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2017年3月12日日曜日

大人気の「ふるさと納税」、激化する競争に官僚が猛反対するワケ―【私の論評】悪しき「似非財政民主主義」の罠を断て!「ふるさと納税」はその端緒(゚д゚)!


総務省 ふるさと納税 ポータルサイトに掲載されている写真 写真はブログ管理人挿入以下同じ

     官僚が猛反対するワケ
簡単な手続きで豪華な特産品がもらえることから、平成27年度には約130万人が利用した「ふるさと納税」だが、ここへきて人気の過熱に否定的な声が上がっている。

まず指摘されているのは、ふるさと納税の納税額が増えるにともなって、東京都をはじめ都市部の自治体の税収が減っていることだ。また、返礼品の競争が過剰になっている点についても是正が必要だと批判されているのだが、果たしてこれらの議論は妥当なのか。

そもそも、ふるさと納税が創設されたのは、'07年、第一次安倍政権のときで、菅義偉総務大臣(当時)の発案によるものである。自分で選んだ自治体に「寄付」すると、その額に応じて一定の住民税が控除される仕組みだ。

この制度の画期的なメリットは、税額控除の仕組みに寄付金の制度がともなっていることにある。つまり、税の使い方を国民みずからが事実上選ぶことができる。それは言うまでもなく、これまでの「官僚の理屈」から考えればあり得ないこと。

彼らは自分で税を徴収し、配分するのが「公正」であると考えてきた。実際、ふるさと納税が創設されるとき、官僚は猛反対していたほどである。

実は当初の制度では、納税額に対して返礼品を送る制度はなく、むしろあまり話題に上がらないようなシステムだった。ところが、返礼品を導入する自治体が増えるにつれ、徐々に人気と競争が過熱していったという経緯がある。

日本の税政上、都市部に集中した税収を地方に再分配するのは至難の業だ。だから国民による自主的な配分を促すことができるふるさと納税は、地方自治体の活発な運営にうってつけの制度である。

実際、都市部の自治体の税収が減っているのは、主導した菅氏の目論見どおりで、多数の政治家や官僚のエゴにとらわれずに再分配を進めることができたといえる。

    「足による投票」

問題となっている返礼品であるが、上限を設けるべきかどうかは慎重に検討すべきだ。たしかに自治体が赤字を出してまで、高額な返礼品を用意する必要はない。

だが、全体を見たときに「過剰」な競争かといえば、そうとも言い切れない。自治体間の競争を促す立場に立てば、過剰な「規制」もまた悪になるからだ。返礼品競争を悪と見る官僚が多いのも事実だが、それも結局、官僚による配分のほうが絶対に正しいという前提が彼らのハラの中にはある。

実際には、官僚による配分には「不正」があることを考えれば、官僚主導による規制よりも自治体間の競争のほうがまだマシ、という理屈が立つ。

社会学ではチャールズ・チボーの「足による投票」という言葉がある。好ましい行政サービスを提供する自治体に住民が移動すれば、自治体の財政収入が上がり、必然的にそうした自治体が生き残るという考え方である。

ふるさと納税においては、実際に移転しなくても財政の移動を促進し、好ましい行政サービスを実施する自治体を応援することができる。いうなれば、自治体の競争を実質的な住民移動で促せるのだ。

ふるさと納税のような「足による投票」は、住民に望ましい首長を選挙で選ぶ「手による投票」とともに、よりよい自治体運営を目指すためには不可欠な考え方なのだ。

『週刊現代』2017年3月18日号より

【私の論評】悪しき「似非財政民主主義」の罠を断て!「ふるさと納税」はその端緒(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事で、役人に関して"彼らは自分で税を徴収し、配分するのが「公正」であると考えてきた。実際、ふるさと納税が創設されるとき、官僚は猛反対していたほどである"と掲載されています。

この役人の考えの根拠となっているものに財政民主主義があります。

かつては、強制的に徴収された税は王室の私的目的に利用されていたが、そのことへの民衆の反発が革命をもたらし、課税権ならびに支出の決定権が国王から議会へと移されることとなりました。

このような歴史的な経緯から、財政民主主義とは、いかなる社会的ニーズをどのような財源で充足するかという問題に対して、国民ないしその代表である議会が主体となって決定をおこなうとする原則です。

「財政にこそ民主主義があらわれる」といわれるのもこのような理由からです。この原則は憲法において明文化されており、国民の代表が議会で内閣の提出する予算案を審議、承認し、歳出と歳入の内容を監視するという建て前になっています。

しかしながら、わが国の場合、議会ではなく財務省による財政統制が強い影響力を持っており、国民の意見がどのように財政運営に反映されているか、国民がどの程度予算の内容を監視できるかという観点から、財政民主主義の形骸化がたびたび指摘されています。

以下に、日本国憲法において財政民主主義がどのように規定されているか、掲載します。

国家が運営されていくには、膨大な資金が必要であることは言うまでもありません。

その膨大な資金を、どのように集め、どのように管理し、どのように使っていくのか、そのあたりの国の運営資金の規定が、日本国憲法の第7章の「財政」、83条から91条までに定められています。

ここの財政の章で規定されていることでまず抑えておかなければならないのは、
財政民主主義(83条)という概念です。

これが日本の国家財政を語る上での大原則になってきます。
そして、この財政民主主義の考え方を、
歳入面では租税法律主義(84条)、歳出面では国費支出議決主義(85条)と定めています。

日本国憲法は、国家財政において、この3つを基本原則として規定しています。

財政民主主義(83条)

「財政」とは、国家が使う費用について、その資金を徴収し予算を組んで配分し、
実際に支出するまでの一連の流れのことをいいます。

これらの資金は、国民から徴収し、直接的にも間接的にも国家国民のために支出するわけです。国民からしたら、どのように徴収され、どのように予算として組まれ、ちゃんと支出されたのかは重要な関心事となるわけです。

そこで憲法は、この財政に関して、国民の民主的コントロールが直接及ぶ議会にて決めさせる規定を置きました。

実際に予算を執行していくのは行政(内閣)ですが、国家機関のうち、民主主義機関といえる国会に財政を委ねるというのは、国民主権における民主主義の観点からも当然の帰結といえるでしょう。

これを「財政民主主義(83条)」といいます。

83条
国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
しかし、日本におけるこの財政民主主義は、議会ではなく財務省による財政統制が強い影響力を持っており、国民の意見がどのように財政運営に反映されているか、国民がどの程度予算の内容を監視できるかという観点からは形骸化しています。

私は、このブログでは過去において、財務省などの官僚が財政民主主義的立場から、寄付金制度に対して積極的ではないことに対して批判をしてきました。最近では、あまり掲載しなくなりましたが、いっときはかなり頻繁に掲載していたことがあります。

その典型的な記事のリンクを以下に掲載します。
「国民全体の問題」=「赤ちゃんポスト」検証会議座長が会見-熊本・・・・・赤ちゃんポストの問題は実は財務省・事業仕分けにまでつながる!?
2009年にも話題となっていた熊本の赤ちゃんポスト
この記事は、2009年11月26日のものです。当時はブログをはじめてあまり月日がたっていなかったので、記事にまとまりがなく、長文になっています。この記事は、当時国内で問題になっていた赤ちゃんポストに関してのべ、私の論評として、このような問題には、本来NPOが本格的に取り組むべきであるのに、日本では寄付金文化が定着しておらず、それがこの種の社会事業の限界となっていることに対する批判を掲載しました。

以下に一部分を引用します。
■NPO(非営利企業)が活動できる土壌を醸成する必要がある  
こういった、大きな社会問題、日本の場合は、ここで行き止まりになってしまいます。八方塞になってしまいます。そのために、多くの人々が閉塞感にさいなまされています。こういった、大きいな社会問題に対処するには、やはり、それを解決することを人生の目標、目的とする社会問題の専門家が必要です。専門家といっても、学者が必要といっているのではありません。

たとえば、社会学者などの学者は、社会問題を的確に捉えることには、役に立ちます。それは、それで立派なことです。十分学者としての使命を果たしていると思います。しかし、それを具体的に解決することは無理です。せいぜいできることは提言です。上の記事にで掲載してあるような人々は、結局、集会や会議を開いて、この問題の重要性を訴えたり、何とかしようと呼びかけたりするだけです。結局善意だけでは何もできないのです、無論それだけでも意義のあることですが、これだけだと具体的な解決に至る可能性はかなり低くなります。

であれば、この問題は永遠に解決できないのでしょうか?そんなことは、ないと思います。欧米などでは、核家族制度の歴史が古いです。そのため、社会の中にこれらに対応するシステムが構築されています。それは、主に、NPOという組織であり、少数の有給の正規職員と、多数のボランティアで運営されています。結婚前のお付き合いの仕方から、結婚から出産まで、その後の夫婦生活から、倫理観まで懇切丁寧にアドバイスなどしてくれたり、場合によっては、雇用なども絡む多数のプログラムの中からいろいろな問題を解決する糸口を提供してもらえたり、場合によっては資金も提供してもらえます。それも、地域に密着したNPOが多いため、地域性についてもかなり柔軟に対応しています。

こうした問題の解消も、欧米ではNPOが解決に取り組む、社会事業(ビジネス)という位置づけです。欧米では、このような社会事業に取り組むことも、ビジネスと呼び、営利事業をするのと何も変わらず、真摯な態度で、シビアにことを進めます。間違っても、善意だけでことを運ぼうとはしません。日本と違い、資金も、人手も多数使います。善意だけでは何もできないし、何も変わりません。違うのは、営利事業では成果の尺度が、経済的なものですが、非営利事業では社会的使命を遂行することということだけです。

