2010年10月17日日曜日

NHK総合5年ぶり「もしドラ」アニメ化―【私の論評】もっと多くの分野の人々にドラッカーの考えを知ってもらうのに良い機会か?!

NHK総合5年ぶり「もしドラ」アニメ化



NHKが累計発行部数130万部超と大ヒット中のビジネス小説「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海著、ダイヤモンド社)をアニメ化し、11年3月中旬から総合で放送することが16日、分かった。

30~40代の男女を対象に、放送開始を午後10時55分と遅い時間に設定して全10話放送する。総合でのアニメは、06年4~12月まで放送された「少女チャングムの夢」(韓国MBC制作)以来、約5年ぶりとなる。

【私の論評】もっと多くの分野の人々にドラッカーの考えを知ってもらうのに良い機会か?!
このブログでは、良くお読みになられている方々はおわかりのように、ドラッカーについての話題は良く掲載させていただいています。だから、私がドラッカーに傾倒している理由は多くの方がご存知だと思います。

まずは、学生時代にその当時は存続していた、いまはなき北海道拓殖銀行の部長クラスの人と知り合いになることができて、その方からすすめられて読見始めたというが最初のきっかけです。その方は、拓殖銀行の幹部研修に出席したときにはじめて、ドラッカーの書籍にであったと語っていました。

当時の拓殖銀行には、人里はなれた山の上に研修所がありました。私は、何かの用事で一度だけ、そこに行ったことがあります。そこで、その方がドラッカーにかかわる研修を受けたそうです。研修とはいっても、何も座学でドラッカーを学んだわけではなかったそうです。

その研修とは幹部候補生向けの研修であり、十数人の幹部候補生が集められ、その場でいきなり、ドラッカーのマネジメントを一人ひとりにわたされ、数人のグループに分け、三日間でドラッカーのマネジメントを読み、将来の拓殖銀行に役立つと思うことがらを提言しなさいというものだったそうです。

ドラッカーに関しては、はじめてだったのと、何とわたされた書籍は、エッセンシャル版でないほうの版だったそうです。それは、当時はどうだっかはわかりませんが、現在販売されているものは、上中下巻にわかれていて、1巻ゆうに、400ページを超えるものです。

グループ数人で手分けして、要約して発表し、議論を重ねながら、三日目には、発表を行ったそうです。そのかた、この研修で良い成績をおさめたどうかは、わかりませんが、本部のどの部署だったかは、失念しましたが、最終的な職位は部長であったことは記憶しています。現在は、拓殖銀行破綻にともない他の銀行に移り、そこでも結局は部長クラスにまで上りつめたあと、今では定年退職なされています。ですから、かなり優秀な方であったのだと思います。

そんなかたと偶然に知り合いになる機会にめぐまれ、その方から熱心におすすめがあったものですから、理系の学生だった私も、読んでみました。当時の印象としては、マネジメントの経験もほとんどなかったため、まあ、すぐれた著作の一冊というぐあいでした。しかし、その後もせっかくすすめられたものですから、時間に余裕のあるときは、マネジメントに限らず、暇があると他の書籍もいくつかは読んでいました。そうして、読んでいて学生時代に良かったと思えたことがありました。

それは、、このブログにも以前掲載したように、例のトムラウシ山で遭難しかけたときに、救ってくれたのがドラッカーの書籍に書いてあった内容だったということです。これについては、再度下の【関連記事】のところに、URLを掲載しておきますので、まだ読まれていない方こちらも是非御覧ください。

遭難しかけたとはいいつつも、それほど深刻なものではなかっので、特にドラッカーの書籍を読んでいなければ、確実に遭難したということもなかったと思います。しかしながら、実際にそのときに役にたったことを実感したものですから、それ以来、傾倒するようになり、学生のときに日本語で現在出版されているものはほとんど読んだといって良いと思います。その後も、折に触れて読んでいました。

だからといって、現在どのような成果があったのかといわれると、はっきりといえるようなことはないですが、普段仕事をしているときでも、何か問題や課題が生じた場合、松葉枝葉をみるのではなく、その上、またそのもっと上の根本原因にまで考えが及ぶとか、短い時間軸の範囲ではなく、長い時間軸でもものが考えるられるようにはなったと思います。

