タレントのつるの剛士さん(41)が自身のツイッター上で、「保育園落ちた日本死ね」の流行語大賞トップテン入りに「とても悲しい気持ちになった」と投稿し、議論になっている。
つるのさんは2日、「『保育園落ちた日本死ね』が流行語。。しかもこんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。。皆さんは如何ですか?」(原文のまま)とツイートした。
1日に「2016ユーキャン新語・流行語大賞」が発表となり、トップテンに「日本死ね」が入っていた。都内で開かれた授賞式には、国会でこの問題を追及した民進党の山尾志桜里衆院議員(42)が満面の笑みで登場。表彰され「年の締めにもう1度スポットライトが当たり、うれしい」と喜んだ。
授賞式に満面の笑みで登壇した民進党の山尾志桜里衆院議員(42) |
「日本死ね」は匿名のブロガーが保育園の抽せんに落ちた怒りをつづったもので、一部のメディアが大きく取り上げて反響を呼んだ。
選考理由は「このフレーズが先導するようにして大きな社会問題を現出させた」(選考委員会)というもの。
つるのさんの投稿に対し、「私も全く同じ」などと同感する意見が多数寄せられ、一部、「この言葉のおかげで待機児童の問題に政府が本気で取り組んだ」として、「日本死ね」の騒動を肯定的に評価する声もあったが、「民主党(当時)政権より改善されてますよ」「以前から政府は取り組んでました」などと百家争鳴の議論になっている。
つるのさんは「保育園落ちた…」のつぶやきの直後に、「皆さん朝からイヤな気分にさせてごめんなさい!今日の素晴らしい神ってる富士山です。皆さんもお勤めいってらっしゃい!」と、富士山の写真とともに投稿した。
【私の論評】日本社会は発狂してしまったのか?
私は、つるの剛士氏のような反応を示すのが、当たり前の反応だと思います。国会で「日本死ね」などという言葉自体が、どのような形であれ、使われしまったということには、今でも憤りを覚えています。
このブログでも、これについては掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
山尾氏、今度は衆院選直前に不可解な「500万円の移動」 週刊新潮報道 ―【私の論評】献金問題と同じく匿名ブログに基づく議論も指弾されるべきだ(゚д゚)!
この記事は、今年4月14日のものです。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では掲載した当時は、山尾議員の政治資金問題が主に問題とされ、「日本死ね」などという言葉を国会で使ったこと自体については、あまり問題にされなくなっていたので、こちらのほうも大問題であることを主張しました。
以下のこの記事の結論部分を掲載します。
私自身は、ブログでもtwitterでもすべて実名を公開しています。ブログやSNSを始めるときに、知人などは、匿名にすべきなどと言った人も何人かいたので、少しの間匿名にしていたこともありましたが、やはりその後実名にしました。
これは、匿名のブログやツイートで、自分の意見などを述べるのはやはり、無責任であると思われたからです。無論、これは他の人もそうすべきということではありませんが、いずれにしても、匿名のものでは信ぴょう性は格段落ちることは間違いありません。
私自身も、匿名のSNSやブログ・サイトの場合、何か興味を惹かれるようなことが書かれてあったとしても、SNSなら自分で確かめられる範囲で、正しいと判断できるものは、リツイートくらいはすることもありますが、それを引用して、解説するということはありません。ブログ・サイトに関しては匿名のものは引用しません。あくまで、出処が明らかなものしか引用して、それを解説したり論評するようなこともしたことがありません。
それが本来まともなことであり、国会で匿名のブログをもとに、審議をするなどということは、考え及びもつかないことです。匿名のブログなど何の責任も伴わないものですから、そこに書かれていることなど、信ぴょう性も何もありません。疑問に思っても、書いた人間に質問することすらできません。そのようなものを元に、公の場で議論などすべきではありません。まともな会社の取締役会で、匿名のブログなどに基づいて議論をすすめる役員がいたら、愚か者と言われることでしょう。
これは、ネット社会における最低限のエチケット(ネチケット)であると思います。そのようなことを、認識できない山尾志桜里氏が、検事であったという事自体も信じられません。検事なら、何事に関しても、物的な証拠などを重視するのが普通だと思います。それに、マスコミが献金問題と同じようにその点を追求しないのも本当に奇異なことです。
このようなネチケットが守れない国会議員が何の指弾も受けない、それを褒めそやす党代表が存在したり、それを批判もしないメディが存在するということ自体が、現代の陰湿なネットいじめなどを助長していると思います。
ネットいじめの温床は何か?
