政府は22日、策定中の令和元年度補正予算案で赤字国債を発行する方向で調整に入った。与党からは、災害復旧や景気の下ぶれリスクなどに対応するため、10兆円規模の財政支出を求める声が強まっており、国債を発行して歳入不足を補う。年度途中で国債を増発すれば3年ぶりとなるが、与党も容認する見込みだ。
安倍晋三首相は経済対策の策定を指示しており、補正予算案と2年度予算案で必要経費を手当てする。具体的には、台風災害からの復旧・復興▽大規模災害に備えたインフラ整備▽日米貿易協定の発効に向けた国内の農業対策▽来年の東京五輪後に備えた経済活性化策-などが挙がっている。
与党内では大型補正を求める声が相次いでいる。
自民党の世耕弘成参院幹事長は22日の記者会見で、補正予算について、国の直接の財政支出である「真水」で10兆円、事業費で20兆円規模が必要だとの認識を示した。さらに、中小企業のIT化支援などの施策を挙げ、「未来への投資はたくさんある。(赤字国債の)発行を躊躇(ちゅうちょ)すべきではない」と強調した。
自民党の二階俊博、公明党の斉藤鉄夫両幹事長も20日、補正予算は真水で10兆円を求めることで一致。自民党は26日に岸田文雄政調会長のもとで経済対策の要望をとりまとめる予定だ。
政府の元年度税収は企業業績の悪化などを受け、当初の見通しを下回る可能性がある。このため、補正予算は建設国債などと合わせ、赤字国債で歳入不足を補う方向になった。
【私の論評】マイナス金利の現時点で、赤字国債発行をためらうな!発行しまくって100兆円基金を創設せよ(゚д゚)!
日本では、赤字国債というと、「将来世代へのつけ」とドヤ顔で語る、愚か者が、政治家や官僚、識者といわれる人まで大勢います。嘆かわしいことです。行政の根幹部分ともいえる、財政についてこれほど理解度が低い人々が、政治家、官僚、識者であるいう日本は本当に不幸な国かもしれません。
このブログでは、過去もこれは間違いということを掲載してきましたが、本日もその理論について掲載します。
政府が財政支出を行い、それを税ではなく赤字国債の発行で賄うとします。つまり、政府が債務を持つとします。そして、政府はその債務を、将来のある時点に、税によって返済するとします。
このような単純な想定で考えた場合、増税が先延ばしされればされるほど、財政支出から便益を受ける世代と、それを税によって負担する世代が引き離されてしまうことになってしまいます。これが、通説的な意味での「政府債務の将来世代負担」です。
経済をモデル化する一つの枠組みに、若年と老年といった年齢層が異なる複数の世代が各時点で重複して存在しているという「世代重複モデル」と呼ばれるものがあります。政府債務の将来世代負担論は、この枠組みを用いるのが最も考えやすいです。
そこで、仮に老年世代の寿命が尽きたあとに増税が行われるとすれば、彼らは税という「負担」をまったく負うことなく、財政支出の便益だけを享受できることになります。そうして、その税負担はすべてそれ以降の若年世代が負うことになります。
つまり、世代重複モデル的に考えた場合には、増税が先になればなるほど「現在および将来の若い世代」の負担が増えます。それは要するに、老年の残り寿命が若年のそれよりも短いからです。
老年は、その残り寿命が短ければ短いほど、自らは税負担を免れ、それをより若い世代に押し付ける可能性が強まります。その意味で、この政府債務の将来世代負担論は、「老年世代の食い逃げ」論とも言い換えることができます。
こうした通説的な政府債務の将来世代負担論に対しては、よく知られた反論が存在します。それは、初期ケインジアンを代表する経済学者の一人であったアバ・ラーナーによる、政府債務将来世代負担への否定論であす("The Burden of the National Debt," in Lloyd A. Metzler et al. eds., Income, Employment and Public Policy, Essays in Honour of Alvin Hanson, 1948, W. W. Norton)。このラーナーの議論の結論は、「国債が海外において消化される場合には、その負担は将来世代に転嫁されるのですが、国債が国内で消化される場合には、負担の将来世代への転嫁は存在しない」というものでした。ラーナーによれば、租税の徴収と国債の償還が一国内で完結している場合には、それは単に国内での所得移転にすぎないというのです。ラーナーはそれについて、以下のように述べています。
