『別冊正論』 15号
江崎道朗(日本会議専任研究員)
収まらない「ヴェノナ」の衝撃
第二次世界大戦前後の時期に、アメリカ政府内に多数のソ連のスパイが潜入したことを暴いた「ヴェノナ文書」の公開以降、同国内では「ルーズヴェルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか」という古くからの疑念が、確信へと変わりつつある。当然、当時をめぐる歴史観の見直しも進んでいる。しかも、そのピッチは近年、急加速していると言っていい。
ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期にアメリカ内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し解読した記録である。1995年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が公開した。
これら機密文書が次々と公開され、その研究が進んできた結果、ルーズヴェルト大統領の側近であったアルジャー・ヒス(1)[以下、主要人物に通し番号を附し、共産党員または協力者と思われる人物は傍線を引く]を始めとする200人以上のスパイ(あるいは協力者)が政府官僚として働いていたことが立証されつつあるのだ(中西輝政監修『ヴェノナ』PHP研究所)。
ルーズヴェルト政権内部にソ連のスパイたちがいるという疑念は、60年以上前からあった。1948年、下院非米活動委員会において『タイム・マガジン』記者のH・チェンバースが、アルジャー・ヒス(1)を「ソ連のスパイだ」と告発した。1950年には、ジョセフ・マッカーシー上院議員が「国務省に潜む共産党員の名簿を入手した」と発言し、容共政策を進めた国務省や陸軍の幹部たち、特にジョージ・マーシャル国務長官(2)や、蒋介石政権の顧問を務めたオーエン・ラティモア(3)らの責任を激しく追及した。「マーシャル国務長官(2)やラティモア(3)らはソ連に通じており、ひそかに中国共産党政権の樹立を支援した」というのだ。
確かに彼らはソ連や中国共産党に好意的な発言をしていたが、ソ連のスパイだと断定する証拠も当時は見つからなかった。しかも、ソ連のスパイだと名指しされた人物が次々と自殺をしたため、リベラル派のマスコミは、「マッカーシー上院議員らが根拠なく言論弾圧を行った結果、自殺に追い込まれた。これは現代版の魔女狩りで許されることではない」などと、保守派批判を繰り広げたのである。
マッカーシー上院議員 彼の考えは結局正しかったことになる。 写真はブログ管理人挿入 以下同じ |
以後、ソ連や中国共産党に好意的な言動を理由に批判することはタブーとなってしまった。アメリカでも戦後、ソ連や中国に親近感をもつリベラル派にマスコミは支配され、保守派は肩身が狭かったのだ(リー・エドワーズ著『アメリカ保守主義運動小史』明成社)。
それだけに、ヴェノナ文書がアメリカの知識人たちに与えた衝撃は大変なものだった。「国連創設にまで関与したアルジャー・ヒス(1)らがソ連のスパイであるはずがない」と断言していたリベラル派の学者やマスコミは沈黙を余儀なくされた。
ソ連が崩壊し、1991年に登場したロシアのエリツィン政権が、旧ソ連時代のコミンテルン・KGB文書の一部を西側研究者に公開するようになったことも追い風となった。これらの文書の公開によって、「やはりルーズヴェルト民主党政権内部にソ連や中国共産党に利するような政策を推進したスパイがいた」という声が、保守派から実に60年ぶりに上がってくるようになった。その代表者が評論家のアン・コールター女史で、彼女はヴェノナ文書を引用しながら2003年、『トリーズン(反逆)』(邦訳『リベラルたちの背信――アメリカを誤らせた民主党の六十年』草思社)を書いた。
その影響か、共和党のジョージ・ブッシュ大統領は2004年5月13日、アメリカ保守主義同盟40周年大会の記念講演で、アルジャー・ヒス(1)らを告発した『タイム・マガジン』記者のチェンバースを「アメリカの保守主義のリーダー」として高く評価した。
そしてその翌年の2005年5月7日、ブッシュ大統領はラトビアで演説し、アルジャー・ヒス(1)が関与したヤルタ協定について「史上最大の過ちの一つ」だと強く非難したのである。
ヤルタ協定とは1945年2月、ルーズヴェルト大統領、チャーチル首相、スターリン元帥という米英ソ三カ国首脳がソ連領ヤルタで行った会談において、国際連合構想にソ連が同意する見返りとしてポーランドやバルト三国などをソ連の勢力圏と認めることや、ソ連の対日参戦と引き換えに満州の権益や南樺太・北方領土を与えることを認めた秘密協定のことだ。
第二次世界大戦後、東欧諸国がソ連の支配下で苦しんだのも、日本の降伏後、ソ連による満州・北方領土占領、中国共産党政府の樹立、朝鮮半島の分割など極東で連鎖的に起きた危機も、すべてヤルタ協定にその原因をたどることができる。
後に「ヤルタ体制」と呼ばれるようになった戦後の国際秩序の出発点を、こともあろうに当事国であったアメリカのブッシュ大統領が正面から批判したのだ。これに対してロシアのプーチン大統領は5月7日付仏紙フィガロで、「米英ソの三首脳がナチズム復活を阻止し、世界を破局から防ぐ国際体制を目指して合意した。その目的に沿って国連も結成された」と、ヤルタ協定について擁護するなど、国際政治に少なからぬ反響を巻き起こした。
ジョージ・W・ブッシュ大統領、ありがとう。去る5月7日、ラトビアにおいて演説したブッシュ大統領は、大国同士の談合によって、多くの小国の自由を売り飛ばしたヤルタ協定は誤りだったと指摘しました。時期がだいぶ遅れたとはいえ、誤った歴史を見直し、F・D・ルーズヴェルト大統領の悲劇的な間違いの一つについてよくぞ(ヤルタ協定によってソ連に併合された東欧諸国に対して)謝罪の意を表明してくれました
