないと思います。

このブログにも従来から幾度か掲載してきたように、今世紀に入ってから、私たちの社会は、それまでの社会とは大きく変貌してしまいました。その中でも、知識か富の源泉である、知識社会に突入したことに、日本の教育システムは、ほとんど対応していないと思います。

これは、以前のブログでも述べたことですが、詳細はこれをご覧いただくものとして、知識社会には、以下の三つの特質があります。
知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。
万人に教育の機会が与えられるがゆえに、上方への移動が自由な社会となる。
万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗の並存する社会となる。

これら3つの特質のゆえに、すでに変質した社会は、組織にとっても1人ひとりの人間にとっても、高度に競争的な社会となりました。

勉強熱心な女子学生?

こうした、競争的な知識社会に入ったからには、まずは、万人に教育の機会が与えられるようにしなければなりません。まずは、アメリカなみに、大学間格差をなくす必要があります。そうして、大学院教育が当たり前である、高学歴社会にしたほうが良いと思います。

さらには、誰もが大学教育、大学院教育を受けられる体制をつくりだすべきです。また、社会人になっても、大学・大学院教育が受けられるようにすべきと思います。大学や、大学院にいかないで、就職した人でも、ある一定条件を満たせば、大学・大学院教育を受けられるようにし、さらには、大学・大学院を卒業した人にあっも、社会人になってから、これからが必要であれば、再度大学や、大学院に戻って教育を受けられるようにすべきと思います。

それにしても、どのように条件を整えても、もともと勉強嫌いの人はいますが、そういう人に関してまで、全部救う必要はないと思います。やる気とものごとをやり通すというある程度の規律はあっても、やり方がわからない人には救いの手をさしのべて、そうではない人までは、何もかも平等うに扱う必要はありません。大学側だって、やる気がなく、基礎学力もない若者のを受け入れるのは、嫌でしょう。それくらなら、社会で揉まれて、ある程度実践的知識をつけ、やる気のある社会人を受け入れるような体制をつくれば良いと思います。そうすれば少子高齢化による学生不足に悩まされることもなくなります。実際にこのようなことを実現している、大学や大学院など少数ながら存在します。

いずれにせよ、こうした日本の教育の問題について、改善・改革をしようという気もないままで、単に「成長度テスト」を導入しても無意味です。


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2012年2月17日金曜日

Facebookページも「タイムライン」に! ブランドのプロモーション方法が変わる!−【私の論評】個人のタイムラインよりも意義深いものになる可能性がある!!社史編さんが、リアルタイムでできる?

Facebookページも「タイムライン」に! ブランドのプロモーション方法が変わる!:


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いよいよFacebookページの「タイムライン」化が行われることが明らかになりました。

Facebookが昨年9月のイベント「f8」で発表したプロフィールページの「タイムライン」化。大きなカバー画像がトップに表示され、過去の注目の投稿や主要な出来事に加えて、今聴いている音楽や読んでいるニュースまでもが、一覧で表示される画期的なデザインです。いまでは多くのユーザーが古いデザインからこちらに切り替えていますが、企業やブランド用のFacebookページには未だに対応していませんでした。多くの企業担当者からその対応が望まれていて、実際にタイムライン化した場合の予想イメージのデザインを作った人までいました。

そのような中で、先日Facebookの役員が米メディアAdAgeの取材でその対応の計画を明かにしたようです。

今月末29日(米国時間)に開催予定である、Facebook初のマーケター向けイベント「fMC」にて発表される計画だと言われています。

Facebookはこれに合わせて、スポンサードストーリーズ広告のタイムラインアプリ版をスタートする計画です。

これは特にエンタメ業界にとっては朗報です。例えば、音楽を聴いた、映画の予告編を観た、などのユーザーアクティビティを該当するブランドページにて共有されるように設定し、それが広告によってより多くのユーザーに拡散させることができるようになるからです。それを可能にするためのタイムラインアプリの開発も今後加速することが予想されます。

企業による広告利用が増えるということは、Facebookの売上も増えるということ。IPOで金融業界のニュースにも頻繁に登場するようになったFacebookのビジネスは今年、更に勢いを増して拡大していきそうです。


【私の論評】個人のタイムラインよりも意義深いものになる可能性がある!!社史編さんが、リアルタイムでできる?

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タイムラインそのものは、従来から個人プロフィール では、存在していて、これまでのFacebookの活動を時系列でグラフィカルに表示されます。今までにFacebookに投稿してきたことが、自分史としてまとめられていきます。私もすでに、タイムライン表示にしています。今のところ、いつfacebookを利用しはじめたとか、いつどこの学校を卒業したとか、いつ誰とfacebook上で友人になったかが、表示されるようになりました。

これに関して、facebookの歴史そのものが、新しいので、まだまだその真価が発揮されていませんが、これから、20年、30年はおろか、生涯を通じて使うひとがでてくるようになります。そうなれば、かなり正確なライフ・ログが設定されるということで、これは、かなり魅力的なものになると感じました。これができるようになれば、かなりのセンチメントを多くの人がタイムラインに対して抱くようになると思います。多くの人が自分に対しするイメージがずいぶん変わってくると思います。


人生には、いくつかの扉があって、その扉の一つをあけるとその他の扉はしまってしまうということを、多くの人が実感をもって、具体的に見るようになるかもしれません。現在の自分は、過去の良いときも、悪いときも含めて、それらがあったからこそ、今の自分があるという、当たり前の事実に気がつきやすくなるに違いありません。これは、世の中には、光りと闇があって、はじめて世界が見えるのと同じ理屈です。世界が光だけに満ちていたら、わたしたちは、世界を見ることができません。逆に、世界が闇だけに満たされていたとしても、世界を見ることができません。


これが、企業などが提供するFacebookページにも適用されるというお話です。個人の情報だと、出生、学校への入学、卒業、就職、結婚、昇格、昇任その他で、エポックメーキングなことがらも、限られてしまうところがありますが、企業なら、設立その他、様々なエポックメーキング的な要素がかなりあります。それに、顧客も、企業でこのページを提供する人々も、企業は社会の機関であるということをはっきり認識することになります。

顧客にとっても、生涯を通じてのお付き合いということになる人も大勢いると思いいます。これらをすべて含めた、タイムラインが出来上がれば、これは、ブランドのベージなら、ブランドの世間とのかかわりが、すべて含まれるし、企業そのもののベージであれば、ベージそのものが、社史となり、それも、今まではなかった時間と共にリアルタイムで、成長していく社史として、今までの概念を打ち破る素晴らしいものになりそうです。皆さんは、どう思われますか?


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2012年2月16日木曜日

円高局面は終わったのか−【私の論評】円高局面は完全に去ったわけではない!!