もしわれわれの子供たちや孫たちが政府債務の返済をしなければならないとしても、その支払いを受けるのは子供たちや孫たちであって、それ以外の誰でもない。彼らをすべてひとまとまりにして考えた場合には、彼らは国債の償還によってより豊かになっているわけでもなければ、債務の支払いによってより貧しくなっているわけでもないのである(上掲書p.256)。このラーナーの議論には、いくつか注意すべきポイントが存在します。第一に、ここで言われている「将来世代」は、世代重複モデル的な把握ではなく、将来のある時点に存在する人々を老若含めてひとまとまりにしたものとして考えられているのです。
つまり、「1950年生まれ世代」とか「2000年生まれ世代」という区分ではなく、「1950年に生存していた世代」とか「2000年に生存していた世代」といったような世代区分が想定されているのです。
第二に、ラーナーの議論における「負担」は、単に税負担を意味するのではなく、「国民全体の消費可能性の減少」として考えられています。ラーナーは、赤字財政政策の結果としての「負担」は、上の意味での将来世代の経済厚生あるいは消費可能性が全体として低下した場合においてのみ生じると考えます。そこでの焦点は、将来世代の所得や支出が現世代の選択によって低下させられているのか否かです。
たとえば、戦争の費用を国債発行で賄い、その国債をすべて自国民が購入したとします。その場合、現世代の国民は国債購入のために自らの支出を切り詰めるという「負担」を既に被っているので、将来世代の国民が支出を切り詰める必要はないです。
第二に、ラーナーの議論における「負担」は、単に税負担を意味するのではなく、「国民全体の消費可能性の減少」として考えられています。ラーナーは、赤字財政政策の結果としての「負担」は、上の意味での将来世代の経済厚生あるいは消費可能性が全体として低下した場合においてのみ生じると考えます。そこでの焦点は、将来世代の所得や支出が現世代の選択によって低下させられているのか否かです。
たとえば、戦争の費用を国債発行で賄い、その国債をすべて自国民が購入したとします。その場合、現世代の国民は国債購入のために自らの支出を切り詰めるという「負担」を既に被っているので、将来世代の国民が支出を切り詰める必要はないです。
将来世代は単に、戦費負担を一時的に引き受けてくれた国債保有者への見返りとして、増税による国債償還という形で、より大きな所得の分け前を提供すればよいのです。それは、純粋に国内的な所得分配問題です。
それに対して、戦費が外債の発行によって賄われる場合には、現世代は戦争だからといって支出を切り詰める必要はないです。戦争のための支出は、現世代の国民の耐乏によってではなく、その時代の他国民の耐乏によって実現されているからです。ただし、将来世代はその見返りとして、増税によって自らの支出を切り詰めて他国民に債務を返済する必要があります。
つまり、将来世代の消費可能性は、現世代が国債を購入してその支出を自ら負担するのか、国債を購入せずに海外からの借り入れに頼るのかによって異なります。前者の場合には将来世代の負担は発生しないのですが、後者の場合にはそれが発生します。これが、ラーナーが明らかにした「負担」問題の本質です。
このラーナーの議論は、政府債務負担問題についてのありがちな誤解を払拭する上では、大きな意義を持っています。人々はしばしば、赤字財政によって生じる政府債務に関して、家計が持つ債務と同じように「将来の可処分所得がその分だけ減ってしまう」かのように考えがちです。それは、財政赤字が外債によって賄われている場合にはその通りですが、自国の国債によって賄われている場合にはそうとはいえません。
というのは、人々の消費可能性は常にその時点での生産と所得のみによって制約されているのであり、政府債務や税負担の大きさとは基本的に無関係だからです。政府債務がどれだけ大きくても、それが国内で完結している限り、必ずそれと同じだけの債権保有者が存在するのですから、その債務は一国全体ではすべてネットアウトされるのです。
それに対して、戦費が外債の発行によって賄われる場合には、現世代は戦争だからといって支出を切り詰める必要はないです。戦争のための支出は、現世代の国民の耐乏によってではなく、その時代の他国民の耐乏によって実現されているからです。ただし、将来世代はその見返りとして、増税によって自らの支出を切り詰めて他国民に債務を返済する必要があります。
つまり、将来世代の消費可能性は、現世代が国債を購入してその支出を自ら負担するのか、国債を購入せずに海外からの借り入れに頼るのかによって異なります。前者の場合には将来世代の負担は発生しないのですが、後者の場合にはそれが発生します。これが、ラーナーが明らかにした「負担」問題の本質です。
