2012年8月6日月曜日

いま日本に求められるリーダーは理系か文系かを専門家分析―【私の論評】若いうちに厳しく訓練されリーダーシップを仕事とみなす人だけがリーダーになれる!!

いま日本に求められるリーダーは理系か文系かを専門家分析:


グローバルリーダーには理系出身者が多い一方で、日本の大企業ではまだまだ文系出身者が多い。原発事故で対応が批判された東京電力のトップは、“東大文系”ばかり。原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長が、原子力の安全規制当局としての責任を追及された際に「私は文系なので…」と呆れるいい訳をしたことも記憶に新しい。ということはいま求められる日本のリーダーは理系? しかし、そう単純な話でもなさそうだ。『理系バカと文... 続きを読む

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この記事の詳細は、こちらから!!

【私の論評】若いうちに厳しく訓練されリーダーシップを仕事とみなす人だけがリーダーになれる!!

このブログでは、いわゆるリーダー教育というものを掲載したことがあります。そうしてその際に、失敗の例として、松下政経塾をあげました。真のリーダー養成校は確実に世界中に存在しており、 かつて日本にも、存在していましたが、今は残念ながら、ほとんど存在していません。


世界のリーダーシップ養成校として認められている学校は、世界中に存在しており、それは、いわよるボーディング・スクールというものです。たとえば、イギリスであれば、イートン校のような存在です。これらの学校は、中高一貫教育で、勉学からスポーツその他を徹底して厳しく叩き込みます。ここでは、あまりボーディング・スクールそのものについては述べませんが、以下に世界のボーディング・スクールのリストを掲載しておきます。


上は、海外ですが、日本にも、世界的に有名ではないですし、数も少ないでずか、ボーディング・スクールがあります。それが、以下です。
函館ラサール学園
この中で、海洋中等教育学校などは、最近はテレビなどで放映されて結構知名度があがったと思います。以下にその紹介ビデオを掲載しておきます。


若いうちの叩き込みが重要なのです。そうして、この若い時期のつめこみ、そうして、できうるならば、幼少の頃の厳しい躾があれば、そこから、リーダー的資質を持った人が生まれる確率は高くなります。だからこそ、諸外国では、ボーディング・スクールがこのように多いのだと思います。

それから、先に掲載した、松下政経塾は、全寮制ではありますが、入塾できるのが、22歳以上35歳以下の青年ということであり、ここが、ボーディング・スクールとの大きな違いです。そうして、皆さんご存知のように、この塾からは、リーダー的素質を欠いた人というより、平たくいうとボンクラばかり育っています。やはり、この年齢以上では、リーダー的素質を持った人を育てるということはほとんど無理なのです。松下幸之助氏は、商家の出ということもあり、武家の厳しい幼少期からの教育などあまり知らなかったがため、このようなことになったのだと思います。

以下に、松下政経塾の実体を示す動画を掲載しておきます。


日本には、いわゆる全寮制の学校は、ありませんでしたが、それにしても、中高の頃徹底的に詰め込み教育をするところはありました。それは、江戸時代までの藩校とか、私塾でした。これは、全寮制ではありませんでしたが、それにしても、若いうちに徹底的に様々なことを叩き込むということにおいては、西洋のリーダー養成校と負けず劣らずのものでした。その良い例は、吉田松陰の松下村塾です。

やはり、鉄は熱いうちに、打てという諺どおり、若いうちに、徹底的にありとあらゆることを叩きこむということが、リーダー教育には、重要なのだと思います。そうして、諸外国のポーティング・スクールでは、理系・文系にかかわらず、徹底的に知識を詰め込みます。それに、国家意識、国民意識、スポーツその他規律も負けず劣らず、徹底的に叩き込みます。だから、基本的な事柄に関しては、理系・文系にかかわらず、頭の中に、いわゆる、とっかかりができるわけです。これらの学校を卒業した人たちによれば、次から次へと課題を与えられるということで、イジメなどしている暇はないようです。それよりも、互いに助け合うという精神が生まれるそうです。そこから、コミュニケーション能力も養われるのだと思います。


こんなことを考えると、上でいうところの、理系・文系という分け方など、何の意味も持たないと思います。そんなことより、早期の詰め込み教育のほうが、よほど重要だということです。

こういう基本ができている人が、大学、大学院に進学してさらに大きな器になるという事です。そこからいくと、日本の最近の教育は後退していると思います。得に、戦後の教育は、日教組などの暗躍により、本来のリーダー教育に必要な教育をできないようにしています。

ゆとりの教育で用いられた、パンフレットのようなペラペラの教科書
それに、しばらく前までは、「ゆとりの教育」が行われていました。こんな有様では、とてもじゃないですが、日本にリーダーシップを持った有能な人がてでくる確率はますます少なくなると思います。


