上はの画像は、私の大好きな、そうしてお洒落な熱帯ジャズバンドの演奏によるクインシー・ジョーンズ・メドレー。
彼の名はクインシー・ジョーンズ。またの名を、"Q"。米ポピュラー音楽界が生んだ史上最高のプロデューサー、今日の多くの人々が、クインシー・ジョーンズを音楽業界一のやり手ヒット・メイカー&プロデューサーとして認識しているに違いないと思います。50~60年 代においてジャズ・アレンジャーとしてひっぱりダコだったジョーンズの最たる偉業/功績は、映画産業や音楽業界全般でアフリカ系アメリカ人たちが活躍する 場を開拓したことにあります。
1933年3月14日シカゴ生まれ、シアトル育ち。小学校時代にトランペットを学び始め、12歳の時にはゴスペル・カルテットで歌っていた。シアトルで生まれたジョーンズが10代になった頃、彼に楽譜の読み方を教えたのは、なんと盲目のファンク・ミュージシャ ン、故レイ・チャールズでした。レイとクインシー・ジョーンズの出会いは、映画「レイ」の中にもでてきます。
その後、ジョーンズはトランペット奏者の道に進み、ライオネル・ハンプトン、ディジー・ガレスピー、カウント・ベイ シー、レイ・チャールズなどのオーケストラ・アレンジメントを手がけるようになりました。そして57年、フランスのレコード会社<バークレイ>に重 役として引き抜かれ。その後<マーキュリー>に移籍。同時期、ジョーンズは自身のクインシー・ジョーンズ・ビッグ・バンド名義で優れた作品 を次々とレコーディングしています。
それは名立たるミュージシャンたちをフィーチャーしたもので、ハード・バップにカウント・ベイシーのスウィング感をふん だんに盛り込んだような秀逸な作品群でした。さらにこの時期、ジョーンズは活動を幅をどんどんと広めており、サラ・ヴォーンやフランク・シナトラなどの シンガーを含め、さまざまなアーティストたちと仕事をこなしていましたた。
以後、映画やTVのサウンド・トラック制作にも力を注ぎ、いずれも大成功を収めまた。 70年代に入ってから彼が制作する作品はファンキーなものへと変化していき、商業的音楽面を重視した作風になりつつありますが、リリースする度にシーンの第 一線へと返り咲くそのさまはあまりに偉大です。それも、作品のなかにジャズ、ファンク、ポップ、ラップといったあらゆる音楽を折衷させた、普遍性を持つ独自 の音楽観が存在しているからでしょう。
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