このラーナーの議論は、政府債務負担問題についてのありがちな誤解を払拭する上では、大きな意義を持っています。人々はしばしば、赤字財政によって生じる政府債務に関して、家計が持つ債務と同じように「将来の可処分所得がその分だけ減ってしまう」かのように考えがちです。それは、財政赤字が外債によって賄われている場合にはその通りですが、自国の国債によって賄われている場合にはそうとはいえません。
というのは、人々の消費可能性は常にその時点での生産と所得のみによって制約されているのであり、政府債務や税負担の大きさとは基本的に無関係だからです。政府債務がどれだけ大きくても、それが国内で完結している限り、必ずそれと同じだけの債権保有者が存在するのですから、その債務は一国全体ではすべてネットアウトされるのです。
他方で、このラーナーの議論には、一つの大きな問題点が存在します。それは、「赤字国債の発行が将来時点における一国の消費可能性そのものを縮小させる」可能性を十分に考慮していない点です。
一般には、政府がその支出を赤字国債の発行によって賄えば、資本市場が逼迫して金利が上昇するか、対外借り入れが増加して経常収支赤字が拡大するか、あるいはその両方が生じます。
1980年前半にアメリカのロナルド・レーガン政権は、レーガノミクスの名の下に大規模な所得減税政策を行ったのですが、その時に生じたのが、この金利上昇と経常収支赤字の拡大でした。
金利の上昇とは民間投資がクラウディングアウトされたことを意味し、それは一国の将来の生産可能性が縮小したことを意味しますから、一国の将来の消費可能性はその分だけ縮小します。また、外債に関する上の議論から明らかなように、一国の対外借り入れの増加とは、将来世代の負担そのものです。
ただし、赤字国債の発行が民間投資減少や経常収支赤字拡大をもたらすその程度は、経済が完全雇用にあるか不完全雇用にあるかで大きく異なります。所得の拡大余地が存在しない完全雇用経済では、国債発行によって政府が民間需要を奪えば、それは即座に民間投資のクラウディングアウトや海外からの借り入れ増加につながります。
しかし、ケインズ的な財政乗数モデル(45度線モデル)が示すように、不完全雇用経済では、国債発行による政府支出の増加によって所得それ自体が拡大するため、貯蓄も同時に拡大します。その結果、金利上昇や経常収支赤字拡大は完全雇用時よりも抑制されます。
ただし、赤字国債の発行が民間投資減少や経常収支赤字拡大をもたらすその程度は、経済が完全雇用にあるか不完全雇用にあるかで大きく異なります。所得の拡大余地が存在しない完全雇用経済では、国債発行によって政府が民間需要を奪えば、それは即座に民間投資のクラウディングアウトや海外からの借り入れ増加につながります。
しかし、ケインズ的な財政乗数モデル(45度線モデル)が示すように、不完全雇用経済では、国債発行による政府支出の増加によって所得それ自体が拡大するため、貯蓄も同時に拡大します。その結果、金利上昇や経常収支赤字拡大は完全雇用時よりも抑制されます。
財政定数モデル |
つまり、赤字財政政策による「将来世代の負担」の程度は、不完全雇用時は完全雇用時よりも小さくなります。その意味で、「赤字国債発行による将来世代への負担転嫁は存在しない」というラーナー命題がより高い妥当性を持つのは、財政赤字拡大がそれほど大きな投資減少や対外借り入れ拡大に結びつかないような不完全雇用経済においてなのです。
ラーナーの議論の最も重要なポイントは、「将来の世代の経済厚生にとって重要なのは、将来において十分な生産と所得が存在することであり、政府債務の多寡ではない」という点にあります。仮に早期の増税によってより若い世代が負う税負担が多少減ったとしても、それによって生産と所得それ自体が減ってしまっては、まったく本末転倒なのです。そして、「失われた20年」とも言われるバブル崩壊後の日本経済においては、まさしくその本末転倒が生じていたのです。
結果としては、この早まった消費税増税は、若い世代の所得稼得能力を将来にわたって阻害しただけでなく、デフレ不況の長期化による政府財政の悪化をもたらし、将来世代が負うことになる税負担をより一層増やしてしまったのです。
つまり、「将来世代の負担軽減」を旗印に行われた消費税増税は、皮肉にも彼ら世代に対して、所得稼得能力の毀損と税負担の増加という二重の負担を押し付けるものとなってしまったのです。
