さて、本日はBiz.IDというサイトを見ていたら、以下のような記事がでていたので、本日はこれに関連したことを掲載します。
最近、図解志向、プレゼン、発想術などについて講演することが多いのですが、その際に出席者に「思考の歯垢を取り除きましょう」と言っています。
「思考の歯垢」とは、自分で作りあげた勝手な思い込み、前提、常識といったものです。子供のころは発想が豊かだった人も、世間の荒波にもまれる間に、エッジは丸くなり、アイデア発想の前に、実現性や前例などを考えてしまうようになります。
しかし、スティーブ・ジョブズの言うように「Think Different」が大事です。ほかの人とは違っている考えこそ、価値がある。周囲が反対するアイデアこそ、大きな成功に結びつく可能性が高いのです。そうしたアイデアを持てるようにするために、私たちは、これまでにこびりついた「思考の歯垢」をキレイに取り除かねばなりません。
FedExロゴに隠されたもの
常識にとらわれない、自由な発想の原点は「視点を変える」こと。今回は、視点を変えることのできる人とそうでない人をチェックするための簡単なテストをしてみましょう。お題は、みなさんが見慣れた企業や商品のロゴ。まずは、こちらを見てみてください。
誰もが、国際的な宅配サービス会社のロゴであることは分かると思います。しかし、この企業を知らない子供に見せると何が見えるでしょうか? みなさんとは違う、別のものが見えるのです。それはなんでしょうか?
答えは、矢印です。ロゴのデザイナーであるリンドン・リーダー氏によれば「スピード」「正確性」などのメッセージをロゴに埋め込んだそうです。ロゴの文字だけにとらわれず、余白に注目すればすぐに見えてきます。EとXの間の余白に着目してみましょう。
このように、従来の意識で見ている部分だけにとらわれるのではなく、別の視点から見ると対象物は異なる顔をしていることが多いのです。同じような問題ですが、以下のロゴはどうでしょうか?
女性がよくご存知のスイスチョコレート。商品ロゴの上に描かれている山は元々製造していたトブラーがあったスイスのベルンを示しています。よく見るとそのベルンの山の中に、シンボルであるかわいい熊が描かれていますね。FedExロゴの答えを知ると、トブラローネのロゴのメッセージには、すぐに気づくことができるでしょう。
VAIOのロゴには何が隠されているか
次の問題は別の側面から見ることが必要です。ソニーのVAIOのロゴです。今度は、余白に注目ではありませんよ。VAIOの文字のデザインに注目してみてください。
ヒントはVAとIOとに分けて考えることです。いかがでしょう、このロゴに隠されたメッセージをつかむことはできましたか?
実はVAの部分は、流れるような連続した曲線(正弦波)で「アナログ」を示しています。一方IOの部分は「1」「0」と読むこともでき「デジタル」であることを示しています。つまり「アナログ」と「デジタル」の融合、というコンセプトがロゴの中に隠れているのです。
このようにロゴ1つとっても、それを「文字列」として読むのか、「映像」として見るのかで、見えるものが変わってくるということです。
文字の余白に着目してみる。文字の意味ではなく、形に着目してみる。
普段、何気なく見ているものをあえて異なる視点から見る習慣をつけておけば「思考の歯垢」を落とすことができ、これまで考えもしなかった改善点やアイデアを思いつけるでしょう。
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1105/10/news029.html【私の論評】イノベーションに必要なのは知覚だ!!
さて、上のようなロゴの事例は、探せばほかにもいろいろあります。以下のその事例を掲載します。
ネットショッピングでおなじみのアマゾンですが、実はちょっとした哲学を反映しているそうです。
黄色の矢印は、客に満足させたい意味を込めたスマイルの口のようになっています。その矢印がaとzを指しているのは、アマゾンにはAからZまですべて取り揃えているという意味を含んでいるようです。
ユニリーバと言えば食品、飲料水、洗剤類など幅広く扱っていることから、ロゴにもそれを反映させたかったようです。各図にはそれぞれの意味があり、例えばハートには愛、鳥は自由のシンボルといった感じです。
アメリカの航空会社であるノースウェスト航空。一見すると会社名の頭文字であるNとWが融合しているだけのように思いますが、実は方位磁針になっておりNorthwest(北西)の方向を指しているのです。
なじみ深いF1のロゴにも、実は隠されたものがあります。間の余白部分に、もう一つ「1」が隠されているのがわかるでしょうか。
アメリカの三大ネットワークの一つに数えられるテレビ局のロゴですが、クジャクがモチーフになっています。創立時に事業部が6つあったことにちなんで、6枚の羽根になっているそうです。
1896年に設立された10の大学からなる組合なのですが、1990年にペンシルバニア州立大学が加わりました。しかし名前を変えたくなかったので、こっそりロゴの中に11と言う数字を加えたそうです。
北米のアイスホッケーチーム、ハートフォード・ホエーラーズのロゴ。白い部分がHを、緑の部分でWを、そしてブルーの部分でクジラの尻尾を表現しています。
実は全ての文字が8の一部をつかって出来ています。
まだまだあります。
これ、何気に凄くないですか?女性のヨガのポーズですが、実はこのロゴには、オーストラリアが隠されています。皆さんお気づきですか?
