2019年2月20日水曜日

米国務省が警笛を鳴らす中国の人権問題―【私の論評】中国を「法治国家化」するには、経済を弱体化させ中共を崩壊させるしかない(゚д゚)!

米国務省が警笛を鳴らす中国の人権問題

岡崎研究所

 2019年1月29日付で、米国務省は、中国の人権派弁護士、王全璋(Wang Quanzhang)氏に対する判決に関して、以下のようなプレス・リリースを発表した。

中国の人権派弁護士、王全璋(Wang Quanzhang)氏

 「1月28日に中国天津で、人権派弁護士の王全璋氏に対して「国家転覆罪」で4年半の禁固刑が言い渡されたことに、米国は深く憂慮している。王氏は、2015年7月9日(「709」)の中国政府による法の支配提唱者や人権擁護者に対する取り締まりによって最初に拘留された者の一人であり、判決を下された最後の者の一人である。

 中国が王氏を判決前に3年半も拘留、監禁し、彼が選定した弁護士は認められず、その弁護士は報復にあったことを、我々は問題視する。

 我々は、王氏が即時に釈放され、彼が家族のもとに戻れることを、中国に要求する。中国において、法の支配、人権及び基本的自由の状況が悪化していることを、我々は憂慮している。そして、中国が国際的人権ルールを守り、法の支配を尊重することを、引き続き要請する。」

参考:Department of State‘Sentencing of Wang Quanzhang’January 29, 2019
https://www.state.gov/r/pa/prs/ps/2019/01/288664.htm

 2015年7月9日に開始された「709」キャンペーンでは、2-3週間の間に、300名もの人権擁護や民主主義、法の支配を訴えていた弁護士や法律顧問等が逮捕、抑留され、弁護士資格を剥奪されたり、仕事を失ったりした。

 この中で、上記に掲げた王氏のほか、少なくとも 4 名が収監された。2016年 8月、周世鋒(Zhou Shifeng)氏と胡石根(Hu Shigen)氏は、それぞれ7年と7 年半の禁固刑を言い渡された。2017年11月には、江天勇(Jiang Tianyong)弁護士が2年の刑に処せられた。その翌月2017年12月には、人権活動家の呉淦(Wu Gan)氏が8 年の刑を言い渡された。

 また、上記のプレス・リリースで指摘されている、王氏の弁護士に関しては、そのうちの一人、余文世(Yu Wensheng)弁護士とは連絡が付かず、 彼は1年以上拘束されているとも言われている。

 なお、この問題に関しては、1月31日付の米ワシントン・ポスト紙が社説で取り上げている。

 中国については、共産党が大きな役割を果たし、はたして市場経済であるのか否かとか、世界標準を外れた行いを中国の特色として正当化する傾向があるとか、いろいろな問題があるが、人権無視の問題はその中でも中国を尊敬できない、恐ろしい国にしている主要な問題である。このことについては、不断に注意喚起をしていく必要がある。

 中国で人権のために勇敢に戦っている人々は、民主主義世界の支持に値する。

 旧ソ連でも、1975年まで人権はひどく無視されていたが、ヘルシンキでの全欧安保会議でヘルシンキ宣言が採択された後、状況は徐々に変わっていった。中国に関しては、もちろんヘルシンキ宣言のようなものはないが、人権規約のうち社会権規約は締結済みであり、自由権規約についても署名済みである。自由権規約の批准、締結を求めていくことが適切である。

 また、中国の人権問題を、ウイグル、チベットの問題を含め問題にしていくことは大切である。それが中国を異形の大国である度合いを低めることになる。国内での法の支配の強化につながるし、国際的な場での法や規則の尊重にもつながると思われる。

 日本の人権活動家も、もっと中国の人権状況に関心を払うべきであろう。

【私の論評】中国を「法治国家化」するには、経済を弱体化させ中共を崩壊させるしかない(゚д゚)!