日本にも、最近ようやっと、社会事業の芽が生えてきたところです。社会事業家、社会起業家が社会問題に熱心に取り組み、社会問題の解決の糸口をつかんだり、実際に解決したりしています。この社会事業家が事業をするためには、日本でもNPO(非営利企業)という組織を設立して実施するのが普通です。そうすることによって、社会的にも認知され、国からも補助金を受けられます。しかし、彼らが行っているのは、まだまだ小さなことばかりです。無論小さなことを解決するにも意義があり、それだけでも大変なことです。しかし、小さなことばかりしているのは、日本の社会事業家がやる気がないとか、能力がないということではありません。実は、日本には、彼らが自由に活発に動き回れるようにな土壌が醸成されていないのです。

なぜ醸成されていなかについては、このブログでも何回も述べてきていますが、その第一は、まずは政府から補助金がスズメの涙であるということです。そのため、多くのNPOは、ギリギリの予算でようやっと成り立っているというのが実情です。今年の1月に、NPO法人彩経会(高桑五郎理事長)では、多くの行き場のないご老人が火災のためになくなってしまいました。しかし、このNPO法人その後も存続しています。明らかに必要な施設でもあるにも関わらず、結局は資金不足でこのような結果を招いてしまったようです。このようなNPOを運営するためには、ある程度の資金が必要です。しかし、政府の補助金だけではなかなか成り立たないというのも真実です。

さらに、悪いことには、日本には、海外ではNPOの活動資金の源泉ともなっている寄付の文化がありません。なぜ寄付の文化が根付いていないかというと、何も、寄付金の文化が根付いてる、アメリカやイギリスのお金持ちが善意に満ち溢れていて、日本のお金持ちがケチで血も涙もないというわけではなく、日本では、NPOに寄付したからといって税制上の優遇措置を受けられないという重大な問題があるからです。アメリカやイギリスなどでは、普通になっている税制上の優遇措置が日本では税制化されていないのです。アメリカでは、NPOに税制上の優遇措置があるとか、政府から補助金が大きいなどで、アメリカ全国のNPOの年間の歳入は、なんと、アメリカの国家予算に匹敵するほどの額になっています。

なぜ日本だけが、そのようになっていないかというと、その根本原因は、実は財務省にまでさかのぼります。これは、以前のブログにも掲載しましたので、詳しくは、そちらを見ていただくとして、かいつまんで述べます。実は、財務省にはいわゆる「財政民主主義」という考えがあって、NPOなどにたくさんの資金が集まることは、「財政民主主義」趣旨からするとよろしくないことだそうです。しかし、寄付金が多く集まるということは、当該NPOが民意を反映したことをしていることを意味しているのではないかと思います。そんなことをいいながら、財務省は、資金配分をして多くの要りもしない、独立法人や、天下り官僚に資金配分をしているではありませんか。多くの埋蔵金を生み出しているではありませんか!!これは、正しい意味での「財政民主主義」ではなく、一部の財務高級官僚がつくりだしてる「似非財政民主主義」ではありませんか?
上記でも述べているように、日本では、寄付金文化が根付かない根本的な原因は、財務官僚などによる「似非財政民主主義」によるものです。この「似非財政民主主義」が日本では寄付金文化の定着を阻害し、そうして官僚が「ふるさと納税」に猛反対する理由です。

ちなみに、ふるさと納税の法源は地方税法第37条の2にあります。これは2008年4月30日に公布された「地方税法等の一部を改正する法律」(平成20年法律第21号)によります。第37条の3中「前2条」を「前3条」に改め、同条を第37条の4とし、第37条の2中「前条」を「前2条」に改め、同条を第37条の3とし、第37条の次に次の1条を加える、と定め、従前の地方税法に「(寄附金税額控除)」、第37条の2を挿入しました。第37条の2はその後平成23年法律第83号により改正され現在に至っています。

「ふるさと納税」は、国会で正式に審議されて、制定されたものであり、まさに国民の代表である議会が主体となって決定をおこなったものであり、これこそ財政民主主義的手続きを経て実行されているものです。

北海道妹背牛(もせうち)町の「ふるさと納税」返礼品
これに対して、国民の代表でもない官僚が猛反対するのは、全くの筋違いであり、国民から反対の声が大きくあがっているというのならともかく、大人気なのに、これに大反対するというのであれば、これは明らかに財政民主主義に対する挑戦です。

官僚は国民から信託を受けているわけではないのです。本来国民の信託を受けた政府の下請け的な存在でしかないのです。であれば、ふるさと納税に猛反対するということは、分不相応な思い上がり以外の何ものでもありません。

この思い上がりは、2014年春からの消費税増税を決定する際にも遺憾なく発揮されました。大規模な財務省による増税キャンペーンにより、マスコミ、政治家、識者などのほとんどがこれに賛同し、増税による日本経済への悪影響は警備などというまやかしに乗って、結局増税が実施されたため、日本経済はいまだ十分に回復していません。

この記事を書いたときは、2009年であり、デフレの真っ只中の時代でした。こういう時には、本来なら大規模な金融緩和と大規模な積極財政を実行して、デフレから速やかに脱出すべきでした。

当時、あまりマクロ経済に詳しくなかった私は、とにかく財政にばかり目が向いていて、大規模な金融緩和に踏み切るべきという考えには至ってはいませんでしたが、増税には大反対でした。

そうして、デフレの真っ只中であるにもかかわらず、増税するなどという愚かなことをするのは、絶対に間違いであり、なぜ官僚がそのようなことを主張するのかといえば、その根底には「ふるさと納税」の税控除の基礎ともなっている寄付や「NPO」に対する寄付などは、財政民主主義の立場から間違いであるという考えが根底にあるためであったのだと思います。

とにかく、自分たちの手を経ないで、寄付をされるということに官僚は反対なのです。これこそ、本来の財政民主主義に対する傲慢な挑戦以外のなにものでもありません。

歴史的にいえば、強制的に徴収された税は王室の私的目的に利用されていたが、そのことへの民衆の反発が革命をもたらし、課税権ならびに支出の決定権が国王から議会へと移されることとなったわけなのですが、官僚の寄付金への反発は、「税を王室の指摘目的」に使うというこの「王室」の立場を自分たちが担いたいという主張をしているに過ぎません。

さて、今の日本では「ふるさと納税」という形で、自治体への寄付金が国民の代表である議会が主体となって決定され行われ、それが現在定着しているわけです。もうそろそろ、国民が主体となって実施するNPOへの寄付が本来の財政民主主義の手続きへて、欧米なみに実施できるる素地をつくる段階に来ていると思います。

たとえば、「保育園」などの運用も、入札制度によりシンクタンクなどのNPO(もしくはNGO)が制度設計をしたうえで、適当な地域に区切った地域のNPOが実行計画を立案して、運用していくようにしたほうが、行政が直接実行よりもはるかに良い成果を出すことができます。

実際、米国などでは、たとえば地域のNPOが貧困層住宅を提供するだけではなく、サブプライムローンで、投資銀行が大失敗していたような時期においても、職業訓練をも含む包括的なブログラムを提供して大成功をおさめていました。無論米国には、このようなことを実施してさえ、貧困問題を解消できなかったのですが、もしこのようなことが実施されてなかったとしたら、事態はさらに深刻なものになっていたことでしょう。

米国では、地域の銀行や建設会社がNPOに属していて、他の様々な専門家と、NPOの職員が協力して、貧困対策として、住宅の提供、職業訓練、就職活動を含む包括的なプログラムを実行したりして、大規模な社会事業が根付いています。

日本のように、社会事業やNPOといういうと、奇特な人たちが手弁当で行う事業というような認識しかないようですが、これも寄付金文化が根付いていないが故の認識だと思います。

しかし、本来は日本にだって、まともなNPOや社会事業が必要なのです。少し前に話題となった、「保育園」などの運用は、一般の人が思っているよりははるかに難しいです。しかも、地域に応じて様々なパターンがあり、それこそ、役人では運用計画を立案するのは帯に短し襷に長しで非常に無理があります。こういう仕事こそ、地域のNPOに実行させるべきです。

「保育園」の運用に限らず、このような様々な社会事業を適切に遂行するには、行政だけでは困難なのです。本来は、民進党などの野党がこのようなことを考え、国会で提案すべきなのですが、彼らはそのようなことに興味がなく、安倍政権を糾弾することのみに、集中しています。

このような状況では、せっかく金融緩和策等で経済が良くなったにしても、地域における社会問題は放置されることになってしまいかねません。つい最近までは、とにかくデフレを脱却しなければ、NPOどころではないということで、このブログでもNPOに関する話題はほとんど掲載しなくなりましたが、経済が良くなればまた掲載していこうと思います。

このブログでは、過去にNPOに寄付金を欧米並みにできるようにすべきことを主張していました。そうして、私自身過去には、自分の会社でNPOを設立して社会事業に本格的に挑戦しようと本気で考えたこともあるのですが、それと同時期にデフレがかなり進行したので不可能であると考えて断念したという経緯もあります。

しかし、官僚はこのような考え方に対してはあくまで彼らの「似非財政民主主義の立場」から絶対に反対しつづけるでしょう。しかし、いずれ悪しき「似非財政民主主義」の軛は完璧に絶たれるべきなのです。そうして、「ふるさと納税」はその端緒となっているのです。

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2012年6月9日土曜日

【超悲報】約1200人の女性に調査したところ、今夏「水着を着ない」という人が6割超! 日本の夏はさみしくなった……―【私の論評】水着をめぐる社会の変化。UVカットは定番となるか!!