匿名のブログはエビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)ではありません。新聞の報道はエビデンスであることが求められます。だから、まともな新聞記者は、情報の出処を裏取りして、正しい情報に基づいて報道します。国会での審議であれば、当然新聞社などより、さらこの点において厳格であらねばならないはずです。この「日本死ね」があろうことか、国会の審議で用いられただけに及ばず、 流行語大賞に選ばれ、その授賞式に山尾志桜里議員がいそいそとでかけて、満面の笑みで受賞するなど、正気の沙汰ではありません。
このようなことがなおざりにされても、何の問題にもならない社会は病んでいるとしか言いようがありません。これでは、ますますネットいじめなどをさらに助長するだけです。
山尾氏を政調会長に抜擢する民進党はもう、最初からダメ政党であることを暴露してしまったようです。
本来ならば、献金問題と同じく、匿名ブログに基づく議論も指弾されてしかるべきです。現代では、政治もメディアもどこか、狂っているとしか思えません。
山尾志桜里は、知らないようですが、「死ね」という言葉は、小学校などでも表立って使えるような言葉ではありません。以下にある小学校でのポスターの写真を掲載します。
「死ね」「うざい」「きもい」は言ってはならない言葉なのです。そのうちの一つの「死ね」が国会の審議でどのような形であれ使われ、さらに流行語大賞になるという今の日本の社会の風潮は、完璧に狂っています。
国会でも、与党を批判したり追求したりするのに、どんな文脈であっても、「死ね」などという言葉を使っても構わない、などということは本来は、絶対にあってはならないはずです。
現代は、ポリティカル・コレクトネス(political correctness、PC)という概念が広まりつつあります。これは、、言葉の使い方に偏見や差別が含まれていないことを指す言葉という意味です。たとえば、カメラマンと言ってはいけないので「カメラパーソン」と言い換えるなどのことが言われおり、これは行き過ぎではないかと思うこともあります。
このようなことを許しておけば、社会のタガが緩みとんでもないことになってしまいます。本日も以下のような記事を見かけました。
「菌」発言の担任、児童に直接謝罪へ 校長が意向示す
新潟市の小学4年の男子児童が担任の男性教諭から名前に「菌」をつけて呼ばれ、学校を休んでいる問題で、この小学校の校長は2日、朝日新聞の取材に対し、担任教諭が児童や保護者に直接謝罪する場を設けたいという意向を示した。
校長は、同じ学年の保護者に対する説明会や、全校児童を対象にしたいじめに関するアンケートの実施なども検討しているという。
児童は東京電力福島第一原発事故の影響で福島県から5年前に避難し、新潟市で暮らしている。保護者によると、小学3年の時から一部の同級生に「菌」と呼ばれたり、仲間外れにされたりしていた。今年の夏休み以降、物を捨てられるなどエスカレートし、児童は11月17日に担任に相談。その5日後、早朝に福島県で地震が起きた22日の昼休みに、ほかの児童がいる前で「菌」をつけて呼ばれたという。児童は祝日をはさんだ24日から学校を休んでいる。このような馬鹿な教師が発生する背景には、国会でも「死ね」という言葉が審議過程で平気で持ちられたり、流行語大賞になってしまうなどのことがあるのは間違いないことだと思います。
国会での審議など、多くの国民の規範にもなるべきものと思います。そんなところで、平気で「死ね」などという言葉を審議過程で用いられ、あまつさえ流行語大賞になってしまえば、小学校などでも、「死ね」「殺す」が当たり前になってしまうのではないでしょうか。
そうして、「死ね」「殺す」よりはまだましであると思われるような、「菌」などという言葉、何のてらいもなく大声で話される言葉になってしまいかねません。
「死ね」などという言葉横行する組織は、学校であれ企業であれ、「いじめ」が横行しかねない |
組織の中では、禁忌とされることをしでかしてしまったものは、たとえ一見それが正しいことのために行われたようにみえても、いずれ懲罰を受けます。いつまでたっても、出世しないとか、給料が上がらないとか、禁忌を破った直後か、そうではなくとも、何年かたったあと左遷されたり、減給されたり、降格されたりします。そのとき、はじめて禁忌を破ったことの重大性に気づく愚か者も存在します。最近では、気づかいない人もいるです。しかし、これは組織の秩序を保つため当然のことです。
国会議員やマスコミなども、今のままでは、さらに増長しとんでもないことになってしまいかねません。山尾志桜里のような議員には、選挙では票を入れないことです。マスコミは新聞・テレビなどの購読や視聴をやめることです。
とにかく、この狂った社会風潮は何十年かけてでも、是正すべきです。
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