ラベル 野党 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 野党 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年3月10日土曜日

森友文書の書き換え認める 財務省、12日に国会報告―【私の論評】この問題で「内閣総辞職」と言うは「悪いアベをのさばらしておく野党が悪いから、野党幹部は全員辞職すべき」と言うに等しい(゚д゚)!

森友文書の書き換え認める 財務省、12日に国会報告

学校法人「森友学園」が小学校建設を目指していた大阪府豊中市の国有地
 財務省は10日、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書に書き換えがあったと認める方針を固めた。当初の記述を削除した例が複数判明したとの調査結果をまとめ、12日に国会に報告する。関与した近畿財務局の担当職員や本省幹部らの懲戒処分を検討する。野党は「政権の隠蔽体質」への批判を強める構えで、安倍晋三首相や麻生太郎副総理兼財務相の政治責任を問う声が与党で高まる可能性もある。

 決裁文書の国会提出時に担当局長だった佐川宣寿国税庁長官が9日付で辞任するなど混乱が拡大。財務省自らが書き換えの事実を認めることで政権への打撃は大きく、森友問題は重大局面を迎えた。

【私の論評】この問題で「内閣総辞職」と言うは「悪いアベをのさばらしておく野党が悪いから、野党幹部は全員辞職すべき」と言うに等しい(゚д゚)!

財務省による書き換え疑惑に関しては、以前もこのブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
朝日新聞「森友新疑惑」事実なら財務省解体、誤りなら朝日が解体危機か―【私の論評】いずれにしても安倍政権と国民にとっては良いことになる(゚д゚)!
書き換え問題について報じたのは、3月2日の朝日新聞 写真はブログ管理人挿入
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事では、NHKの日曜討論で、野党の一部から「(書き換えが)事実であれば安倍内閣は総辞職すべき」との意見も出たということを受けて、以下のような結論を掲載しました。
相変わらず、無茶苦茶な論理です。極端なことをいうと、犯罪者が一人出たら、その責任は警視庁にあるから、警視庁にあるから、警視総監をはじめ、警視庁全体が辞任せよと言っているのと何も変わりありません。 
そこまでいかなくても、企業組織で、財務部の部員が何か間違いをしでかしたら、取締役会で、取締役がその問題をとりあげ、社長と財務部担当の役員と財務部長は無条件で辞めよと言っているようなものです。 
無論、これらの人々が、大きな不正に直接関わっているというのなら話は別になるのでしょうが、無条件で辞めろなどと、取締役あたりが、発言すれば、それこそその取締役が解任されるかもしれません。 
それに、本当に安倍内閣が辞職したとすれば、また選挙ということになります。そうなると野党はボロ負けすることになります。最初は、一見野党が有利なようにみえても、選挙期間中に事実が有権者に理解されるようになり、それこそ、希望の党があっと言う間に勢いを失ったような状態になることでしょう。 
野党は、昨年の「もりとも」問題追求から一歩も進歩していないようです。 
それにしても、ブログ冒頭の記事の高橋氏が主張するように、財務省解体か朝日新聞の解体かということになれば、どちらに転んでも、安倍政権は無論のこと、国民にとっても良いことになります。
財務省が解体になれば、10%増税は確実に見送られることになると思います。これによって、市場が好感し、株価もあがり、個人消費も伸びることが期待できます。 
朝日新聞が、解体ということになれば、朝日新聞が、朝鮮人女性を「強制連行」し、「従軍慰安婦」にしたとの吉田清治の虚偽証言報道を2014年まで30年以上にわたって放置、訂正することがなかったことなどに象徴される、朝日のフェイク暴動に煽られるような人が減ることになります。 
本当は、両方とも(ついでにNHKも)解体されるのが、一番なのですが、諺に「二兎を追う者は一兎をも得ず」というのがある通りで、今回はどちらか一方が解体されることを期待したいものです。 
これから、どうなっていくのか、まずは6日が楽しみです。
そうして、6日の財務省の答弁では何も明らかにはならなかったわけですが、今回、財務省が学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書に書き換えがあったと認める方針を固めたそうですから、財務省解体の危機もでてきたということです。

ただし、安倍内閣は総辞職すべきであるなどという意見は筋違いです。なぜそのようなことがいえるかといえば、そもそも大本の不手際は近畿財務局によるものだからです。これについては、いわゆる「森友問題」が表面化した当時からこのブログにも掲載しています。その記事のリンクを以下に掲載します。
【共産党研究】民進党と明暗分けた森友問題、支持率わずか1・7%差に 選挙に結びつかない疑惑、スキャンダル追及―【私の論評】頭の悪い新聞と民進党はなぜ無間地獄に陥った?
学校法人「森友学園」の小学校建設用地。校舎を残して売却を検討中だ=大阪府豊中市
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にいわゆる森友問題の本質の部分を掲載します。
森友問題の本質を整理すると、「①森友の前の豊中市への売却時にゴミ問題発覚した、②それを言わずに近畿財務局が森友と交渉、③その結果近畿財務局の値引き」というところです。 
以下は、憶測ですが、②の時点で、ゴミが埋められていることを知った篭池氏は烈火のごとく怒って近畿財務局と交渉したことでしょう。これは完璧に近畿財務局の事務ミスであり、その後篭池氏に対しては頭の上がらない状態になったはずです。これで、篭池氏の一見不可解な行動は、大方説明がつきます。 
ところが、朝日新聞は③近畿財務局の値引きと④昭恵夫人の関与というストーリーを報道するのみで、①と②はマスコミなら知っているはずなのに朝日新聞は報道しません。朝日はなぜ書かないのでしょうか。このことからも朝日新聞は、フェイクニュース機関です。 
これは、調べれば誰でも理解できることであるはずです。このような情報を知っていれば、そもそも森友問題は昭恵夫人や政治家が関与したということもなく、単なる近畿財務局の事務ミスであり、これを追求しても他には何も出てこないことなどすぐに理解できたことでしょう。 
上記①②③は明らかなため、大方のメディアはある時点から、森友学園の報道はやめました。それ変わって、現在は緊迫する北朝鮮状況の報道などが目立ちます。 
これは当然といえば、当然です。民進党と共産党などの野党は、この問題の火付け役となりましたが、国会で問題にするくらいなら、上記に掲載した①、②、③くらいは予め良く調べてからにすべきだったでしょう。 
そのため、全く決め手になるような内容は結局何も出てこず、まるで都市伝説のような展開になってしまいました。
私としては、ゴミについて近畿財務局のいずれかの職員が、錯誤したか勘違いしてゴミが埋まっていることをいわずに篭池氏と交渉したのでしょう。これが森友問題の本質であると考えられます。

これが、本質であるか否かはあくまで憶測に過ぎないですが、前後関係を見ていればそれ以外には考えられません。このあたりのことは、大阪地検特捜部の今後の捜査で明らかになるはずです。

近畿財務局

この本質部分は、ある程度明白だったにもかかわらず、マスコミは近畿財務局の値引きと、昭恵夫人の関与というストーリーを報道するのみで、最近になってようやっと朝日新聞が近畿財務局に迫ったということです。それにしても、あまり良い迫り方ではないです。本来であれば、もっとはやくに近畿財務局に切り込むべきだったでしょう。

しかし、マスコミや野党は、それでは最初から近畿財務局の問題となってしまい、倒閣運動に結びつけたり、与党に対する悪いイメージをつけるという彼らの本質からみれば外れてしまうということで、近畿財務局への切り込みは意図的にか行ってこなかっのでしょう。

ここで公文書の「書き換え」そのものが、近畿財務局内の問題であれば、近畿財務局の局長や幹部が処分されることになるでしょう。財務省もある程度の監督責任くらいは問われるかもしれませんが、厳しい処分は考えられません。

もし、公文書の「書き換え」そのものに財務省本省の人間が関わって入れば、これは財務省自体も幹部の処分が行われることになるでしょう。しかし、これもどの程度になるかは、今後の大阪地検などの捜査や政府等の調査次第であると考えられます。

財務省の決裁文書「書き換え」疑惑の“前例”といえる違法行為が、民主党政権の2010年に発覚していました。厚労省東北厚生局の職員が、情報公開法に基づき開示した文書を改竄(かいざん)し、減給の懲戒処分を受けたのです。当時、菅直人内閣の長妻昭厚労相は記者会見で謝罪しましたが、辞任はしませんでした。

改竄されたのは、東北厚生局が、福島県内の柔道整復師の養成専門学校に対して行った実地調査結果に関する文書。

07年に開示請求を受けて公開する際、職員は文書から《未承認のカリキュラムで行っていたため、学則上での授業時間の不足が生じることになる》などと指摘した部分を削除し、一部の行政文書を別の文書に差し替えたとされています。

10年に再び、同じ文書の開示請求があり、請求者が07年の文書にない記述に気付いたといいます。

厚労大臣だった頃の長妻昭氏
東北厚生局の調査では、この職員以外の関与は認められませんでした。発覚時、独立行政法人に移っていた職員は「再三、照会や苦情を受けてノイローゼ気味だった。余計な情報を出さない方がいいと思った」などと説明し、減給1カ月(10分の1)の処分を受けました。

長妻氏は10年6月、処分時の会見で「民主主義の根幹である情報公開制度であってはならないことが起き、おわびする。厳重に再発防止に努める」と述べました。引責辞任はしませんでした。

今回の「書き換え」に関しては、実体がどの程度のものだったのか、関与したのはどの範囲だったのかまで明らかにして、処分を決めることになるでしょう。それにしても、たとえ財務省が関与していていとしても、財務省が厳しい処分を受けることはあっても、内閣総辞職ということはあり得ないです。

もし、そんなことが許されたとすれば、官僚はいつでも公文書改竄で内閣総辞職させることができることになり、それこそ、立憲主義や民主主義に反することになります。

これから、野党の一部は「内閣総辞職」と喚くことになると思いますが、それはあくまで低劣なパフォーマンスにすぎないということを理解すべきです。

そもそも、野党の論理にまともに従えば、立場を変えれば「悪いアベをのさばらしておく野党が悪いから、野党党首や幹部は全員辞職すべき」というような不可思議な論理も成り立ってしまうことになります。

野党は、森友問題に関係のある内閣委員会・外務委員会を審議拒否するのはまだわかりますが、それ以外のものも審議拒否するのは、まともな議論より倒閣を選んだ証拠です。 南北首脳会談が決定直後であり、米朝首脳会談もきまりそうなこの時期に北朝鮮に対する議論を放棄するのはあり得ないです。 仕事する気がないなら議員を辞めるべきです。 野党のせいで1日3億円の国会がまだ無駄になります

率直に言えば、朝鮮半島情勢が動いている中、国会ではもっと有益な議論に時間を使ってほしいものです。

【関連記事】

【共産党研究】民進党と明暗分けた森友問題、支持率わずか1・7%差に 選挙に結びつかない疑惑、スキャンダル追及―【私の論評】頭の悪い新聞と民進党はなぜ無間地獄に陥った?

【メディア政争】大新聞・朝日は一体、どうしたのか “弱者”の声に過剰反応、司法訴え言論で勝負せず―【私の論評】森友・加計事件は、朝日による「安倍疑惑」という大きな捏造である(゚д゚)!

「日本の借金1千兆円」を性懲りもなく煽る人たちの狙いと本音ちょっとは進歩する気がないのか―【私の論評】経済回復のボトルネックと成り果てたNHKは財務省とともに廃棄せよ(゚д゚)!

加計学園報道、もうマスコミは「敗北」を認めた方がいい―【私の論評】現状のままでは野党もマスコミもかつてない程弱体化する(゚д゚)!

国会公聴会で話した「アベノミクス擁護」の理由―【私の論評】雇用の主務官庁は厚生労働省だと思い込む人には、雇用も財政も理解不能(゚д゚)!