それから、ドラッカーは、リーダーシップについて、以下のようなことを語っています。
「リーダーシップとは人を引きつけることではない。そのようなものは煽動的資質にすぎない。仲間をつくり、人に影響を与えることでもない。そのようなものはセールスマンシップにすぎない」(『現代の経営』) 
リーダーシップとは仕事であるとドラッカーは断言する。リーダーシップの素地として、責任の原則、成果の基準、人と仕事への敬意に優るものはない。 
リーダーシップとは、資質でもカリスマ性でもない。意味あるリーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見えるかたちで確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。 
リーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく望ましいかを考え抜く。リーダーの仕事は明快な音を出すトランペットになることだとドラッカーは言う。 
リーダーと似非リーダーとの違いは目標にある。リーダーといえども、妥協が必要になることがある。しかし、政治、経済、財政、人事など、現実の制約によって妥協せざるをえなくなったとき、その妥協が使命と目標に沿っているか離れているかによって、リーダーであるか否かが決まる。 
ドラッカーは多くの一流のリーダーたちを目にしてきた。外交的な人も内省的な人もいた。多弁な人も寡黙な人もいた。 
 「リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事と見ることである」(『プロフェッショナルの条件』)
上記のように、ドラッカー自身は、リーダーシップは、特定の資質などではないといいます。しかしながら、ドラッカー自身も、若い時代にいわゆる、詰め込み教育をされていたことは明らかです。それも、随分特殊な環境にあったようです。それは、ドラッカーの父親は、オーストリア・ハンガリー帝国の官吏であり、その当時の著名人が、ドラッカーの家に集い、一種のサロン的な役割を果たしていいたということです。子供の頃からのこうした体験が、ドラッカーに大きな影響を与えなかったはずはありません。


上の記事のように、リーダーには、理系か文系かなどの論議は、全く不毛だと思います。若いうちの、ある程度以上の詰め込みと、あとは、ドラッカーの言っているように、「リーダーシップを仕事」わみなして、努力する人のみが、本当のリーダーになれるのだと思います。そうして、ドラッカーの時代、特にドラッカーが教育を受けだ時代など、幼少期の教育では、道徳教育と規律に関する厳しい教育がなされていたし、大学に入る前の段階で、様々な詰め込み教育が当たり前でした。

だから、ドラッカーはそんなものは当たり前で、リーダーシップは仕事であると言い切れたのでしょうが、あれから随分ときがたち、特に日本では、日本の社会の社会主義化を目指した日教組が、台頭し、今では目標を見失って、ひたすら内にこもる組織となり、さらには、ゆとり教育などが導入され、まさに、危機的状況になりました。さすがに、「ゆとり教育」は廃止されましたが、日教組などは、亡霊のように残っています。

ドラッカーが今のこの状況をみれば、リーダーシップは資質ではないと言い切れないのではないかと思います。とはいいながら、日教組の組織率も随分低下しています。これから学校の先生になる人たちは、日教組に入らないようにして、日教組の有名無実化を推進すべきです。いずれにせよ、今日本では、特に公立学校ではリーダーシップの資質を育てる教育環境にはありません。

今の政治家はほとんどが戦後の教育を受けています。民主党は、何も決められず、政権が長持ちすることに苦慮しているだけです。自民党も、デフレ下の増税などという愚かな政策を推進し、民主党の補完勢力になっているありさまです。この閉塞感を打ち破るには、強力なリーダーが必要ですが、強力なリーダーシップを発揮しうるかどうかを見極める手段として、中高時代に受けた教育の内容、さらには、ドラッカーが主張しているような「リーダーシップ」を仕事とみなしているかどうかを判断材料にしていく必要があります。間違っても、ヒトラーのような似非リーダーシップを本物のそれと見誤ってはならないと思います。

このようなことにならないため、私たちは、日ごろから、文系・理系のどちらがリーダーに向いているかなどの瑣末なことは脇においておいて、リーダーシップの本質を学んでいく必要があると思います。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?


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2012年8月5日日曜日

南極沖の海底で亜熱帯雨林の痕跡を発見、論文―【関連記事】地球温暖化は、人類によるCO2発生が原因によるものではない!!

南極沖の海底で亜熱帯雨林の痕跡を発見、論文


【AFP=時事】南極沖の海底掘削調査で、現在は氷に閉ざされている南極大陸が5200万年前には亜熱帯雨林に覆われていたことを示す痕跡を発見したという論文が2日の英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された。

南極の氷床

2010年に東南極大陸沖の海底を掘削して採取された堆積物コアを詳しく調べた結果、始新世(5600万~3400万年前)に南極大陸を覆っていた亜熱帯性の森林のものとみられる花粉の化石が見つかった。

調査に参加した豪クイーンズランド大学(University of Queensland)の古気候学者、ケビン・ウェルシュ(Kevin Welsh)氏によれば、コアから見つかった温度感受性のある微粒子を分析したところ、5200万年前の南極大陸は気温が約20度と非常に温暖で、氷は存在せず森林に覆われていたとみられることがわかった。

南極は昔森林で覆われていた!!
温暖な気候の主な原因は、大気中の高い二酸化炭素レベルにあったとみられている。ウェルシュ氏によれば当時の二酸化炭素(CO2)濃度は990~数千ppmに上っていた可能性がある。現在のCO2濃度は395ppmと推定されており、国連(UN)の気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change、IPCC)による最も極端な予測に従えば南極の氷は「今世紀末までに」また解け始めるだろうとウェルシュ氏は述べた。

「これは人々と各国政府の行動に大きく左右されるので、はっきりと言うのは難しい。(CO2)排出量が将来どの程度の量になるかにかかっている」(ウェルシュ氏)

ウェルシュ氏は、南極とその地表に蓄えられている膨大な量の水が地球全体に対して持つ役割の重要性からすれば、今回の発見は将来起きる気候変動を理解するにあたって「非常に大きな意味を持つ」と説明した。【翻訳編集】 AFPBB News

この記事の詳細はこちらから!!

