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2017年11月29日水曜日

やはり進歩なきエダノミクス 金融政策理解できなければ雇用の増やし方も分からない―【私の論評】ブラック体質を変えない枝野氏(゚д゚)!

やはり進歩なきエダノミクス 金融政策理解できなければ雇用の増やし方も分からない

衆院本会議で質問する立憲民主党の枝野幸男代表=20日午後、国会
 衆院選で議席を伸ばした立憲民主党の枝野幸男代表が、特別国会で代表質問に立った。旧民主党や民進党時代と経済政策に関する認識に進歩はあったのか。

 結論から言ってしまえば、進歩なし。旧民主党や民進党時代と基本的に同じだった。

 枝野氏は選挙期間中、「私は緊縮財政論者だと批判されています。しかし、ここで明言します。現状の私は緊縮財政論者ではないし、いまの日本の状況で緊縮はありえません」と述べていた。立憲民主党は、旧民主党や民進党時代と異なり、消費増税の凍結を主張してもいる。

 しかし、マクロ経済政策で財政と並ぶもう一つの柱である金融政策については、相変わらずの「緊縮」路線だ。

 本コラムで何度も指摘してきたが、枝野氏は「利上げで景気回復」という信じがたい意見の持ち主だ。これは、2008年秋にテレビ朝日「朝まで生テレビ」に一緒に出演していた筆者の目の前で話したことだ。

「枝野 利上げで景気が良くなる」の画像検索結果
2008年「朝まで生テレビけで「利上げで景気回復」と発言した枝野氏
 さすがにまずいと思い、生放送中ではあったが、「不適切な経済運営なので意見を取り消したほうがいい」と言ったが、枝野氏はムキになって自説の正当性を主張した。その言い分は、金利を引き上げると年金生活者などの消費が活発になり、経済が伸びるというロジックだった。

 大学の講義であれば、マクロ経済学の教科書に書かれていることを説明できる。しかし、テレビの生放送の討論番組では、教科書の議論もできないので、「社会にとって、お金を借りてまで事業をしようとする人と、単に資産を持っている人のどちらに恩恵を与えると経済成長するのか」といい、前者の方が経済を引っ張ると筆者は説明した。

 だが、枝野氏は意見を変えていないようだ。先日の代表質問でも、今の金融緩和政策に否定的な見解を述べている。これでは、財政政策で多少緊縮が修正されたとしても、マクロ経済政策全体としては、今の安倍晋三政権より緊縮になってしまう。

 特に変動相場制を採用している先進国では、金融政策をかなり緩和しておかないと、いわゆる「マンデル・フレミング効果」が働き、為替変動を通じて輸出に逆効果が出て財政政策の効果はかなり限定的になってしまう。もちろん、金融緩和が十分であれば、財政政策もその本来の力を発揮でき、有効需要を増加させられるのはいうまでもない。つまり、財政政策のカギを握るのは、その背後にある金融政策というわけだ。

 枝野氏がいうように、強烈な金融引き締めをとる場合、多少財政出動をしても円高になって輸出減を引き起こし、結果として有効需要を増やすことができないだろう。

 枝野氏に対して、このようなマクロ経済の基本を教える人は立憲民主党にはいないのだろう。本人は、単に財政政策だけで、緊縮かどうかを考えているようであるが、それは間違いである。

 金融政策の基本が理解できないので、雇用の作り方も分かっていない。給料を上げるべきだというが、その前に雇用を作ることが先決である。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】ブラック体質を変えない枝野氏(゚д゚)!

上の記事でも、枝野氏が金融政策についての知見を欠いていることは、はっきりわかりますが、さらに酷い事例もあります。

2016年1月8日、衆院予算委員会で民主党(当時)の枝野幸男幹事長が質問に立ち、物価の変動を考慮した実質賃金について、民主党時代は高かったが、安倍晋三政権で低くなっていると批判しました。

まず、事実を確認しておきます。実質賃金については、枝野氏のいうとおりだが、就業者数では民主党時代には30万人程度減少し、安倍政権では100万人以上増加しています。


次に、雇用の経済学を復習してみます。名目賃金は物価より硬直的ですが、金融政策は物価に影響を与えられます。このため、金融緩和すると実質賃金は低下し、就業者数が増加します。さらに金融緩和を継続すると、ほぼ失業がなくなる完全雇用の状態となります。そうなると今度は実質賃金も上昇に転じてきます。

経済の拡大によって就業者数は増加するが、逆に金融引き締めを行うと、実質賃金が高くなり、就業者数が減少。完全雇用からほど遠くなります。

民主党政権と安倍政権の実質賃金と就業者数のデータは、民主党政権では事実上の金融引き締め、安倍政権では金融緩和が実施され、その通りの効果が現れてきたことを示しているわけで、雇用政策から見れば、安倍政権の方が優れています。

民主党政権時代に就業者数の減少を招いたにもかかわらず、実質賃金の高さを誇るのは、雇用政策からみれば滑稽です。就業者数が減り、実質賃金が上昇することで喜ぶのは「既得権雇用者」たちです。つまり、既得権者保護の政治を民主党は公言していることになるわけです。非正規雇用者、新卒者、失業者という「非既得権雇用者」の利益は考えていない、ということです。

国際的な基準からみれば、金融引き締めをした民主党政権は、金融緩和をした安倍政権より「右派」で労働者に厳しいです。枝野氏の当時発言からみて、当時の民主党はすべての労働者の権利を守ろうとする「左派」政党とは思えないです。この見解が間違っていると思われる方がいるなら、欧州の左派政党に意見照会してみると良くおわかりいただけるでしょう。

ブラック企業の経営者は、金融引き締めに賛成しがちです。その方が、失業が多くなり、賃金を安く設定して労働者を買いたたけるので、多少のデフレには対応できるからです。

当時の民主党も、金融緩和に否定的で、金融引き締めを求めるところは、くしくもブラック企業の経営者と共通点があります。

枝野幸男幹事長と「共演」していた桜雪さん(16年4月30日撮影)
東大卒の桜さんが所属する「仮面女子」は、16年4月30日に行われた「ニコニコ超会議」で民進党ブースに登場し、枝野幹事長(当時)と「共演」していました。

「仮面女子」は、“共同生活を送る貧乏アイドル”として、NHK「ドキュメント72時間」をはじめ、 多くのテレビ番組で取り上げられ、知名度を上げましたが、栽培した豆苗をおかず代わりに食べるといった極貧生活のほとんどが社長の池田氏の指示によるヤラセだったようです。

2016年、週刊文春には4人の少女が告発をしていますが、そのうち2人が池田氏に迫られ、
肉体関係を持っていた。脱退にあたり100万円もの“違約金”を払わされたメンバーもいたという。このようにこのアイドルグループは、ブラック体質を持っているようです。

そうして、このブラック企業的体質は、ブログ冒頭の記事にも掲載されているように、現在の立憲民主党代表枝野氏にもそのまま受継がれているようです。

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2017年7月16日日曜日

雇用増で結果を出す長期政権…財務省の管理と日銀人事に力 株価も上昇―【私の論評】小学生にも理解できることを理解しない馬鹿が日本をまた駄目にする(゚д゚)!

