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2018年8月11日土曜日

原爆投下は「人類の悲劇」ではない 政府もマスコミも冷戦の歴史を直視しよう―【私の論評】今や二周回遅れの日本国憲法では現在の世界情勢にそぐわない(゚д゚)!

原爆投下は「人類の悲劇」ではない 政府もマスコミも冷戦の歴史を直視しよう

原爆ドーム 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

 毎年この季節になると、広島と長崎の犠牲者を慰霊して、原爆投下を「人類の悲劇」として語る式典が行われるが、彼らは何を祈っているのだろうか。それが悲劇だったことは間違いないが、「人類」が原爆を投下することはできない。投下したのは米軍の爆撃機であり、民間人に対する無差別爆撃は国際法違反である。

 しかしアメリカ政府がその責任を認めたことはなく、もちろん謝罪したこともない。日本政府も、原爆投下の責任にはまったく言及しない。NHKが毎年放送する原爆の特集番組でもアメリカの責任は追及しない。こういう思考停止は、そろそろやめてはどうだろうか。

原爆投下はポツダム宣言の前に決まった

 この不自然な歴史解釈を生んだのは占領統治である。占領軍が原爆を正当化するのは当然で、日本政府もそれに従うしかなかった。占領軍が検閲していた時代には、マスコミも「悪いのは原爆投下ではなく戦争を起こした日本だ」と報道するしかなかったが、占領統治が終わったあとも、そういう自己欺瞞が身についてしまった。

 原爆投下は1945年秋に予想されていた本土決戦で日米に多くの犠牲が出ることを避けるためにやむなく行われた作戦であり、「原爆投下によって戦争が早期に終結し、数百万人の生命が救われた」というのが、今もアメリカ政府の公式見解である。

 それを承認したトルーマン大統領は、回顧録で「1945年7月26日にポツダム宣言を出したのは、日本人を完全な破壊から救うためだった。彼らの指導者はこの最後通牒をただちに拒否した」と、あたかもポツダム宣言を受諾しなかった日本政府に責任があるかのように書いているが、これは因果関係が逆である。

 ポツダム宣言で日本に無条件降伏を呼びかけてから、広島に原爆を落とすまで、わずか2週間足らず。日本政府が公式に回答する前に投下されている。スティムソン陸軍長官が原爆投下を決定してトルーマンが承認したのは7月25日、つまりポツダム宣言の発表される前日だった(長谷川毅『暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏』)。

 原爆投下の飛行計画は8月上旬と決まっていたので、それに合わせて急いでポツダム宣言を出したと考えることが合理的である。

「国体護持」で遅れた日本政府の決定

 日本政府は、ポツダム宣言を「ただちに拒否」したわけではない。鈴木貫太郎首相が宣言を「黙殺」したと報じられ、それをトルーマンは拒否と解釈したが、これは日本政府の公式回答ではなかった。宣言の内容が重大なので、コメントしなかっただけだ。

 日本政府が困惑したのは、「国体」が護持できる保障がないことだった。ポツダム宣言は「日本国国民が自由に表明した意思による平和的傾向の責任ある政府の樹立」を求めており、朝廷の維持を保障していなかったからだ。

 スティムソンの起草したポツダム宣言の原案では、政府の形態として「現在の皇室のもとでの立憲君主制を含む」という言葉があった。これは日本の早期降伏を促すものだったが、統合参謀本部がこの言葉を削除してしまった。

 日本軍にとっては「決号」作戦と呼ばれた本土決戦が既定方針だったので、それを変更するには重大な情勢の変化が必要だった。昭和天皇は6月22日の御前会議で「戦争の終結に就きても此際従来の観念に囚はるゝことなく、速に具体的研究を遂げ、之が実現に努力せむことを望む」と、政府首脳や大本営に申し渡した。

 これは本土決戦の方針を見直せということで、軍も反対しなかった。つまり実質的な「聖断」は6月に下っていたのだが、それは大きな方針転換なので、秘密裏に終戦工作が行われていた。

 原爆投下がなくても、当時すでに日本の敗戦は決定的になっており、決号作戦は物理的に実行不可能だったが、ポツダム宣言が問題を複雑にした。国体護持をめぐって不毛な論争が始まり、貴重な時間が空費された。

 こうして終戦工作に手間どって終戦の決定が8月まで遅れている間に、原爆が投下された。8月10日の御前会議における天皇の「聖断」は、数の上ではぎりぎりの多数決だったが、内容は既定方針の確認だった。その決定に際して原爆投下とともに、8月9日のソ連参戦が大きな意味をもった。