円高局面が終わった可能性を指摘する市場関係者が増えている。日銀が14日の金融政策決定会合で追加緩和を決定 したことを受けた円の大幅な下げで、以前は安全な逃避先と考えられた円をめぐってトレーダーが現在、売りのきっかけをうかがっていることがうかがえる。

日銀は長期的なデフレの終結への決意を一段と固め、資産買い入れ基金を10兆円増額する計画を明らかにし、市場を驚かせた。この日銀の政策により、市中の資金量が増え、円安圧力になるとみられる。

日銀の発表を受けて、ドルは対円でテクニカルチャート上の節目を上抜け、14日の日本市場で10カ月ぶりに200日移動平均水準の1ドル=78.03円を上回って通常取引を終えた。

ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント(GSAM)のジム・オニール会長は、「日銀からの素晴らしい重要な動きだ」と言及。その上で、ドルは対円で今年中に100円に上昇する可能性がある、との見方を示した。

このところ、ドル・円相場は78.46円付近で推移しており、1ドル=100円といった水準はずっと先の話のように思えるかもしれないが、東京のトレーダーらは、この見方は海外市場の地合いをかなり表わしていると指摘した。海外の投資家は通常、日本の投資家と比べ、日本のニュースに反応しやすい。

【私の論評】円高局面は完全に去ったわけではない!!

詳細は、上の記事をみていただくものとて、日銀は、物価安定の定義を変えるとして以下のような内容を14日に発表しています。

「中長期的に持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率として、「中長期的な物価安定の目途」を示すこととする」

そうして、消費者物価指数の対前年比上昇率1%を当面の『目途』と致しました。要するに「インフレ目標1%」ではなく、「インフレ率の目途1%」ということです。なぜ、はっきり言わないのか戸惑うところです。

しかし、日本では、日銀が「インフレ目標」を決めるという法律的な裏付けはなく、はっきり決めてしまえば、権限を逸脱していると、避難されかねないので、「目途」という言葉を使っているのだと思います。それでは、誰が日本のインフレ率の目標を決める権限があるのかといえば、その答えは、誰もいないということになります。


デフレ期にこんなあいまいなことをしていては、どうしようもないと思います。
「物価安定の定義(物価上昇率)は政府が決定し、日銀は独立した手段を以てそれを達成する。達成できuい場合、総裁が説明責任を求められ、説明が不十分な場合は罷免される」
という感じに日銀法を改めなければ、結局のところ日銀は変わらないというより、いままでの通り、結果ととして金融引き締めだけしかできないことになってしまいます。

今回の金融緩和は、政治家の間で「日銀法再改正」の機運が高まってきていることを受けて、
「それでは、インフレ率の『目途』を1%に。長期国債も10兆円買い取る」
と、ガス抜きを図っているにすぎないように見えます。しかも、上記の「目途」を達成できなくても、日銀は別に責任を取る必要はありません。あるいは「目途」を達成しても、金融緩和が不十分だった場合であっても、やはり日銀は責任を取る必要はないのです。

私としては、日銀がこのような行動をとることにより、増税後に結局、景気がさらに落ち込み、税収が思ったほど、増えない状況に見舞われたとき、増税後前に日銀はやれるだけのことはやったという実績作りによる責任ののがれをしようとしているように見えます。実際、日銀は、これだけ、震災で円の需要が高まっているにもかかわらず、増刷拒否の姿勢は崩しません。こんなデフレで、しかも、震災復興の時期には、どこの国の中央銀行でも、増刷するのは、当たり前のことです。この時期だと、たとえ、長期国債を10兆円艇と買いとったとしも、円の需要は増すばかりで、基本的に円高基調を変えることはできません。

しかしながら、デフレ脱却の責任を日銀のみに押し付けるのは、これはこれで酷い話です。何しろ、日銀が長期国債を買い取っても、そのお金が民間企業が借りなければ、デフレ脱却への道筋は見えてきません。FRBの量的緩和第二弾のように、株価は上がるとは思いますが、それでは実体経済への影響は限られてしまいます。株式がどれだけ買われたとしても、それは、金融セクターにお金がいくだけの話しであり、それのみでは「雇用」は生まれません。


日銀側として、政府が震災復興、デフレにあっても、緊縮財政を行い財政均衡を優先することにより、増税後に、景気がかなり落ち込み、それによって、税収も思ったほどには増えることはなく、結局過去に民主党政権が何回も繰り返してきたようにすべての約束を反故にしなければならないことになったときに、日銀もともに、避難されるようなことを防ぐために、アリバイづくりをしているのだと思います。


日銀は、官僚の機関であるため、馬鹿な政治家とは異なり、このまま増税すれば、どうなるかなどわかりきっているため、このように、いずれ生じるであろう国民の批判をかわすために、上記のような行動に踏み切ったのだと思います。いずれにせよ、小泉政権のときにも実行して、うまくはいかなかったように、デフレ基調では日銀の金融緩和策だけではうまくはいきません。やはり、政府も緊縮財政をやめて、積極財政を行う必要があります。両方同時に実施しなければ、結局はうまくはいきません。


しかし、財務省は、アリバイづくりは、必要ありません。そりゃそうですね。馬鹿な政治家どもは、自ら、増税路線をまっしぐらです。それに、民主党は、政治主導ということを言っていますから、増税は財務省主導ではなく、政治主導で行ったものだということで、国民の非難はまぬがれます。(下は、外国で捨てられていたお札の束)




ここに、日銀と、財務省の対応の違いがでてくるわけです。こうした仕組根本的に変えなければ、どうしようもありません。政府も、日銀も、デフレのときには、デフレ対応(積極財政、金融緩和)、インフレのときには、インフレ対応(緊縮財政、金融引き締め)を素早くできるような、システムと、それを保証する法律の整備が今の日本には、他の何にもまして、緊急の課題です。


このままでは、一端デフレになれば、かなり長期にわたってデフレが続き、国債為替市場では、円高がとなり、インフレになれば、適度なところで、収束せずに、バブル崩壊ということになってしまいます。


こんなことから、今のままでは、円需要の高まりを根本的に是正はできず、一時的に円高局面は収束したようにみえても、いずれ必ずそれも、近いうちに円高局面になることは、目に見えているものと思います。

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2012年2月15日水曜日

ドミノ・ピザもオープンイノベーションを始めました!−【私の論評】物理的な店舗をもつチェーンの強みか?!