【超悲報】約1200人の女性に調査したところ、今夏「水着を着ない」という人が6割超! 日本の夏はさみしくなった……:

【超悲報】約1200人の女性に調査したところ、今夏「水着を着ない」という人が6割超! 日本の夏はさみしくなった……


ナンだってーーーッ!! 今年の夏に関して、驚くべき調査結果が明らかになった。女性のコミュニティサイト「ハー・ストーリィ」が、約1200人の女性を対象に調査したところ、今夏水着を着ないと回答した人が6割を超えたというのだ、ナ、ナ、ナンだってーーーッ!! 日本の夏はどうしちまったんだッ!? これじゃ暑さを乗り切れないよぉぉおおお~……。


同社は2012年04月12日~4月19日、全国の20~60代の女性1165人を対象に、ウェブでアンケートを実施。このほどその調査結果を公表したのである。

それによると、「水着は持っているが着ない」と答えた人が37.5パーセント、「水着を持たず、購入もしない女性」という回答は27.6パーセント。あわせて65.1パーセントもの女性が、今夏水着を着るつもりではないことが明らかになった。


また、水着を着る限界年齢について尋ねると「30代まで」と答えた人は、70パーセントを占めた。ちなみに対象者の年齢構成は明らかになっていないので、比較的高い年齢の人が、水着を着ることに消極な反応を示しているかもしれない。


また回答した時期が4月なので、これから暑くなれば、「海に行こうかしら」や「せっかくだし、泳ぎたいわね」といった方向に考えが変わるかもしれない。いずれにしても、夏が訪れる前から「水着を着ない」と言われると悲しくなってしまうのは、男の性(さが)だろうか……。ぜひとも夏を満喫して頂きたいものである。
参照元:ハー・ストーリィ


【私の論評】水着をめぐる社会の変化。UVカットは定番となるか!!

上の記事をみて、少し驚きましたが、これは、上の記事にもあるとおり、比較的高い年齢の人が、水着をことに消極的な反応を示しているのだと思います。年齢階層別のアンケートがないのが残念です。本日は、この水着の話題に関して、最近思ったことなど掲載します。本日は、今年の新作水着を着た女の子の画像などとともに掲載します。



今年の4月、まだまだ寒い時期が続いていた頃、気の早い小売の店頭や通販のカタログは、既に「夏」が始まっていました。そんな通販のカタログを眺めていたら、「この商品ニーズって?」と思う商品がありました。それが、本日話題にする「UVカット水着」です。

それも、通常のビキニ水着+長袖のボレロ+トレンカ(甲の無いタイツだとお考え下さい)という、完全フル装備のUVケア水着です。「日焼けは絶対嫌!」という人向けの水着だとお考え頂きたい。

残念ながら、このカタログそのものは、もう捨ててしまったとみえて、本日それを探してみてもありませんでしたので、念のために、長袖のボレロと、トレンカの画像を以下に掲載しておきます。

長袖のボレロ
トレンカ
これらと、通常のビキニの水着が、セットとして売られていたということです。私は、オーストラリア製のUVカット水着などを見たことはありますが、これは、無論ビキニなどではなく、下の写真のようなもので、このようなセットははじめてみました。

オーストラリア製のUVカット水着
最近は、オゾンホールの問題で、UVケアをしないと皮膚がんのリスクが高くなるのではと感じる人が多いのではないかと思います。確かにUVケアは皮膚がんのリスクを下げる、と言われています。ただ今現在は、オーストラリアのようなオゾンホールの影響が大きい地域に限られています。その意味で、日本ではまだまだUVケア=シミなどの美容ケアという意味合いのほうが強いと思う。それから、先日テレビで見たのですが、沖縄の人は、水着の上にTシャツなどをまとい、海水浴をするのが従来から当たり前のようになっているそうです。沖縄は、日差しが強いですから、昔からそれが当たり前になっているということだと思います。


ではなぜそこまで完全防備をしてまで、水着を着たいのか?という疑問が出てきます。その答えは、カタログの対象が若い女性向けではなく、既婚者向けだという点が大きいと思います。この水着を着たい女性は、積極的に海などに行きたいというよりも、子どもたちと一緒に海水浴に行くという女性だと、想像できます。


とすれば、大人の女性向けだけではなく、お子さんとお揃いの水着も商品ラインナップとしてあっても良いと思いました。その理由は、大人のシミの多くは、10代までの受けた日焼けの影響が大きい、といわれているからです。

美容の主流が「美白」というだけではなく、日焼けによる様々なリスクが指摘されている今、子どもの頃からのUVケアが大切、ということになると思います。そのように考えると、来シーズンは「ママと子どもの完全防備UVケア水着」が、登場するかも知れません。


しかし考えてみれば、20年近く前は「美しく日焼けした肌」は一つのステータスでした。「日焼けサロン」などがあまりない時代だからこそ、「美しく日焼けした肌」というのは、リゾート地にセカンドハウスを所有していて、長期のバカンスだけではなく毎週末のように出かけ、マリンリゾートを十分楽しめるだけの経済力がある、という一つの証明のように言われていました。今や死語となった「ヤングエグゼクティブ(略して「ヤンエグ」)」という言葉が、もてはやされた時代でもありました。


このように一時もてはやされたライフスタイルは、チョッと恥ずかしい感のあるスタイルのようになり、オゾンホールなどの環境問題などもあり、「UVケア」は今では当たり前のコトになりました。そうして、とうとう、「ビキニ水着+長袖のボレロ+トレンカ」というセットの登場ということになりました。


やはり、水着は、オーストラリア製のような、肌の露出を少なくするという形式では、野暮ったさもあって、なかなか普及しないのだと思います。だからこそ、ビキニなどが基本で、それに羽織るものというセットが登場したのだと思います。


やはり、屋外では、UVカットをして、お肌に気を配りたいという女性が増えているのだと思います。今後、室内プールなどでは、水着、屋外では、UVカットで何かを羽織るというスタイルが定着していくのでしょうか。それに、海岸に行った場合は、屋内とか泳ぐ場合は、水着で、ビーチでは、UVカットのため何かを羽織るというのが一般的になるのでしょうか?どこまで、普及するのか、興味のつきないところです。



それにしても、多くの女性が、UVカットをするのは結構ですが、やはり、夏は開放的に水着姿を披露していただきたいと思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?



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2012年5月28日月曜日

チャンスを引き寄せる「味方づくり」の9箇条―【私の論評】自分のためではなく、人のために生きよ!!人のために生きることとは、大儀である!!

チャンスを引き寄せる「味方づくり」の9箇条:


画像をクリックすると拡大します。 常に自分が望むものが手に入るとは限りません。また、自分ひとりでは成し遂げられない望みを叶えるには味方の存在が必要です。信頼できる味方が増えれば、結果的に手に入れられるチャンスも増えるのです。しかし、自分の振る舞いや話し方で、他人は味方にも敵にもなります。そこでイラストレーターYumi Sakugawa氏のインフォコミックに描かれた9つの心構えが役に立ちそうです。


さて、9つの心構えとは、詳細は、Lifehackの元記事をご覧いただくものとして、柱は、以下の9つです。
1. 魅力的な人間になること 
2. 鏡のように相手と同じような行動をする 
3. 会話の最初に相手が賛同するようなことを言う 
4. 相手を尊重し大切に扱う 
5. 具体的なことより感覚的なことを言う 
6. 想像力に訴えかける 
7. 相手に親切にする 
8. あえて反対のことを言って挑発する 
9. 思いやりのある人間だと思わせる


【私の論評】自分のためではなく、人のために生きよ!!人のために生きることとは、大儀である!! 

さて、皆さん、上記の柱を見てどうお感じになったでしょうか?私は、非常に安っぽく感じました。かなり、浅薄な印象を受けました。アメリカ人は、上記のようなことで、本当に自分の味方ができると思っているのでしょうか?私には、にわかには信じがたいです。同じアメリカ人でも、Leader to Leader 財団(旧ドラッカー財団)の人なら、もっとまともなことを言うのではないかと思います。本日は、絆をイメージさせる画像とともに掲載させていただきます。


そうして、上記のような安っぽい考えは、確かに少し前のアメリカ人の価値観を体現していたのかもしれません。しかし、それが、911の頃から、そうして、リーマンショック以降から、随分変わってきたように思います。そのことに関しては、以前にもこのブログに掲載した。アメリカで普通に見られるようになってきた"スペンド・シフト"という動きです。
自分を飾るより ⇒ 自分を賢くするためにお金を使う。
ただ安く買うより ⇒ 地域が潤うようにお金を使う。
モノを手に入れるより ⇒ 絆を強めるためにお金を使う。
有名企業でなくても ⇒ 信頼できる企業から買う。
消費するだけでなく ⇒ 自ら創造する人になる。
これは、アメリカの消費傾向についての書籍『スペンドシフト』に掲載されていたことです。この書籍は、主に消費について語っているので、まとめると上の4本の柱のようになります。しかし、その根底には、「社会」「地域」というキーワードが浮かびあがってくることがわかります。 これはもとりもなおさず、「人のために生きる」ことを意味しています。


こんな、浅薄なことをいくつもするより、本当の意味での、自分にとっての味方を得たいと思えば、まずは、上の9本の柱などどうでも良く、その根本には、「人のために生きる」という精神が重要なはずです。


