福岡県北部の朝鮮人鉱夫が、高額を稼いで、仕送りしている と報じた大阪朝日新聞(南鮮版、昭和15年5月28日付) |
朝鮮半島から日本内地に渡った炭鉱労働者が厚遇されていた実態は、当時の新聞報道からも、うかがえる。
大阪朝日新聞は、昭和15年4月21日付の中鮮版(朝鮮半島中部)で「朝鮮人鉱夫に特別の優遇設備 まるで旅館住ひ(ずまい)同様」を見出しに、福岡県水巻町の炭鉱の鉱業所が、朝鮮人労働者向けに新築の社宅とアパートを建設したと報じた。記事には、浴槽につかる朝鮮人労働者の満足げな写真も掲載しており、韓国政府が主張する「強制労働と人権蹂躙の現場」とは、ほど遠い印象を与える。
15年5月28日付の南鮮版(朝鮮半島南部)も、「朝鮮人鉱夫の物(もの)凄(すご)い稼高」の見出しを取って、同県北部の炭鉱で働く半島出身者の高賃金を記事にした。
朝鮮人労働者400人は同年3~4月の2カ月で総額1万7千円、1人あたり1カ月21円を故郷に送金した。契約期間後に支払われる、義務貯金と郵便貯金は計1万7、8千円稼いだという。記事は「その勤勉力行ぶりは全く内地人鉱夫たちの範とするに足る」と持ち上げた。
【私の論評】ドキュメントが証す、強制連行の虚偽(゚д゚)!
ブログ冒頭の記事は、新聞という物的証拠があります。このような歴史的な事実は、さすがの韓国政府も否定することはできないでしょう。このような証拠、必ず保存すべきです。
日本の場合は、様々な歴史的資料を保存する習慣が昔からあるので、このあたりの資料はあちらこちらに、日本でも残っていることと思います。一方、朝鮮では古文書など、歴史を保存する習慣がないので、過去を忘却して、平気で歴史の修正を行うようです。
韓国の歴史は、古代はもとより、近代あたりもかなり怪しくどう考えても、修正されたとしか思えないような内容のものが多くあります。
しかし、このような資料を再度発掘して、白日の元にさらせば、慰安婦問題はもとより、歴史問題も、存在しなかったことが明らかになると思います。
人の記憶とはあいまいなものですし、それに簡単に捏造されます。実際、韓国人もとんでもない過去の虚偽の歴史を証言している例があまたあります。それよりも、当時の文書とか、写真とか、実際に使われていた遺品であるとか、そちらのほうがはるかに歴史の証言として役立ちます。
朝鮮人、強制労働の虚妄は以下の新聞記事でも、明らかだと思います。
大半、自由意思で居住。外務省、在日朝鮮人で。 戦時徴用は245人(1959年7月13日 朝日新聞) クリックすると拡大します |
これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人ですが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされています。
主な内容は次の通りです。
一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。
増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。
一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。
戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、 戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留したものである。戦時徴用に関しては、以前のこのブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
(1959年7月13日 朝日新聞)
【西村幸祐氏ツイート】まるで戦時中の徴用に強制的という言葉をつけるのが正しいように報道する劣悪なNHK長野の報道―【私の論評】歴史的事実常識を知らなさすぎのマスコミ、このような報道ばかりするというのなら存在価値はない(゚д゚)!
アメリカの戦時徴用のポスター、日本でいえば女子挺身隊のポスター |
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徴用(ちょうよう)とは、戦争中などに、政府が国民や占領地住民を強制的に動員して、兵役を含まない一般業務につかせることです。
日本では、1939年(昭和14年)に国民徴用令が制定され、第二次世界大戦の終結まで行われました。また物品や施設、船舶等を徴発することも徴用と呼びます。占領地住民に対する徴用・徴発についてはハーグ陸戦条約に規定があり、正当な対価のない徴用・徴発は禁じられています。
戦時中の日本では、1944年8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも適用するとした閣議決定がなされました。その後、1944年9月より朝鮮人にも適用され、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施されました。
日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月までの7ヵ月間でした。戦後、賃金の一部が未払いであったことが問題とされましたが、1965年に締結された財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定によって未払い賃金を含めた経済支援が韓国に行われ、完全かつ最終的に解決されました。
強制労働とは、賃金も対価も何もない労働のことで、この典型例は、終戦後も長きにわたって当時のソビエトのシベリアで、旧日本兵が食料も満足に与えられず、極寒の地で強制労働させられ、大量に死亡したという事実があります。