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現在、ドミノ・ピザがFacebookページにてオープンイノベーション施策を展開中です。

ドミノ・ピザといえば、「ピザ・トラッキングショー」に代表されるように、様々なユニークな施策を展開している企業というイメージが強いですね。そんなドミノ・ピザが、昨年からソシエタでも大きく注目しているオープンイノベーション的な施策を始めていたのでご紹介します。

『Think Oven』という名のこのキャンペーンは、ドミノ・ピザ側から提示された課題をユーザーが答えていくというシンプルなものですが、オープンイノベーション事例としてはかなり盛り上がっているように思えます。 


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ユーザーが投稿できるのは、「プロジェクト」と「アイデアボックス」のいずれかです。

「プロジェクト」は、ユーザーがドミノ・ピザについての具体的なアイデアを出す場所となっています。

例えば、新しいドミノ・ピザのユニフォームデザインやピザのオーダー状況を教えてくれる「Domino’s Pizza Tracker」のより良い見せ方といったような、実用的なプランが求められています。現在は「プロジェクト」の課題として、「ドミノ・ピザの新しいユニフォームについて」が出されています。アイデアの投稿方法は2通り、絵を用いて投稿する方法と文章のみで投稿する方法です。今回の賞金はこれらの2通りの投稿のなかで最も良いアイデアを出したユーザー2人ずつに賞金500ドルを与えてくれるようです。各ユーザー投稿の下にあるコメント欄を使ってのディスカッションも、結構活発に行われているようです。

一方、「アイデアボックス」では、「プロジェクト」まで具体的に落とし込めないまでも、ちょっとしたアイデアを気軽に投稿できるライトなものとなっています。ここに投稿されたものは、ドミノ・ピザの今後の参考とされるようです。

ソーシャルメディアとの親和性の高いクラウドソース型コンペティション。

企業がオープンソースをマーケティング・プロモーションの手段として活用するときには、そのプラットフォームとなるべくかなり大がかりなものとなりがちですが、Facebookアプリを活用することで、コンパクトながらも質の高いアイデアが集まりそうです。

※日本語では実施されていません。

【私の論評】物理的な店舗をもつチェーンの強みか?!

ドミノピザといえば、アメリカでは、お客様の注文したピザがどの工程にあるのかをお知らせするアプリを提供したり、日本でも、月面店舗の見積もりをだしたり、イケメンスタッフの投票をしてみたりと、なかなか、面白いプロモーションを展開しています。


プロモーションといえば、様々なものがありますが、上の記事のように、大きな経費をかけずとも、かなり大きな効果をあげられそうです。ただし、条件があります。それは、ドミノのように、各地に営業店舗を多く展開しているということです。

無論、そうではないところでも、効果は多少は、あるかもしれません。しかし、お客様の近くに多くの店舗を持っているようなチェーンと比較すればその効果は限定的になることでしょう。


たとえば、Amazonや、楽天などが、このようなプロモーションを実施したことを考えてみてください。たとえば、これらの企業が、ドミノピザのように新しいユニフォームをつくるというアイディアを応募したとして、その制服は、どこでみれば良いというのでしょうか?せいぜい、サイトの画面くらいですね。場合によっては、動画くらいはできるかもしれません。しかし、これでは、インパクトは半減です。

しかし、ドミノピザのように、物理的な店舗を全国に展開していれば、お客様は、店までいけば、必ず、スタッフの制服を見ることができます。さらには、宅配してもらえば、自宅で制服をみることができるわけです。

このようなことは、既存のeコマースではなかなかできないことてす。やはり、ドミノピザのように、お客様の近くに多数の店を持っているチェーンだからできることです。考えてみれば、あのイケメンスタッフの投票だって、物理的な店舗があって、そこで、実際にスタッフがはたらいているからこそ、できたことです。


 eコマースは、できたばかりのころは、まだ珍しく、それだけで、他の小売業態などと十分に差別化できたのですが、いまや、かなり差別化するには難しい業態になってしまいました。なぜなら、既存のeコマースでは、どんなにユニークなサイトを作成しようとしても、結局は、ユーザーにとっては、自宅のパソコンのディスプレイとブラウザから垣間見るいくつかあるサービスの中のひとつに過ぎない存在になってしまったからです。

だからこそ、アップルは、 iPhone、iPadを開発して、差別化するどころか、アップルが提供するeコマースのほとんどをこれらのガジェットでしかできないようにして、顧客を囲い込んでしまったのです。これは、amazonのKindle Fireも同じことです。さすがにアッブルのように顧客を囲い込みはしないものの、かなりの差別化に成功しています。

とはいいつつ、最近は、既存のeコマースよりも、ドミノビザのように物理的店舗を多数有するチェーンのほうが、はるかに有利になっています。なぜなら、まずは、チェーン組織を持っているところが、eコマースをやってはいけないなどという法律も規制もないということです。だから、チェーン組織は、eコマースに自由に参入できますし、実際に参入しているとこも多いです。それから、最近は、O2O(オンライン・ツー・オフライン)のサービスがかなり進歩してきているので、さらに有利です。これからは、チェーン組織で、eコマースも実施し、それだけではなく、これらをO2Oでうまく統合したとこが、頭角をあらわしてくものと思います。


さて、このことについては、このブログ過去の記事にも掲載したことがあります。それについては、ここで、再度詳細を説明はしませんので、下の【関連記事】のところに、それらのURLを掲載しておきますので、そちらをご覧になってください。

それにしても、宅配ピサなど、物理的店舗を多数もたなければ、実施できないですし、この業態も最近では陳腐化してしまったとろがあります。しかし、これが、eコマースも実施し、O2Oを活用し、宅配とeコマースをうまく統合したら、とてつもないことになるような気がします。そう思うのは、私だけでしょうか?

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2012年2月14日火曜日

【きょうの名言】転職しない?年収5倍あげるよ−【私の論評】背景には、理系・文系などという単純な図式でははかれないものがある!!

【きょうの名言】転職しない?年収5倍あげるよ:


文系と理系。常に対比される存在であるが、組織では力を合わせて働くことになる。しかし、分かり合えないことも多い上に、理系を軽視しすぎたあまりに、次のような出来事が起きて久しい。

@dojirenさんがツイートする。

「文系『死ぬ気で研究開発せんかぁ!』 理系『給料上げて』 文系『足りぬ足りぬは努力が足りぬ(キリッ』 理系『無理。死ぬ』 韓国・台湾企業『転職しない?年収5倍で家と車(運転手付)あげるよ~』 理系『行きます』 文系『ものづくり神話の崩壊!若者の理科離れ!売国技術者死ね!』」

たとえば、ともに韓国の大手家電会社サムスン電子、LG電子は、ソニーから名技術者2人をかっさらっていった。徳原正春氏はサムスンへ、尾上善憲氏はLGへ。

死ぬより年収5倍の方を誰もが選ぶ。最後の文系の文言がまた皮肉だ。それでは、理科離れするのも仕方がないだろう。


【私の論評】背景には、理系・文系などという単純な図式でははかれないものがある!!

