与那国島は台湾にはるかに近い尖閣もすぐそばだ |
日本の最西端の島、与那国島は終戦直後の一時期、「東洋のハワイ」と呼ばれていた。本土はもとより、沖縄本島より台湾の方が近い地理的条件から、密貿易の中心地として栄えたからだ。
▼そんな時代への追憶が、独特の金銭感覚につながるのだろうか。陸上自衛隊の沿岸監視部隊の配備計画をめぐり、与那国町の外間守吉(ほかま・しゅきち)町長が要求している10億円の「迷惑料」が、波紋を広げている。
▼後に、「市町村協力費」と言い換えたものの、「反対派が動き始めた」ことを理由に、金額は「譲らない」という。防衛省が用地取得費として提示している最大1億5千万円とは、隔たりが大きすぎる。交渉は継続されるものの、新たな配備先として石垣島が浮上してきた。
▼そもそも町議会が自衛隊誘致を決めてから、5年が経過している。国境の島の安全がたった2人の警官によって守られている危うさは、以前から指摘されてきた。民主党への政権交代が障害になったとはいえ、もっと実現を急げなかったのか。
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【私の論評】この島に住んでいる人たちは不安ではないのか?私なら、警官二人では、かなり不安を感じるが・・・・・・???
与那国島市街地 |
上の記事に掲載されている与那国島、知っているようで知らないし、石垣島には行ったことがありますが、与那国島は残念ながら、私自身も行ったことがないので、以下に与那国島に関して、wikipediaからコピペします。
概要
与那国島(よなぐにじま、方言名どぅなんちま)は、日本の最西端の島。南西諸島八重山列島の西端、日本最西端の地を擁す国境の島。
八重山諸島の西端、台湾の北東に位置する島。行政区分は沖縄県八重山郡与那国町。北緯24度26分58秒東経122度56分01秒[1]に位置する西崎(いりざき)は、正式な日本の東西南北端の中で唯一、一般の交通機関で誰でも自由に訪れることができる場所である。
歴史
14世紀に沖縄本島の有力者が海上交易を始めると、その中継点として訪れた人々によって文明化されたと思われる。1522年(大永2年)に琉球王朝の支配下に組み入れられるまでは、女首長サンアイ・イソバ[5](実在不明)や鬼虎(同じく)の下で独立国であった。1611年(慶長16年)、薩摩藩役人毛利内膳正元親が来島し与那国島の測量を行い、初めて検地帳を作製した。1879年(明治12年)の琉球処分と共に日本に帰属する。台湾が日本領になった時代は、台湾住民との間で砂糖や米の密取引が行われるようになり、人口は2万人まで増加した。
1908年(明治41年)島嶼町村制で間切制が廃止され、石垣間切・大浜間切・宮良間切の3間切が与那国島とともに八重山村となる。1914年(大正3年)八重山村が分村し、与那国村となる。
1945年(昭和20年)に米軍の軍政下に置かれ、台湾が日本から分離したため、密取引は行われなくなり人口も急減。1948年(昭和23年)に町へ昇格し与那国町となる。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ平和条約で米国統治となり、1972年(昭和47年)に日本へ返還されて現在に至る。
1982年(昭和57年)、台湾の花蓮市と姉妹都市を締結。
1986年(昭和61年)にはダイバーによって海底遺跡のような地形が発見されて話題となる。
1996年(平成8年)、与那国島から約60キロメートルの海上に中国から発射された弾道ミサイル1基が着弾した。台湾も、中国に対抗した軍事演習として、与那国島の沖合で軍事演習を計画するなど、緊張が走った。当時は自衛隊や海上保安庁によるパトロールが行われた。
防衛
国境の島であるため、台湾有事や尖閣諸島問題など周辺地域の有事に巻き込まれる蓋然性がある。2010年12月17日に閣議決定・公開された防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画 (2011)において200人規模の沿岸監視隊配備が盛り込まれ、平成23年度防衛予算では調査費として3000万円が計上された。続く平成24年度防衛予算においては陸自の沿岸監視隊及び空自の移動警戒隊を配備させるための用地取得のため、10億円を計上した。
これは中国の軍事的な脅威に対して、南西諸島に存在する警戒網の死角を埋める意味があり、同時に与那国の奇襲占領を抑止するためでもあるとされる。隊員の消費活動による与那国町への経済波及効果も期待されているが、10億円がそっくり地代として入るものと皮算用した町側と、工事費用や移転費用を差し引いて土地使用料としては最大1億5千万円しか予算化していない防衛相との間の交渉は、2013年4月現在難航している。沖縄県警察では、島内に常駐している駐在所員2名に対し、けん銃の予備弾10発を貸与して有事への備えを固めた。この国境の島に警察菅が二人しかおらず、しかも、拳銃の予備弾もたった10発ということで、あまりに無防備です。まさに、今ここにある危機という感じです。10人程度の武装集団を送り込まれたら、それで島を制圧されてしまいます。
与那国島の自衛隊誘致をめぐり賛否それぞれの主張を伝える横断幕=2010年11月、沖縄県与那国町 |
政府は中国海軍が艦隊を沖縄本島と宮古島の間を通過させ、太平洋で訓練するなど海洋での活動を活発化させていることを踏まえ、中期防衛力整備計画(11~15年度)に、「南西地域の島しょ部に陸自の沿岸監視部隊を配置する」と明記。陸自が与那国島で配備先を調査していました。
中国人民解放軍 |
この島に自衛隊がいなかったとしても、何かがあれば、別の島から派遣することも十分可能でしょうが、私がこの島に住んでいたら不安でしょうがないと思います。何しろ、警察官二人ではどうしようもないです。すぐ近くを中国の艦船が行き来していることに、何も感じない、島民の人もいるのでしょうか?そんなことはないと思います。
考えてみれば、自分が今住んでいる函館市には、第28普通科連隊が駐屯しています。東日本震災があったときには、この駐屯地からも被災地に多くの人が派遣されました。
この駐屯地では、年に一回創立記念日という行事を挙行します。この時は、一般人も駐屯地の中に入ることができます。以下の写真は、そのときに撮影したものです。
かなり規模も大きいのですが、この自衛隊は、会社の結構近くにあります。そのため、ときおり、戦車や装甲車やトラックが道を走っていたり、ヘリコプターが飛んでいたりしますが、未だかつて迷惑などと感じたことはありません。それに、この駐屯地には、知り合いも何人かはいます。知り合いとは、飲みに行くこともあります。
会社のすぐそばを走る自衛隊の装甲車 |
与那国島だって、このような自衛隊が派遣されていれば、警察官二人よりははるかに安心感というものがあると思います。それに、それなりの装備と数の自衛隊がいれば、中国の脅威も随分やわらぐと思います。それに、駐屯地の人たちがいることによる経済効果もそれなりにあると思います。それよりも何よりも、この小さな島、外国人が押し寄せてきて住んでしまったらどうなるんでしょうか?こんな、台湾のすぐそば、中国のそばで、自衛隊もいなければかなりリスキーだと思います>
こんなことを考えれば、与那国に自衛隊を駐屯させることは日本にとっても、与那国島にとっても良いことだと思います。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?
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