 あと半年、降伏が遅れていたら、日本は朝鮮半島のように分割されたかもしれない。日本を英米中ソで4分割する案も、アメリカ政府で検討されていた。1945年8月は日本が分割されないで戦争を終結する、ぎりぎりのタイミングだった。

周回遅れだった日本国憲法

 トルーマンがスターリンの署名なしにポツダム宣言を出したのは、ソ連参戦の前に日本を降伏させ、アメリカが占領統治の主導権を握るためだった。それを加速させる原爆投下はアメリカにとっては必要であり、それは冷戦の始まりだった。

 1945年は、国際的な座標軸が大きく転換した過渡期だった。ルーズベルト大統領はスターリンを信頼しており、米ソが敵対するとは考えていなかった。トルーマンも当初はそう考えていたが、ドイツが5月に無条件降伏した後、ソ連は東ヨーロッパをまたたく間に軍事的に制圧した。

 それに続いてソ連が日本に参戦することは(ヤルタ会談の密約で)明らかだったので、トルーマンは戦争終結を急いだ。イギリスのチャーチル首相は1946年3月に「鉄のカーテン」演説で冷戦の開始を宣告した。わずか1年足らずで、ソ連は同盟国から仮想敵国に変わったのだ。

 この大転換の最中の1946年3月にできたのが、日本国憲法である。それは冷戦の始まる直前の、米ソが平和共存できるという幻想を「凍結」したようなものだ。そのときすでに冷戦は始まっていたのだが、日本はこの周回遅れの憲法を改正できないまま現在に至っている。

 原爆投下は冷戦の序曲であり、アメリカの世界戦略の一環だった。だがトルーマンは広島と長崎の被害の大きさに驚き、1945年8月10日に「大統領の許可なく原爆を投下してはならない」という命令を出した。

 原爆投下は人類の悲劇ではなく、アメリカの戦争犯罪である。それが終戦を早めて救った命もあるが、犠牲は余りにも大きかった。今さらアメリカに謝罪を求める必要もないが、日本が反省する筋合いはないのだ。

【私の論評】今や二周回遅れの日本国憲法では現在の世界情勢にそぐわない(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事には、日本国憲法とは、冷戦の始まる直前の、米ソが平和共存できるという幻想を「凍結」したようなものであり、そのときすでに冷戦は始まっていたのですが、日本はこの周回遅れの憲法を改正できないまま現在に至っているとあります。

そうして、現在の日本は周回遅れどこか、今や二周回遅れの日本国憲法を改正できないまま現在に至っていると言っても過言ではありません。

「冷たい戦争(Cold War)」の略語である冷戦。米国を中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした共産主義・社会主義陣営の対立構造を指し、第二次世界大戦直後の1945年から、1989年のマルタ会談まで、およそ44年間続きました。

第二次世界大戦が起こる前、米国とソ連は目立って対立関係にはありませんでした。双方ともに、敵国はドイツであり日本だったため、お互いを敵視してはいなかったのです。

1945年2月、米国・英国・ソ連の3国によって、戦後の国際政治体制に関する話しあいがおこなわれました。いわゆる「ヤルタ会談」です。

メンバーは、米国大統領・ルーズベルト、英国首相・チャーチル、ソ連共産党指導者・スターリン。彼らは敗戦が明らかであるドイツと日本への対応を取り決めます。その際ソ連は、ドイツに占領されていたポーランドや、バルト三国など東ヨーロッパに対して力を持とうとしていました。

戦中、特にドイツとの戦いで2500万人以上もの犠牲者を出し、疲弊状態に陥っていたロシアにとって、東ヨーロッパで影響力を持つことには大きな意味があったのです。

これについて米国は、ソ連の領土拡大になりはしないか、社会主義国が強大になりはしないか、と危惧危機感を抱くことになるのです。しかしヤルタ会談の結果、ドイツは東西に分割され、東ヨーロッパ諸国にはソ連が駐留して社会主義勢力が拡大していきます。

ちょうど東西ドイツの間で、アメリカを中心とする西側諸国とソ連を中心とする東側諸国とに分かれ、冷戦の体制が整いました。この様子をチャーチルは「鉄のカーテン」と表現しています。

資本主義と社会主義、どちらが世界のリーダーシップをとるのか、武力による争いをするわけではなく、大国同士が直接ぶつかり合うわけではないが理解しあうこともないという状況が続きます。
 