 上のツイートでは、理系・文系と単純に物事を割り切って物事を単純化しすぎているきらいがあると思います。特に企業でのマネジメントにかかわることでは、この類型でものを考えることは、危険ですらあると思います。大学や、大学院などとは異なり、企業という生きた組織の中では、純粋理系、純粋文系など存在しえず、このような類型をすること自体が間違いだと思います。


企業においては、理系である文系であるという類型よりも、最も重要なことは、社会性です。なぜそんなことがいえるのかといえば、私たちが住んでいる社会は、すでに今世紀に入ってからかなり変貌しているからです。社会性が欠如していれば、理系だろうと、文系だろうと、全くつかいものにはなりません。

あの経営学者のドラッカー氏は、10年前の著書「ネクストソサエティー」で、現在の社会は、20世紀の社会性と比較するとずいぶんと変貌したと語っています。その変貌ぶりに関して、日本を中心としてまとめなおしたのが、以下です。少し長いですが、ネクストソサエティの日本における現場のエッセンスとして読んでいただければ、幸いです。


日本では誰でもが経済の話をする。だが、過去の経済の成功をもたらしたものは、社会的な制度、政策、慣行だった。その典型が系列であり、終身雇用、 輸出戦略、官民協調だった。日本の社会的な制度、政策、慣行は、1990年ごろまで有効に機能した。だが、もはや満足に機能しているものは1つもな い。日本において求められているものは社会的な革新である。その典型の1つが、いかにして雇用と所得を確保しつつ、同時に、転換期に不可欠の労働 力市場の流動性を確保するかという問題である。 

 経済が社会を規定するとの思想どころか、経済が経済を規定するとの理論からさえ脱却しなければならない。現在急激に変化しつつあるのは、経済ではな く社会のほうである。そして、IT革命はその要因の1つにすぎない。人口構造の変化、特に出生率の低下とそれにともなう若年人口の減少が大きな要因 


だった。若年人口の減少は、それまでの長い流れの逆転であり、前例のないものだった。逆転は他にもあった。富と雇用の生み手としての製造業の地位の 変化だった。日本では、いまなお労働人口の5分の1が製造業で働いている。日本が競争力を維持していくためには、2010年までにこれが8分の1ないし1 0分の1になっていなければならなかったはずである。しかし、そうはなっていない。

また、社会の変化が、働く人たちの役割を規定していく。1つひとつの組織、1人ひとりの成功と失敗にとって、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味 を持つようになった。すでに変質した社会は知識(現在では、知識の意味が変わっている、従来知識といわれたものは、情報である)社会である。知識が中 核の資源となり、知識労働者が中核の働き手となる。知識社会としてのすでに変わった社会には3つの特徴がある。 


知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。
万人に教育の機会が与えられるがゆえに、上方への移動が自由な社会となる。
万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗の並存する社会となる。

これら3つの特質のゆえに、すでに変質した社会は、組織にとっても1人ひとりの人間にとっても、高度に競争的な社会となった。


いまから10年後のグローバル企業は、戦略によって一体性を保つことになる。所有による支配関係も残るが、少数株式参加、合弁、提携、ノウハウ契約 が大きな位置を占めるようになる。勿論、そのような事業構造のもとではトップマネジメントのあり方も大きく変る。明日のトップマネジメントは、現場のマネ ジメントとは異質の独立した機関となる。それは事業全体のための機関となるはずである。

日本は、2050年には1億人を切る。そのかなり手前の2030年においてさえ、65歳超人口が成人人口の半数を占めている。日本の出生率はドイツ並の1.3 である。この老年人口の増加は300年の趨勢の延長線上にある。これに対し、若年人口の減少こそまったく新しい現象である。従来のままの産業構造をそのまま維持するというなら、今後40年間、日本は年間35万人の移民を必要とし、労働人口の減少を防ぐためにはその倍を必要とする。 

企業をはじめとする組織の短命化も、労働市場の多様化を促進する。これまでは、雇用主たる組織のほうが被用者よりも長命であることが常識だった。これからは、被用者、特に知識労働者の労働可能年限のほうが、うまくいっている組織の寿命をさえ上回る。30年以上そのまま存続する企業はほとんどなくなることを覚悟しなければならない。すでにアメリカでは、しばらく前から「第2の仕事」「第2の人生」が流行語になっていた。 


知識労働者とは新種の資本家である。なぜならば、知識こそが知識社会と知識経済における主たる生産手段、すなわち資本だからである。今日では、主たる生産手段の所有者は知識労働者である。知識労働者の特質は、自らを労働者ではなく専門家と見なすことにある。 

知識労働者には2つのもが不可欠である。その1つが、知識労働者としての知識を身につけるための学校教育である。もう1つが、その知識労働者としての知識を最新に保つための継続教育である。知識は急速に陳腐化する。そのため定期的に教室に戻ることが不可欠となる。知識社会は、上方への移動に制限がないという初めての社会である。知識は、相続も遺贈もできないところが他の生産手段と異なる。あらゆるものを自力で獲得しなければならない。これからの知識社会においては、極めて多くの人間、おそらく過半数の人間が、金銭的な安定よりもはるかに重要なこと、すなわち自らの社会的な位置づけと豊かさを実感することになる。 


日本にはいわゆる労働階級者の文化というものがない。日本は上方への社会移動の手段としての教育にも敬意をはらってきた。しかし日本社会の安定は、雇用の安定、特に大規模製造業における雇用の安定に依存するところが大きかった。しかし、今では、その雇用の安定が崩壊した。日本は、製造業雇用が全就業者人口の5分の1という先進国では最高の水準にある。労働力市場といえるものも、労働の流動性もないに等い。社会心理的にも、日本 は製造業の地位の変化を受け入れる心構えができていない。過剰雇用の成熟産業に金を注ぎ込む政策は害をなすだけである。 

パラダイムが変った。第1に、知識が主たる生産手段、すなわち資本となった。知識は1人ひとりの知識労働者が所有する。第2に、今日でも働きての半分以上がフルタイムで働き、そこから得るものを唯一または主たる生計の資としているものの、ますます多くが正社員ではなくパートタイム社員、臨時社員、契約社員、顧問として働くようになった。第3に企業活動に必要とされる知識が高度化し、専門化し、内部で維持するには費用がかかりすぎるものとなった。しかも、知識は常時使わなければ劣化する。それゆえ、時折の仕事を内部で行なっていたのでは成果をあげられなくなった。 

組織が生き残りかつ成功するためには、自らが変化する機関とならなければならない。変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化の先頭にたつために、自らを変化させることである。変質した社会とは、ITだけが主役の社会ではない。もちろん、ITだけによって形づくられる社会でもない。ITは重要である。しかし、それはいくつかの重要な要因の1つにすぎない。変質した社会をまともな社会たらしめるものは、これまでの歴史が常にそうであったように、新たな制度、新たな理念、新たなイデオロギー、そして新たなチャレンジである。 

IT革命におけるeコマースの位置は、産業革命における鉄道と同じである。まったく新しく、まつたく予想外の展開であった。そしていま、180年前の鉄道と同じように、eコマースが新しい種類のブームを呼びつつある。経済と、社会と、政治を一変しつつある。鉄道が生んだ心理的な地理によって人は距離を征服し、eコマースが生んだ心理的な地理によって人は距離をなくす。もはや世界には1つの経済、1つの市場しかない。このことは、地場の小さい市場を相手にする中小企業さえグローバルな競争力を必要とすることを意味する。IT革命とは、実際には知識革命である。 

あらゆる知識労働者に3つのことを聞かなければならない。第1が強みは何か、どのような強みを発揮してくれるかである。第2に何を期待してよいか、いつまでに結果を出してくれるかである。第3がそのためにどのような情報が必要か、どのような情報をだしてくれるかである。 

