まとめ
- トランプ政権のウィトコフ特使は、ロシアが実効支配するウクライナの地域を世界がロシア領として認めるかどうかが今後の焦点だと主張し、ロシア寄りの見解を示した。ロシアは東部・南部4州で「住民投票」を強行し併合を宣言している。
- トランプ大統領は完全な停戦後に領土の一部割譲を含む協定の可能性を示唆し、ウィトコフ特使はウクライナがNATO加盟を断念する姿勢を受け入れつつあると指摘した。
- 3月24日にサウジアラビアで米・ウクライナ・ロシアの代表団による停戦協議が予定されており、ウクライナの領土一体性や安全保障がどう扱われるかが注目されている。
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ウィトコフ特使 |
トランプ政権のウィトコフ特使は、ウクライナ情勢を巡るインタビューで、ロシアが実効支配している地域について「圧倒的多数の人々がロシアの統治を望んでいる」と主張し、今後の焦点は「世界がこれらの地域をロシアの領土として正式に認めるかどうか」だと述べた。これは元FOXニュースのキャスターとの対談で3月21日に公開されたもの。ロシアは3年前、ウクライナ東部および南部4州で一方的な「住民投票」を強行し、併合を宣言しており、ウィトコフ特使の発言は明らかにロシア寄りの立場を示している。トランプ大統領も同日、完全な停戦後に領土の一部割譲を含む協定の可能性に言及した。
さらにウィトコフ特使は、「ウクライナは和平合意が実現した場合、NATO(北大西洋条約機構)への加盟ができないことをほぼ受け入れていると思う」との見解を示し、ウクライナの安全保障に関する妥協が進んでいる可能性を指摘した。3月24日にはサウジアラビアで、アメリカを含む代表団がウクライナとロシアの双方と停戦に向けた協議を行う予定だが、ウクライナの領土の一体性や長期的な安全の保証といった根本的な課題がどのように扱われるのか、国際社会の注目が集まっている。
さらにウィトコフ特使は、「ウクライナは和平合意が実現した場合、NATO(北大西洋条約機構)への加盟ができないことをほぼ受け入れていると思う」との見解を示し、ウクライナの安全保障に関する妥協が進んでいる可能性を指摘した。3月24日にはサウジアラビアで、アメリカを含む代表団がウクライナとロシアの双方と停戦に向けた協議を行う予定だが、ウクライナの領土の一体性や長期的な安全の保証といった根本的な課題がどのように扱われるのか、国際社会の注目が集まっている。
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【私の論評】ウクライナ戦争の裏に隠れたソ連の闇と地域の真実:無視すれば新たな火種を生む
まとめ
- ウィトコフ特使の「ロシア支配地域を世界が認めるかどうかが焦点」という発言は、ロシア寄りと騒がれるが、ソ連が引いた複雑な国境線と歴史の絡みが単純ではない。
- ソ連はボリシェヴィキ、特にレーニンとスターリンの都合で国境を無理やり決め、民族や文化を無視。クリミアもフルシチョフが1954年にウクライナにポンと渡した政治の産物だ。
- ウクライナは西側、中央、南東部でまるで別世界。南東部はかつて「ノヴォロシア」と呼ばれ、オデッサ州からクリミアまでロシア色が濃いが、西側は西欧に近く、中央はキーウ周辺は、ウクライナの心臓だ、西と中央は、反ロシアでガチガチだ。
- 2022年2月24日のロシア侵攻は歴史抜きで一方的な過ち。国連憲章を一方的に破り、外交を捨てた暴挙だ。
- 停戦交渉ではロシアの責任をハッキリさせつつも、歴史と地域のリアルを踏まえ、ウクライナのさまざまな顔を尊重して現実的な道を探るべきだ。そうでないと新たな火種を残すことになる
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ソビエト連邦地図 |
ソ連が1922年に誕生した時、多民族をまとめ上げるため、連邦制をぶち上げた。ウクライナ共和国だ、ロシア共和国だと名前をつけたはいいが、国境線は自然な分かれ目ではなかった。ボリシェヴィキ—1917年のロシア革命をぶちかました共産主義者たち、マルクス主義を掲げてガチガチの中央集権を夢見た連中—が、自分たちの都合で線を引いた。
