2018年8月13日月曜日

左派野党の支持率低迷の背景 記憶に新しい旧民主党の失政、文科省疑惑に沈黙の二重基準 ―【私の論評】日本の与野党も支那も徹底的に面子を叩き潰さなければ、まともにはなれぬ(゚д゚)!

左派野党の支持率低迷の背景 記憶に新しい旧民主党の失政、文科省疑惑に沈黙の二重基準 


立憲民主党・枝野幸男代表=7月31日午後、国会内(春名中撮影)

NHKの8月の世論調査では、立憲民主党の支持率が5・6%と、今年3月の10・2%から大きく下落している。国民民主党も0%台で推移している。なぜ左派野党が支持率を伸ばせないのか。

 野党の役割は建設的な批判をして与党の政権運営を正すことである。その延長線上で、与党より政権運営において信頼ができたら政権交代になる。

 ある週刊誌が面白い特集をやっていた。「日本をダメにした10人の総理大臣」というもので、政治記者・評論家・学者52人にアンケートを行い、ワースト3位まで選び、1位3ポイント、2位2ポイント、3位1ポイントとして集計した。1位が菅直人氏、2位が安倍晋三氏、3位が鳩山由紀夫氏という結果となった。

 これは実名アンケートなので、安倍氏に投票した人はいわゆる反安倍系の人ばかりであることがわかるが、興味深かったのは、8位の野田佳彦氏である。10位の中で、旧民主党政権時代の総理が3人もランクインしている。

 戦後新憲法下での総理大臣は31人いる。その中で民主党政権時代の人が3人も入る確率は3%未満だ。それが実現していることに、民主党時代の政権運営がいかにひどかったが表れている。ちなみに、筆者もこのアンケートの対象者だったが、1位菅氏、2位鳩山氏、3位野田氏と即答した。理由はそれぞれ、震災対応、普天間基地問題の迷走、消費増税である。

 民主党政権は失政を重ねた後、選挙目当てで分裂し、名前を変えて生き延びているが、姑息な手段を使うのは情けないことだ。

 民主党政権は失政を重ねた後、選挙目当てで分裂し、名前を変えて生き延びているが、姑息な手段を使うのは情けないことだ。

 こうした過去があるうえに、最近では「モリカケ」問題の追及に終始していたが、結局成果を上げられず、時間の浪費となった。これは、与党の政権運営を改善するという野党の役割をまったく果たせていないどころか、国会で無駄な質疑をすることで、国益を害した恐れすらある。こうした野党のふがいなさを国民はよく見ているのだろう。

 「モリカケ」に熱心だった一部野党だが、最近の文部科学省の汚職事件についてはなぜか冷淡だ。証拠という観点では、2人の現役局長級が逮捕されており、疑惑は「モリカケ」の比ではない。しかも、その中心人物は「霞が関ブローカー」と言われる人物で、文科省内でさらに広がる可能性もあり、他省庁の官僚らを含めたリストがあるとの報道も出ている。それなのに、一部野党やマスコミはあまり熱心に追及せず、避けているようにすらみえる。

 先日、筆者があるテレビ局の生番組に出演したときも、解説者は「霞が関ブローカー」について説明するが、野党議員とのつながりについては、はっきり言わない。そこでしびれを切らした出演者のタレントが聞くので、筆者は国民民主党の議員の実名をあげた。このほかにも、立憲民主党の議員と関係が深いといわれている。

 「モリカケ」とのダブルスタンダードも、国民には気になるところだろう。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】日本の与野党も支那も徹底的に面子を叩き潰さなければ、まともにはなれぬ(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事にもあるように、民主党が姑息にも、名前を変えて何とか生き延びたということや、「モリカケ」とのダブルスタンダードといい、これは単なる野党の「わがまま」と言っても良いです。