2018年1月29日月曜日

「世界のリーダーの品評会」での黒田日銀総裁の発言に失望した理由ここでビシッと決めてほしかったのに―【私の論評】野党、マスコミ、官僚はマクロ政策に目覚めよ(゚д゚)!

「世界のリーダーの品評会」での黒田日銀総裁の発言に失望した理由ここでビシッと決めてほしかったのに…

髙橋 洋一 経済学者 嘉悦大学教授 プロフィール

「問題発言」の内容

スイス東部のダボスで、1月23日から26日まで、世界経済フォーラムの年次総会、いわゆる「ダボス会議」が開かれていた。今年は、トランプ大統領が初めて出席する関係もあり、例にない警備体制だったという。

周知のとおり、トランプ大統領は、再交渉を前提にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への復帰の可能性を示唆した。アメリカが抜けた後、TPP11というアメリカ除きの自由貿易協定が日本のリーダーシップで既に合意しているので、アメリカも焦ってきたのだろう。

筆者は、トランプ自身は自由貿易論者であり、オバマ前大統領主導のTPPという枠組みが嫌いなだけで、かわりに日米FTAなどの自由貿易を提案してくるとみていたが、結局その通りになった。日本としては、日米FTAとTPP12の両方のカードがあるため、アメリカの出方を待って作戦が取るとれるので、トランプ大統領のこのスタンス変更は歓迎だろう。

さて、ダボス会議は世界のリーダーが集まる会議であり、各リーダーの品評会のようなところだ。小泉政権以降、日本の政治家も積極的にダボス会議に参加していたが、今年はちょっと寂しい状況だ。

ダボス会議に出席した日銀黒田総裁
そのダボス会議において、日銀・黒田総裁が出ていた会合で、金融政策についての興味深いやりとりがあった(https://www.weforum.org/events/world-economic-forum-annual-meeting-2018/sessions/a0Wb000000AlJAXEA3 の55分あたりから)。筆者の知り合いがダボス会議事務局をやっているので、ダボス会議には注目していたが、ネットの一部でもこの会合に出席した黒田総裁の発言を疑問に思う声が出ていた。

なお、マスコミはこのことについてまったく言及していない。黒田総裁の発言は至極重要なはずで、ネットで見られるものであるが、日本のマスコミはおそらく見ていないのだろう(役所の解説がないと記事を書けないマスコミが多いためだろ思われる)。

一部で問題視されているのが、26日に行われた「Global Economic Outlook」での発言である。参加者は、黒田日銀総裁の他に、カーニー・イングランド銀行総裁、ラガルド・IMF専務理事、ラム香港特別区行政長官、フィナンシャルタイムズのウルフ記者らであった。

ウルフ氏が進行役で登壇者に質問していたが、その後の質疑応答の際に、フロアーから「インフレ目標は2%がいいのか」という質問があった。ウルフ氏は、その他の質問も含めて、まずラガルド氏に聞いた。ラガルド氏は、「インフレ目標2%がいいのかどうかは、国によって異なることもある」などと無難に答えた。

ウルフ氏は、「日本はデフレが長かったので、2%では低く、4%目標でもよいのでは」と黒田氏に質問した。それに対する黒田氏の答えは、要約すると次の通りだった。

<インフレ目標の物価統計には上方バイアスがあるので、若干のプラスが必要なこと、ある程度プラスでないと政策の対応余地が少なくなること、先進国間の為替の変動を防ぐことなどの理由で、先進国で2%インフレ目標が確立されてきた。>

ハッキリ言って、役人答弁そのもので、何を言っているのかさっぱり分からなかった。

クルーグマンに問われたこと

実は、筆者は日本では2%ではなく、4%インフレ目標にすべきということを、かつてプリンストン大学でクルーグマン教授に同じことを問われたことがある。その時は筆者は、

「インフレ目標は、フィリップス曲線上でNAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment、インフレを加速しない失業率)を達成するための、最低のインフレ率である。

日本では、NAIRUは2.5%程度なので、インフレ目標は2%(が適当だ)。もし2%より高い、例えば4%のインフレ目標にしたら、失業率は2.5%程度でそれ以下には下がらないが、インフレ率だけが高くなるので、無駄で社会的コストが発生するインフレになってしまう」

と答えた。黒田総裁は、世界が注目するダボス会議で日本のリーダーとして男を上げる機会を逸してしまった。ラガルドがちょっと逃げて答えたので、ここでびしっと決めれば格好良かったのに。

おそらくなぜインフレ目標を2%にしているのか、筆者の解答部分の前半について、黒田総裁は明確に理解していないのだろう。それは、日銀事務局も同じである。それは、日銀が毎四半期ごとに出している「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」(https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/index.htm/)をみればわかる。

その中で、各回レポートに失業率の件があるのだが、直近のものでは「失業率も、足もとでは構造失業率をやや下回る2%台後半となっている」と書かれている。

その注には、「構造失業率には様々な考え方があるが、前掲図表3では、所謂『ベバリッジ曲線』の考え方に基づき、失業率と欠員率が一致する(=ミスマッチを勘案したマクロ的な労働需給が均衡する)場合の失業率として定義している。したがって、ここでの構造失業率は、NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)の概念と異なり、物価や賃金との直接的な関係を表す訳ではない。」とされている(https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor1801b.pdf)。

この「構造失業率であって、NAIRU」でないというのは、典型的な役人の言い訳だ。この言い訳が使われたのは、2016年7月のレポートからだ。その直前に、筆者が「日銀の構造失業率は3%台半ばとしており、計算違いである」と指摘した。その理由は簡単だ。構造失業率が、長きにわたって現実の失業率を下回るはずはないからだ。

たしかに「構造失業率」と「NAIRU」とは、その概念は違うが、計算すればほぼ同じ数値になるものだ。どうしても違うというのなら、日銀はNAIRUをいくらと推計しているのか、誰か国会質問で聞いたらいい。これが答えられなくては、中央銀行失格である。NAIRUの代替物として構造失業率を計算しているのではないか。

中央銀行として、NAIRUが重要なのは、それがインフレ目標に直結しているからだ。それは以下の図をみてもわかる。


これが、筆者の解答に書かれている、

「インフレ目標は、フィリップス曲線上でNAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment=インフレを加速しない失業率)を達成するために最低のインフレ率である」

というところだ。

では、その次にある

「NAIRUは2.5%程度」

はどうだろうか。日銀のレポートでは間違い続けているが「NAIRUは2.5%程度」というのは、かなり専門的な知識が必要である。

構造失業率でも日銀は間違っている
NAIRUの推計には、UV分析による方法と、潜在GDPによる分析がある。

まず、厚生労働省「職業安定業務統計」による欠員統計の利用が可能であるので、UV分析を若干アレンジしたい。UV分析とは、縦軸に失業率(U、通常は雇用失業率)、横軸に欠員率(V)をとり、失業率を需要不足失業率と構造的・摩擦的失業率に分解し、その動向からNAIRUを算出するものだ。

まず、1963年からのUV図を描いてみよう。欠員率=(有効求人数-就職件数)/(有効求人数-就職件数+雇用者数)、雇用失業率に対応する完全失業率としている。

これを見ると、1980年代は安定しており、左下方にシフトしてNAIRUが低下し、90年代には逆に右上方にシフトしNAIRUが高くなっていることがわかる。動きとしては右回りになっていることもわかる。


そこで、最近の2002年1月から2009年7月までの経路をみると、やはり右回りになっている(もっとも、リーマンショックがあったので、右下までこないままに右回りで一周している)。

最近の2009年8月から現時点までの経路を見ると、筆者の予想線の通りに右下に向かって下がっている。ここで、右回りになるとすると、さらに左下に下がり、完全雇用は下図のようになると、筆者はみている。その点に対応する失業率は2.5%程度であり、これが筆者の考えるNAIRUである。


ちなみに、この分析は、日銀レポートで構造失業率と言っているものと同じである。つまり構造失業率でも日銀は間違っていることを指摘しておこう。

ここでも野党は間抜けな批判を……
次に、潜在GDPからの分析である。この分析のために、内閣府が四半期ごとに公表しているGDPギャップを利用しよう。このGDPギャップとインフレ率と失業率の関係をみるのだ。

GDPギャップとインフレ率の関係は、GDPギャップがプラス方向に大きくなるとインフレ率が上昇する、正の相関関係がある。具体的には、GDPギャップがプラス2%程度になると、インフレ率が2%程度になる。


GDPギャップと失業率は、逆に負の相関関係である。GDPギャップがプラス方向に大きくなると失業率は低下する。具体的には、GDPギャップがプラス2%程度になると、失業率は2.5%程度になる。


これで、失業率2.5%に対応するのはインフレ率2%程度であり、これがインフレ目標になっているわけだ。

なお、GDPギャップとインフレ率は正の相関、GDPギャップと失業率は負の相関なので、インフレ率と失業率は負の相関になり、これが先の掲げたインフレ率と失業率の関係を表すフィリップス曲線になる。

現状の経済を見ると、失業率は2.7%であり、NAIRUにあと一歩の状況である。この傾向が続き、現実の失業率がNAIRUに近づくと、賃金はかなり上がり出す。現にその傾向は出ているが、今一歩の状況である。

そのためには、あと10兆円弱の有効需要を、金融緩和の継続または財政出動で作ればいい。そうなると、人手不足によって賃金を上げないと企業活動に支障が出てくるようになる。

安倍首相が賃上げを経済界に要請しているのは、こうした現状を踏まえた上のことであって、極めて政治的に巧妙である。経済界も現状をみると、首相に言われなくても賃金を上げないと企業活動に支障が出てくるのはわかっているから、要請に応じた形になるだけだ。決して、マスコミが報道するような「官製賃上げ」ではなく、マクロ経済をわかっていれば、賃上げは自然の動きなのだ。

こうした状況下で、いま、働き方改革が行われている。立憲民主などの旧民主党系の野党は「働き方改革は残業代をゼロにするためのもので、労働者に不利になる」とか言っているが、残業代ゼロでも、人手不足によって手取り給与総額は増えるだろう。何より、雇用を作れなかった旧民主党系の政治家たちがこんなことを言っているのだから、まったくお笑いの世界である。

雇用も作って、その上で給料も上がりそうな状況が出現している。野党は全く安倍政権にお株を奪われた状態なのである。

【私の論評】野党、マスコミ、官僚はマクロ政策に目覚めよ(゚д゚)!