【関連記事】地球温暖化は、人類によるCO2発生が原因によるものではない!!

地球温暖化二酸化炭素説や、地球温暖化災厄説とか、私自身はほとんど信用していません。このことについては、数年前までこのブログでも、良く掲載していましたが、最近では、ほとんど掲載していませんが、上の記事そもそも、論理的に破綻しているので、本日はこれについて掲載します。

地球温暖化の危機を訴えるために、氷河の上で裸で仰向けに寝る人々
上の記事の矛盾点をつきます。まずは、人類の起源諸説紛々でいろいろありますが、少なくとも現生人類がこの世に誕生したのは、せいぜい10万年未満であることは、一致していると思います。上の記事では、5200万年前に、南極は地球温暖化のために、今と比較すれば、暖かくて、森林であったとしています。そうなると、現生人類が存在するずっと以前、要するに人類が存在するずっと以前に、地球温暖化で、南極は森林で覆われていたということになります。地球温暖化二酸化炭素説を主張する人たちは、現在人類が化石燃料などを使い放題使い、空気中に二酸化炭素を撒き散らすので、それが原因となって、地球温暖化になると主張しており、その説により、二酸化炭素の排出を規制すべきだと主張しているわけです。

地球温暖化になれば、南極でもこんな姿でいられる?
であれば、もう、上の記事の主張など完璧に破綻していると思います。なにしろ、地球上に人類が存在するずっと以前に温暖化で南極は森林で覆われていたということを示しているからです。上の記事は、5200万年前には、人類が存在しておらず、化石燃料を使う使わないは全く関係なしに、空気中の二酸化炭素が多く、 温暖化で、南極は森林に覆われていたということです。

地球温暖化は災厄ではない、実際ヨーロッパは地球温暖化にあたる時代に大躍進した
地球温暖化二酸化炭素説に反対の人々の中には、二酸化炭素炭素が増えたから、地球温暖化になるのではなく、地球温暖化になったから、空気中の二酸化炭素が増えたのだと主張する人たちもいます。確かにこれは、理解しやすいです。地球温暖化になれば、植物の繁殖できる範囲が増え、気温が低かった時より多く繁殖しはじめます。そうなると、森ができる範囲も増え、そうなると最初は森の木々が成長するために、二酸化炭素を吸収するのですが、森が成長し、数百年もすれば、森自体が古くなり、成長する必要もなくなり、今度は、二酸化炭素を吸収するよりも、排出するほうが多くなります。そうなれば、空気中の二酸化炭素は増えます。そうして、森林の面積が広大であれば、確かに、空気中の二酸化炭素も増えることでしょう。

寒けりゃ寒いなりに楽しみは一杯ある!!
ひよっとしたら、上の記事の論文は、本当はこのことを裏付けているのかもしれません。いずれにせよ、人類の排出する二酸化炭素など関係なしに、地球温暖化になっていたことは間違いありません。上の記事は、人類が存在していなくても、顕著な地球温暖化と顕著に空気中の二酸化炭素が多いことが過去にあったということを示しています。

地球温暖化になれば、寒冷地でもこのような格好でいられるようになる。それが、悪いことか?
上の記事の論文は、この事実を無視して、現在の地球温暖化問題に援用しているという点で間違いです。このような科学的な間違いは、良くあることです。科学的態度とは、何か一つ新発見をしたとして、その事実をもって言えることと、言えないことを十分に区別をつけるということであり、その区別がつかないということで、上の論文は、科学的ではありません。

地球温暖化は、豊穣を意味する。実際過去には、耕地面積は増えた!!
私は、地球温暖化二酸化炭素説に限らず、どのような分野でも、こうした取り違いはすべきではないと思います。たとえば、日本国財政破綻説もそのようなものの一つです。
地球温暖化になれば、寒冷地でも年中このような格好でいられる
私は、最近の太陽の黒点活動の不活発化による、寒冷化のほうがよほど懸念されるのですが、それにしたって、数千年や、数万年の単位で徐々に起こることなので、ケインズが「我々は長いうちには必ず死ぬ」といって、長期の経済を考えても仕方ないと主張していたように、我々は温暖化や、寒冷化を心配するよりも、もっと身の回りのたとえば、デフレ下の増税などの問題を心配したほうが良いと思います。

地球温暖化になれば、寒冷地でもこのような姿は当たり前になる?
実際多くの人はそう考えていると思います。人類による二酸化炭素放出が、地球温暖化の原因になっているなどとの考えは、まだ実証されてもおらず、このような不確かなことよりも、世界は、しばらく続いている不況の解消に感心がいっていると思います。上の論文などは、現在の経済情勢などから、忘れされがちな、地球温暖化をアピールして、自分たちに再び目を向けさせるために、発表したものだと思います。皆さんは、どう思われますか?