10年後には、コーポレート・ガバナンス(企業統治)が今日とは大きく違うものになる。外の世界で起こることを理解しなければならない。明日のCEOたるものは、いつ命令し、いつパートナーとなるかを知らなければならない。CEOが真剣に取り組まなければならない課題が、知識労働の生産性の向上である。CEOたる者は、みながともに生産的に働けるようにすることを考えなければならない。 

いま驚くべきことがビジネスの世界で起こっている。第1に、働き手のうち唖然とするほど多くの者が、現に働いている組織の正社員ではなくなった。第2に、ますます多くの企業が雇用と人事の業務をアウトソーシングし、正社員のマネジメントさえしなくなった。この2つの流れが近い将来に変る気配はない。むしろ加速していくものと思われる。 

知識を基盤とする知識組織では、システムそのものの生産性を左右するものが、知識労働者一人ひとりの生産性である。かつては働き手がシステムのために働いたが、知識労働ではシステムが働き手のために働く。知識を基盤とする企業にもっとも似た組織がオーケストラである。そこでは30種類もの楽器が同じ楽譜をつかって、チームとして演奏する。偉大なソロを集めたオーケストラが最高のオーケストラではない。優れたメンバーが最高の演奏をするものが最高のオーケストラである。 

今日の日本は本質的に19世紀のヨーロッパの国である。だからいま、麻痺状態にある。基本的に日本という国は官僚によって運営されている。政治家は大きな存在ではなく、しかも疑惑の目で見られがちである。無能であったり腐敗していたりしていたとしても、それほど驚かれる存在ではない。しかし、官僚が無能であったり腐敗したりしていることが明らかになればショックである。日本はいまそのショック状態にある。日本の産業すべてが効率的で競争力をもつとの説は、まったくの間違いである。国際競争にさらされている部分は、先進国のなかでもっとも少ない。自動車と電子機器の二つの産業が中心である。これらは、輸出産業は全部あわせてもGDP全体の16%にすぎない。日本にはグローバル経済の経験がほとんどない。産業のほとんどが保護されたままであり、おそろしく非効率である。 

世界中の最先端にある人たちが、すでに変質した社会の到来を予感し、予見し、準備していた。日本は未だに19世紀のヨーロッパの国であり、外務省に象徴されるように、官僚が自分たちの身を守るために規制も解かず従来のやり方を踏襲している。最近では、財務省や、日銀が古い体質を温存し、デフレの真っ最中にあるにもかわらず、やるべきことを実施していない。このままでは、大変なことになってしまう。これからは、変質した社会の変化が、働く人たちの役割を規定していく。すなわち、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味をもつにいたったということである。


上の文章で特に留意しなければならない点は、

「これからの知識社会においては、極めて多くの人間、おそらく過半数の人間が、金銭的な安定よりもはるかに重要なこと、すなわち自らの社会的な位置づけと豊かさを実感することになる」。

これからは、変質した社会の変化が、働く人たちの役割を規定していく。すなわち、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味をもつにいたったということである」。


の二つです。




従来、理系だといわれていた人々も、社会を理解しなければ、社会を変えたり、変わった社会に適応して、イノベーションを実施することなど不可能です。従来、文系だといわていた人々も、すでに変わった社会を理解しなければ、マーケティングやマネジメントもおぼつかないないということです。まさに、これらかは、変質した社会が、働く人たちの役割を規定していくということです。すなわち、経済いよりも社会の変化のほうが重大な意味を持つにいたったということです。そうした中にあっては、個人でも、理系がどうの、文系がどうのというよりも、社会性が重要な意味を持つにいたったということです。


私は、上記で、sonyの人材引き抜きがあったのは、お金がどうのこうのというより、sonyがこうした、社会の変化を見誤り、知識労働者の動機付けに失敗したためであると思います。特にサムソンがこうした動機付けがうまかったとか、卓越していたというよりは、sonyよりは、ましだったということだと思います。


私は、サムソンが特に優れた企業だとは思っていません。異常なウォン安に支えらられ、国の支援も受けて、伸びているにすぎない思っています。それに、過去には、韓国の実体について、述べたこともあります。特に、毎年8万人もの、若者を中心とする脱南者と呼ばれる人々が、韓国を脱出しています。これは、北朝鮮を脱出する脱北者よりも多いくらいです。この現実を目の当たりすると、韓国の企業の引き抜きにあったとしても、それに応じることの危険性は理解できると思います。これからは、企業も個人も社会性を身つけていかなければならないということだと思います。今後、ソニーが、単に給料を5倍にすれば、このような引き抜きがなくなるというような単純な問題ではないと思います。ましてや、理系・文系と割り切ったものの考え方では、もうすてに変化した社会を乗り切ることはできません。いつの時代にあっても、それまでと異なる新しい時代には、 新たな体制と、 新たな戦略と、理念と、イデオロギーが必要であるということです。




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2012年2月13日月曜日

文書は最低西暦を併記、統計からは元号一掃を(東洋経済)−【私の論評】元号を廃して、インドネシアの独立宣言にも刻まれた皇紀をもちいるべきである!!

 文書は最低西暦を併記、統計からは元号一掃を(東洋経済)


特に困るのが統計だ。国内統計と海外統計を対比する場合など、政府が発表する統計類はほぼすべてが元号を使用、一方、対比する海外統計は当然、西暦表示である。(上は、平成の元号を伝えた、在りし日の小渕氏)

また、企業が発表する文書は、役所や証券取引所に提出するものは元号表示、一般向けのものは西暦表示となっていることが普通である。このため、たとえばアナリスト向け決算説明会などで配られる資料は、証券取引所に提出する「決算短信」が元号表示、決算説明会のために作成した資料が西暦表示となっているのが普通だ。作成側も余計な手間がかかるが、読み手をも煩わしくさせるだけで実にバカバカしい。・・・・・・・続きはこちらから

【私の論評】元号を廃して、インドネシアの独立宣言にも刻まれた皇紀をもちいるべきである!!

また、元号廃止論です。これは、過去何回もこのようなことが、言われてきて、実現しなかったことです。詳細は、上記の記事をみたいただくものとして、この記事の結論は以下のようなものです。

わが国では、石橋湛山がすでに『東洋経済新報』46年1月12日号で元号廃止・西暦使用を主張している。

政府の元号に対する考え方は、「国民又は国・地方公共団体等の公的機関に対し、一般に元号の使用を強制する法令は存在しないと考える」「国・地方公共団体等の公的機関の事務については、従来から年の表示には原則として元号を使用することを慣行としてきている。したがつて、一般国民から公的機関への届出等においては、公務の統一的な処理のために、書類の年の表示には元号を用いるよう一般国民の協力を求めてきているが、このような考え方は今日においても変わりがない」(参議院に提出された野田哲議員の質問主意書に対する中曽根康弘首相の答弁書―87年4月10日付)というものだ。

だが、たとえ、「元号の使用を強制する法令は存在しな」くとも、国から「一般国民の協力を求め」られれば、企業や自治体などは従わざるをえないというのが実態だろう。

元号は廃止するのがベストだが、文化財的観点から存続させたとしても、文書は最低限西暦を併記し、統計類からは元号を一掃すべきだ。

私も、元号はもともと、中国のものという考えに賛成であり、これはわが国にあっては、廃止すべきものと思います。確かに統計などでは、面倒という面もあります。それにしても、この人、皇紀に関しては、何もも述べていません。これは、著しく、公平を欠いていると思います。