根底に、まずその考えがあって、上記の柱というのなら、まだわかりますが、最初から、上の柱では、味方というより、単なるその時々の利益を共にする集団しかつくれないと思います。今の政局と同じです。


「人のために生きる」とは、自分のために生きるのではなく、まずは、親や子供のために生きること。家族のために生きること、地域のために生きること、社会のために生きること、広くは、日本のため、世界のため生きるということです。人


社会に大きな影響を及ぼした、元アップルCEOの故スティーブ・ジョブズ氏は、生前「社会に、one more thing を付け加えよ」と力説していました。この"社会"という言葉に注目していただきたいです。この言葉の意味するところは、無論、「人のために生きる」ということです。ただし、人ためというとその範囲がはっきりしないので、敢えて人々の集まりである「社会」という言葉を使ったのだと思います。


そうして、日本では、古から、「人のために生きる」ことを「大儀」と呼んでいます。さて、大儀という言葉、以前にもこのブログに掲載したことがあります。それを下に画像、動画も含めてコピペしておきます。
そうして、この「大儀」という言葉は、41年前の、11月25日に自決された故三島由紀夫先生のことを思い起こさせます。無論、先生は、ご存知のように大儀に殉じたわけですが、先生は、生前からこの「大儀」という言葉をしばしば口にしておられました。 
しかし、三島先生が語っていた「大儀」は、無論ビジョナリーなども含むし、日本国とか、地域のためとか、会社のため、自分の属する組織のためということもありますが、私が最も印象に残っているの以下のような言葉です。 
「人間は、自分のことだけ考えて、生きて死んでいけるほど強くない。自分のこと以外を考えなければ、生きていけない。この自分のこと以外というものが、大儀であります」 
三島先生の語り口は、いつもこのような感じでした。一つも押し付けがましいことはいわず、真理をついている言葉だったと思います。 
この言葉の持つ意味、誤った個人主義が跋扈する今はほとんど忘れさられているようにも思われましたが、私は、あの東日本大震災で、そうではなかったことを思い知らされました。そうです。あの震災直後の被災地の人々の沈着冷静さです。それに、自分の命もかえりみず、地域の人々を助けようと奔走した人々です。食料や水の配給のときも、列を乱さずに、騒ぐこともなく、じっと耐えながら待っていた多くの人々です。 
 
そうして、あの状況の中本当に粉骨砕身して、生存者を救うばかりか、ご遺体の収集に奔走した自衛隊員たちです。これらは、まさに、自分自身のことだけを考えている人の所業ではありません。普段は、そうでもないように見えていても、いざというときに、出てきた、多くの人々の本当の姿だと思います。 
ちなみに、この言葉を語っている先生の生前のインタビューの動画がありますので、それを下に掲載します。 
結局、自分のために生きることばかり考える人は、どんなに意思が強かったとしても、すぐに、倒される弱い人間になるざるを得ないということです。人のために生きて初めて強くなれるし、本当の意味での味方もできるということてす。個人でも、組織でも、自らのために生きるだけでは、強くはなれません。なぜなら、人は、社会の中で生きる生物であり、組織は、社会の機関に他ならないからです。


皆さんは、どう思われますか?

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2011年6月13日月曜日

特集【エッセンシャル版】ドラッカー転換期が訪れた今こそ知りたいマネジメントの真髄―【私の論評】あと、少なくとも、20~30年は色褪せないドラッカーの業績!!

週間ダイヤモンド【エッセンシャル版】ドラッカー転換期が訪れた今こそ知りたいマネジメントの真髄


ピーター・F・ドラッカーの本を、「おカネ儲けのノウハウ満載」かと期待して読むと、がっかりする。しかし、「社会や企業とは何か」「仕事とはどういうことか」「ビジネスマンとしてどう生きるべきか」などについて、ドラッカーは本質を語ってくれる。50年前、60年前に書かれたものであっても、まったく色褪せない。

ドラッカーのほとんどの著作の翻訳を手がけ、ドラッカーから最高の友人・翻訳家と信頼された上田惇生氏は、こう話していた。

 「ドラッカーは至極、地味で当たり前のことをやろうと言っているんです。企業は世の中が必要としている財・サービスを提供する、そこで働く人たちに生き生きと働いてもらう、と。でも、ものすごく大切なことを言っていると気づかない人が多いんです」

ドラッカリアンとして知られるユニクロの柳井正会長兼社長も、こう語っている。

 「ドラッカーの本というのは、決して奇をてらったことは書いてありません。『当たり前のことにもっと気をつけなさいよ』と言っています。あまりピンと来なくても、とりあえず1冊でもいいから最初から最後まで読んでみてほしい。ドラッカーの言葉を思い出すときがいつか必ず来ます」

ドラッカーは「いい世の中になるには、一体なにが必要なんだろう」という問いからスタートし、後にマネジメントの父と呼ばれるようになった。現代のような組織社会においては、組織の運営のされ方いかんによって世の中はよくなる、とマネジメントを分析・研究した。そもそもの問題意識がまったく違う。だから、ずっと価値を持ち続けているのである。

特集「ドラッカー」は、こうした深くて広いドラッカーワールドを歩くためのガイドである。

まず、「Part1 ドラッカーが語りかける」で、ドラッカーが授けた直弟子への進路アドバイス、柳井正会長兼社長がかみしめる言葉などを通して、ドラッカーの世界に足を踏み入れていただこう。

 「Part2 ドラッカーを活用する」では、被災地で奮闘するNPOや医師集団、それに企業の活用事例から、ドラッカーの教えがさまざまな現場で根づき、実践されている様をレポートする。

続いて「Part3 ドラッカーが全てを教える」では、ドラッカーマネジメントの背景にある経営哲学を探り、さらに会計や教育といった分野でも、ドラッカーが最良のテキストになることをご紹介する。

そして、「Part4 ドラッカーのマネジメント」では、『もしドラ』主人公の教科書ともなった『マネジメント【エッセンシャル版】』のそのまたエッセンスを、編訳者である上田惇生氏が教えてくれる。

日本が転換期に立つ今こそ、深く、人間くさいドラッカーの言葉が、わたしたちの支えとなるはずである。


【私の論評】あと、少なくとも、20~30年は色褪せないドラッカーの業績!!
このブログでは、しばしば、ドラッカーの著作の中の至言を取り上げています。昨日もたまたま、ドラッカーの言葉を引用しました。とにかく、いわゆる、組織で働いている者にとっては、本当に役にたつし、さらには、勇気づけられる内容だと思います。この内容が、週間ダイヤモンドでその内容を解説されるのは、非常に良いことだと思います。まだ、読んだことのない人は、こうした入門書から読まれると、理解しやすいのではないかと思います。

私が、はじめて読んだのは、学生のときで、当然例の「もしドラ」もありませんでしたし、週間ダイヤモンドの解説などもありませんでした。だから、今の人たちは本当に良い環境にあると思います。特に、最近だと、ドラッカーのことなど、いろいろなところで、話題に出しても、十分通じるのではないかと思います。私など、理工系の学生でしたから、まわりにドラッカーの話をしても、誰にも理解してもらえず、どちらかというと変人扱いされたと思います。

ドラッカーの書籍は、技能などを細かく教えるものではありませんが、根底にさかのぼって、基本的な考え方を掲載しています。そのため、ノウハウ本の類とは一線を画したものばかりです。だから、いつまでたっても、色褪せないどころが、後少なくとも20~30年は、実用書として、ますます、その価値をまして行くものと思います。そうして、その後は、歴史を語る書籍類の一角を占めることになるでしょう。その価値は、永遠です。

事例としては、民間営利企業のものが多いですが、民間非営利企業(NPO)のことも多いです。それに、ドラッカーの書籍で、NPOのことを読んでから、アメリカなどのNPOのことを調べてみると本当に理解しやすいです。これを理解すると、鳩山さんをはじめとする民主党などが提唱する、「新しい公共」などの概念が本当に浅薄であることが良く理解できます。

このブログでも、過去においては、いろいろとNPOのことを書いてきましたが、はっきり言って、多くの日本人には、ドラッカーのいうとろこのNPOの概念は判らないものと思います。だから、最近は、ブロクでもとりあげてはいないです。しかし、いつか、本当に分かっていただきたい概念であると思っています。

だから、皆さん、ドラッカーの書籍を読むときには、ドラッカーは、「20世紀は、組織の時代であったが、21世紀はNPOの時代である」と主張していることを念頭において、読んでいただけたら幸いです。

いずれにせよ、ドラッカーの書籍はありとあらゆる組織で働いておられる方にとって、読まれればかならず、役に立つと思います。他の、ノウハウ本的なマネジメント本を読むくらいなら、まずは、ドラッカーを読んでおくべきと思います。読んで、その意味を深く考えた人は、読まない人よりも、はるかに高い視点を深い観点から学び取ることができるでしょう。

私自身は、ドラッカーのマネジメントに関しては、特にエッセンシャル版に関しては、何回も読んでいます。最近では、英語版のrevised.edition(改訂版)をアマゾンから、電子書籍をiPhoneにダウンロードして読んでいます。これに関しては、書いてある内容は、ドラッカーそのまま、事例などは、一部、新しいものに変えてあるので、非常に読みやすいです。それに、iPhoneにいれてあるので、どこに持っていくのにも苦になりません。ドラッカーの書籍など、厚くて、重いものがおおいので、これは、大助かりです。外出したときにも、読んだり、一日の終りに、寝床で読んだりもしています。



それに、新たな発見もあります。たとえば、ドラッカーの書籍には、「真摯さ」という言葉がでてきますが、これは、英語の「ingitrity」を訳したものであることがわかりました。

その定義は、高潔、誠実、清廉、完全な状態、完全性、無傷(の状態)、(システムや信号の)整合性(コンピューター)です。

例文を以下にあげておきます。
I admired her for her integrity.
私は彼女の高潔さに感服した。

また、この言葉をつかった、熟語など以下にあげておきます。
with integrity 誠実に
integrity assessment 完全性評価
integrity monitoring 整合性監視
integrity standards 品質基準
integrity test 完全性試験
data integrity データの整合性
file integrity ファイルの整合性
referential integrity 参照整合性
signal integrity 信号整合性

英語で、読んでみると、こうした新しい発見もあって楽しいです。「真摯さ」だけでは、見えてこなかったドラッカーの見方を発見することができました。

ドラッカーの書籍は、日本語のものは、現在出版されているものは、ほんどと読んでしまったので、今後は、他の書籍も英語でどんどん読み進めようと思っています。


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2011年3月29日火曜日

宮城県南三陸町遠藤未希さんの行方不明―【私の論評】今の政治家は、遠藤さんの爪のアカでも煎じて飲め!!