特に、私は理系で、優秀というわけでもありませんでしたから、もし、あの時にドラッカーを読む習慣を身につけてなかったら、、おそらく、どのような職についたとしても、いわゆる目先のことしか理解しない陳腐で、頭の固いつまらない技術屋で人生を終わることになっていたに違いなく、もっと若い頃に、それが確定していたと思います。だから、読む習慣をつけたことは、自分にとっては本当に良かったと思います。

それから、このブログでのドラッカー関係の記事でいうと、最近の事例ではあのチリの鉱山の救出劇の事例があります。これに関して、地下のリーダーについてのみ語ったことについては、少し理由があります。実は、事故のあったサンホセ鉱山は、従来から安全面での問題がしばしば指摘され、2007年に爆発事故で死者を出し、閉鎖されていました。ところが、銅価格の急騰で、08年夏に操業を再開しました。

だから、安全面で問題を抱えたまま操業を急いだ面は否めないのです。今回の事故では約70万トンもの岩石が崩れ落ちたそうです。大規模な鉱山では安全対策が進み、近年ではこうした大規模な落盤事故はまず考えられないと驚く関係者も多いそうです。

だから、地下現場の実際の職位はどうだったのかはわかりませんが、救出劇の最中での事実上のロワーマネジメントであったルイス・ウルスアさん(54)のことについては書きましたし。せっかくの、あの救出劇成功の興奮の祝賀ムードの最中にそうした話題を出すまでもないと思い、この方のリーダーぶりの良さのみを掲載しました。

この事故の全体像をみれば、この鉱山を運営してる会社のミドル・マネジメントや、トップ・マネジメントにはかなり問題があると思います。特に、最終意思決定を行う、トップ・マネジメントには問題があると思います。しかし、だからといって、今回のルイス・ウルスアさんの偉業は少しも薄れることはないと思います。まさに、今回は、トップ・マネジメントの意思決定のまずさをロワー・マネジメントがカバーしたという典型事例と思います。本来あってはいけないことなのですが、起こってしまったことに、現場のマネジャーが果敢に挑戦して、成功したとみるべきでしょう。

それから、このブログには、いろいろ民主党の批判をかなり書いてきました。確かに、民主党は、総体としてみれば、親中的であることと、日本国解体を推進していることに関しては、ドラッカー氏の考えにもとづいても、私は絶対反対です。特に、国民国家の解体や消滅に関しては、過去のブログで私は以下のように論評しています。
国民国家の消滅に関しては、産業革命の時代の初期から、国家間の経済的な相互依存性は国家主義的な情熱よりも強く作用するするはずであると説かれてきました。最初にこれを言ったのはカントでした。「国家の死滅」を現したカール・マルクスも、1950年代、60年代のバードランド・ラッセルなどの最高頭脳も、国民国家の死を予告してきましたが、その通りにはなりませんでした。
旧ソ連邦のミハエル・ゴルバチョフ氏も、国民国家よりも、経済的な結びつきの方が強いだろうと考えていたのが、旧ソビエトの解体でそうではなかったことがはっきりしました。それにひき続いた旧ユーゴスラビアなどの解体でますますはっきりしてきました。現在では国民国家が主流です。これらの国々は解体によって国民国家を実現しましたが、日本の場合は違います。日本国家解体は、国民国家の破壊です。旧ユーゴスラビアなどとは、まったく反対です。
少なくとも、現在までは、政治的な情熱と国民国家の政治が、経済的な合理性と衝突したときには、必ず国民国家のほうが勝利してきています。これからも、余程のことがない限り、これは続くことでしょう。
これは、ドラッカーがいくつかの著書で語っていたことをもとに私が考えて掲載したものです。まさに、私たちは、ソ連の崩壊から今日まで、国民国家の解体とは反対のことが起こっていることをみてきましたし、誰もそれを否定することはできません。だから、国民国家の解体は、現代でも、全く不合理であり、現実世界を反映した考え方ではなく、現段階ては、虚構とみなしてもさしつかえないものです。

