まとめ
- 現在の米国主導の新たなウクライナ和平案は、ロシアの既成事実を国際的に認める危険性があり、「力による現状変更」を容認する重大な転換点となり得る。
- ウクライナとロシアの国境線は、ソ連が民族を混在させ境界をゆがめた“地政学的地雷”の結果であり、これが軋轢の根本原因となっている。
- 1991年の独立時に国境を再検討する機会を逃したことが、30年後の戦争再燃につながった。今回も国境問題を避ければ同じ轍を踏む。
- 今回の停戦は“仮の和平”にとどめ、数年かけた国境再策定プロセスを義務づけるべきであり、日本を含む中立国がオブザーバーとして関与する必要がある。
- ウクライナに不本意な領土割譲を迫る停戦が成立すれば、中国が台湾・尖閣で同様の「既成事実化」を試みる可能性が高まり、日本の安全保障にも直結する。
| 米ロが和平の新計画案 トランプ大統領が承認・政権が受け入れ求める 米英報道 |
ウクライナ戦争をめぐり、欧米メディアが「新和平案」を報じ始めている。
その中身が凄まじい。クリミア半島と東部二州を事実上ロシア領と認め、ウクライナ軍を60万人規模に縛る――。もしこれが通れば、ロシアは「武力侵攻をやっても、耐え抜けば領土が手に入る」という前例を世界に示すことになる。
これは単なる停戦条件ではない。冷戦後、国際社会が辛うじて守ってきた「力による現状変更は認めない」という筋が折れるかどうか、その瀬戸際である。ウクライナから見れば、自分たちがとても納得できない形で領土の一部を事実上手放すことを迫られたうえに、軍事力まで制限される。これは、主権国家としての根幹を削られ、ロシアの勢力圏に半ば組み込まれることを意味する。
ここで忘れてはならないのが、そもそも現在のウクライナとロシアの国境線が、「歴史の自然な結果」ではないという事実である。
ソ連時代、モスクワはウクライナ東部で重工業化を進める一方、ロシア系住民を大量に移住させた。1932〜33年のホロドモールでは、ウクライナ農村が壊滅的な打撃を受け、その空白を埋めるようにロシア人が再配置された。クリミアに至っては1954年、住民の意思ではなく、共産党内部の政治判断だけでロシア共和国からウクライナ共和国へ編入されている。
だからこそ、「ロシアが侵略し、武力で奪った地域を、そのまま既成事実として固定してよいのか」という問いは、単なる感情論ではない。そこには、ソ連が残した歪んだ国境線という根本問題が横たわっている。
2️⃣1991年に逃した「最後のチャンス」と、再び迫る岐路
1991年8月28日、キエフ中心部に集まった数千人の独立派デモの参加者たち。あげた3本の指は、ウクライナの国章を表している。 |
では、1991年にウクライナが独立したとき、この問題は解決されていたのか。答えは明確な「ノー」である。
独立そのものは国民投票で圧倒的多数の支持を受けたが、国境線はソ連時代の「共和国間の行政境界」をほぼそのまま国家境界として引き継いだ。民族構成や歴史的経緯を踏まえた見直しは行われず、「看板だけソ連からウクライナに掛け替えた」ような状態で始まってしまったのである。
本来なら、1991年こそがロシアとウクライナが腰を据えて、双方が納得できる国境線を引き直すべき「最後のチャンス」だった。ところが現実には、旧ソ連全域が混乱し、経済も治安もガタガタで、とてもそこまで議論を深める余裕はなかった。ソ連式の混住構造も、治安機構の名残も、エネルギー依存の構図も、そのまま新生ウクライナに持ち越された。火種は消えるどころか、むしろ見えにくいところでくすぶり続けたのである。
いま世界は、再び同じ岐路に立たされている。今回の和平案を「これで一件落着」と扱うのは、1991年の過ちをもう一度なぞることにほかならない。
国境問題の核心に踏み込まないまま、「とにかく撃ち合いを止めたから良し」としてしまえば、数年先、十数年先に、必ず同じような爆発を迎えることになる。
だからこそ、今回の停戦は「最終的な和平」としてではなく、あくまで「仮の和平(終戦ではなく停戦)」、戦闘をいったん止めるための暫定措置として扱うべきである。
そのうえで、本番はこれからだ。数年単位の時間をかけて、ウクライナとロシアが、そして周辺諸国と国際社会が、「どこに線を引けば、これ以上血が流れないのか」を正面から話し合う必要がある。
このプロセスには、欧米とロシアだけではなく、日本を含む中立的な複数の国々がオブザーバーとして参加すべきだと考える。利害当事者だけで国境線を決めれば、必ずどちらかが「押し切られた」と感じる。そこに第三者の目と記録が入ることで、少なくとも「どういう経緯で決まったのか」という透明性だけは確保できる。