イリュージョンしていますねUとIの間にSを隠しています。
名前の頭文字の「H」を道路(ROAD)に見立てています。素敵ですね。
これもなかなか。Height(高さ)なので上下の矢印で高さをイメージしつつ、間にHの文字を隠しています。
指とボタンでcliqを表現しつつ、指とボタンが「太陽と街(city)」にも見えるように工夫されています。
バーディとバードをかけて、アイアンにも鳥にも見えるように。アイアンにクチバシを付けただけでこう見えるのは凄い。
この発想素敵ですね。Webのマウスアイコンとボタンを女性のピクトグラムに見えるように工夫されています。
ワインを探す、という名で眼鏡をロゴに使っていますが、ワインボトルも隠されています。
さて、いろいろと、ロゴを掲載してきましたが、このこと自体はそうたいして重要なことではありません。上の記事では、「思考の歯垢を取り除きましょう」などと、書かれていて、何か重要なことが語られていないようなので、本日はこれに関して掲載します。
上記の例で、知覚がいかに重要であるかをご理解いただけたのではないでしょうか。
うえの記事では、「文字の余白に着目してみる。文字の意味ではなく、形に着目してみる。 普段、何気なく見ているものをあえて異なる視点から見る習慣をつけておけば「思考の歯垢」を落とすことができ、これまで考えもしなかった改善点やアイデアを思いつけるでしょう」としていますが、実際に知覚はそれ以上に重要なものです。
上のロゴの事例では、SONYのVAIOを除いては、すべて外国のものでしたが、実は知覚ということでは、海外、特に西欧より、日本のほうがはるかに歴史もありすぐています。
ドラッカーは、著書の中でこれについて、以下のように述べています。
「分析に対置するものとしての知覚こそ、実に一○世紀以降の日本画における継続的な特性である」(『すでに起こった未来』)
日本の歴史と社会についての第一人者、エドウィン・O・ライシャワー元駐日大使が、その著『ザ・ジャパニーズ』において、日本は第一級の思想家を生み出していないと言ったとき、ドラッカーは、日本の特質は“分析”ではなく、“知覚”にあると言ってくれた。
ドラッカーは、中世における西洋最大の偉業、トマス・アクィナスの『神学大全』に対置するべきは、宮中の愛と病と死の描写からなる世界最高の小説、紫式部の『源氏物語』だという。
近松門左衛門の文楽と歌舞伎は、カメラとスクリーンこそ使わなかったが、高度に映画的だともいう。登場人物は、何を言うかよりも、どう見えるかによって性格づけされる。誰も台詞は引用しないが、場面は忘れない。
近松は、映画のための道具はなに一つ使わずに、映画の技法を先取りした。役者が不動の形を取る見得は、まさに映画のクローズアップである。
歌舞伎に観る見得 |
ドラッカーの洞察は、日本の近代社会の成立と経済活動の発展の根底には、その伝統における知覚の能力があると看破する。これによって日本は西洋の制度と製品の本質を把握し、再構成することができたという。日本の真価はこの知覚の能力にある。
「日本について言える最も重要なことは、日本は知覚的であるということである」(『すでに起こった未来』)
さて、ドラッカーは日本は、知覚的であるとしていますが、さらに、イノベーションの知覚の重要性について以下のように説いています。
「イノベーションとは理論的な分析であるとともに知覚的な認識である。イノベーションを行うにあたっては、外に出、見、問い、聞かなければならない」(『イノベーションと企業家精神』)
近代文明はデカルト以来、因果関係と定量化を駆使する一方において、その呪縛に囚われてきた。近代合理主義としてのモダンの時代は、知覚の世界の存在を否定はしなくとも、進歩とは関係のないこととした。そしてそのおかげで科学技術も進歩した。
だがイノベーションは分析だけで行なうことはできない。そもそもイノベーションに対する社会のニーズは分析では知りえない。
ドラッカーは、イノベーションの成果が、やがてそれを使うことになる人たちの期待、価値、ニーズにマッチしうるかは知覚によってのみ知りうるという。
そうして初めて、それを使うことになる人たちが利益を見出すには何が必要かを考えられるようになる。考えられなければ、せっかくのイノベーションも間違ったかたちで世に出る。
かくしてイノベーションこそポストモダンたるべき活動であり、機能である。
「イノベーションに成功する者は、右脳と左脳の両方を使う。数字を見るとともに人を見る。いかなるイノベーションが必要かを分析をもって知った後、外に出て、知覚をもって顧客や利用者を知る。知覚をもって彼らの期待、価値、ニーズを知る」(『イノベーションと企業家精神』)
要するに、日本の近代社会の成立と経済活動の発展の根底には“知覚”の能力があるということです。イノベーションに取り組むには、分析的アプローチ、設計的アプローチ、創造的アプローチというのがあります。
