[イケダ ハヤト]
先日仲間たちと飲んでいた際に、
「・・・ハヤトさん、こないだ"棚が回る冷蔵庫"のCMやってたんですけど、信じられますか?(笑)」
【私の論評】本当の意味でのソーシャルが注目される時代
最近では、ソーシャルという言葉がはやっていて、ほんどとの場合は、SNSという言葉に象徴されるように、ネット上の言葉です。しかし、この言葉の持つ本来の意味「ソーシャル=社会」も、忘れてはいけないと思います。
詳細は、上の記事を読んでいただくものとして、論評をするために一部のみ引用させていただきます。
まずは、米国で高まりつつあり、また日本の被災地でも見られるようになった「スペンドシフト」という消費者の最近の特徴です。
自分を飾るより ⇒ 自分を賢くするためにお金を使う。
ただ安く買うより ⇒ 地域が潤うようにお金を使う。
モノを手に入れるより ⇒ 絆を強めるためにお金を使う。
有名企業でなくても ⇒ 信頼できる企業から買う。
消費するだけでなく ⇒ 自ら創造する人になる。
それと上の記事の結論部分です。
これからの消費者は、そのビジネスが「どのような課題を解決しているのか」を厳しく見透かし、価値を判断するようになるでしょう。
世の中は課題だらけであることを、私たちは知っています。そんな中、自社の売上を伸ばすために、「満たされたニーズをさらに満たそうとする商品」を売っていこうとしても、人々の共感は得られず、それどころか冒頭のような冷笑すら浴びせられかねません。
皆さんは仕事を通して、どんな課題を解決していますか?
この問いに対して明確な答えを、本心から持てるか否かが、これからのビジネス的な成功を左右する一つの要素になると私は考えています。
このことは、本来は当然のことであって、意識していなくても、もともと、そうだったのだと思います。特に、今世紀に入ってからは、そうだったのだと思います。ただし、多くの人が意識していなかったものが、既存の路線で安売りばかりやっていて、どうにも実績が残らないことが多く調べてみたら、もともと、ずいぶん顧客が変わっていたことに気がついたというのが真相だと思います。
ちなみにドラッカー氏は、2002年の『ネクスト・ソサエティ』という書籍の中で、20世紀に入ってから先進国の社会は明らかに異質な社会に入っており、多くのシステムがまだそれに対応していないと語っていました。そうして、その異質な社会を『ネクスト・ソサエティ』と名付けています。そうして、そのような社会について以下のよう述べています。
経済が社会を規定するとの思想どころか、経済が経済を規定するとの理論からさえ脱却しなければならない。間もなくやってくるネクスト・ソサエティにおいては、経済が社会を変えるのではなく、社会が経済を変えるからである。ドラッカーは急激に変化しつつあるのは、経済ではなく社会のほうであると喝破している。そして、IT革命はその要因の1つにすぎない。人口構造の変化、特に出生率の低下とそれにともなう若年人口の減少が大きな要因だった。若年人口の減少は、それまでの長い流れの逆転であり、前例のないものだった。逆転は他にもあった。富と雇用の生み手としての製造業の地位の変化だった。日本では、いまなお労働人口の4分の1が製造業で働いている。日本が競争力を維持していくためには、2010年までにこれが8分の1ないし10分の1になっていなければならない。
ネクスト・ソサエティをもたらす社会の変化が、働く人たちの役割を規定していくからである。本書が言わんとするところは、1つひとつの組織、1人ひとりの成功と失敗にとって、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味を持つにいたったということである。
ネクスト・ソサエティがやってきていることはまちがいない。しかも万が一、ニューエコノミーが実現するとしても、ネクスト・ソサエティのほうがはるかに大きな意味をもつ。ネクスト・ソサエティは知識社会である。知識が中核の資源となり、知識労働者が中核の働き手となる。知識社会としてのネクスト・ソサエティには3つの特徴がある。
知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。
万人に教育の機会が与えられるがゆえに、上方への移動が自由な社会となる。
万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗の並存する社会となる。
これら3つの特質のゆえに、ネクスト・ソサエティは、組織にとっても1人ひとりの人間にとっても、高度に競争的な社会となる。
詳細は、『ネクスト・ソサエティ』を読んでいただくものとして、ドラッカー氏も言っているように、社会が重要だということは認識しなければなりません。こういうと、何か新しい潮流のことを語っているようですが、そんなことはありません。ドラッカー氏は、もともと企業をはじめとする全ての組織は、社会の機関であるとしています。ただし、社会が今世紀に入ってから従来とは変わってきているということです。
経済というと、多くの人が、株価などの金融経済を思い浮かべると思います。しかし、この金融経済ですら、実体経済いが良くなければ良くならないのです。そうして、実体経済を支配するのが、社会ということです。社会が健全でなければ、健全な実体経済は育まれません。何人も、経済だけをもってして、社会を変えたり、ましてや変革したりなどできません。あくまで、社会が先なのです。社会が良くなってはじめて、実体経済も良くなり、金融経済も良くなるのです。
このようなことは、私が最初に、この著書をみたときは、何となく頭ではわかったつもりになっていましたが、最近こうした変化を実感できる事柄を指し示すものが、徐々にではじめてきたと思います。
現在日本では、失われた20年ともいわれ、デフレの最中にあります。そうしたなかにあっては、資産を持っている人でもあまり消費をせず、お金をあまり使おうとしませんでした。この20年間で、消費者の節約行動は、基本的なライフスタイルにまでなったと思います。
あのAnAnですら、節約記事を掲載した |
社会が上記のように根本的に変わったということ、さらには、ライフスタイルとして定着した節約志向などから、今後日本では、景気が回復したとしても、従来のような消費には戻らないと思います。それこそ、上記に記載されていたような、消費スタイルに変わっていくことでしょう。
上記の若者のような意見を聴いて、イケダハヤト氏のように考えることができれば、良いですが、そもそも、何を言っているのかわからないとか、最近の若者は変だと決めつけているようでは、この流れから取り残されるのは必定です。
現在事業を展開している人はもとより、これから、何か新しい事業をはじめようと考えている方はまずは、経済の前に社会が重要であること、さらに、その社会がすでに今世紀に入ってから従来のものとは、本質的に変わていることを理解しなければなりません。そういう人だけが、これから、成功を収めることができます。
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