私は、高橋洋一氏のように数学はさほど得意ではないので、上記のような計算はなかなかできないですが、それでも過去の統計資料と、現状の雇用情勢を比較すれば、いわゆる構造的失業率ないしはNAIRUは2%台半ばであることは過去から現在の失業率の統計資料などをみればわかります。

私自身は、以前このブログに掲載したように、大体2.7%ではないか目見当をつけたことがあります。

以下に、その検討をつけたときの資料などを掲載したブログ記事のリンクを掲載します。
「リフレ派敗北」という人の無知と無理解と統計オンチ デフレに逆戻りさせるのか―【私の論評】俗説、珍説を語る輩はエビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)を出せ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事より以下にグラフを掲載します。

 
上のグラフをみるだけでも、完全失業率は2%台半ばくらいであることは大体察しがつきます。90年代の半ばあたりからは、日本はデフレ気味であり、97年あたりから完璧にデフレに突入したことを知っていればこのあたりの失業率の値はあまり参考にならないことがわかります。

このときよりも前のデーターを参照すれば、大体2%の半ばくらいと見るのが妥当です。完全失業率はその時々で変わるのではといわれていますが、まともなマクロ経済学のテキストによれば、このくらいの期間ではさほど変わることはなく変わったとしても0.5%くらいといわれています。

これは、1990年代の半ばより以前は、日本では失業率が3%を上回ると、危険信号といわれていたこととも符号します。米国ではずっと前から、米国の構造的失業率は4%くらいであるといわれてきました。それは今でも変わりません。

しかし日本では、2000年代にはいってから、完全失業率が3%台などは当たり前で、4%台や5%台になったこともありました。これは、日銀の金融政策が失敗していたことを物語っています。過去の日銀は、金融緩和すべきときに、金融引締めをするなどの愚策を行ってきたので、このようなことになったのです。

ブログ冒頭の記事で、高橋洋一氏は日本の構造的失業率ないしNAIRUを2.5%程度と考えていることが示されています。

高橋洋一氏は統計的手法を用いて、この試算を実施したのでしょう。おそらく、かなり正確なものと考えられます。

政治家などは、このような試算をすることは難しいかもしれません。しかし、私のように過去の統計などをみれば、どう考えても4%や5%の失業率がまともであるとは思えないはずです。さらに、自分で計算できなくなても、高橋洋一のような人、それも複数の人に計算してもらうことはできるはずです。そうすれば、まともではないということが認識できるはずです。

そのような見方をすれば、何かがおかしいということに気づき、金融政策に問題ありということになるはずです。しかし、多数の政治家はそのような見方がまだできません。特にブログ冒頭で高橋洋一氏が指摘するように野党はそうです。そうして、残念ながら、官僚もマスコミもそのような見方ができない人が多いです。

彼らの頭の中では、雇用とはマクロ経済政策である、金融政策などとは全く関係なく、ミクロ的な見方しかできません。そうして、雇用というと政府にミクロ政策のみを実行せよと迫ります。

これが根本的な誤りです。政府が行うべきはまずは、マクロ政策なのです。その他のミクロ政策は、政府としては法律や規制、インフラの整備はすべきですが、政府自身がミクロ政策を実行してしまえば、ことごとく失敗してしまいます。これがうまくいくというのなら、共産主義は大成功したはずです。でも現実はそうではありません。

だから、ミクロ政策は民間が実行すべきなのです。そうして、日本では民間というと営利企業のみがクローズアップされるのですが、これだけでは不十分で本来ならば民間非営利企業(NPO)が十二分に活躍しなければならないのです。

しかし、日本では未だに民間非営利企業(NPO)が欧米のように発達していないことが問題です。このあたりは、述べると長くなりそうなので、また機会を改めて、掲載します。

そうして、それ以前に日本では、政府は主にマクロ政策を実行すべきものということが、未だ前提となっていないところがあります。特に、雇用はそうです。マクロ政策である金融政策や、財政政策がまともでないときに、ミクロ政策(労務問題の解決など)だけを実行したとしても、雇用は改善できません。

まずは、これを根付ける必要があります。野党の政治家、マスコミ、官僚も政府はマクロ政策を実行する主体であることをはやく認識すべきです。はやく目覚めて欲しいものです。

【関連記事】

安倍首相はなぜ「リフレ派」になったのか―【私の論評】ポスト安倍は金融政策を理解しなければ国民からNOをつきつけられる(゚д゚)!

「財政問題」でまた財務省の言いなりになる、ポチマスコミの情けなさ―【私の論評】日本のマスコミは能力が低すぎてまともな国際・経済報道はできない(゚д゚)!

アベノミクス批判本に徹底反論! なぜ「成果」を過小評価するのか―【私の論評】雇用よりも労働生産性を優先する考え方は著しく不見識(゚д゚)!

【日本の解き方】日銀の資金供給量鈍化でインフレ目標達成できるのか 国民経済のための金融政策を―【私の論評】年長者こそ、正しい金融政策に目覚めよ(゚д゚)!

【日本の解き方】5年たってもアベノミクスをまともに分析できない人たち、マクロ経済知らずけなすだけ ―【私の論評】首相は正統保守的立場から金融政策を手持ちの道具にした(゚д゚)!

2017年11月14日火曜日

フェイクニュースにいかに対処するか―【私の論評】マスコミや野党は、全体主義的手法を用いることはもうやめるべき(゚д゚)!

フェイクニュースにいかに対処するか

朝日などのリベラル系マスコミの「報道しない自由」は偏向報道だ


米ハワイで、日本に向かうため大統領専用機に乗り込む際に手を振る
ドナルド・トランプ米大統領(2017年11月4日撮影)
 今年の新聞週間の標語は「新聞で 見分けるフェイク 知るファクト」であった。この標語からも今年の流行語に「フェイク」は「忖度」と共に選ばれる資格があるであろう。

 フェイクは米国の大統領予備選時に、ドナルド・トランプ氏の言動をCNNやニュヨーク・タイムズなどのリベラル系マスコミが悪意的に報道したことに対して、トランプ氏が「フェイク・ニュース(偽記事)」だと反撃したことで表舞台に華々しく登場してきた感がある。

 日本では通常国会の終盤で加計問題が浮上し、「行政が歪められた」という前川喜平氏の発言や野党の追及だけが大々的に報道され、誘致当事者の「歪められた行政が正された」という証言はほとんど報道されなかった。

 こうしたことから「報道しない自由」が「編集権を盾に都合の悪い情報は報道しないメディアを嘲笑するネットスラング(用語)」(宮脇睦「ネットバスターズ」『正論』2017年9月号所収)として話題になった。

 マスコミが恣意的に印象操作して「火のないところに煙を立てる」フェイク・ニュースを作り出すのであれば、「正確と公正」などを掲げる新聞倫理綱領や公正中立を旨とする放送法に違反する。

第1次大戦で出現した宣伝戦

戦争プロパガンダでは敵の残虐性を強調し、自国の軍隊は国民のためはもちろん、他国の民衆をも救うためにも活動し、残虐行為など行うはずもないという好印象を植えつける。

 第1次世界大戦では宣伝戦が大々的に活用された。その1つに、敵が捕虜の指を切り落とす残虐行為を行っているとの報道もあり、帰還兵たちは出迎えた人たちに指を出して「自分の指はあるよ」とVサインして見せた。ヴィクトリーのVに通じていることは言うまでもない。

第一次世界大戦中のドイツの徴兵用のポスター
写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 フランクリン・ルーズベルト大統領は米国を第2次世界大戦に参戦させないことを公約して3選された。しかし、英国の苦戦を見かねた大統領は米国世論を参戦に誘導する。ドイツ挑発に失敗した大統領は日本を参戦させるように動く。

 日華事変では蒋介石を支援して宣教師を中心に反日宣伝戦に協力。国民党軍の戦いぶりを見た米国人ジャーナリストが「蒋介石はプリンターで戦っている」と書いたように、国民党軍はフェイク・ニュースを垂れ流して戦局を有利にする戦いを展開した。

 中国から帰米後、日華事変に関わる中国発の対日情報がフェイクであることを米国人に訴える努力をした上記ジャーナリストや元駐中国外交官らは、日米戦争が始まると「妨害者」として収監される。

 中国発のフェイク・ニュースがルーズベルト政権にいた200人を超す共産主義スパイによって拡大・拡散され、米国民を参戦に導き、また戦意を向上させるために使われたのである。

 戦闘行為の一環としての南京事件が「南京大虐殺」として今日世界に拡散するのも、東京裁判などにおける米国人宣教師たちのフェイク情報に負うところが大きい。

米国宣教師マギーにより撮影されたとされる、南京虐殺当時の南京市民の写真
多く女性が平静であるようにみえる、特に最前列の女性は満面の笑み。
 米国内では日本の南進に抗議して鉄屑など必需品の日本への輸出を禁止し、最後には血の一滴と称された原油の全面禁輸に踏み切る。「窮鼠猫を噛む」状況に追い詰められた日本はパール・ハーバー攻撃を行う。

 資源小国であった日本は原材料の輸入が制限されては付加価値を生む製品が作れないし、石油がストップされては国家機能が麻痺してしまう。

 ダグラス・マッカーサー元帥が解任され帰国後に議会で証言したように、「(日本は)安全保障上の必要」からABCD(米英中蘭)包囲網を打開する必要性に迫られ、やむを得ず開戦に踏み切ったのだ。

 しかし、戦争挑発人の大統領は日本が宣戦布告もしないで奇襲攻撃を仕かけたとするフェイク・ニュースを流し、「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に米国民を戦争へ駆り立てた。

 「リメンバー・パールハーバー」はスペイン領フィリッピンを手に入れるために米兵が乗ったメーン号をスペインが爆破したように見せかけ、「リメンバー・メーン」を呼号して米国民を米西戦争に導いた43年前の再現であった。

 こうした宣伝戦は開戦や戦勝を勝ち取る手段で、年月を経て歴史家などがフェイクであったことを明らかにしてきた。

 しかし、中国の宣伝戦は日本を「悪徳国家」に落して、自国を倫理的に優位な立場に置き、共産主義の素晴らしさを人民に見せる建前上、一過性で終わらない。

戦争をプレイアップしたマスコミ

『朝日新聞の戦争責任』(安田将三・石橋孝太郎共著、太田出版、1995年8月刊)を読むと、「当時から日本を代表する(朝日)新聞」が「いかに虚報と偏向報道に明け暮れ、国民を戦争に導いたか」が分かる。

 本書は『読んでびっくり 朝日新聞の太平洋戦争記事』としてリヨン社から前年7月発刊され、版を重ねるが4か月後に朝日新聞社から著作権を理由に抗議され、絶版となる。

『読んでびっくり 朝日新聞の太平洋戦争記事』の表紙
 そこで著者は編集方法に工夫を凝らして改訂・再編集して上梓する。著者は「(朝日新聞が)戦争を美化、正当化し、国民の戦争熱を煽っている」状況を、記事そのものを通じて読者に伝えたかったと語り、あえて初版本の復刻版と呼んでいる。

 当時は戦争に悪影響を受ける部分は削除や書き換えるなどの検閲があり、統制を受けていた。

 しかし「統制を受ける前に、自発的に先回りして、統制側が望んだものよりも進んだ、より激しい戦争遂行、戦意高揚を説く記事を載せたらしいことが、記事を読めば伝わってくる」とも書いている。

 これは今日言うところのフェイク・ニュースであり、朝日が戦前・戦中、権力機構にいかに寄り添い、多くの日本人を死地に送り込んだかの証しでもある。だから、著作権を理由に、絶版に追い込んだとみられる。

 その朝日新聞は今や人権擁護、反戦反安保で護憲のエース格とみられている。慰安婦問題では意に反する強制連行をしたとして32年間も日本を難詰し続けてきた。

 しかし、「強制連行」がフェイクであることが分かると、「強制性」があったとする主張に替え、慰安婦像や慰安婦碑が世界に拡散する大本を作った。

 朝日は元記者の長谷川煕氏が言うように、共産党員でなければ朝日の記者に非ずといった雰囲気の中で読者を伸ばしてきた新聞であるから、当然の報道姿勢かもしれない。

 日本新聞協会は創立(昭和21年)に当って新聞倫理綱領を定めたが、環境が激変した中で21世紀にふさわしい規範として平成12(2000)年に新しい倫理綱領を制定した。

 新綱領の前文では「国民の『知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」(概要)と述べ、本文においては、「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」の5項目を掲げている。

 新聞の責務の大なることを綱領で謳いながら、正確でも公正でもなく、人権を蹂躙し、また日本の品格と日本人の名誉を貶めるフェイク・ニュースを流し続けることは、国家の崩壊につながりかねない重大事である。

都議選や倒閣に多用されたフェイク報道

都議選時(今年7月)の小池百合子東京都知事は国政にも大きな影響をもたらす存在であった。そこで、安倍一強を好ましく思っていなかった多くのマスコミが小池氏の影響力の極大化に尽力したことは言うまでもない。