しかし、この点を除けば、実は自民党とて民主党とそう変わりがないのだと思います。

ドラッカーの著書では、今や世界中の先進国や新興国で、国民は、自分の国の政府を信頼もしていないし、尊敬もしていないと語っていました。ドラッカーは昨年生誕100年を迎え、なくなってからも10年近くになりますが、その間政治システムなどどこの国でも根本的には変わっていませんから、今日ドラッカーが生きていれば、同じようなことを言っていたに違いありません。日本だけではなく、世界中の国の人々が自国の政府に満足などしていないのです。特に、日本だけが問題というわけではないのです。

過去のブログにも掲載したように、そうして、ドラッカー氏も主張していたように、実は、今はどこの国でも、政治システム改革が必要なのです。日本でも、それがない限り、今の政府が転覆して、他の政党や、連合政権になったとしても、根本問題は何も解決されないのです。

私は、最近日本語で入手できる書籍はほとんど読んでしまったので、英語のKindle本でマネジメントの改定版を読みはじめています。これからも、他の書籍もどんどん購入して読み進めていこうと思っています。そうして、3年くらいしたら、欧米の人とドラッカーの考え方について、現実世界に立脚しつつ、意見交換できるまでになりたいと思っています。それが、当面の私の私生活での目標です。

そう思って現在マネジメントを読みすすめているわけですが、今は政府の問題についての項のあたりを読んでいます。ドラッカー氏は、クリントン政権などの例をあげて、いろいろ解説しています。政治家の方にも本当に役立つ記述だと思います。今の政治家、どの党の人にしても、ほとんど的外れの議論をしているのだと思います。役人の問題も同じです。ネクストソサエティーにもこれについて非常に参考になることがかかれてあります。これなど、読むと、現政権の政治主導など完全に誤りだと確信できます。特に、すべからく政治家の方や、官僚の方は、いまこそ、ドラッカーを真剣に読むべきではないかと思います。

そのほかの分野の方々にも、いわゆる、組織ということになれば、ほとんどどんな組織も例外なく、ドラッカーのマネジメント理論は役立ちます。

最近、「もしドラ」が出版されて、多くの方々がドラッカーの書籍を読むようになり、良かったと思っていたやさき、今回まこのニュースです。素晴らしいことだと思います。これをきっかけにさらに多くの人々がドラッカーの考え方に触れて、触発されて、現在の多く分野での、閉塞感を打ち破るきっかけいになればと大いに期待しています。


【関連記事】

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2010年10月16日土曜日

日本オラクル、4代目社員犬「キャンディ」入社式を開催 - 遠藤社長も登場―うちのウインとチャナもおめでとうと言っています!!

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/10/15/029/index.html

ウェンディは先日なくなって残念でしたが、キャンディが入社です。また、オラクルも活気がでるかもしれませんね。ところで、散歩などはどのようにしているのでしょうか?ウチでは、従業員が交代で行っています。

最近では、オラクルのように社員犬がいる会社もあるようですが、うちの会社のように、社員犬が二匹で、しかも、それがジャーマンシェパードとなると珍しいのではないかと思います。

ウィンは、ウェンディーが亡くなったときの年を通り越していますが、まだ元気です。やはり、犬種にもよりますし、それに、二匹でいると、いろいろと競いあったりするというのも良いのかもしれません。

犬が嫌いな人は犬もわかるようで、犬の方も近づかいないので、犬の好きな人が交代で散歩です。皆さん、気晴らしになるようで、評判は良いです。

2匹でたたずんでいるウィン(左)とチャナ(右)です

私のブースにオヤツをねだりにきているウィンです

会議室で仲良く眠るウィンとチャナです

ドアの前に二匹でたたずむ二匹、たまにコマイヌの
ようにきちんと正座していることもあります
朝ごはんをもらうのに待機している二匹です

私は、散歩はしませんが、もっぱら、オヤツ係をしています。オヤツが欲しいので、日に必ず3回くらいはきます。オヤツはたくさん食べても太らず、カルシュウムが豊富な煮干をあげています。ペット用の減塩タイプのものです。

トリミングは、トリマーの資格を持っている従業員の女性がいるので、そのかたにやってもらっています。その前に洗うには、当社のドッグ・シャワーハウスで行っています。

やはり、職場に犬がいるという環境は、良いですよ。まずは、心が和みますね。そうして、この二匹のかしこさにはいつも関心させられています。

下に動画も掲載しておきます。




この動画、もうご覧になった方も多いと思います。最近動画も撮影してはいるのですが、あまりアップしていないので、アップしたらまた、掲載します。もう、随分と犬たちとも長い間暮らしているので、当たり前になってしまいましたが、こんなことって他では滅多にないことなので、これからも、もっと写真や動画を沢山掲載していきたいと思います。

ウィン君の日常 その1


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"Take Me Out" by Atomic Tom LIVE on NYC subway


iPhoneだけで、これだけできるって、なんだかすごいですね。楽器がなくても、これだけできるなんて。感動してしまったので掲載しました。素晴らしいマーケティングだと思います。この手法あのマーケティングのうまいAppleの上前を完全にはねてます!!