第二次世界大戦に敗戦し、米国、英国、仏国、ソ連によって東ドイツと西ドイツに分断されたドイツ

1945年に東西に分かれたドイツ。西ドイツは資本主義国家として経済成長を遂げる一方、東ドイツはソ連の影響を受け社会主義に染まっていきました。経済格差は日ごとに大きくなっていきます。

より良い暮らしを求めて西側へ移ろうとする人が後をたたず、危機感を覚えた東ドイツは、1961年8月に一夜にして「ベルリンの壁」を建設しました。

この壁は冷戦の象徴となります。

建造中のベルリンの壁

確かに米国とソ連は、直接戦ってはいません。ただ当時の世界各国は、まるで見えない力に誘われるかのように、米国側につくのかソ連側につくのか、その姿勢を問われたのでした。

朝鮮戦争やベトナム戦争、アフガニスタン紛争、キューバ危機など、実際の戦争に繋がってしまったケースも少なくありません。これらは米ソ冷戦の「代理戦争」とも呼ばれています。

そんななか1985年に、ソ連の共産党書記長にゴルバチョフが就任します。彼は社会主義経済を立て直すための改革「ペレストロイカ」を掲げ、これをきっかけに東ヨーロッパ諸国でも自由化を求める声が高まっていきました。

この動きは東ドイツにも派生し、ついに1989年11月、ベルリンの壁が取り壊されることとなったのです。およそ28年間もの間分断されていたドイツは、東西統一に向けて歩みはじめました。

ベルリンの壁が崩壊した翌月の12月2日、アメリカのブッシュ(父親)大統領とソ連のゴルバチョフの書記長の会談が地中海のマルタで実現。冷戦の終結が宣言されました。

米ソ首脳会談で冷戦の終結を宣言したブッシュ米大統領(左)とゴルバチョフ書記長(右)

冷戦の終結宣言は、その後の世界に大きな影響を与えました。

まずソ連。さまざまなクーデターが起き、これまで抑え込んでいたバルト三国が独立の動きをみせ、ペレストロイカは頭打ちとなります。1991年12月にソ連が崩壊し、ロシア連邦が誕生しました。

ソ連が崩壊したことで、世界はアメリカ一強時代に傾くかと思われました。ロシアも資本主義に傾き、両国の関係も穏やかなものとなっていったのです。ただし、実際にはソ連が冷戦に敗北したといっても良いです。

ところが、2000年代になると、再びロシアが影響力を誇示しはじめます。アメリカの一極支配を警戒し、反米的な中南米諸国や中国、イランなどとの関係を強めようと動いていくのです。

これを「新冷戦」または「第二次冷戦(Second Cold War)」といいます。アメリカとロシアの新しい関係は世界に緊張をもたらすほか、宇宙開発やインターネット技術の躍進など、さまざまな分野における革新の原動力となり、それは2018年現在も続いているといえるでしょう。

ただし、現在のロシアはかつての冷戦を起こすほどの力はありません。ソ連の後継とみられるロシアについては日本では超大国などとみられていますが、実体はそうではありません。

ロシアは大量の核兵器を保有する核大国ではありますが、もはや経済大国ではありません。ロシアの名目国内総生産(GDP)は1兆5270億ドル(約171兆円)、世界12位にすぎないです。中国の約8分の1にとどまり、韓国にさえ若干下回っています。

韓国といえば、韓国のGDPは東京都のそれと同程度です。ロシアのGDPはそれを若干下回るというのですから、どの程度の規模かお分かりになると思います。さらには、人口も1億4千万人であり、これは日本より2千万人多い程度であり、中国などとは比較の対象にもなりません。

輸出産業はといえば、石油と天然ガスなど1次産品が大半を占め、経済は長期低迷を続けています。

現在の実態は汚職と不況、格差拡大にのたうち回っている中進国なのです。そんな国だから、米国に真正面から対決して、世界の覇権を握ろうなどという気はありません。というより、できません。

プーチンロシア大統領は、明らかにロシアをかつのソ連のような大国にしたいという強い意志があるようですが、もしそれがうまくいったとしても、今後20〜30年でロシアが超大国になることはあり得ません。

そしてあと2つ、冷戦後の大きな動きとして、「EU」の誕生と中国の台頭が挙げられます。第二次世界大戦後、低迷が続いていたヨーロッパ諸国は、統合することで復権を目指しました。

動き自体は戦後すぐはじまっていましたが、発足が実現したのは1993年のこと。2002年に統一通貨「ユーロ」が導入され、新体制で経済復興への道を歩んだのです。

そうして最後に、一つ忘れてはならないのは、中国の台頭です。中国は、現在では世界第2の経済大国へと躍り出ました、ただし一人あたりのGDPはまだ低く、ロシアよりも若干低いくらいで、やはり中進国の域をでていません。