この1990年代後半以降の日本経済は、恒常的なデフレと高失業の状態にありました。つまり、一貫して不完全雇用の状態にあった。そして、小渕恵三政権時のような大規模な赤字財政政策が実行された時期においてさえ、国債金利はきわめて低く保たれ、大きな経常収支黒字が維持され続けてきました。これは、赤字財政による将来世代への負担転嫁は存在しないというラーナー命題が、ほぼ字義通りに当てはまっていたことを意味しています。
それとは逆に、日本で行われた不況下の増税は、若い世代が将来的に負う負担を減らすのではなく、むしろそれを増やしてきまし。それは、不況下の増税がとりわけ若い世代の雇用と所得に大きな影響を及ぼすものである以上、まったく当然のことでした。
この1990年代後半以降の日本経済は、恒常的なデフレと高失業の状態にありました。つまり、一貫して不完全雇用の状態にあった。そして、小渕恵三政権時のような大規模な赤字財政政策が実行された時期においてさえ、国債金利はきわめて低く保たれ、大きな経常収支黒字が維持され続けてきました。これは、赤字財政による将来世代への負担転嫁は存在しないというラーナー命題が、ほぼ字義通りに当てはまっていたことを意味しています。
それとは逆に、日本で行われた不況下の増税は、若い世代が将来的に負う負担を減らすのではなく、むしろそれを増やしてきまし。それは、不況下の増税がとりわけ若い世代の雇用と所得に大きな影響を及ぼすものである以上、まったく当然のことでした。
結局のところ、経済が不完全雇用である限り、職からはじき出されがちな若い世代の雇用の確保の方が、彼らへの多少の税負担軽減よりもはるかに優先度が高いということになるのです。
ラーナーの理論は無論現在の日本にもあてはまっています。しかし、政府は数度にわたり増税を行い、とうとう10%増税まで実行してしまいました。本来は、増税などせずに、証国債を発行すべきだったのです。
小渕恵三政権時のような大規模な赤字財政政策が実行された時期においてさえ、国債金利はきわめて低かったのですが、現在国債の金利はマイナスです。
金利がマイナスということは、政府が国債でお金を借りると、将来つけを払わなくて良いどころか、余分にお金がもらえるということです。この機会を利用して国債がゼロになるまで、無制限でどんどん発行すべきときなのです。それについては、このブログでも以前掲載したことがあります。
残り3週間!「消費増税で日本沈没」を防ぐ仰天の経済政策がこれだ―【私の論評】消費税増税は財務省の日本国民に対する重大な背信行為(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、一部のみ以下に引用します。
財務省がゼロ金利まで国債無制限発行に乗り出せば、日銀の金融緩和効果はさらに高められる。しかも、得た財源で景気対策を行えば、まさに財政・金融一体政策となり、目先の消費増税ショックを回避できる可能性も出てくる。しかも、金利正常化で金融機関支援にもなる。
逆にいえば、こうした「美味しい」金利環境を財務省が見過ごし、金利ゼロまでの無制限国債発行を行わないとすれば、それは彼らが増税しか頭にない「無能官庁」であることの証明といえる。上では、ラーナーの理論を詳細に印してきましたが、このようなことを全く知らなくても、国債の金利がマイナスであるということは、国債を発行しまくれば、確実に政府は儲けられることになるのは明らかです。 金利がゼロになるくらいまで発行し続ければ良いのです。高橋洋一の試算によれば、金利がゼロを超えないで発行できるのは、103兆円だとしています。
にもかかわらず、たった10兆円など、本当に微々たるものです。このチャンスを生かし切るためには、もっともっと国債を発行すべきなのです。
令和のマイナス金利なので100兆円基金がいいという野党はいないのかね→補正10兆円は「昭和な感じ」 国民・玉木代表が批判 https://t.co/gCEmeXBNP4 @Sankei_newsさんから— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) November 21, 2019
私は、高橋洋一氏に大賛成です。国債の金利がマイナスなのですから、どんどん発行して、10兆円などとチマチマしたことをせずに、それこそ100兆円の基金でも設けて、それを用いて、景気対策、自然災害対策、安全保証、貧困対策などをどんどん実行しまくれば良いのです。
そうすれば、日本の令和年間は平成年間のようにデフレではなくなり、緩やかなインフレで、成長が期待できます。たとえ、そのようなことをしても、将来の世代につけを回すことには絶対にならないのですから、このチャンスをみすみす逃す手はないのです。
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