2025年4月17日木曜日

映画「鹿の国」が異例の大ヒットになったのはなぜ?鹿の瞳の奥から感じること、日本でも静かに広がる土着信仰への回帰も影響か―【私の論評】日本の霊性が世界を魅了:天皇、鹿、式年遷宮が示す魂の響き

映画「鹿の国」が異例の大ヒットになったのはなぜ?鹿の瞳の奥から感じること、日本でも静かに広がる土着信仰への回帰も影響か

まとめ
  • 鹿への焦点: 監督・弘理子は諏訪の神事撮影から鹿にこだわり、4年間の制作で鹿の目線で自然と命の循環を捉えた。
  • 諏訪信仰と鹿: 鹿は諏訪信仰の神事に不可欠で、「御頭祭」では鹿の生首が供物として捧げられ、歴史的に重要な役割を果たす。
  • 自然と四季の表現: スローモーションやコマ送り映像、静かなナレーションで、鹿を通じて四季の移ろいと命の躍動・儚さを描く。
  • ヒットと観客の反応: 全国45館で上映、観客2万5000人超を記録。若者を中心に口コミで広がり、諏訪の人々の神への親しみが共感を呼ぶ。
  • 土着信仰の回帰: 明治以降の西洋化で断絶した日本人の自然や「見えない何か」への信仰が、現代で再び求められている。

 映画「鹿の国」は、鹿の深い瞳と中世の神事を再現した少年たちの美しい映像が心に残るドキュメンタリー作品。劇場を後にすると、鹿とともに森を歩いたような爽快さと余韻を感じる。監督の弘理子(ひろりこ)は、長野県諏訪の神事撮影から始まり、4年にわたる制作過程で鹿へのこだわりを強めていった。

 当初は神事を記録するだけだったが、現代的な要素が「神」や「見えないもの」の気配を薄め、単なる神事の羅列では作品として物足りないと感じた。そこで、野生動物撮影の経験豊富なカメラマン毛利立夫らと組み、獣道をたどり鹿を追う撮影にシフト。諏訪信仰の研究者北村皆雄も、弘の鹿への強い執着に驚いたと振り返る。

 諏訪信仰では、鹿は神事に不可欠で、「年内神事次第旧記」に「鹿なくてハ御神事ハすべからず」と記される。毎年4月15日の「御頭祭」では、豊作を祈り鹿の生首が供物として捧げられてきた。弘は、人間や儀礼中心の民俗学的な視点ではなく、自然と風土を優先。鹿の目線で四季の移ろいを捉え、命の循環や「素の命」を表現した。毛利のスローモーション映像や明石太郎の稲の芽吹きのコマ送り映像、静かなナレーションが、命の躍動と儚さを伝え、雪の舞うような詩的な雰囲気を醸し出す。

 2025年正月に東京と長野で公開された本作は、全国45館に上映が拡大し、4月3日時点で観客2万5000人超、公式ガイドブックは1万部近くを記録する異例のヒット。ドキュメンタリー映画館では、民俗学を学ぶシニアや学者に加え、若者が口コミで集まり、大きな支持を得ている。諏訪の人々のゆったりとした表情や、神への親しみが漂う佇まい、桜の古木での祈りや猟師の伝統的な行為が、観客に「ああ、日本人はいいな」と感じさせる。

弘は、自然の循環や「見えない何か」への信仰が、かつては不思議な現象として人々を惹きつけ、現代でもその感覚が求められていると指摘。明治以降の西洋化で断絶した土着信仰への回帰が、個々の心で広がっていると分析する。鹿は、こうした日本人の足元にある「何か」を体現する存在として、作品の核心を成している。

 この記事は、元記事の要約です。詳細を知りたい方は、元記事をご覧になってください。

【私の論評】日本の霊性が世界を魅了:天皇、鹿、式年遷宮が示す魂の響き

まとめ
  • 日本の霊性の根源: アニミズムとシャーマニズムに根ざし、自然と「見えない何か」に敬意を払う文化。天皇は神々の子孫として調和の精神を象徴し、霊性の基盤を成す。
  • 諏訪信仰と鹿の象徴性: 鹿は神と人を結ぶ神聖な存在で、「鹿の国」はその視点で命の輝きと自然への感謝を描き、2万5000人以上が共感した。
  • 伊勢神宮と祭りの霊性: 式年遷宮は天皇の祈りと自然の再生を体現。桜の花見や祇園祭は、アニミズムとシャーマニズムが日常に息づく場。
  • 思想家の視点: マルロー、ユング、鈴木大拙が日本の霊性を称賛。宗教の時代から霊性の時代への移行を予見し、自然との対話が普遍的価値と響く。
  • 現代の意義: 物質主義を超え、伝統文化が心の救いとなる。神田祭や御頭祭で若者が霊性を感じ、現代社会で日本の霊性の響きが増す。
供物として捧げられた鹿の生首

