民間信用調査会社の帝国データバンクは、2011年5月2日にジーンズメーカー「ボブソン」(東京・渋谷区)が東京地裁へ民事再生法の適用を申請したと発表した。
同社は09年8月に旧ボブソン(現ピーチフォート、岡山市)が手がけていた「BOBSON」ブランドの企画・製造・販売事業を引き継ぐ目的で設立された。
旧ボブソンは1948年に創業。ジーンズブランドとして知られ、レーヨン素材のジーンズ製品の開発など技術開発力にも定評があった。ファストファッションによる1000円以下などの激安ジーンズ販売などによって業績不振に陥った。現ボブソンが事業を引き継いでからはブランドイメージの再構築や高付加価値商品の販売に力を入れていた。
しかし、その後も業績は回復せず資金繰りが悪化、自力での再建を断念した。
帝国データバンクによると、10年2月期末時点の負債は約7億3400万円に達していた。
なお、岡山県の旧ボブソンは2010年に「株式会社ピーチフォート」に社名を変更し、米オシュコシュ ビゴッシュなどの子供服ブランドに特化して事業を継続している。
【私の論評】時流に乗れなくなればどんな企業もやっていけなくなる!!
ボブソンは、ここしばらく何か、影にかくれてしまったかのようで、最近はほとんど目立っていませんでした。最近は、リアルフアッションが目白押しで、私など、このニュースで久々に思い出したというところです。
さて、ボブソンができた理由とか、その名の由来などご存じでしょうか?ほとんどの方は知らないのではないかと思います。実は、ボブソンはもともとは学生服のメーカーでした。
30数年以上前は、中学、高校といえば、特に男子生徒といえば、学生服を着るのがあたりまえでした。しかし、その頃から、服装の規制が緩くなり、学生服でなくても良いとか、学生服を廃止する学校もでてきました。
そのため、どこのメーカーも学生服の売上の伸び悩みに直面していたわけです。そんななかで、岡山のメーカーは、ジーンズに目をつけました。その当時から、ジーンズはもちろん大人気でしたが、日本ではほとんどつくられておらず、つくっていたとしても、無名の弱小メーカーだけでした。ほとんどが輸入もので、その価格も当時で数千円から1万円と、とても高いものでした。
また、日本製のものは、比較的廉価でしたが、形といいデザインといい、とてもアメリカのリーバイスなどとは比較にならない貧弱なものでした。そこで、岡山のメーカーはこのジーンズに目をつけたのです。そうして、アメリカからの輸入ものよりも低価格で、デザイン的には、日本のその当時の小さなメーカーのものより、数段優れたものをつくって販売することにしたのです。価格帯は、アメリカ輸入ものと、日本の小規模メーカーの中間程度という設定でした。
それが、現在のボブソンのはじまりです。その当時は、他にもいくつかの岡山のメーカーがそのようなことを始めました。比較的有名なところではエドウィンです。
さて、このボブソンとか、エドウィンとか、その名前の由来が面白いのでここに掲載しておきます。ボブソンは、「ボブが損をする」という意味だそうです。エドウィンはなんと「江戸の勝利」という意味だそうです。国産ジーンズというとビッグ・ジョンというメーカーもありますが、これは、もともとは鹿児島のメーカーです。
さて、この試みは見事にあたって、アメリカの輸入物より、はるかに安い価格で販売され、市場にも好感を持つて迎えられ、かなり業績を伸ばしたようです。私の記憶では、ある高校では、男子高校生など、学生服を廃止して自由にしたのはよいのですが、男子学生などほぼ全員が年がら年中ジーンズでまるで、制服のようであったのを覚えています。
それから、現在はジーンズというのが普通ですが、従来は「ジーパン」と言われていました。これは、そもそも、ジーンズが日本に入ってきたのは、アメリカの軍人などが、アメ横などで、古着としてもってきて、それが市場に出回ったのが最初だったからです。ジーパンは、英語でいう「Gmen's Pants」であり、これは、「Goverment Men' Pants」の略のようです。要するに、政府に奉仕する人のズボンという意味のようです。
ついでですが、ジーパンがジーンズと呼ばれるようになったきっかけなども掲載しておきます。ジーンズという呼び方は、ボブソンや、エドウィン、ビッグ・ジョンなどの後発メーカーが、他の日本の価格は、安いのですが、品質的に劣る、メーカーのものと差別化させるため、ジーパンという呼称をやめて、意図して意識して、ジーンズと呼ぶようにしたものです。
この戦略は、見事に功を奏したようです。日本でも、最初は、日本のメーカーのつくったものは、安物、モノマネという感覚だったのですが、この呼称の変化と、品質の良さから、後発メーカーのボブソン、エドウィンなどのメーカーのものも順調に売れるようになりました。
そうして、日本からジーパンという名称は消え、ジーンズという名称が定着しました。その仮定で日本の小さな規模での先行していたメーカーがほとんどその姿を消しました。その象徴的なことがありました。それは、「あの太陽に吠えろ」という刑事もテレビドラマで、松田優作さんが、演じていた、いつもジーパンを履いていて、ジーパンというあだ名のあった刑事が殉職しました(1974年(昭和49年)8月30日)。このころに、ほとんどジーパンという呼称は日本から消えました。
しかし、その後ユニクロや、他のリアルフアッションが興隆してきました。これらのメーカーも当然ジーンズを取り入れ発売しだしました。
エドウインなどは、昔学生服から、ジーンズに転向したように、今度はジーンズから何かに転向すれば良かったと思うのですが、今回ばかりは、それはできなかったようです。時流に乗るのは、簡単なようでいてなかなか難しいものなのだと思います。
考えて見れば、学生服から、ジーンズに転向したときだって、今から後知恵で考えれば、そうするのが当たり前のように感じますが、実際にはなかなか難しかったと思います。しかし、これを企画した人は時流をつかんでいたのだと思います。