私は古くからある元号問題を一挙に解消する方法があると思います。日本国内では、役所でもどこでも、皇紀を用いることにすれば良いです。

皇紀とは、何かといえば、今ではご存知ない方も多いでしょうから、以下に簡単に解説します。

皇紀とは、神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)を基とするものです。これは、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする、日本の紀年法です。この皇紀は、日本では、ほとんど知られていませんが、インドネシアの独立宣言文にも用いられている年号です。(下はインドネシア独立宣言を読むスカルノ氏)


略称は皇紀(こうき)といいます。外にも、皇暦(こうれき)、神武暦(じんむれき)、神武紀元(じんむきげん)、日紀(にっき)などともいいます。年数の英字表記では、「Koki」や「Jimmu Era」などといい、皇紀2660年を「Koki 2660」「Jimmu Era 2660」などと表記します。紀元節(現在の建国記念の日)廃止までは、単に「紀元」と言った場合には、神武天皇即位紀元(皇紀)を指していました。西暦2012年は、神武天皇即位紀元皇紀2672年です。西暦に660年を足せば、皇紀に、皇紀から660年差し引けば、西暦になるというで、これも元号と違って本当に理解しやすいです。国内で統一してしまえば、統計的にも、問題がなく、非常に良いと多いと思います。


このようなことをいえば、神武天皇が即位されたという確かな記録はないという人もいますが、そんなことをいいだぜは、現在の研究では、そもそも、キリスト生誕から、2012年目であるという西暦も、根拠が薄弱になります。イエス・キリストの生誕は、紀元前4年頃 から 紀元後28年の間とされており、諸説墳分であり、正確なところは、誰もわかりません。日本国の歴史は、始めがよくわからないほど古いものであるという考えで、日本の年号を皇紀にするという考えは、それで良いものと思います。


それに、何か今では、西暦を使うのが当たり前のようになってしまっていますが、そもそも、もともとは、キリスト教と縁もゆかりもないもない日本で、西暦を強要するのは、もともとおかしな話です。元号は、中国、西暦は欧米発祥ということから、独自の日本文明を持つ日本においては、皇紀で表記するというのが、最もふさわしい行き方であると思います。


さて、上の記事を書いた人は、そもそも、皇紀などわかっているのでしょうか?最近では、政治家でもわからないひとがいます。たとえば、昨年枝野幸男官房長官(当時)は昨年の参院決算委員会で、山谷えり子氏(自民)に対する答弁において、現在の天皇陛下が第何代なのかについて「知らない」と述べていました。今生天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたります。枝野氏は当時昨年が皇紀何年(2671年)にあたるかも答えられませんでした。


アメリカであれば、今のオバマ大統領は、第何代目の大統領であるかを答えられるひとは、かなりいると思います。自分の国に関する、歴史も良く知らない政治家がいるくらいですから、上のよう記事を書くような人がでてきても、驚くには値しません。それにしても、日本の歴史を良く知らない人が、国政を司ったり、元号がどうのことのなどと語る資格はないと思うのは、私だけでしょうか?


さて、インドネシアの独立宣言になぜ、皇紀が用いられたのか、今では、知らない人も多いと思いますので、以下に、それを記載します。


インドネシアのムルデカ(独立)広場中央に聳える高さ137mの独立記念塔(モナス)(写真下)。この地下1階に、インドネシアの「三種の神器」(独立宣言書・独立時に掲揚された国旗・国章)が奉納されています。「第一の神器」は、スカルノ(初代大統領;左写真の向かって右側)とハッタ(初代副大統領;左写真の向かって左側)がサインした独立宣言書(下写真)なのですが、ここに記された日付は「05年8月17日」。インドネシアが独立を宣言したのは西暦1945年。なのに、日付に記された年は「05」年。実は、この「05」年は、当時、「昭和」と共に日本で使われていた「皇紀」(神武天皇の即位した紀元前660年を元年とする)で、「2605」年が略されたものなのです。さて皆さん、なぜ、スカルノ等はインドネシア独立宣言書に日本独自の紀年法である「皇紀」で年月日を記載したのでしょうか? そこには、インドネシアの独立に深く関わった「日本」の存在があったのです。



まず最初に、日本とインドネシアの「出会い」から書きましょう。よく「大東亜戦争」(太平洋戦争)と言うと、日本が米英(及び連合国)に対して宣戦布告した事になっていますが、こと、オランダに関しては、逆にオランダから日本に宣戦布告してきたのです。当時、オランダもアジアに植民地を持っていました。「オランダ領東インド」(通称、「蘭印」)-インドネシアの前身です。日本の初戦における電撃的な勝利に危機感を感じたオランダは、「大東亜共栄圏」構想-アジア解放を「錦の御旗」に掲げて蘭印へ進軍して来るであろう日本軍の機先を制する目的で、先手を打って日本に宣戦布告してきたのです。


これに対して、日本軍は昭和17(1942)年3月1日、今村均(ひとし)中将(下写真)率いる「帝国陸軍ジャワ派遣軍第16軍」(通称「治(おさむ)部隊」)、2個師団総勢55,000人を擁して、ジャワに敵前上陸し、インドネシアへの第一歩を踏んだのです。さて、ジャワに上陸した「治部隊」ですが、ジャワに伝わる一つの伝説「ジョヨボヨの予言」(北方から小柄な黄色人種がやって来て、自分達を解放してくれる。しかし、ジャゴンの花が咲く頃には帰ってゆく・・・)が奏効して、親日一色に染まったジャワ島民の支持もあり、「治部隊」の2倍の兵力を擁していたオランダ軍(蘭印連合軍)を、上陸後、僅か9日にして降伏させたのです。



さて、ジャワを占領した日本軍はこの地で一体何をしたのでしょうか? 第一になされた事は「民心の安定」でした。それは、今村司令官の発した「布告第1号」に見る事が出来ます。


日本人とインドネシア人は同祖同族である
日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする
同一家族・同胞主義に則って、軍政を実施する


当時、植民地の住民にとって「共存共栄」等と言う言葉はとても信じられないものでした。なぜなら、欧米列強にとっての植民地とは、「支配者」と「被支配者」の関係でしかなかったからです。ところが日本軍は開口一番、「共存共栄」を唱えたのですから、住民が驚いたのも無理はありません。しかし、今村司令官の布告は終戦まで、決して破られる事はなかったのです。更に、ジャワ軍政府の施政も住民の支持を得ました。例えば、


農業改良指導
小学校の建設と、児童教育の奨励
新聞「インドネシア・ラヤ」の発刊
英・蘭語の廃止と、公用語としてのインドネシア語採用
5人以上の集会の自由
多方面でのインドネシア人登用
インドネシア民族運動の容認
インドネシア人の政治参与を容認
軍政府の下に「中央参議院」を設置
各州・特別市に「参議会」を設置
ジャワ島全域に、住民による青年団・警防団を組織
「インドネシア祖国義勇軍」(PETA)の前身を創設