 小池氏が知事就任直後のあいさつ回りで、自民党の都議会議長に握手を拒否されたとする映像が流された。

悪手拒否があったとされた、フェイク報道のキャプチャー画面
 都議選で自民党が惨敗した翌日のTBS「ひるおび!」がこの映像を流し、キャスターがこうした態度が(自民党)惨敗の理由の1つだとして、「握手ぐらいすればよいのに」と嘲笑する。

 しかし、前出『正論』によると、ネット民の検証で、実際は握手をしていることが判明しており、「同番組は握手をする直前と直後の映像をつないで放映」したのだ。


 宮脇氏は「TBSの報道ぶりは酷すぎる」と批判しているが、これは「報道しない自由」ではなく「捏造」である。

 野党は安保法案を「戦争法案」と喧伝し、テロ準備罪の法案審議では「喫茶店で話し合っただけで(犯罪者に仕立てられる)」かのように恐怖心を煽った。視聴者受けを狙った言い掛かり質問もいいところで、フェイク報道と言っていいだろう。

 野党が目指すのは安倍一強政治の打破であり、そのために「女の壁」をつくり、それを「強行採決」で突破する「暴走内閣!」に仕立てた。それでも、国民の間には安保法制やテロ準備罪も必要不可欠な法律との認識が強く、成立した。

女の壁=馬鹿の壁?
 しかし、加計学園の獣医学部新設問題が政府・自民党に与えた影響は大きかった。

 ほとんどのメディアが前川氏の発言を写真入り、スポーツ紙並みの大活字で取り上げた。朝日や毎日系の新聞テレビは「報道しない自由」を偏向報道に置き換えてフェイク報道をし続け、国民に誤った印象を与えて恣意的に安倍一強に打撃を加え続けた。

フェイク報道をした朝日新聞
 当事者であり、安倍第1次政権以前から誘致してきた元愛媛県知事の加戸守行氏は「取材は沢山きたが、都合の良いところだけ使われた」と語った通りで、こと加計問題では印象操作によるフェイク報道が横行した。

 その流れで、都議選では「報道しない自由」が効果的に活用され、自民党に大打撃与える結果となり、安倍一強打倒への声は非常な高まりを見せた。

夢と消えた共産主義社会

こうした状況下で、北朝鮮の核と弾道ミサイルの脅威が一段と現実味を帯びてきた。しかし、中長期的には中国の野望への対処が重要である。

 中国では汚職が蔓延して貧富の差が拡大し、年間の暴動が20万件以上という報道もあった。習近平総書記が進めた汚職追放が歓迎された。

 さらに運動を進めるためには強大な力が必要である。また貧富の差がなく、皆がひとしく生活を享受できるとするマルクス・レーニンの共産主義が提示する社会は、夢のような世界として期待されよう。

 そのためには歯ブラシ1本、靴下1足という細部に至るまでの国家による計画経済が不可欠である。

 数人の友人や家族においてさえ意見の衝突が起きる人間社会において、数万、数十万の地方自治体や、数百万、数千万の国家において矛盾を生じない方がおかしい。まししてや中国は13億人超の人口を有する国である。

 ちなみに、中国には現在400万人超の死刑囚がいると言われ、日本に換算するとほぼ40万である。戦後日本の実際の死刑は年間2~41人(1952年)であるところからも、社会主義は犯罪者を大量に生み出すシステムにほかならない。

 理論では夢の世界を抱かせた共産主義国家ソ連であったが、現実の過程では地獄の悪夢しか与えることができず、70年余で消滅した。その教訓から中国が学ぶところは大きかったに違いない。

 習総書記が掲げる「中華民族の偉大な復興」という中国夢を実現するためには、「戦争」で破壊をもたらしてはならない。当然ながら世界一の軍事力を背景にしながらも三戦をはじめとした超限戦を駆使して、孫子のいう「戦わずに勝つ」方策を追求することになる。

 「新時代の中国の特色ある社会主義思想」と名づけられた習思想の主な柱は、経済、政治、文化、社会、エコロジー文明の建設を総合的に進める「五位一体」と、小康社会の建設、改革の深化、法による政治、党の綱紀粛正を全面的に進める「四つの全面」とされる。

 反腐敗運動をさらに進め、政治・思想・組織に限ったこれまでの指導から、党政軍民学と東西南北中の一切を指導するとしているから、党による統制強化が一段と図られるということである。

 2012年ハリウッドでリメイクされた映画「1984年」より
 このためには徹底した監視と強力な統制が必要になる。そうした社会が何をもたらすか。すでにスターリン治下のソ連と毛沢東治下の中国で経験されたことではないだろうか。いや、習思想は、さらに統制を強めるという意味ではジョージ・オーウェルの『1984年』そのものの世界に近いかもしれない。

日本の対処

国家の名誉ある存続のためには、時には自衛戦争を含む強硬な態度をとることもやむを得ない場合がある。自衛力の保有は自然権であるが、条文上からは交戦権を認めないので、有効に活用できない。

 これでは脅威が存在する現実の国際社会で主権を行使して生き延びることはできない。

 日本の領土が不法に占拠され、国民が連れ去られる事案はこうした状況下で起きた。日本は9条ゆえに、自分自身で自国の首を絞める主権放棄にも等しい国家に成り下がっていたのだ。

 憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べる。そもそも「平和を愛する諸国民」という認識がフェイクである。

 現実は国益を競う権謀術策の諸国家が存在する。そうした国家を信頼して「安全と生存を保持」するにはただ一つの地球共同体(国家)となる以外にないであろう。現在のところ、地球共同体は仮想世界でしかない。

 憲法の前文を受けて、第9条がある。そこで、現実に生き延びるために解釈改憲を重ねてきた。それでも、矛の部分は米国に依存し、日本は盾の部分だけしか保有していない。

 同盟国相互が信じ合うことは素晴らしいが、国益が衝突すれば同盟が一瞬にして崩壊することは歴史が教えている。

 習総書記の共産党大会における発言を見る限り、一党独裁体制をますます強め、言論の自由は制限され、国内の不満は圧殺されて聞こえ難くなる。

今年の共産党大会で挙手をする習近平
亡命中国人などは、習思想が「世界秩序を破壊し、民主国家を脅かす」とみている。先の党大会では中国に批判的なマスコミが排除された。この一事は今後の予兆であろう。

 特異な社会主義大国を目指す中国に対し、日本は盾と矛をバランスよく備えた「自分の国は自分で守る」意志と能力を備えた自己完結型国家を目指すべきではなかろうか。

 また、日本国民は一向に気にかけていないが、中国は北朝鮮以上の核兵器を保有し、現実に日本を目標にした弾道ミサイルを配備している。中国の大国志向から、日本への(核)ミサイルの脅威が登場しないとも限らない。

 今こそ、掘り下げた「核論議」(核装備ではない)をしておくことが必要ではないだろうか。

 覇権大国を目指す中国は、超限戦を駆使して南京事件以上のフェイク・ニュースで日本に汚名を着せ、また世論を分断して混乱と弱体化を企図するであろう。韓国もフェイク・ニュースで嫌がらせを続けている。

 法の支配は言うまでもないが、自由で民主主義、人権を重んじ、貴賤を区別しない日本であるファクトを世界に発信することが大切である。

 同時に、万葉集の「言霊の幸はふ国」であり、「言葉」に霊力が宿るとして、ファクトを重視する日本であることも再確認する必要がある。

【私の論評】マスコミや野党は、全体主義的手法を用いることはもうやめるべき(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事、結局現在のマスコミのフェイクニュースに関して、全体主義の脅威・危機にについて警鐘を鳴らしているのだと思います。それは、2つの側面があります。一つは、日本の近隣の北朝鮮や中国のような全体主義国家による危機です。もう一つは、マスコミが煽る日本国内の全体主義化の危機です。

特に国内危機としては、マスコミや野党が、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道したり、国会で論戦をしたていることです。しかし、これが多くの日本国民の民意でないなら、自分たちにの価値観の押し付けであり、これが成就すれば、全体主義へ大きく舵をきることになります。

確かに、今回の選挙では結局、与党側が大勝し、マスコミの目指す方向にはならなかったのですが、これは多くの人々がマスコミの価値観を拒否したということです。そうはいいながら、確かに大きな危機でもあったことは間違いありません。そうしてこれには、ネットの力が大きく作用したことはいうまでもないと思います。

もし、ネットが存在せず、多くの人々がマスコミの垂れ流すフェイク・ニュースを鵜呑みにしたとしたら、とんでもないことになっていたかもしれません。

現在では、若い層を中心に、テレビはあまり視聴せず、新聞はほとんど読まず、情報はもっぱらネットからという人が増えています。もし、この状況がなければ、とんでもないことになっていたでしょう。



2000年以前、インターネットを使うためには、まず「電話を掛ける」事が必要でした。常にインターネットを利用できる「常時接続」は大学や企業の研究所だけでした。

家庭では、3分10円の電話代を気にしながらの「ダイヤルアップ接続」が主流でした。事前にメールを書き溜めておき、電話を掛けるとまとめてメールの送受信を実行、その間にせかせかとホームページを見て回り、用事が済むとすぐにネットから切断するような使い方でした。

深夜23時以降に電話料金が定額になる割引サービスの利用者も多かったのですが、その影響で夜はネットが大混雑。電話を掛けてもプロバイダのアクセスポイントの回線が全部埋まっていてネットが利用できません。「話し中」の通知音を聞きながら、リダイヤルを繰り返すのが日課でした。

一方、携帯電話も普及しておらず、家庭の電話は家族共用。ネットの最中に家族がうっかり受話器を上げてしまい、通信エラーで強制切断、など事もよくありました。

私は、パソコン通信の時代からネットを利用していましたが、この時代はもっと悲惨で、ネット上で少し複雑なことや、時間のかかることをしてしまうと、電話代が4万円以上にもなっしまいました。これでは、とてもじゃないですが、ネットが情報源になるというようなことは期待できませんでした。

実際、パソコン通信やインターネットが普及し始めた頃は、私自身テレビや新聞の報道にあまり違和感を抱くことはありませんでした。ネットが普及したばかりの頃までは、私を含めて多くの人が新聞やテレビに相当印象操作をされていたのだと思います。



しかし、それもだんだんと変わってきました。その変化は、最初に携帯電話からおこりました。「通話」のためのものだった携帯電話に、「メール機能」がついたのは20世紀から21世紀に変わる間際でした。

「ケータイのメール」は瞬く間に日本中に広がり、ゼロ年代のコミュニケーションの主役に躍り出ました。とはいえ、携帯電話のエリア整備はまだ不十分で、「電波のいい」場所を探してうろうろする事もありました。

小さな画面、少ない文字数で多くの情報を伝えるために考案された「絵文字」が、大切な気持ちを伝えるための小道具として多用されるようになったのもこの頃でした。

各社が競うように種類を増やした「絵文字」は、その後海外でも注目を集め、いまや「emoji」として世界中で使われるようになりました。振り返ってみると、現在使われているネット上のサービスの多くが、この時代に生まれた考え方を下敷きにしている事に驚かされます。このあたりから、インターネットも常時接続が普及していきました。この頃から、ネットからの情報も豊富になっていきました。今や高齢層しか利用しないとされている「2チャンネル」もこの頃でできました。

iPhone3GS

2010年代に入ったころから急速に普及を始めたスマートフォン。私自身は、iPhone3GSが最初のスマートフォンでした。これは、2009年に発売されています。これは、基本的には今のスマホとほとんど変わりません。私の記憶では、このあたりではまだまだスマートフォンを普及せず、iPhone4でかなり売れだし、iPhone4Sでかなり売れだしたという記憶があります。