2010年10月15日金曜日

チリ救出劇、中国に飛び火?―中国の人命軽視は今にはじまったことではない!!

チリ救出劇、中国に飛び火 炭鉱の安全管理批判の書き込み


上の動画は、今年7月に中国で発生した大規模炭鉱事故のものである。どちらも、閉鎖されたはずの炭鉱で発生したものだ。閉鎖された炭鉱での採掘ともなれば危険極まりない。こんな、仕事をさせるほうも、する側も問題ありだ。

  チリの鉱山落盤事故で、地下に閉じ込められた作業員33人全員が、日本時間2010年10月14日午前までに救出された。このことについて中国では、インターネット上で自国の炭鉱事故における安全管理上の問題を批判する書き込みが行われているという。複数のメディアが伝えている。

   シンガポールの有力紙「ストレイト・タイムズ」によると、中国の有力ポータルサイトには、救出された作業員に向けて「君たちはチリに生まれてよかったな。我々だったら間違いなく生き埋めになって死んでたよ」などといった書き込みが見られたという。

   米CNNが中国の英字紙「チャイナ・デイリー」を引用したところによると、中国では2009年に2631人の炭鉱労働者が命を落とした。また、2008年に中国北部で起きた事故では、地すべりにより作業員254人が犠牲になったということだ。

■本当に炭鉱で落盤事故が!?

今度は中国の炭鉱で落盤事故! 地下186メートルに9人が閉じ込められた。
中国国営の新華社通信によると、10月14日に中国・江西省鉛山県の炭鉱で落盤事故が発生し、鉱夫9人が地下186メートルに閉じ込められているという。くしくも、チリの鉱山に閉じ込められた鉱夫33人が10月13日に救出されたばかりである。

このニュースは中国のみならず世界中に報じられ、「中国政府はチリ政府と同じように鉱夫を助けるのかな?」や「そのまま放置するのでは?」などの声が上がっている。この落盤事故に関して、日本のインターネットユーザーたちは以下のように意見をコメントしている(不謹慎なコメントもあるが、インターネット上のありのままの声をお伝えする)。

・インターネットユーザーの声
「すごいタイミングだな」
「今度はチリの真似か」
「事故に見せかけた便乗」
「どうせ助けに行った技術者が拘束されて、人質にされちゃうんだろ? 」
「中国でもチリの件は喜んで報道してたらしいしイメージアップのためやりかねないな」
「国の好感度上げるためにワザとやったんじゃねーだろうな」
「炭鉱などの事故は中国では毎日起こっているからわざとではない」
「これは中国の自作自演で救出劇を演じ世界に注目してもらおうとしてるな」
「毎日起こる事故だから自演ではない。だが、普通は発表されないからそこは意図的だろう」
「宇宙に有人飛行する技術で屁の河童でしょ」
「ノーベル賞から目をそらして欲しいんだろ」
「ニュースで見たけど中国の炭鉱は毎年3000人以上の死者を出しているんだってな」
「感動の救出劇で尖閣やらノーベル賞で受けた非難をかわそうってハラ」
「千羽鶴送ろうぜ!」

日本人の中国に対する印象が悪いのか、チリの事故に便乗していると本気で思っているのか、「中国だと激しくどうでもいいという気持ちが湧いてくる」や「故意に落盤させるとはさすが中国やることが違う」など、皮肉に満ちた厳しいコメントが多数書き込みされているのが現状だ。

しかし、中国政府が注目を集めるために便乗やヤラセで9人の尊い命を地下深くに閉じ込めるとは思いにくい。現地の情報を伝えている産経ニュースによると「関係当局が現場で救出作業にあたっている」とのこと。早急に炭鉱内部の調査を始め、1秒でも早く9人の救出にあたってほしいものである。