雇用増で結果を出す長期政権…財務省の管理と日銀人事に力 株価も上昇

 国の経済パフォーマンスを計る際に、どんな指数や指標を選ぶかは重要である。筆者は、雇用こそ国の政策の基本だと考えているので、就業者数をあげてみたい。

 平成以降の政権の寿命をみてみると、小泉純一郎政権と第2次安倍晋三政権だけが長期政権で、その他は1、2年でつぶれた短命政権であった。

小泉純一郎氏 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 この2つの長期政権は、短命政権と比較して、デフレこそ悪であると規定して、日銀人事をうまく使って金融緩和をやり、雇用を良くした点に特徴がある。

 筆者はこの2つの政権の近くで、その経済運営をみてきた。小泉政権では金融政策は前面に出してはおらず、竹中平蔵・経済財政相がマクロ経済運営の中で実施していた。一方、第2次安倍政権では、アベノミクスの「3本の矢」でもわかるように金融政策が前面に出ている。筆者の知るかぎり、安倍政権は戦後史で金融政策の重要性を理解した唯一の首相が率いる政権である。

プレミアム・フライデーに座禅を組んだ安倍総理
 なぜ金融政策が重要かといえば、雇用を改善する必要条件であるからだ。ただ、マクロ経済政策において、金融政策と並ぶ財政政策も、雇用では重要な役割を果たす。

 実は、雇用が良かったのは、平成以降の政権では橋本龍太郎政権(前半)、小泉政権(後半)、そして安倍政権しかない。橋本政権は大型公共投資を実施したことで出足が良かったが、1997年4月からの消費増税でその成果がふっ飛んだ。

 一方、小泉政権は発足当初から消費増税はやらないと宣言していた。安倍政権は2014年4月からの消費増税で一度失敗したが、強力な金融緩和で持ちこたえ、2回目の失敗はしていない。

 なお、マクロ経済政策を行う上で、長期政権は、財務省の管理と日銀人事をうまくやったことにも共通点がある。財務省のコントロールについて、小泉政権では、表だって公務員改革・天下り規制を行わなかったが、郵政民営化とともに政策金融改革も行い、政策金融機関の整理統合を実施したことで事実上の天下り規制にもなった。安倍政権では、公務員改革基本法などで天下り規制をし、内閣人事局を作ることでにらみを利かせた。日銀人事に関しては小泉、安倍政権は他の政権よりうまかった。特に安倍政権では首相が先頭で主導している。

 金融緩和をすると雇用の増加につながるが、それと同時に株価も上がる。ただ、株式市場は先取りして動くので、株価は半年後の就業者数と9割近い高い相関を持っている。つまり、雇用を増やした政権は、結果として株価も高くなっている。

 この意味で、雇用を重視すべき左派政党が、株式市場が活況になると、格差問題を持ち出し、資産家とそうでない人の格差が広がると批判するのは、かなり滑稽だ。

 株価が上がるのは、経済の先行きが好調であることの予兆であり、雇用の確保につながるからだ。もちろん株式市場の将来予測は完全ではないが、過去のデータではまずまずの結果となっている。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】小学生にも理解できることを理解しない馬鹿が日本をまた駄目にする(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事では、以下のように掲載されています。
実は、雇用が良かったのは、平成以降の政権では橋本龍太郎政権(前半)、小泉政権(後半)、そして安倍政権しかない。橋本政権は大型公共投資を実施したことで出足が良かったが、1997年4月からの消費増税でその成果がふっ飛んだ。 
 一方、小泉政権は発足当初から消費増税はやらないと宣言していた。安倍政権は2014年4月からの消費増税で一度失敗したが、強力な金融緩和で持ちこたえ、2回目の失敗はしていない。
これは、以下のグラフを見ると、はっきり理解できます。

さて、安倍一次政権は短命でしたが、その理由の一つにそ小泉政権のときには金融緩和を実施していたにもかかわらず、その末期には金融引締めに転じたというこしともありました。

日本は当時の統計資料が示すところでは、2006年、2007年と需要不足ではありませんでした。需給ギャップはゼロだったのです。2006年は、小泉(純一郎)内閣から第1次安倍(晋三)内閣に引き継ぐ年でした。

あのまま日銀が金融緩和政策をそのまま続けていれば、日本のデフレは克服できていたはずでした。ところが、何を思ったか2006年3月に、日銀はそれまで5年間行っていた量的緩和をやめて金融を引き締めました。

これによって、皆さんご存知のように、デフレ克服はできなくなりました。私はそういう意味で、日銀の責任は極めて大きいと思います。本当に大罪を犯したと思います。これは、本当に腹立たしい出来事でした。

そのことを、同じように悔しい思いで見ておられたのが、当時内閣官房長官だった安倍晋三氏だったのです。そうして、第一次安倍内閣で、総理大臣になりましたが、結局短期政権で終わることになりました。

そのため、第二次安倍政権で、総理になってすぐ日銀と政府との関係を変えたのです。

日銀と政府の間で、明示的な2%の物価目標というアコード(政策協定)を結んで、それを実行するために新しい総裁を置いたのです。新しい総裁に就任された黒田東彦さんは、経済学の高い知見を持った人です。

そうして、2013年4月4日の最初の日銀政策決定会合で、2年間でベースマネーを2倍にするという非常に分かりやすいメッセージを出しました。

ただし、2014年4月から8%の消費税増税が行われ、せっかくの金融緩和の効果がそがれてしまいました。しかし、上の記事にもあるように強力な金融緩和で持ちこたえ、2回目の失敗はしていません。その政策を今も継続しているわけです。

そうして『アベノミクス』の1本目の矢はちゃんときき、現状では雇用情勢はかつてないほど良くなっています。

ブログ冒頭の記事にもあるように、安倍政権は戦後史で金融政策の重要性を理解した唯一の首相が率いる政権です。それは、以上の事実からも十分うかがい知ることができます。

結局は、安倍政権の経済対策は消費税増税でのつまづきと、現時点ではいまだ失業率が3%台と高くさらなる追加金融緩和が必要なのに、未だ実施されていないなど、十分とは言えない面もあるのですが、それにしてもかなりの成果をあげているのは間違いないです。

そうして、民進党などの野党は、野党やまともな対案を出せないので、森友・加計学園問題などのフェイクニュースや選挙妨害などの奇手を使って政権のイメージダウンをはかり、ともかく安倍政権が終わる=アベノミクスを終わらせれば、あとはどうにかなると思っているのでしょう。

そうして、マスコミはその尻馬に乗ってフエイクニュースを大拡散したり、報道しない自由を満喫しているという状況です。


フェイクニュースの事例 握手拒否はなかった、あったのは写真撮影の拒否


残念ながら、現状では安倍政権が終了して、アベノミクスが終わった場合、その後いかなる政権がついたにしても、日銀が金融引き締めに転じ、それが故に日本は再びデフレスパイラルの底に沈み、雇用・経済ともに悪化し、それが故にかつてと同じように短命政権となります。

そもそも、残念ながら現状では安倍総理以外は、なぜデフレが良くないかその本当の意味を理解していません。デフレがなぜ良くないのか、それを理解するために何も小難しい理論など必要としません。小学生にでもわかる理屈です。

その理屈を以下に簡単に説明します。

デフレ下においては、お金を持っている人はモノを買ってはいけません。なぜならモノの価値が下がるからです。お金を持っている人は投資をしてはいけません。なぜなら投資の価値が下がるからです。お金を持っている人は何もしないでじっとしていなさい。そうするとリスクなしで、物の価値がどんどん下がっていくから、自分の資産が増えていきます。

つまり、デフレ経済の下では、消費も投資も進まないということです。経済が停滞するのは当たり前で、諸悪の根源はデフレにあると考えた安倍(晋三)総理は誠に正しいです。

であれば、デフレの原因は何なのかということですが、デフレとは、モノの値段が下がり、お金の価値が上がり続ける状態、つまり貨幣的現象です。したがって、デフレを解消するには、まず金融を緩和しなければいけないということになるのです。 

このような簡単な理屈を理解しているのは、野党側ではほんの一握りの人であり、与党側でも、公明党は皆無、自民党内でも安倍首相な菅官房長官を含めたごく一部の人だけなのです。マスコミも皆無といって良いです。

このような状況では、また日本はデフレスパイラルのどん底に沈み、せっかく良くなった雇用状況もまた悪くなるということがいつ起こっても不思議ではないのです。小学生にも理解できることを理解しない馬鹿が日本をまた駄目にするかもしれません。

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2017年6月30日金曜日

日銀の原田泰審議委員はヒトラーを賞賛してはいない。ロイターの記事は誤解を招く―【私の論評】経済史を理解しないと馬鹿になる(゚д゚)!