とはいいながら、最近は経済成長は衰えてはいるものの、今後も伸びていく可能性もあります。

そうして、ここで重要なのは、米国が暫く前から、中国は米国を頂点とする戦後秩序を変えようとしていると警告を出していたのですが、中国自らがそれを認めたことです。

それについては、このブログでも以前掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
中国がこれまでの国際秩序を塗り替えると表明―【私の論評】中華思想に突き動かされる中国に先進国は振り回されるべきではない(゚д゚)!
ドナルド・トランプ米大統領(左)と中国の習近平国家主席
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事から一部を引用します。
米国政府は中国に対してここまでの警戒や懸念を表明してきたのである。これまで習近平政権はその米国の態度に対して、正面から答えることがなかったが、今回の対外戦略の総括は、その初めての回答とも呼べそうだ。つまり、米国による「中国は年来の国際秩序に挑戦し、米国側とは異なる価値観に基づく、新たな国際秩序を築こうとしている」という指摘に対し、まさにその通りだと応じたのである。米国と中国はますます対立を険しくしてきた。
要するに中国は、自ら新冷戦を起こすと宣言したのです。これに米国が対応して、まずは貿易戦争を開始したのです。

冷戦がすでに始まった後の 1946年3月にできたのが、日本国憲法です。これは冷戦の始まる直前の、米ソが平和共存できるという幻想に基づいたお花畑のようなものでした。日本はこの周回遅れの憲法を改正できないままに、ソ連は崩壊しました。

ソ連が崩壊した後にできたロシアは先にものべたように、とても冷戦を起こせるような器ではありません。それに変わって台頭してきたのが中国です。南シナ海の環礁を実行支配し、台湾に迫り、尖閣諸島付近で示威行動を繰り返し、一帯一路で他国を取り込もうとしている中国はすでに冷戦を開始したといっても過言ではありません。

二度の冷戦が始まる前の、米ソが平和共存できるという幻想に基づいたお花畑のような、日本国憲法を日本は未だ改正できないままです。

今や日本国憲法は、二周回遅れの代物であり、とても現在の世界情勢に対応できるものでありません。すぐにでも、まずは憲法解釈を変更すべきですし、そうして一日でもはやく改憲すべきです。

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2017年10月30日月曜日

北朝鮮に核放棄させる奥の手、「日本の核保有」論議―【私の論評】核論議のために歴史を直視せよ(゚д゚)!

北朝鮮に核放棄させる奥の手、「日本の核保有」論議

石破発言が反発されなかった好機を逃してはならない

 北朝鮮は日本の総選挙中に騒ぎを起こすのは得策でないとみていたのだろうか。核実験や弾道ミサイルの発射などを行わなかった。

選挙中には発射されなかった北朝鮮のミサイル 写真はブログ管理人挿入
 米国は本土への北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM) の完成・配備の脅威を目前にして、石油の全面禁輸をはじめとした安保理決議を目指したが、北朝鮮の暴発を怖れる中露の反対により上限の設定で決着した。

 これにより北朝鮮は体制崩壊を免れ、水爆弾頭付のICBMを持つ可能性が大きくなってきた。水爆実験成功後の金正恩委員長の言動をみても、核保有国に進む決意が伺える。

 ドナルド・トランプ米大統領の「あらゆる選択肢がテーブルの上にある」との発言を、日本人は軍事行動も意味していると受け取っているが、米国の一部には核容認論が出始めていることを忘れてはならないだろう。

北朝鮮のICBM装備で日本丸裸

北朝鮮は米国が攻撃体制を完備しないうちに核兵器の小型化と米国を射程に収める弾道ミサイルの実験・配備に注力している。

 火星12がグアムなどを射程範囲に収め、火星14が米大陸の西海岸を、そして、細部は不明ながら火星13が東海岸をカバーする。北極星3号は潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)で、不意急襲的に西海岸であろうと東海岸であろうと、目標を自由に選定できることを狙っている。

開発中の火星13とみられる北朝鮮のミサイル
 北朝鮮が核弾頭付ICBMを装備した場合、米朝間では相互確証破壊(MAD)戦略が機能して米国が攻撃されることは避けられるが、日本にとっては最悪となる。

 米国はICBMによる核の傘を日本に差しかけてきたが、ICBMが機能しないと「核の傘」が開かず、日本は北朝鮮の中距離弾道ミサイル(IRBM)などの脅威に直面するからである。