これにより、従来の携帯電話にはなかったバラエティ豊かなアプリ・サービスが生まれますが、その背景にはインターネットの技術がありました。この頃に現在のスマホから、様々な情報が入ってくるようになりました。現在の主だったSNSもこの前後にでてきたものです。

従来の携帯電話と比べ高い処理能力を持つスマートフォンでは、スマートフォン自身で高度なプログラムを動かす事ができ、また、直接インターネット上のサーバと通信が行えるようになったのです。

また、スマートフォンは、プラットフォームが世界共通になったという事も大きな出来事の1つです。海外で始まったSNSが日本でも定着し、インターネットの新しい使い方が広がりました。

メールのような1対1のコミュニケーションと、ホームページのような意識的な情報発信の中間のような形で、特に宛先なく気持ちをつぶやき、そしてそれを見たどこかの誰かが「いいね」を返す、そんな緩やかなつながりがインターネットを通して世界を覆うようになりました。

現在のインターネットは格段に使いやすくなった
このような時代では、マスコミや野党が、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道したり、国会で論戦したとしても、自分たちの望む方向に世論を誘導することは難しくなりました。

特に若い世代は、安倍政権を支援するということで、保守化したなどと誤った認識を持つ識者などもいますが、それは間違いであり、若者は単純に雇用が良くなったことを評価しているだけであることをこのブログに以前紹介しました。

多数の若者は、マスコミがいくらフェイク・ニュースを流したとしても、ネット上で、安倍政権が雇用に関して、かつてないほどに改善したことを知ったのです。そうして、その継続を臨んだのです。だからこそ、若者を中心に安倍政権を支持したため、今回の選挙で大勝したのです。

野党、マスコミはそろそろ気づくべきです。どんな組織も、外に永遠に敵を作り続けることはできないのです。外に敵をつくり続けるということでは、韓国も、中国も同じです。

韓国と中国は、歴史の修正を行い、日本を意図して意識して、悪者にしたてあげ、国内での秩序を保っています。というより、そうしなければ、国民の巨大な憤怒のマグマが自分たちに直接向くと、自分たちは崩壊するしかなくなるので、それを日本に向けるようにして、一時しのぎをしているだけです。しかし、それはどう考えても長続きはしません。

野党、マスコミも同じことです。事実の修正(フェイク)で、安倍総理個人、与党を意図して意識して、悪者にしたてあげ、自分たちの存続を図っているのです。

考えてみると、これは全体主義に共通するやりかたです。

ナチスやスターリンなどの全体主義のシステムには最初から大きな欠陥があります。それは以下の三点に集約されます。
・永遠に敵を作り続けなければいけない(外にケンカ売る)
・外部からの資源の調達コストが上がり続ける(外から嫌われる)
・経済が破綻し、戦争に負ける(負けたら終わり)
 ナチスは連合軍を始め世界の大半を敵に回したため、資源の調達のためにポーランドやウクライナなど東欧の侵略をせざるを得ず、戦争の収拾がつかなくなりました。


経済システムの限界、そして独裁者という「絶対的個」はいつか死ぬという避けられないシステム不備があります。しかもそこに、国民個人の自由や幸福の追求はなく、生活水準もどんどん下がっていくことになります。
ナチス党大会
にもかかわらず、ドイツ国民はなぜ全体主義を支持したのでしょうか。
それはその当時代替案がなかったからです。全体主義は、格差と失業に苦しむ民にとっての短期的なソリューションだが、長期的に考えると破滅が待っています。しかし、絶望に苦しむ民にとって「無いよりまし」なのです。
「全体主義は間違っている」と反対しても、状況を変えるのは難しいのです。なぜなら全体主義は民にとって災厄ではなく「ソリューション」であったからです。
まずそのことを認めたうえで、必要なのは「あ、なるほど。そっちの方がより良い」と思える長期的な成功モデルの構築なのです
安倍政権は、長期的な成功モデルとして、金融政策を示して実際に成功しました。さらに、安全保障に関しても、新機軸を打ち出しつつあります。さらに、決して十分とはいえないものの、ここ20年で経済的は最もパフォーマンスが良く、安全保障の面でも高い能力を発揮しています。
しかし、野党やマスコミはそれを示せていません。ただただ「安倍政権を潰す」ことだけを表明するだけです。その後に何があるのか彼らは示しません。これも全体主義的です。全体主義では、具体的なビジョンはなく、既存の体制の批判をドグマ(教義)とします。

ヒトラーもそうでしたし、スターリンもそうでした。習近平もそうです。習近平が今年共産党大会で語ったことには、長期的な成功モデルの片鱗もありませんでした。あの悪名高い、毛沢東(大躍進、文革)や鄧小平(天安門事件)のほうがはるかにましです。

これからも、日本ではインターネットという「長期的な成功モデル」の一つであるインフラがある限り、政治的にも極端に全体主義的な方向に走ることはないでしょう。マスコミや立憲民主党や希望の党などの野党は、全体主義的手法を用いることはもうやめるべきです。そうでなければ、いくら既存の方向で努力したとしても、今回の選挙結果にみられるように衰退するばかりです。

【関連記事】

加計学園報道、もうマスコミは「敗北」を認めた方がいい―【私の論評】現状のままでは野党もマスコミもかつてない程弱体化する(゚д゚)!

モリ・カケの“偏向報道”追及した小川榮太郎氏直撃 「虚報が政権揺るがす事態」が執筆のきっかけ―【私の論評】「もりかけ」で野党・マスコミ再編・崩壊が進む(゚д゚)!

立民、「首相の解散権制約」の不毛 民進“分裂騒動”の責任押し付けたいだけ 宇佐美典也氏緊急寄稿―【私の論評】立憲主義の立場からも首相の解散権は正しい(゚д゚)!

“モリカケ問題”争点化も左派メディア敗北 ネット上「偏向報道っぷりが酷過ぎる」―【私の論評】マネジメントの原則からみたマスコミ知能低下の要因(゚д゚)!


エンゲル係数「上昇」の深層 「生活苦」と「食のプチ贅沢化」の関係―【私の論評】フェイクを見抜け!上昇の主要因は高齢化(゚д゚)!

2017年11月13日月曜日

加計学園報道、もうマスコミは「敗北」を認めた方がいい―【私の論評】現状のままでは野党もマスコミもかつてない程弱体化する(゚д゚)!

加計学園報道、もうマスコミは「敗北」を認めた方がいい

間違った指摘を繰り返すなら意味がない


経済学者 嘉悦大学教 高橋洋一


さすがに黙っていられない

文部科学省の大学設置・学校法人審議会(設置審)が、11月9日、加計学園の獣医学部新設計画に対し「可」とする答申を行った(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm , http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_1.pdf)。

それに対して、マスコミがいろいろと報道をしているが、未だにお粗末であるから嘆かわしい。筆者は過去に何度も加計学園についての「疑惑報道」の問題点を指摘したが、本稿を改めて書いてみようと思ったのは、10日のNHKの報道(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171110/k10011219211000.html)があまりに酷かったからだ。

これを見ると、NHKは特区の役割と文科省設置審の役割がまったくわかっていないようだ。それであるのに、「文科省認可がおかしい」というトーンで報じている。

これらの報道を見ているときに思うことは、まず、マスコミは基本的なリテラシーがないということだ。役所から出す情報は、①法律・政省令・告示の公文書、②統計データ、③答申が基本である。ところがマスコミは、これらの基本情報すら読めない。これは筆者が官僚だった時代の実感でもある。

特に①と②については全滅、つまり理解できないのである。そこで、なんとか理解しようと官僚のレク(説明)を求めるのだが、こうなると官僚が記者を操作することが可能になる(いわゆる「役所ポチ」の誕生だ)。

さて、加計報道に関しては、まずメディアが①を読んでいないという致命的な欠陥が浮かんでくる。

本コラムの読者であれば、筆者が早い段階からこの問題について何度も書いてきたことをご承知だろう。その中で、一貫してマスコミは「加計学園獣医学部の設立に関しては、総理の意向があった」というが、各種の公表資料を見たうえで、「そんな意向はなかった」といってきた。

もちろん、マスコミが決定的な証拠を出せば、筆者の負けであるが、これまで週刊誌がこの問題を最初に報道してから9ヶ月程度がたっており、国会での関係者の証言などもあったが、総理の意向を証明するものはなかった。
マスコミにとっては、元文部科学省事務次官の前川喜平氏の証言だけが頼りであったが、結局前川氏も国会で明確にその「意向」を立証できず、その他の関係者は総理の意向を完全に否定していた。

筆者がなぜそうした結論に達したかは簡単だ。加計学園を特区で扱ったのは、大学学部認可の申請を行えるように告示改正をしたからだ。文科省設置審は、認可申請の後に認可審査を行うところであるのだが、NHK報道はこの点を無視しているのか、まったく言及していない。

大学学部認可というと大げさにみえるが、行政法では、「運転免許」と同じようなものである。行政の世界では、大学学部認可の申請といえば、大学が「自動車学校」に入学するような話であり、大学学部認可とは、大学に「運転免許」を与えることを意味する。その後、文科省の設置審が「可」の答申を出すことは、自動車学校において、学科・実地試験に合格することと同じである。

このたとえで、加計学園の問題の本質がわかるだろう。次ページでその本質を説明しよう。

文科省の開き直り

要するに、加計学園はもともと自動車学校へ入学する(新たな学部の申請を行う)という段階で、免許合格までは保障されたものではない。メディアはこの段階で「総理の意向があったはずだ」というのだが、そんな初期の段階で、偉い人の助けを借りるだろうか。筆者の役人の時の経験からいっても、入学の段階でわざわざ総理の意向なんて介在する余地などない。

しかも、大学学部認可は、50年以上も申請させていなかったという。これは本コラムで、認可制度の運用として、違法まがいであることを指摘してきた。たとえばある学生には自動車学校への入学をさせない、という規制であり、現実にそんなものがあれば問題になるだろう。

しかも、申請させないという規制は、法律ではなく告示という形でなされた、文科省だけの判断によるものである。

このたびの加計学園の問題では、50年以上も新学部の申請をさせないという「ゆがんだ行政」が、申請できるように「正された」だけである。

筆者がはじめて加計学園の問題を聞いたとき、認可の申請をさせるような規制緩和(告示改正)なら簡単にできると直感した。公表されている内閣府と文科省との間の議論をみれば内閣府の完勝である。だから、総理の意向なんてありえないと思ったところだ。

ところが、文科省は卑劣にも「総理の意向があった」と文科省内文書に書き、それをマスコミにリークした。それがほぼ半年前である。そのときは、安倍総理が改憲の意向を強めているという新聞記事が出た直後なので、改憲潰しに加計問題を利用するつもりかと思ったくらいだ。

そのとき、出てきたのが前川喜平氏である。筆者は、自らが手がけた天下り規制がようやく本格的に適用できた文科省の組織ぐるみの天下り斡旋問題で、その首謀者に前川氏がなっていたことを知っていた。

それが明るみに出たのが今年初めであり、前川氏は文科省天下りを組織ぐるみで行っていた責任をとって今年3月に辞任した。本来であれば懲戒免職ではないかと思い、官邸関係者に聞いたこともある。

しかも前川氏は、新国立競技場の建設をめぐっても、高額発注で問題を起こしたことがある人物だ。その段階で通常であれば役人を辞めるのだが、文科省ではなぜか生き残ってきたのは、役人の経験がある筆者から見れば不思議だった。文科省は一般に三流官庁と言われているため、人材が不足しているのだろう。

これ以上は、税金の無駄遣いでは…?