日銀の原田泰審議委員はヒトラーを賞賛してはいない。ロイターの記事は誤解を招く

田中秀臣


上武大学教授田中秀臣氏

非常に驚く記事を読んだ。ニューズウィーク日本版ウェブに6月28日に掲載された、ロイターの伊藤純夫(編集 田巻一彦)による"日銀の原田審議委員「ヒトラーが正しい財政・金融政策をして悲劇起きた」" と題された記事だ。

 深刻な誤解を世界の読者に与えた

この題名しか読まない人は、あたかも原田泰審議委員が、ヒトラーの政策を「正しい」ものとして肯定したかのような印象をうけとったのではないか。実際にこの記事へのコメントには、少数ながらそのような反応がある。さらに深刻なのはこの記事の海外版の見出しであり、Bank of Japan policymaker Yutaka Harada praises Hitler's economic policiesとある。つまり「原田泰日銀政策委員がヒトラーの経済政策を賞賛した」というものとして掲示されている。これは深刻な誤解を世界の読者に与えたであろう。

もし原田審議委員のヒトラーに対する評価を肯定的なものと解釈するならば、それは解釈する側の無理解か、または悪意による歪曲か、そのいずれかでしかない。原田審議委員は従前から、ヒトラーの悪行の数々を痛烈に批判し、ヒトラー政権のような存在が二度とこの世に現れないために、いままでもいくつかの著作・書籍を書いてきた。それらは公知のものであり、ロイターの記者らも簡単に入手でき、原田審議委員の発言の趣旨を確認できたはずだ。それをしないのであれば、私見では深刻な問題であろう。また少なくともヒトラー政権を肯定的にみなしていると誤解を与えないような記事内容、また見出しの工夫が必要だったろう。

 原田審議委員の趣旨は

以下では、原田泰審議委員のヒトラー政権の評価、そしてヒトラーの経済政策の問題性を、彼の著作『反資本主義の亡霊』(日経プレミアムシリーズ)を参照に解説したい。なるべく原田審議委員の趣旨を伝えたいので、文章も彼のものをできるだけ拝借したことを、著者と読者の方々にお断りしたい。

原田泰審議委員 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
「第一次世界大戦後の混乱の中で、ドイツは物価水準が一兆倍にもなるハイパーインフレ―ションに襲われた。その混乱の中でナチスが権力を握り、ヨーロッパを戦乱に陥れ、ユダヤ人の大虐殺を行った。世界を征服しようというナチスの勢いを見て、日本の軍部は日独同盟を結び、アジア征服に乗り出した。その結果が、大惨事である。だから、インフレを起こしてはいけないと議論されることが多い」(同書。187頁)。

このハイパーインフレ(高いインフレ)がドイツ社会を破壊し、それがナチスの台頭を招いたというのは誤解であると、原田審議委員は説いている。ハイパーインフレや高いインフレではなく、デフレの蔓延こそがナチスの台頭を招き、後の大惨事につながったというのが原田審議委員の主張だ。

ドイツのハイパー・インフレ時に紙くずになった札束をゴミ箱に捨てる人たち
そもそもドイツでハイパーインフレが起きたのは1910年代の末であり、ナチスが政権を奪取したのは1934年であり、ハイパーインフレから15年も時間が経過している。1920年代はワイマール共和国の時代であり、なんとか平和が維持されていた、それが崩れたのは1930年代の大恐慌というデフレと失業の時代ゆえであった、というのが原田審議委員の着眼点だ。インフレではなく、デフレこそナチス台頭の経済的原因であったということだ。

「ヒトラーは、インフレの中では(ミュンヘン一揆の失敗など)権力が握れず、デフレになって初めて権力を得たのである。この単純な事実から、インフレもデフレも悪いが、デフレの方がより悪いと結論を下すのが当然と思うのだが、なぜ逆の結論になって、その結論を多くの人が信じているのだろうか」(カッコ内は田中の補遺、同書188頁)。

1930年代のドイツでは、デフレの進行と30%を超える極度に高い失業率が出現した。ナチスはこの経済的混乱を利用して、「人々の敵愾心をあおり、政権を奪ったのである」(同書、189頁)。

「政権を奪った後に何をしたか。金融緩和政策でデフレから脱却し、景気を回復させ、アウトバーンという高速道路を建設し、フォルクスワーゲン(国民車)を造るという産業政策も行った。(略)すべては大成功だった。国民はこの大成功を見て、ナチスの対外政策、ヨーロッパ征服も正しいのではないかと思ってしまった。日本の軍部もそう思ったのである」(同書、189頁)。

 ナチスの経済政策の「大成功」をほめたたえているのではない

だが、これはナチスの経済政策の「大成功」をほめたたえているのではない。経済政策は「大成功」したが、それによってもたらされたのは、ナチス政権による「人種差別や世界征服」などの「大惨事」であった。ナチスの経済政策の「大成功」という皮相な評価にドイツ国民や日本の軍部が目を奪われないで済んだ可能性の方に、原田審議委員は注目すべきだと説いているのだ。ここを間違えてはいけない。ロイターの記事のように間違えてはいけないのだ。

「そもそも、ヒトラーの前の政権が、金融を緩和し、デフレから脱却すればよかっただけの話である。そうすれば、失業率は低下し、人々は理性を取り戻し、人種差別や世界征服を呼号するナチスに投票などしなかっただろう。ヒトラーは政権に就くことができず、第二次世界大戦は起こらなかった」(同書、189-190頁)。

この一文を読めば、原田審議委員の趣旨は明瞭であろう。彼ほど世界の人々の自由を愛しその可能性を推し進めようというエコノミストは、ほとんど私のまわりにいなかった。その発言の一部だけを切り取り、自由と人権とそして人々の生命を奪ったヒトラーの政策、そして経済政策を「賞賛」することほど、原田の趣旨に遠いものはない。

【私の論評】経済史を理解しないと馬鹿になる(゚д゚)!

ナチスを台頭させたのは、ハイパーインフレであると思い込んでいる人は結構多いようです。しかし、これは真実ではありません。ナチスを台頭させたのは、デフレです。

この歴史的事実を把握している人は、原田審議員の主張を間違えて受け取ることはなかったでしょう。

原田氏は、誤解を招いたことに関しては、謝罪をしています。以下にそれに関する記事のリンクを掲載します。
ヒトラーの政策を正当化する意図ない=原田日銀委員が謝罪


日銀の原田泰審議委員は30日、都内で29日に行った講演で、ナチス・ドイツ総統だったヒトラーが「正しい財政・金融政策をしてしまったことで、かえって世界が悪くなった」などと発言したことについて、誤解を招く表現があったことを心よりお詫び申し上げたいと謝罪した。ロイターに対してコメントした。 
原田委員は一連の発言について「早期に適切な政策運営を行うことの重要性を述べたものであり、ヒトラーの政策を正当化する意図は全くない」と述べ、「実際、発言の中において、ヒトラーの政策が悲劇をもたらしたことは明確に指摘している」とした。 
ただ、「一部に誤解を招くような表現があったことについては、心よりお詫び申し上げたい」と謝罪した。 
原田委員の発言について日銀では「日本銀行としても、審議委員の発言に誤解を招くような表現があったことについては遺憾に思っており、こうしたことがないよう、今後とも注意してまいりたい」とコメントした。 
原田委員は29日の講演で、1929年の世界大恐慌後の欧米の財政・金融政策に言及し、「ケインズは財政・金融両面の政策が必要と言った。1930年代からそう述べていたが、景気刺激策が実際、取られたのは遅かった」と述べた。 
さらに欧米各国を比較すると、英国は相対的に早めに財政・金融措置を講じたが、ドイツ、米国は遅く、フランスは最も遅くなったと分析。 
そのうえで「ヒトラーが正しい財政・金融政策をやらなければ、一時的に政権を取ったかもしれないが、国民はヒトラーの言うことをそれ以上、聞かなかっただろう。彼が正しい財政・金融政策をしてしまったことによって、なおさら悲劇が起きた。ヒトラーより前の人が、正しい政策を取るべきだった」と語った。 
合わせてナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺と第2次世界大戦によって、数千万人の人々が死んだとも述べた。
この謝罪の内容からみて、ブログ冒頭の田中秀臣氏の論評は筋の通ったものであることがわかります。