 北朝鮮は国連制裁にもかかわらず、核もミサイルも継続すると公言している。それができるのは、国連制裁が骨抜きになっているからである。

 「石油の一滴は血の一滴」と言われるように、近代国家における「油」断は国家の滅亡につながる。日本が米国に宣戦布告したのも米国が石油禁輸に踏み切ったからであった。中国もロシアもそのことを知っているから、石油の全面禁輸に強硬に反対してきた。

 後述するように、国連制裁で石油製品などが30%削減されるというが、原油は従来どうりで北朝鮮に時間的余裕を与えるにすぎない。それでは核・ミサイルの廃止どころか、時間を与えて完成を促しているようなものでしかない。

 北朝鮮の意思を変更させることができない日本は国連や米国と共同歩調で圧力をかける方法が最善で現在も行っているが、中露の抜け穴が防げない現実に直面している。

国連制裁の概要

9月3日の核実験(第6回目)の規模は160キロ~250キロトンの水爆とみられ、国際社会に大きな衝撃を与えた。従来は安保理制裁決議に1か月超の期間を要したが、今回は1週間余であったことが衝撃の大きさを表している。

 米国は当初北朝鮮への石油の全面禁輸を提案していたが、9割を輸出している中国は依然として話し合いを重視し、国際社会の圧力強化に向き合っていない。ロシアも北朝鮮制裁に関しては反米親中的な姿勢をとりつづけている。

 このために年間原油供給量は過去12か月の総量内、天然ガス液や軽質原油コンデンセート(天然ガス副産物)の輸出禁止、石油製品の調達は2018年以降、年間上限200万バレルなどとなった。

 北朝鮮に対する制裁決議採択は9回目であるが、これまでは金融取引凍結や、民生に影響を及ぼさない範囲で北朝鮮の石炭・鉄鉱石などの輸入を禁止することなどで、石油の輸出は含まれていなかった。

 今回は石油の制限措置が初めて盛り込まれ、決議が厳格に履行されれば石油関連の輸出の約3割が削減されることになるとされる。

 外貨獲得の主要産業となっている繊維製品の輸出も禁止され、すでに禁輸対象とされている石炭などと合わせると9割以上が制裁対象となったことになる。このほか、新規の海外派遣労働者も原則受け入れ禁止となった。

 ところで、制裁は効果を上げるのだろうか。中国税関総署発表によると中国からの9月単月の輸出は前年同月比で約7%減少しているが、1~9月の累計では前年同期比は約21%増で、制裁効果は限定的となっている。

 制裁決議が採択されると、関係国は履行状況の報告義務が生じるが、2016年における2回の安保理決議では193カ国の半数以下でしかなく、制裁の履行状況がつかめないのが実情のようだ。

核ミサイル開発に賭けてきた北朝鮮

金正恩党委員長は2012年に党のトップに就任以来、核開発と共に国民が飢えないように経済の改善を図る「並進路線」をとるとしてきた。

 しかし、実際は毎年のように、しかもますます頻繁にミサイル発射を行い、今年9月9日の建国69周年の祝賀行事に出席せず、別会場で開かれた「水爆実験の成功」を祝うパーティに参加した。

 パーティでは核・ミサイル実験に携わる科学者や技術者多数を特別に招いた祝賀講演まで開催した。金委員長が核兵器研究所長と腕を組んで酔歩よろしく歩く場面の報道からは、水爆成功をいかに重視していたかが分かる。

「水爆実験の成功」を祝うパーティに参加した金正恩
 このパーティで、金委員長は「水爆の爆音は艱苦の歳月を、ベルトを引き締めながら、血の代償で成し遂げた朝鮮人民の偉大な勝利だ」と強調した。

 米国を恐怖に追い込むほどの「偉大な勝利」であるが、その一方で経済の改善を図るどころか、空腹に耐え(「ベルトを引き締め」の意)させる艱難辛苦を人民に強いることになったと白状したのである。

 米国の研究機関は、中国からの石油供給が絞られても、北朝鮮は民間用の石油消費を40%まで減らすなどして、核・ミサイル開発への当面の影響はほとんどないとの見通しを示している