いずれにしても、マスコミが問題をみつけた当初の段階で「疑惑」と報道するのはいい。それは彼らの重要な役割でもある。しかし、最初の週刊誌報道から9か月も経っている。文科省文書のリークを朝日新聞が報じてからも半年経っている。その間、マスコミは疑惑を言い続けているが、何も新たな決定的な証拠を示していない。

もともと、これは「悪魔の証明」であり、「そんなものはない」という人に挙証責任を負わせるべきものではなく、疑惑を指摘する側のマスコミが決定的な証拠を示さないと話にならない。

疑惑と言い続けているのは、マスコミが仕事をできないことを白状しているようなものだ。普通の民間企業であれば、半年も進展のないプロジェクトであれば、もう終わりにすべきだろう。

また、これを延々追及する国会議員も情けない。もちろん、これもマスコミと同じで、決定的な証拠をつかめたのなら話は別だ。ただ、彼らもさんざん血税を使って調べたはずだろう。それでも答えを出せないものを追及するのは、税金の無駄使いでしかない。

去る10日には、毎日新聞が改めて前川氏の話を聞いて「(加計学園獣医学部)「認可すべきではない」前川氏が疑問呈す」と報じた(https://mainichi.jp/articles/20171111/k00/00m/040/101000c)が、これも酷かった。

認可すべきでない、というのなら、どうして現役の官僚の時に、そうした行動をとらなかったのか。不思議で仕方ない。前川氏については、本コラムで何度もその主張の問題点を書いてきたが、この記事の中でも致命的なものがある。

ネットでは、前川氏の「(加計学園には)博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という主張に対して、飯田泰之氏が「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない」といったことが取り上げられていた(https://anonymous-post.com/archives/15671)。

しかし、これはやや勘違いだろう。大学院は、大学院大学と言うくらいで、学部とは独立した存在である。学部のない大学院大学もある。つまり、学部がなくても大学院は設置できるわけだ。

そうであるので、飯田氏のいう「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない!」というのは、ちょっと勘違いだとは思う。大学院設置の関係文書をみても、そうした規制は筆者の見る限りない。

医学部が37年ぶりに新設され、加計学園と並んで話題になった国際医療福祉大は、昨年の17年度に学部を開設している(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1376289.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2016/08/26/1376289_02_2.pdf)。

そして大学院は、今年の18年度大学院開設になっている(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_2.pdf)。

これを見れば、学部と大学院は同時に開設しなくてもよいことが分かる。常識的に考えても、大学は学部申請をするだけで忙しく、大学院も同時に申請することはできないだろう。しかも、昨年の国際医療福祉大医学部の時には、前川氏が事務次官であったときだ。そのとき、大学院はまだ認可していない。

それにもかかわらず、今回の加計学園で「加計学園には大学院がないから問題」ということは、自分が現役官僚時代にやったこと否定するもので、いかにも前川氏らしい、二枚舌・ダブルスタンダードであり、自分への大ブーメランとなっている。

こんな人のコメントを載せるぐらいしか「追及」の方法がないのなら、もう報道する価値はないはずである。いったいいつまでマスコミはこのことについて報道するのか、さすがにあきれてしまう。

最後に、マスコミ報道も「やり過ぎ」というレベルになれば、「根拠なく加計学園の名誉を毀損し、営業を妨害した」となりかねないのではないだろうか…という懸念を表明しておきたい。

【私の論評】現状のままでは野党もマスコミもかつてない程弱体化する(゚д゚)!

高橋洋一氏の以下の主張を私なりにもう少しわかりやすくしてみようと思います。
加計学園はもともと自動車学校へ入学する(新たな学部の申請を行う)という段階で、免許合格までは保障されたものではない。メディアはこの段階で「総理の意向があったはずだ」というのだが、そんな初期の段階で、偉い人の助けを借りるだろうか。
加計学園を受験生とします。これが、文部省大学という大学の入学試験を受けることになつたとします。この受験生は文部省大学に対して、受験の申請を行い、文部省大学が加計受験生に対して、受験票を交付しました。無論受験票を交付されたらといって、大学に即合格というわけではありません。

この受験生は、文部省大学が指定する、日付・日時に試験場におもむき、所定の試験を受けて、その後試験結果の判定を受けて合否が決定され、合格ということになれば、はじめて文部省大学に入学することができます。この段階では、文部省大学に入学できるかできないかは、受験生はもとより、文部省大学側もわかりません。(いわゆる加計問題で、大学学部認可の申請に相当する)

大学入試では受験票を交付されたからといって合格するわけではない。受験生は
大学等が指定する受験会場に所定の時間におもむき試験を受けなければならない
この段階で、この受験生は不正入試をしたと疑われ、学長と受験生は友達関係にあり、文部省大学は不正行為をしたとされ、マスコミがこれを報道し、国会議員は国会でこれを追求しました。こんなことは、あり得ないだろうと高橋洋一氏は主張しているわけです。

ただし、この段階でこの受験生が何やら不正をしていたことがはっきりとわかるような証拠があれば、にわかには信じられないとはしても、確かに不正があったとできるかもしれないですが、数ヶ月たっても何の証拠もあがってきていないのです。

そうして、その後文部省大学の、入試担当の教員(いわゆる加計問題での文部科学省の大学設置・学校法人審議会にあたる)が、11月9日、加計学園の獣医学部新設計画に対し「可」とする答申を行ったが所定の手続きにより、この受験生の合格を決定したということです。

この段階で、不正があったというのなら、まだ話は理解しやすいです。ただし、この段階ばすでに不正があったとするのも、不自然です。受験票の交付の段階で、不正ありとすでに疑われていたのですから、その後入試担当の教員らがわざわざ不正行為をすることは考えにくいです。教員らは所定の手続きにしたがって、合否を判定したと考えられます。そうて、その後不正行為をしたという証拠も無論あがっていません。

それに、この疑惑は、受験票の交付時点での疑惑が主なものであり、そもそも、マスコミも野党の政治家も最初から筋悪の追求をしていたとしか思えません。

高橋洋一氏は、さらに以下のような主張をしています。
マスコミは基本的なリテラシーがないということだ。役所から出す情報は、①法律・政省令・告示の公文書、②統計データ、③答申が基本である。ところがマスコミは、これらの基本情報すら読めない。これは筆者が官僚だった時代の実感でもある。 
特に①と②については全滅、つまり理解できないのである。そこで、なんとか理解しようと官僚のレク(説明)を求めるのだが、こうなると官僚が記者を操作することが可能になる(いわゆる「役所ポチ」の誕生だ)。
①については、特区のワーキング・グループの議事録なども、私はこのブログにも掲載し、不正行為があり得ないことを主張しましたが、 マスコミはそれすらもしていません。マスコミや野党も、②の統計もほとんど閲覧している様子は伺えませんでした。

やはり、マスコミも野党も、基本的なリテラシーに欠けているとしか思えません。これは、財務省や日銀関連の報道にも良くみられることです。マスコミは、役所の発表した資料や官僚が説明をした内容を咀嚼することもなく、そのまま報道していることがほとんでです。経済に関するまともな知見などないのでしょう。

このブログでは、マネジメントの原則から見た民進党消滅の要因を掲載したことがあります。これは、民進党に限らず、マスコミにもあてはまると思います。その記事のリンクを以下に掲載します。
リベラル勢力たちの自業自得 「反安倍なら何でもあり」では国民から見捨てられるだけ―【私の論評】マネジメントの原則から見る民進党消滅の要因(゚д゚)! 
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に短くまとめます。
第1は、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」と定義してしまうと、本来の使命を考えなくなってしまうことです。

これは、誰が考えてもわかります。「政権や権力と戦うこと」自体は、手段に過ぎません。「政権や権力」と戦って、相手を潰したり、あるいは弱めたりすれば、自分たちの主張が通りやすくなります。 
これは、あくまで自分たちの主張を通すための手段です。戦って、相手を潰したり、弱めた後には、自分たちは何をしたいのか、何をするのかはっきりしていなければ、全く意味がありません。 
経営学の大家であるドラッカー氏はリーダーシップと、使命について以下のように語っています。
真のリーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく、望ましいかを考え抜く。リーダーの仕事は、明快な音を出すトランペットになることである。(『プロフェッショナルの条件』)
ドラッカーは、リーダーシップとは、人を引きつける個性のことではないといいます。そのようなものは煽動的資質にすぎないとしています。まさに、「安倍政治を許さない」は、扇動的キャッチフレーズに過ぎないものです。
第2に、「アベ政治を許さない」では、まともな意思決定ができないということがあります。経営学の大家ドラッカー氏は、意思決定について以下のように述べています。
決定においては何が正しいかを考えなければならない。やがては妥協が必要になるからこそ、最初から誰が正しいか、何が受け入れられやすいかという観点からスタートしてはならない。(『経営者の条件』)
決定においては何が正しいかを考えなければならないというのは、別な方面からると、誰が正しいか、誰が間違いであるかを考えてはならないということです。

これは、誰でも理解できます。社会問題を解決したり議論するときに、「誰が正しい、誰が間違い」などと議論することは不毛な結果しか招きません。やはり、「何が正しい、何が間違い」という議論をすべきです。
第3に、民進党は、「アベ政治を許さない」という信念に凝り固まって、妥協の仕方が下手だということもあります。ドラッカーは次のようにも述べています。
頭のよい人、しかも責任感のある人は、せっかくの意思決定も実行されなければ意味がないと思う。そのため、最初から落としどころとしての妥協を考える。(『経営者の条件』)
安倍総理は、意思決定においては、最初から落とし所の妥協を考えているわけではありません。無論政治の世界には妥協はつきものなので、全く考えないということはないですが、少なくとも、野党と比較するとその度合いはかなり少ないです。

ドラッカーは、妥協について以下のように述べています。
妥協には2つの種類がある。1つは古い諺の「半切れのパンでも、ないよりはまし」、1つはソロモンの裁きの「半分の赤ん坊は、いないより悪い」との認識に基づく。前者では半分は必要条件を満足させる。パンの目的は食用であり、半切れのパンは食用となる。半分の赤ん坊では妥協にもならない。(『経営者の条件』)
ソロモン王の裁きの故事に基づく絵画 「ジェームズ・ティソ作 19世紀」


この3つの要因は、そのままマスコミにも良くあてはまっていると思います。ただし、第3の項目は、さほど当てはまってはいないようにもみえます。政治の世界は、何を行うにしても妥協の産物にならざるをえないところがありますが、マスコミはビジネスであり、政治の世界ほどは妥協は少ないからです。

それにしても、ある程度は妥協は必要ですが、マスコミも妥協の仕方は下手なようです。おそらく、「加計問題」でも、正しい妥協ができないマスコミがでてくるのではないかと思います。

いくら自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道にあたっても、今回の選挙でも野党はボロ負けしています。

希望の党と、立憲民主党をあわせて、130以上の議席でも獲得できれば、野党として政治にある程度大きく関与できたでしょうが、現実には105です。これでは、まともに立ち直るだけでも数年はかかるでしょう。

マスコミは良かれと思い、「加計問題」でも、野党を応援するような報道を行ったにもかかわらず、この有様です。

今後も筋悪の「加計問題」を追求し続ければ、野党にとっては良いようにもみえますが、最初から何の生産性もない問題に野党を拘泥させることになり、野党は政策も、政局も見失いますます衰退していくことになると思います。

野党がますます衰退することになれば、今のままではあれば、マスコミも衰退することになるでしょう。この場合、マスコミも妥協を行い、「加計問題」からは距離をおくなどの正しい妥協を行えばよいのでしょうが、妥協の仕方を誤れば大変なことになるでしょう。

今回は、加計問題を受験生にたとえてみましたが、この架空の受験生のようなことが本当に起こったとして、私や私の家族がこの受験生だったとしたら、マスコミが疑惑を報道しつづけるというのなら、私は確実にマスコミや野党の議員を訴えます。

これは、高橋洋一氏も指摘していますが、今までも酷かったですが、これからも酷いことをすれば、加計学園が訴訟を起こすことになりかねません。そうなれば、当然のことながら、野党の関与も調べられることになります。不正の証拠がないということになれば、有罪になる可能性は高いです。

そうなれば、野党もマスコミもかつてないほどに、弱体化することになると思います。そうして、今のところはその確率が非常に高いと思います。

【関連記事】

リベラル勢力たちの自業自得 「反安倍なら何でもあり」では国民から見捨てられるだけ―【私の論評】マネジメントの原則から見る民進党消滅の要因(゚д゚)!