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2012年8月4日土曜日

(倉山満氏の緊急解説)総裁造反?−【私の論評】日本国と、日本人という文脈で、物事をとらえ、語り、行動せよ!!

(倉山満氏の緊急解説)総裁造反?

本日は、非常に重要な情報なので、倉山満氏のブログから引用させていただきます。
本日のAJERは、三木武夫シリーズをお休みして、「緊急解説」番組をしました。
安倍晋三最後のチャンス!!

大蔵元老院の鉄槌
ここのところの砦の情報をさらに裏取りして解説したものです。裏取りっていっても、取材と言うほど立派なものではないですが。 
要点をまとめると、 
・このままでは、日本は今後6年間、今以上の不況が続く。それで持つのか? 
・小泉元首相や、大蔵省次官OB連(元老院)は、相当の危機感を抱いている。 
・増税「大政翼賛会」は、今を乗り切れば勝ちだと思っている。 
・逆に言えば、今が敵の最大の弱み。ここを逃してどう戦う? 
・もしかしたら、負けるかもしれない。しかし、ここで「負けること」と「戦わないこと」、どちらが国民の支持を失うのか? 
・もはや民主も自民もつぶれてしまえ!というのが国民の多数。 
・「敗戦国のままで良いのか」を争点に、政界再編を行うべし。 
・国会を見渡して、安倍晋三元首相以外に旗印はいるのか。いや、いない。
そうこう言っている間に、野党七党が増税採決前に不信任案提出。公明党は否決の方向。 
あとは自民党だが、これで賛成しなかったら、次の総選挙は大敗だな。話は簡で、「もう我慢できない!」と一言だけ言って、不信任案に賛成すれば良い。もし谷垣自民党総裁が不信任案否決をするなら、造反したのは総裁の方だ! 
ですな。
【私の論評】日本国と、日本人という文脈で、物事をとらえ、語り、行動せよ!!

本日は、チャンネルAjerの倉山満氏の緊急解説を掲載します。このビデオ自体は、昨日見たばかりで、そのうちこれに関連する報道もなされるであろうと思っていたのですが、どうもそのような動きが見られないので、掲載することにしました。これは、有用・有益な情報として、皆さんに是非知っておいていただきたいものです。ご覧になっていない方は、是非ご覧になってください。

さて、私が動画を見た後の感想など下に掲載しておきます。

現場のデフレのままの状況で、増税することは、とんでもないということは、もうすでに多くの方々にとって、既成事実になっています。それに、最近では、日本における消費税増税にあたるイギリスでの付加価値税増税は完璧に失敗だったことが白日のもとに晒されています。


日本では、97年に増税して以来、一度も税収が前の水準戻ったことはありません。このような既成事実によっても、増税しようとする動きは、全く愚かであると言わざるを得ません。もし、今回増税に踏み切ったとすれば、いままでに経験したことのない最悪のデフレになることは、容易に想像できることですし、ほぼ確実です。それに、倉山氏は、上の記事で、このままでは、6年間不況が続くとしていますが、それは、動画をご覧いただけれは、最短という意味であり、私自身は、10年は続くものと思います。そうして、失われた10年は、すでに、20年に近づきつつありますが、そんなものは軽く乗り越えて、失われた30年になると思います。30年間デフレを放置する国など聴いたことがありません。まさに、狂気の沙汰です。

失われた20年と、3200兆円、クリックすると拡大します
そうして、税収が減り、財政再建どころではなくなります。これを推進した人々は、戦犯のようなものです。後々必ず、非難されるでしょうし、それも微に入り細に入り詳細にわたって愚かであったことが白日のもとに晒されることは明らかです。これは確かです。昔のように、インターネットがないとか、SNSがない時代とは違います。ほぼ確実に政治生命を失うことでしょう。雇用など更に悪化、多くの星の数ほどの多くの中小企業がやっていなくなったり、自殺者が増えれば、当然です。



民主党は政治においては何も決断できずに、結論を延々と先延ばしすることが常なのですが、そんな性向にもかかわらず、消費税増税だけは、首相が政治声明をかけるなどとして、熱心にすすめます。こんな、恐ろしいこと、しかも、イギリスの例をみるまでもなく、すぐに、大失敗であることが発覚するようなことを良く平気で進められるものだとその度胸に感心してしまいます。というより、野田総理や安住財務大臣などは、それが正しい道と心から信じているのでしょう。本当に愚かです。