 事実、制裁は一段と厳しくなるが、金委員長は「無制限の制裁封鎖の中でも国家核戦力完成をいかに達成するかを(国際社会に)はっきり見せつけるべきだ」と語っている。

米国の姿勢の変化

ロナルド・レーガン大統領の時代から「アメリカは日本を助けるのに、なぜ日本はアメリカを助けないのか」という国民の不満が大きくなってきたと言われる。

 NATO(北大西洋条約機構)諸国に対しては、対GDP比2%の国防費を要請しているが、日本に対しては明示的ではない。

 トランプ大統領は予備選のときから声を大きくして、「米国の若者を犠牲にしてなぜ日本を守らなければならないか」という趣旨の発言を繰り返していた。

 核兵器に関しても「米国は世界の警察官ではない。米国が国力衰退の道を進めば、日韓の核兵器の保有はあり得る」とニューヨーク・タイムズに語っている。

 就任前の発言であり、戦略的に、あるいは政治的に考慮して発せられた発言かどうかは判然としないが、大統領候補の頭にあったこと、そしてその人が大統領になったことは銘記すべきであろう。

 日米間には原子力協定があり、核物質の軍事利用については米国の承認を得る必要がある。したがって、日本が「核兵器」と関わるにあたっては初期の段階から米国の監視下に置かれることは言うまでもない。

 そうした中で、次期首相にいちばん近いと言われている石破茂元自民党幹事長が、「米国の核の傘に守ってもらいながら『日本国内には置かない』というのは本当に正しいか」と非核三原則に言及(2017年9月6日、テレビ朝日))した。

テレビ朝日で非核三原則について言及した石破氏
 産経新聞(9月16日付)「単刀直言」で「日本が核を持つ選択肢はないと思います」と述べ、「危ない核保有論者」と言われないように予防線を張っているが、核についての発言は注目に値する。

 北朝鮮の暴走を前にして、Jアラートで避難訓練が行われ、核シェルターが話題になりつつあることなどから、国民もマスコミもさほど大きな反発の声を上げなかった。

日本の生きる道

小渕恵三内閣の西村真悟防衛政務次官が週刊誌で「(核武装について)国会で検討してはどうか」と発言して辞任に追い込まれた当時とは大きな様変わりである。

 第1次安倍政権時の中川昭一政調会長が「核保有の議論は当然あっていい。憲法でも禁止していない」と発言すると野党が盛んにバッシングし、ジョージ・W・ブッシュ米国大統領は「核の傘」の有効性で牽制し、また「中国の懸念を知っている」とも語り、北朝鮮の核に無関心の体である中国も、「日本(の核)」となると簡単ではないと指摘した。


 米国の相対的な軍事力の低下や北朝鮮が日々見せつける現実的な脅威、さらには中国の南シナ海や尖閣諸島における傍若無人的な振る舞いなどから、日本の指導的地位にある人や国民の間に意識の変化が生じているのが見て取れる。

 安全保障では、無関心派や米国頼みの国民が多かったが、北朝鮮などからの脅威の増大で「日本は日本人で守る」という気概が芽生えているということであろう。

 ジョージ・ワシントン初代大統領が「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」と言ったことや、現代の米国が常に国益を追求して戦争もしばしば行ってきたことを思い起こせば、なおさら「自分の国は自分で守る」という意識は正常である。

 日本では憲法9条の不戦条項と唯一の被爆国ということから、脅威が現に存在する事実さえ直視しようとしない感情論が先に立ってきた。
 核を保有するかしないかはともかくとして、「核(開発・装備)もテーブルの上にある」といった戦略的かつ政治的発言で、中ロを動かす必要がある状況になりつつあるのではないだろうか。

 先の総選挙絡みで行われた世論調査では、非核三原則を見直すかどうかを議論することについては、「議論すべきだ」は「そうは思わない」(回答の一例43.2%:53.7%)より低く、否定的な回答が目立っていた。

 ただ、「思わない」という人には、「核をなぜ議論のテーブルに上げようとするのか」という国家戦略や外交交渉上の視点は考慮に入っていないのではないだろうか。

おわりに

日本には「核論議」というだけで、拒否反応を示す人が多い。そこで、本心はどこまでも非核であることを内心に秘めながら、中ロを北朝鮮の非核化のために行動させるため政府と国会で丁々発止の議論を行い、日本の真剣度を見せつける。

 そうした高度の戦術を駆使しないと外交交渉は成り立たない。口先だけと思われては中ロを本気にさせることはできない。

 これまで北朝鮮が外交交渉で巧み(?)に振る舞ってきた外交術を逆に取り入れて、日本は「核論議」から「核武装」へ進むぞといった構えを見せ、議論の掌で中露を躍らせるのも考えるべき戦略ではなかろうか。