アメリカ共産党の創設
ソ連の指導者レーニンは1919年、世界共産化を目指してコミンテルンを創設した。
人民統一戦線を構築せよ
1931年、アジアで満州事変が勃発し、ソ連は日本と国境線を挟んで直接対峙することになった。
シンクタンクIPRの乗っ取り
中国共産党を支持する雑誌『アメラジア』を創刊
「ルーズヴェルト大統領一族を取り込め」
「南京」宣伝の背後にゾルゲ
スティムソン元国務長官を利用したロビー活動
「トロイの木馬作戦」
政権内部のスパイたちが対日圧迫政策を強行
かつて世界は、世界中のいたるところでいずれ共産革命がおこると信じていた |
極めて高度の機密とされていましたが、1995年7月に原爆研究やマンハッタン計画へのソビエトのスパイに関する文書が公開され、さらなる公開で約3000に上る解読文書が公開されました。
ヴェノナ文書により、ソ連の陰謀は白日の下にされされた |
ソビエト連邦成立とほぼ同時期にソ連主導で成立した国際共産主義連合、それがコミンテルンです。コミンテルンは共産主義の世界的流布と共産主義国家の大国化を目指した組織です。別名第三インターナショナルともいいます。
この陰謀説の著名な賛同者として田母神俊雄、渡辺昇一、西尾幹二、櫻井よしこ、小堀圭一郎、金文雄など様々な保守系知識人が挙げられます。しかし、軍事評論家の田岡俊次、歴史学者の秦郁彦や保阪正康などを中心とした歴史学者や研究家は陰謀の存在を否定していました。
しかし、上記でもおわかりになるように、ヴェノナ文書や、ソ連崩壊後の文書公開や、その後のそれらの分析によって、コミンテルンの陰謀は白日のもとにさらされ、陰謀否定派は沈黙するに至っています。もう、動かぬ証拠が出てきてしまったため、否定のしようがないのです。
この動画は、このブログでは以前も2回掲載しているのですが、本日動画の説明とともに再掲します。ご覧になっていない方々は、これを機会に是非ご覧になってください。
1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国主義の植民地支配からの解放も生じたのである。
1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国主義の植民地支配からの解放も生じたのである。
1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国主義の植民地支配からの解放も生じたのである。以下に、従来から日本の学者などが指摘していたことで、ソ連崩壊後に公開された文書で明らかになった事実もあります。その顕著な例としては、ノモンハン事件があります。それに関しても以下に動画を掲載します。
この動画ても、指摘されているように、ノモンハン事件は、確かに日本も大きな被害がありましたが、ソ連のほうがはるかに被害が大きく、事実上日本の大勝利だったことがわかっています。
さて、ブログ冒頭の記事には掲載されていなかったものの、日米開戦そのものにも、コミンテルンは多いに関わっています。そもそも、日米はまるで昔からの仇敵のように、いわれていますが、日米開戦のわずか10年ほど前までには、誰もが日米が戦うなどとは、予想だにしませんでした。
真珠湾攻撃はルーズベルトの陰謀だという説がありますが、これは事実の一面を表しているにすぎません。実はルーズベルトはコミンテルンに操られた道化にすぎず、コミンテルンこそが黒幕だったのです。
当時ルーズベルト政権には300人にも及ぶコミンテルンのスパイが潜入していました。スパイは米政府の上層部まで昇りつめた者もいました。その1人であるハリー・ホワイトは財務次官、財務省のナンバー2である。ホワイトはルーズベルトの友人であるモーゲンソーを通じてルーズベルトを操作して反日感情を高めたり、共産国に対する警戒心を薄めました。
コミンテルンの工作を受けたルーズベルト政権は日本に対し挑発的な外交をするようになり、ついには極秘でフライングタイガースという航空部隊を中国に派遣し、影で日米開戦前から日本に対して攻撃をしていました。
ハリー・ホワイトの草案は、コーデル・ハルによる外交試案、いわゆる「ハル・ノート」に取り入れられ、これはほとんど最後通牒に近いものであり、後世のアメリカの歴史家でさえも、このようなものを突きつけられれば、どこの国でも、戦争をすると評しています。これに反発した日本は真珠湾攻撃を行い、ついに世界大戦は大東亜戦争(太平洋戦争)へと突入したのです。
コミンテルンはアメリカの世界大戦参戦によって、西部戦線再構築による東部戦線でのソ連の負担の軽減、米による物資援助、日本の戦争敗北(中共による中国統一計画の一部)とそれによる日本という軍事的・経済的脅威の消滅を狙っていたのでした。
また、コミンテルンは日本にアジア諸国を西側諸国から解放させ、そこに共産主義を流布して、東南アジアの赤化も狙っていました。
ブログ冒頭の記事では、主に当時のアジア地域や、これに関わる国々でのコミンテルンの陰謀について記載されていますが、イギリスやフランスもコミンテルンに翻弄されています。
ソ連はドイツとイタリアが東欧占領・衛星国化を狙っていることに早くから気付いていた。また、もし独伊が英仏と開戦した場合、始めは独伊が優勢であるが、しだいに英仏が優勢となり、独伊が負けるということまで研究により予知していました。
結局ソ連は、東欧の赤化に成功し、以後50年東欧はコミンテルンとソ連によって支配されたのでした。
ソ連は、軍事力だけではなく、徹底した謀略戦で、第二次世界大戦の覇者となった |
今のロシアにはソ連時代(う写真)の国力や軍事力はない。大きな戦争はできない。すれば、負ける。 |
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