それに政局だけからみても、この時点で、増税推進をした与党などは、後々汚名をかぶることは必至です。これは、97年に増税に踏み切った橋本龍太郎氏がどのような末路をたどったかを見れば、理解できることです。野田総理は、そうなりたいのでしょうか?それとも、増税した後は、野となれ山となれで、どうでも良いと思っているのでしょうか?それに、大蔵省分裂によって、できた財務省と日銀も?それに、デフレ下の消費税増税が、政権交代のきっかけの一つになっていたことは否めないと思います。実際、民主党は、政権交代前の選挙で、自分たちが政権をとれば、4年間は増税しないとはっきり公言していました。そもそも、政権交代した民主党が今日のように増税の推進をするなどとは、当時の有権者は誰も思っていなかったでしょう。


この期に及んでまで、増税を阻止できなければ、大変なことになることは明らかです。この時点においては、最早、左翼、左派、中道、右派、右翼などのイデオロギーは、どこかにおいておいて、とにかく、増税阻止の立場の人々は、結託すべきです。

勝栄二郎財務次官
そうして、増税阻止をしてから、イデオロギー論争をするなり、対立するなりして欲しいです。現在の状況でそれができないとか、しないというのでは、後世の歴史家が、この時代を愚鈍マスコミと、愚鈍政治家の時代と位置付けると思います。それこそ、倉山満氏が良くたとえにだす、あの戦争を阻止するどころか、推進してしまった、近衞内閣末期症状といわれることは必定です。

近衛内閣
さて、自民党内にも、いろいろな動きがあるようですが、やはり、結党の精神に立ち戻り、増税阻止は無論のこと、安部氏が総理のときに語っていた「戦後レジュームからの脱却」を目指すべきです。そうしなければ、いつまでも、日本独自の、財政政策も、金融政策もできず、今後も「デフレの時の増税」などというとんでもない政策に似たような政策を実行し続け、国民を道ずれにして、日本国弱体化を推進し、挙げ句の果てに日本という国がこの世から実質上消えてしまうなどということになりかねません。というより、そうなりかけていると思うのは私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?そうして、このようなことを誰が一番喜ぶのか?二番目は誰なのか?皆さん、考えてみてください!!

戦後歴代の自民党総裁
そう考えるのは、私だけではなく大勢いるからこそ、上の動画で、倉山満氏が説明しているような事実が発生しているのだと思います。日本人は、そろそろ、映画「マトリックス」のようなバーチャルワールドから目覚めて、本来の自分を取り戻すべきときにきています。国民国家として当然である日本国と、日本人という文脈で、物事をとらえ、語り、行動すべきです。本来の自分を取り戻さなければ、領土問題や、諸外国の干渉の呪縛から永遠に解き放たれることはないです。



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2012年8月3日金曜日

デモの参加者にも広がり始めた焦りと無力感「脱原発」意識の二極化現象に覚える違和感の正体 ―【私の論評】生存の危機を身近に感じることのなかったニッポン人!!絶対などということがあり得ないと悟っていた日本人?

デモの参加者にも広がり始めた焦りと無力感「脱原発」意識の二極化現象に覚える違和感の正体


大飯原発の再稼働を機に、「脱原発デモ」が再び盛り上がっている。だがその一方で、世間では「脱原発」への意識が二極化し、一部でトーンダウンの兆しも見える。昨年、生存の危機に晒された日本人の意識が変化している背景には、何があるのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当然、既存の労働・政治団体には、しっかりした主張を展開している団体も多い。しかし、一般参加者については、「原発について専門的な知識があるわけではない。でも、わからないからこそ怖いし、もっと知りたいと思う」(前出のEさん)という人がほとんどだ。


だからこそ、今のデモが「運動のプロ」ではない幅広い層を集めることに繋がっている一方、素人であるがゆえに政策への反映プロセスがわからず、ジレンマに陥っている側面もある。

繰り返し述べるが、原発問題については様々な意見があり、まだまだ議論を深めなければならない。国民の不満や疑問と正面から向き合うことを政府が避け続けていれば、火に油を注ぐことになりかねないことだけは、理解しておく必要があるだろう。

この詳細はこちらから!!

【私の論評】生存の危機を身近に感じることのなかったニッポン人!!絶対などということがあり得ないと悟っていた日本人?


上の記事、生存の危機に晒された日本人の意識が変化しているということを述べていますが、どのように変化しているのかを述べてはいないと思います。この日本の変化は、いくつもありますが、上の記事の内容は不十分です。不十分であるがゆえに、無力感など十分に説明できないでいます。これだと、以前似たような記事をこのブログに掲載しましたが、そちらのほうが理解しやすいと思います。


ニッポン人の多くは、今回の震災が発生して、原発事故が発生して、はじめて、絶対安全などということは到底あり得ないということを悟ったと思います。震災が起こって間髪を入れず、各地を津波が襲う動画がテレビで多く映しだされました。津波に直接襲われた人は、もとよりそうではない人にもこのことを直感的に悟ったことでしょう。そうして、次の日は、炎に包まれる多くの地方都市が放映されました。


そうして、極めつけは、しばらくたって津波の水がひいた震災地の惨状です。現在の日本人は、ほとんどの人が爆撃の経験はないですが、それにしても、テレビなどでその映像を見たことのある人は大勢いることでしょう。そうです、多くの被災地がまるで爆撃を受けたかのように、建物などが、跡形もなく消え去っていました。