映画「鹿の国」の鹿は、ただの動物ではない。日本の霊性を体現する存在だ。日本の霊性は、自然のあらゆるものに魂を見出し、人の心と深く共鳴するアニミズムとシャーマニズムに根ざす。アニミズムは、山や川、木や動物に神聖な力があると信じる思想で、日本では八百万の神々として息づく。シャーマニズムは、巫女や祈祷師が神や霊と交信し、自然や祖先の力を借りて人々を導く実践だ。日本の神事や祭りでは、神を降ろす儀式にその片鱗が見える。この二つが絡み合い、堅苦しい教義や儀式を超えて、自然との一体感や「見えない何か」への畏敬を生み出す。

フランスの作家アンドレ・マルローは、日本の霊性を「天皇を原点とする神聖な調和の精神」と呼び、その独自性を讃えた。2025年2月16日の本ブログ記事では、マルローが「天皇は、自然と民を結ぶ神聖な糸であり、日本の霊性を形作る」と語ったと伝えた。天皇は、神々の子孫として自然の秩序を体現し、霊性の礎だ。諏訪信仰では、鹿が神と人を結ぶ神聖な存在として中心に立つ。「年内神事次第旧記」に「鹿なくてハ御神事ハすべからず」とあるように、鹿は欠かせない。4月15日の「御頭祭」では、かつて75頭の鹿の生首が豊作を祈って捧げられ、今は3頭に減ったが、その伝統は生きている。厳冬の「御室神事」では、少年が神域に籠もり鹿を捧げる。そこには、シャーマニズムの神降ろしの息吹が感じられる。

映画「鹿の国」は、鹿の視点で四季の移ろいと命の輝きを切り取り、自然への感謝を現代に響かせる。全国45館で上映され、2万5000人以上が観賞したこの作品は、観客の心を掴んだ。Xの投稿では、諏訪の神事の美と神秘に感動し、600年前に途絶えた神事の再現が素晴らしいと評価される。別の投稿は、映画が日本の信仰と芸能の原点を描き、自然の豊かさに心打たれると語る。現代日本人が自然との絆を渇望している証だ。

式年遷宮

伊勢神宮の式年遷宮は、霊性の結晶だ。20年ごとに社殿を建て替え、神々を遷す儀式は、1300年以上続く。2013年の第62回式年遷宮では、天皇が祈りを捧げ、伝統技法で社殿を再建。神域の森から伐った木材には感謝の祈りが込められ、アニミズムの敬意とシャーマニズムの対話が融合する。単なるメンテナンスではないのだ。1400万人が参拝し(伊勢神宮公式発表)、天皇の祈りに心を寄せた。

日本は、これらを他国のようにアニミズム、シャーマニズムを途絶えさせることなく、近現代では忌避される呪術的要素を廃し昇華させつつ社会に定着させ継続させている稀有の国なのだ。他国では、これらはほぼ廃され、一部は残っているものの、社会の一要素とはみなされず、宗教がこれに変わっている。これを残した先達の知恵を感じる。

日常にも霊性は息づく。桜の花見は、命の儚さを愛でる平安時代からの風習で、2023年の上野公園の花見には400万人が集まった(東京都発表)。京都の祇園祭や秋田の竿燈まつりは、自然と絆を結ぶ。祇園祭では神霊を迎えるシャーマニズムの儀式があり、山鉾巡行はユネスコ無形文化遺産だ。2024年には120万人が訪れた(京都市観光協会)。これらの祭りは、天皇の調和の精神を背景に、アニミズムとシャーマニズムが織りなす。