【私の論評】中国の人命軽視は今にはじまったことではない!!
さて、この炭鉱の落盤どういう状況で発生したかわからないので、論評などできませんが、中国は、他国と比較すると著しく人命を軽視していることは事実です。

最近の事例でも、とても信じられない事件が発生しています。

3年ほど前に、広東省佛山のレストランで人間の乳児や胎児をダシに使ったスープが販売されていたことが明るみに出ました。ダシに使われているのはほとんどが女児であることから、これは「一人っ子政策」の弊害であると考えられています。この弊害をもたらした「一人っ子政策」、そしてこのようなスープを販売するレストランの経営者や、それとわかってスープを食べに来る客たちに人命軽視という人間性の堕落をもたらした中国共産党の思想教育に非難の声が挙がっています。

乳児に対する人間性の欠如は、これだけに留まりません。中国の女児は商品として扱われている。中国国営の孤児院が乳児を販売し、暴利を貪っていた事件がこのほど暴露されまた。アメリカの多くの夫婦が最近養子にした子どもは中国の犯罪グループが誘拐して売った乳児の可能性があると米紙ワシントンポストが報道しました。女児取引は、随分前から行われており、今でも継続されています。そのため、中国では女児の行方不明が毎年おびただしい数に登っています。

中共政権の犠牲者は子供だけではありません。大人も、「臓器の強奪」という犯罪に巻き込まれる危険があります。

今年3月初旬、中国の瀋陽市蘇家屯で、生存中の法輪功学習者数千人から臓器を摘出し、手術後の遺体は焼却するという事件が暴露されました。犠牲者の身体から摘出された臓器は中国各地の病院へ高値で販売されています。このおぞましい臓器ビジネスは、蘇家屯一箇所ではなく、中国各地の強制労働収容所でも行われているといわれています。



それに、中国は建国以来人命軽視の伝統があり、中国共産党によるおびただしい数の犠牲者がでていたことも事実です。


一九九七年にフランスで出版された『共産主義黒書』では、世界の様々な国々で、膨大な数の人々が共産主義の犠牲になったことを暴露しました。

中国の章の初めで著者は、ほぼ信頼できる数値として、内戦期を除いた犠牲者の数を、次のように総括的に提示しています。
体制によって暴力的に死に至らしめられた人の数は、700万人~1,000万人(うち数10万人はチベット人)
「反革命派」として収容所に収容され、そこで死亡した人の数、 約2,000万人
1959~61年の「大躍進期」に餓死した人、2,000万人~4,300万人
上記の大躍進政策(だいやくしんせいさく)は、社会主義改造済みの中華人民共和国にて、マルクス主義の原則でありながら、数年間で経済的に米英を追い越すことを目的に、毛沢東が1958年から1960年まで施行した農工業の大増産政策です。しかし、農村の現状を無視した強引なノルマを課した上、三年自然災害も重なった結果、上記のような餓死者を出し大失敗に終わりました。ただし、失敗の原因はマルクス主義そのものとは無関係なものであり、具体的な経済の発展方法にあるとして、のち中共側は国民に謝罪を行い、毛沢東は自己批判を行って国家主席を辞任しました。


大躍進の前でも、毛沢東の命令により、おびただしい人が犠牲になっており、現在でもその影響は深刻であり、高齢の中国人といえば、親、兄弟、親戚などだれかしかが、毛沢東の犠牲になっている人は珍しくありません。そのため、現代中国では、毛沢東は、共産中国建国の父であるにもかかわらず、毛沢東を国民統合の象徴として公に英雄にまつりあげることもできません。


中国の人命軽視の伝統、毛沢東からその後の指導者から現代の指導者にまで引き継がれています。現在の指導層も、他国に比較すれば、はるかに人命など軽視していることは否めません。


上のインターネットユーザーの声、確かに無責任ともとれるものもありますが、最近の尖閣問題での中国の対応などの影響もあるでしょうし、それに、ネットユーザーであれば、中国の実体をネットで調べて熟知している人も多いと思います。


少数の財界人が、こうした中国の実体を無視して、中国で事業を展開したり、中国向けに輸出しようと考えています。さらには、国も、中国には及び腰で、厳しい態度をとることはしません。