いわゆる時流を捉えるとは、かなり難しいものだと思います。これは、未来を予測するということとは違います。未来は、予測することはまずできません。できるとしたら、二つしかありません。それは、まずは、10年後20年後を目指して、自分でつくるということです。この世にないもの、あっても、まだ受け入れられていないものを今から、準備して世にだすことです。未来を自らつくるという行為です。
それから、もうひとつは、今この世に存在していることで、まだ、極少数派ではありますが、将来多数派になることを見出すことです。これが、時流をつかむという行為です。ドラッカー流にいえば、すでに起こった未来を見つけるという行為です。
未来をつくることは、余程の資本力などがある会社か、国などの機関でないとなかなか出来ない面があります。普通は、時流をつかむことが中心になると思います。しかし、時流をつかむことも、かなり難しいです。ほとんどの人がこれができずに、時流をつかんだつもりになって失敗します。
過去においては、いわゆる現在のGMSなども時流をつかんだ商売ができていたようですが、最近ではどうもそうではないようです。たとえば、昔のGMSであれば、切れない包丁を打ったり、鮮度の悪い魚を業界に先駆けて販売したものです。
どういうことかといえば、昔の家庭では、出刃包丁などを含めて、幾種類かの切れる包丁が置いてあるのが当たり前でた。しかし、家庭環境もかわり、今では、包丁などほとんど使わなくなり、文化包丁一本などという家庭も増えてきました。
昔台所でやっていたような、包丁で魚をさばくなどという作業はスーパーがやるようになりました。だから、家庭には、もう、切れる包丁など必要がなくなりました。というより、あまり切れ味の良い包丁はかえつて、敬遠されるようになったのです。このことを見抜いていた、GMSなどでは、文化包丁などの切れない包丁を置くようになりました。
魚の売り方も、GMSが最初に変えました。昔の魚屋というと、取立ての新鮮な魚を"ぬる"(知らない人のも増えてきましたが、魚は、とったばかりのとき表面がヌルヌルした液状のものに覆われています)がついたままの状態で売っていました。魚は、本来、食べる直前に、この"ぬる"をとって調理したほうが格段に美味しいです。しかし、これは、見た目がかなり汚らしいです。
そこで、スーパーはこの"ぬる"をとることはもとより、三枚に下ろした状態で販売することを業界にさきがけて行うようにしました。今で、三枚にさばくことができない人かなり多いですね。三枚におろすことは、本当はそんなに難しいことではないです。ただし、現在の人、魚の背ビレの下のほうに、骨が伸びていることをしりません。これを、切るようにすれば、三枚におろすのはそんなに難しいことではありません。
ただし、もはや、スーパーで魚を購入すれば、三枚におろす必要などありません。それに、GMSでは、刺身も、ブロックではなく、切った状態で売ることが普通になりました。
しかし、過去においては、時流をつかんでいたGMSも最近では、そのようなことはなくなりました。最近、セブン・アンド・アイの鈴木会長の記事を掲載しましたが、そのなかで、鈴木会長が、百貨店や、コンビニには、比較的高い点数を付与していたのに、GMSは、30点ともらしていました。
あれほど、時流にのったボブソンも、GMSも現在のような有様です。時流をつかむということはそれほど難しいことだということです。
では、どうすれば、時流はつかむことができるのでしょうか?それには、過去の分析が必要だということです。失敗する人はのほとんどは、過去をまともに分析していないのだと思います。過去のなしに、現在はないです。過去の延長線上に現在があり、その延長線上に未来があります。だから、過去を分析しない人は、現在がわかりません。現在のわからない人に、未来もわからないわけです。世の中には、こうした人がゴマンといて、未来がわかったような気持ちになっている人が多いです。その最たるものは、菅さんなど、民主党の閣僚などだと思います。典型的な、知ったかぶり、思い上がりが、彼らを支配しています。
包丁の例でいえは、過去には切れる包丁が全盛だった時代があります。それが、ある時期から、切れない文化包丁ですます家庭が少数ですが、増えてきているという事実がありました。では、切れる包丁と、切れない包丁は、将来どっちが多数派になるかを考えればよいわけですが、切れない包丁の家庭の主婦などの行動の変化などをみれば、切れない包丁を購入する人のほうが将来増えることは予測がついたことでしょう。
包丁の例は、後付ですから、解りやすいですが、やはり、時流をつかむには、このようなことを普段からいつも考えておく必要があります。いきなり、必要が生じてから考えても、ままならないでしょう。
そのために本を読むことも必要でしょう。そのための参考として、ドラッカーの「すでに起こった未来」などは役に立つものと思います。
しかし、本を読んだからといってすぐに出来るようにはならないでしょう。普段から、世の中の事象や、人に関心をもち、それらがどのように変化をしていくかを考える習慣をつけるべきでしょう。そうして、そういう習慣がついた人が、本当の意味での商売人といえるのだと思います。
弊社の会長は、若い時にイトーヨーカードーに務めていた時期があります。その時のある期間、通勤電車で会社にかよっていたのですが、そのとき、当時の鈴木常務(現会長)に電車で顔をあわせいたそうです。そうして、当時の鈴木常務から日経流通新聞にでていた記事の内容などについて「どう思う」と質問されたそうです。だから、日々、流通新聞を読んで、日々の質問に対応するように務めていたそうです。その後、そのようなことを考えるのが習慣になったそうです。
このようなことで、特に自分の身近なことから始めていけば、最も効率的に時流を捉えられるようになるのだと思います。
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