さて、ドイツのハイパーインフレに関してさらに付け加えさせていただきます。

1922年から1923年に起きたドイツのハイパーインフレ Hyper Inflation は、西側諸国の教科書では「政府の通貨システム支配の失敗による典型的な人災」として紹介されています。

銀行家が通貨発行権を支配するということは「責任を課せられ」、「安全を保障する」ことです。しかしその実、銀行家と彼らが支配する中央銀行は、ドイツにハイパーインフレを起こした黒幕でした。

ドイツ帝国銀行 Reichsbank(1876~1948年)は、1876年に創設された民間所有のドイツの中央銀行ではありましたが、ドイツ皇帝 Deutscher Kaiser と時の政府の意向を大きく受けていました。帝国銀行の総裁と理事は全て政府の要職が担当し、皇帝が直接に任命する終身制でした。中央銀行の収益は民間株主と政府に配当されましたが、株主は中央銀行の政策決定権を有していませんでした。

これはイングランド銀行 Bank of England(1694年~)や、フランス銀行 Banque de France(1800年~)、アメリカ連邦準備銀行と明らかに異なり、ドイツ特有の中央銀行制度であり、通貨発行権は最高統治者のドイツ皇帝にしっかりと握られていました。ドイツ帝国銀行創設後のマルク Deutsche Mark は非常に安定し、ドイツの経済成長を大いに促進し、金融制度の立ち遅れた国家が先進国を追い越す成功事例となりました。

ドイツ敗戦後の1918年から1922年の間も、マルクの購買力は依然として堅調であり、インフレは英米仏などの戦勝国と比べてもあまり差はありませんでした。焦土と化した敗戦国でありながら、ドイツ帝国銀行の通貨政策がこれだけのレベル Level〔※水準〕で維持され、効果を上げたことは称賛されるべきことでした。

敗戦後、戦勝国はドイツの中央銀行に対するドイツ政府の支配権を完全に剥奪しました。1922年5月26日、ドイツ帝国銀行の「独立性」を確保する法律が制定され、中央銀行はドイツ政府の支配から抜け出し、政府の通貨政策支配権も完全に廃止されました。ドイツの通貨発行権は、ウォーバーグ Warburg Family などの国際銀行家を含む個人銀行家に移譲されたのです。

そうして、ドイツのハイパーインフレの直接のきっかけは、第一次大戦後のヴェルサイユ講話条約により、戦勝国がドイツに支払い不可能な天文学的な数字の賠償金を課したことによります。ドイツ政府はそこで賠償金の資金を調達するため、当時のドイツ帝国銀行に国債を引き受けさせた結果、ドイツ帝国銀行は、大量の紙幣を新規発行したため通貨価値が急激に下がりハイパーインフレが起こったのです。

ウィリアム・オルペン画『1919年6月28日、ベルサイユ宮殿、鏡の間での講和条約の調印』
そうして、それを可能にしたのが、当時のドイツ帝国銀行の独立性です。先にも掲載したように、ドイツ帝国銀行は、ドイツ政府の支配から抜け出し、政府の通貨政策支配権も完全に廃止されました。これは、ドイツ帝国の金融政策を政府はなく、ドイツ帝国銀行が決めることができるということです。

これが、ハイパーインフレを招いた根本にあります。ドイツ帝国銀行としては、天文学的な国債を引き受けるためには、ドイツ帝国の金融政策などおかまいなしで、大量のマルクを刷り増すしか方法がなかったのでしょう。

このドイツのハイパーインフレの惨禍の反省にたち、現在世界各国の中央銀行は、国の金融政策を自ら決定することはなくなりました。国の金融政策の目標はあくまで、政府が定め、中央銀行は、その目標に従い、専門家的立場からその目標を達成するための手段を自由に選べるというのが、今日世界中の中央銀行の独立性のスタンダードとなっています。

しかし、現在そうではない国があります。そうです。それは、日本です。日本もかつては、日本国の金融政策の目標を政府が定めることができたのですが、1997年に日銀法が改悪され、日本国の金融政策は日銀が定めることになったのです。

これでは、あたかも日銀が、1922年当時のドイツ帝国銀行のようになってしまったようです。そうして、これはドイツの惨禍とは全く異なる形で、惨禍をもたらしました。そうです。何が何でも金融引締めということで、デフレをもたらし、その結果として超円高となり日本経済が長い間デフレ・スパイラルの泥沼にしずみこんでしまいました。

しかし、2013年より金融緩和を標榜する安倍政権が登場し、日銀の総裁も白川総裁から、黒田総裁に変わり、金融緩和を実施するようになりました。その後、量的緩和が十分ではない部分もありますが、緩和策が実行され続け、雇用状況は劇的に改善されました。

しかし、日銀法は改悪されたままであり、日本国の金融政策の目標は日銀の審議会で定められています。そうして、現状ではこの新議員の多数派、金融緩和派で占められているので、不十分とはいながら、緩和政策が続けられています。

しかし、日本国の金融政策は日銀の審議会で決定されるわけですから、今後緩和に反対する審議員が多数派になれば、日本政府の意図とは関係なしに、引き締めに転じてしまうということも十分にあり得るのです。

こんな馬鹿なことがつづけられているのが、日本国の金融なのです。しかし、上記のようにドイツ帝国銀行の「独立性」がハイパーインフレの原因の一つであったことが多くの人々に認知されれば、現行の日銀法は改正して、再度日本の金融政策の目標は政府が定めるようにすべきであるという認識が広まると思います。

それと、経済史的な観点からもう一つ付け加えると、世界金融恐慌の原因は、1990年代の研究でデフレであったことがわかっています。

そうして、この世界恐慌から一番最初に抜け出したのは、実はドイツではないのです。それは、日本です。当時の高橋是清大蔵大臣が、今日でいうところの、リフレ政策すなわち、金融緩和策、積極財政を実行していち早く脱却しています。

これについては、このブログでも以前何度か掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
ポール・クルーグマンの新著『さっさと不況を終わらせろ』−【私の論評】まったくその通り!!

 

詳細は、この記事をご覧下さい。この記事には、「宝永の改鋳」という江戸時代の、金融緩和策と、高橋是清の政策についても掲載しています。

いずれにせよ、このような経済史を知れば、どういうタイミングで、金融緩和や積極財政を実施すれば良いのか理解できるはずです。

しかし、経済史を知らなければ、原田泰審議委員の講演はヒトラーを賞賛したものと思い込んだり、デフレであるにもかかわらず、金融引締めをしたり、増税などの緊縮財政を正しいと思い込んでしまうような、頓珍漢なことをしても何もおかしいとは思わないということにもなりかねません。

現在のメディア関係者や、政治家などこのような知見を欠いている人が多いです。このようなひとたちが、8%増税を強力に推進したり、景気や雇用が悪い時に、金融引締めを推進するという馬鹿なことをしてしまうのです。

心ある人、特に若い人は、是非経済史を振り返っていただきたいです。そうすることにより、日本国の経済に関して、正しい認識を持てるようになります。

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2016年10月26日水曜日

【スクープ最前線】ドゥテルテ比大統領、米国憎悪の真相 CIAによる暗殺計画の噂まで浮上―【私の論評】歴史を振り返えらなければ、米国への暴言の背景を理解できない(゚д゚)!