私としては、これほど人命を軽視するような指導者はその資格がないと思います。だから、はやく中国は民主化するべきであり、それまでは、必要最低限のつきあいにとどめるべきと思っています。尖閣列島問題で、多くの人達は、中国出方に疑問を持ったようでしたが、私は、そうは思いません。多くの人は、これだけおびただしい数の人命をなきものにしてきた連中が相手ということを忘れています。


こうした野蛮人が相手なのですから、尖閣列島に上陸したら生きては返さないくらいの覚悟を持って交渉にあたらなければ、尖閣はもとより、沖縄まで取られてしまうことになりかねません。


このような事実を無視して、中国幻想に酔う、財界人や、政治家などの気がしれません。しかも、経済も完全に停滞期に突入した中国にいつまでも幻想を抱き続けるのはいかがなものかと思います。



【関連記事】

チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山落盤事故救出劇の背景にドラッカーが!!―【私の論評】私の危機も救ったマネジメント論の良い事例がまた増えた?



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2010年10月14日木曜日

チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山落盤事故救出劇の背景にドラッカーが!!―【私の論評】私の危機も救ったマネジメント論の良い事例がまた増えた?

チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山落盤事故救出劇の背景にドラッカーが!!


チリ北部コピアポ郊外のサンホセ鉱山落盤事故で、地下約700メートルに閉じ込められた作業員33人の救出作業は急ピッチで進み、13日午後9時55分(日本時間14日午前9時55分)、最後の作業員となるリーダー役のルイス・ウルスアさん(54)が救出カプセルで地上に引き上げられた。これで33人全員が8月5日の事故発生から69日ぶりの無事生還を果たした。地下に下りていた救助隊員6人の引き上げ作業も完了し、奇跡的な救出劇は幕を閉じた。

救出カプセル「フェニックス(不死鳥)」を使い、12日深夜に始まった救助作業は約22時間半で33人全員を生還させた。当初は計約48時間かかると見込まれていたが、作業員のカプセル乗り込みなどがスムーズになり、ペースが早まった。

大半の作業員が元気な様子だが、マニャリク保健相は、コピアポ市内の病院へ搬送されたうちの7人が集中治療室で治療し、うち1人が肺炎であると明かした。また、全身麻酔手術が必要な歯の感染症を患っている作業員も2人いたという。

◇「希望」束ねた指導力
その瞬間、クラクションが鳴り響き、カプセルから33人目の作業員、現場監督のルイス・ウルスアさん(54)が姿を現した。救出作業を見守ったピニェラ大統領が目にうっすら涙をため、固く抱きしめた。息子が駆け寄る。チリ国歌が斉唱された。夜の肌寒い鉱山が、熱気で包まれた。「皆さんに感謝します」。胸を張り、ウルスアさんはにこやかに語った。

彼なしでは、奇跡が起きたか分からない。前例のない過酷な地底生活を続けた33人をまとめ上げ、生還へ導いた立役者だ。

「48時間おきにスプーン2杯のツナ、そしてミルク1杯。これを守ろう」。8月5日の事故発生のその日から、彼の挑戦は始まった。他の作業員と手分けして周囲のトンネルを調査し、自分たちが閉じ込められた事実を冷静に認識。生命線ともなる食料配給の規則を決め、発見と救出を待った。工事の現場監督経験が豊富なため、自然に周囲から頼られた。

「地下に33人が生存」。全員の無事が初めて確認されたのは事故発生から17日後。それまでウルスアさんは、泣き出しそうになる仲間に言い続けた。「助けが必ず来る。絶対に希望を失うな」。ウルスアさんが言うと、不思議と心が落ち着いた。

いつしか、ウルスアさんのもとに全員が団結。時にはパニック気味になり、けんかもした仲間たちがまとまっていった。そして「奇跡」は起きた。

ウルスアさんはピニェラ大統領に語った。「我々は、世界が待ち望んだことを成し遂げた。70日間の闘いは無駄ではなかった。強さと精神力を失わなかった。家族のために闘い抜きたかった」

私の危機も救ったマネジメント論の良い事例がまた増えた?