中国が掲げる「法治」は、共産党独裁を支える強権の追認でしかありません。法治に名を借りた人権弾圧を、決して見過ごしてはならないです。

中国は先進国のように「法治国家」されていません。そもそも、中国では憲法は中国共産党の下に位置づけられており、まさしく共産党は何でも意のままにできるというのが実態です。

法律体系もある程度は整えられているのですが、細かなところはあまり決まっていません。細かなところまで決めてしまうと、これに共産党が足を引っ張られて、意のままに動けないから、決めないのです。

天津の地裁にあたる裁判所は、ブログ冒頭の記事にもでてくるように、人権派弁護士の王全璋(おう・ぜんしょう)氏に懲役4年6月の判決を言い渡した。

「国家政権転覆罪」の適用にあたり裁判所は、家族や支援者らの傍聴すら認めませんでした。王氏が法廷で裁判批判を展開し、傍聴者を通じて王氏の主張が広まることを恐れた措置とみられています。

文化大革命で「反革命犯」とされた共産党の女性幹部、張志新は銃殺前にのどを切り裂かれました。刑場で不都合な言葉を叫ばせないための措置だったといいます。

張志新

裁判所の発想は、文化大革命当時のままではありまんせんか。

支持者の傍聴を認めず、判決理由すら示さない裁判が存在すること自体が現代の奇観です。裁判そのものが不当であり、王氏の即時釈放を強く求めます。

王氏と同じく、人権派弁護士や民主活動家を狙った2015年7月の摘発では、320人以上が連座しました。王氏の拘束は3年半あまりと最長に及びます。王氏が転向を拒み続けたためです。

拘束された者の多くが肉体的、精神的な拷問を受けたとの証言があります。夫との面会を求めた王氏の妻、李文足さんも治安当局の嫌がらせを受け続けました。

権力強化を進める習近平政権には、弁護士らが進める自由民主の価値観や権利意識の広がりが目障りだったのでしょう。改めて、中国共産党とは価値観を共有できないことを印象づけました。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、王氏の裁判そのものを「ひどい茶番」と断じています。

ドイツのメルケル首相は昨年の訪中時に北京で李文足さんと面会し、写真が公表されました。国際社会は中国の人権弾圧を注視しているという重要な取り組みです。

北京で李文足さん(左) と面会したドイツのメルケル首相

習国家主席との米中首脳会談を予定するトランプ大統領も、通商だけではなく中国の人権問題に言及してもらいたいものです。

それにしても、中国がまともに「法治国家化」できないのにはそれなりの理由があります。

先日新聞を読んでいると「中国の農村でも法治が進んだ」という趣旨の記事が目に入りました。大意を記せばこのような話です。

河北省のある農村で土木工事の請負を生業にしている自営業者がいました。2014年に用水路掘削の仕事を受注、完工したのですが、一向に代金が支払われないのです。こうした話は過去にもあり、泣き寝入りのケースも多かったそうです。

そこで自営業者氏は町のゴロツキ連中を雇い、発注者を脅かして一部を取り立てました。しかしその後、この人物は「このやり方は間違っている」と改心し、政府を頼ることにしました。役所の相談窓口に通って法的手続きを申し立て、司法機関の介入の下、見事に工事代金を手に入れたそうです。何事も「法治」で解決することが重要だという内容です。

たわいのない話ではありますが、中国社会で「法治」という言葉がどのような意識で使われているかがうかがわれます。まさに、多くの中国人が、私的な実力で問題を解決するのではなく、公的機関に訴えて自己の利益を守ることが「法治」であると考えているようで、実際政府もそのような行動を奨励しているにです。

もちろんこれらも「法治」の一部には違いないですが、日本をはじめとする先進国などの社会の「法治」の概念とはズレがあります。

私たちが日常的になじんでいる「法治」は「法律という一つの体系の下、社会的地位や属性などに関係なく、すべての参加者が同じルールでプレーすること」という考え方です。一方、中国社会の「法治」は「法律という道具を社会の管理者(権力者、政府)がしっかりと運用し、社会正義を実現すること」という意味合いが強いです。