モリ・カケの“偏向報道”追及した小川榮太郎氏直撃 「虚報が政権揺るがす事態」が執筆のきっかけ―【私の論評】「もりかけ」で野党・マスコミ再編・崩壊が進む(゚д゚)!

立民、「首相の解散権制約」の不毛 民進“分裂騒動”の責任押し付けたいだけ 宇佐美典也氏緊急寄稿―【私の論評】立憲主義の立場からも首相の解散権は正しい(゚д゚)!

“モリカケ問題”争点化も左派メディア敗北 ネット上「偏向報道っぷりが酷過ぎる」―【私の論評】マネジメントの原則からみたマスコミ知能低下の要因(゚д゚)!

絶望的な立憲民主党の政策 経済でリベラルのお株奪われ「反安倍」しかない情けなさ―【私の論評】国会対策は「モリカケ」だけ!次の選挙では姿を消す(゚д゚)!

2017年9月25日月曜日

「北朝鮮問題」覚悟を決めた安倍首相と、決められない野党の「大差」―【私の論評】政党が守るべき六つの規律と駄目にする六つの方法(゚д゚)!

「北朝鮮問題」覚悟を決めた安倍首相と、決められない野党の「大差」

選挙の争点は、やっぱりここだろう

髙橋 洋一経済学者
嘉悦大学教授

本日解散の意思を表明した安倍首相 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

 「圧力か、対話か」

いよいよ衆院解散である。夕刊フジが9月13日発行号で「9・25解散強まる」と報じたのを皮切りに各マスコミがこれを後追い。しばらくは安倍首相も真意を明かさなかったが、今日25日についに衆院解散を表明する。

安倍首相の気持ちは、北朝鮮の一点にあるのだろう。国民と国家を守るために、どのような政府が必要なのかを国民へ問いかけるはずだ。先の国連での演説を読んでも、この決意がわかる。15分程度のものであるので、全文を読んだらいい(http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0920enzetsu.html)。

北朝鮮の脅威が目の前に迫っていることを強く世界に訴えて、今は対話ではなく圧力の時だと、これまでの歴史を鑑みながら納得のいく説明をしている。振り返れば1994年の米朝間核合意、2005年の六ヶ国協議での北朝鮮の核放棄合意と、二度も対話による合意があった。にもかかわらず北朝鮮はいずれの合意も無視して、核・ミサイル開発を進めてきた。対話による安定を期待していたが、いまはその期待とはまったく正反対の状況にある。

安倍首相は、「三度も騙されるために対話をするのか」と選挙で訴えるだろう。国連で国際社会に訴えたように、国民にも問いかけるはずだ。

簡単な対立図式でいえば、「圧力か対話か」が選挙の重要な争点となるだろう。左派政党は「対話を」となるだろうが、はたして対話路線で、リアルな国際政治の議論についていけるだろうか。

実際の国際社会でも、当初中国とロシアは対話を主張していたが、最近では対話と圧力のなかで、圧力のウエイトが増している。特に、先日北朝鮮が実施した水爆実験では、さすがの中国もロシアも「これはマズい」と思いだしており、石油禁輸は盛り込まれなかったものの、それに準ずる強い制裁措置が採用されたことからも、それは明らかだ。

日米が強い対応を打ち出したところ、北朝鮮側は「超強硬対応を検討する」とした。まさに米朝のチキンレース。トランプ大統領は金委員長を「ロケットマン」と呼び、「アメリカや同盟国を攻撃する事態になれば、他の選択の余地はなく北朝鮮を完全に破壊する」ともいった。

これに対し金委員長が声明をだした。かの国で委員長が声明を出すこと自体が異例であるが、「史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」とした。「慎重に考慮」と表現しているところに、まだ最終段階には至らない余地を感じるが、これでチキンレースはまた一歩進んだ。

特に、金氏は声明の最後で「行動で見せる」といっているので、さらに核・ミサイル開発を進めるのは確実だ。北朝鮮は独裁国家なので、誰も金正恩委員長に意見を言える人はいない。委員長のいうことを実行するだけである。

一方、アメリカでトランプ大統領に意見を言える人は、北朝鮮に比べれば長女のイバンカ氏をはじめ少なからず存在しているが、もはやトランプ大統領も引き下がれない段階まできている。

 安倍首相は知っているのではないか

そんな中で行われる10月選挙。焦点となるのは、やはり北朝鮮情勢なのである。そんなときに総選挙している場合かという批判もあるが、素直に考えれば、あと1カ月ぐらいのスパンでは、アメリカと北朝鮮が武力衝突にまで進む可能性は少ないとみている。

11月上旬にはトランプ米大統領の初来日が検討されており、国連の経済制裁も当初のアメリカ案より後退したので、逆にいえばまだ手が残っている段階だ。今後さらなる制裁案が出てくる可能性があるので、軍事行動という選択肢はまだ先だ。

ただし、今後1年くらいというタイムスパンでみれば、北朝鮮が確実にアメリカ本土の核ミサイル攻撃できる能力を持つ可能性が高いので、どのような口実を作ってでもアメリカは北朝鮮を攻撃するのではないか。

となると、来年12月の衆院任期までに解散総選挙を行うのは難しい情勢になる。安倍首相は、北朝鮮によって首相の解散権が制約を受けることを何より嫌うはずだ。

実際にアメリカが軍事行動を起さないという楽観論はない。去る18日には、マティス国防長官が、「ソウルを重大な危機にさらさずに、北朝鮮に対して軍事的な対応を採ることが可能だ」と語っている。

アメリカは北朝鮮の主要な攻撃拠点を把握しており、数百発以上の巡航ミサイルなどによる同時攻撃が可能だし、その前に北朝鮮の指揮命令系統を混乱させる技術も持っているといわれている。こうした情報は、日本政府首脳にも伝えられているようだ。

しかも、アメリカにはこれまで多くの戦争に関わってきた歴史がある。最近の国際紛争では、アメリカが関与していないものを探すのが難しいほどだ。アメリカは強大な軍事力があるので、事件を「でっち上げ」てでも戦争の口実にする国だ。

ベトナム戦争でのトンキン湾事件はその典型例だ。イラク戦争での大量破壊兵器も事実でなかった。アメリカの話ではないが、湾岸戦争でも米国政府が引用したナイラ証言はクウェートの広報戦略だったことが明らかになっている。

ナイラ証言を報道するテレビ
筆者は、こうした謀略まがいを肯定するものでないが、戦争の口実はいくらでも作れるのが歴史の教訓であると思っている。アメリカはそうした戦略に基づき行動してきた国であることは、良くも悪くも事実なのだ。

実は筆者は、先日の北朝鮮の水爆実験が既にアメリカのデットラインを超えてしまったと思っている。こうしたトランプ大統領の感覚について、安倍首相は世界で一番早く掴める人物だろう。国連演説後の昼食会があったが、トランプ大統領は事前に「シンゾウの隣の席にして欲しい。そうでなければ昼食会には出席しない」と国連事務局に伝えたという。

初の日米首脳会談で、トランプ大統領は安倍首相と20秒近くも握手したり、1.5ラウンドもゴルフをした仲だ。最近でも、電話連絡を1日に何回もしているようだ。

そうした間柄なので、トランプ大統領の今後の行動について、安倍首相はこれまでの日本の歴代首相とは比較にならないどころか、現時点で世界で一番読めている、と考えるべきだろう。やはり今回このタイミングで解散総選挙が行われることは、いずれアメリカが行動にでることを示唆しているのではないか。

まさに、日本の命運を握っている「トランプ・カード」を手にしているのが安倍首相であるが、これに立ち向かう野党の人々は頼りない。

 不利な政党、チャンスの政党

今回の総選挙の争点は、これまで述べてきた①北朝鮮への対応(対話か圧力か)のほかに、②消費増税の是非、③憲法改正となるだろう。

民進党は北朝鮮対処で「まだ対話が必要」というのだろうか。もしそうであれば、それはここ20年間の対話で北朝鮮がウソをいい続けて核・ミサイルを開発してきたという事実にはどう答えるのか。それでもまだ、というのは「お花畑議論」に思えて仕方ない。

といっても、民進党はもう北朝鮮問題でリアルな議論はできそうにもない。民進党内の保守系といわれる細野氏や長島氏は、こうした民進党の非現実的な議論に飽きて離党している。

前原氏は外交安保では比較的リアリストであるが、それでも党内の多くの意見は相変わらす「お花畑」なので、北朝鮮問題では「対話せよ」となって、共産党と比較的に意見が合いそうである。となると、前原氏が忌み嫌っていた共産党との共闘が、各地の選挙区でみられるかもしれない。その際、「モリかけ」の疑惑隠しのための国会解散だ、というだろう。

本コラムの読者であれば、「モリかけ」における総理の疑惑について裏付けされたものはひとつもなく、単なる言いがかりであったことが明らかだ。「モリかけ」は腹一杯である(笑)。北朝鮮問題の重要度に比べると「モリかけ」は次元が低い話で比較にならないが、国民にはどう映るのだろうか。

民進党は、②と③についても自民党とは明確な差が出せそうになく、苦しい選挙となるだろう。

日本維新の会は、外交安保では常識的な保守政党なので、まともな意見をいうチャンスである。自民党も民進党もいえない、①での非核三原則の見直し、②で消費増税凍結や規制改革を主張し両党との差別化を図りながら、存在感を増す好機だろう。③の憲法改正では、日本維新の会が先導してきた「教育無償化実現」を訴えるチャンスだ。

小池新党はどうだろうか。保守系の人たちが一気に集まれば面白いことになる。風を吹かすにはいい機会なのだが、なにしろ手勢が少なく準備不足である。小池氏が都知事から国政復帰すると宣言すれば別の展開になるかもしれないが、今の状況では難しいだろう。北朝鮮問題への対処が争点となるなかで、存在感を見せられるか。

小池百合子東京都知事は、本日都内で会見し、新党「希望の党」の立ち上げを発表した
いずれにしても、①北朝鮮への対応(対話か圧力か)が総選挙の中心争点になると、これまで集団的自衛権や安保法制に反対してきた政党や政治家は苦しい展開を強いられることになる。

リアルな危機を目の前にすると、「お花畑議論」がまったく通用しないからだ。この点、自衛隊を違憲と主張する共産党が今回の選挙でどのような結果となるか、も注目の一つである。

総選挙は、しばしば「政策の展覧会」ともいわれる。この際、各政党が外交安保、経済などで是非論戦を戦わせて、国民に政策の選択肢を示してほしい。安倍首相は、もっとも得意とする外交安保で解散総選挙を仕掛けたわけだが、はたしてどの政党がその論戦について行けるだろうか。

各政党もここで勝てば、安倍政権打倒の道が開けている。おおいに自説を掲げて戦ってもらいたい。

【私の論評】政党が守るべき六つの規律、駄目にする六つの方法(゚д゚)!