それから、少ししてから、あの原発事故です。原発の建屋が吹き飛んだり、原発を冷やすための放水作業などが映され、しばらくは考える暇がないほど、次々といろいろなことがありました。


そうして、まもなく、原発反対運動が盛り上がりを見せるようになりました。そうして、私自身はといえば、この時点では、情報が少ないことや、いわゆる理論武装のようなものもしようがなかったのですが、最初から原発全廃、原発反対という考えは頭をよぎりもしませんでした。ただし、すぐに全廃ということはなくても、時間が随分かかったとしても、危険な原発はいずれ廃止したほうが良いとか、そこまでいかなくとも、減らしたほうが良いとは思いました。


なぜなら、すぐに全廃などすれば、日本の社会の隅々まで入り込んで、いわゆるユビキタスの代表のようにいわれている、電気が、なくなれば、経済が停滞するし、それに社会が混乱することは目にみえていたからです。だから、全廃など叫んでデモをする人々を目にしたときは、なんて愚かなことをするのだろうと思いました。


それから、いろいろ、考えてみましたが、結局自分も原発の電気を使っていて、いわゆる安全神話は、心底信じてはいなかったものの、やはり、そんなに危険はないだろうと考えていたことに思いが至りました。そうして、安全神話を流布した、自民党政権や、民主党政権に対する怒りの感情が目覚めました。そうして、現在進行形で、原発事故への対応の悪さがはっきりしてきた民主党政権や、東電などにも怒りを感じました。そうとはいいながら、東電にばかり、非難の矛先が向かうことに疑問を感じました。


いずれにせよ、原発事故によって、完璧に安全神話が崩れたことは間違いありません。多くの人が、信じていたことが、そうではなかったこと、さらに、原発だけではなく、いくら、日本か戦争などのない安全な国であると思っていても、地震や津波などで、思ってもみないほどの甚大な被害にあい、それによって、多くの人々がなくなるということもあり得るのだということに思いいたったと思います。これは、誰もが認めると思います。


そうして、何事にも、絶対安全とか、確実とか、絶対正しいとか、絶対間違いであるなどということはあり得ないということを意識的か無意識であるか別にして、悟ったものと思います。これほどの惨事に見舞われて、そう悟ることができない人は、右、左とか、上、下などの思想の違いとか、立場を乗り越えてほとんどいないと思います。


そこにきて、反原発運動のうねりです。上の記事とは、裏腹に現実には、最高にデモ参加者が、増えたときでも、おそらく数万人であろうと言われています。この人達というか、少なくとも、このデモを主導する側の人たちは、原発を廃炉にすることが絶対の善である、疑問の余地がないほど何が何でも絶対正しい主張していると思います。とにかく放射能は、怖いし、原発は危険だし、何が何でも反原発は正しいと主張しています。


しかしながら、良く考えてみて下さい。少し前まで、日本は絶対安全、原発は絶対安全という神話を完璧ではないまでも、多くの人達が、かなり信じていたわけです。しかし、それが、現実に脆くも崩れたわけです。


だから、多くの人達が、原発全廃が絶対に正しいなどとは信じられなくなっていると思います。危険だから、危ないからといって、すぐにも廃止してしまえば、それが、絶対善であると単純に信じてしまう人など、意識している意識していないは別にして、潜在意識の中では、絶対ということは信用しなくなっています。


そうして、私は、およそ、いかなる社会現象においても、それが、社会現象である限り、どのようなことも絶対などということはあり得ないと思います。絶対安全、絶対安心などということは、永遠にないと思います。そうして、この平和日本に長く生きて、そのことを半分忘れかけていたことに気づきました。


一番典型的なのは、「家を出るときは、今生の別れ」ということを忘れてしまったということです。こんな当たり前のことを久しく忘れていたように思います。そうして、一度挨拶をしたら、後は、絶対に振返らないということも、。私は、子供の頃からそのように躾けられていましたので、社会人になってからも、それは、実行していました。しかし、最近は、少し曖昧になっていました。震災以来、このことに気付き愕然としたものです。


あの震災の時に、「家を出るときは、今生の別れ」になった人々が大勢いました。そのことを語っていた人が多く実際に、テレビで放映されていました。しかし、これは、震災、津波があろうがなかろうが、真実です。一旦家を出たからには、外で何が起こるかなどは、分かりません。あるいは、家にとどまっている家人にだって何が起こるかなどということはわかりません。だからこそ、普段から、思い残すことがないように、古の人々は、「家をでるときは、今生の別れ」と言ったのです。そうし、別れ際に、思いを残さないように、一歩家を出たら決して振り返らないようにと戒めたのです。


私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、日々このような緊張の中で生きているのです。私を含めて、多くの人がその事実を忘れていたか、見ないようにしてきたに過ぎません。だから、政府が正しいとか、間違いとか、原発の安全を司る組織がどうのこうのという前に、原発を推進するにしても、廃止するにしても、この世で何が絶対に正しいのだなどということはあり得ないということです。


だからこそ、原発廃止絶対善などもあり得ないということに多くの人々が気づきつつあるのです。何事においても、絶対善を主張する人間がいたとしても、もう誰も簡単には信じないと思います。最初は、騙されても長い間には、騙されなくなってくると思います。社会現象は、何事も、相対的なのです。原発絶対廃止が絶対善などではあり得ないことは、以前このブログで掲載したことがありますので、それについては、当該ブログをご覧いただくこととして、ここには、詳細を記載しません。


私は、社会事象を考えるときは、いわゆる絶対正しいとか、絶対間違いという呪縛から逃れるべきであり、そこから、新たな良い社会が生まれていくものと確信しています。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どうお考えになりますか?