宮城県南三陸町遠藤未希さんの行方不明


東日本大震災の発生から3日目の13日、明らかになりつつある被害状況は拡大の一途をたどり、死者が1万人単位に及ぶとの見方も出てきた。難航する救出作業、あふれる避難所、行き届かない食料や物資。福島第1原発1号機の爆発事故で、新たに約8万人の住民が避難を余儀なくされ、想像を絶する巨大地震に襲われた被災地は、大きな不安や疲労に包まれた夜を迎えた。

「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。

難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。

遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。

地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。

芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。

芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」

高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。

■韓国中央日報の論評

  運命は選択できないが、運命に対する姿勢は選択できる。 自然による大災難の前に茫然自失しながらも、悲しみを胸の奥深くに抑える日本人を見ながら感じることだ。 悲嘆の中でもしっかりと耐える日本人こそ、「アモールファティ(amor fati)」、すなわち「運命を愛する」という、2500年前のストア哲学の神髄を内面化した人たちだという気がする。

  逆境は感動を生むという。 いま多くの感動ストーリーが出てきているが、最近メディアに報道されたある公職者の行方不明は特に心を引きつける。 宮城県南三陸町の町役場危機管理課職員、遠藤未希さんだ。 遠藤さんは津波が押し寄せてくる時、「早く逃げてください。 6メートルの波があります」と最後まで放送を続け、結局、津波にのまれた。 25歳の最も美しい年齢で、住民を救おうとマイクを放さず行方不明になった遠藤さんの哀切な話は、一つの静かな感動だ。

 日本が地震による大災難を乗り越えて立ち上がるのは時間の問題だ。 円高が維持されているからでもなく、日本政府が莫大な資金を供給しているからでもない。 混とんの中でも落ち着きと節制を失わない市民の精神が生きていて、住民のためにマイクを最期まで放さない公人精神が残っているということ、これ以上の災難克服意志を示す証拠はない。

遠藤さんの場合、町役場の末端職員などという考えはなく、住民の安全の責任を負った最高の公職者のように行動した。 彼女の行為を見ると、果たして公職者とはどういう存在かと考えさせられる。 国は違うとしても、自分の共同体のために最善を尽くさなければならないという義務感においては何も変わらないからだ。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138290

【私の論評】今の政治家は、遠藤さんの爪のアカでも煎じて飲め!!
私は、昨日のブログで、日本の真の強みを、日本に古から根づいている、天皇を頂点とする伝統文化であると掲載しました。日本の伝統文化は、天皇を抜きに語ることはできません。今回の震災によって、すっかり消えたか、風前のともし火のようになっていると思われていた、日本の伝統文化が、根底では人々の心の中に息づいていたということです。

遠藤さんにも、根底にこのような文化が根付いてたのだと思いす。遠藤さんは、最後の最後まで、自分の安全よりも、住民の避難を優先させたのだと思います。

上の中央日報の論評では、最後のほうで、以下のように記されています。

国は違うとしても、自分の共同体のために最善を尽くさなければならないという義務感においては何も変わらないからだ。

昨日のブログにも書いたように、コミュニティーを設立するためには、その大儀が一番重要です。それが、なければ、コミュニティーはすぐに分裂してしまいます。日本では、こうした共同体を人為的に作らなくても、最初から存在しているということです。そうです。それこそが、天皇を要とする日本の伝統文化です。

遠藤さんの心にも、こうした大義が刻み混まれていたのだと思います。だからこそ、最後まで、自分の義務を全うしたのです。

しかるに、今の政治家どもはどうなっているのでしょうか?彼らは、日本という大きな共同体の大義を本当に共有しているのでしょうか?

上の、中央日報の記事では、遠藤さんのことを最高の公職者のように行動したと記述しています。日本の伝統文化である、道徳とか、徳というものは、普遍的なものであり、身分などには関係のないものです。まさに、日本的な心を持つた人だっのだと思います。

遠藤さんは、自分の町の住人を守るという自らの義務に殉じたのです。いざというときには、自らの命をもってさえ、義務を履行するという昔からの日本人の生き方を体現するような自己犠牲だったと思います。

しかしながら、今の政治家はどうでしょうか。日々、政局を追いかけ、国民などおきざりです。共同体には共同体の大義があります。国には、国の大義があります。

この大義を共有できなければ、共同体は成り立ちません。自分のことだけではなく、家族のこと、人のこと、町のこと、そうして、大きくは、国のこと、世界のことを考えなければ、なにもかもが成り立ちません。遠藤さんは、このような大義を間違いなく、共有していました。しかし、今の政治家は、本当に国の大義を共有しているのでしょうか?

多くの政治家が勘違いしていることがあります。今の政治家に足りないのは、知識ではありません。情報でもありません。経験でもありません。ましてや、アイディアでも、能力でもありません。それは、遠藤さんが、町民の方々と共有していた大義と同じような、国の大義です。政治家が、国の大義を国民と共有しているということです。これなし、国政を司ることはできません。

国民は、政治家が、知識や、情報が足りないとか、経験が足りないということに関しては、許容してくれるかもしれません。しかし、大義を国民と共有していないということだけは絶対に許さないでしょう。また、大儀があるかのように偽ることは、さらに絶対に許すことはないでしょう。

こうした趣旨から、今の政治家は、本当に、遠藤さんの爪の垢を煎じて飲むべきです。

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2011年3月28日月曜日

日本人の対応礼賛「伝統文化に基づいた新日本誕生も」との指摘も 米研究機関討論会―【私の論評】朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化は、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増す!!

日本人の対応礼賛「伝統文化に基づいた新日本誕生も」との指摘も 米研究機関討論会

AEIの言う、日本の文化や伝統とはなにか、それはとりもなおさず、天皇陛下を要とする日本の文化である

米国の大手研究機関AEI(アメリカン・エンタープライズ・インスティテュート)は23日、東日本大震災が今後の日本社会や政治にどんな影響をもたらすかを論じる討論会「日本の悲劇=危機から分岐点へ?」を開いた。討論会では米側専門家たちが日本国民の抑制された対応を礼賛する一方、菅直人首相が指導力を発揮できていないという考察を表明した。

討論会ではAEI日本研究部長で日本政治の専門家のマイケル・オースリン氏が「日本国民がこの歴史的な災禍に冷静さを保って対応したことは、米国内ではイデオロギー面でまったく異なるリベラル派のニューヨーク・タイムズ紙から保守派のFOXテレビの評論家まで一様に感嘆させた」と述べ、「日本人がこうした状況下で米国でのように略奪や暴動を起こさず、相互に助け合うことは全世界でも少ない独特の国民性であり、社会の強固さだ」と強調した。

オースリン部長は「この種の危機への対処には国家指導者が国民の団結をさらに強めることが好ましい」と指摘したうえで、「しかし、菅直人首相はその役割を果たしておらず、枝野幸男官房長官に代行させているようだ」と語った。

さらに「大震災直前には菅首相は違法献金問題で辞任寸前に追い込まれ、政治的麻(ま)痺(ひ)の状態にあったのだから、リーダーシップを発揮できないのも自然かもしれない」と付け加えた。

一方、日本の文化や社会を専門とするジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は「日本国民が自制や自己犠牲の精神で震災に対応した様子は広い意味での日本の文化を痛感させた。日本の文化や伝統も米軍の占領政策などによりかなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は決して変わらないのだと今回、思わされた」と述べた。

同教授はまた「近年の日本は若者の引きこもりなど、後ろ向きの傾向が表面に出ていたが、震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予測させる」とも論評した。

【私の論評】朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化は、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増す!!