さらに、マスコミや労組などが、野党が何をしても、何を言っても、厳しく糾弾することもなく、そのまま放置するなど、野党の「わがまま」をさらに助長すらしています。

私は、野党はこの「わがまま」を貫きとおしてきたので、野党議員の多くは「面子」を重んじるメンタリティーに近くなっているのではないかと思います。

面子というと、良く中国人や中国では「面子」を重んじるということがいわれています。では、中国の「面子」とはどのようなものであるのか、以下に掲載しようと思います。まず面子を語る前に知っておいてもらいたいことがあります。中国には人権も民主主義もありません。過去の歴史であったこともありません。

「人権」という概念がない中国人には「平等」という概念がないことをまず理解してください。中国人同士の人間関係には「上下関係」しか存在しません。

「友人」という概念さえ我々と異なります。「友人」との間でさえ絶えず「上下関係」「主導権」の取り合いが人間関係の根本となります。

このあたり、我々日本人の考える「友人」という概念と異なることがわかります。

中国人の「面子」は、自分の「面子」だけを指すのです。さて、ではそのような「平等」ではなく、「上下関係」でしか物事を測れない中国人の「面子」とはどういうものなのでしょうか。

「中国人は面子を重んじる」といいますが、この言葉を多くの日本人が誤解しています。日本人ならば、自分の面子があれば、相手の面子もあり、「お互いの面子を重んじる」のが当たり前と思いがちです。

2016/12/26 千歳空港で暴れた中国人

しかし、中国人が言う面子は“自分の”面子を重んじることだけを意味しています。他人の面子を重んじると言うことはありません。

これは、中国人同士の交流を見ていれば簡単にわかります。ことあるごとに相手の間違いを指摘し、非をあげて非難しています。もちろん公衆の面前でもそうです。自分の面子を言えども、「相手の面子など考慮しない」のが中国式なのです。

相手の面子を重んじず、自分の面子のみを言うというのは、既にお気づきのように単なる「わがまま」です。中国では、「わがまま」の体現が「面子」なのですが、日本語には「面子」が別の意味であるが故に、多くの日本人中国人の「面子」を誤解してしまうのです。

そうして、端から見れば面子の潰し合いをしているようにしか見えない中国人同士のコミュニケーションですが、「面子」が通用する時があります。それはもちろん「上下関係」が明確なときです。

会社のオーナー相手であったり、官僚等、とにかく「権力者」相手ではその「メンツ」が重要な意味を持ちます。中国では「権力者」がルールです。法など何の効力も持ちません。

権力者が気に入らなければすべてひっくり返されてしまいます。「面子」つまり「わがまま」を持ち出したときに、その「権力者」の言うことを聞かなければ「面子がつぶれた」つまりは「わがままが通らなかった」となります。

そして、その「通らなかったわがまま」が「権力」と相まって相手への報復として返っていきます。それは「恨み」として残ります。しかも中国人の場合は非常に長い「恨み」として残ります。

その場合、自身が用いることができる「権力」を最大限に利用して恨みへの報復が行われます。企業のオーナーなら人事権等を、官僚なら許認可権等を用いた報復が行われます。双方とも裏家業と繋がっていれば当然「暴力」へ訴え、「生命」をおびやかす行為を用いることすらあります。

とにかく「面子」が潰された場合、いつまでも恨みに思い、「最大限」の報復をするということになります。逆に言えば権力をもたない庶民は、「権力」がないから「面子」つまりは「わがまま」が通らないのです。

「わがまま」が通らなくても報復できないから、「わがまま」の通しようがないという事にもなります。ただし、庶民間でも小さな「権力」を用いて「わがまま」の通し合いをしているわけです。

ただ、それほど大きな不利益を相手に与えるほどの権力もないので、それほど大きな問題にはなってはいないというだけです。

一方で、人民の抗議によって地方政府の幹部が土下座をしてでも誤って許しを請う事態が発生しています。その事例のリンクを以下に掲載します。

公務員による豪華宴会の現場に住民が殺到=書記が卓上で土下座の謝罪―江蘇省泰州市

民衆が多数押し掛け自分の「命」が危うくなれば簡単に「土下座」してしまう、それが彼らの言う「面子」です。この場合、民衆の「暴力」が、「工業園区管理委員会の書記」という役職を力で上回ったと言うことです。