分析的アプローチとは、現状を徹底的に分析する方法です。市場であれば、いろいろな分析を徹底的に行うということです。この分析は、たとえば、改善の場合はかなり有効です。分析ができれば、改善できる可能性はかなり高いです。しかし、あくまで改善であり、イノベーションにつながることは稀です。この方法は、ほんど分析という手法で実施します。
次に、設計的アプローチの場合は、たとえば、現状で、1000万円しか売上がない月商3000万円の店をつくるなどと目標を設定しての改善・改革の方法です。この場合は、分析的と、知覚を半々程度で実施します。実際には、月商3000万円の店と、現状の1000万円の店とを対比して、足りないものをつけたしていきます。
次に、創造的アプローチの場合は、理想的な形をアイディアでつくりあげていく方式です。これには、知覚が重要です。これは、新たなビジネスモデルをつくりあげるなどの時に用いられる方法です。
イノベーションは、無論、創造的アプローチによるものがほとんどです。分析的アプローチでは、イノベーションにつながることはほんどありません。分析だけでは、改善から一歩も踏み出せません。
なぜかといえば、たとえば、市場調査をしていたとして、分析だけでは、たとえば、30歳台の都市部の女性が、コンビニで洗剤を買う率が高いということがわかって、それておしまいだからです。これに対してできることは、30歳台の女性の顧客の多いコンビニで、洗剤をもっとおくとか、洗剤の種類を増やすということくらいです。
とこが、知覚によって、創造的アプローチをすれば、もっともっと多くのことができるかもしれません。知覚とは、30歳台の都市部の女性が、コンビニで洗剤を買う率が高いこと意味は何であるかを知覚するということです。
知覚にも、程度があります。たとえば、この事例では、女性の婚期が従来よりも遅くなり、勤労している女性が多くなったので、時間を節約するために、コンビニで洗剤を買っていると知覚できれば、洗剤に限らず、時間を節約するビジネスモデルを考えればよいわけです。このようなビジネスモデルはいくつも作れるはすです。そうすれば、先の分析の例よりも、はるかにいろいなことができます。
さらに、もっと深く知覚することができれば、さらに、それこそ、社会を変えるイノベーションもできるかもれしません。
上のロゴの例では、実は、もっと深い意味性が隠されているかもしれません。フェデックスの→は、何を意味しているのでしょう。VAIOのアナログと、デジタルは何を意味するのでしょう。チョコレートの、熊は、一体何を意味しているのでしょうか?
このように、深く知覚することができれば、さらに、物事が理解できるようになります。
それにしても、最近は、一見日本のイノベーションは下火に見えますが、特許の件数を見ている限りでは、日本は未だに世界一です。しかし、私は、いわゆる社会を本格的に変えるイノベーションに関しては、最近日本は不得意になりつつあるように思います。
そうして、それは、なぜかといえば、日本人が日本の伝統文化を軽視するようになったからではないかと思います。もともと、知覚を重要視していた、日本の伝統文化をほとんど顧みなくなったからではないかと思います。知覚とは、分析だけでは得られないものです。分析した結果を、解釈したり、外に出て知覚をもって人の期待、価値、ニーズを知ることが必要なのです。
人を知るには、何時間も話をして、人を心理分析すれば、知覚できるというものでありません。実際に、人がどう行動しているのか、何を考えているのかを、総合的に判断しなければできないものです。人の行動や、発言、思考様式、着衣などから、その背景である隠れたメッセージを読み取ることができなければ、知覚することはできません。
この方面の能力がもともと、日本人は優れていたはずなのに、日本文化をないがしろにしてきたことによって、本来の能力が失われかけているのではないかと思います。日本人は、もともと、そのような能力があったので、西欧人などとは異なり、あまり会話をしなくても、相手のことを知覚できたのだと思います。現在の政局などみていると、本当にそんな感じがします。
ここまで、読んでいただいて有難うございます。先に、書いたように、これは、思考の歯垢程度の問題ではないことがお分かりになったのではないかと思います。
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分析的アプローチとは、現状を徹底的に分析する方法です。市場であれば、いろいろな分析を徹底的に行うということです。この分析は、たとえば、改善の場合はかなり有効です。分析ができれば、改善できる可能性はかなり高いです。しかし、あくまで改善であり、イノベーションにつながることは稀です。この方法は、ほんど分析という手法で実施します。
次に、設計的アプローチの場合は、たとえば、現状で、1000万円しか売上がない月商3000万円の店をつくるなどと目標を設定しての改善・改革の方法です。この場合は、分析的と、知覚を半々程度で実施します。実際には、月商3000万円の店と、現状の1000万円の店とを対比して、足りないものをつけたしていきます。