天皇は、日本の霊性の礎だ。『日本書紀』では、天照大神の子孫として、稲作や自然の恵みを守る祭司とされる。今も新嘗祭で天皇は米を神に捧げ、シャーマニズムの神との対話で国民の安寧を祈る。2019年の即位礼正殿の儀では、令和の天皇の祈りが世界を魅了し、BBCが「天皇の神聖な役割は日本の精神文化の基盤」と報じた。諏訪信仰の鹿は、天皇の調和の精神と響き合い、アニミズムの敬意とシャーマニズムの媒介として「見えない何か」を届ける。鹿は、天皇の祈りと共に、霊的な力を放つ。

日本人自身の声も響く。禅の研究者・鈴木大拙は、霊性を「自然と人間の無我の合一」と定義し、禅を通じて世界に示した。茶道や俳句にアニミズムの霊性が宿り、自然との対話が精神を形作ると説く。『禅と日本文化』(1938年)では、侘び寂びが自然の無常を愛で、金閣寺の庭園で「静寂の中で自然と一体になる感覚」を描いた。シャーマニズムについては、禅僧の瞑想が宇宙の真理と交信する行為を霊性の深さと評価。鈴木の視点は、諏訪の鹿や伊勢の式年遷宮に通じ、アニミズムとシャーマニズムが日常から神聖な場まで貫く。

マルローと心理学者カール・ユングは、「宗教の時代は終わり、霊性の時代が来る」と予言した。マルローは、宗教の形骸化を断じ、芸術や精神性に真の意味を見た。龍安寺の枯山水でアニミズムの調和を感じ、霊性が内省を促すと記した。ユングは、集合的無意識で個と普遍が結びつき、霊性の時代が生まれると説いた。2025年1月18日の本ブログ記事では、日本の神話が深層心理に根ざし、ユングが伊勢神宮で感じた「神聖な静けさ」がシャーマニズムの対話を示すと述べた。鈴木大拙も、禅の「無」が霊性の時代に通じ、アニミズムとシャーマニズムの融合が日本の精神性を輝かせると予見した。日本の霊性は、これらの声と響き合い、天皇を原点とする自然との対話で、霊性の時代を体現する。

鈴木大拙:ZENを世界に広めた仏教哲学者

諏訪信仰の鹿は、霊性の象徴だ。ユングの集合的無意識のシンボルとして、個と人類の精神を結ぶ。諏訪大社の神事では、鹿の角や毛の変化がアニミズムの神の顕現とされ、シャーマニズムの神降ろしで人々は神聖な命を感じる。古老が「鹿の目を見ると、山の神が宿る」と語った(諏訪大社公式ガイドブック)。マルローの美意識、鈴木の侘び寂びは、鹿の眼差しに宿る。映画「鹿の国」のスローモーション映像は、鹿の動きを詩的に捉え、命の儚さを刻む。

現代は、経済や技術が支配するが、物質では心は満たされない。2014年1月18日の本ブログ記事では、伝統文化が精神の救いとなると説いた。過労や孤立に悩む人が祭りで安らぎを得るのだ。2024年の神田祭では30万人が神輿を担ぎ、シャーマニズムの神霊を感じた(神田神社報告)。諏訪の御頭祭では、若者が増え、「神を感じる瞬間」を共有する(地元メディア)。

日本の霊性は、マルロー、ユング、鈴木大拙の予見と共鳴する。諏訪の鹿は、自然と神、命と人を結び、失われた一体感を呼び戻す。映画「鹿の国」は、鹿の眼差しで命の尊さを伝え、観客の心を揺さぶる。上映後のトークで、20代の若者が「鹿の映像で子どもの頃の森の感覚が蘇った」と語った。伊勢の式年遷宮では、2013年に高校生が「新社殿の清らかさに心が洗われた」と述べ(朝日新聞2013年10月報道)、天皇の祈りが若者を動かした。

桜の花見、祇園祭、諏訪の神事は、天皇の調和の精神を背景に、アニミズムとシャーマニズムが人々の心に根付く。マルロー、ユング、鈴木大拙が予見した霊性の時代が今、始まる。日本の霊性は、物質主義や分断を突き抜け、世界に深い示唆を与える。天皇の祈り、鹿の眼差し、伊勢の神聖な森。それらは、自然と向き合い、心の奥を探る力を与える。その響きは、現代社会でますます強くなる。

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