 多くの議員たちも個人的には「論議の必要性」を認めながらも、世論と保身という壁に挟まれて言い出せない場合も多いに違いない。

 その点、石破議員が制約つきではあるが、核問題で「議論すべきではないか」と言い出したことは勇気ある提言と見るべきである。

 核問題を言い出したから、危険人物と決めつけないで、むしろ「日本の安全」を机上の空論でしかやらない政治屋(Politician) でなく、タブーを排除して誰よりも真剣に考えている政治家(Statesman) と見てはいかがであろうか。

 なお、日本は米国に矛の役割と戦略防衛上の兵器を依存している負い目から、ともすれば主権を蔑にした交渉を受け入れたりしてきた。

 ロン・ヤス関係も小泉・ブッシュ関係も、米国の国益に資する環境づくりに日本が致され、日本の国益を蔑にした感が強い。

 特に小泉首相は「民でできることは民で」と叫び、解散・総選挙までして郵政民営化を行った。しかし、その発端が米国のイニシアティブであったことを国民どころか多くの議員も知らされていなかった。

 良識ある一部の議員は抵抗したが離党し、あるいは刺客にやられてしまった。そして、今、国民の貯金という膨大な日本の国富が米国に吸い上げられるシステムが確立している。

 安倍首相にはトランプ大統領とくれぐれもウィン・ウィンの関係を築いてほしいと願いたい。

【私の論評】核論議のために歴史を直視せよ(゚д゚)!

日本では、本当に非核三原則が守られてきたのかどうか、民主党政権時代にはそれについての調査が行われたことがありました。

2009年9月16日、核兵器持ち込みなどに関する日米間の四つの密約の調査を岡田克也外相が実施をさせました。

当時の岡田外務大臣
当時の与党民主党は総選挙中に、核密約の調査を公約していました。岡田外相の指示は、この公約を新政権発足後ただちに実行したものです。

岡田氏が調査を命令した四つの密約のうち、核持ち込みに関する密約(1960年)、朝鮮半島有事の際の軍事行動に関する密約(同)、72年の沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する密約(71年)の三つは、すでにアメリカ側の解禁文書で、その存在が明らかになっていました。

沖縄返還時に結ばれた、有事の際の核持ち込みに関する密約は、沖縄返還交渉で佐藤栄作首相の密使を務めた若泉敬・京都産業大教授(故人)が、著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(94年刊)で、その存在を明らかにしました。

自公前政権までの歴代政権は、これらのすべてについて、一切の調査を拒否し、その存在を否定してきました。同年6月には、4人の歴代外務次官経験者が核持ち込み密約の存在を確認(共同通信記事)。同月末には村田良平元外務次官が初めて実名を出して、同密約の存在を認めました。その他の外務省元高官や首相経験者らも、同密約の存在を事実上認める発言をしています。
当時の岡田外相が調査命令における四つの密約とは以下のようなものでした。

核持ち込み密約
核兵器を積んだ米艦船・航空機が、日米安保条約に規定された日本政府との事前協議抜きに、日本国内に自由に出入りできるという密約です。1960年に安保条約が改定された際に、日米間で「討論記録」という形で合意され、63年の大平正芳外相とライシャワー駐日米大使の会談で、その位置づけが明確にされました。
朝鮮有事密約
朝鮮半島で武力衝突が起こった時には、在日米軍は国連軍として行動するため、日本からの戦闘作戦行動への発進であっても、事前協議なしに発進できるという密約です。
沖縄核持ち込み密約
1972年の沖縄返還後も米軍が核兵器をふたたび持ち込むことを認めた密約。日本側の秘密交渉役だった若泉敬・京都産業大教授(故人)が著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で、69年11月21日に行われた日米首脳会談前に、自身とキッシンジャー大統領補佐官が密約交渉を進めたことなどを暴露しています。 
同書は、首脳会談9日前の11月12日に、キッシンジャー氏から手渡された極秘の「合意議事録」草案(英文)も紹介。草案は、「極めて重大な緊急事態が生じた際には、米国政府は、日本国政府と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とするであろう」と述べています。 
文書はさらに、「米国政府は、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリー基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できることを必要とする」として、核持ち込み時に使用する基地の名前を挙げています。
07年8月には、若泉氏の主張を裏付ける文書が米国立公文書館で発見されています。
沖縄補償肩代わり密約

71年に日米両政府が調印した沖縄返還協定の交渉をめぐり、米軍が接収した土地の原状回復や、米軍施設移転など、本来米国が負うべき巨額な財政負担を、日本政府が肩代わりすることで合意した密約。当時、外務省アメリカ局長として交渉にかかわった吉野文六氏が、密約の存在を認めています。今年3月に、国内のジャーナリストや作家らが、合意文書の公開を求め、東京地裁に提訴しています。