逆に言えば、この国境再策定のプロセスを避け、「とりあえず今の線で停戦しておこう」「実効支配に合わせて、あとはなしくずしで認めていけばいい」という安易な道を選べば、国際秩序そのものが揺らぐ。ソ連が残した歪んだ線を見て見ぬふりをすれば、その歪みは必ず次の戦争となって跳ね返ってくる。
この問題は、日本にとっても他人事ではない。もしウクライナが、自国も仲介国も納得できない形で領土の割譲を強く迫られるような停戦に追い込まれれば、中国はそれを「モデルケース」として見てくるだろう。
「長く圧力をかければ、西側はどこかで妥協する。台湾でも尖閣でも同じことができるのではないか」――。そう考えるのは自然だ。台湾有事のリスクは一段と高まり、南西諸島は今以上に最前線としての重みを増す。尖閣周辺の挑発も、確実にエスカレートする。専守防衛だけで国土と国民を守り切れるのかという問いが、現実の問題として突きつけられることになる。
一方、アメリカも無限の体力があるわけではない。ウクライナ支援で財政も軍備も消耗し、国内世論も疲れ、さらに対中戦略との両立を迫られている。三つの戦線を同時に維持できない以上、どこかで「この戦争は早く終わらせたい」と考えるのは当然だ。ウクライナ和平を「大幅譲歩型」でまとめてしまおうとする動きの裏には、こうした計算がある。
しかし、そこでウクライナに望まぬ形で領土の一部を手放すことを事実上強要し、軍の力まで縛り上げるような停戦を押し付ければ、その前例はそのまま東アジアにコピーされる。
「最前線の国にはある程度犠牲を払ってもらい、どこかで落としどころを探そう」――こうした発想が一度通用してしまえば、日本と台湾は、いつ同じ扱いを受けてもおかしくない。
世界はいま、はっきりとした分岐点に立っている。
ウクライナが望まぬ領土の手放しと軍縮を呑まされる和平を認めるのか、それともいったん停戦をしたうえで、時間をかけて国境と安全保障の枠組みを引き直すのか。前者を選べば、国際秩序は大きく歪み、力による現状変更が「やった者勝ち」となる時代に逆戻りする。後者を選ぶなら、日本もまた、当事者の一国として責任を負う覚悟が求められる。
この和平案は、その覚悟を私たちに突きつけているのである。
【関連記事】
<解説>ウクライナ戦争の停戦交渉が難しいのはなぜ?ベトナム戦争、朝鮮戦争の比較に見る「停戦メカニズム」の重要性―【私の論評】ウクライナ戦争停戦のカギを握る米国と日本:ルトワックが明かす勝利への道 2025年3月31日
ベトナム戦争と朝鮮戦争の対比から「停戦を維持する仕組み」の重要性を解き明かし、ルトワックの住民投票+駐留案を軸に、ウクライナ停戦を米国と日本がどう主導すべきかを論じた記事。
「トランプ誕生で、世界は捕食者と喰われる者に二分割される」アメリカの知性が語るヤバすぎる未来―【私の論評】Gゼロ時代を生き抜け!ルトワックが日本に突きつけた冷徹戦略と安倍路線の真価 2025年3月30日
トランプ再登場後の「Gゼロ世界」を背景に、強者が弱者を食う国際秩序の変質を描きつつ、ウクライナ停戦と領土問題が「力による現状変更」を正当化しかねない危険を指摘し、日本が取るべき戦略を掘り下げた論考。
米特使 “ロシアの支配地域 世界が露の領土と認めるか焦点”―【私の論評】ウクライナ戦争の裏に隠れたソ連の闇と地域の真実:これを無視すれば新たな火種を生む 2025年3月23日
米特使の「ロシア支配地域を世界が認めるかが焦点」との発言を手がかりに、ソ連時代の人為的な国境線とウクライナ内部の分断構造を詳しく整理し、それを直視しない停戦案は将来の紛争の火種になると警鐘を鳴らした記事。
有志国、停戦後のウクライナ支援へ準備強化 20日に軍会合=英首相―【私の論評】ウクライナ支援の裏に隠された有志国の野望:権益と安全保障の真実 2025年3月17日
英国主導の「有志国連合」による停戦後支援の動きを取り上げ、表向きは安全保障でも裏には資源・市場をめぐる権益争いがあることを描写。ウクライナ和平と戦後秩序の行方を、利権と安全保障の両面から読み解いている。
ウクライナに史上初めてアメリカの液化天然ガスが届いた。ガスの逆流で、ロシアのガスが欧州から消える時―【私の論評】ウクライナのエネルギー政策転換と国際的なエネルギー供給の大転換がロシア経済に与える大打撃 2024年12月31日
米国産LNGのウクライナ初輸入と「垂直回廊」による逆流輸送を通じて、欧州の脱ロシア依存が進む構図を解説。エネルギー面からロシアの影響力を削ぐ動きが、ウクライナ戦争後の国際秩序にどうつながるかを論じた内容。
0 件のコメント:
コメントを投稿