紀元二千六百年記念観兵式での昭和天皇陛下。愛馬の白雪に
跨った陛下は、東京代々木練兵場に集結した将兵に勅語を賜った。
私の敬愛する経営学の大家である、ドラッカー氏は、かねてから都市文明の危機を訴えており、従来のままでは、都市はジャングル化するとして、都市に多数の共同体(コミュニティー)をつくることが急務であるとしていました。20世紀が組織の時代であって、政府や民間の組織が多数輩出したように、21世紀は、非営利組織(NPO)の時代であり、特に都市部に様々な非営利組織によるコミュニティーを創設しなければならないことを力説していました。

ドラッカー氏は、『未来社会への変革』という書籍で、以下のような趣旨の寄稿を行っています。

近年、世界中のあらゆる国の主要都市が、混沌たるジャングルのようになった。今後、あらゆる国でこれらの都市を文明化することが最高の優先課題となる。 
そのためには、各都市に新たな共同体が築かれなければならない。もともと、都市とは強制的共同体の抑圧から逃れるために構築されたものだ。 
しかし、その後都市独自の共同体が築かれなかったために、現在の破滅的状況を招いてしまったのだ。我々人類は、本来的に共同体を必要とする生き物なのだ。自分に似ている人を探し出し、それ以外の人から自分を防衛しようとする。インターネット上のチャットルームはその典型だ。 
だから、もし建設的目的のための共同体が築かれなければ、代わりに破壊的、殺人的共同体が出現するのだ。

確かに、日本でも、都市部の荒廃などの問題があります。しかし、今回の地震によって、都市が破壊されても、その都市の住民たちが、上記で「日本人がこうした状況下で米国でのように略奪や暴動を起こさず、相互に助け合うことは全世界でも少ない独特の国民性であり、社会の強固さ」といわれるような、日本独自の強さを海外にも示す結果となりました。ドラッカーの言葉を借りれば、日本の都市は1,000年に一度の危機にあっても、ジャングル化しないということです。

AEIの語る、日本の文化や伝統とは、何でしょうか。それは、日本に古から根づいている、朝廷を頂点とする伝統文化です。日本の伝統文化は、朝廷を抜きに語ることはできません。今回の震災によって、すっかり消えたか、風前のともし火のようになっていると思われていた、日本の伝統文化が、根底では人々の心の中に息づいていたということです。


欧米などの都市部では、ドラッカー氏が主張するように、人為的にコミュニティーを創設しなければならないということです。しかしながら、日本では、すでにコミュニティーが存在するということです。コミュニティーを設立するためには、その大儀が一番重要です。それが、なければ、コミュニティーはすぐに分裂してしまいます。日本では、こうした共同体を人為的に作らなくても、最初から存在しているということです。そうです。それこそが、朝廷を要とする日本の伝統文化です。


本年は、皇紀2671年にあたります。皇紀は、何かといえば、 神武天皇即位の年を元年と定めた紀元のことです。正式には「神武天皇即位紀元」といいます。皇紀元年は西暦紀元前660年にあたります。

日本の歴史は皇紀により始まるため、便宜上的は西暦より易く使えるが今はあまり使う人が見られません。インドネシアでは、独立宣言書にも使われている年号です。

なお、神武天皇即位の年代は讖緯説にもとづいて決定された伝説上のものであり、紀元前600年代には日本は弥生時代とする歴史学者などもいますが、これをもとに、皇紀は無意味などとする輩もいますが、これこそ、疑問ですし、愚かなことです。あまりに古くて、正確な年代など誰もわからないということです。それは、科学的根拠がどうのこうのと言う前に、空前絶後の素晴らしいことだと思います。

これは、日本以外にはないことです。そもそも、天皇とは、英語でいえば、Empelorです。現在、Empelorを名乗るのは、世界ひろしともいえど、天皇陛下のみです。他の国では、全部絶えてしまいました。

天皇家は現存する世界最大(日本の人口)・最古の皇室・王室であり、また天皇陛下は現在世界でただ一人“皇帝(エンペラー)”と称されます。

権威の序列としては、①皇帝≒②法王>③王・女王>④大統領>⑤首相

①~④が国家元首であり、④・⑤が政府首脳です

天皇家はローマ法王、英国王家と共に世界三大権威の一つであり(天皇家とローマ法王の二大権威という説もあり)、アメリカ大統領がホワイト・タイの正装で空港まで出迎えるのは、通常“天皇陛下・ローマ法王・英国女王(王)”の3人だけです。

さて、以下に権威の序列の中にでてきた、用語の定義をあげておきます。
■用語の定義
皇帝(エンペラー) : (他国の影響を受けず)広く複数の民族・国を治める者  
王・女王(キング・クイーン) : (多くの場合皇帝の影響下で)一つの民族・国を治める者 
ローマ法王 : キリストの一番弟子の継承
陛下は諸外国でなぜ、“皇帝(エンペラー)”と称されるのか?その理由を以下に掲載します。

これは、概ね、日清・日露戦争で当時の清朝皇帝・ロシア皇帝を破っている事、その後日韓併合や台湾・南洋諸島等の多くの植民地の統治を行った事、(朝鮮半島のように)他の国の属国としての歴史がない事などによるもののようです。

江戸時代までは日本側が勝手に“皇”の字を使い、中国側の“皇帝”と同格を名乗っていたという見方もできると思いますが、明治以降の歴史の中で世界的に“皇帝(エンペラー)”としてはっきり認知されたということです。特に、明治維新によって、それまでの歴史が、西洋史、東洋史と分かれていたのを世界史となったことは、歴史観に与えた影響が測り知ることができず、これをもって、日本の天皇は、エンペラーと称せられるなったということです。

1970年代にエチオピア帝国・イラン帝国などが崩壊した後、陛下は現在唯一の“皇帝(エンペラー)”です。現代日本人は自国を“日本国”と呼んでいますが、、自衛隊が海外から見れば明らかに軍隊であるのと同じく、海外から見れば唯一の“(日本)帝国”なのです。  

ちなみに、イギリスを“大英帝国”と表現したりもしますが、それはかつてインドを植民地としていた、時代“インド皇帝”の称号を受け継いだ時期があるからです。現在の英国君主は女王であり正確には“帝国”ではありません。

韓国のマスコミなどでは天皇の事をよく“日王”と表現します。これは、朝鮮半島は歴史的に中国の“皇”の下の“王”であったため“日皇”を認めると“日本>韓国”を認めた事になるという事なのでしょう。

1876年(明治9)に日朝修好条規を締結した日本は、当時世界から中国の属国として見られていた朝鮮半島を世界で最初に独立国として認めました。そしてその後の日清戦争で日本が勝ったことにより事実上朝鮮半島が中国の属国の地位を脱し、それまでの“朝鮮王朝”から“大韓帝国”と国名を変え独立を勝ち取る事が出来たのです。

ところが“帝国”を名乗ってはみたものの発展の遅れは如何ともしがたく、軍事力もなければ借金まみれで“ロシア帝国”の南下政策の前に“風前の灯火”の状態でした。そこで大多数の国民が日本への編入を望み、朝鮮併合反対派の首領である伊藤博文が死去したことで大陸進出派が政争に勝利した日本ではこれを受け入れました。

3等国から一躍1等国になれた朝鮮の人たちの喜びは当時の新聞や写真で見ることが出来ます。そうして、皆さんご存じの、日露戦争によってロシア帝国”をアジアから追っ払って、同じ日本国国民ということで朝鮮半島には莫大な投資がなされました。ところが、日本が、アメリカに負けた途端にこれらの全ての恩を忘れ、奇妙奇天烈な歴史観を押し付けるなどして、日本に噛み付いてくるとは、とんでもない事だと思います。

さて、世界三大(二大)権威の一角に白人でもなくキリスト教でもないアジアの黄色人種の天皇家が入っているという事は、我々日本人にとってだけではなく、広くアジア・黄色人種全体にとって大変大きな意味を持つと思います。現在、日本で流布している、いわゆる、自虐的歴史観など、本当の日本の歴史からみれば、本当にとんでもないものです。私たち、日本人は、天皇陛下を要とする、日本の正しい歴史認識を持つべきです。

AFIが、日本の強みを「日本の文化や伝統」などといい、はっきりと、「朝廷を要とする日本の伝統文化」などといわない理由は、はっきりしています。それは、日本などの歴史をみるにおいて、西欧人の限界があるからです。上記のような事実を認めがたいからです。だから、日本の歴史観など、日本国弱体化を望む欧米によって、随分ねじ曲げらてきたというのが実体です。漁夫の利を得るため、その尻馬に乗ったのが中国や、韓国、朝鮮などです。

これについは、以前のブログでも、知の巨人であるあの、私も敬愛する経営学大家である、ドラッカー氏ですら、西欧人としての限界があることを記したことがあります。
ドラッカー氏が語らないこととは、日本にはもともとというか、キリスト生誕前から、理念としては朝廷を要とした国民国家意識が醸成されていたということです。だからこそ、明治維新など短期間に行うことができたのです。これに関しては、ドラッカー氏自身が、旧オーストラリア・ハンガリー帝国の出身(現在は存在しないが、ドラッカー氏が生まれたのは、ここである)であり、この古い国でさえ、エンペラーは存在しなくなり、その後、ドラッカー氏は、米国にわたりましたが、この米国にもみられない日本にだけ固有のものです。ドラッカー氏は、日本の美術などに関しても、造詣があり、日本のことは良く知っています。なのに、特に朝廷に一切触れないということは、やはり、西欧出身の経営学者としての限界なのだと思います。 
最近、アメリカなどでは、経営学の大きな動きとして、ドラッカー財団を含めて、特に、コミュニケーションや文化・伝統の重要性が認識されています。さらに、MBAでは、いわゆる過去にやったような、いわゆる経分析・技能のようなものはあまり教えずに、そんことは当たり前の前提として、経営という切り口からコミュニケーションや、世界各国の文化や伝統に関して教えるといいます。私たちが日本という国をありのままにみれば、古から、朝廷があり、朝廷を要とした国民国家意識が醸成され続けているという強みがあります。(何と、2670年です)。 
さらに、文化・伝統といった場合、日本のように古くから継承され続けている国は他にありません。こうしたことから、ドラッカー氏の潜在意識の中には、この強い日本というものへの西欧人としての脅威や、警戒心があったのではないかと思います。いずれ、日本を頂点とした、アジアを中心とした世界がやってくることを予感していたに違いありません。だからこそ、朝廷についてあまり著書・論文で述べなかったに違いありません。やはり、自らは自覚しつつも、米国の日本弱体化政策については、直接組しなくても、西欧人の立場からすれば、敢えて反論はしなかったということがあったのではないかと思います。
だからといって、ドラッカー氏の素晴らしさは、少しも損なわれることはありませんし、私自身もドラッカー氏は敬愛しています。彼の立場にたてば、日本の真の強みの源泉をはっきりいわないということは理解できます。しかし、日本人としての私は、ドラッカー氏の限界も知った上で、彼の著書を読み、良いところを受け入れているというところです。明治の言葉でいえば、「和魂洋才」というところです。 
さて、私たちは、現在1,000年に一度という震災に見舞われ、そこから復興の途上にあります。震災直後の日本をみて、上記の記事のように、西欧人がその結束ぶりを上記のように驚嘆しています。特に、最後の方では、以下のように絶賛しています。