【スクープ最前線】ドゥテルテ比大統領、米国憎悪の真相 CIAによる暗殺計画の噂まで浮上

握手するドゥテルテ比大統領と、安倍首相
「暴言王」こと、フィリピンのドゥテルテ大統領が25日午後、来日した。26日に安倍晋三首相との首脳会談に臨み、27日に天皇陛下に拝謁する予定だ。ただ、ドゥテルテ氏は先週の中国訪問で、「対中接近」「米国離反」の姿勢をあらわにし、東アジアの平和と安定を危機的状況に追い込んだ。ドゥテルテ氏の過剰な反米感情の背景と、中国とロシアによる狡猾な情報戦とは。ジャーナリストの加賀孝英氏が緊急リポートする。

「日比首脳会談がどうなるか。南シナ海だけでなく、東アジアの行方が決まりかねない。米国をはじめ、世界各国が注視している」

旧知の米政府関係者はこう語った。その懸念は当然だ。

ドゥテルテ氏は18日から21日まで訪中し、習近平国家主席と20日、首脳会談を行った。同日のビジネス会合での演説では、「軍事的にも経済的にも米国と決別する」と、同盟国である米国が驚愕する宣言を行った。一番喜んだのはもちろん習氏、中国だ。

翌21日、共同声明が発表された。ご存じのように、中国は南シナ海で軍事的覇権を拡大し、世界各国から「無法国家」と批判されている。だが、ドゥテルテ氏は南シナ海問題で大幅に譲歩し、総額240億ドル(約2兆5000億円)相当の経済協力を得る見通しとなった。破格の大盤振る舞いである。

中国外務省の華春螢報道官は同日の定例記者会見で、「南シナ海問題は2国間対話の正しい軌道に戻った」と勝利宣言した。中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報も同日の社説で「中国とフィリピンは再び抱擁した」「(日米など諸外国)外部は南シナ海を放棄しろ」とまで書いた。

何たることか! これでは、「ドゥテルテ氏が米国を裏切り、中国の札束攻撃の前に屈した」と思われても仕方ないではないか。

日本の外務省関係者はこう説明する。

「現在、ドゥテルテ氏の真意について、日米両国は情報収集と分析を急いでいる。日米や世界各国はこれまで、中国の南シナ海での暴挙に対して『国際法の順守』と『航行の自由』を求めてきた。だが、当事国のフィリピンが寝返ったとなれば、すべての戦略を見直さなければならない」

実は、とんでもない情報がある。なぜ、ドゥテルテ氏が米国を憎悪するのか。以下、複数の米軍、米情報当局関係者から得た情報だ。

「ドゥテルテ氏は容赦のない『麻薬撲滅運動』を展開しており、麻薬密売人など数千人が殺害されている。オバマ米大統領がこれを『人権問題だ』として非難したことが、関係悪化を深めた。加えて、混乱の中で『ドゥテルテ氏が自分の政敵を殺害した』というデマが流された。発信地は中華街のようだが、ドゥテルテ氏は『米国が流した』と思い込んだ」

「中国は、南シナ海の島々を軍事基地化しながら、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国に、裏ですさまじい圧力をかけた。米国はそれを知りながら、島の近くに駆逐艦を航行させるぐらいしか手を打たなかった。『米国は頼りにならない』『中国についた方が得ではないか』と考える国が増えた」

決定的なのは、ドゥテルテ氏の暗殺計画情報だ。

ドゥテルテ氏は今月7日、地元・ダバオで就任100日目の演説を行った。CIA(米中央情報局)が画策する失脚工作や暗殺計画の噂に触れ、オバマ氏を罵倒して、「やれるならやってみろ!」と挑発した。衝撃情報はこう続く。

「CIAによる暗殺計画の噂は9月に流された。発信地はロシアに近い情報筋とみられている。今年7月にトルコでクーデター未遂が起きたときも、ロシアはいち早く、トルコのエルドアン大統領に暗殺危機を知らせ、同国を『反米親露国』に劇的に変えた。構図はそっくりだ」

フィリピンの事情に詳しい大使経験者がいう。

「ドゥテルテ氏は大の親日家だ。『最初の外国訪問は日本に』と固く決めていた。それを中国にひっくり返された。日本外務省の大失態だ。日本が先なら、こんな事態にはなっていない。だが、『ドゥテルテ氏が中国に寝返った』とみるのは、早計で失礼だ。彼は愛国者で戦略家、そして策士だ。だから、(中国嫌いが多い)国民の90%前後が支持している」

ドゥテルテ氏は22日、ダバオでの記者会見で、記者から外交政策について聞かれ、「米国との決別とは、外交関係を断ち切る断交ではない」「(ただ)外交政策は米国と完全に一致する必要はない」と説明した。

安倍首相との首脳会談について聞かれると、「協議の多くは経済協力についてだ」といいながら、南シナ海問題についても「平和的に話をし、課題を解決して、良い方策を考え出すことで合意できる」と語った。

世界が日比首脳会談を注目している。フィリピンを自由主義陣営に引き留めなければならない。安倍外交の神髄を見せてほしい。

加賀孝英(かが・こうえい)

【私の論評】歴史を振り返えらなければ、米国への暴言の背景を理解できない(゚д゚)!

上の記事では、フイリピンの過去の歴史については全く触れられていません。無論、この記事を書いた加賀孝英氏は、それについて熟知していると思います。しかし、この記事の中に歴史まで含めてしまうと、記事が長大になってしまうため、敢えてそうしなかったのでしょう。

現在の日本人の多くは、フイリピンの歴史を知らないのではないでしょうか。そうして、日本マスコミもこれに関してはほとんど報道しません。しかし、これを知ればなぜドゥテルテ大統領がアメリカのオバマ大統領にあのような暴言を吐いたのか、かなりの程度理解できます。

そうして、かつてフイリピンがアメリカ軍を国内から撤退させたのかも理解できると思います。無論この完全撤退は中国の南シナ海への進出を促したという点では失敗であったことにはかわりはありません。おそらく、フイリピンの左翼系が、フイリピンの歴史を利用して、この撤退を促したのだと思います。

しかし、フイリピンの過去の歴史を知れば、なぜこのようなことになったのか、そこにはそれなりの背景があるということに気づくはずです。

以下に、大雑把にフイリピンの歴史を振り返っておきます。関心のある方は、もっと詳しい資料にあたって頂きたいと思います。

■フイリピンの歴史概要■

まだ、フィリピンが大陸と陸続きであった時代、フィリピンにはネグリト族などが住んでいたといわれています。どれくらい昔から住んでいたのかは正確にはわからないのですが2万年くらい前からではないかといわれています。

その後、島々が大陸から離れてからは新石器の技術を持った原始マレー人が住み、紀元前2000年~紀元前1500年頃には水田農耕文化を持った古マレー人が、紀元前500年頃からは新マレー人が移住して定住を始めるようになりました。

14世紀頃になると中国、東南アジア、インド、中東を繋ぐ航路上で海上貿易を行っていたイスラム商人たちが盛んに訪れるようになり、フィリピンにもイスラム教が広まりました。また、スールー諸島からミンダナオ島西部にはスールー王国やマギンダナオ王国といったイスラム教国の王であるスルタンが支配する国家も成立しました。

■スペイン植民地時代

1521年。フィリピンにフェルディナンド・マゼランという人物がスペイン船団を率いてやってきました。彼らは、現地の人々にキリスト教への改宗やスペイン王国への忠誠を要求し部族長を次々に服従させていきました。しかし、イスラムの部族長ラプ・ラプはこれを拒絶。スペインと住民の間で争いが起きました。この争いに勝利したのはラプ・ラプ。スペイン船員らは戦いに敗れてマゼランも戦死してしまいました。

しかし、その後もスペインはフィリピンに向け攻撃を仕掛け続けました。1542年に艦隊で襲撃。しかし、これも失敗。1565年にはミゲル・ロペス・デ・レガスがセブ島を落とすことにやっと成功。1570年には彼の孫がマニラを制圧。翌年、フィリピンはスペイン領であることを宣言するとこの地はスペインの副王領であるメキシコ政府の統治下に入ることになりました。