こうした中国社会の「法治観」には一つの前提があります。それは社会には必ず国民の上に立つ「統治者(権力者、政府)が存在している」ということです。

日本を含むいわゆる議会制民主主義の国々では、社会を管理しているのは国民、つまり私たち自身です。うまく管理できているか否か、その実態はともかく、理屈の上では私たちは自ら代表を選び、その人たちに国の方向づけと管理を行ってもらっているすなわち信任していると考えます。

代表が十分な仕事をしていないと考えれば、人選を変えることができます。つまりこの社会を管理し、社会正義を実行するのは私たち自身の責任である。社会がうまくいかなければ自分たちで何とかするしかない。そういう大原則があります。

ところが中国の社会はそうではありません。現在だけでなく、中華民国時代の短い一時期、国内の一部で議会制民主主義が行われたことがある以外、古代から今に至るまで、中国には常に「支配者」が存在し、実力で世の中を制圧し、民草の意志とは無関係に「自分たちの都合」で統治を行ってきました。

法律とは支配者が「自分たちの都合」を実現するために作るものなのです。これは「良い、悪い」の問題ではなく、天地開闢(てんちかいびゃく)以来の現実としてそうであったし、現在の体制も例外ではないのです。

だから中国社会で暮らす人々にとって統治者の存在は水や空気のように当たり前であり、「自分たちで社会を管理する」という発想はほぼないのです。社会を統制し、「良い」世の中にするのは天から降ってきた「偉い人」の仕事であり、統治者がその仕事をうまくできなければ不満を言うのです。

ただ、あまり強く文句を言うと身に危険が及ぶから、周囲の空気を忖度しながら要求を出したり引っ込めたりするのです。要は「社会を良くする」「社会正義を実現する」のは民草の責任ではなく、統治者の義務であるという点がポイントです。

そして、そのような状態を中国の普通の人々は、「喜んで」ではないのですが、受け入れているのです。それは、そのような状況しか体験したことがないから比較のしようがないこと、さらには統治者に対する不満はあれども、間違いなく「無秩序よりはマシ」だからです。

5年に一度開催される全国人民代表大会。最新のものは2017年に開催された。
その時の写真。習近平が演説している。この大会は最早実社会から乖離している。

そして、統治者が仕事の遂行のために作る道具が「法」であり、それを使って世の中の秩序を維持することが「法治」です。人々は、統治者がそれを実行してくれるが故に、嫌々ながらも「税」という名の対価を払います。そういう構造が明らかに存在しています。

このような考え方を根本から変えなければ、中国は法治国家できません。

ただし、西欧の先進国でも近代になって国民国家が樹立されるまでは似たような考えでした。しかし、いくつかの国がさきがけて、民主化、政治と経済の分離、法治国家化を推進し、多くの中間層を輩出し、それらが自由な社会経済活動を行い多くの富を生み出し、経済的にも軍事的にも強国になりました。これに負けじと多くの国々がこれを実行して強国になりました。

なぜ、このようなことになったかといえば、自分の国も強国にならなければ、他の強国に潰されてしまい、多くの国民の生命、財産が奪われ、国民も他国に従属せざるをえなくなるという恐怖があったからです。

ただし、中国はこのような体制を整えることなく、海外から多くの資金が流入して、経済だけが発展するという歪な発展を遂げました。先進国は中国が豊かになれば、自然と民主化、政治と経済の分離、法治国家化がすすみ、先進国と同じようになると期待していましたが、その期待はことごとく裏切られ今日に至っています。

今のままであれば、中国が「法治国家」することなど考えられず、人権問題はいつまでも放置されることになるだけです。

やはり、米国等よる経済制裁等で、中国を経済的に弱体化させ、中国共産党を崩壊させ、そこから再構築するしか道はないようです。

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