この救出劇は、現代の奇跡のように見えますが、このリーダーはピーター・ドラッカーの信奉者でした。この救出劇について、昨日も掲載したのでは、本日は全く掲載するつもりはなかったのですが、本日さきぼと、NHKのニュースを見ていたら、解説者の人がこのリーダールイス・ウルスアさん(54)について、ドラッカー信奉者であったことを語っていました。

私は、この落盤事故が報道を聴いていて、何とな、このリーダーが、ドラッカーの理論の従って行動しているのではないかという気がしていました。しかし、これで、少なくともリーダーがドラッカーの信奉者であることがわかりました。

このブログでは、ドラッカーに関しては再三にわたって掲載してきた経緯もありますので、本日はこの救出劇をドラッカー流の観点からみてみたいと思います。

2カ月余りの地下生活。その苦境を救ったのはドラッカーの目標管理論、危機管理論、リーダシップ論だったようです。このあたりは、まだ詳しく報道などされてはいませんが、このリーダーの頭の中には、間違いなくこの考えがあったと思います。

詳しいことは、ドラッカーの書籍「マネジメント」を読んでいただきいですが、彼は、この著書の中のコミュニケーションの項で、特にコミュニケーションに必要なものとして目標管理をあげていました。

ドラッカーは、耳を傾けることは、コミュニケーショの前提であるとしながらも、耳を傾けるだけでは、効果的なコミュニケーションは実現しないとしています。

■自己目標管理
そうして、ドラッカーは組織におけるコミュニケーションののあり方として自己目標管理を提唱しています。
部下の考えが、上司の期待通りであることは、稀である。事実自己目標管理の最大の副産物は、上司と部下のものの見方の違いを明らかにすることにある。同じ事実を違ったように見ていることを互いに知ることこそが、コミュニケーションの第一歩である。
コミュニケーションは、私からあなたへ伝達するものではない。それは、われわれの中の一人から、われわれの中のもう一人へ伝達するものである。組織においてコミュニケーションは手段ではない、それは組織のあり方そのものである。
あの過酷な環境の中にあって、みながパニックに至ることもなく、頑張れたのは、おそらく、リーダーが他のメンバー全員に自己目標管理をさせたと思います。自己目標管理によって、役割分担が決まり、皆が助かるまでの間自分の目標を遂行し続けていたのだと思います。

そうして、この自己目標管理がうまくいったのだと思います。そうして、こうした自己管理目標により、普段からもコミュニケーションが蜜だったメンバーのコミュニケーションがさらに高まり今日の大成功に結びついたに違いありません。

■危機管理論
やたらに危機感を煽ったり、人を無理矢理、牛馬のように駆り立てるマネジメント方式ではだめだ。
これは、働く人々の自主性を重んじるドラッカーが、上記の自己目標管理方式に関して詳しく説明した時の発言の一部です。

まず、万年、危機(クライシス)だ大変だと騒ぎ立てては、ハッパ(ドライブ)をかけて管理するマネジャーを、ドラッカーは「クライシス・マネジャー」と侮蔑的に呼んでいました。それがキッカケとなって、今日のアメリカでは「クライシス・マネジャー」と言うと、決して「危機に強いマネジャー」のことではなく、四六時中、「大変だ、大変だ」と騒ぐ見識のないダメ・マネジャーのことを指すようになっています。

そんなことを、いつもやられていては、部下はたまったもんではありません。そして、「やれ、またか」と話半分にしか受けとめず、オオカミ少年の場合と同じく、やがてはソッポを向かれてしまうのが落ちです。

また、自分の職務をまっとうしないで、いい加減に辻褄を合わせたり、ひそかに手抜きをしたり、さらにその下に部下がいる場合には、そちらに丸投げして脅しをかけるというマイナスの悪循環しか生まれてきません。