土下座したとされる役人

そしてこの事件がきっかけで解雇されたこの「元書記」は、民衆に報復する力ももうなくなっています。つまり権力者の「面子」に抗議する手段としては「暴力」があるということです。

しかし、相手がもっと「権力」を持つものであれば、民衆の暴力ももっと強大なものでないといけませんし、そうでなければ「権力」による報復も可能となると言うことになります。何はともあれ「力」が上であれば「下」のものの面子など何も関係ないことがわかります。

どうして、このようなメンタリティーになるかといえば現在の中国は、民主化もれておらず、政治と経済の分離も行われおらず、さらに法治国家化もされていないからです。これが国の根底にあれば、「面子」を過度に重んじる必要もありません。

日本ではこれがはっきりしているので、ヤクザなどがどこまでも中国風の「面子」を重んじようにもできないところがあります。ヤクザ同士ならまだしも、それを一般人との関係にまで持ち込めば、犯罪となってしまうからです。最近では、日本ボクシング連盟の山根会長がこれに近いことになっています。

日本ボクシング連盟の山根会長

「面子」について逆に言えば、中国の社会においては「面子を重んじられる」=「力が強い」という認識になります。これは国同士の関係にも大きな意味合いをもちます。

日本のマスコミが「中国の面子」を言い立てれば言い立てるほど、日本人も「中国は日本より上位にあると認めている」と、中国人と中国政府は誤解をします。

されに言えば、そもそも中国政府は日本政府より上位にあると思いこんでいる、もしくはそうありたいと思っているので「面子」を振りかざしても来ることになります。「下位にある日本は、上位の中国のメンツ(わがまま)を重んじる(聞く)べきだ」と。

そしてそのわがままが通じなかったとき、国家権力を使った報復が行われるのです。かつてあった尖閣諸島の国有化の件を思い出していただきたいです。

野田首相(当時)に胡国家主席が直接国有化を辞めるよう伝えた翌日に国有化が決まり、「面子が潰された」と中国が騒ぎました。「面子」を誤解している日本人は「胡国家主席にも立場があるから多少は配慮して国有化を行うべきだよね」というぐらいの感覚だったかもしれません。


ところが、中国人のいう「面子」は、「下位の日本が、上位の中国の言うことを聞かないとはけしからん」ということなのです。そもそも、下にある日本が、上にある中国に対して、中国が尖閣は自分のものであると言っているにもかかわらず、「尖閣諸島をよこせ」などと言いがかりをつけてきて、さらに尖閣を勝手に「国有化」してしまったという感覚なのです。

もちろん、国家間に上下があると思いこんでいるのは中国人の勝手なので、中国と対等な立場にある日本は、仮に国有化自体が野田政権による、中国への配慮のつもりだったにしても、毅然として「国有化」を行ったのは正しい行為です。

対等な立場である国家間では「面子」など気にする必要がないと言うことを、日本人は認識すべきですし、政府も認識すべきです。

無論「面子(わがまま)」を気にして(聞いて)もらえるべきだと思う中国とは、永遠に理解しあえないでしょうし、「面子」=力だと思っている中国政府は、ますます軍備増強に邁進するでしょう

わがままを当然と思う自己中な国家が隣にあることは、不幸なことではありますが、そういう前提で日本国も備えておくべきだと思います。日本が経済的・軍事的に抵抗する力をこれからも、維持・拡大していかないと平和は続きません。

さて、中国人の「面子」とはわがままであると言いました。ですから、このような中国人には、日本人とは全く異なる付き合い方をすべきです。

中国においては「相手にへりくだったとき」より「傲慢に接したとき」の方が物事がスムーズに運びます。中国では日本人もしくは外国人として、少々相手を見下しておいた方がうまく生きていけます。「上下関係」が重要な中国社会では、自分が優位にあると言うことを態度で示した方がうまく事が運ぶのです。