ウクライナ東部や南部にロシア語を話す連中がいたにもかかわらず、無理やりウクライナ側にねじ込んだり、逆にロシア側に押し付けたりした。その中でもレーニン、ソ連の初代ボスだ、連邦制をゴリ押しした。スターリン、民族問題を握ってた男だ、国境の細かい調整に手を突っ込んだ。だが、1920年代でもまだグチャグチャで、国境はフラフラ動いていた。それが後に火種になったのだ。
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レーニン(左)とスターリン(右) |
その後のソ連はもっと狡猾だった。民族同士がケンカしないように、分断して操りやすくするために、国境をわざと複雑にした。例えばクリミア半島だ。歴史を紐解けば、クリミア・タタール人やウクライナ人と縁が深い。13世紀からオスマン帝国の傘下だったが、1783年にロシア帝国がこれを飲み込んだ。ソ連ができてからはロシア共和国の一部だった。それが1954年、フルシチョフが「ウクライナにあげる」とポンと渡した。フルシチョフがウクライナ出身だからか、経済をくっつけたい思惑か、政治のゲームだ。1991年、ソ連が崩れて、クリミアはウクライナの一部として独立した。住民の声も歴史の流れもお構いなしだった。
ウクライナの中を覗いてみれば、地域ごとにまるで別の国だ。西側、リヴィウあたりだ、ポーランドやオーストリア・ハンガリー帝国の色が濃い。ウクライナ語が響き合い、民族主義が燃え上がる。ロシアなんて目じゃない、ソ連時代から反ロシアでガチガチだ。一方ウクライナ中央、キーウ周辺は、ウクライナの心臓だ。キエフ・ルーシ(キエフ大公国)の誇りを背負い、ウクライナ語とロシア語が混ざり合いながら独立を貫く。
だが、南東部はどうだ。ドネツク、ルハンスク、クリミアだ。ここはロシア帝国の時代からロシア語が響き、ロシア人がドッと流れ込んだ。18世紀後半から19世紀、「ノヴォロシア」、新ロシアと呼ばれた土地だ。今のオデッサ州、ミコライウ州、ヘルソン州、ザポリージャ州、ドネツク州、ルハンスク州、そしてクリミアだ。時期によってはロシアのロストフ州やクラスノダール地方まで入ったこともある。ロシアが開拓の手を伸ばし、ソ連の工業化がガンガン進んだ。ロシアとの絆が強い。今、ロシアがここを握る土台になっている。
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ウクライナの西部、中央部、南部、西部を示すResearchGateの地図 |
だから、ロシアが「東部や南部4州は俺のものだ」と叫ぶのは、ソ連時代の複雑すぎる国境と、ノヴォロシアの歴史を盾にしている。だが、ウクライナ全体の魂を映しているかと言えば、怪しいものだ。西側や中央は「ふざけるな」と怒り、南東部はロシアに寄る人々が多い。このギャップだ。ウィトコフ特使の発言を「ロシア寄り」と切り捨てるのは簡単だ。だが、ソ連の残した厄介な遺産と、地域のバラバラな顔を見れば、そんなに単純ではない。
しかし、2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻したこと、この戦争の始まりとその後のドンパチは、このような歴史や地域の違いなど関係ない。ロシアの一方的な侵攻だ。国連憲章をぶち破り、領土を踏みにじった。本来侵攻などという乱暴な手ではなく、外交でなんとかする道があったはずだ。これは、間違いなくロシアの過ちだ。
だが、今は停戦のテーブルにつく時だ。ここまでの戦争責任はハッキリさせつつも、歴史のゴタゴタや地域のリアルを無視するわけにはいかない。双方の言い分をぶつけ合い、現実的で正しい落としどころを探るしかない。ウクライナのいろいろな顔と、地域の住民の声を踏みにじるような押し付けはダメだ。交渉で未来を切り開くべきだ。
ソ連時代の災厄の精算は、冷戦を経て終わったかにもみえたが、実は終わっていなかったのだ。ソ連が残した歪んだ国境と地域の対立をきちんと見据えないと、精算なんて夢のまた夢だ。そうでなければ、新たな災いの火種を残すことになる。
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