さて、本日も最近の解散にともなう、各党の状況をマネジメント的観点から分析しようと思います。全政党について分析するということになれば、あまりに長くなるので、自民党と民進党の対比ということにします。

特に、自民党などの有利な状況と、民進党などの不利な状況について分析してみます。特にドラッカーの考え方を適用して分析してみようと思います。

ドラッカーは政治学者ではないので、政治そのものや、政党について分析した書籍はありません。ただし書籍の中の一部で政治や政党などについて分析していることはあります。

政党は、非営利組織であり公的機関とみなしても良いと思います。そうしてドラッカー自身も、マネジメントの基本はあらゆる組織にあてはまるとしているので、ドラッカー公的機関に関する分析は、日本の政党の分析にも役立つものと思います。

ドラッカーは、"公的機関が必要とするのは卓越した人材ではない六つの“規律”である"としています。政党も優秀な人がいれば良いというものではなく、やはり守るべき規律をまもらなければ、衰退していくものと思います。
あらゆる公的機関が、六つの規律を自らに課す必要がある。事業の定義、目標の設定、活動の優先順位、成果の尺度、成果の評価、活動の廃棄である。(ドラッカー名著集(13)『マネジメント──課題、責任、実践』[上])
今ようやく日本でも、公的機関の見直しが急ピッチで進められています。しかしドラッカーは、すでに3分の1世紀前に、公的機関に成果を上げさせるための規律を明らかにしています。

第一に、自らの事業を定義することです。「事業は何か」「何であるべきか」を定義することです。ありうる定義をすべて公にし、それらを徹底的に検討することです。これは、政党でいえば、どのような政策を考えるかということにあたると思います。

第二に、その定義に従い、明確な目標を設定することです。成果を上げるには、活動に直結する目標が必要です。目標がなければ活動のしようがないです。

第三に、活動に優先順位をつけることです。同時に、期限を明らかにし、担当する部署を決めることです。

第四に、成果の尺度を明らかにすることです。尺度がなくては、せっかくの事業の定義や目標も、絵空事に終わります。

第五に、その尺度を使って成果のフィードバックを行なうことです。全組織が成果による自己目標管理を行なわなければならないのです。

第六に、事業の定義に合わなくなった目標、無効になった優先順位、意味の失われた尺度を廃棄することです。不十分な成果に資金とエネルギーを投入し続けることのないよう、非生産的なものすべてを廃棄するシステムを持つのです。

これらのステップのうち最も重要なものは、事業の定義だと誰もが思うかもしれません。ところがドラッカーは、最も重要なものは、第六のステップだといいます。企業には、非生産的な活動を廃棄しなければ倒産するというメカニズムが組み込まれています。ところが、公的機関にはそのようなメカニズムがないです。

公的機関が必要としているのは、人の入れ替えの類いではない。わずか六つの規律を守ることなのです。
公的機関に必要なことは、企業のまねではない。成果をあげることである。病院は病院として、大学は大学として、行政機関は行政機関として成果をあげることである。つまり、自らに特有の目的、ミッション、機能を徹底的に検討して、求められる成果をあげることである。(『マネジメント』)
これは、無論政党にもあてはまることです。政党も成果をあげなければ存在意義がありません。

そうして、この点から自民党と、民進党を比較すると、どちらか特に優れているということもないようです。私は、このブログにも過去に何度か、民主党(現在の民進党)は、自民党のコピーのような政党であり、コピーした分だけ、劣化しているということを指摘しました。

そのためでしょうか、六つの“規律”という観点からみると、自民党と民進党のいずれが、この規律を守れているかといえば、どちらの党も似たり寄ったりであると思います。

ただし、自民党のほうが、第六の規律については、民進党よりははるかにましであると考えます。経済政策においては、増税では失敗したものの、金融緩和策では成功して、雇用状況がかなり改善されています。また、北朝鮮情勢に対する対応も、素早いものがあります。

ドラッカー氏
政党などの組織も、成果あげることは容易ではありません。公的機関の成果について、ドラッカーは以下のように語っています。
公的機関が成果をあげるようにすることは容易でない。しかし、公的機関が成果をあげないようにすることは簡単である。6つの罪のうちどの2つを犯しても、成果は立ちどころにあがらなくなる。今日、公的機関の多くが6つの罪のすべてを犯しているが、その必要はない。2つで十分である。(『日本 成功の代償』)
これは、1980年、ドラッカーが「パブリック・アドミニストレーション・レヴュー」誌に寄稿した論文を引用したものです。これは、『日本 成功の代償』に収載されているが、日本の公的機関についてだけ書いたものではありません。世界中の公的機関が抱える問題を論じています。

公的機関が成果を上げないようにするための第1の方法は、ドラッカーは、目的として、「保健」や「身体障害者福祉」などのあいまいなスローガンを掲げることであるとしています。

この種のスローガンは、設立趣意書に書かれるだけの値打のものであり、いかなる趣旨のもとに設立したかは明らかにしても、いかなる成果をあげるべきかは明らかにしないからです。

第2の方法は、複数の事業に同時に取り組むことです。優先順位を決め、それに従うことを拒否することであす。優先順位がなければ、努力は分散するだけとなります。
第3の方法は、「肥満が美しい」とすることです。ドラッカーは痛烈です。「金で問題の解決を図ることは間違いだと言われる。だが頻繁に目にするのは、人手で解決を図ることである。人員過剰は資金過剰よりも始末に負えない」。

第4の方法
は、実験抜きに信念に基づいて活動することです。ドラッカーは、これは、「初めから大規模にやれ、改善はそれからだ」という、今日の公的機関に一般的に見られる態度だと指摘します。

第5の方法は、経験から学ぼうとしないことです。つまり、何を期待するかを事前に検討することなく、したがって、「結果」を「期待」にフィードバックさせないことです。

第6の方法は、何ものも廃棄しないことです。もちろん、この方法によれば、ほとんどただちに成果を上げられなくなります。
政府機関であれ民間機関であれ、公的機関はすべて不滅の存在と前提している。馬鹿げた前提である。そのような前提が、公的機関をして成果をあげなくさせている。(『日本 成功の代償』)
政党として、成果があげられないようにする方法に関して、両党を比較してみました。

まずは、第一のあいまいなスローガンをあげるといいうことでは、 自民党は党の綱領などみてみましたが、作成されたのが、昭和30年代であり、そこから改定されていません。これでは、民進党の綱領は昨年作成されているのですが、結論からいうとまさに、「あいまいなスローガン」になっています。

民進党には、「結党宣言」もありますが、その最後の言葉「野党勢力を結集し、政権を担うことのできる新たな政党をつくる」という文言があります。野党を結集したら政権を担える、その発想がそもそも旧態依然とした55年体制的なのです。

自民党は、古いスローガンがそのまま、民進党は曖昧なスローガンということで両者に差はありません。第2〜第4もさほど差があるとは思えません。

しかし、第5と第6では大きな差異があると思います。民進党は、ブーメランという言葉で象徴されるように、過去においても、何度もスキャンダルで自民党を批判し、その都度かえつて不利な状況を招いてきました。スキャンダル追求では、過去においては何の成果をあげることもできませんでした。

しかし、「森友・加計問題」に関しては、いっときかなり成果をあげたかのように見えました。そうして、現在でも野党はこの問題を追求し続けたいようです。実際以下のような新聞記事があります。
野党、冒頭解散を批判 民進代表「疑惑隠し」  :日本経済新聞

野党は19日、28日召集の臨時国会冒頭で衆院を解散する意向を固めた安倍晋三首相を批判した。 
民進党の前原誠司代表は19日の党常任幹事会で、学校法人「森友学園」「加計学園」の問題に触れ「敵前逃亡、自己保身、疑惑隠しの解散と言わざるを得ない」と強調。 
以下、全文を読む
ところが、わずか二ヶ月前には、同じ日経新聞に以下のような報道がされていました。
蓮舫氏「解散に追い込む」=社民幹事長も同調:時事ドットコム

民進党の蓮舫代表は6日の記者会見で、自民党が東京都議選で惨敗したことを受け、「解散・総選挙はいつでも受けて立つ。(衆院解散に)追い込みたい」と述べた。
 社民党の又市征治幹事長も同日の会見で、「内閣改造でごまかそうとしているが、解散・総選挙を打たざるを得ないところに追い込むことが大事だ」と強調した。
以下、全文を読む
これでは、完全に矛盾しています。安倍総理の解散の決断は、二ヶ月前の野党の要望に沿ったものともいえるものです。

「森友・加計問題」のようなスキャンダル追求は、結局過去においてはめぼしい効果をあげていません。過去においては、いくら野党がスキャンダル追求をしても、与党の支持率は微動だにしませんでした。

「森友・加計問題」では、一時支持率は落ちたものの、現在では回復しています。本当に、民進党をはじめとする野党は、経験に学ぶということができないようです。

安倍総理は、経験に学ぶということができます。第一次安倍内閣のときの失敗を謙虚に反省して、現在の政権運営に生かしています。特に経済面ではそうです。とはいいながら、これはあくまで、安倍総理とその側近に関していえるということであり、残念ながら、自民党という組織としては、あまり経験に学ぶということは得意ではないようです。

とはいいながら、総裁がそのような姿勢なので、民主党の大失敗の経験から学ぼうとしない民進党前原代表や幹部の存在する民進党とは大きな差があります。

第6の方法は、何ものも廃棄しないということでは、やはり民進党のほうに軍配があがります。ほんとうに、古い考えをそのまま、温存して何も破棄しようとしません。

まずは、上記であげたように、スキャンダル追求主体という方法をいつまでも堅持しています。無論、いっさいやるなとはいいませんが、これが主体で、政策論争がおろそかというのでは、本末転倒です。

それに、憲法でも、安全保障に関する事柄でも、とにかく古いものにしがみつくということでは、自民党に比較しても、かなり劣っています。

それにしても、上の6つの規律、公的機関が成果を上げないようにするため6つの方法など見ていると、自民党も決して優れた政党ではないことが理解できます。

やはり、今回の選挙では、各政党が外交安保、経済などで是非論戦を戦わせて、国民に政策の選択肢を示してほしいものです。

各政党もここで勝ち、上で上げた諸規律を守り抜けば、目覚ましい成果をあげて、安倍政権打倒の道が開けることになるかもしれません。また、そのような政党が出てくれば、自民党にも多いに刺激になって、良い政策を打ち出し、政権の座を守り抜くことになるかもしれません。各党おおいに自説を掲げて戦っていただきたいものです。

【関連記事】

憲法の縛りのせいで拉致・ミサイルに対抗する手段がない。だったら「憲法のほうがおかしい。変える」ってなるのが普通でしょ?―【私の論評】変化に焦点をあわせるなら憲法改正は当然(゚д゚)!

【WEB編集委員のつぶやき】朝日も民進も「大義がない」とは能天気だ「北朝鮮危機」に決まっているではないか!―【私の論評】真の意味を知らない野党、新聞に大義を語る資格なし(゚д゚)!

安倍首相『解散』の真相 北“異次元の危機”前に…関係者「山尾氏の不倫疑惑など眼中にない」―【私の論評】誰が正しいかばかり考え、正しい妥協ができない野党に明日はない(゚д゚)!

敵基地攻撃、賛成派が上回る 産経・FNN合同世論調査―【私の論評】世界屈指の戦略家の戦略を選ぶ日本国民は賢い(゚д゚)!

北朝鮮が教えてくれた「9条改正」の必要性―【私の論評】日本も安全保障面での変化の担い手になることを目指せ(゚д゚)!



ロシアでバスが橋から転落、川へ真っ逆さま 乗客7人死亡―【私の論評】ロシアで深刻化する人手不足問題、さらなる悲劇を招くのか?

ロシアでバスが橋から転落、川へ真っ逆さま 乗客7人死亡 ロシアのサンクトペテルブルクで5月10日、バスが橋の欄干を突き破って川に転落し、乗客7人が死亡した。監視カメラの映像には、転落する前にバスが大きくハンドルを切る様子が映っていた。バスは完全に水没し、救急隊が出動。現地当局は、...