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2012年8月2日木曜日

五輪に沸くロンドンが「ゴーストタウン」化 短期的な景気浮揚効果の予測に疑問符―【私の論評】不況のイギリスでは増税した後で増刷して、さらにオリンピックでも景気浮揚の効果はなくなったというのに、日本ではこれから増税とはこれいかに?


ロンドンオリンピック、ビーチバレーボールの試合
オリンピックがロンドンの都心部に「ゴーストタウン」効果をもたらしている。 通常であればロンドン市内の小売店やホテル、劇場などに足を運ぶはずの観光客がいなくなってしまったためで、オリンピックが短期的な景気浮揚効果をもたらすという事前の予想に疑いの目が向けられている。 オリンピックを見にロンドンを訪れる外国人観光客は10万人に達しており、過去のオリンピックでの実績を上回っている。しかし、ロンドンでは普... -jbpress.ismedia.jp

【私の論評】不況のイギリスでは財政再建のため増税した後で増刷して、さらにオリンピックでも景気浮揚の効果はなくなったというのに、日本ではこれから増税とはこれいかに?
上の記事では、「オリンピックを見にロンドンを訪れる外国人観光客は10万人に達しており、過去のオリンピックでの実績を上回っている。しかし、ロンドンでは普通の年でも推定30万人の観光客を見込むことができ、これに比べれば見劣りする」と掲載されておらり、オリンピックによる短期的な景気浮揚効果の予測に疑問符ということを掲載していますが、この見方はあまりに一面的すぎると思います。



本当の原因は、もっと大きいところにあると思います。まずは、現在のEUの経済の状況をみてください。ギリシャの財政破綻に端をはっした、欧州の経済危機は様々なスペインをはじめ様々な国々に波及しています。この状況では、本来オリンピックで訪れるはずだった人たちも相当控えることになっているはずです。本来なら、過去に二度行ったロンドン・オリンピックなどはるかに上回るような人々もっとロンドンに訪れていたことでしょう。過去との単純比較は、成り立たないと思います。

さらに、もう一つの原因があります。それは、無論のこと、イギリス政府は、不況の最中に財政再建をすると称して愚かな付加価値税(日本の消費税に相当)を増税しました。そうして、その後、これは、日本とは大違いですが、イングランド銀行(イギリスの中央銀行、イングランド銀行)が大増刷を行いました。その後どうなったといえば、大増刷によっても、不況からは脱出できていません。やはり、増税が間違いあったことがはっきりしました。この環境下で、オリンピックなどの短期経済浮揚策をしても、あまり効果は期待できないということです。

イングランド銀行
この事実は、このブログでも、以前紹介したことがあります。どのような内容かといえば、詳細は、当該ブログをご覧いただくものとして、要約すれば、以下のようものです。
イギリスのような不況に陥っている国では、財政赤字を是正するために、増税すべきであるとの、誤った考え方に従い、付加価値税を増税をしました。どうなったかといえば、無論のことさらなる景気の悪化です。その後イングランド銀行は、金融緩和措置として大増刷をはかりました。この増刷に対していわゆるリフレ反対派の人々は、インフレになると警告していて、実際、インフレ傾向が続いていました。そうして、リフレ反対派は、これを景気が悪くなったからといって、増刷すれば、インフレになるという持論の格好のケーススタディーとしていました。しかし、それが、最近では、インフレが収束しており、リフレ反対派の間違いが明らかになっています。そうして、イギリスの場合、増税は明らかな間違いであり、増税してしまった後のイングランド銀行の行動は正しいものであり、もし、大増刷していなければ、イギリス経済はさらに落ち込んだものと思われます。
さて、インフレが収束しているイギリスのインフレ率、いくらくらいかといえば、2%前後です。これで、インフレ収束というのが、世界の常識です。にもかかわらず、日銀は、インフレ目処を1%としていますが、これすらも実行する気はありません。1%に到達しそうになると、すぐに、緩和措置をとめてしまいます。どこまでも、デフレ路線を突っ走っています。そうして、それを財務省はおろか、政府も止めることはできません。

イングランド銀行キング総裁
なぜ、そんな馬鹿なことになっているかといえば、平成10年に日銀法が改悪されてしまったからです。それまで、日銀は、大蔵省の一部でしたが、大蔵省が分割され、財務省と、日銀とに分離されました。そうして、中央銀行の独立性が確保されることになりました。