「近年の日本は若者の引きこもりなど、後ろ向きの傾向が表面に出ていたが、震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予測させる」

そうです。この「本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場」という予測を現実のものとすべきです。今の日本人は、もともと、持っている朝廷を要とする、日本の伝統文化の強みについて、意識することなく、かえって、外国人のほうが、このことに気づいていて、このような指摘をしているのです。ただし、上のドラッカー氏について述べたような観点から、はっきりと、「朝廷を要といする日本の伝統文化」などとはいわずに、「本来の日本の伝統文化」とお茶を濁しているだけなのです。

外国人のほうが、こうしたことをきづいている事の事例として、以前このブログで、今の日本の経営者などより、あのアップルのCEOであるスティーブ・ジョブスのほうが、よほど日本的だということを掲載したことがあります。それに関する記述を以前のブログ記事から下にコピペしておきます。
ジョブスは、上の動画の中で、「死を意識すること」の意義、特にポジティブな面を強調していました。これは、日本の武士道の中の「葉隠れ」の思想とも根本では相通じるところがあります。まさに、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉を真の意味で実践しているようです。葉隠れは、一部の人々が曲解しているように、死を美化するものではありません。というより、まさに、上の動画でスティーブ・ジョブスが「死を意識すること」の意義と似ています。というより、生まれ育った環境や活躍してる舞台がIT業界であることなど葉隠れの思想がでてきた時代背景とは大きく異なるので、表現や、出てくる行動が少し異なるようにみえても、本質的には同じだと思います。 
今の多くの日本人が忘れてしまったこのような生き方、少なくとも、少し前までは、多くの日本人の理想とした生き方、彼の生き方は、それを私たちに思い出させてくれます。だからこそ、日本でもジョブスに人気があるのだと思います。今日本では、産業に活気がありません。ジョブスがやってきたような、イノベーションは、少し前までなら日本が行っていたと思います。私は、そのようなイノベーションが行われなくなった今の日本、背景にはジョブスのような一昔前の日本人が理想とする生き方を多くの日本人が忘れてしまったからではないかと、危惧しています。
だからこそ、私たち日本人は、今こそ、朝廷を要とした、日本の伝統文化を強く意識して、この震災から復興を契機に、いっとき影を潜めていたイノベーティブな日本、イノベーティブな日本人に再び生まれ変わろうではありませんか!!

私は、日本には、人為的にコミュニティーをつくりあげなくても、最初から朝廷を要とする日本の伝統文化という大儀があり、一つにまとまっているとしました。しかし、ドラッカー氏のいう共同体には、それ以上の意味・意義があります。私たちは、もともと、一つの大儀でまとまり安定した社会を形成しているのですが、さらに、今の社会を良くしていく必要があります。今まで、日本でイノベーションというと、どちらかというと技術的なイノベーションが注目されてきました。

しかし、技術的なイノベーションだけでは、結局は、すぐれた素材屋になることしかできません。やはり、これからは、社会的イノベーションを目指すべきです。日本において、震災の復興をきっかけとして、多数の社会的イノベーションを実現していくべきです。そうして、これを世界に向けて、新たな先進国のモデルとして示すことができるほどの次元に高めていく必要があります。

そのためには、この震災から復興を、単なる復興で終わらせることなく、それをはるかに凌駕したものにするのです。私自身も、まず、身の回りからそれ実践していきます。

日本国には、こうした天皇陛下がいらっしゃるため、現在の菅内閣のような脆弱な政権で弱腰外交わしていても、世界の国々から馬鹿にされたり、揶揄されたりすることはないのです。

現在の政権など、歴史の悠久の流れの中に咲いた一時の徒花に過ぎません。1,000年に一度の震災も、ほんの一時のことに過ぎません。朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化は、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。

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2011年1月24日月曜日

山形県が5,600台のPCをOpenOfficeに移行 - アシストが研修用コンテンツ提供―【私の論評】このような商売もあるということに、改めて驚き、そして、日本人より日本人らしいトッテン社長に敬意を評します!!

http://journal.mycom.co.jp/news/2011/01/24/081/index.html


【私の論評】このような商売もあるということに、改めて驚き、そして、日本人よりも、日本人らしいトッテン社長に敬意を評します!!


アシスト社長、ビル・トッテン氏
山形県が、OpenOfficeに移行ということで、このこの動きは、他県にも広まっていくと思います。以前は、確か、3年くらい前に、秋田県の大館市でOpenOfficeに移行したことが、雑誌に掲載されていたのを覚えてます。

その雑誌でも、いっていたのですが、MSOfficeと、OpenOfficeの違いは、表計算でてOpenOfficeのほうが、点線を書くことができないというくらいなものだったと思います。どちらも、高機能なものですから、細かなところまで確かめれは、他にも違いはあるのでしょうが、マクロも関数も、ほとんど互換性がありますし、通常役所で使うのなら、OpenOfficeで十分です。

MSOfficeは、通常、パソコンにバンドルされて販売されているので、あまり価格を意識したことがない人が多いようですが、いまでも、高価格パソコンには通常MSOfficeが搭載されているのが普通で、これは、パソコン本体の価格に上乗せされているのか普通です。それに、無論、今なら、Windows7などのOSもそういうことです。

しかし、OppenOfficeなら、無料でインストールができます。だからこそ、山形県のような事例これからも、どんどん出てくると思います。何も、わざわざ、MSofficeブリインストールの高いパソコンなど購入する必要はありません。

そもそ、マイクロソフトが、提供しているSKYDRIVEというストレージ・サービスでは、オンラインて、Office同等の機能が使えるようになっています。これに、先立つこと、数年まえから、グーグルでは、Docs & Spreadsheetなどのクラウドサービスを提供していて、特に、最近では、ワープロも、表計算も、オンラインで使えるようになっていますし、それに、かなり高機能になっているうえ、さらに、MSoffice、Openofficeとも互換性があり、これらのドキュメントをクラウドにアップロードしたり、クラウドにあるドキュメントを、これら両方のOfficeの形式でダウンロードすることもできます。

ようするに、別にMSofficeがなくても、それと同等のものが、ダウンロードできたり、オンラインで、クラウドで使えることができるということです。それに、これらはすべて無料です。であれば、普通は、山形県のようにするのが当たり前だと思います。

しかし、MSと、Openは、互換性はかなりありますが、微妙な操作の違いがあることも事実です。そのことが、普及を妨げてい可能性もありますが、さすが、アシスト、こんなところに目をつけたんですね。

ビル・トッテン氏最近、テレビなどであまり見かけないので、どうなさっているのかと思っていましたが、久々に見かけたので掲載させていただきました。アシストは、以前、まだ、Web2.0や、クラウドなどが日本でも使われるようになる前に、格安のソフトで大変お世話になった覚えがあります。名刺管理ソフトや、ちよっとした管理用データーベースなど、普通に買うのと比較すると、数分の1から1/10くらいで販売されていたのを良く覚えています。

このかた、確かアメリカ人なのに、日本にかなり前から進出してきていて、かなり親日的な方です。というより、日本人よりも日本人らしいです。

まずは、一旦雇用した社員は絶対にリストラしないとして、いまの厳しい時期に頑張っておられます。

それから、アメリカの完全自由主義経済に関しては、昔から否定的で日本的経営の良さを強調しておられました。

アメリカや日本でも、巨大な資金を動かすファンドマネジャーなどがもてはやされた時代がありましたが、トッテン社長はあるテレビ番組で、「ファンドマネジャーが尊敬に値するのですか、皆さん、賭博師を偉いとおもうのですか・・・・・」と否定的でした。そうして、金融危機がおこる何年も前から、このような危機を予測しておられ、いずれ破綻が訪れることを事あるごとに語っておられました。いまから、思えば素晴らしい見識の高さです。

ビル・トッテン氏は、いわゆる社長ブログも書かれています。その内容、また素晴らしいです。一般的な日本人よりも「はるかに日本のことを愛し、悩み。考え抜いている」と感じてしまうのは、おそらく私だけではないでしょう。


プロフィールにもありますように、氏は,1969年に初来日し,1972年に株式会社アシストを設立しました。そして、2006年には、日本への帰化が認められ、国籍までも日本人になったのです。

氏のブログを読んでいると、私たちが忘れつつある「古きよき美徳」を思い出させてくれるような気がします。そして、日本は遅れているとの思い込みのもとで、気がつけばグローバリズムに巻き込まれて、物質的にも精神的にも貧しくなっていることにも気づかされます。

海外から来た人の言葉にはとりわけ素直に耳を傾ける日本人にとって、氏の存在と説得力は格別てす。ビル・トッテン氏の情報発信のおかげで、同社のイメージは、「外資系」と聞いた時に多くの人が感じるイメージのとは異なる、日本的な美徳に溢れています。

先日は、このブログで、アップルのCEO、スティーブ・ジョブスに関して、彼の「死を意識する」生き方から、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という日本人の理想を体現しているという内容のものを書きました。ジョブスの場合は、死を意識する生き方が、昔の日本人の理想を体現していると思いますが、さりとて、当然のことですが、彼自身が日本で長く生活したこともなく、彼のライフスタイルそのものは、やはり、アメリカ人であり、思考形態も、物言いも、やはり、アメリカ人です。

しかし、トッテン氏は、国籍も日本ですし、今の日本人と比較すると、考え方や、物言いが本当に日本人そのもののようというより、それを超えて、日本らしさを体現していると思います。皆さんも、是非このブログ是非読んでみてください。

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2011年1月17日月曜日

情報管理大丈夫?78大学がメールに民間利用―【私の論評】情報や知識が盗まれたことによって、すぐに競争力を失う企業は最早まともな企業とは言いがたい?!