外相の調査命令(全文)
岡田克也外相が16日に外務省の藪中三十二事務次官に対して命じた「いわゆる『密約』問題に関する調査命令について」の全文は次の通り。◇ 
外交は国民の理解と信頼なくして成り立たない。しかるに、いわゆる「密約」の問題は、外交に対する国民の不信感を高めている。今回の政権交代を機に、「密約」をめぐる過去の事実を徹底的に明らかにし、国民の理解と信頼に基づく外交を実現する必要がある。 
そこで、国家行政組織法第10条及び第14条第2項に基づく大臣命令により、下記4点の「密約」について、外務省内に存在する原資料を調査し、本年11月末を目処に、その調査結果を報告することを求める。 
なお、作業の進捗状況は随時報告し、必要に応じて指示を仰ぐよう併せて求める。 
 一 1960年1月の安保条約改定時の、核持ち込みに関する「密約」 
 二 同じく、朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」 
 三 1972年の沖縄返還時の、有事の際の核持ち込みに関する「密約」 
 四 同じく、原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」
さて、この当時の民主党政権は密約があったことに関して、大騒ぎをしていました。しかし、このような密約があるのは当然といえば、当然でした。

憲法九条ではなく日米安保条約のおかげで戦後日本の安全が保たれたことなど、狂信者以外誰でも知っている事実でした。

米国の核の傘がなければ、中国・ロシア・北朝鮮に脅され放題であったはずです。

では、非核三原則とは一体何なのでしょうか。見ざる!言わざる!聞かざる!だったのではないでしようか。当時から、誰も見たり、言ったり、聞いたりはしないものの、当然米国は日本に核を持ち込める状態にあると、誰もが了解していたのではないでしょうか。

日光東照宮の三猿
見ざる言わざる聞かざるという言葉の意味は、「余計なことは見ない、言わない、聞かない」ということです。

また、子供に対しては「子供の頃には悪事を見ない、言わない、聞かない方が良い」という教えであり、大人に対しては「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かない方が良い」という教えにもなっています。

インドのマハトマ・ガンディーは、いつも三猿の像を身につけていて、「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」という教えを授けたといわれています。

また、「見猿 言わ猿 聞か猿」というように、「猿」の字を使うこともあります。これは、世界的にも有名な日光東照宮の三猿(さんざる、さんえん)の彫刻が思い起こされますね。

もう、我々は米国の核の傘がなければ、日本の平和と安定もなかったという事実を受けとめ、狂信者らの騒音を「世論」と呼ぶのはやめるべきなのです。このようなものを世論と呼んでいては、真の国民「輿論」が沈黙するだけです。

日本は言論の自由がある国である。核武装することと核武装について議論することは別であす。議論を封じることによって核武装そのものを否定するのは自由主義の国のやりかたではありません。

 戦争をしたくないならば、以下の二つのことをしなければならないです。
第一に戦争について真剣に議論をすることです。
第二に戦争の準備を死に物狂いですることである。
日頃、核武装せよなどと主張している人は、「よくぞ悲惨な世論状況の中で密約を守った」と歴代政権を弁護すべきです。

「文書を正式に破棄したわけではない」。対日政策に携わる米政府当局者は2010年に、1960年の日米安全保障条約改定時に日米双方が署名した秘密議事録について、法的には今も有効との見方を示しました。

秘密議事録は、安保改定前に行われていた、米軍運用をめぐる「現行の手続き」が、日本側に発言権を認めた事前協議の対象とはならない点を明記。米軍は53年から核搭載艦船を日本に寄港させていた経緯があり、核搭載した艦船や飛行機の日本への立ち寄りについて米側は「日本との事前協議の必要はない」との立場を堅持してきました。
それまで極秘扱いだった秘密議事録は、日本側が2010年3月に日米密約調査の結果を公表した際、その存在が明らかにされ、外務省内で原本は見つかりませんでしたが、写しが公開されました。
 
冷戦終結に伴う米核政策の変更で核搭載艦船が日本を訪れることはなくなりましたが、核装備した軍用機が朝鮮半島有事などで飛来することは今でも十分にあり得ます。その際に重要となるのが秘密議事録であり、米軍がこれを盾に日本への相談なしで核を持ち込む可能性もあります。

なお密約調査を主導した当時の岡田克也元外相も秘密議事録は「基本的に有効」との認識を表明していました。

我々は、歴史を直視し、まともな核武装論議をすべきです。まともな論議をしてこなかったからこそ、今私達は北朝鮮の脅威にさらされているのです。

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