中央銀行の独立性とは、本来の意味では、「政府が決定した日本国の金融政策に従い、中央銀行は、その金融政策を実行する際の方法を選択できる」ということです。ところが、日銀が独立して以来なぜか、日銀は、この独立性に関して勘違いしたのか、他者(外国勢力も含む)の入れ知恵か、日銀に日本国の金融政策を決定するのが中央銀行の独立性であるとの考えを貫き、勝手に日本国の金融政策を自分たちで決定し、実行しています。

日本銀行
そうして、それは、ことごとく、日本の経済を痛めつける政策であり、頑なにデフレを維持する政策を実行しています。このブログに掲載してきたように、変動相場制で比較的小さい国においては、マンデル・フレミング効果が効いて、経済対策としての、政府の財政政策は、ほとんど効果がなく、効果があるのは、金融政策であるといわれています。日本は、大国ですから、小国のようにマンデル・フレミング効果が効いて、政府の財政政策が全く無駄で、金融政策のみが有効というということはありませんが、それにしても、金融政策がかなり有効であることは間違いありません。

やはり、デフレから脱却するには、財政政策と、金融政策の両方が不可欠であることは言うまでもありません。
貧乏神(日本には、白川という貧乏神がとりついている!!)
それよりも何よりも、まず、デフレなどで、景気が落ち込んでいるときの増税は、上のイギリスの例でも明らかに失敗しており、増税は、イギリスの例をみるまでもなく、名目GDPを減らし、税収を減らすことは明らかであり、絶対にすべきことではありません。

増税しても、今のままでは、日銀は、イングランド銀行のように増刷するなどということは考えられないので、デフレがさらに進行するだけとなり、このような経済環境の中では、いくら民間企業が努力しても、どうしようもなく、雇用などますます悪化するだけです。日銀が、これを放置しておけば、不況であるにもかかわらず、円高が進行し、企業はもとより、人も海外に市場を求めて出ていくことになり、ますます、日本は地盤沈下することは間違いありません。

そのような、愚かな増税は、イギリスの例をみるまでもなく、絶対に実行すべきでありません。そのためには、野田政権には、辞めていただくべきです。自民党の総裁選では、谷垣氏のような増税を主張する人にはやめてもらい、増税反対派の人を総裁にすべきです。それに、忘れてならないのは、日銀法を改正することを主張する政党や、人達を支持すべきです。この両方で、増税を阻止して、金融政策をまともにすれば、日本は必ず経済的復活を果たすことができます。


特に、今まで、一般の人たちも、政治家も、金融政策の重要性を見逃してきたと思います。たとえば、日本では、雇用対策というと、厚生労働省の管轄と考えられがちですが、本当の意味での雇用対策は、中央銀行の大きな役割の一つでもあります。なぜなら、中央銀行の金融政策一つで、雇用そのものが大きく増減するからです。実際、アメリカでは、中央銀行(FRB)の大きな役割の一つとして、雇用対策があります。ひらたくいうと、経済への影響や雇用のミスマッチなど無視して、インフレ率を2%上昇させたすると、日本や、アメリカのような大国では、そのとたんに数百万もの雇用がだまっていても発生します。

厚生労働省などの役割は、その後の雇用のミスマッチなどをどうするとか、労働環境をどうするかなどの問題を解決するのが、主要な任務であって、雇用そのものを生み出すことはできません。このような基本的なことが、政治家も理解できていなかったと思います。自民党など、金融政策の重要性を理解していれば、未だ政権与党の地位を保てたかもしれません。日本人以外の人とは、そんなことはないのですが、日本人の場合は、それ相当の立場の人とさえ、雇用問題に関して金融政策の話をしたりすると、怪訝な顔をされたことがしばしばあり、私自身が困惑したことも再三あります。それだけ、認識されていないという事だと思います。まあ、増税キャンペーンが徹底されている日本国では無理からぬところもあるのかもしれません。

金融政策は、経済に大きな影響を及ぼします。だから、日本がデフレから脱却するためには、増税阻止と、まともな金融政策を実施するための、日銀法改正は必要不可欠です。そのためには、立場を乗り越えて、多くの人達が結託すべきです。そのことについては、下に経済評論家上念氏の動画が詳しく、分かりやすく、解説しています。是非ご覧にって下さい。


以下に、上の動画の説明をコピペしておきます。
あまりにも強くなりすぎた日銀の独立性。この20年のデフレ脱却失敗の歴史を振り返れば、デフレ脱却のためには日銀法の改正こそが必要なのではないだろうか?新自由主義や­社会主義などのイデオロギーを抜きにして、日本再生のために各党が結束する事を強く望みます。その第一歩と成りうるのか、みんなの党と社民党の「内閣不信任案」提出の動き­などと共に、政治の動きを解説していきます。
とにかく、今の日本では、デフレを克服しなければ、先への展望など開けてきません。左翼、左派、中道、右派、右翼などのイデオロギーの違いなど乗り越えて、とにかく、増税だけは、何が何でもも阻止すべきであると思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?

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