情報管理大丈夫?78大学がメールに民間利用


学内のメールシステムに、グーグルなどの民間企業が無償で提供するクラウド型サービスを採用する大学が増えている。

読売新聞の調べでは、少なくとも全国の78大学が導入。経費を節減したい大学側と、自社サイトの利用率アップを狙う企業側の思惑が一致した結果だが、データを管理するサーバーが海外に置かれるケースもあるとみられ、専門家からは情報管理の安全性について疑問視する声も出ている。



読売新聞が全国の主要大学に聞き取り調査をしたところ、国公立大14校、私大64校がシステムの保守管理を一部または全部、企業に委託していると回答した。これは全国で800近くある大学の約1割を占める。

2007年に日大がグーグルのシステムを採用したのが最初で、その後急増。導入すると、教職員や在学生、卒業生らにメールアドレスが付与され、スケジュール管理機能や、ネット上での文書共有機能も利用できる。アドレス表記は大学で独自運用していた時と同じで、部外者には企業が管理するものとは分からない。

(2011年1月17日03時08分  読売新聞)

【私の論評】情報や知識が盗まれたことによって、すぐに競争力を失う企業は最早まともな企業とは言いがたい?!
このことについては、これをクラウドを用いないで実現するとしたら、とてつもない規模のシステムと労力が必要になることは、以前このブログにも掲載しました。

その内容の一部を下に掲載します。
多くの会社では、Google Apps(一人5000円/年)程度の契約をしています。これで得られる容量は、メールで25Gバイトである。ダウンタイム基準で99.9%のサービスレベルを保証しています。れは、最近さらに改善されました。 
これを従来のように、インターネットやクラウドを使わずに、ベンダーからサーバーを仕入れて、メールサーバー、ファイルサーバー、認証サーバーなどを設定し、社員1名にこれだけの保管領域とサービスレベルを提供するとなれば、膨大な投資を必要とします。 
これが、他のシステムの場合どういうことになるでしょうか?経理のシステムであろうが、CRMであろうが、今では、大人数の人が入力したり、多方面から情報が入ってくるようになっています。そんなとき、上のように自らサーバーを持って実施するということになれば、それこそ、気が遠くなりそうです。
まさに、クラウドを用いなければ、どこの企業でも、とてつもないことになります。しかし、情報資産を一度インターネット上のクラウドに「出してしまえば」、どこからでもアクセスできます。わざわざ、LANとか、WANなどを組む必要性はありません。

それに、Mail、Calendar、ファイルサーバー(ファイル共有)といった、基本的なグループウェアが、今ではまさに、クラウドから超低コストで提供されているのです。

大学に限らず、企業でも、レガシー資産(主に、昨今のようにWeb化が進められる以前に、メインフレームを介してネットワークを構築していたシステムなどの資産)を抱えていたり、グローバルな環境に対応する必要があります。世界の多くの国ではインターネットの利用環境が整っているとは言い難いので、その対応には、多くの労力と時間がかかったりします。これに関しては、あのペンタゴンが9.11の時に使用していた情報機器が相当古かった(7、8年前のパソコンなど使っていた)ことでも、明るみに出たことがありました。

しかし、世の中はすでに、インターネットを前提として進んでいます。以前にも、このブログで掲載したように、Googleは、Chrome OSを搭載した超低価格パソコンにより、貧困層の人々にも自分たちのクラウドを活用できるような体制を整えることを目論んでいます。インターネットそのものは、そもそもデーターが他者のシステムを通過することを前提としているため、ご存じのように最初から情報漏洩に関しては、脆弱性があることははっきりしています。ただし、もともとは、軍事用に作られていて、世界中の拠点(ノード)のほとんどが消滅してしまっても、残っているノードを経由すれば、かなり広範な通信を行うことができるという利点もあります。従来の通信方式ではとてもできないことです。

やはり、こうした危険性がある事を前提とすべきですが、かといって危険に対して過度に神経質になれば、とても使える代物ではありません。

それから、はっきり言えば、大学の情報管理、それに日本の企業などの情報管理も、意外とゆるゆるなところがあります。それは、例の尖閣ビデオが流出した海上保安庁の組織などをみればおわかりになると思います。

あのように、ゆるゆるの組織であれば、かえって、たとえばGoogleのクラウドなどを利用した情報管理システムをもちいたほうがはるかに安全だと思います。

それから、現在は知識社会であるということがあります。あの経営学の大家ドラッカー氏は、知識社会においては、競争力の源泉は情報でも知識でもないとしています。高度の知識社会においては、知識は、いずれ簡単に伝わってしまうので、これを競争力の源泉とすることはできないとしています。では、源泉は何かといえば、それは知識労働者そのものであるとしています。

要するに、知識労働者が生み出した、情報や知識などインターネットを通じて、他社に漏洩したとしても、その事自体は、本質的なことではないというのです。この事例として解りやすいのは、トヨタです。トヨタは、見学に行く人に対しては、聴かれれば、何でも開示するそうです。要するに、トヨタの強みは、情報や知識ではなく、トヨタで働いている人そのもの、トヨタの企業文化そのものにあるということです。

トヨタで働いている人や、トヨタの企業文化のない他の企業がトヨタのやりかたを、文書や動画などや、中で働いている人から逐一、詳細に聴きだしたとしても、それらが存在しない企業では、トヨタのようにはできないということです。

また、最近ではアップルなどの企業で特に顕著なのですが、たとえば、あの超薄型ノートパソコンである、アップル・エアーを販売する1年以上も前から、アップル社は、エアーに関する情報を自社のサイトや、YouTubeに発表していました。それも結構な情報を公開していました。そのためですか、多くの人が販売されたときには、すでに形や、従来のものとの違いなど、ほとんど知っているような状態でした。そうして、販売の数ヶ月前には、すでにエアーの偽物が中国で発売されているというような状況でした。

このように、最近のIT企業はプロダクト情報に限らず、長期戦略までも、前もって発表してしまうということがしばしば行われています。そうして、こうした発表自体がプロモーションにもなっています。こういう発表をすることにより、黙っていても、ブロガーなどがサイトにこうした情報プラスアルファを掲載し、多くの人日度の関心を惹きこれに関係したプロダクトなどの販売初日は大盛況ということになります。そうして、前もって発表した戦略を着実に実行していく企業に人気が集まり、株価も上がるというわけです。

アップルのiPhone4や、iPadなどにも同じようなことがあてはまります。アップルは、iAdに関する長期的な戦略も発表しており、多くの企業の関心を呼び起こしています。旧来の企業のように、何でかんでも、隠蔽し、直前あるいは販売直後に明かすというようなところは、販売初日にお祭り騒ぎになるということはないです。最近の日本企業による新製品発表など、まさにそのような状況です。確かに、アップル製品の詳細を知ったから、あるいはアップルの戦略の詳細を知ったからといって、同じことを他の人や、他の企業ができるわけではありません。ジョブスのようにアップルで働いている人や、アップルの企業文化があるからこそ、アップルの事業ができるのであり、それ以外の企業が似たようなことをしても、それは単なる模倣でしかありません。

現在の高度な知識社会において、情報や、知識が盗まれた事により、すぐに競争力を失ってしまうような企業や、有能な知識労働者を多数惹きつけなおかつ動機付けのできないような企業は、最早最初から競争力のない企業であるとみなすべきでしょう。

こうしたことを考えれば、コミュニケーション・コストや、投資コストを大幅に下げるために、クラウドを使うのは当然のことだと思います。それに、最近では、重要なものに対しては暗号使うとか、セールス・ドットコムのように、日本国内にサーバーを設置するところもでてきます。クラウドを使うことは、確かに諸刃の剣であることは否めませんし、個人情報などは大切に保管しなければならないことには変わりはありませんが、現在の世の中の移り変わりの激しさを考慮した場合、何らかの形で使うことを検討し、長期戦略に組み入れない企業に明日はないでしょう。

大学も、企業もおそれることなく、反面情報管理などへの備えは怠らず、クラウドを前提として情報戦略を組んでいくべきでしょう。そうしないところは、時代の趨勢から取り残されていくことになります。あまりに、情報漏洩防止などに過度に固執して、クラウドを使うことを検討もしない企業や個人も、知識社会の中では淘汰されていくことになることでしょう。

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