17世紀に入ると政治的にスペインと対立していたオランダの攻撃や華人の反乱が起き、1762年にはフィリピンとの間で密輸を続けてたイギリス東インド会社によりマニラが占領されました。このイギリスによるマニラ占領は2年間でイギリスは撤退したのですが、当時勢力を拡大していたイギリスは1809年にマニラに商館を建設。ところが、イギリスが清の攻略に乗り出していたこともありフィリピンを領有することはありませんでした。

スペインは、1821年にメキシコ独立戦争に敗北。副王領が廃止されるとフィリピンはスペイン本国の直接統治下に置かれることになりました。

1565年からフィリピンはスペインの植民地となっていたのですが、それは1898年まで続きました。1898年の米西戦争(アメリカとスペインがキューバを舞台に戦争)が始まるまで続きました。

アメリカ海軍の巡洋艦「U.S.S.ローリー」現在はペンシルベニア州フィラデルフィアのインディペンデンス・シーポート・ミュージアムで、現存する唯一の米西戦争を経験した艦として公開されている。
■アメリカ植民地時代

当時は、フィリピン国内にて独立を目指し運動を起こす人が大勢いました。アメリカはそこに目をつけ、フィリピンに独立の支援を約束し、見返りに戦争に協力をしてくれるように要請しました。フィリピンの革命家たちは軍を組織してフィリピンに駐留しているスペイン軍と戦い勝利。1898年6月12日にフィリピンは独立を宣言し国歌と国旗を定めました。

これで長かったスペインからの支配に終止符を打ったと、思いきや、フィリピンはアメリカに見事裏切られてしまいました。

アメリカはスペインとの間で2千万ドルを支払うことでフィリピンを譲り受けることになったのです。これに怒ったフィリピン側はアメリカとの戦争を決意しました。アメリカが初代総督として派遣したのは、あの有名なダグラス・マッカサーの父、アーサー・マッカーサーでした。

この戦いでは、フイリピン人の犠牲者が多く発生しました。たとえば、1901年9月28日、サマール島でバランギガの虐殺が発生。小さな村でパトロール中の米軍二個小隊が待ち伏せされ、半数の38人が殺されました。アーサー・マッカーサーは報復にサマール島とレイテ島の島民の皆殺しを命じました。少なくとも10万人は殺されたと推定されています。

マッカーサーはアギナルド軍兵士の出身者が多いマニラ南部のバタンガスの掃討を命じ、家も畑も家畜も焼き払い、餓死する者多数と報告されました。アメリカ軍は、フィリピン軍を次々に撃破すると1901年にフィリピンの英雄アギナルドを捕らえアメリカに忠誠を誓わせ休戦となりました。
アーサー・マッカサー(左)とダグラス・マッカーサー(右)
1915年にはスペインからの統治からはまぬがれていた南部のイスラム・スルタン国家にもアメリカは支配の手を伸ばしました。フィリピン諸島を完全に支配下に取り込んだのでした。

しかし、その後フィリピンを統制する上でアメリカは柔軟な政策も見せるようになりました。将来的にはフイリピンを独立させることを約束したのです。

1916年には、フイリピンをフィリピン人が統治するアメリカの自治区にするという、フィリピン自治法が制定されました。フィリピン人の閣僚なども登用されました。この頃には公教育で英語が教えられ1934年にはフィリピン独立法が可決され、ついに1946年までにフイリピンを独立させることがアメリカによって約束されました。

1935年には現地生まれのマニュエル・ケソンが大統領に就任しました。

■日本によるマニラ制圧

しかし、フィリピンの苦難は続きます。太平洋戦争の勃発です。1942年に日本軍はマニラを制圧。すると日本はフィリピンの人々の心を掴むために1943年ホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国の独立を認めました。

マニュエル・ケソン氏は日本がマニラを制圧したときにアメリカに亡命していました。そして、日本は日本よりのホセ・ラウレル氏を大統領に据えたのです。


大東亜会議に出席したホセ・ラウレル大統領(右から二人目)(1943年東京)
しかし、この政権は長く続きませんでした。ラウレルと日本はフイリピンをめぐる政策で仲違いしたことと、ラウレル自身も、民衆の支持を広く得ることはできなかったのです。さらに、ラウレル政権は戦前からの地主支配の継続を認めたためにフィリピン親日勢力の離反を招き、ラウレル政権側も日本との協力を拒否する姿勢をとったため、日本は1944年12月にベニグノ・ラモスとアルテミオ・リカルテをはじめとするフィリピン独立運動家達によって設立されたフィリピン愛国連盟(マカピリ)を新たな協力者としました。

1945年には、マニラの戦いが行われました。これは、第二次世界大戦末期の1945年2月3日から同年3月3日までフィリピンの首都のマニラで行われた日本軍と連合軍の市街戦のことを指します。日本軍は敗れ、三年間に及んだ日本のフィリピン支配は幕を閉じました。

このマニラの戦いでは、市民70万人が残っており、10万人もの死者をだしたとされています。市民の犠牲者について、単に市街戦の巻き添えになっただけでなく日本軍によって抗日ゲリラと疑われた市民が虐殺されたとされています。山下大将は市民虐殺についての責任を問われてマニラ軍事裁判で裁かれ、絞首刑となりました。ただし、大岡昇平氏の『レイテ戦記(下)』20版 中央公論新社〈中公文庫〉、1999年、309頁によれば、「米軍の行ったマニラ破壊を日本軍に転嫁するため」との見方をしています。
マニラの戦いで崩壊した市内
1945年には日本が太平洋戦争に敗戦。日本がフィリピンから撤退すると1946年に選挙が行われマニュエル・ロハスが大統領となりフィリピンは共和国(第三共和国)として独立を果たすことになりました。
■マルコス大統領の登場

1965年に大統領に就任したのがフィルディナンド・マルコス大統領。イメルダ夫人も有名です。高級ブランドの靴を3000足も持っていたといわれています。

マルコス大統領は、当初失業率の減少などに貢献したのですが、やがて独裁政権を打ちたて国家資産を横領したりしました。1983年には、アメリカに亡命していたベニグノ・アキノ上院議員が民主化推進の為、帰国を決意。しかし、彼は到着し飛行機を降りた途端に射殺されてしまいました。

この様子はテレビでも報道されたのですが、本当に飛行機を降りた直後でした。飛行機を降りるときにタラップが渡されますが、この階段を降りきったか、もしくは階段を下りている途中に射殺されてしまいました。この様子は世界中に報道されマルコス政権に大打撃を与えました。


ベニグノ・アキノ氏


その後、1986年の選挙では、暗殺されたアキノ上院議員の妻であったコラソン・アキノが出馬。彼女が勝利したように思えたのですが、なぜか発表ではマルコスの圧勝しました。しかし民衆は猛反発し、やがてマルコスはハワイへ亡命せざるをえなくなります。

その後、コラソン・アキノ氏が大統領に就任。フィリピンを民主化へと導いていくことになりました。

以上フイリピンの歴史をざっと振り返りました。この歴史を振り返れば、ドゥテルテ氏がオバマ大統領に対して悪態をつくというのもわかるような気がします。

私の知人であるフィリピン人は、「フィリピンの不幸は、日本じゃなくて、アメリカの植民地になった事だ」と語っていました。ことわっておきますが、彼は決してドゥテルテ氏のようなタイプではなく、大学院を卒業し英語も流暢な知的なタイプです。

彼の考えを以下に簡単にまとめます。
マッカーサーは搾取しか考えていなかった。しかし日本に比較的長い間統治されたインドネシアやマレーシアは、あのように発展している。韓国や台湾などは、日本が本格的なインフラ整備と産業拠点を置いたために、今や先進国の仲間入りをしたような状況である。