等ですが、これらは住民にとって、どう見ても、独立への「ステップ」としか映りませんでした。そして結果的に、ジャワ軍政時代にインドネシア独立の「段取り」は全て整えられたのです。(インドネシアの
若者に射撃を教練する日本兵)



一方、インドネシア人にとって「救世主」と映った今村司令官ですが、大本営との意見対立(ジャワ軍政の施政方針は多分に今村司令官の独断であった)で、在任僅か10ヶ月でジャワ軍司令官を解任、終戦の際に戦犯としてバタビアのチビナン監獄に収監されました。そして、今村将軍(終戦時、陸軍大将)も「死刑」の危機にあったのです(部下の何人かは既に処刑されていた)。この時、映画さながらの「ドラマ」があったのです。


なんと、インドネシア独立の父・スカルノ等独立運動指導者が、死刑寸前に今村将軍を「奪還」しようとしたのです。結果的に、今村将軍は死刑執行寸前に釈放され、この奪還作戦は幻に終わったのですが、さて皆さん、ここまで書いた所で、今回のテーマに戻ろうと思います。そうです。なぜ、インドネシアの独立宣言書に「皇紀」が採用されたのか? それは、大本営の命令に反して、独断でジャワ軍政を進めた今村将軍と、独立戦争の際、独立義勇軍(インドネシア国軍の前身)に身を投じた2,000人もの旧日本兵(彼らの多くは復員せず独立戦争に参加。独立後もインドネシアに残った)に対してはらわれた最大の「敬意」ではなかったでしょうか。


スハルト前大統領は在職時に、インドネシアの体制を「家族主義」と称しました。勿論、これには、スハルト体制下、一族及び子飼いの側近が政治・軍事・経済の枢要を占めた事実を正当化する意味もあったでしょう。しかし、その根底にあったものは、ジャワ軍政当初、今村司令官が布告第1号で唱えた「同一家族・同胞主義」ではなかったでしょうか? オランダによる植民地支配から解放し、独立建国に至るレールを敷いた今村司令官によるジャワ軍政。それは、今日に至るまで、インドネシアの根底に深く根を下ろしているのだと思います。


他国の独立宣言にも刻まれた皇紀。この皇紀を用いることは、この国の自主独立の精神を尊重することにもなると思いますし、国民が、日本という国の伝統と歴史に注目し、次への大きなステップに結びつくのではないかと思います。




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2012年2月12日日曜日

大手ファミレスすかいらーくが中国産米等の使用を検討 / ステーキけん社長「うちは現時点では100%ない」―【私の論評】大手は、日本国内でも進みつつあるスペンド・シフトを理解していないのかもしれない!!

大手ファミレスすかいらーくが中国産米等の使用を検討 / ステーキけん社長「うちは現時点では100%ない」:

札幌  東苗穂店




多くの国民に愛され、普段から食事や休憩の場所として多く使用されている『ファミリーレストラン』。美味しくて安価な料理が提供されることで知られていますが、今後とある重要な部分に変化が起きるかもしれません。

日本経済新聞の報道によると、東日本大震災の影響により国内産のお米の価格が2010年より2割増の250円になっているそうです。それにより牛丼チェーンの松屋はオーストラリア産の米を使用することを決定、ガストやバーミヤンでおなじみの大手ファミリーレストラン『すかいらーく』も、中国産やアメリカ産の米の使用を検討、試食したところ品質は問題ないそうで、今後価格の上昇があれば切り替えを検討するとのことでした。

ですが、果たして本当にこの決定は正しいのでしょうか?我々消費者には安くて美味しいものが届きありがたいかもしれませんが、大手飲食チェーンが国産米の買い控えを行い最終的に泣くのは東日本大震災で大きな被害を受けた農家たちです。

もちろん価格を上げれば顧客は減り、売り上げに大打撃を受ける可能性もあるのはわかります。しかし震災後あれだけ復興を支援して日本を支えてきた企業が、高いからといってすぐに外国産米への切り替えを検討するのは気が早すぎるといっても過言ではありません。

私は300円で国産米を使っている牛丼と250円でオーストラリア米を使っている牛丼なら、絶対に300円の牛丼を取りますし、中国産の米を使用しているファミリーレストランと国産米を使用しているファミリーレストランなら、多少割高でも絶対に国産米使用の方を選択します。

別の記者が実際にすかいらーくさんのセントラルキッチン取材をしたことがあるのですが、彼曰く「本当に衛生面に気を使ってて、流石だと思った。」と大変感心していました。また別の記者が『ステーキガスト』へ足を運んだところ、その美味しさに非常に感動したとも言っていました。しかし、私はわざわざ国内でまかなえているお米を高いという理由だけで外国産米にスイッチするのには、いまいち納得できません。

例えば母親なら多少高くても国産のお米を子供に食べさせたいと思うでしょうし、日本人なのに外国産の米ばかり食べるような状況になるのはたいへん嘆かわしいことだと思いませんか?

井戸実氏

この件に関して、よくインターネット上でも話題になっている『ステーキハンバーグ・アンド・サラダバー けん』の社長である井戸実さん(@idominoru)にTwitterで質問を投げかけたところ、「現時点では100%ありません。」との回答をいただくことができました。いつもの勢いで「外国産米の使用は絶対にない!」と言って欲しかったですが、ファミレスに行く際の選択肢の一つが現状検討していないというだけでも安心しました。

現在大人気のステーキやハンバーグを頼むとサラダバーやカレーが食べ放題になる業態ですが、全国展開しているのはその業態を広めた元祖である『ステーキハンバーグ・アンド・サラダバー けん』と『ステーキガスト』しかなく、もしすかいらーくが中国産米の使用を決定したら国産米が食べ放題なのは、全国展開している同業態では、『ステーキハンバーグ・アンド・サラダバー けん』のみになる可能性があります。

現時点のインターネットでの評価を見ていくと『ステーキガスト』の方にさまざまな面で軍配があがっている場合が多いですが、今後外国産米使用の可否により大きくその評価は変わってくるでしょう。もちろん井戸社長の意思が外国産米使用に変われば残念だと思う人もいるはずですし、国産米使用が揺ぎ無いものになれば多くのファンが生まれる可能性も秘めています。

大人1人につき小学1年生までの子供2名までサラダバーが無料になり国産米をお腹いっぱい食べられるお店と、食べ放題だけど中国産米やアメリカ産米のお店であれば、勝負の結果は見えているのではないでしょうか。今後の動きに大きく注目していきたいところです。

参考リンク:日本経済新聞 井戸社長Twitter

(文=江田島平子


オリジナル記事: 大手ファミレスすかいらーくが中国産米等の使用を検討 / ステーキけん社長「うちは現時点では100%ない」

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私の論評】大手は、日本国内でも進みつつあるスペンド・シフトを理解していないのかもしれない!!