逆に接すれば、自分が下になるだけです。ベストは「平等」なのは、我々なら誰にでもわかるのですが、中国社会に「平等」という概念はありません。「平等」という概念がない以上、中国においては常に「上」にいることを心がけなくてはいけません。「上」にいれば、中国人の「面子」はその効力を失います。

これは、日本にいる中国人にも同様です。なぜなら、これは中国社会だけの問題ではなく中国人の問題でもあるからです。日本にいる中国人に「平等」に接しても、彼らは「自分たちが上」だと勝手に思いこむだけです。

「自分たちが上」だと思いこめば日本社会でも勝手な振る舞いをし、中国人の悪習慣をもちこみ、日本社会の安全が損なわれます。そうしないためにも、マナー違反の中国人には、公衆の面前であろうがなんだろうが、しっかりと叱りつけ、やって良いこととやっていけないことの区別をわからせる必要があります。

何より、日本においては日本のルールを守り、日本人を尊重する必要があるということを、はっきりと厳しく日本人が態度で示す必要があります。

さて、私自身は日本の野党もこのような中国式「面子」にとらわれているのではないかと思います。ただし、完璧に中国式「面子」など日本では許されるはずもありません。

それに中国式「面子」だと、与党は権力者であり、野党はそうではありません。であれば、最初から勝負はついています。与党側が「面子を潰された」といって野党を糾弾すれば、それで野党は為す術もありません。ただただ、与党に従うだけです。

そのようなことは日本では考えられません。そう考えると、日本では日本式「面子」が悪い結果を招いているのではと考えられます。

日本式「面子」とは、中国式とは異なり、日本人ならば、自分の面子があれば、相手の面子もあり、「お互いの面子を重んじる」のが当たり前と考えます。これが、悪さをしているのかもしれません。

ところで、日本では国会が安保法案(安全保障関連法案)の審議でもめたことがありました。その頃、国会の外では連日、法案に反対する人たちが集結してデモを行っており、昨日の参議院では、特別委員会で与野党の議員が乱闘する様子がニュースで流れていました。NHKをはじめ、マスコミでは、「与野党がぎりぎりの攻防を演じている」といった表現で報じていました。

しかし、本当は「ぎりぎり」でもなんでもなく結果は見えていました。なぜなら、現在の日本の政治の仕組みでは、私たちが選挙で選んだ国会議員が法案を話し合って、最後は多数決で正式な法律として定めるからです。

近年の選挙、つまり2010年の参院選、12年の衆院選、13年の参院選、14年の衆院選を経て、自民党と公明党が最大の勢力となりました。選挙で勝った政党は与党となり、次の選挙までの間、国民から政権を託されます。


一応、法案の問題点や課題について、選挙で負けた方の野党から指摘を受けて修正することはたまにあるものの、多数決になったら、与党が勝つのは当たり前です。それは選挙が終わった時点で明らかです。


野党の民主党が「安保法案は廃案」と訴えたり、デモに参加しているSEALDsという大学生たちが「安倍政権は退陣しろ」と叫んだりしたところで、政治的には何の効力もありません。彼らが自分たちの主張を通したいのであれば、大阪市の橋下徹市長が忠告していたように、選挙で勝つしかなかったのです。

SEALDs

それなのに、マスコミはなぜ「ぎりぎりの攻防」といった表現を使ったのでしょうか。マスコミの中には朝日新聞や毎日新聞、TBSやテレビ朝日のように法案に反対または慎重な考え方をしている会社があります。

彼らにとっては、安保法案が野党が抵抗して国会が乱闘したり、デモが盛り上がったりすることで、政権与党が動揺や配慮をして少しでも多数決を取るのを遅らせて、国会が盛り上がっているようにしないと、読者や視聴者の期待に応えられないのです。