18世紀に、フィリピンよりも劣等国だった韓国が、日本のインフラと教育で、あれだけ発展できた。今やインドネシアやマレーシアは、既に先進国に見える。タイはまがりなりにも、日本に独立を認められ日本の統治はなかった。だからそれ以下の発展しかしていない。

日本がフィリピンに対し、インフラや教育を十分行える位の期間フイリピンが日本に統治されていたら、今頃どれだけ素晴らしくなっていただろう。絶対にインドネシアやマレーシア以上だったに違いない。
非常に筋の通った論理です。このような考えをする、知識層もフイリピンでは多いのではないかと思います。

日本国内では、フイリピンは、マニラの市街戦による死傷者が多かったことや、バターンの死の行軍などで、フイリピン人は反日との思い込みもあるようですが、これは戦後のアメリカのプロパガンダによるものもかなり影響しているものと思います。

ドゥテルテ氏は、戦後日本の経済協力やイスラム武装勢力との和平協議支援などを高く評価し、親日家とされています。東日本大震災では、海外の自治体の中でいち早く被災者受け入れを表明しました。日本の戦没者供養などにもよく顔を出し、13年には日本人墓地に記念碑を建立。家族旅行で来日していいます。(産経ニュース「ドゥテルテ比大統領、「親中」「反米」そして「親日」」10/24)

さて、ドゥテルテ氏、米国離反、中国接近の姿勢をみせていますが、フイリピンの中国接近は、日本にとっても脅威ですし、フイリピンが完璧に中国の傘下に入ってしまうことになれば、安倍総理の日本の安全保障政策、そうしてアメリカのそれも根本から見直しを迫られることになります。それだけではありません。両国とも、この戦略見直しには莫大な経費と労力と時間を強いられることになります。

まさに、今回のドゥテルテ比大統領との会談は、安倍総理の外交手腕が問われるものとなります。

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2015年2月1日日曜日

【イスラム国殺害脅迫】後藤さん殺害か 「イスラム国」がネットに映像公開―【私の論評】宗教を信奉しつつも、その根底には霊性を重んじる精神があり、その精神界においてはどのような宗教の人々とも理解し合える、そんな世界を目指せ!!

【イスラム国殺害脅迫】後藤さん殺害か 「イスラム国」がネットに映像公開



【産経新聞号外】「後藤さん殺害」映像 安倍首相「非道卑劣」[PDF]

イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束されていた後藤健二さん(47)を殺害したとされる映像が1日、インターネット上に公開された。日本政府は確認作業を進めるとともに、引き続き情報収集・分析を急ぐ。

イスラム国の日本人殺害脅迫事件をめぐっては、湯川遥菜(はるな)さん(42)と後藤さんの殺害を警告するビデオ声明を1月20日にネット上で確認。その後、湯川さんが殺害されたと読み上げる後藤さんとみられる男性の映像も確認された。

さらに、1月29日朝に後藤さんとみられる男性の音声付き画像が公開された。その中でイスラム国側は、後藤さんとヨルダンで収監中のサジダ・リシャウィ死刑囚の人質交換を要求。応じなければ拘束中のヨルダン人パイロットを殺害すると警告していた。

ただ、イスラム国側が期限とした29日深夜を過ぎても事態の進展はみられず、ヨルダン政府が水面下でイスラム国側と交渉を続けていたとされる。パイロットの安否は1日の時点で確認されていない。

安倍晋三首相は1月20日以降、繰り返しイスラム国を非難するとともに、関係国との連携強化など「人命第一」と「テロとの戦い」の取り組みを続けてきた。特に対イスラム国の最前線となっているヨルダン政府には、後藤さんの解放に向けた協力を要請してきた。ただ、ヨルダン政府は、後藤さんよりパイロットの解放を求める国内世論が強まるなど、厳しい判断を迫られていた。

【私の論評】宗教を信奉しつつも、その根底には霊性を重んじる精神があり、その精神界においてはどのような宗教の人々とも理解し合える、そんな世界を目指せ!!

後藤さんは、亡くなったものと判断されますので、まずは後藤さんのご冥福をお祈りいたします。

さて、国際的にも、ここ日本においても、今回の「いわゆるイスラーム国」による、人質事件に関して現代の宗教的世界観による精神世界の限界を示すものであるとの論調などほとんどありません。

このような精神世界の限界が、世界で様々な対立を生み出しているという論調はないし、ましてや、霊性を重んじる日本文化がこうした対立をなくすためのヒントにもなり得ることなど、全く報道されないのが非常に残念なことです。

これについては、このブログで掲載したことがあります。その記事のURLを以下に掲載します。
【本の話WEB】日本人人質事件に寄せて――「日本人の心の内」こそ、彼らの標的だ―【私の論評】日本にこそ、世界に新秩序を確立するためのヒントがある!日本人の心の内にある霊性を重んじる精神、これこそが世界の宗教的混乱を救う一里塚なると心得よ(゚д゚)!
式年遷宮「遷御の儀」で現正殿から新正殿に向かう渡御行列。
伊勢神宮は日本人と心のふるさと、未来への道しるべだ
=平成25年10月2日夜、三重県伊勢市の伊勢神宮

詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事では、21世紀は、「霊性の世界」になることを、フランスの作家マルローや、ドイツの心理学者ユングが予言していることを掲載しました。

そうして、宗教的世界観だけではなく「霊性の精神」を未だに維持発展させている日本について解説し、結論としては以下のようなことを述べました。
日本人の精神世界は、宗教だけではなく、その根本に霊性を重んじるという観念が今でも根付いて、息づいています。これは、多くの人々が、意識するしないにかかわらず、日本人の生活習慣や考え方に自然と組み込まれていて、多くの人にとってはごく自然てあり、空気のような存在になっています。しかし、霊性が失われて、宗教が精神世界の大きな部分を占めるようになった他国ではこのようなことはないのです。

私たち日本人は、このような国日本に誇りを持ち、自信を持ち、世界に日本の素晴らしさを伝えてていくべきです。日本のやり方が、世界伝わりそれが理解されれば、世界は変わります。

霊性を重んじるという精神を捨てて、宗教一色に染まった世界は、ますます混迷を深めていくばかりです。

さて、この記事の元記事を書かれた、上田和男(こうだ・かずお)氏は、元記事ので以下のように結論を述べています。 
考えるに、人類文化の危機は「画一化」にあり、文明が衝突するのではなく、文明に対する無知が紛争の根源となるのだと思います。思考のプロセスを自省し、他にかぶれたり迎合させられたり、徒に自虐的になることから一歩距離を置いて、確信されてきたものを再吟味し、忘れ去っていた古き良きものへ思いをきたし、一方で他民族との交流においては、異質なもの・新たなものを受容し合う-。こうしたことが、文明間の対話で重要だと思います。 
国家的文化戦略は、長期構想として構築し、粘り強く世界へ向けて発信してゆくことが最重要です。世界的有識者の言説を待つまでもなく、21世紀が霊性の時代へと向かうならば、日本人としても1300年間継承されてきた伝統精神を矜恃し、発信・交流してゆくことが、自らの背骨を正すとともに、世界平和への貢献に資することにもなると確信いたします。
まさに、この通りです。今まで通り、多くの人々が信奉してきた宗教を捨て去り、霊性の世界に戻る必要などありません。それは、日本がすでに具現化しています。日本には、様々な宗教が混在しつつ、その精神世界の根底には、霊性を重んじる習慣が根付いています。日本では、年配の人が、「ご先祖様に申し訳がたたない」という言葉を発することがありますが、これこそ、霊性の発露でもあります。 
世界の人々が、宗教以前に、その根底には霊性の世界があることに目覚め、それを重要視するようになれば、世界から宗教戦争は消えます。そうして、今回のような人質事件のようなこともなくなると思います。 
そのために、霊性の世界を維持・発展させてきた私たち、日本人ができることがあるはずです。無論、今回の人質事件をすぐに解決するということはできないかもしれません。宗教で凝り固まった人々の精神を解きほぐすには、かなり長い時間を要するかもしれません。 
しかし、私は日本人の心の内にある霊性を重んじる精神、この精神を土台としつつどの宗教でも受け入れてしまう寛容さ、これが世界の宗教的混乱を救うための、一里塚になると思います。 
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
日本の巫女