従って、こうした「クライシス・マネジメント」や「ドライブ・マネジメント」は、組織が混迷状態に陥る前兆であるとドラッカーは断じました。

そうした尻たたき方式ではなくて、真の自己目標管理を導入し徹底させるには、

まず第1に、「分担していることを全部合わせると、はめ絵のようにピックリと納まる全体像が生まれるようにしておくこと」が、大切であるとしています。
第2に、全体目標と各人の目標の間に隙間や食違いを生じないようにし、また摩擦や軋轢があってもならない。さらに二重の手間がかからないようにせよとドラッカーは説いています。
第3に、全体目標と個別目標の均衡と調和をとりながら各人が力を尽くすためには、時間軸を尺度にして、中長期、短期の両方を考慮しておくことが大事であるとしています。
第4に、目標に関して金銭的・量的評価をし得る定量化可能目標と、具体的・可視的には量的評価が難しい定性的な目標の2つの区別しておくことが肝心であると指摘しています。
第5には、目標の進捗度や到達度の測定尺度を予め設定するとともに、特に実現に当たっての障害、上司が提供し得る支援や加勢、逆に上司が妨害し、足を引っ張りやすいポイントについても、事前に十分チェックしておくべきだ、とも提言しています。
ルイス・ウルスアさんは、このことも実践したと思います。彼らは、本当に重大な危機にあったのですから、クライス・マネジメントなどやったとしたら、かえって逆効果となり、今日の大成功はなかったかもしれません。

■リーダーシップ論
さて、リーダーシップ論ともなると、相当誤解している人もいるようです。ドラッカーはリーダーシップについて以下のように語っています。
「リーダーシップとは人を引きつけることではない。そのようなものは煽動的資質にすぎない。仲間をつくり、人に影響を与えることでもない。そのようなものはセールスマンシップにすぎない」(『現代の経営』) 
リーダーシップとは仕事であるとドラッカーは断言します。リーダーシップの素地として、責任の原則、成果の基準、人と仕事への敬意に優るものはないとしています。
リーダーシップとは、資質でもカリスマ性でもない。意味あるリーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見えるかたちで確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。
リーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく望ましいかを考え抜く。リーダーの仕事は明快な音を出すトランペットになることだ。
リーダーと似非リーダーとの違いは目標にある。リーダーといえども、妥協が必要になることがある。しかし、政治、経済、財政、人事など、現実の制約によって妥協せざるをえなくなったとき、その妥協が使命と目標に沿っているか離れているかによって、リーダーであるか否かが決まる。
ドラッカーは多くの一流のリーダーたちを目にしてきています。その彼が、優秀なリーダーには「、外交的な人も内省的な人もいた。多弁な人も寡黙な人もいた」と語っています。そうです、リーダーシップに必要な資質などないのです。まして、カリスマ性でもないのです。
 「リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事と見ることである」(『プロフェッショナルの条件』)

さて、今回の救出劇については、地上の人たちの頑張りもありましたが、やはり、ルイス・ウルスアさん(54)のリーダーシップに負うところがかなりあったと思います。そうして、ルイス・ウルスアさんの、リーダーシップは、上記の似非リーダーシップではなく、真の意味でのそれだったのだと思います。今回の救出ブロジェクトの中で、特に地下にいた人たち、このようなリーダーが存在したことは幸いでした。

そうして、おそらく、今回の事例は、後に、ドラッカー流のリーダーシップ論の、格好の事例として引用されるようになるかもしれません。私は、最近、ドラッカーのマネジメントをキンドル本の改訂版で゜読んでいます。この中の事例の中には、ドラッカー氏が最初に書いた事例のうち、古くなり過ぎたものに関しては新しいものにかえてあり、非常に読みやすくなっています。将来の改訂版にこの事例、引用されるかもしれませんね。

それにしても、ドラッカーのマネジメント論が、この救出劇にも関係していたなんて、ドラッカー好きの私としては、大きな喜びであり、ますます、傾倒してしまいました。

実は、私自身、これほどの規模ではなく、たいしたことではないのですが、ある危機を乗り越えたことがあります。その危機を乗り越かたときには、私の頭の中にもドラッカーの教えがありました。それに関しては、過去にこのブログにも掲載したことがあります。下の【関連記事】にURLを掲載しておきますので、こちらも、まだ読まれていない方は是非ご覧になってください。

最近、「もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)」ブームなどでまた、多くの人に見直され、あるいは始めて読む方も増えています。この「もしドラ」のように、マネジメントは、営利企業のマネジメントだけを意味するのではなく、多くの組織に適用できるものであることをドラッカー自身がマネジメントにも書いています。

私も、そう思います。様々な分野の人がドラッカーの考えを知り、それを自らの仕事に適用して大きな成果を上げてもらいたいと思います。この救出劇をみていて、その想いを今まで以上にますます強くしました。


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