もちろん、朝日新聞の記者になるような人たちは東大などの一流大学を出た優秀な人たちなので、時間稼ぎでしかないことは当然わかっているはずですが、会社の偉い人たちから「角度をつける」、つまり、会社の思うような方向に世の中の空気を持っていくような報道をするように命令されているので、もし従わないと田舎の支局や記者以外の営業などの部署に飛ばされてしまう可能性があります。

日本では1955年から2009年の間、一時的な例外をのぞいて自民党を中心にした政権がずっと続いてきました。昔の野党、たとえば社会党は政権を取れるとは本気で思っていないので、「国対政治」といって与党と野党のボスキャラの政治家が国会ではなく、夜の赤坂の料亭で話し合いをしていました。

これは、昼の国会で与党が法案を通すのを渋々認める代わりに、それこそ、与党が、野党の面子が立つように法案を一部修正したり、時には筋書き通りに乱闘を行ったりする“取引”がされていました。

与野党でこういう馴れ合いが長く続いていたので、当然、政治の世界を取材する記者さんたちも緊張感がなく、そういう茶番劇を知っていながら、むしろ表の筋書き通りに国会が盛り上がるように報道していました。

日本の政治は近年こそ政権交代が行われるようにはなりましたが、報道する側の会社は、政権交代がありえなかった昔の文化が根強く残っています。「ぎりぎりの攻防」などという茶番劇の表現をするのは、ある種の伝統芸のようなものでしょう。

なによりも、安保法制を戦争法制と言い換え、ありもしない徴兵制反対を声高に叫ぶ昔の学生運動崩れのおじいさん、おばあさんたちが年老いて老人ホームに入ったり、亡くなったりしてデモに参加する人が減ってくれば、読者ニーズも変化します。

それにしても、国会前のデモをしていた人たちは大きな勘違いをしています。戦争を仕掛ける危険があるのは安倍首相ではなく、中国や北朝鮮です。国会前より六本木の中国大使館前で抗議したほうが意義があるはずなのですが、なぜか国会前で自分たちの国の首相をdisり続けていました。

橋下さんに「選挙で勝たないと意味がない」とたしなめられても、デモに参加しているおじいさん、おばあさんたちは、選挙に本気で参加して人に頭を下げたり、ビラを配ったりして辛い思いをするよりも、国会前で叫んでいるほうがストレス解消になるし楽しいのです。

中国の面子を潰すことを厭わないトランプ大統領

米国は、中国の国としての面子を、トランプ大統領が登場以来、オバマ大統領のようには考慮することはなくなりました。それどころか、貿易戦争を仕掛けて、面子を潰し、経済的にも追い込もうとしています。

それに呼応するように、先日も述べたように、日米英の同盟が強化され、日米英同盟は、豪州やアジアの周辺諸国との協力や連携を強めています。

こうした状況が続く限り、いずれ中国も国としての「面子=わがまま」にばかりこだわってはいられなくなるでしょう。中国という国の体制を変えるか、変えないなら、米国による制裁が続き、経済はかなり弱体化することになります。

日本の与野党も、互いに相手を思いやるとみせかけながら、馴れ合いに陥っている中途半端な「面子」をかなぐり捨てて、まともな政策論争を徹底的に戦わせた上で、選挙で真っ向勝負する体制をはやく築くべきです。

マスコミや労組なども変に野党のダブルスタンダードを認めるようなことはせず、面子を潰すくらいのことをして、速やかに野党がまともになるようにすべきです。マスコミなどが、野党を後押しするので、野党の「面子」は与党の「面子」よりも始末の悪いものになっているのは確かなようです。

そうして、支那式面子は、自分の面子だけ考えるので、日本の野党よりさらに始末の悪いものになっているようです。

いずれにせよ、日本の与野党も、支那も面子を過度に重要視するという態度を改めなければ、まともにはなれません。

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