さて、この記事においては、日本人の「霊性を重んじる精神」自体については、あまり説明しませんでした。私は、この精神は、いわゆる古神道にその原点があると思います。そうして、古神道によって培われてきた日本人の精神は、今に至るも日本人の文化として現在に至るまで継承され、今日に至っています。

古神道とは、仏教や儒教などの影響を受ける以前のわが国固有の神道です。日本の伝統的信仰で、祭祀(サイシ)を重んずる多神教の宗教。その神には自然神と人間神とがありますが、一般には人間神、すなわち皇室や国民の祖先である天照大神をはじめとする神々が多く祭られ、祖先崇拝が中心となっている。かんながらの道。神道(シンドウ)。

私自身は、我が国の古神道は言葉の厳密な意味において、宗教ではないと思っています。宗教なるもの以前の日本人の精神にあったより根源的なものであると思っています。欧米の知識人等の中には、日本の神道を宗教の原点と捉える人々もいます。

欧米の知識人等が東洋の伝統文化に驚き、その極致ともいうべき仏教文化に感動しているあいだは、まだ日本文化の表面をなでているにすぎません。日本文化を本当に理解しようとする人びとは、その根底にある神道と出逢ってしまうのです。

小泉八雲

ギリシア・リュカディア島生まれのイギリス人、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲もそうでしたし、イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーもそうでした。ちなみにトインビー博士は昭和42年の秋、伊勢神宮(内宮)を参詣したとき、その参拝記念帳に次のように書きしるしました。

「この神聖なる庭に立つと、わたしはここがすべての宗教の原点であることを感じる」

アーノルド・J・トインビー
いうなれば彼らにとって日本の神道は、宗教の源泉なのです。たとえば、ローマ・カソリックが日本の禅と神道を霊性開発の手段として半ば公認しているのは、キリスト教自体に霊性開発の能力が失われているからほかならないのですが、もうひとつの理由としては、彼らが日本の神道を宗教の源泉と考えているからです。

日本の神道はしばしば多神教であるといわれ、実際、八百万の神々の存在を認めますから、多神教のなかでも際立ったものです。すなわち、自然界の万物に神性を見、自然界に起きた諸々の現象を神々からの通信として感じるのです。いうなれば、古神道のいわゆる<神ながら>とは、自然に偏在する神々のすべてと一体化する、ということです。

このように、神道がいま世界的に注目され始めています。それは神道が人びとの霊性を刺激し、人間と神々との交流を活発にさせるからです。その点で神道が"宗教の源泉"と呼ばれること自体には、大いに意義があることと思います。

自然にも霊が宿るとした日本人

ここで、日本人の宗教に対する考え方や接し方をとりあげてみます。日本人に「あなたの宗教は何ですか?」と質問してみると、すぐには答えがかえってこないのです。そのために「日本人は無宗教だ」といわれることも多いのですが、それは、日本ではあらゆる宗教が共存しているからです。

神道は古代から現代につづいている日本の民族信仰ですが、その間に、西暦3世紀から4世紀頃には儒教や道教が伝来して日本人の生活になじみはじめました。続いてて6世紀には仏教が伝わって来て、それらと日本固有の伝統信仰と区別するために神道(シントウ)という言葉が生まれました。16世紀にはキリスト教が日本に上陸しました。

キリスト教の宣教師たちは、日本人が神社にもお寺にもおまいりするのを見て、驚きました。ある宣教師は祖国に、次のような報告をしています。

「日本には宗教が二つある。神道と仏教というもので、長い年月を経て、お互いに影響しあって、日本人の生活に溶け込んでいる。日本人はホトケという偶像を拝み、カミという見えない存在に畏敬の念を抱いている。仏教のお寺にも行き、神道の社にも行くことに何の不思議も感じない」。

一神教であるキリスト教徒にすれば、神も仏も同一に感じ、礼拝しているのは、理解できないことだったのです。

フランシスコ・ザビエル

また、このような精神世界を持つ、日本にもバチカンはキリスト教を広めようとしため、あのフランシスコ・ザビエルが、日本で布教活動をしたのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。

それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。 そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということてした。

つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのかという疑念です。

元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。 

「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」

ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。 

「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。

この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され答えに窮していたようです。

ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された」と正直に告白しています。

霊性の世界を信じ、集団原理の中で生きてきた日本人にとって、魂の救済という答えは個人課題ではなく先祖から子孫に繋がっていくみんなの課題であったはずです。

「信じるものは救われる」=「信じない者は地獄行き」 

といった、答えを個人の観念のみに帰結させてしまうキリスト教の教義の矛盾に、当時の日本人は本能的に気づき、ザビエルが答えに窮するような質問をぶつけたのではないでしょうか。

そうして、当事のバチカンは、日本で布教するにおいては、他国で布教する際には認められなかった、日本ルールともいえる例外をいくつか認めました。

日本神話に登場するアメノウズメ

このように日本独特の宗教共存を可能にしたのは、八百万の神々を崇拝する神道が基盤になったからです。神道には、もともと包容性があり、客人(まれびと)を大切にして、異文化との接触による文化変容を可能にする素地がありました。

日本では「文化庁」という役所が宗教団体を取り扱っていて、毎年、「宗教年鑑」という日本の宗教に関する統計を発表しています。ここで、細かな統計は、文化庁のサイトに譲ることにして、文化庁に登録された宗教団体に属する信者総数は少し古い資料ですが、平成10年では2億1千5百万人程度となっています。

つまり宗教人口が実際の日本人口の2倍近くになっているのです。どうしてこんな現象が起きているのでしょうか。そのわけは、一人の日本人が複数の宗教団体に登録されているからなのです。



神社の氏子であり、お寺の檀家であり、新宗教の会員でもあるということが何の不思議もなく行われているのです。さすがにキリスト教系の団体では、そんなダブルブッキングは許されていないようですが、神社やお寺は二重、三重に所属していてもとやかく言うことはありません。

ですから、先に述べたように日本人は「あなたの宗教は何ですか?」という質問にすぐに「私の宗教はこれです」と答えがでないのは、そのような事情があるからです。

このような霊性を重んじる精神を維持発展させてきた日本は、世界の中でも特異な位置を占めると思います。以前にも、もともと、世界にはどの地域においても、アニミズムやシャーマニズムという形で霊を重んじる精神がありましたが、しかし、宗教が世界に敷衍してからは、この精神はほとんど失われました。しかし、日本だけが、上に述べたように、その精神を現在に至るまで継承し発展させてきました。

米国の新聞が伝える人質虐殺

世界から、宗教的な対立をなくすためには、今一度人類は、霊性を取戻す必要があります。そうならければ、これからますます、宗教的対立が世界を覆い、収拾がつかなくなり、人々は閉塞感にさいなまされ、自分たちの未来を信じることができなくなります。だからこそ、マルローや、ユングは今世紀は、霊性の時代になると予言したのだと思います。

こういうことを考えると、私は、今回の「いわゆるイスラーム国」による人質殺害事件は、宗教のみによる世界観では限界があることを象徴しているように思えます。そうして、霊性の精神世界を忘れた世界への警鐘であると思えてなりません。

そうして、世界がもう一度霊性を取戻すことにより、今回の人質事件を含む、宗教的な対立はこの世から消えいくのではないかと思います。

日本のように、宗教を信仰しつつも、その根底には霊性を重んじる精神があり、そのことにより多くの宗教を鷹揚に受け入れ、対立することもない世界。その精神界においてはどのような宗教の人とも理解し合える。そんな世界になることを願います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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