私は、向学のために、『ステーキハンバーグ・アンド・サラダバー けん』(以下「けん」と略す)には、何度か行ったことがあります。また、このブログの過去の記事にも掲載したことがあります。このブログでとりあげた、直後に実際に行きました。そのブログの記事のURLは、以下にコピペしておきます。

Food Stadium 編集長のつぶやき『今年後半のキーワードは“無料”!?』-こんな時代に強力な助っ人になりえるwifi?

内容としては、以下のようなものでした。

・・・・・・・・・・ステーキけん」のカレー無料食べ放題もそうだ。サラダバー食べ放題はある程度想像がつくが、そのうえに「カレーが食べ放題」となると、「えっ、まさか!?」と思う。現に、メインのステーキやハンバーグが目的ではなく、「無料カレーを食べてみたい」ということが来店動機になっている客が少なくないようだ。「居酒屋革命」も“焼酎無料”という「商品力」によって、集客効果を上げている。「焼酎無料によって、とにかくお客さんに来てもらい、楽しんでもらう。それが目的です」と天野雅博オーナーは語る。

実際に店舗に行ったのは、このブログ記事を書いてから2ヶ月後くらいのことでした。確か、それまでは、北海道には、なかったのが、札幌の東苗穂に初出店したばかりの、次の日に行ってみました。実際に行くとかなり混んでいて、すぐには席には、座れなく入口近くの待合室つで少し待ち、係員の誘導で、席につきました。


はっきりいうと、あまり目立った特徴もないので、さらに、ブログに書くようなことはしませんでした。でている、メニューとしては、ごく普通のもので、確かに、サラダバーには、カレーライスがあって、食べ放題になっていました。ステーキ、ハンバーグに関しても、特に美味しいということはないですが、最低限まずいということはありませんでした。だから美味しさとか、非日常性などを期待していくと裏切られるものと思います。ソフトドリンクは別料金になっていました。


それから、かなり交通量の多い、ロードサイドの居抜きの店舗だったと思います。こういうところで、一度空き店舗になると、昨今ではなかなか新たなテナントは見つかるものではありませんが、『けん』では、こういうところに狙いを定めて出店しているのだと思いました。おそらく、テナント料も含むて出店経費はかなり低く抑えられているだろうと感じました。また、メニュー自体も、ステーキ・ハンバーグ、カレーだけと、後は、サラダバーの野菜やスープだけですから熟練したコックさんがいなくても、十分できるものばかりですから、人件費もかなり抑えられるだろうと思いました。

しばらく、店で同僚とハンバーグを食べながら、お客を観察していると、確かにファミリーで来店すると、ステーキ・ハンバーグだげてはなく、カレーライスも食べられるし、サラリーマンなども、いつもは、 自前のお弁当や、コンビニやスーパーの安いお弁当ばかりで、たまに外食したいと思ったときには、悪くはないとは思いました。私など、会社で社食があるので、恵まれた環境にあるので、あまりこのお店に来ようという気にはなれないですが、そのような環境にない人にとっては、十分選択肢になるものと思いました。それに、ここ数年で、節約は、日本人のライフスタイルの基本となっていることは、このブログで掲載しましたが、ここなら、子供づれで来てもあまり節約意識を持ってメニューなど意識して選定しなくても、どれを選んでも外れはないという感覚持ちました。1000円ちょっとで、そこそこのものが腹いっぱい食べられるのは間違いなく、だからこそ、毎年のように伸び続けているのだと思います。


「けん」のカレーライス


さて、上の記事でのお米の問題どうなるのでしょうか。「けん」では、カレーライスもだしているので、原価があがると大変だとは、思いますが、それでもはっきり言い切るとは、仕入れ面で自信があるからなのでしょうか?




さて、このブログにも以前掲載した、日本でも変わってきた最近顕著になった消費高行動があります。詳細、当該ブログをご覧いただくものとして、スペンドシフトとは、以下のような消費行動の変化です。


自分を飾るより ⇒ 自分を賢くするためにお金を使う。
ただ安く買うより ⇒ 地域が潤うようにお金を使う。
モノを手に入れるより ⇒ 絆を強めるためにお金を使う。
有名企業でなくても ⇒ 信頼できる企業から買う。
消費するだけでなく ⇒ 自ら創造する人になる。


 この消費行動の変化に関しては、詳細は、当該ブログ記事を御覧いただくものとして、アメリカでは、9.11以降顕著になりはじめ、最近の金融危機、リーマーンショック以降ますます、顕著になってきているものです。日本でも、震災を期にずいぶんと顕著になりつつあります。

さて、上記のお米の問題に関して、上記でいえば、「けん」が日本のお米を使い続けるということになれば、地域が潤うようにお金を使う、絆を強めるためにお金を使う、、信頼できる企業から買うというところにあてはまることになると思います。

大手は、コスト面から、このあたりを切り捨てるということです。私としては、これは、消費者の変化を見極める上で、かなり重要なメルクマール(目印)になるのではないかと思います。大手がこれを切り捨て、「けん」が日本米を使い続け、さらには、上の三項目をうまく消費者に訴求することを条件として、その後の消費者の動きをみていれば、日本におけるスペンドシフトの状況がよく見えてくるのではないかと思います。このブログでは、これを追求し何か変化があれば、掲載して行きたいと思います。

この記事は、冒頭の井戸氏のツイートから始まっていますが、この人は、時々面白かったり、過激と思われるつぶやきもしているようです。下にその一端を紹介させていただきます。


「けん」には、「けん」の行き方があり、すべての人に支持される店を目指しているのではないことをはっきり表明しているのだと思います。巨乳と貧乳のたとえ、非常にわかりやすいです。そうなんでね。誰もが、巨乳好きとか、誰もがぽっちゃり系が嫌いだとは限らないわけです。商売上のお客様も同じことです。このあたりは、良く理解できない人もいるようです。現代のようにモノが豊富で溢れている時代には、「すべての人に気に入られるお店や商品」を目指せば、必ず失敗します。これを目指すということは、結局「すべての人に不満足」を与える、店や商品となってしまいます。


以下のツイートは、一見過激にみえます。


これは、最初にツイートした人間も、過激ですから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。しかし、見方を変えれば、状況のように「けん」には、「けん」の生き方があり、その代表である、社長を受け入れられないというのなら、来なくても良いという自信の現れなのかもしれません。

それから、以下のような記事もあります。ちなみに、ふらんす亭とは、焼きカレーのお店で、こちらも、井戸氏が経営しているチェーンです。というより、こちらが、最初のチェーンで、「けん」はこの後にできたものです。

ふらんす亭の社長がTwitterユーザーにブチギレ「うるせーよ じゃあガスト行けよ」「二度とくんな」

ときには、面白いツイートをしたり、過激なツイートもしてみたり、それでいて、商売上のツボは、しっかりと押さえている、井戸氏。良い悪いは、別にして、人間的にも面白くて、魅力があると思います。これからも、井戸氏について、追跡し、何か変化があれば、再度このブログに掲載していきます。よろしくお願いましす。

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