徴用とは、戦時中にアメリカなど含むどこの国でも実施されたことであり、従事する人には給料が支払われました。日本をはじめとする、アメリカを含む文明国の徴用を強制労働と称するのはは完全な間違いです。
強制労働というに相応しいのは、旧ソビエトの日本兵に対する強制労働です。これは、当時も現在に至るも給料など一銭も支払われておらず、完璧なハーグ陸戦条約違反でした。日本の徴用を強制労働とするのは完璧な間違いであり、認識不足です。
なお、当時のソビエトに抑留されて、強制労働によって亡くなった旧日本軍将兵の慰霊塔が日本各地に建立されています。その一つの写真を碑文を以下に掲載します。
これも、当時のアメリカの女性徴用に関するポスター |
日本では、1939年(昭和14年)に国民徴用令が制定され、第二次世界大戦の終結まで行われました。また物品や施設、船舶等を徴発することも徴用と呼びます。占領地住民に対する徴用・徴発についてはハーグ陸戦条約に規定があり、正当な対価のない徴用・徴発は禁じられています。
戦時中の日本では、1944年8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも適用するとした閣議決定がなされました。その後、1944年9月より朝鮮人にも適用され、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施されました。
日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月までの7ヵ月間でした。戦後、賃金の一部が未払いであったことが問題とされましたが、1965年に締結された財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定によって未払い賃金を含めた経済支援が韓国に行われ、完全かつ最終的に解決されました。
当時徴用された朝鮮人の名簿「半島労務者」、「給与係」と書かれ ている所に注目 これは今でいえば、賃金台帳のようなものです。 |
徴用とは、戦時中にアメリカなど含むどこの国でも実施されたことであり、従事する人には給料が支払われました。日本をはじめとする、アメリカを含む文明国の徴用を強制労働と称するのはは完全な間違いです。
戦時徴用され航空機づくりの作業に従事しているアメリカ人女性 |
強制労働というに相応しいのは、旧ソビエトの日本兵に対する強制労働です。これは、当時も現在に至るも給料など一銭も支払われておらず、完璧なハーグ陸戦条約違反でした。日本の徴用を強制労働とするのは完璧な間違いであり、認識不足です。
なお、当時のソビエトに抑留されて、強制労働によって亡くなった旧日本軍将兵の慰霊塔が日本各地に建立されています。その一つの写真を碑文を以下に掲載します。
忠霊園 高知県高岡郡東津野村 「シベリア虜囚の叫び」 |
碑文
ソ連スターリンは全面的降伏をした我が日本軍を、戦争中の捕虜として流刑の地シベリアに強制連行して酷使し飢えと寒さに耐えられず八万人の将兵が惨めたらしく死んでいきました。
これは国際法・人道上赦されぬ行為であります。
この像は疲労困憊した兵が虱の猛威にたまりかね、伐採山で裸になり痩せ衰えた我が身体を見て落胆しながらも「俺は生きて帰り、この凍土の下に無念に眠る数多くの同胞の霊を浮かばせてやらねばならない」と故国の空に叫ぶ姿を描いた銅像です。
世界のそれぞれの国がその人権を守り、永久の平和と戦友の冥福を祈るため、慰霊の像を建立するものです。
これが、強制労働というものです。これでも、徴用と強制労働は同じといえるのでしょうか。NHK長野の報道には、こうした常識に欠けています。
平成十一年十月二十日之建 高知県シベリア強制抑留者慰霊銅像建立委員会
この記事の冒頭のほうで、「戦争中といえば、朝鮮人は日本国民でした、それを強制的に労働させれば、法律違反です」と掲載しました。
戦時や戦争直前というと、日本は軍国主義一色であり、行政も、国会も、司法も何もかも軍の言いなりだったなどということが盲信されていますが、それは全くの間違いです。
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上の記事で、「金屋淵行 半島労務員 給与係」という文書の写真が掲載されています。これは、給与を支払っていたことの証として、このブログに掲載しました。
以下の写真です。
しかし、この写真をとんでもないことの査証として用いているサイトがあります。そのブログのリンクを以下に掲載します。
なんと、この写真、このサイトでは朝鮮人の強制労働の証拠として用いられています。しかし、これは大きな矛盾です。そもそも、強制労働ならば給与など支払うわけもなく、給与係など必要もなく、存在している事自体がおかしなことです。
この方は、この記事を書く上で、何かを参照し、写真も転載したと思われますが、その元もこの写真を強制労働の証拠としているのだと思います。
そのような視点でみると、このサイトに書かれていることは、何一つ出展が明らかにされていません。
韓国などの歴史資料は、このように出展が明らかにされていないものが多いです。これでは、正しい過去の歴史を表しているとはいえないと思います。
まともなドキュメントによって書かれていない、歴史は鵜呑みにしてはいけないです。自分で、ある程度ドキュメントを調べてから、判断すべきものと思います。
そうでないと、他者に偽りの歴史を刷り込まれたり、挙げ句の果てには操作されてしまいかねません。
そんなことでは、私達自分自身の主人公になることもできず、いつも他者に支配されることになってしまいます。私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
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