次に、創造的アプローチの場合は、理想的な形をアイディアでつくりあげていく方式です。これには、知覚が重要です。これは、新たなビジネスモデルをつくりあげるなどの時に用いられる方法です。
イノベーションは、無論、創造的アプローチによるものがほとんどです。分析的アプローチでは、イノベーションにつながることはほんどありません。分析だけでは、改善から一歩も踏み出せません。
なぜかといえば、たとえば、市場調査をしていたとして、分析だけでは、たとえば、30歳台の都市部の女性が、コンビニで洗剤を買う率が高いということがわかって、それておしまいだからです。これに対してできることは、30歳台の女性の顧客の多いコンビニで、洗剤をもっとおくとか、洗剤の種類を増やすということくらいです。
とこが、知覚によって、創造的アプローチをすれば、もっともっと多くのことができるかもしれません。知覚とは、30歳台の都市部の女性が、コンビニで洗剤を買う率が高いこと意味は何であるかを知覚するということです。
知覚にも、程度があります。たとえば、この事例では、女性の婚期が従来よりも遅くなり、勤労している女性が多くなったので、時間を節約するために、コンビニで洗剤を買っていると知覚できれば、洗剤に限らず、時間を節約するビジネスモデルを考えればよいわけです。このようなビジネスモデルはいくつも作れるはすです。そうすれば、先の分析の例よりも、はるかにいろいなことができます。
さらに、もっと深く知覚することができれば、さらに、それこそ、社会を変えるイノベーションもできるかもれしません。
上のロゴの例では、実は、もっと深い意味性が隠されているかもしれません。フェデックスの→は、何を意味しているのでしょう。VAIOのアナログと、デジタルは何を意味するのでしょう。チョコレートの、熊は、一体何を意味しているのでしょうか?
このように、深く知覚することができれば、さらに、物事が理解できるようになります。
それにしても、最近は、一見日本のイノベーションは下火に見えますが、特許の件数を見ている限りでは、日本は未だに世界一です。しかし、私は、いわゆる社会を本格的に変えるイノベーションに関しては、最近日本は不得意になりつつあるように思います。
そうして、それは、なぜかといえば、日本人が日本の伝統文化を軽視するようになったからではないかと思います。もともと、知覚を重要視していた、日本の伝統文化をほとんど顧みなくなったからではないかと思います。知覚とは、分析だけでは得られないものです。分析した結果を、解釈したり、外に出て知覚をもって人の期待、価値、ニーズを知ることが必要なのです。
人を知るには、何時間も話をして、人を心理分析すれば、知覚できるというものでありません。実際に、人がどう行動しているのか、何を考えているのかを、総合的に判断しなければできないものです。人の行動や、発言、思考様式、着衣などから、その背景である隠れたメッセージを読み取ることができなければ、知覚することはできません。
この方面の能力がもともと、日本人は優れていたはずなのに、日本文化をないがしろにしてきたことによって、本来の能力が失われかけているのではないかと思います。日本人は、もともと、そのような能力があったので、西欧人などとは異なり、あまり会話をしなくても、相手のことを知覚できたのだと思います。現在の政局などみていると、本当にそんな感じがします。
ここまで、読んでいただいて有難うございます。先に、書いたように、これは、思考の歯垢程度の問題ではないことがお分かりになったのではないかと思います。
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2 件のコメント:
コメントありがとうございます。日本人のセンスは「コンテキスト」な言語を基にコンテキストな視点で物事を見れるという利があるのではないかと考えています。ある種「曖昧」、ある種「趣」、この境界線は議論が難しいところですが、その利を自認して活かす事がグローバルにおいて差異化につながり、画期的なイノベーションにつながるのでは?と考えています。日本人は欧米思想を勉強し、現在は咀嚼途中だと信じたいのです。ドラッガーやポーターが行き着く先ではなく、欧米経営思想のノンコンテキストな「いいところ」を学び、そして「コンテキスト」へ回帰する。戦後は日本流で進めてこれましたが今は時代が違います。グローバルに生き残るためには「有用な寄り道」をした後の「原点回帰」が必要ですね(そんな原点をドラッガーは認めてくれるのでしょうか・・)
素敵なブログで、また立ち寄らせていただきます。
しーたーん様 コメント有難うございます。ドラッカーの限界については、このブログにも掲載しています。やはり、西欧人としての限界があるものと思います。とは、いっても、人には誰にも限界があるものですから、だからといって、ドラッカーの業績に対して、少しも影を落とすものではないと思います。
http://goo.gl/a5aX
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